なだらかな田園地帯を抜けていくのは一台のバスであった。
バス停で降り立った法水 写楽(
ja0581)はその静けさに、これがディアボロの仕業か、と周囲を見渡す。
「ディアボロのせいで閑散としているのかねェ」
「いや、そういうわけでもなく。元々寒村のようですよ」
そう付け足したのは柚島栄斗(
jb6565)であった。端末の電波が入るのを見計らって、この村の情報を仕入れている。
「イノシシなんてとんでもねェや。牡丹鍋にもならないんなら、さっさとぶっ倒しちまうのが吉だろうナァ」
「まぁ、興味はありますが、猪突猛進しか能のないイノシシならば、いくらか策はあるってもんです」
栄斗の目線は既に観察のものになっている。狙撃手として最適な場所を探そうとしているのだ。
「分からんねェ。イノシシなんて形を取ったところで、何になるのか」
「ディアボロってのはいつだって分からないものですけれど、今回のイノシシがちょっとばかし脅威なのは攻撃方法が多岐に渡ることくらいでしょうか。でも、基本はイノシシ。結局、前しか見えていない、みたいな情報もありますけれど」
「どれを信じりゃいいのか……。まぁ、もう少し可愛げのある姿形なら、流行のゆるキャラにでもなれたかもしれねェなァ。イノシシのゆるキャラなんて知らねェけれど」
「あるみたいですよ。イノシシのゆるキャラ。あ、あの崖、いい感じですね」
栄斗が指し示したのは小高い丘にある崖であった。基本的になだらかな田園の中で一際目を引く。
「陣取る場所は決まったかい?」
「ええ、あれなら……ちょっとばかし優位に運べるかもしれません」
「俺は、頑張ってお仕事するだけサァ。そのイノシシとやら、どこまでやるのかは渡り合った時に判断するしかねェなァ」
「イノシシってのは兎に角厄介なんだ。田畑は荒らすし、この時期になれば特に……。嫌われ者、って奴かな」
そうぼやいたのはイノシシの被害に遭ったと思しき田園を見やった礼野 智美(
ja3600)である。
「おーっ! 拙者、イノシシと言っても牡丹鍋しか思い浮かばないでござるよ! 本当にいるんでござるなぁ……」
エイネ アクライア(
jb6014)の言葉に智美は目を瞠る。
「見たことないんですか?」
「拙者、地上の物事はあまり知らないのでござるよ……。イノシシなんて動いているところは全く知らないのでござる」
「じゃあ牡丹鍋くらいしか?」
「うむ……、食べることにかけては人一倍知っているのでござるがな。あ! イノシシ鍋は酒がよく合うので大好きでござるよ!」
じゅるり、とよだれを垂らすエイネに智美は微笑みかける。
「でもまぁ、そんなもんか。田舎暮らしじゃない限りは、今の世の中、イノシシなんてお目にかからないよなぁ」
「貴公はイノシシと縁でも?」
「まぁ、縁っていうか、そういう山村で暮らしてきたから、ある意味天敵みたいな部分はあるかな」
「天敵……。なかなかに渋い言葉にござる。拙者もイノシシとライバルの関係になってみたいでござるなぁ。ああ、でもライバルになると食えないのでござるか。うーむ、二律背反にござる!」
「どっちにしろ、今回のは食べられないっぽいけれど。崖があるなぁ」
智美の視界に入ったのはなだらかな山村の中に不意に湧いた崖地帯であった。
「追い込めれば僥倖にござるな。山狩りを続けてみるでござるか?」
ひさしを作って眺めるエイネに智美は首肯する。
「少しでも散策範囲を広げたほうがいいだろうから。昼間に見つかればそれに越したことはないんだろうけれど、習性的に夜だろうと俺は思う」
「夜になると見晴らしの面で不利を強いられるでござるよ。でも、目からビームが出るのでござったか」
「光そのものに攻撃性能はないらしいけれど……」
少なくとも自分のよく知っているイノシシの対処方法で片づけられるかは疑問であった。
狩り、というものはある種の絶対性がある。
狩る者と狩られる者。
一度、術中にはまれば、その盤面を覆すのは相当な実力差が必要となる。
その点で言えば、浪風 威鈴(
ja8371)は狩る者であった。
落とし穴、あるいは樹木による相手への防衛策。それを叩き込まれているのは元 海峰(
ja9628)であった。
「例えば……ボクがこっちから追い込めば、こっちに樹木があるからそれで相手の次の動きが読める。詰め将棋みたいに、相手を誘導できる……かもね」
「なるほど。しかし、詰め将棋と違うのは、相手の反応速度云々ではないのか」
「反応速度……今回の敵はその点において……できていないっていうか、未熟、だっていう情報がある。イノシシっていうのも……それに拍車をかけているし……単純な動きを予想していいと思う」
海峰は落とし穴などの陣地取りを教わりつつ、イノシシの情報を反芻した。
「鋼鉄で、炎が利くという……。こんな……静かな山村で暴れ回ればそれこそ相当な被害になると思うが」
耳朶を打つのは小鳥のさえずりである。
聞いた限りでは平和な田舎の山。だが音の限りだけではないのは、威鈴の声音から伝わってくる。
「でも……ここに来るまで相当な……被害を受けた場所を見た。……多分、単純な破壊力だけなら相当だと……思う。多分……」
海峰が呻っていると、不意に聞こえてきたのは重機のような唸り声であった。
こんな山にショベルカーのような音が響き渡るなど、と海峰は周囲を見渡す。
「威鈴。工事をしている場所はあったか?」
「いや、なかった、と思う……けれど」
「そうか。ならばこれは恐らく奴だ」
そう言いやり、海峰は飛翔した。淡く見える光の中で奇異な音を発生させる奇妙な物体の存在を知覚する。
そこに「居る」のは分かる。だが、海峰には視えない。
しかし「居る」以上、仕掛けるのは定石であった。
「こちら、海峰。全員に達す。山間部に何らかの気配を察知。目測は分からんが、俺の聴覚を震わせる距離から換算して、さほど遠くないと感じる。正確な距離は威鈴に聞いてくれ」
その時、その「存在」が身じろぎし、中空の海峰を見据えたのが分かった。
これは「敵」の感覚だ。
『こちら柚島。なら、これから説明する場所へと誘導してくれ。そこから南方に……』
鋼鉄のイノシシは海峰を見つけるなり、高らかと吼えた。
その遠吠えと共に、イノシシは樹木を薙ぎ倒し、海峰を追い立てる。
中空の海峰が印を結び、手を薙ぎ払った。
「五行の上でも鉄の弱いのは炎のはず。火遁、火蛇!」
直線的に放たれた炎がイノシシの体表を焼くが、その程度ではイノシシは立ち止まらなかった。
飛翔する海峰を見据えて、山間部を降りていく。
粉塵が発生し、海峰はその聴覚に破砕音が混じったのを関知した。
「勢いだけはすごいな……。しかし、宙に浮くものは攻撃できまい。……さて、ここからどう、栄斗の言う地点まで誘導できるか……」
海峰を一心に追いかけ回すイノシシの横っ面に突き刺さったのは弓矢であった。
まるで流星のような輝きを伴って突き刺さった弓矢にイノシシが慌てて制動をかける。
重機を思わせる超重量に山の緑が砕け、砂煙が舞った。
「一方向しか見れないのは……やっぱりデメリット……だね」
弓矢を番え、威鈴が次の攻撃への布石を打とうとする。
イノシシが次の瞬間、威鈴の場所を関知したのか振り返った。
「勘付かれた。でも、それも計算のうち」
発射された弓矢が鋭く空を咲き、イノシシの脇腹に突き刺さる。挑発を受け止めてイノシシが威鈴へと標的を変えた。
移動しつつ威鈴は間断なく攻撃を仕掛ける。
イノシシの速度は思っていたよりも速い。この山間部は既に自分のもの、というわけなのだろう。
「でも、山に長けているのは、何も野性だけじゃない……よ」
イノシシの眼前に立ち現れたのは智美であった。
「誘導、うまくいったようだね。俺の好位置に来てくれた」
刀を身構えた智美の全身にアウルの血脈が至り、真正面から衝突したイノシシを切っ先の打突が止めた。
衝撃波で周囲の緑が捲れ上がり、地形が大幅に変わる。
それほどの威力を減衰し切れたわけではない。智美は僅かに関節が軋むのを感じた。
「……重い。でも、こっちのほうが!」
返した剣筋がイノシシの横っ面を掻っ切る。銀閃が舞い遊び、イノシシの瞼を引き裂いた。
智美が一度後ずさり、姿勢を沈めてイノシシを自らの射線に置く。
息を吐き出し、次の瞬間、それを詰めた。
「飛べぇっ!」
イノシシへと真正面から放たれた剣による一撃がその身体を吹き飛ばした。
イノシシの足が浮き上がり、後退した瞬間――。突き刺さったのは別の位置からの射撃攻撃であった。
その攻撃の先にいたのは飛翔したエイネである。
「おぅっ! 今のは拙者ではござらんが、こっちに来たれい! イノシシよ!」
抜刀した刹那、炎が迸りイノシシの体表を叩いた。
挑発行為に、イノシシは足をその場で擦らせ、次の一撃への布石を打つ。
エイネが移動するのに従い、イノシシも地面を割って飛び出した。
「……どうやら拙者をろっくおん、した様子……。作戦としてはうまくいっておるのだが……如何せん、この気迫は慣れんもの。本当に拙者しか見えておらんようでござるなぁ。ならば、その身に刻み込め! 雷閃・弐式!」
振りかぶった刀の軌跡がそのまま雷撃となった。イノシシは直上からの電流を避け切れず、ブレーキもかけられないまま攻撃を身に受ける。
「やったでござるか……」
その期待は、粉塵を引き裂いたイノシシの威容に飲み下された。イノシシは未だ、健在。
エイネが悲鳴のように通信機に声を吹き込む。
「い、イノシシ、健在にござる!」
『了解した。そのまま、引きつけて』
「す、すごい顔にござるよ! 怒っているに違いないにござる!」
『怒らせておくんだ。そうすれば、見えないだろう』
不意に、イノシシが何もない宙を掻いた。
その足に接するはずの地面が存在しなかった。
崖っぷちで、イノシシが目を見開く。
『――地面がもうないの、なんて』
落下するイノシシへとスナイパーライフルの照準を見定めたのは栄斗であった。
唇を舐めて照準の先にイノシシの身体を見据える。
「崖から低能みてーに飛び込みご苦労様ですー。ついでに弾丸も打ち込まれとけです」
一射された狙撃はイノシシの身体を横っ腹から撃ち抜く。それに留まらず、連続した射撃音がイノシシの駆動する足を重視して狙い澄ました。
「これで、くそめんどくせー感じの足はもう無理でしょ」
イノシシが粉塵の只中、身を起こそうとするが、その身体は崖から飛び降りたせいか、なかなか言うことを聞かないようであった。
「こりゃ、随分とマァ、お膳立ての整ったことじゃねェの」
写楽が崖下に先回りし、イノシシの眼前に佇んでいた。
その手には身の丈を超える大剣がある。
イノシシがようやく、写楽を見据えた時には、その身体が躍り上がっていた。
写楽の剣筋がイノシシの脳天を割ろうと迫る。
イノシシは自ら、頭部を浮き上がらせてその一閃を弾いた。
「うおっ! 割とまだ元気あるじゃねェの」
イノシシの体表が赤らんでいく。今まで蓄積した熱量を放出しようというのだろう。
写楽は咄嗟に回避に転じようとしたが、あまりにも接近し過ぎていた。
間に合わない、と思った瞬間である。
崖っぷちから飛び降りてきたのは智美であった。
イノシシは当然、その存在を関知できない。
切っ先を打ち下ろし、智美が吼えた。
刹那、割れる頭蓋に、飛ぶ血潮。
放熱現象が霧散し、頭蓋骨に陥没した形の剣筋が煌いた。
イノシシの眼から光が消え失せようとする。
勝ったのか、と窺う写楽にイノシシが口腔を開いた。
放出されたのは紫色の毒霧である。
飛来範囲の写楽は避け切れなかった――否、敢えて、「避ける」という選択肢を取らなかった。
写楽は息を詰める。
眼前にあるのは無防備に開かれた敵の口腔部。
剥き出しの柔らかい部分を目にして、恐怖よりも好機、と判じた精神が勝った。
写楽が咆哮する。
イノシシの顎へと叩き込まれたのは銀閃。
そのままイノシシの顎を地面に縫い止める。
毒は放出されたままであるが、これでイノシシは二度と、走れもしないし、口を閉じることもできない。
「やれェッ!」
その言葉に智美が目を見開く。
頭蓋より回り込み、その手が顎を開いたままにさせている剣を掴んだ。
智美の刀が上顎を引き上げ、写楽の剣で下顎を引き裂く。
血飛沫が舞い散り、毒が消え失せた。
イノシシが悶絶し、血を迸らせながら勇猛果敢に最後の突進を決めようと、足を擦る。
飛び退った写楽と智美が呼気を詰めた。
今にも爆発しそうな鼓動。
血を撒き散らす敵を前にしての緊張。
イノシシの荒い呼吸と、二人の呼吸が重なり合い、次の瞬間、突撃と呼気がシンクロした。
イノシシの突進に際し、智美の刀が横薙ぎに剣を払い、イノシシの顎を受け止める。
だらんと垂れ下がった顎から完全に力が失せた直後、写楽が跳躍した。
「悪いが、そのドでかい頭、もらったぜィ!」
先ほど智美がつけていた頭蓋骨の陥没位置に、写楽の大剣が突き刺さる。
横に割られていた顎に対し、写楽の剣が入ったイノシシへと唐竹割りが決まった。
十字に引き裂かれたイノシシから勢いが失せる。
全身から迸っていた突進の気迫がようやく、完全に消失した。
『全員に達す。どうやらもう、撃たなくっていいらしい』
それが戦闘終了の合図だった。
村役場に報告し、一同はイノシシの脅威が去ったことを告げた。
「この時期に、要らない災厄まで背負い込まなくってよかった。ただでさえ、稲刈りで大変な時期だ」
そうこぼす智美は安堵の笑みを浮かべる。
「拙者、あんなキラッキラのイノシシじゃなくって、本物のイノシシ鍋が食べたいにござるよ」
「じゃあ食うか? 腹も減ってるしよォ」
「法水さんの奢りですか?」
「調子いいなァ、おい!」
栄斗の言葉にそう返しつつ、写楽は後頭部を掻いた。
「まぁ、いいぜィ。今日は俺に奢られちまいな!」
全員が勝利を胸に抱き、その声に諸手を挙げた。