「野球観戦って、青春って感じがするよねー」
現地入りした涼風 燦(
ja0340)の少しばかり呑気な声音に、咲村 氷雅(
jb0731)は嘆息をつく。
「野球、か。見たことはあるが、やったことはなかったな。そもそも、さほど興味もない。屈強な男たちが、ボールを追っかけ回したり、打ったり投げたりするだけだろう?」
「……いかにもつまらなさそうな感じの説明だけれど、それだけじゃないよ? ドラマあり、挫折と成長の物語が、野球にはあるんだって!」
「だが、今回の敵は挫折を子供たちに与える。普通の人間には、乗り越えるには少しばかり高い壁だな。それに、人々を襲う野球、か。野球やろうぜ! お前がボールな、という声が聞こえたような気がするが」
双眼鏡で窺った草野球の球場は荒れてはいないものの、既に魔物の巣窟。
ルール無用のノラ野球が繰り広げられる鉄と血の戦場である。
「私、どうせなら、野球は楽しみたいし。それを邪魔するって言うのなら、容赦はしないよ」
「容赦、か。バッターもピッチャーも依然、真剣勝負。その度合いが強いか弱いかだけの話なのだが、さて、連中がどれほど野球に賭けているのか、見せてもらおうじゃないか」
白球を投げると、向坂 玲治(
ja6214)はおっと、と受け止めた。
「狩野さん、コントロール下手っすねぇ」
堤防にて既に展開している狩野峰雪(
ja0345)と玲治は肩慣らしがてら、キャッチボールを行っていた。
玲治の言葉に狩野は笑い返す。
「昔から、あんまり野球は得意なほうじゃないんだ。キャッチボールって基本的だけれど、プロでもこれは欠かさないってことは、つまり、基本が何よりも大事ってことなんだろうね」
「しっかし、ノラ野球に人を襲うディアボロねぇ……。どこの一試合完全燃焼球団なんだっつう……、あ、ちょっとマイナーでしたかね?」
ボールを投げると狩野が受け止める。
「いや、オジサンくらいの歳なら分かるよ。球児型、ねぇ。身体にボール型の痣があっても、僕は驚かないよ」
「っすねぇ」
お互いに捕球しつつ、玲治は質問を投げてみた。
「狩野さん、野球嫌いっすか?」
「いや、たしなむ程度には好きだよ。好きとうまいは違うだけの話さ」
「俺も野球は嫌いじゃないっすよ。ただ、あんまりのめり込むタイプじゃないんで、うまくはならないですけれどね」
「いいんじゃないかな。野球って、そのくらいの距離感で」
投げたボールはまたしても明後日の方向へ。
「やっぱり、狩野さん、苦手みたいっすね、投球」
「オジサンの年頃なら、天才だとか、強打手がごろごろいた時代だよ。そういう人たちの煽りもあって、野球ブームに火が点いていたね。だからかな。余計に、距離を置くようになったのは」
「まぁ、スポーツに夢中になれるのなら、それはいいことだと思いますよ」
「だね」
「草野球でも何でも、四番ってのは大事なんだ」
浪風 悠人(
ja3452)の説明にふわりと浮き上がっているユウ(
jb5639)は、はぁ、と生返事する。
「私、さほど野球のルールってよく分からないので……。ゲッツーとか、何なのか未だに……」
「まぁ、基本的に、エースのボールは打たれちゃ駄目で、四番は打たなきゃ駄目。そういうポジショニングがあるんだよ」
「今回は、エースのボールを打ち返さなきゃ、駄目ってことですよね」
敵の情報は頭に入っている。悠人は腕を組んで応じた。
「俺が今回、四番を張る。あとは、涼風さんも、バッターポジションかな。なに、ホームラン決めてやるだけだよ」
「自信あるんですねぇ。もしかして野球経験が?」
「これでもそれなりに、ね。バッティングは腕で打つんじゃない。全身で打つんだ」
バットを振り回す真似をする悠人に、ユウは感心していた。
「腕じゃないんですか……。私は、すぐにでもディアボロから球場を取り戻したい。子供たちのためにも、それが一番だと思っています」
「俺もね。必死になれる場所を追われるのは最悪だ。汗と涙の結晶である野球を、そんな奴らに汚させはしないさ」
球場に現れた影は三体の矮躯である。
二体はバットを肩に構え、もう一体は手にしたボールを握り締めている。
獲物を狙い澄ます赤い瞳が周囲を見渡す中、不意にピッチャー型が感知した。
足を振るい上げて投球フォームに入るピッチャー型に比して、対応の遅れたバッター型の一体へと、闇の拳が束縛する。
ハッとしたバッター型の視界に入ったのは中空に踊り上がった氷雅だった。
「バッターの端くれならば、打ち返してみろ」
番えたのは不可視の弓矢である。矢継ぎ早に放たれたその攻撃に粉塵が舞い上がった。
視界を遮られた形の三者に、それぞれの対応班が走る。
「バッティングの準備はできているかな。それとも、まだ練習中だったかい?」
狩野がバッター型の背後に回り込む。
感知したバッター型が構えを取る前にその腹腔へと弾丸が叩き込まれた。途端に装甲が焼け爛れる。アシッドショットによって姿勢を崩されたバッターへと狩野は手を払った。
その指先が繊細に紡ぎ出したのは植物の鞭である。瞬時に足を拘束し、バッターが倒れ伏す。
「よし、これで無力化……」
そう口にしようとして、狩野は息を呑んだ。
バッター型が手からバットを離し、口にくわえたのである。さらに、使用不能となった足を捨て、両手を用いて跳ね上がった。
狩野へと狙いを定めた降下に彼は笑みを浮かべる。
「足を故障してもなお、こだわるか。その心意気、もっといい方向に活かすべきだね」
横合いから入ってきたのは空中展開していたユウである。その手に携えた大鎌が、バッターを薙ぎ払おうとした。
バットとぶつかり合い、干渉の火花が散ってお互いに後退する。
「硬い、ですね。ただのバットじゃない」
「しかし、装甲は弱めた。押し切れる可能性はあるよ」
ピッチャー型が狩野とユウの動きに反応し、足を振るい上げる。その投球フォームへと、高らかな声音が放たれた。
「こっちだよ! ピッチャー君!」
ピッチャー型の振り返った先には、大剣を構えた燦の姿があった。その細身に似合わない、巨大な得物を彼女は軽々と振り翳す。
「いい? いつだって、ピッチャーとバッターって言うのは真剣勝負なんだよ」
こちらの戦意が伝わったのか、ピッチャー型が燦に注目する。
玲治は笑みを浮かべて、作戦がうまくいっていることを確信した。
「っと、こっちはバッターだったな。さて、どうする、スラッガー。俺たち相手に、強打決めるかよ?」
既に拘束術を決められているバッターはその場から動けない。その身へと、氷雅が肉迫した。
手には大剣。北斗七星の意匠が刻み込まれた銀色の一閃がバッターを切り伏せようとする。
バッターがバッティングで対応するが、それよりも氷雅の追撃が速い。
超接近戦のまま、相手を直上へと叩き上げる。
「空中で打ち返せるか?」
不可視の矢が飛び交い、空中のバッターへと攻撃する。バッター型は赤い眼を滾らせて、バットを振り回した。
いくつかの矢が叩き落されたようで、玲治は口笛を吹く。
「やるじゃん、ナイスバッティング。じゃあさ、今度は守備練習だ。行くぜ」
玲治も不可視の矢を構えて発射する。
着地したバッターが逃げに徹しようとするが、その足は既に拘束済みだ。
結果として、バッターは玲治の矢を身体の大半に受けてしまう。
「残念。守備はあんまりみたいだな。それじゃあ、打率は三割切っちまうぜ」
その言葉の意味を解したのか、バッター型がぶんぶんと空気を切り、バットを振り回す。
挑発が効いたのか、と玲治は再び矢を番える。
「やる気は感じたぜ、ミスターフルスイング。さぁ、こっからが本番だ。打球がどこへ行くか見えたか? その行く先は? 栄光への道は? 俺も全てを叩き折るつもりでやってやる。お前も、その上を行くつもりで打ち返して来いよ」
番えた矢はあえて相手にも目で追えるように真正面。狙うはその額。
相手もその位置にプレッシャーを感じているのだろう。バットが正眼に構えられた。
「大根落とし、か。純粋に、速さ比べだ!」
放たれた矢がバッター型の眉間へと命中しようとする。その瞬間、バットが振り下ろされた。
矢を捉えたかに見えたそのスイングは、しかし、直後に顕在化した矢の存在によって、明らかとなる。
頭蓋を貫かれたバッター型が仰向けに倒れる。
玲治は、ふぅと息をついていた。
「僅差だったな、ミスター。バッター型、一体撃破だ」
その時、倒れたバッター型へと瞬間的に速度を増したボールが叩きつけた。
振り向くと、燦が大剣を振るっていた。
ピッチャー型の放ったボールを打ち返したのだろう。
ビィン、と空気が震えている。大剣の生み出す空気圧か、それとも、ボールの放つその速さか。
「こりゃあ、とんでもないスラッガーがいたもんだな」
燦はしかし、全くうろたえた様子はない。
「今度は決める! 必殺!」
ピッチャー型が豪速球を投げる。目視不能なほどの速度であったが、燦は捉えていた。
クレイモアが軋むほどの風圧。それでも、打ち返すその細腕から放たれる力はそれ以上の豪気。
「涼風ッ、スペシャルッ!」
打ち返された球が弾丸の速度を伴って突き抜ける。ピッチャー型の肩口に命中する。
ピッチャー型が呻いたが、まだ倒すには至っていない。
「オーケー、涼風さん、ここいらで交代しよう」
歩み出たのは悠人である。
「四番、悠人、決めます! ……なんてね」
言葉通りの気高さを感じさせたのは、彼の持つ刀がそのまま、ピッチャー型に向けられたからだ。
――ホームラン宣言。
その豪胆さには似合わないほど、対象となる刀は古びていた。
ピッチャー型もそれを感じ取ったのだろう。足を擦り、投球フォームに入る。
直球である。
油断、もあったのだろう。それ以上に、慢心か。
大剣ならばいざ知らず、刀程度ではその剛球を前にして、叩き折られるのが当然の帰結であると。
しかし、その考えは打ち砕かれた。
瞬間的に纏いつくアウルの輝きは刀の錆を取り払い、天下無双の剣の様相を呈する。
その銘は八岐大蛇。
悠人の固有アウルの色である半透明の色彩を強め、大蛇の名を冠する刃は、龍のオーラを顕現させる。
大蛇が吼える。
その咆哮はそのまま強烈なピッチャーライナーと化した。
ピッチャー型が反射的に身を引いた。
強力な打者を前にした本能的な恐怖である。
その恐怖心が仇となったか。あるいは付け焼刃の強運か。
打球の命中したのは狩野とユウが相手取っているバッター型であった。
着弾点から爆発が生じ、バッター型を塵芥と化す。その残滓すらも居残さないほどの一撃に味方であるはずの玲治も息を呑んだ。
「……さすが四番」
悠人は息をついて刀を構え直す。
既にバッター型二体を破壊されているピッチャー型には最早、退路は存在しない。
打ち取るか、あるいは打ち取られるか。
緊張の一瞬に悠人は刀をあえて下段に構える。
その構えに玲治がふとこぼした。
「あれじゃあ、ピッチャーフライになっちまうぜ……」
明白である。
しかし、その構えのまま、悠人は決定した。その双眸に、迷いなど微塵にもない。
ピッチャー型はどうとでも変化球を投げられる。
しかし、この局面になって変化球を投げたところで、攻撃に繋がるのは自明の理。
なれば、と足を擦ったピッチャー型の挙動に、狩野はほう、と感嘆する。
「あえて、直球勝負、か」
ピッチャー型が投球したのは情報通りの直球。しかし、今までの比ではないほどの豪速球である。
その勢いは粉塵を巻き上げ、一直線の光に見えたほどだ。
投球、というよりもそれは一筋の光条。
悠人は後ろ足に力を込めてぐっと構えた刀を振り上げた。高く掲げた前足に、玲治がハッとする。
「あれは……一本足打法!」
タイミングを合わせた悠人の刀が、光線のようにしか見えない投球を捉えた。
しかし、その行方は遥か直上。
ピッチャーライナーどころか、それはあまりに愚策な――ピッチャーフライ。
これでは、と懸念した撃退士たちの目に入ったのは、大剣を手に踊り上がった影であった。
直下に存在するピッチャー型に向けて空中の打席に入ったのは、燦である。
ピッチャーフライは全て、この一撃に繋げるため。
そう判じたピッチャー型が逃げようとするのを玲治と氷雅が制した。
「逃げさせるかよ! とことん勝負しようぜ!」
「悪いな、退路はない。何よりも、投球したのはお前だろう?」
闇の拳がその足を封じ、不可視の矢が砂煙を巻き上げた。
霞む視界の中、ピッチャーフライのボールを燦が叩き落す。
「行っけー! 涼風、スペシャルッ、パート2!」
ピッチャーフライが弾丸ライナーへと変化する。
ピッチャー型へと着弾した瞬間、地面から砂煙が生じた。ほとんど火柱のように光が放射される。
ピッチャー型は影も形もなかった。
着地した燦が大剣を肩に担ぐ。
「ゲームセット。リトルリーグがお似合いだったようだな」
玲治が判断を下し、勝負が決する。
「結構、派手にやりましたね……」
ユウが心配そうに野球場を見やる。
抉られた地面に、土煙で荒れた球場。
思ったよりも白熱してしまった。
「まぁ、整備も俺らの仕事だな。全員でさっさと終わらせて、そんでもって軽くキャッチボールでもしようぜ」
玲治の号令に全員が首肯した。
放り投げられた球がすっぽ抜ける。
それをキャッチした氷雅はぶつくさと口にする。
「やはり、球を追っかけて投げ返して……。何が楽しいのかよく分からない」
「す、すいません、咲村さん。私、全然下手で……」
「初心者の割にはうまいって。……それに比べて狩野さん、結構様になっているのに、やっぱりノーコンっすね」
「いやはや、面目ないね」
「投げるよー!」
「来い! 四番は俺だ!」
燦と悠人は本格的な投球練習をしている。
「地面せっかく直したのにまた抉るなよー」
狩野のボールをキャッチし、玲治は晴れ渡る空を見やる。
「青い空、か。野球日和だな」