「進化だって? 馬鹿な」
そう嘆かわしく口にしたのはドーベルマン(
jc0047)であった。
厳しいその眉根がより深く嫌悪の情に歪んでいる。その言葉を聞き届けたのは、山村に向かうバスに揺られる白蛇(
jb0889)であった。
「どうにも納得いかなそうじゃな」
「納得いくも何も。進化ってのは、ただ単に悪食を繰り返すことじゃない。正しきを見極め、しっかりと堪能することだ。それを知らないのなら、ただの野生動物と大差ない」
「わしも、そう思うのう。進化するでぃあぼろというのは興味深いが、野山を散策し、ただ無秩序に物を食らうのでは、それは進化とは言わん」
「おう、おたく、分かっているじゃないか」
「伊達に長くは生きとらんわ。おぬしこそ、進化の何たるかを語れる辺り、分かっておる」
バスの中で、ドーベルマンと白蛇が拳をこつんと合わせる。それに同調してバスの後部座席に乗っていた雪室 チルル(
ja0220)が跳ねた。
「進化するって楽しみね! でもその前にあたい、やっつけちゃうよ!」
「おー、その意気だ。元気なほうがいい」
「あたいにかかったら、爬虫類なんて一網打尽よ!」
シュッシュッと拳を振るうチルルに白蛇は頬杖をつく。
「しかし、進化するとは言っても、どこまで成長する見通しなのか、それも多少は気になるの」
「人間レベルになるって? それこそないだろうに」
「しかし放逐しておけば無限に知恵を得る可能性もある。此度の殲滅、妥当と言えば妥当じゃとて」
「無限の知恵、ねぇ。でもよ、人間界の神話にこうある。知恵の木の実を食べるか、生命の木の実を食べるか人間は選べたのに、蛇にそそのかされて知恵を取ったって。死ぬ身体になった代わりに、知恵を得た。それはつまり、人間の特権だろう? 知恵を、それこそ爬虫類も得られたとなれば、それこそ今まで積み上げてきたものが覆る」
「人間至上主義の壊滅、か。昔の……人間の文化のあにめ、という奴にあったな。人類に牙を剥く爬虫類の天敵というのが」
「あたいの前に出れば、そんなのこうしてやるんだから!」
拳を振るうチルルの快活さに救われつつも、白蛇は考えを巡らせていた。
今回の原人、どこか嫌な予感がする、と。
「野山は平穏極まりない。だが、この山村に確かに潜んでいる。悪の芽が」
呟いた彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)は後続する華桜りりか(
jb6883)に声を投げた。
「ぼやぼややっていると、倒せるものも倒せない」
「その、歩きにくくって……」
「山に出るといったのだから歩きやすい格好で来るのが定石でしょう。カオウ、でしたか」
名前を呼ばれてりりかはうろたえる。
「あの……その……」
「言いたいことがあるのならハッキリ言いなさい。一秒も惜しい」
てきぱきした彩の言い草にりりかは萎縮してしまう。
「うう……ごめんなさい……」
「謝られたって。今は少しでも戦闘に向けて神経を研ぎ澄ます。そうでしょう?」
りりかは言いたいことがあったが、どうしても彩の威容に呑み込んでしまう。
それを制するように、周囲を見渡しながら近づいてきたのはゼロ=シュバイツァー(
jb7501)だ。りりかの頭を撫でて緊張を解してやる。
「そう言わんでやってくれ。りんりんはこういう性格やねんから」
「りんりん……? 納得いきません」
ぷいと顔を背けてしまった彩にりりかは言葉を投げようとするが、うまく纏らなかった。
「と、とにかく、やじゅうでも、その……なんの考えもなくころしちゃうディアボロはよくないです。とめないと」
「せやな。俺もそこいら見渡してきたがこんな山深くなのに小鳥の一匹だっておらん。相当リザードマン型が幅利かしとるってことやろ」
「鳥獣を駆逐する悪魔のしもべか。滅ぼすべき、ですね」
厳しい彩の口調にゼロはおいおい、といさめた。
「怖いんやって、そういうの。りんりんが怯えとるやん」
「しかし、我々のやることに変わりはありません。ゼロ、正確な援護を期待しています」
「そりゃ、やるからにゃ、徹底的にやらせてもらうが……。もうちょいソフトにできんか? ほら、せっかくやし」
「できかねます。私はこういう喋り方だし、戦闘前です。精神は研ぎ澄ましておくべきでしょう」
「そりゃそうかもしれんけれど……。りんりん、お前の作戦も充分に効果的やと思う。自信持ったりぃや」
「でも……うまくいくのかな……」
「原人、言うても進化する前に仕留めりゃいい話やろ? さほど難しくはない。事前に分けておいた通りで問題ないと思う」
「時間は貴重です。行きましょう」
背筋を伸ばして歩み出す彩に、ゼロは後頭部を掻いた。
「こりゃ、ちょっと堅物かな……」
リザードマン型は着実に知恵をつけていた。
獲物を一つ殺すたび、鋭敏化されていく知覚。二体の手下にくれてやった鮮血の獲物は、その生存本能を呼び起こしてやるのに必要だったが、自分ほど鮮烈な感覚はないようであった。
生と死の瀬戸際、命のやり取りにこそ、進化の可能性がある。
まだ餌をくれてやっている仲間二体には分からないのだ。
リザードマン型は進軍しようとして、不意に発せられた音声に足を止めた。
「ど、どうするのかな……これでいいのかな?」
声。それも人間の、どこかたどたどしい声音である。
獲物だ、とリザードマン型は愉悦に口角を吊り上げた。
石槍を掲げて他の二体を刺激してやり、その方向に向けてリザードマン型は跳躍した。
一撃で獲物を屠る――はずであった。
だが、獲物がいるであろう場所には小さな機械があるだけだ。
石槍が貫いたのは血の滴る生身ではなく、ノイズを発生させた機械であった。
「かかりおったな」
その声が差し込まれた瞬間、召喚されたヒリュウの爪がリザードマンの堅牢な表皮を引っ掻いた。
後ずさったリザードマンの背筋には痛々しい赤い切れ筋が入っている。
完全に虚を突いた攻撃のつもりであったが、それでも倒し切れないか、と白蛇は感じた。
「やはり進化、狩猟本能、馬鹿にはできんの。ここで潰させてもらうのはしかし、帰結する事柄じゃがな」
リザードマンが白蛇を睨みつけ、狩猟対象を変えようと鳴きかけて、他の二体が一人の標的に向けて駆け抜けているのが視界に入った。
「参ったな。二体が一斉に来る」
ドーベルマンはしかし、姿勢を沈め、戦闘へと神経を研ぎ澄ませた。
極度の集中力が二体の手下の隙を見出す。
「右の奴が僅かに遅い。そっちから頼む」
草木を掻き分けて現れたのは彩であった。
降り立つと同時に一方の手下の側面を取る。
「トカゲは横歩きできないでしょう? こっちが見えましたか? 見えた時が――お前の最後でもある」
手下が身体を動かそうとした瞬間、彩と手下のトカゲの間に割って入ったのは緑色のアウルの繊維が編み出した虚像であった。
トカゲと全く同じ形状をしたそれが猪突し、尻尾の一撃を相殺させる。
一瞬だけ、その視界が遮られた。だが彩からしてみればその瞬間だけでも僥倖。
無音の歩法が生み出すのは、トリックのような複雑な動きである。
次の瞬間には反対側の側面に回っており、その拳の先から編み出された緑色の繊維が手下トカゲの後頭部に潜り込んだ。
知覚を弄られたトカゲがよろめいた直後、その腹腔に叩き込まれるのは近接の剣閃。
風切り音を口で発し、確実にトカゲを仕留めにかかった一撃である。
しかしトカゲはその攻撃を受けて仰向けになった際、二脚を手に入れた。
「二足歩行形態……」
剣を構えて姿勢を沈めた彩は対峙する。
それと時を同じくして、もう一方のトカゲを封じるべく動いたのはゼロとチルルであった。
降り立つなり、チルルは面を上げてトカゲを見据える。
「あれが、進化する奴なのね! でも、あたいの敵じゃないわ!」
「りんりんの作戦、うまくいったみたいやないの。敵の分断には成功やな」
中空からゼロは暴風を生じさせ、トカゲを宙に舞い上がらせようとした。結んだ印と口上が森林に響き渡る。
「滅ビノ風ヨ、全テヲ、朽チ、果テサセヨ。これで地面に足はつかせへんで!」
狂風に煽られ、トカゲがその姿勢を崩した瞬間、チルルが大剣を突き上げようとする。
「お腹、もらったよ!」
横腹は薄いはず。そう確信しての攻撃であったが、トカゲは温度認識が無茶苦茶な状態の中で、前足を振るい上げて防御した。
だが、チルルの大剣はその程度で防げるほどやわいものではない。当然のことながら、その前足は両断されるも、たたらを踏んだトカゲのその姿はまるで相撲取りのように威風堂々としたものであった。
「進化しよったんか……」
絶句するゼロに比してチルルはやる気を俄然燃やす。
「だったら、あたいたちも進化よ! 使ったことないけれど、これ使ってあげる!」
ゼロの脳裏に叩き込まれたのは瞬時の戦闘術であった。膨大な経験の塊にゼロでさえも少し眩暈を覚える。
「これ、絆、か? それにしては情報量、凄すぎやで……」
「今ので分かったでしょ?」
「……ああ。こいつをぶっ飛ばす最短手段がな。行くで!」
飛翔したゼロが大鎌を振るい上げる。トカゲは飛び退り、次の一手を打とうとしたが、猪突するチルルの剣にその移動を邪魔される形となった。
トカゲが吼えてチルルの剣を片腕でいなそうとする。
「あたいたちの戦い方は!」
チルルは剣を膝で突き上げ、トカゲを弾き飛ばす。
トカゲの背後は樹木であった。背筋を打ち付けた形のトカゲの耳朶を打ったのは、明瞭なゼロの声である。
木の裏に回り込んだゼロが至近の距離で口上を発する。
「――助け合い、やからな。お前らと違うとすれば、その点や」
途端に氷結した空気がゼロを中心軸に発生し、トカゲは全身を凍てつかせて断末魔の声を上げる。
「うまくいったのね!」
「……突き飛ばした先で合流して挟み撃ちなんて、そうそう拝めるもんやないな、こりゃ」
リザードマンは我が手下の死に、鮮烈なイメージを受けていた。
味方の死、それこそが存在の内奥に決定的な経験則として刻まれる前に、りりかの払った護符がリザードマンを拘束する。
「そっちには、いかせないの……」
彼女の前に出現しているのは日本人形であった。りりかの手が触れ、ストロベリーを思わせる光纏が桜の花弁を散らす。
「これ以上は、よくないのです……。まずはりょうてから」
発生した蛇の幻影がリザードマンの両腕に噛み付き、その手から武器を離させようとする。
リザードマンの戦闘神経が昂り、なんと盾を自ら放り投げた。
「すてた……?」
「違う。攻撃じゃ!」
白蛇が即座に司に指示し、盾を弾き返す。いつの間に細工したのか、盾はそのままリザードマンの手に返った。軌道上に炎が宿っている。
「ぶーめらん……?」
「知恵を使うとはこういうこと、とでも言いたげじゃな。しかしわしらとて考えなしにおぬしとだけ向き合っていると思うたか? 鬨を上げよ、権能、千里眼!」
激しく咆哮するヒリュウがリザードマンの直上に暗雲を構築する。
放たれる雷撃に、リザードマンは石槍を掲げた。関節を外し、わざと手を伸ばした末に、雷が僅かにその身体を逸れる。
「即席の避雷針? まさかそこまで」
右腕は犠牲になったが、まだブーメランの機能を有する盾は残っている。
それを投擲しようとした瞬間、下段から突き上げた蛇の幻影がリザードマンの手首をひねり上げた。
「言っておかなかったけれど……、どれだけ知恵を付けたといっても、そちらがあたしたちの動きが見えるように、……あたしにも、あなたがどう出るのか、見えているの……です」
骨を砕いた蛇の牙にブーメランがあらぬ方向を掻っ切る。
次の瞬間、よろめいたリザードマンの頭頂部に向けて雷が落とされた。
頭部を焼かれたリザードマンは思考も、これまでの経験則も全て、彼方へと追いやられた。その場に倒れ伏す骸から、嫌なにおいが燻る。
「意外に骨のある奴であったな……」
「でも、残りは……」
りりかの視界の先には、急激に進化したトカゲを相手取る彩とドーベルマンの姿があった。
彩の無音の駆け抜けに応じて、ドーベルマンが吼える。
「所詮、オ前ラハ、野性ダト言ウコトダ。タシナムト言ウ事ヲ知ラヌ」
盾でトカゲの尻尾の一撃を防ぎ、彩の側に突き飛ばす。黄色いフレームを構築した彩が剣を高く掲げた。
「殺すことは容易い。しかし、屠ること、倒すことは、人間しかできない。しかも狩猟の愉悦だと……? どうやら早過ぎたようだな」
蹴りを見舞うと同時に剣閃が放たれた。袈裟切りにされてよろめいた、トカゲの背後へとドーベルマンが回り込む。
「テーブルナイフとフォークが使えるようになってから出直して来な! オオッ!」
咆哮一閃。
猛々しい雄叫びと共に斧によってトカゲの上半身と下半身が生き別れとなった。
痙攣し、這いずろうとするトカゲの頭部を彩が踏みつける。
「トカゲには尻尾を切って生き延びる習性があると聞いた。お前らにもそれがあるのかは知らないが、禍根は断つ」
切っ先がトカゲの後頭部に据えられる。そのまま、頭部を両断するかに思われたが、その刹那であった。
「――コレガ、狩リ、カ」
ハッとしたその時には、彩は相手の頭を割っていた。
しかし今の言葉ははっきりと撃退士たちの耳に届いていた。
「今、喋って……」
呆然とする彩に情況終了をゼロが口にする。その中で白蛇だけが胡乱そうに腕を組んでいた。
「彼奴らがどこからやって来てどこに向かおうとしたのか。進化するトカゲの生息を、辿っておかねばならん」
「あたしも……こんなディアボロ、これいじょういるとすれば怖いと思う……です」
全員の意見がこのディアボロがどこから来たのかの解明に向かっていた。
這い蹲っていたトカゲの足跡を辿ればそれほど相手の動きを見るのは難しくない。
洞穴を、すぐに撃退士たちは見つけた。
「こんな洞穴で何を……」
入るなり、りりかが短い悲鳴を上げる。
「なに、これ……」
壁一面に描かれていたのは、血文字の抽象画であった。
狩りをしているのであろうトカゲと狩られる者たちが描かれている。
「こいつら、原始本能で狩りを……」
ゼロが言葉をなくす。
この血文字によってトカゲたちは導かれたのか。それとも何者かがそう定めていたのか。
その行方だけが知れぬまま、トカゲたちの狩場は斜陽に沈んでいった。