――道化は寂しく踊るもの。
そう言った美的観念があったわけではないが、雫(
ja1894)の第一声は、「信じられない」だった。
「何ていうんですか、こういう文豪の感覚をディアボロが持っているって言うのが。いいんだか悪いんだか……」
返答に困ったのは元 海峰(
ja9628)であった。顎に手を添えて考え込む。
「俺にはそういう感覚って言うのが分からなくってな。すまないが同調し切れない。無論、ディアボロが詩的なことを言うか言わないで言えば、それは否であろう」
「ですよね。私、こんなことにそういうロマンチックな言葉って遣われたくないです」
「浪漫、か。生憎のところ、俺には分からん感覚でもある。月が綺麗だと何で好意を示すことになるんだ? 体感的に月光を感じられないのもあるが」
「あっ、すいません。私、何も考えずに……」
迂闊だった、と判じた雫に海峰は頭を振る。
「別にいい。あまり気を遣われても仕方のないことだしな。戦闘に支障がなければそれでいいと思っている」
「そう、ですか」
雫は困惑しつつも今回の囮役となることに一抹の不安を覚えてもいた。
「月が綺麗ですね、に答えを返すのも、どこか憚られるんですけれどね」
「それは、その言葉に返答する相手がいる、ということなのか? ……あ、いや無粋ならば謝るが」
雫は海峰に微笑みつつ、唇に指を当てた。
「秘密、です」
「俺、昔妻に同じこと言ったんですよ。その時は無反応だったなぁ」
浪風 悠人(
ja3452)のため息に佐藤 としお(
ja2489)は言葉を彷徨わせた。
「そりゃ……何ていうかご愁傷様だねぇ。これって結構、勇気いる言葉だと思うんだが」
としおが団地の地図を見やりつつ位置取りを確認する。
「要るんですよ、実際。で、勇気出して言ってみたらキョトンだった時の感じ、分かりますかね……」
としおは強く頷いた。
「男ならば誰しも言ってみたいが、ハズした時の感覚が怖い言葉ランキングの上位でもあるよね。怖いって言えば、僕は今回みたいなホラー系も実は怖い。囮役はよくやるよとまで思ってしまうなぁ……」
「としおさん、そういうの駄目でしたっけ?」
「ハロウィンって最近は浮かれ調子だけれど、元々は怖がりをさらなる怖がりに昇華するためだけのものみたいだったからねぇ。その洗礼を受けた、ってところかな。でも今は撃退士。誰かがやらないといけないのなら、そうするさ」
「囮への初撃は任せます。俺も位置取り、よく考えなきゃな」
気を取り直した悠人の声音にとしおは指を鳴らす。
「声を出しちゃ駄目なんだっけ? なかなかに気を遣う秋月になりそうだ」
ミハイル・エッカート(
jb0544)はナンセンスだ、と嘆いた。
「月が綺麗ですね、と来たからには、そこは美女に言われたいじゃないか。何でピエロなんだ? これを作った悪魔はセンスないぜ? 美女型にしてくれるのなら、俺もやり甲斐があったもんだ」
新聞に目を通しながら放った文句に葛城 巴(
jc1251)は嘆息を漏らした。
「浮気性なんですか?」
「いやいや、浮気はしないぞ? ただな、こういうことは女に言われたいってのは男の願望みたいなものなんだよ」
取り繕うミハイルに巴は言い返した。
「……男が四人もいて、それで誰も囮になりたがらないとか」
「……耳に痛いな。でもまぁ、道化にゃ美少女が似合うってのは間違いない。届かぬ恋に涙する道化ってところか」
「そこまでロマンチストなディアボロではなさそうですけれど……。そういえば十八世紀には扇子の動かし方一つで思いを伝える方法があったようです。直球が投げらない男たちはいつだってそういう婉曲表現を使い込んできたんですね」
「……さらに耳に痛いな。今回は月が綺麗だって言うディアボロに対して結構、言いたいことがあるようだな」
巴は身を翻しつつ、手にしたクラッカーを雅に掲げる。
「月見と言えば団子ですが……ああ、これは食べられないんでしたっけ?」
「何だそれ、クラッカー? そういうグッズを持ち歩いているのか? いつ使うんだ、それ」
「それこそ、ジョークの時にですよ。今回みたいな、冗談めいた時には特に」
「違いない。冗談以外でこんな言葉をシラフで吐ける奴がいたとしたら、そいつの度胸に乾杯するか、あるいは笑いの種だ。俺は今回のピエロたちに、冗談以外を求めちゃいないからな」
月光が降り注ぐ中、道化たちは一斉に行動を始めた。
道行く人影は明らかに減っている。それでも全くないわけではない。今宵もその毒牙にかかるであろう標的は発見できた。
道化が一体、その背後に歩み寄る。
「月が綺麗ですね」
銀色の髪を秋風になびかせた少女は儚げな声で答えた。
「手が届かないから、綺麗なんですよ」
ゆっくりと振り向いたその横顔に爪が突き刺さりかける。その時、地面を触媒として何かが発生した。
禍々しく紫色に発光する結界が道化と少女――雫の間の空間を埋め尽くす。
罠だと分かった時には既に身体の自由は奪われていた。
「月が、綺麗ですね」
「生憎と私、死んでもいいと言い返す相手はもう決まっているので」
払われた銀の爪が空中で弾丸に遮られ、その狙いが僅かに逸れた。
射程の先でとしおが、ふぅと息をつく。
「そんな爪で女の子をぶっちゃダメでしょ? 今回のディアボロ、告白のセンス云々よりもまず、女の子のエスコートの仕方から知らないらしい」
控えていた二体の道化がとしおに向かって追撃し掛ける。
ケタケタと嗤いながら道化がとしおへと駆け抜けた。
「うわっ……だからマジにムリなんだよ、こういうの。でもま」
瞬間、銀色の盾がその移動先を遮った。
悠人の操るシールドが道化の動きを阻害する。
「――今宵の月を楽しむのは、僕だけじゃないみたいなんでね」
悠人がその言葉に唇に指を当てた。
(充分にキザですよ。としおさん)と唇だけで言ってみせる。
雫と鍔迫り合いを繰り広げる道化へと割って入ったのは巴であった。
常に雫に接近しており気配を殺していたのだ。
無言のまま、巴は敵の爪を鉄くずで弾き返す。
その攻撃網に迷いはない。
「月が……綺麗ですね!」
渾身の爪による薙ぎ払いを防いだのは海峰であった。
「無粋な……道化に爪は似合わん」
防御に用いた巨大な槌をそのまま翻し、攻撃へと転じさせる。
爪が軋み次の瞬間叩き折られた。
痛覚を刺激され、道化がもがき苦しむ。
その姿を射線に捉えた影があった。
――悪趣味ピエロが。
そう胸中に紡いだのはミハイルである。
火炎が銃口より発射され、直後に隼の形状を模したアウルの塊となる。
受け止めた道化の爪があまりの灼熱に融解した。
月を仰ぎ見た道化の視界に入ったのは月下に舞う火炎の蛇であった。
「道化は炎で曲芸をするものだろう? 何かしてみろ」
舞い踊る炎が道化型ともつれ合い、その喉から叫びが迸った。
「何だ、月が綺麗だと、そう言うだけの代物ではないのか。踊れぬ道化に、価値はなし。燃え尽きろ」
悠人が印を切り、長大な数珠から炎を発するのと、ミハイルの銃撃の灼熱がその道化を嬲ったのは同時であった。
ケタケタと嗤いながら崩壊し始める道化へと、海峰がその首元を締め上げる。
「俺の炎は曲芸ではない。西蔵忍法だ。思う存分、喰らうが良い!」
海峰の背筋から炎の蛇が浮かび上がり、道化へと食いかかった。
牙がその肉体へと食い込み、道化を瞬時に炭化させる。
一体撃破の報は口笛で成された。
としおが了承の口笛を返し、囮として戦う雫と巴に肉迫しようとした道化へと射撃を見舞う。
「女性二人に道化二人ってのは、大分、タチが悪い」
一体の道化が瞬時に接近してくるのを、としおの狙撃が狙い澄ました。
確実に頭部を撃ち抜いたはずの銃弾は、道化がその牙で受け止めていた。
「嘘だろ、おい……。今時の道化はそれくらいできないと売れないのかな」
道化が銃弾を噛み砕き、声にしようとする。
「月が、綺麗――」
「でもま、銃弾は一発じゃない。こういうやり口でいかせてもらう」
直後、浴びせかけられたのは暴風のような銃撃であった。牙で捉えきれない道化が仰け反る。
「さすがに効いたか……?」
しかし道化は倒れなかった。足の爪を地面に食い込ませ、無理やり身体を直立させる。
ゆらり、と起き上がったその頭部は穴だらけであった。
「うひゃー、大変だね。道化を演じるのも。でもその厚化粧、もう解けているよ」
道化が再び動き出す途端、その足元に銃撃が成される。
振り返った先の道化の襟元を引き寄せたのはミハイルであった。
(化粧のバケた道化の行き着く先は、悲劇って決まってんだよ)
耳元で聞こえる潜めた声で言いやり、その首筋へと銃口を沿わせた。
直後、爆炎が道化の頭部を打ち砕く。
口笛二回で、二体目撃破の報が成された。
「月が、綺麗ですね!」
爪の連撃をいなし、巴と雫が背中合わせに道化一体を相手取る。
「余裕がなくなってきましたね。告白って言うのは余裕がないと成立しないんじゃないんですか?」
爪を大剣で弾き返し、雫の返す刀が道化の片腕を切り裂いた。
悶絶する道化へと巴の振りかぶった鉄くずが放たれる。
「月が……月が……」
苦悶に歪んだ声に巴が舌を出した。
その舌先には飴玉がある。
見入った相手の懐へと雫が剣先を突き刺した。
「別の月が見えたみたいですね」
道化が刀身を引き裂こうともがく。雫はそのまま押し切ろうと丹田に力を込めた。
吹き飛んだ道化が電柱に激しく衝突する。
背筋を打ち据えた道化がよろよろと危うい足取りでよろけた。
恐らくは肉体の根幹が麻痺しているのだろう。
「月が、綺麗で……」
「貴方にとっては綺麗でも、私にとっては曇って綺麗じゃないです」
解放された闘気が銀閃となって剣に宿る。
そのまま打ち下ろされた一閃を道化が爪で受け止めようとした。その爪も根こそぎ叩き折られてしまう。
激痛に身悶えする道化を背面から射程に捉えたのは悠人であった。
「ハズした時怖いから言わないほうがいいですよ、ってのは、余計なお世話か」
業火を纏った数珠による打ち払いが道化を焼き尽くす。
断末魔を上げながら道化が今にも炭化しそうになる手を、夜空へと伸ばした。
「月が……月が、綺麗ですね……」
その一言を最後に道化が内側から焼き尽くされ、完全に倒れ伏す。
目標の沈黙を全員が確かめてから、ミハイルがふぅと息をついた。
「月が綺麗で涼しい夜には芋焼酎お湯割り飲みたいぜ。ただし、ピエロはなしな」
燃え尽きた道化を見据えて巴が言い放つ。
「悲しみを知らないものに、ピエロは演れないんですよ」
ミハイルが自治体に連絡し、事態は収束を見た。
としおが一週間程度のパトロールを提案し、久遠ヶ原と自治体がそれを飲んだ形だ。
「しかし、月見ねぇ。どうせなら一杯やりたいもんだ」
くいっと手をひねったミハイルに悠人が提言する。
「じゃあ月見酒でもどうですか? それかどこかで食事会でも」
それに真っ先に乗ったのはとしおだった。
「おっ、いいねぇ。なんならラーメンが食えるところがいい」
海峰がミハイルへと合掌して今次作戦の成功を感謝する。
「謝謝、ミハイル。道化なディアボロだったのは、ハロウィンという行事が近いからなのだろうか。俺にはあまり縁がなくってな。南瓜の置物は食えるのか?」
「いや、あれは食うもんじゃなくってな。っていうかある種、食い物を集める、って点なら間違っちゃいないんだが……。何なら付き合うか? 海峰も月見酒」
「俺は飲めんからな。飯ならば行こう」
「ラーメン! ラーメンにしよう!」
「としおさんってば……。よし、ラーメンも食える飲みの席に行こう。葛城さんと雫さんは?」
「私は、もう少しこの場所で。月を見ていたいです」
今回の功労者の声に巴も応じていた。
「私も月を。今宵の月は一段と……」
仰ぎ見た巴の視界の先には雲間から覗いた満月があった。
「――ええ、月が綺麗ですね」