「毒の霧って奴か……。ここから見る限りじゃ、一面赤ってわけでもないし、到達範囲は三体纏めて、って感じだな」
双眼鏡を覗いて向坂 玲治(
ja6214)がそうこぼす。三体の霧の射程はその移動距離と相互間を示しており、自壊が拡大すれば広がる恐れはあるものの、今のところ拡張するとは思えない。
むしろ、戦闘時だ、と玲治は身構えていた。
自壊し、血潮が迸ればその分、霧の範囲も広がる可能性がある。
それも視野に入れて今回、事に望まなければならないのだが――。
「あいつね! あのもうボロボロな奴ら! でも、あたいがもっとボロボロにしてやるわ!」
元気いっぱいに声を発したのは雪室 チルル(
ja0220)であった。玲治はこほんと咳払いする。
「事前情報通り、あれは自壊しながら進んでいる。つまり、壊すなら一瞬でやらないとやばいかもしれないってことだ」
「あたいに限って、斬り損ねることはないもの!」
自信満々なのはいいことだが、玲治の懸念は別のところにある。
市街地に入るまでのカウントダウン。
迅速な行動が求められるが、相手は三体。連携を密にしていると仮定すれば、霧の中を進む心積もりでいなければならない。
つまり、肉を切らせて骨を絶つ。
相手の領域に入り込むことは戦法では下策。
だが恐れている場合ではない。自分たちは撃退士。戦い、その先に勝利を掴むことこそが本懐である。
「俺は、まぁいいとして、問題なのはそうじゃないメンバーもいるかもしれないってことだな。その場合、サポートに回ってもらう必要があるわけだ。足止め役と、分散した相手を屠る役目。俺はもっぱら、孤立した奴から狩っていくつもりだけれど、雪室さんは……」
「一匹になった奴をぶちのめすわ! 当たり前じゃない!」
「だよなぁ……」
後頭部を掻きつつ、玲治は今回の標的が目指す方向を指で示した。
「俺たちは、絶対に市街地までの侵入を防がなければならない。まぁ、恐れ知らずくらいのほうが、今回は合っているか」
恐れ知らずだね、と狩野峰雪(
ja0345)は評していた。
葛城 巴(
jc1251)は何が、と揺れるバスの車内で聞き返す。
「いや、今回のディアボロ、自壊しながら進んでいるというじゃないか。自らの命に関して、の話だよ。自分が死に行く、と分かっていても、それでも破壊を続けざるを得ないのは、ある意味では皮肉だな、と」
ディアボロの宿命から逃れられない、ということを端的に示している。
巴は少しばかり、今回の敵がどう動くのか興味はあった。
「自壊、ということは命を削りつつ戦うということですよね。そりゃ、生物何もかもが、広義では自壊しつつ生きているのかもしれませんが、他の生命体に被害を及ぼしつつ、自らの生命を縮めている存在を、私は二種類しか知りません」
「一種類は今回みたいなのだとして、もう一種類は何だい?」
巴はため息と共に吐き出す。
「人間、ですかね」
その言葉に狩野はなるほど、と手を打った。
「久しぶりに納得いく答えだ」
「哲学みたいなものだと思っているんです。自壊する、というのは結局、命ある生物の行き着く先なんじゃないかと」
「哲学するのは僕も好きだよ。ただ、市街地への被害が出るまで哲学するわけにはいかないね」
巴も同意見であった。哲学は机の上でもできるが、今回のような敵を倒すのは机の上のペンでは決してできない。
ある意味では今回、ペンは剣より強しの真逆である。
剣でしか、この哲学の盤面を進めることはできない。
「放置して、自壊の結果を見るのもある種ではありますが、市街地を巻き込めません。情報にあった通り、回復での霧封じを試させてもらいます」
「僕もあまり毒ってのは苦手でね。遠距離攻撃になるけれど、構わないかな?」
「毒が得意な人なんていませんよ。蛇だって、己の毒で死んじゃうんですから」
「毒を撒いてそれで生きているほうがおかしい、か。それこそ、毒を撒いてそれでもしぶとく生き残るのは、人間くらいなものだろうね」
「僕はさぁ、今回の霧みたいなので刀が錆びないかが一番心配」
そうこぼしたのは鬼塚 刀夜(
jc2355)である。念のためにマスクをつけているも、恐らく無駄であろうと当たりをつけていた。
「抵抗力は高いほうだから、俺はできるだけ廃車で壁が作れないか試してみよう」
龍崎海(
ja0565)はそう返し、霧によって生じた戦闘地帯を眺める。高速道路に不意に湧いた赤銅の空間。
その中で戦うのが自分たちの仕事である。
「血なんだよねぇ。面白い敵が多くって興味深いよ、天魔って」
「天魔なんて、気紛れと薄気味悪さがいつだって同居する存在だ。俺はいくつも見てきたけれど、風変わりには違いない。自分から壊れているのを分かっていて、戦い続ける獣なんて」
「僕は嫌いじゃないけれど、どうかなぁ……。刀が刃毀れしないかどうかが不安だね」
そう言いやりつつ提げた刀に手を沿わす。
――銘刀、鬼羅。その存在感は刀剣にはあまり造詣の深くない海でも唾を飲み下したほどだ。
それを伴い戦うというこの少女に手だれの予感をひしひしと感じ取る。
「突破口を開き、俺が足止め係に入る。その間に、攻撃班は各個撃破。成されればさほどの脅威ではないだろう」
「でも今は、そんなことは重要なことじゃない。問題なのは、敵にこの刃を届かせられるかどうか」
刀夜が鞘に包まれた刀を肩に担ぐ。
――恐らく、今回の作戦において相手取れるかどうかを純粋に考えているのか、彼女くらいだな。
そう海は判じつつ、敵の足踏みを見やった。
「行こう」
自壊する獣たちがその視界に留めたのは、車両の向こう側に佇む玲治であった。
「そんじゃま、空気清浄機の代わりに頑張るとしますかね」
コキリ、と首を鳴らした玲治が槍の穂を突き出す。
三体の獣は敵性存在であると認識する前に、関知領域の外から飛んでくる矢に一体が大きく弾かれる形となった。
連携陣を崩したのは狩野の矢である。
今も射程外から相手を狙い澄ましていた。
『向坂君。ラベルをつけておいた。こいつをまず、霧の外に出す』
狩野からの通信に玲治が耳を指差して笑みを浮かべた。
「こっちにゃ、その霧を破る手だれがいるんでね」
濃い霧の中を駆け進むのは海であった。縦貫道に踊り上がり、鎖を一射する。
初撃は錆び付いた車両を壁につけるためのもの。積み上げた車両でまず、獣の視野を潰した。
「そして今度は、こっちだ」
弾き出された二つ目の鎖は一体の獣を絡め取った。自壊する獣が血潮を撒いて吼える。
「まだ活きがいいじゃないか。でも、三体の連携は面倒なので、ねっ!」
勢いをつけて二体から引き剥がす。
そのうち一体の射線へと潜り込んだのは玲治だ。
「ちょっとツラ借りるぜ。拒否権はなしだ」
振るわれた白銀の一撃が濃霧を突き破った。
二体の獣が両脇に剥がされ、狩野によってマーキングされた一体のみが居残る形になった。
「あたいが、突破する時ね!」
薄らいだ血潮の霧を破ったのは剣閃。陽光を受けて煌く大剣を突き出したチルルが残った一体へと特攻を仕掛ける。
後部に残る錆びた車両ごと、チルルの膂力が弾き飛ばしていく。
獣が激痛に悶絶し、爪を振るおうとした。
その爪へと正確無比な弓矢が突き刺さる。
爪が剥がれ、攻撃は空を切った。
『爪を剥がす程度じゃ、血は出ないだろう? それに、意外と地味に痛いんだ。爪をやるのはね』
狩野の通信領域に応じて攻撃の種類を変えていく。チルルが袈裟切り、突き上げと獣の急所を的確に狙い、なおかつ霧を物ともしないアタッカーとなって渾然一体と攻め行く。
「雪室さんには俺が既に布石を打っておいた。半端な霧は通用しない」
海の声音は引き剥がした獣への応戦に対する余裕にあった。玲治との連携で一体は確実に距離を稼げている。
もう一体が応援に向かおうとするのを阻んだのは巴であった。
「自壊する……、死に行くとは即ち学ぶ事とは聞いたことがあるけれど、今回ばかりは、悠々と哲学させてはくれなさそうね。さて、天使の血、味わってみない?」
巨大なハサミを首筋にちらつかせる。獣が起き上がろうとした瞬間、風圧が血飛沫を嬲った。
「一応の備え。扇風機、ってのは古典的だったかもしれないけれど、玲治さんたちがうまくやってくれるのは分かっていたから。さぁ、ディアボロさん。死に行くことで戦うあなたは、回復すればどうなるのかしら」
アウルの光がオーロラのように送り込まれ、獣につけられた無数の傷が修復していく。それにしたがって、霧の濃度が薄らいだ。
獣は如何にしてでも同種の討伐を抑えたいはずだ。進もうとするその足をハサミの柄で払う。
「駄目よ。私だけを見て。ね?」
回復は獣からしてみれば無間地獄かもしれない。なにせ、回復したとは言っても、その向かう先は討伐なのだから。
「これでっ! 吹き飛ばすわ!」
突き上げた一体目が中空に舞い上がり、チルルが刀剣を大きく引いて真っ二つに両断した。
瞬間、巻き起こったのは血潮のベールだ。
玲治は最悪の想定がこの獣の討伐の先にあることを予感した。
「倒しても、血潮の霧によるフィールドが広がるって寸法か……!」
倒すのならばそれこそ圧倒的な一撃で、なおかつ一刀の下に葬らなければならない。
玲治は視線の先にいる獣を睨み据え、槍を構え直す。
「悪いが、あまり時間をかけるってタイプじゃないらしい。行くぜ」
「でき得る限り、引き剥がしを継続する」
海が言葉尻を引き継ぎ、獣へと鎖を撃ち放つ。束縛された獣の首裏に玲治が回った。
その時、背部の筋肉が増長し、一挙に弾け飛ぶ。
肉ごと引き裂いた捨て身により、霧の範囲が拡張した。
玲治はまともにその毒霧を浴びたことになったが――。
「悪いな。俺は生半可な毒の霧程度じゃ沈まねぇからよ」
弾けた肉腫へと玲治が鋭い一撃を突き刺す。呻いた獣を内奥から発するアウルに任せ、玲治は引き上げた。
瞬間、獣の急所へと突き刺さったのは狩野の弓矢である。
的確に心臓を狙い澄ましており、通信先で狩野が指を弾いたのが聞こえた。
『バン、だ』
その一声と共に獣の傷口が広がり、心臓が抉り出された。海の槍による一撃が狩野の矢が貫いた箇所を射抜いたのである。
「心臓を潰せば!」
「血は出ねぇ!」
二つの白銀の槍が交差し、心臓を完全にこの世から消滅させた。
残る一体は巴が相手取っていた。狩野の広域通信が入る。
『残り一体』
「あなただけみたいね。自壊する獣さん。もう霧は出せないの?」
完全に回復を果たした獣からは最早濃霧は生じなかった。
仕留める、と巴がハサミを担いだ瞬間、今までにない速度で獣が肉迫する。
ハッとしたその時にはハサミで攻撃を受け止めていた。
そのパワーが先ほどまで相手取っていた時とは違う。
「一人になって本気を出した……? それとも、回復したってことはこういうことなのかしらね……」
獣が腕の筋肉を二倍以上に膨れ上がらせ、巴へと攻撃を見舞おうとした。
その瞬間、銀色の閃光が舞い遊ぶ。
「もう霧が出ないって言うのなら、僕でも射程に入れる」
刀夜が刀を翳し、獣の直上を取っていた。
空間に残った銀色の残滓が、銘刀、鬼羅の軌道を僅かに物語る。
斬られたことすら気づかないほどの切れ味。
全ての事象が遅れを取ったかのように時間差で発生する。
巴へと殴りかかろうとしていたその腕が瞬時に細切れと化した。
血潮が舞い散り、再び濃霧のフィールドが発生したのを見て、刀夜は額に手をやっていた。
「あっちゃー、しまった。斬ったら同じか」
「気をつけて! 回復し切った獣は、情報以上の――」
情報以上の機動速度だ。そう言い切る前に獣は跳躍する。もう一方の腕による薙ぎ払い攻撃を刀夜は翳しただけの刀で受け止めた。
直後、粉塵が発生し暫時、何もかもが赤銅の彼方へと追いやられる。
唸りを上げた獣が棚引く煙へと爪による一閃を放った。
切り裂かれた空間には果たして、刀夜の姿はなかった。
どこへ、と首を巡らせようとした獣の首筋に、すぅっと刀身が添えられる。
「これで一死、だ」
反応した獣が背後を切り払った。破壊の爪先に刀夜が静かに降り立つ。
「悪いけれど、時間はかけられないみたいなんだ。刀が錆びたら困るし、終わらせるよ」
獣が片腕の断面を突き出し、放射した。
毒霧を一射したことで瞬間的に射程範囲を広めたのだ。
「それって血管に負荷かからない? まぁ、僕の気にするところじゃない、か」
踊るように刀夜が獣の横腹へと肉迫する。刀を担ぎ上げ、勢いをそのままに残ったほうの腕を肩口から切り裂いた。
刀についた血を払い、刀夜がその切っ先を獣に据えようとする。
獣は瞬間的に、独楽のように回転した。濃霧の範囲を少しでも拡張し、刀夜を引き剥がす寸法である。
それを阻んだのは巴であった。湧き起こったアウルの光が、瞬時に獣の傷口を閉ざしていく。
「修復には自信がある……! 今のうちに」
「僕がとどめを差す」
刀を担ぎ上げ、刀夜がその柄頭へと指を添えた。
すぅっと瞑目し、一撃への集中力を高める。
見開いた瞬間、アウルの輝きが刀夜の額から鬼の角となって顕現した。
獣が吼えて特攻するのと、刀夜が駆け抜けたのは同時であった。
一閃、二の太刀、三つ巴の剣筋――。
ありとあらゆる方向から獣を縫い止めるのは四方八方の剣の網。
獣が中空に固定されたように攻撃網の虜となった。
舞い上がった刀夜がその網をガラス細工のように砕き、獣の視野へと真っ逆さまに両断の太刀を見舞う。
立ち昇った血潮の煙が獣の断末魔と相乗し、この戦闘の終わりを告げた。
「随分とでかい発破を上げたな……。ともあれ、情況終了!」
「自壊するってのは結局、死に向かうってことだろ。それって何も、珍しい話じゃないんだよな」
学園に後処理を任せた玲治がそう呟くと狩野は顎に手を添える。
「そうだねぇ。でもさ、獣にできなくて人間にはできることがある。それは、死を哲学にすることだ。死の悲鳴を撒き散らすのは能のない獣にもできるけれど、死について考えるのは――」
「人間にしか、できませんからね」
巴が言葉尻を引き継ぎ、撃退士は散り散りに去った。
少なくとも、壊れることに酔うのだけでは、それは獣の所業である。
「自壊する上で、なおかつ死と戦えるのは、人間だけの特権か」
死に取り込まれずに、立ち向かえるのは、人間だけだ。
二律背反の皮肉に微笑むのを他所に人々の営みは戻りつつあった。