「……国会図書館の件は了承した。けどねえ、少し問題が」
霞ヶ関の言葉を、瑞姫 イェーガー(
jb1529)は聞いていた。
「問題?」
「国会図書館に問い合わせてみたんだけどね。複写はできるけど、全国から送られる複写依頼の整理と、複写する書物の特定、それで最低五日かかる。で、その後に複写を郵送。だから、一週間から十日くらいはどうしてもかかるね」
更に言うと、デジタルデータをメールで送付する、という事も受け付けていないらしい。
「それでは、撃退庁の権限で、なんとか時間を早めるような事は……」
織宮 歌乃(
jb5789)の言葉にも、霞ヶ関はかぶりを振った。
「できなくはないけど……緊急性があるわけじゃなく、人の生き死にが関わっているわけでない件だからねえ。ちと職権乱用と思われないかな。ともかく」
その件はなるべく急がせると、霞ヶ関は請け合った。
「……仕方がない、ですね。足で古書を探し出すしかなさそうです。もとより……」
もとより、そのつもり。届くまでの間は指をくわえて待つつもりは無いと、鴉守 凛(
ja5462)も本探しを決意していた。
「ふう……それじゃあ、古書市が始まる明後日まで、するべき事をやっておきましょうかね」
天羽 伊都(
jb2199)の言葉に、シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)がうなずく。
「そうですわね、奈緒美さんの周辺の人たちへの聞き込みをしておきませんと」
しかし、グレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)は、なんでこんなにこじれているのかと、首をひねっていた。
「うーん、よくわかんないけど……とりあえず、本を見つけないとね」
明後日後。
帯広・青空古本市開催日。
同・会場にて、撃退士たちは再び集結していた。
「うーん……」
「瑞姫さん?」
シェリアに問いかけられるも、瑞姫は悩み顔。
「いや、昨日に他のみんなと、奈緒美さんの事を聞き込んだんだけど……」
その時に、奈緒美について様々な情報を得た。そして、彼女の悩みの原因と思われるいくつかの事実が判明したのだ。
同級生。
『おにゆりっち? なんかここしばらくは、ぼぅっとしてたよ。恋する乙女みたいに♪』
『そうそう。授業は身が入ってないっぽいしねー』
『ですね……何か、悩みでもあるようでした。「相談に乗りますよ」と言葉をかけましたが……』
『顔真っ赤にして「いや、なんでもないよ」ってごまかしてたわね。マジ引くわー』
クラブの部員や後輩たち。
『鬼百合瓦先輩ッスか? 最近はあんまクラブの助っ人してくれないッスね』
『あ、ソフト部も? 野球部もなんだよー。引き抜かれたかと思ったけど、どうも違うっぽいんだよね』
『あたしらラクロス部も聞いたよ。つーか、同じ学年の……なんだっけ? 百合なんとかっていう……(新百合ヶ丘さん?)。ああ、そうそう、その子。うちの練習試合の時に通りがかったら、とたんに鬼百合瓦さんってば人の目を気にしたみたいになっちゃって。おかげで試合はボロ負け』
『んー、そういや陸上部の友達迎えに行った時ッスけど。なんか顧問の先生が、彼女と話してたッスねえ』
陸上部顧問。
『鬼百合瓦? うむ、スポーツの交換留学生について話し合ったな。この前来日したアメリカの学校関係者が、鬼百合瓦の走りを見て『ぜひ彼女を』と推薦したんだな』
『だから、彼女に「考えておいてくれないか」と相談したわけだ。そういえば、同じ頃に、撃退士の関係者がやってきたのは目にしたが……ご両親なら何か知っているかもしれん』
鬼百合瓦夫妻。
『……ええ、奈緒美に……撃退士のスカウトが来たのは事実です。アウラとかいう力の素質があるとかで、我々も同席したうえで、簡単な検査も受けましたね』
『奈緒美は、それに関しても悩んでいたようでした。ただ……もう一つ。夫の実家から、なんですが……』
『私の実家から、「奈緒美にお見合いを」と持ち掛けてきたのです。……とはいっても、奈緒美自身は、あまり乗り気ではなかったですが。それと、私たちも近いうちに、仕事の都合で引っ越しをせねばならず、奈緒美は「今の学校を離れたくない」とは言っていました』
「……アウラの素質だけでなく、スポーツ交換留学、お見合い、それに引っ越し……。確かに悩みは尽きぬ、といったところですわね」
その悩みを解決するためにも、本を手に入れねばなるまい。が……。
目前の古本市の規模と、参加古書店500店以上という数字の前に、シェリアは少しばかり心が曲がりそうになった。
「でも、負けません! 友達を失う、そんな事はさせませんわ。奈緒美さんと理恵さん、二人の仲を、必ず取り戻してみせます」
決意も新たに、彼女たちは古本市の人ごみの中に。
「あの、すみません。『百合の扉を開けて』を置いているお店、ご存じありません?」
「さあ、知らないわねえ。探しているの?」
「ええ、ずっと探してまして……」
シェリアが尋ねたのは、大体30年代の女性客。彼女はちょっとした作戦を実行していた。
「90年代後半に復刻、ならば、その年代に十代だった女性に聞き込みして回れば、ひょっとしたら……」
そういう読みから、30代の女性客を見つけては、本のありかを訪ねていたのだ。
「……今、知り合いに携帯で聞いたわ。ここから遠くの古書店で、一冊だけ見かけたそうよ」
「そうですか、ありがとうございます!」
確か、そのあたりには凛さんが向かってるはず……。
「……もしもし、凛さん? そちらに、『秋月書房』って古書店があるはずです。そこに……」
「はい、了解しました。すぐ向かいます……」
案内図を見ると、確かにこの近く。
そこは、盛況していた。並ぶ本は小説が主で、豪華な全巻セットや美本の脇に、一冊百円のコーナーが。その中に……。
「……もしもし、こちら鴉守。ありました」
荒井元子「百合の扉を開けて」再販文庫二巻の背表紙が、そこにはあった。
「……了解しました、文庫二巻入手ですね」
文庫版二巻を凛が百円で入手した事を、瑞姫はかかってきた携帯電話の内容から知った。
今、彼女がいるのは、古文書や学術書の取り扱いが多いエリア。
その隣には、アメリカ古雑貨屋「MrUSA」が、古本屋としてブースを出していた。洋書や、古いアメコミの原書が並び、まるで60年代のアメリカ。
「面白そうだけど……ここには無さそうねー……」
去ろうとした、その時。
「ヘイ、そこのカノジョ。なんか探しものかい?」
店主が、声をかけてきた。
「では、これをいただけますか?」
「おおきに! 三百万円のところ、嬢ちゃん美人さんやから、三百円にまけとくわー」
「古書ナニワ」の店主から笑顔を向けられつつ、歌乃は本を受け取った。
「あ、ありがとうございます」
初版新書版一〜三巻がセットで出ているのを瑞姫から知り、この店に。そして、入手。
「他の皆さん、うまくいっているでしょうか?」
うまく見つけているのなら良いのですけど。
「ああ。入荷して倉庫に保管してある」
グレイシアと天羽は、「ブックス・ネオ」という古書店にて、店主に尋ねていた。
「じゃあ、それを譲ってもらえない? 貴重品だってのはわかっているけど、それなりの予算は出すわ」
「ある二人の女の子たちの友情のために、必要でしてね。お願いできないでしょうか?」
「悪いが、それは聞けんな」
「え……、ちょっと待ってよ! それじゃ、言い値の二倍……いや、三倍出すわ」
「聞けないと言ったろう」気難しい店主は、言葉を続けた。
「タダで持っていくってんなら譲ろう。友情に金を取るのは、俺の性に合わんでな」
そして、更に数時間後。
疲労と現金、それに時間を引き換えにして、「百合の扉を開けて」の文庫版三冊、初版新書九冊は、撃退士たちの手元に。
「つ……疲れました……」
夕暮れの中、瑞姫は皆の心情を代弁し、ため息をついた。
だがこれで、奈緒美の心の扉を開くことができる。一休みしたら、次にすべきはこれを読破。
確かな手ごたえを、皆は感じていた。
古書市から、三日後。
「ちょ……あんたたち、なんだよ!」
「いいからいいから、ちょっと用事があるのよ!」
「申し訳ないですが、お付き合いお願いしますよ」
「来て、いただきますわ。鬼百合瓦奈緒美さん」
奈緒美の手を、グレイシア、天羽、そしてシェリアが引っ張る。その先には……あの神社。
百合の花が、花壇に咲き誇り……そして、その前のベンチにて。
「……なお……み?」
「なっ……理恵!」
凛、歌乃、瑞姫に連れられ、新百合ヶ丘理恵がそこにいた。
「お二人を仲直りさせるようにと、霞ヶ関先生から言われましてね。さあ、まずは再開の握手です」
シェリアが二人の手を引き、互いに握手させる。だが、握手をしても……奈緒美は口を開かなかった。
皆に囲まれ、しばらくの間沈黙が。やがて、理恵が沈黙を破った。
「……あの、ね。聞いたよ。その……アウラの適正とか、交換留学とか、引っ越しとか……その……お見合い、とか」
お見合い。その言葉を理恵が口にすると、奈緒美はびくっと身を震わせた。
「それと、ほら。この人たちに、見つけてもらったの」
そう言って、理恵は見せた。新書版全九巻を。
「ねえ……わたしが何か、嫌われるような事したなら謝るよ。けど……お願い。何があったのか、話して?」
「……それ、読んだ? なら……そういう事だよ」
「え?」
「あたしも、それ持ってて……もう読んだんだ。読んだなら、わかるだろ? そういう事……だよ」
明らかに、何か辛そうな表情を浮かべつつ……奈緒美は理恵から視線を外した。
「……あたし、ちょっと前に……うちの近くにあった古書店で、偶然見つけたんだ。読んだなら、ネネコと百合恵がどうなったか、わかるよね?」
撃退士の皆も、ラストがどうなったかは読んでいた。
この世界と人の運命を決めていた「神」に対し、ネネコと百合恵が戦いを挑む。百合恵がネネコと対立したのも、「神」が仕組んだ事。それに憤ったネネコと百合恵は、互いに協力し「神」を倒すも、現世と異世界の扉も壊れ……百合恵はその命と引き換えに、ネネコたちを元の世界に戻す。
「……運命に立ち向かっても、結局死んじゃうなら、意味なんかない。あたしと同じ、自分の望みを口にしたって、それがかなわないんなら……百合恵と同じ! 意味ないよ!」
「意味ない? それは、どうでしょうか」
奈緒美へと、凛が言葉をかけた。
「遠くに行ってしまうのなら、それでもつなぎ続けられるのが、本当の縁……そうではありませんか?」
「そうだよ。お節介だけど……言わせてもらうわ」
凛に続き、瑞姫も声をかける。
「あのさ、奈緒美さん。言いたい事は言った方が良いよ。後で後悔したって……手遅れなんだしさ。そうならないためには、言って後悔した方がいいんじゃあないかな?」
「……」
瑞姫の言葉に、奈緒美は口を開きかけた。
「……奈緒美……わたしの事、嫌いになったの?」
「!」
理恵が語りかける。すると……目に見えるほどに、奈緒美はびくんと身体を反応させた。
「いつも一緒にいるのが……お節介なのが、迷惑だと思ってる?」
「……そんな、事……無い」
理恵の言葉に、奈緒美が口を開いた。まるで重たい扉が、開いていくかのように。
「そんな事、無い! 迷惑なんかじゃない! 嫌いなんかじゃない!」
「じゃあ、どうして……」
「逆だよ! 好きなんだよ! ……理恵が、好き……大好き!」
その一瞬。
その場の空気が、止まったような気がした。
「……なるほど、そういう事でしたか」
凛が、止まった空気を再び動かす。
「え? どういう事?」
唯一、グレイシアだけが「何が起こったのか」と、首をかしげていた。
「つまり、奈緒美さんは理恵さんの事が好きだった。それが恥ずかしくて、離れていたわけですね。なるほど」
納得したとばかりに、歌乃は優しく微笑み、うなずいた。
「……どうして」
当事者の理恵も、言葉を失っていた。が、奈緒美からの告白を受け、逆に問いかけていた。
「どうして、言ってくれなかったのよ。わたしの事が、その……好きだって」
「だって……り、理恵に……嫌われると、思ったから……」
「嫌う? どうして?」
「だって! 女の子同士だよ? 普通じゃないじゃない! 気持ち悪いって、普通だったら拒否するに決まってるよ! そ、それに……」
「それに?」
「それに……理恵の近くにいると……その……我慢、できなくなっちゃう……から……」
語尾が、どんどん小さくなっていく。
「好きで好きでたまらない相手。そんな相手に、自分の気持ちを悟られたくないし、一緒に居たら何をするかわからない。だから、あえて距離を取っていた……ってところかしら?」
瑞姫の言葉に、奈緒美は図星を突かれたかのように赤面し……理恵から目をそらす。
「で、それに加えてアウラの適正やら、留学や引っ越しやお見合い。このままでは、理恵さんから本当に離れてしまう。こんな事、誰にも相談できない。だから悩んでいた……そういうわけでしたのね」
泣きそうな顔になった奈緒美は、シェリアの言葉に小さくうなずいた。
「……ばか」
小さく、理恵は怒ったような口調で……奈緒美に詰め寄った。
「ねえ、知ってる? 文庫版の『百合の扉を開けて』。このラスト……奈緒美のとは違うんだよ?」
「え?」
「最後に『神』と対決し、倒すまでは同じ。けどその後で、百合恵は命を落としかけるんだけど……ネネコの最後の力……『また、百合恵と会いたい』って願いで、助かるんだよ?」
「そ……そう、なの?」
向き合った奈緒美に、理恵は更に言葉をかける。
「運命に立ち向かう事は、決して無駄じゃないって事を、ネネコは百合恵に教えたかった。文庫版で作者の荒井元子さんは、それを伝えたいから加筆したんだって。だから……わたしも、奈緒美に教えてあげる」
「り……え……?」
理恵は、静かに……自分の唇を、奈緒美のそれに重ねた。
「女の子同士でも……奈緒美だったら……いい、よ」
わたしも、奈緒美の事が好き。
奈緒美は、理恵がそう言うのをはっきり聞いた。
後日。
奈緒美は結局、留学もお見合いも断り、引っ越しもせず、一人暮らしする事に。
そして、近々に久遠が原へと転校し、撃退士としての鍛錬を積む予定だという……理恵を守るために。
「才能があるなら……それを伸ばして。近くにはいられなくても……わたしの心は、いつも奈緒美と一緒だから」
「うん……あたしに力があるなら……その力で、理恵を守れるようになってみせる。そして……必ず、迎えに行くから」
「ええ、わたし……ずっと、待ってるよ」
「手に手を取り、夜越し互いを切に想い、再会の日を夢に見る。そんな二輪の百合……なんて、可憐な事」
二人の顛末を聞いた時、凛は静かにつぶやいた。
彼女たちには、更なる苦難の運命が待ち受けているだろう。だが……それでも、強く咲く花であって欲しい。そう思う一同だった。