浜辺には予想以上に人がいない。
思っていたよりも事態は深刻なようだ、と黒井 明斗(
jb0525)は感じ取る。
「ここまでだとは、思いませんでしたね……」
海の家は閑散としており、店員すら見かけない。陽射しとしてはちょうどいい夏日。
こんな日に誰もいない浜辺を目にしていると切なさすらこみ上げてくる。
「誰もいないってのは好都合なんじゃないのか? 私はそっちのほうがいいと思うけれど」
応じた鴉乃宮 歌音(
ja0427)の声音には冷たさすら宿っている。明斗は顎に手を添えて考え込んだ。
「海開きシーズンに現れたとんでもない敵、とでも評するべきでしょうか」
「魚は魚でも、雑魚だろう。いい感じの狙撃ポイントを探す。私の援護はあくまで最短距離の迎撃方法だ。敵の引きつけは、明斗に任せる」
「いいですけれど……今回の敵、半魚人、と聞きました」
「生足魅惑の……ってありゃマーメイドか。こっちはマーマン? オスかメスかも分からないけれど魚って途中で性別変わるのもいるらしいし、どっちだっていいか」
明斗は波打ち際を睨みつけて声にする。
「絶対に、人々の営みは奪わせない」
「掃除も行き届いているし、海岸線もどこまでも青く、とてもいい天気! ……でも、人はいないのね」
テトラポッドの付近を歩いていた六道 鈴音(
ja4192)はそうこぼした。
この季節の海に人がいないのは哀愁を通り越して最早、異常だ。
「盛り上がりそうな季節なのに、もったいないですね」
雫(
ja1894)は双眼鏡で波打ち際にたむろする半魚人を観察していた。
陸が得意ではないが、陸に上がってくるとの報告に嫌悪感を催す。
「控えめに言っても、気色悪いですね。とっとと退治してしまいましょう」
「私さぁ……こういう風に、海岸線を歩くのは好きだけれど、この後に待ち受けるであろう半魚人との戦いの前の静けさだと思うといただけない感じ」
夏日に湧いた不自然なほどの静寂。
波打つ海岸線。
人っ子一人いない異様な光景。
この季節に静寂を作ってはいけないのだ、と雫は感じ取る。
「半魚人という奴を倒して、すぐにでも海開き可能にしましょう」
「私も、あの半魚人? っていうの、消し炭にしてやるわ」
拳をぎゅっと握り締めた鈴音が海岸線のブロックの上でよろける。
ともあれ、気持ちは同じであるのを確認できた。
「魚を食べるとさ、馬鹿じゃなくなるんだって」
そう口にしたのは海岸の前にあるバス停で座り込んでいる咲・ギネヴィア・マックスウェル(
jb2817)であった。
隣に佇むのは神無月茜(
jc2230)である。
「それって大分昔の流行歌じゃね?」
「いや、今回の敵さ、半分魚、半分人間みたいらしいじゃん。首から下は人間っていうの。泳げるのかなぁ。魚にカテゴリーされるのかなぁ」
「そんなこと気にするのかよ。つーか。あれがかの深きものって奴かいな。どうするつもりだ?」
「そりゃあモチロン、隙あらば食うつもりだよ!」
咲の言葉に茜は呆気に取られる。
「食べられるのかよ」
咲はぐっと親指を立てて、モチのロンと応じる。
「ゲテモノほど美味いって言うしね! 今回の奴は随分とゲテモノだ。だったら、美味しいに決まってる!」
茜はあまり乗り気ではないのか、その提案には呻るばかりであった。
「前向き、って言えばいいのか? っていうか、食べる目的でディアボロ討伐に向かうなんてなかなかに豪気な……」
「魚を食べると馬鹿じゃなくなるんでしょ! だったら、食えるものは食う! それが流儀!」
「魚と言っていいものなのか……」
「もし美味しくなくっても食う! 食えば分かるさ! それに、食べるって言うのはね、なんていうのかこう、自由で救われてなきゃ駄目なんだよ」
「自由の範疇超えてねぇか?」
「食べるのは自由! 倒すのも自由! あたしは開拓する!」
茜は頬を掻いて咲の心意気を称える。
「……まぁ、一面で言えば立派っちゃ立派だよな」
「さぁ、どいつから来る?」
明斗が波打ち際で佇み、三体の半魚人型を睨みつける。半魚人型の銛を持ったタイプがまず、二体を前に出させた。
やはり奥の一体がリーダー格。それを確認した明斗が槍を突き出して前の二体と打ち合った。
一体の爪を弾き、もう一体を蹴り上げる。
しかし、あまり効いていない様子である。
半魚人型が攻め立てるようにこちらへと誘導されていく。
じりじりと後ずさりながら、明斗はその時を待った。
槍で爪を弾き返し、できるだけ「苦戦」を演出する。
半魚人型二体が波打ち際から一定離れた瞬間である。回転させて弾き上げ、その槍の穂を高く掲げた。
それを嚆矢として海の家から飛び出したのは雫と鈴音、それに咲と茜である。
「最初から、お前らをある程度海から離すための、僕なりの疑似餌だ」
悟って海に戻ろうとする半魚人型の進路を阻んだのは正確無比な狙撃であった。
弓矢が雨のように降り注ぎ、半魚人型をリーダー格と手下で分断する。
「手際がいいですね、さすが」
狙撃ポイントでその成果を目にしていた歌音は、ふむ、と納得していた。
「これで、敵を二つに分断できた。ヘッドショットを狙うのも可だが、まずは前衛の攻撃を食らい知るといい」
分断された合間へと縫うように入ったのは雫である。
うろたえた半魚人型の一体へと剣閃が見舞われた。
しかし、その一撃は表層のぬめりで回避されてしまう。
「これが、例のぬめりですか。でもこれならっ!」
蹴り上げたのは砂浜の砂粒。細やかな粉塵が半魚人型のぬめりを軽減させた。
「剣の刃が滑るのは困りますからね。先手を打たせてもらいました」
退路を塞いだのは鈴音であった。
「パワーはあるらしいからまともには攻撃を食らうつもりはないわよ。さて、ここでこんがり焼き魚にしてやるわ! 食らえ、六道赤龍覇!」
点火した炎が龍の威容を伴い、二体の半魚人型を焼き尽くさんとする。発生した炎熱に半魚人型の体表が焦げ上がっていく。
それを目にした咲が飛び込んだ。胸元から自身の背丈よりも長い巨大な槌を取り出す。
「どこから取り出してるんだ……」
呆然とする明斗に咲は口笛を鳴らした。
「おっ、焼き魚か。ポピュラーだけれど、いいね!」
なんと鈴音の範囲攻撃の最中に入ってきたのである。
その行動にはさしもの鈴音も瞠目した。
「何やってるの! 焼かれるわよ!」
「どひゃーっ、とっとと。心配、ナッシング」
次の瞬間には咲の姿が射程から消え失せていた。
一体どこに行ったのか。思わず鈴音は探し回ってしまう。
「今は、あいつのことより自分にかまけたほうがいいんじゃね?」
茜のフォローで鈴音は目的を思い返した。
二体の半魚人型はダメージを受けたとは言え、健在である。
「銛を持った個体が偉いのかな? だったら! 道さえ開けてもらえれば」
「その役目はあたいが負うよ」
茜が片手に装備した鉤爪で半魚人型のうなじへと突き刺す。
そのまま跳ね上がったかと思うと、半魚人型の表皮が引き裂かれていた。鉤爪には引き裂いた鱗が綺麗についている。
「剥ぎ取り、って奴だ。魚をさばくのなら必要だろ?」
唖然とする鈴音に半魚人型を狙った矢が突き刺さった。頭部を狙い澄ました一撃は歌音のものだ。
「ほれ、文字通り矢の催促って奴じゃん。立ち竦んでいる場合じゃないし」
「分かってるわよ!」
再び戦闘意欲に点火した鈴音が攻撃を見舞おうとする。頭部を射られた半魚人型へと明斗も射程に加える。
「ありったけだ。コメット!」
「六道赤龍覇!」
「私も。大漁、って奴ですね」
印を結んだ雫と鈴音、二つの炎と彗星の連撃。
相乗した魔術攻撃が一体の半魚人型を塵芥に帰す。
もう一体と打ち合うのは茜であった。
激しく攻撃を見舞い、相手に反撃の隙を与えない。
「あたいのありったけの攻撃、耐える前にぶっ潰す!」
鉤爪が空間を奔り、半魚人型の頭部を引っ掴む。そのまま膂力に任せて押し上げて、陸側へと投げ飛ばした。
「引き離し完了!」
「リーダー個体……!」
雫が片手を払い、逆十字架の重力を浴びせかける。
銛を持ったリーダー格が波打ち際から上がり、雫へと切っ先を突き出した。
剣で弾き返し、雫は応戦の剣戟を放った。
後ずさったリーダー格が海に取って返そうと、じりじりと後ずさった。
反対側に回り込んで相手の視界を雫は制そうとする。
「魚の顔面、ある種、その視界は割れている」
リーダー格が攻撃に転じようと構えた。
その足を取ったのはなんと鼻から上だけを出している咲であった。
ひょい、と手で軽く引っ張り、リーダー格を転ばせる。
「いつの間に……」
「これでも隠れてるつもりだし。見つからなかったっしょ?」
呆然とする雫に咲がちょいちょいと指差す。
「まだやれていないよ」
その声で我に帰り、雫は剣を下段から振り払った。
銛が弾き飛ばされ、砂浜に突き刺さる。
「武器は潰した! これで、落ちろ!」
片側からの薙ぎ払った剣の一閃。
ちょうど首から上の魚の顔面を切り落とし刎ねた形となった。
びちびちと砂浜に打ち上がった半魚人の頭部を、咲が手に取ってコンビニ袋に入れる。
「ぐふふ、おさかな。なかなか食べごたえありそうなおかしらね。これ食用ねー」
その様子を雫は信じられないものを見る目で眺めていた。
「よくもまぁ、今まで戦っていた相手を……」
だが、まだ戦闘は終わっていない。
陸側に投げ飛ばされた形の半魚人型へと、最後の攻撃が放たれる。
水を求めて手を伸ばしたその頭部へと、歌音の無慈悲な矢が突き刺さった。
貫通したそれだけでも即死と思われたが、ダメ押しの攻撃が咲く。
「さぁ、私のアウルで痺れさせてあげるわ! 六道鬼雷撃!」
全身を痙攣させた半魚人型へと明斗が槍の一撃を見舞う。
腹腔を破った一撃にとどめの感触を感じ取った。
「これで……」
終わった、と言う前に通りかかった咲が掌底を横合いから放つ。
暴風のような一撃に半魚人型が吹き飛んだ。
突き刺していた明斗は呆然とする。
「それも供養でもらうから」
半魚人型の死骸を咲は涼しげな様子で回収する。
明斗はしばらく状態を把握できなかったが、雫の一声で我に帰った。
「情況終了、です!」
「……なんて人だ」
ぼやく明斗に茜が鉤爪に巻きついた鱗を指差す。
「これ食えんのか?」
「し、知らないわよ! 少なくともあの人は、食べそうだけれど……」
鈴音が遠巻きに咲を眺める。
狙撃位置から駆け込んできた歌音が叩き割られた半魚人型の焼却を提案した。
「こういうのは焼いてきっちり処分しないと、あとで怖いからな」
「その点、大丈夫じゃないですか? だって今回、処理係がいますし……」
雫が挙手して言いやると、歌音は咲を一瞥する。
「……まぁどちらにせよ、浜辺の清掃くらいはしようじゃないか」
清掃を終えた明斗が海の家の主に依頼遂行を報告した。
「海開き、大丈夫です。完全に駆逐しました」
咲はディアボロを叩いてその素材を確かめた後、うーんと呻る。
「やっぱり食べれたもんじゃない感じかぁ……。ディアボロって魂抜けてるから素材としては二の次な感じだよね……ってわけで、お残しごめんなさい。戦いだけでごちそうさまでした。なんまいだ。ちーん」
「結局、食えないんですか!」
明斗のツッコミに咲は、いやいやと首を振る。
「だって普通に食えないっしょ。見た目魚でもねぇ、ほら、一線ってあるし」
「ディアボロの死体を回収していた人の言うことじゃないでしょう……」
「久遠ヶ原は正義の組織だからねぇ。素材を見ただけで美食家には分かるんだよ。うまいかうまくないかってのは。で、これはもう学園に任せた」
完全に投げた形のサキに呆れ返りながら、明斗は茜と顔を見合わせた。
「焼却……」
「処分だろうな」
結局、半魚人は焼却処分と相成った。