晴天の空は気持ちの良い青色が広がり、周囲の耕作地もまた広々。漂う土の匂いは、田舎ののどかさすら覚える。
が、撃退士たちの目前に広がる「山」からは、何者かが平和な空気を汚し、別のものが侵食するかのような、嫌な気配を漂わせていた。
「何か」が、潜んでいる。それを実感し自覚すると、嫌な気配が更に増してくる。
「……なんだか……こわい……」
黒崎 ルイ(
ja6737)は、山からの気配を受け止め、その感想を述べた。
数時間前。
撃退士たちは、フンベ山へと向かう前に情報収集をしていた。
「ああ、最近のフンベ山の事かね?」
近所に住んでいる老婆へと聞き込みをしていた時。「フンベ山」という単語が出るとともに、老婆が浮かべていたにこやかな表情は消え、代わりに嫌そうなそれになった。
「はい。何か変わった事は無かったか、ちょっと聞いても良いですか?」
天羽 伊都(
jb2199)が、老婆へと尋ねる。
「……そうだねえ。まあ、別に怪しい人は来なかったねえ。このあたりはこの通り、なーんもないところだから、誰か来たらすぐに噂になるもんなんだけど……」
周辺の人間たちから得られた情報は、役立ちそうにないものばかり。この老婆もその例にもれなかった。
……と思っていた。
「ただねえ。『変なもの』なら、ちらっと見たよ?」
「? へん……な……もの……?」
伊都とともに聞き込みをしていたルイが、その言葉に反応した。
「こないだ、野良仕事を終えてフンベ山の近くを歩いていたんだけど……」
「……車道の車のライトの光を浴びて、大きな鎌みたいな『影』を見た……、か」
「確かに、変だな」
伊都の言葉を聞いて、聞き込みの内容を思い出したリリル・フラガラッハ(
ja9127)は、改めて目前のフンベ山へと視線を向けた。おそらくは、その影とやらが老人を殺した犯人だろう。
刃物を持った人間か、あるいは天使か、冥魔か。それとも……!?
「……まあ、鬼が出るか、蛇が出るか。なんにしても、やる事に変わりはないわ。さあ、ハッピーエンドを届けに行きましょう!」
うらは=ウィルダム(
jb4908)の言葉に、Sadik Adnan(
jb4005)がうなずく。
「そうだな。まずは、現場に行ってみようぜ。」
「さて、と。それじゃあ行きますか」
アリッサ・ホリデイ(
jb3662)の言葉とともに、立ち止まっていた皆は、再び一歩を踏み出した。
フンベ山は、そう高くない。山というより「丘」程度の高さしかないのだ。ゆえに、開通している散歩道を三十分も歩けば、頂上へと付いてしまう。
事件現場の温泉施設は、その麓にある。といっても、これもまた「施設」と呼ぶほどの立派なものではない。小さく粗末な小屋がぽつんと立っているだけで、利用者は勝手に入って勝手に入浴できるしろもの。
が、その小屋に接近するとともに、撃退士たちは徐々にある「におい」が強くなってくるのを実感した。
風とともに、「におい」が運ばれてくる。遠くの畑や牧場から放たれる、土や干し草、動物やその糞の「におい」が。
しかしそれらに混じり、むせかえるような不吉な「におい」が、撃退士たちの鼻腔に入ってきた。
「血」。
それも、かなり多く。
「ここか……」
第一の現場……、無料の温泉小屋へと到着し、リリルが口を開いた。
血の臭いとともに、腐敗臭も漂い来る。その源へと、皆は視線を向け……後悔した。
犠牲者の臼井老人、ないしはその首なし死体が転がっており、腐敗しはじめたそれに蠅がびっしりとたかっていたのだ。
「これ、は……」
そこまで言って、リリルは言葉を失った。そして、無残な姿の遺体を見て……気持ちを改めた。
この事態を起こした「敵」に対する、怒りの気持ちを。
「……本当、三流サスペンスも真っ青だね」
アリッサもまた、この状況を見て顔をしかめている。
「? なあ、あれは?」
Sadikの言葉をうけ、アリッサは目を向けた。蠅の群れの中に、ひときわ大きな蠅がいたのだ。
いや、それは蠅にしては大きすぎた。少なくとも、普通の蠅と比べたら十倍……いや、百倍以上は大きいのではないか。黒光りする体躯は、まるで鎧を着こんでいるかのよう。
よく見れば、それは「蠅」ではない。頭部に角があり、甲殻で全身を覆った蠅など、いるはずもない。「蠅」に見えたそれは……カブトムシだった。そいつはまるで、蠅の群れをかき分けるかのようにして、死体へと止まった。蠅はまるで、虫の王族にかしずく雑兵のよう。そして王の角は、禍々しくねじれ、そそり立っていた。
カブトムシは一匹だけではなかった。二匹目、三匹目が森の奥から飛んでくると、次々に死体に止まったのだ。
「!?」
異様。
その様子を形容するには、その単語一つで十分。止まっているのが「惨殺死体」である事を差し引いても、その情景は異様だった。
しばし、沈黙が流れる。蠅の羽音のみが響く中、沈黙を破るは召喚の言葉。
「……キュー、出てこい」
Sadikの命に従い、召喚獣……ヒリュウが現れた。
「……判別、させてもらうぜ! キュー……いななけ!」
主人の命を受け、ヒリュウがいななく。その喉からほとばしる超音波の咆哮が、死体にたかる異様なる虫へと襲い掛かる。
「………!!」
放たれた超音波は、黒の群れに突き刺さった。そして、黒の群れの羽音が一瞬、止まった。
その場にいるすべての蠅が、地面に落ちたのだ。だが、カブトムシだけは……もぞもぞと動き続けている。
「くそっ! 只の虫じゃねぇっ!」
Sadikの叫びとともに、撃退士全員が身構えた。それと同時に、カブトムシ十匹すべてが翅を広げ、空中へと飛び出した!
有能な戦士は、あらゆる状況において、戦いの場では常に最善の行動をとる。彼ら撃退士もまた、その例にもれない。
伊都は双眸を金色と化し、黒き炎の焔を両腕にまとい、携えていた剣と盾……ツヴァイハンダーとアドゥブルブクリエとを構え、突撃した。
敵は十匹、その大きさは角を入れ約20?。角は鋭く、まるで槍。空中から角を下げて突撃する様はまるで、黒い爆弾による爆撃。
だが、伊都よりも早く、琥珀の戦士と化したリリルが、魔法書……アルス・ノトリアを掲げた。
「……琥珀の世界は、貴方たちを逃がさない」
書物から、光の羽が放たれる。それは突撃するカブトムシへと直撃し、数匹を落とした。
「キュー、下がってろ! 出番だぜ、ゴア!」
Sadikのヒリュウと入れ替わりに、ゴア……彼女のティアマットが召喚される。
「やれゴア! 暴れろ! サンダーボルトだ!」
「ゴア!」
ティアマットは己の名を吠えつつ、飛ぶカブトムシへと飛びかかった。その腕で殴りつけ、その尻尾で弾き飛ばす。
たちまちのうちに、さらなる数匹がその攻撃を受け、麻痺とともに地面に落ちた。
「はっ!」
更に一歩進み出て、伊都が剣を振るい、その刃にて切り付ける。
異様な状況とカブトムシの姿とにやや気圧されていた撃退士たちだったが、いざ戦闘に入ると、それは杞憂に終わっていた。飛行できるとはいえ、カブトムシの類が有する飛行能力は高くはない。重い体を空中に浮かばせ、直線を一気に飛ぶのが精いっぱいであり、着地もぶつかるのと大差ない。故に……有能な戦士ならば、その飛行を見切る事は容易!
剣で薙ぎ、盾で打ち付ける。十匹のカブトムシ……後に冥魔・デスビートルと判明した怪虫の群れは、撃退士により引導を渡され、その動きを止めた。
「……んー、兜割り使うヒマなかったなー。カブトムシなだけに、兜割りなんつって」
アリッサの軽口が、カブトムシとの戦いが終わったことを皆に伝えていた。
「……よしキュー、ご苦労だけどもっかい頼む。いってこい」
ヒリュウを再び召喚し、Sadikはそれをフンベ山へと飛ばした。
撃退士たちは、カブトムシと交戦し、「確信」を得ていたのだ。
「このカブトムシは冥魔だが、老人の首をはねた犯人じゃあない」という「確信」を。
「……角の形状からして、あれで『刺突』はできても、『切断』は無理、だな」
「そうだねー。それに……」
リリルの言葉に、うらはがうなずき答える。
「それに、このおじいさんの死体。この傷も裂傷というより、カブトムシの角で突かれて、ひっかかれたそれにそっくり。となると、まちがいなく首をはねたのは……」
別の存在。
皆まで言い終わる前に、うらははそれを悟った。
そして数十分後。撃退士たちはフンベ山の登山者となっていた。上空からは、召喚獣キューが主人の命令通りに偵察をしている。が……、フンベ山は草木が多い。上空から偵察しても、生い茂った木々の枝が、視界を阻んでいる。
「……ったく、ほんと無駄に木が多いなー。こっからじゃあほとんど地面見えないじゃん」
時折、アリッサも、自前の「闇の翼」で空中へと飛びあがる。だが、結果は同じ。
「……どこに、いるの、かな……」
ルイがつぶやくも、山はそれに答えを出さない。
やがて、しばらく歩いたのち。
頂上近くにて、真っ二つにされた野良犬の死体が転がっているのを、皆は発見した。
「……こわい……ひどい……」
死体を見て、ルイは言葉を口にした。
それは、感情を感じさせない一言。しかし同時に、何かへの怒りもこもった一言。
が、それはルイだけが感じたものではなかった。
「……何かが、いる?」
リリルが、全員の気持ちを代弁するかのように口を開く。
立ち止まった6人は、警戒しつつ周囲へと視線を向けた。いる、何かがいる。何かが、すぐ近くに潜んでいる。先刻の「異様」な空気、それを生み出す存在が、近くに隠れている。
間違いない。おそらくは……これが真犯人?
「……くる!」
ルイの声とともに、近くの藪から「それ」が現れた。目に見えぬ脅威が、目に見えるようになり、その姿を今まさに現した。
藪をかきわけて現れたのは、巨大な二つの刃。そして……それを支える、華奢な緑色の胴体。逆三角形の頭部と、せわしく動く口元。
刃は、あともう二つがあった。すなわち、敵は二体。
緑色の細長い体は、人の背丈ほどはあるだろう。目前の怪物は自らの細長い体を利用し、木々の中に紛れ込んでいたのだ。
その怪物ども……すなわちラージマンティスは、鎌を振りかぶり、襲い掛かってきた!
撃退士の少年少女たちは、老人を殺した犯人が誰かを理解した。理解には時間がかかった。三秒も費やしたのだ。
もう一秒を用い、己の体のアウラを動かす。敵を倒すための戦士として、己を覚醒させる。
「……!」
最初に放たれた攻撃は、ルイによる無数の氷の錐。
氷の錐が、まるで刃の吹雪がごとく発射された。黒き装束の放つ白き煌めきが、山中の緑色に存在する白昼の闇へ、悪夢のカマキリどもへと容赦なく突き刺さる。耳障りな鳴き声を聞くと、ルイは自分が放った「クリスタルダスト」の効果があったのだと実感した
「ほらよっ! 私からもプレゼントだ!」
ルイの隣にいたアリッサが、次なる攻撃を。彼女もまた携えていたアルス・ノトリアを……リリルと同じ魔法書の力を発動させ、二匹目のカマキリへと放つ。
光の翼がカマキリへとぶち当たり、吹き飛ばし、引導を渡した。
「へへっ、ちょろいもん……」
「アリッサさん! 上だ!」
リリルの警告は、間に合わなかった。アリッサの真上に潜んでいた三匹目のカマキリが、今まさに飛びかかってきたのだ!
「うおりゃあーーーっ!」
が、アリッサを雄叫びとともに救った者がいた。烈光丸を手にしたうらはだ。
刃の一撃を空中で受けたカマキリは、そのまま回転し地面に転がった。胴体を切り裂かれ、体液がほとばしる。
それでもカマキリはまだ死なない。立ち直り、脚をせわしく動かしつつ、6人の撃退士へと鎌をふりかざす。
「!」
カマキリが攻撃の矛先を向けたのは、Sadik。彼女の首をはねんと、その鎌を振りかざした。
「……丸腰と、思ったか?」
だが、武器を手にしていない彼女は、不敵に微笑んだ。武器を持たぬまま、両腕をかざす。
急接近したカマキリが、鎌の一撃を彼女の首にかけようとした、その瞬間。
「……あめぇんだよ! 潰れちまえ!」
身の丈以上に長大な、ディバインランス。それがSadikの両手に現れ、カマキリの胴体を貫き、切断していた。
鎌を痙攣させ、カマキリはそのまま……こと切れた。
「ふーっ、いいお湯」
心地よさげに、アリッサは湯船に体を預けている。
事後。
撃退士たちは、温泉に浸かっていた。
カマキリ三匹を仕留めた後、可能な限りフンベ山内外部を調査したが、怪しきものは見つからなかった。
が、少なくとも事件前に漂っていた「嫌な気配」、「異様な雰囲気、におい」、といったものは消えていた。そこから「確信」した。今回の事件が、解決しただろうという確信を。
その事を今回の依頼人に報告すると、彼、九朗は、いきつけの温泉へと案内してくれたのだ。
現場の無料温泉施設は使えなかった。まだ遺体がそのままだし、何より人が死んだその場所でのんびりするのは気分的に抵抗があった。加えて、無料温泉は一度に入れるのは一人から二人程度の小さな湯船。あまり楽しめそうなものではなかった。
「あの、温泉でしたら僕が知っている温泉にご案内しますよ。勿論利用料は僕が支払います」
その言葉に甘えて、撃退士たちは温泉に浸かっていたのだった。
利用者は彼ら以外におらず、まさに貸し切り状態。広い湯船を、撃退士たちは堪能していた。
「いやあ、ニポンジーンはお風呂好きだよね、私も嫌いじゃないけど」
温かいお湯が、アリッサの肢体を包んでいる。適度な熱さが血行を刺激して、戦いの疲れが癒されていくのを感じていた。
「まったく、一仕事した後の温泉はいいわねえ。でしょ、伊都?」
大きな声で、うらはは男湯の方へと声をかける。
『はい! ……全くいい湯っすね〜、心も身体もリフレッシュ♪』
伊都からの返答が、壁から響く。今彼は久郎と一緒に、男湯に入っていたのだ。
「うーん、なんだか気分良すぎて、ちょっと眠くなってきたなあ」Sadikが、欠伸交じりに湯船で伸びをした。
「だねえ……ルイさん? そんなに離れて、どうかした?」
「べ……べつに、なんでも……」リリルの言葉に、ルイは恥ずかしそうに体を丸める。刺青の入った肌を見られる以上に、みんなで一緒に裸になりお風呂……というのが、ちょっと恥ずかしかったのだ。
「……あのお爺さんも……こんな風に入ってたの、かな……」
「……アリッサ?」
うらはに問いかけられ、ぼうっとしていたアリッサは我に返った。
「あ、なんでもないよ。ノボセそうだけど、あー、もうちょっと入っとこうか、うん」
そう、もうちょっとだけ。あのおじいさんの仇は取った。これ以上、フンベ山でこんな事が起きる事は無いだろう。
アリッサは目を閉じた。そして、あの老人の冥福を祈りつつ、心地よい温かさに包まれていた。