:「いろは荘」外観
そこは、不快な気配を漂わせていた。町の喧騒が聞こえず、奇妙な静けさが周辺を支配している。
「……確かに、気味悪いねぇ」
笹鳴 十一(
ja0101)はつぶやきと共に……「いろは荘」を観察した。
薄汚さと人の気配の無さは、ほぼ廃墟と言って差し支えない。
「!」
後ろに気配を感じ、振り向くと。
知らぬ間にそこにいた「老人」に、笹鳴、そして獅堂 武(
jb0906)は驚愕した。
よろよろとした歩調で、杖を付き付き、そのまま皆の後ろを通り過ぎ……角を曲がって消えた。
「……ふー、ただの散歩の爺さんか。びっくりしたぜ」
獅堂はため息をもらすとともに、緊張をほぐす。
「ったく、紛らわしいな。うろうろするなっつーの。巻き込んじまいたくねえぜ」
向坂 玲治(
ja6214)は「老人」を見送ると、改めてアパートの窓へと目を向けた。
ガラス窓は薄汚れ、部屋内部を見る事はできない。
「……不気味な事件にふさわしい、不気味な現場です……ですが……」
牧野 穂鳥(
ja2029)が、つぶやく。
「ですが……相手がこちらを『触れられる』のならば、逆も可のはず」
「ああ、牧野君の言うとおり。必要以上に構えることはないだろうね。それにしても、まるで三流の怪談や怪奇映画じゃないか。……ふふ、実におもしろい」
牧野とともに、ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)……人の姿をした悪魔が、「いろは荘」をねめつけた。
「それでは、皆……」
仲間たちへと視線を向け、知楽 琉命(
jb5410)が促した。
これから、この怪異へと戦いを挑む。その事実が、皆の心に更なる緊張を作りだした。
:一階、管理人室前。
獅堂と向坂とは、不動産屋と接見した時の事を思い出していた。
この任務のため、建物を壊してしまうかもしれない。できるだけ壊すのは避けるが、それでも状況次第では壁に穴を開けたり、半壊させてしまう可能性もある。
ゆえに、事前の報告と許可を求めに向かったところ、「破損はできるだけ避けてほしい。ただし、状況によってはその限りではない」
なんでも、このアパートは借地に建っており、土地の持主、土地の借主、そして建物の持主がそれぞれ異なっているというのだ。土地の持主は更地にして売りたがっているが、土地の借主はリフォームして儲けたいと考えており、建物の持主はこのままで十分と考えている。話し合いは膠着し、立直しも取壊しもできず、現状維持を強いられていたのだ。
「……なんにしろ、化け物ジジイはとっとと追い出さねえとな。さて……」
獅堂は、これからの作戦をシミュレートしていた。
:知楽が「生命探知」で、アパート内の生命体を探知する。
:その結果次第で、ハルルカが物質透過で内部を確認し、状況を判明。
:もしも生存者がいたら、防護マスクなどを装備し、内部に踏み込み救出。
:逆に、内部に「老人」を発見したら、「煙」に注意しつつ踏み込んで戦闘、これを殲滅。
管理人室へと「生命探知」を試みている知楽を見て、この作戦がうまくいくことを祈った。
「……クリア。どうやら、一階には居ないようです」
「生命探知」以外にも、知楽は周囲の屋根裏、床下、壁などにも敵が潜んでいないかを注意していたが……。
今のところは、ゼロ。
二号室に反応はあったが……。
そこに、瀕死の状態の犬を発見した。傷の具合からして、何者かに瀕死の状態にさせられて放置されたようだ……と、犬を看取ったハルルカは言っていた。
四号室の扉が開いていたため、注意深く内部をのぞき込んだら……。
悪臭と共に、食いちぎられた猫の死体が散乱していた。
:二階、8号室・9号室前。
「……どうやら……本命といったところか?」
笹鳴の言葉に、獅堂、向坂、そして知楽が……静かにうなずく。
ハルルカは裏側から、透過し突入する用意をしていた。そして牧野も裏側……すなわち、表通り側から観察し、様子を見ていた。
「感知」も用い、可能な限り怪しき点を見逃さんとする。が、牧野の眼には今のところ、何も映らない。
「……お願い、できますか?」
「……OK」
同じく、視線だけでハルルカと牧野は会話した。やがてゆっくりと……ハルルカは窓から「透過」しつつ、侵入した。
:9号室・室内
『……こちらハルルカ、みんな、聞いてるかい?』
笹鳴のスマートフォンより、声が。
「おう、聞いてるぞ。9号室の中はどうなってる?」
『「煙」が漂っているけど、そんなに濃くはないよ。……見たところ、部屋の中には家具も無ければ、「老人」とやらも居ないね……』
どうやら、入り込んでも大丈夫の用だ。だが……どこかに隠れている可能性も高い。
「それじゃ扉開けるぜ、息止めとけよ」
慎重にドアノブを握った向坂は、それをひねって……。
扉を、大きく開けた。
アパートは、玄関を入ったらすぐに短い廊下。その途中にトイレと風呂場。
そして、フローリングの狭い台所と一体化した居間。向かって左の壁には、隣室と壁を隔てた押し入れ。
玄関から真向いには、表通りに面した窓。ハルルカは、そこに立っていた。
「……」
ハルルカは、獅堂らがドアを開き、部屋の内部を油断なく観察している様子を見ていた。
用心深く、すぐに踏み込むようなことはしない。していない。
「敵」は、この部屋のどこかに、確実に、「この室内のどこか」にいる。
「……もしもし、笹鳴さん?」
だが、ハルルカは一点を見つめた後……。
スマートフォンに耳を当て、仲間の一人へと連絡するとともに、壁を通り抜け、外へと出た。
次の瞬間。
押し入れ、ないしはその内部から。異様なるものがその姿を現した。
:8号室・室内・居間
「んじゃ、せーのぉ……『発勁』!」
ハルルカの連絡を受けた笹鳴は、8号室にいた。
そして……8号室の、9号室を隔てている壁へと、強烈な一撃を放つ!
「やるぅ!……この様子だと、手ごたえはあったみてーっすなあ」
その後ろに控えていた獅堂が、笹鳴の手際に感心した。
「さて、どんなクソ面してんのか、拝ませてもらおうじゃあないか」
部屋の壁をぶち抜いて、9号室に向かおうとした笹鳴だったが。
「!?」
台所天井裏から響く、何かの音。そして、天井から漂ってきた「煙」に、二人は身構えた。
:9号室・室内・居間
姿を現した「そいつ」に、撃退士たちは嫌悪感を隠しきれなかった。
太く長い身体と、鱗を持つ体表面は、確かに蛇めいている。しかしそれは、芋虫やミミズ、寄生虫や蛆の類に比べれば、幾分か蛇に似ているに過ぎないだけの事。頭部は人間のそれ……老人のそれだった。それも醜くもなく、むしろ穏やかで整っている顔。
「醜くない」……それがかえって、目前の怪物のおぞましさを際立たせ、より一層の嫌悪感を催させた。
「……コロンゾン……ふん、御同輩とはね」
再び室内に入り込んだハルルカが、人頭蛇身の異形の名をつぶやいた。
:8号室・室内・居間
「煙」は、空間そのものへ均等に広がり、正常な空気を均一に汚し浸食していくかのように広がり、視界を遮っていく。広がるスピードも、存外に速い。
その「煙」に対し、笹鳴は防塵マスクで防御はしていた。が、それでもわずかに吸ってしまう。獅堂も同様、まとわりつく「煙」に、せき込んでしまう。
途端に、身体がいきなり「重く」なるのを感じた。いや……重量が増えたわけでも、重力を操られたのでもない。自分の身体が、うまく動かないのだ。
「ちっ、麻痺毒かよ!」
ウォーハンマーをガラス戸に叩き付ける。が、煙はそこからなかなか出て行かない。玄関へ走ろうとしたとたん。
天井から、牙をむいたコロンゾンが襲い掛かった!
:9号室・室内・居間。
「!?」
9号室の、床に転がされたコロンゾン。それはタウントを自身にかけた向坂に注目した。
「そら、相手になるぜ。爺さん!」
その後ろには、知楽が控えている。二人の撃退士を見たコロンゾンは、顔を豹変させ唸った。響くは、蛇のそれよりおぞましき威嚇音。
口から、黒き「煙」を放ちつつ、コロンゾンは迫った。
「向坂さん、来ます!」
知楽の警告とともに、化物が迫る。それに対し、三秒もの時間を用いて向坂はそいつに「戦意」を向けた。
その「戦意」が、武器を顕現させ、彼に戦う力を付加した。
「オラァッ!」
腕のレアメタルシールド。向坂はそれをコロンゾンの顔面に叩き付け、防御と共に攻撃を放ったのだ。弾かれたコロンゾンは、そのまま部屋の隅に転がった。
逃げる様子はない。ならば、この隙に追撃し、止めを!
だが……、コロンゾンは追い詰められたように見せかけ……その身体を、「引いて」いたのだ。
それは、沖縄のハブがとびかかる直前の体勢と同じ。長い身体を可能な限り「引き」、敵の隙を付いてとびかかり、毒牙を相手の身体に沈める攻撃。
「!」
刹那。
向坂へと、コロンゾンの老人の顔が、一瞬にして迫った!
:8号室・室内・居間から台所
ギリギリのところで、笹鳴、そして獅堂は、怪物の強襲を横に跳びかわす。だが予想以上に素早い動きで、怪物は笹鳴と獅堂の周辺を、まるで値踏みするかのように、いつでも襲えると脅しているかのように、自身の長い胴体をくねらせて回った。
「『理解』したぜ……」。
その動きを見て、獅堂は自分がつぶやいているのを聞いた。
「こいつは『煙』で相手を麻痺させ、視界も奪い、そして強襲しやがる。そういう戦い方をすると、理解したぜっ!」
対し、歪んだ表情を浮かべたコロンゾンは、してやったりと思わせるような微笑みを浮かべている。そして、再び「煙」を口から吐きつける。
「くっ……またか!」
しかし、笹鳴もまた「理解」した。怪物は、「煙」を麻痺のためでなく、煙幕に用いたのだと。
コロンゾンの位置が、一瞬見えなくなる。瞬間。
「……なっ!」
身体に巻き付かれ、締め付けられる。そのまま、喉笛を狙い噛みついてきた!
「笹鳴さん!」獅堂の叫びが、室内に響く。
喉笛を噛ませはしない。いざとなれば左腕に噛ませる……。そう覚悟していた笹鳴だが、身体に痛みが流れる事は無かった。
「……!?」
怪物の頭部、顔と顎とに、鉄数珠が固く絡まっていたのだ。獅堂が携えていた武器が、笹鳴を救っていた。
「ありがとよ! そして……もらった!」
そのまま右腕に忍者刀・雀蜂を握りしめ、笹鳴はこしゃくな怪物の側頭部へと、その刃を突き刺す!
言葉で表せない奇妙な叫び声とともに、怪物は己が身体の締め付けを緩め床に転がった。
明らかに弱っている。ダメージを受けて追い詰められている。この勝機は逃せない、逃さない!
「とどめくらえ! オラッ!」
力強く、笹鳴は突撃した。
が、弱り切ったコロンゾンが、死力を振り絞り……新たな「煙」を吐いた! 笹鳴は、すぐに息を止めたが……数珠の呪縛をといた怪物は、その「煙」内部へと、己の身を隠す。
「ちっ……またかよ!」
獅堂が毒づき、笹鳴は周囲を睨み付けた。背中合わせとなり……彼らは討つべき怪物の姿を探し求めた。
:9号室・居間。
向坂へと迫ったコロンゾンの、勝利を確信したように見える表情。それが凍りついた。
「向坂さん、危ないっ!」
知楽のランタンシールドが、コロンゾンの攻撃を防いだのだ。先刻同様、盾に顔面を叩きつけられた怪物は、もんどりうって床へと落ちる。
その隙を、知楽は逃さない。銃器に似た魔具が彼女の手に顕現され、その砲口が怪物へと向けられた。
砲口から放たれるは、炎。火炎放射器の赤き奔流が、蛇を包み込み燃やしていく。悪臭がこもった、黒い「煙」と異なる燃焼の煙が、室内に漂いこもりはじめた。
このまま、燃えるか。それとも……!?
見守っていた二人の前で、ほとんど動きを止めたコロンゾンが、完全に動きを止めた。
……と思った次の瞬間。全身のばねを用い、そいつは向坂と知楽へとびかかった!
:8号室・室内・居間から台所。
「煙」の厚い幕を切り裂き、コロンゾンが最後の攻撃をしかけた。
その牙を、笹鳴の足へと沈めようとしたのだ。
「うぜえ! 近づくんじゃあねーぜっ!」
噛みつかれる寸前、笹鳴の足が、怪物の頭部を蹴り上げた。
「これで……終わりだ!」
宙に舞ったコロンゾンへ、鉄数珠を拳に巻き付けた獅堂が……殴りつけ、殴り通した!
頭部がつぶれる、小気味の良い音が響き……二人は聞いた……怪物の断末魔を。
:9号室・室内・居間。
炎の直撃を受けたコロンゾンは、焼けただれたその顔で最後の攻撃を放っていた。
その面相にひるむことなく、向坂は光輝に包まれた掌底を、とどめに放つ!
「今日ばかりは……敬老精神はなし、だぜ!」
怪物の顎を、強力な掌底の一撃がとらえ……床へと叩き付けた!
「『神輝掌』!」
床ごと、コロンゾンの頭部がつぶれ……無に帰した。
それは、8号室の怪物が倒されるのと同時の事だった。
:いろは荘・表通り。
「……牧野君。どうやら、終わったようだね」
ハルルカは、牧野とともに、「いろは荘」を外から見ていた。
「ええ……それじゃ、『後始末』を」
うなずいた牧野は、そのまま……先刻に散歩の老人が曲がって消えた場所へと向かった。ハルルカも後を追う。
曲がり角には、個人用のコンテナが。コンテナの奥にはものがごちゃごちゃ詰まっており、そこには持ち主らしき老人が横顔を見せている。
「……『轟蕾閃』」
それを認めた牧野は、即座に強烈な電撃を食らわした。
「!」
コンテナの内側に電撃が爆ぜ、内側から吹っ飛んだ。肉が焦げモノが焼ける臭いが漂う。
「………」
その中でも、コロンゾンは瀕死になりつつ、まだ生きて動いていた。心なしか「何故だ?」と問いかけているように見える。
「先刻に、見ていたのさ。一匹がこのアパートを逃げ出し、この角を曲がってコンテナに入る様子がね。それを気づかなかったふりをしていたんだけど、見事にひっかかってくれたねえ」
ハルルカが、せせら笑いそいつに言葉を投げかける。
「それにしても……今までそれなりに色々な天魔を見てきましたが、ここまで生理的嫌悪を覚える姿は初めてかもしれません」
それ以上に、侮蔑を込めた言葉が牧野の口から投げつけられる。
「……その顔は、人間の油断を誘う為ですか?……いやらしい、と言って人外にも通じるものでしょうか」
それ以上の言葉は、無かった。コロンゾンがとびかかったのだ。
斬!
ハルルカの鞭、ローフェルステインの強烈な一撃が、最後の一撃を放った。それとともに……事件も終わった。
後日。
事後調査で、前の住民たちの遺体が発見された。そして、天魔の存在が消えた事も、また確認された。
飯盛も回復し、マル美もまた立ち直った。
「……やれやれ、この建物も次の入居者が出るといいんだがな」
そして、こんな事件が二度と起こらなければいいんだがな。去り際、向坂は静かにそうつぶやいた。
いろは荘は、今も無人のままである。