ペンギン帽をピンと弾いたラファル A ユーティライネン(
jb4620)からはいつもの覇気が感じられなかった。
「いつもなら、俺が突っ込むんだがなー。今回ばっかりは仕方なさそうだ」
「いつだって、撃退士の役割って言うのはチームワークですよ、ラファルさん」
そう応じたのは精肉店を同じように回っている鈴代 征治(
ja1305)である。
街中に現れる今回の標的――人狼型のための撒き餌を買い込んでいるのだ。
征治は店内で豚の血ももらえないかと交渉する。
「何で豚肉なんだ? ボリューム考えるなら牛だろ」
「豚肉が一番、人間の肉に近いんです。それに、今回の敵、ボリュームとか考えている感じじゃないですし」
「違いねぇ。メタボ犬だろ? ああ、クソッ。いつもなら斬り飛ばしてやるんだがなぁ」
口惜しそうにするラファルへと征治は言いやる。
「後方狙撃、期待しています。今回、前を行くだけが何も戦いではないので」
毎度のことではある。前を行くだけが、戦法ではない。それはラファルも分かっているのだが、生来の血の気の多さが彼女に後方支援という形の戦闘を飲み込ませられないのだ。
「いいぜ、メタボ犬の眉間を打ち抜いてやるよ。ただし! 俺が危なくなったら他人を助ける余裕はねぇぜ。そこら辺、前行くんなら覚悟してやっとけ」
指差すラファルに征治は首から提げた十字架を握り締めた。
「覚悟なら、とうの昔にできていますよ。僕たちは撃退士なんですから」
袋いっぱいの肉を買い込んだ雫(
ja1894)はため息を漏らしていた。
それに気づいてRobin redbreast(
jb2203)は声をかける。
「重たいの?」
「いえ、その辺は大丈夫なんですが……。なんていうか、あのレジのおばさん、やっぱり私たちが肉を食べるんだと、思っていましたよね……」
清算時のレジの視線を思い返して、雫は複雑な心境になる。
「学園のお金だし、問題ないんじゃないの?」
「でも、買ったのは私たちじゃないですか……。何ていうかその、乙女的に肉を買い込む、っていうのはいただけないというか」
「作戦のため。あたしはどうとも思っていない」
ロビンは本当にそうなのだろう。人形のように精緻な顔立ちにはいささかのてらいも見受けられない。
「この肉と血の撒き餌で呼び寄せる……。戦いに血の気はつきものですが、今回は一際、でしょうね。血なまぐさい戦いになりそうです」
「あたしは慣れてる。血なんて、洗えばどうってことないよ。問題なのは、洗っても消えない血のにおいだけ」
掌を眺めるロビンに雫は嘆息をついた。
「とかく、討伐が終われば肉以外のものを見たいものです」
「張るのはここだ。敷地面積もちょうどいい。それに、下水道も近い。血の臭いに釣られて来るだろう」
向坂 玲治(
ja6214)がそう判じたのは近場の公園であった。
街中で戦うのには開けている場所が必要になってくる。公園は今回の討伐に打ってつけであった。
木嶋香里(
jb7748)は買い付けておいた肉を器用に縄で縛り上げ、公園の遊具に吊るしておく。
「器用なもんだなぁ」
玲治の感想に香里はたおやかに応じていた。
「一通りのことはなんとか……。でも、闇に紛れて人を襲うなんて……これ以上、好きにはさせません」
決意を新たにした香里の言葉に玲治は首肯する。
「そりゃ、その通りだ。ここで打ち止めにする。にしても、メタボ犬か。人間もディアボロも、太っちまえばお終いだよなぁ」
その言葉に香里は僅かに脇腹を服の上から押してみた。
「……最近、食べ過ぎちゃったかな」
そのぼやきに玲治は即座に応じる。
「おっと、悪い。デリカシーがなかったか」
「いえ、食べるのも戦いの準備のうちだと私は考えているので別段、そういう気持ちはないのですが……。やっぱり、太っちゃうと動きにくくなるんだろうなぁ、と思いまして」
「しつけもできていないディアボロだ。天魔も堕ちたもんだぜ。待てとハウスのなっていない犬っころはとっととぶっ倒しちまうとしよう」
その言葉に香里が、はい! と強く応じた。
宵闇には数多のにおいが混じり合う。
人のにおい。人間の放つ臭気。人混み独特の汗の空気。流れる風に乗って運ばれたそれを、人狼型三体は関知し、今宵も獲物を漁るために活動を始める。
三体がそれぞれ、すんすんと鼻を動かし、においの強い場所へと惹かれていく。
血のにおい。
密度のある鮮血の香りに三体が歩みを進めた。
視聴覚の薄れた肥満体が代わりに鋭敏化しているのは、嗅覚と味覚。
特に嗅覚に関しては三体とも獲物を食らうためだけに研ぎ澄ましてある。
導き出されたその場所に一人の影が佇んでいた。
おかしい、と三体とも周囲を見渡す。
数十人の人間の死体に相当するにおいが充満しているのに、視覚で捉えたのはたった一人。
その時になって、闇の中で風に揺れ動くのが肉塊であることに気づいた。
人影――征治は十字架を掲げ、先制攻撃を見舞った。
空間を奔った光の爪痕に人狼型がたじろぐ。
「ほら、こっちだ! 撫でてやるから来いよ!」
その言葉に人狼型が駆け込む。
鈍いその動きに闇の中から窺っていた雫が手を払った。
「人狼……? 豚かオークの間違いじゃありませんかね?」
結界が発動し、三体の連携が僅かに乱れた。
その隙を見逃さず、雫は漆黒の十字架を放射する。
重力の過負荷が発生し、うち二体がその足を怯ませた。
「網に捉えたのは、まず一体!」
征治が前に出た一体へと肉迫し、脇に構えた槍の穂を突き上げる。
人狼型の肉体へと衝撃波が突き抜けるが、手応えはさほど感じられない。
「思っていたより、肉の壁が厚いか」
直後、空間を掻っ切ったのは人狼型の爪である。一閃したそれを征治は槍を回転させて弾き返す。
「その爪、嫌だなぁ。孫の手は間に合っていますよ!」
腹腔へと直進する一撃が放たれ、人狼型がたたらを踏む。
その背後から大剣を掲げた雫が斬りかかった。
「頭なら、どうです?」
頭蓋を割るかに思われた渾身の一撃。
人狼型の反応は無論、鈍いかに思われたが……。
「一発で頭が割れない……?」
発達した肉の壁は既に脳天にも至っていたのだ。
全身、それそのものが堅牢なる肉の防御。
雫の刀剣は肉の表皮を僅かに削ったのみ。
「思っていたより、厄介だなぁ!」
征治が槍を顔面へと見舞おうとする。その瞬間、人狼型が両手を開き、迫った槍の穂を受け止めた。
「白刃取り……? 前からの反応はまだ痩せていた頃の習い性があるってわけか!」
「――でもよ、二方向遮られちゃ、三つ目は防げねぇよな」
割って入った玲治の声音に人狼型が反応した途端、その横っ面へと槍による薙ぎ払い攻撃が放たれた。
吹き飛ばされる人狼型に二人が息をつく。
「思ったより、堅いですよ」
「連携だけはされないように行くぞ。あと、前からの攻撃は要注意だ。三人で各個撃破を目指す」
「了解!」
弾けた声に人狼型が起き上がりこぼしを思わせる動きで立ち上がる。
玲治は、へぇ、と笑みを浮かべた。
「面白ぇ動き方すんじゃねぇの。メタボならではの立ち回り、ってか?」
猪突した槍の一撃が人狼型へと食い込む。肉の壁はその切断能力を奪うが――それは一つだけの話。
「二の太刀までは回避できまい!」
玲治の背から踊り上がった雫が頭部へと攻撃を叩き込んだ。
今度は斬るのではなく、叩く、を重視した剣筋である。
狙うのは衝撃波による脳震とう。
狙い通り、肉の減殺効果があるとはいえ、頭蓋を揺らされた人狼型が僅かによろめいた。
その背後に回り込んだのは征治である。
「その首、もらったァッ!」
振るわれた槍による払い攻撃が頚動脈を掻っ切る。血潮が迸る中、玲治は言い放つ。
「どうだ? 自分の血のにおいってのは、案外知らないもんだろ?」
突き上げる一撃が鼻っ面に突き刺さる。顔面を貫いた槍の穂が後頭部から突き出ていた。
「一体撃破!」
その報が戦場を抜ける。
重力の網をようやく抜け出ようとした残り二体の間に割って入った影があった。
朱と蒼。
相克する色彩の槍を両手に保持する香里がすっと手を掲げる。
「もう、あなたたちの好き勝手にはさせません!」
襲いかかったのは同時。
毒状態に晒され、さらにクロスグラビティの効力の前に動きが鈍っていると言ってもその連携はまだ健在。
しかしながら、香里の槍捌きはそれを凌駕する。
二種の布槍が人狼型の首筋と筋肉のじん帯を切り裂く。
正確無比な攻撃に二体が攻撃を躊躇わせた。
そのうち一体へと遠距離からの攻撃が突き刺さった。
ロビンの放った銃撃が人狼型の眼を狙い澄ます。
「肉に隠れているって言っても、眼とかは隠せないよね? じゃあ見えなくしちゃおうか」
冷徹に眼と傷口を狙うロビンの追撃に人狼型がその射線を離れようとする。
次の瞬間、人狼型の視野に映し出されたのはヒヨコの幻影であった。
それを払い落とそうともがく人狼型にスナイパーライフルを構えたラファルの声が響く。
「見えてねぇもんを払おうったって無理な話さ。視覚野を奪い、次いでその太り過ぎて風船みたいになった身体の自由、奪わせてもらうぜ!」
肉の壁を用いる人狼型には狙撃の命中が知覚できない。
だが、直後に身体を襲った朦朧とする感覚に人狼型が膝を折る。
「いつもなら、こんな小賢しいもんは使わないんだがな。今回ばっかりは、ちょっとセコく攻めさせてもらうぜ。近づかれると面倒なんでな!」
「眼も見えない。身体の自由も効かない。どう? これで獲物を食べられるのかな?」
ロビンの声が聞こえていても、その方向を正確に感じ取る能力は既に欠如していた。
人狼型が闇雲の方向へと爪を払う。
その腹腔へと香里の打突が見舞われる。
「払い、打ち破り、その邪悪な身体を清めなさい! ディアボロ!」
そのまま中空へと打ち上げられた人狼型へとロビンとラファルが照準する。
「悪いね。いつもなら斬り合いも楽しむんだが、今回、俺は四肢分離の六体合体もできねぇ、フラストレーションが溜まってんだ。そのストレスのはけ口にでもなってくれ」
「空中に投げられたら逃げられない、よね?」
スナイパーの銃弾と彗星の輝きが相乗し、人狼型を塵芥に還した。
最後の一体がおっとり刀に逃げようとするのを阻んだのは、前衛を務めていた三人である。
「逃げられると――」
「思ってるのか?」
十字架による光の爪が逃げ道を封じる。次いで咲いたのは雫の剣閃であった。
人狼型の目元へと一閃が放たれる。
横合いに眼球を斬りつけられ、人狼型が目を押さえて呻いた。
「人の世の血を啜ってきた魔物の行き着く先ってのはよ。案外、巡り巡って自分のやってきたことの因果応報だったりするんだよな」
玲治が槍を構え、人狼型へと狙いをつける。
人狼型が最後の咆哮を上げて前方へと突っ込んだ。
決死の猪突である。
玲治は、けっと毒づく。
「てめぇだけが死の覚悟に直面したみたいな動きしてんじゃねぇよ。今まで食ってきた分の払い戻しだ! とくと味わえ!」
最初の一撃が足元を払う。
闇の腕が影から生じ、転ぶことも許さなかった。
「足元注意! っても、見えないか」
不格好によろめいた形となった人狼型の顔面へと玲治の靴先が突き刺さった。
蹴り上げた先にいるのは大剣を携えた雫である。
「太り過ぎというのは……個人的に色々と考えさせられますが、そちらの場合、完全に自業自得です。――沈め」
その剣筋が人狼型の背筋を叩きのめした。
幾重にも刻まれた剣の網が簡単な死を与えない。
その身に抱えた業の分だけ、人狼型がもがき苦しむ。
征治が跳躍し、人狼型の脇へと降り立った。その手から伸びているのはしなやかな銀糸である。
「人界に囚われ、その腹に罪を食らった存在よ。せめて、最後には解放されてくれ……なんてのは、僕のわがままだろうか。どちらにせよ、これで」
ピンと銀糸を弾く。表皮に細やかな傷が発生し、全身から血潮を撒き散らした。
「叩き込むのは――」
征治が大きく槍を引く。
真正面から、同様の格好で構えた玲治と合わせ鏡になった。
「てめぇの頭だ!」
同時に放たれた閃光の銀が人狼型の頭部を破砕する。
爆発の如き衝撃波を棚引かせて、人狼型の頭部が完全に叩き潰されていた。
黒煙をなびかせて人狼型が静かに倒れ伏す。
「ディアボロのしつけもろくにできないたぁ、悪魔も飼い主失格だな。情況終了!」
その声に全員がこの闇の終わりを確信した。
「生肉、どうするよ?」
処理に困ったのは罠に使った生肉である。さすがに食べられたものではない。
「まぁ、動物園にでも寄贈すれば」
征治の提案に学園との連絡も取れた様子であった。
「血の洗浄も、学園がやってくれるみたいです」
「終わったんだ? 何てことない敵だったね。おデブさんはやっぱり、鈍いのかな?」
ロビンの声音に雫はぶつくさと呟く。
「他意はありませんが、もう少し肉類は控えるべきなのでしょうか……特に他意はありませんよ」
「重態でもなんとかなるもんだなー。さっ、飯にしようぜ」
ピンとペンギン帽を弾いたラファルは気楽なものである。
香里は人狼型の死骸を見やり、静かに瞑目していた。
「せめて、この邪悪なる闇夜の終わりに、死した魂が安息できるよう……」
その願いは届くのだろうか。
黎明の空を全員が眺め、明日へと身を翻した。