静かだった。
廃墟と言うものが全てそうであるように、「生命」の気配が、「そこ」には存在していなかった。
かつて「そこ」には、人が勤め、人が寝起きし、人が治療を受けつつ生活していた事は確か。だが、癒す場所だったはずの「そこ」に今あるのは、「空虚」な場所。虚ろにして空しさが漂う場所。
過去には「恩田サナトリウム」という名の場所に、撃退士たちは……足を踏み込んでいた。
「……まるで人の気配が無いね」
周囲を見回しつつ、雪室 チルル(
ja0220)が感想を述べる。他の五名も、彼女と同様に油断なく周囲を見回し、警戒し、注意しているものの……やはり感想は同じだった。
「どんな具合だ?」
花菱 彪臥(
ja4610)が、佐藤 としお(
ja2489)へと声をかける。
佐藤は既に、召喚獣ヒリュウを召喚、先行させていた。視覚を共有させており、ヒリュウの視線を己が視線として、建物内部を見て回っていたが。
「いや……今のところは、怪しいものは見当たりませんね。玄関口のエントランスホールを見て回りましたが、動くものは全くないです」
唯一見つけたのは、血痕。おそらくは、恩田が襲われ、最後を迎えた時のものだろう。
「……?」
「どうした?」
何かに気付いたかのように、浪風 威鈴(
ja8371)が宙を仰ぐ。それを見て、浪風 悠人(
ja3452)が尋ねた。
「……人の、だけじゃあなく……生き物の、気配がない……」
「…………確かに。そうだな」
威鈴の言葉を聞き返そうとした悠人だったが、彼女の言わんとする事を理解し、それを肯定した。
周囲は森林。そこには様々な動物が生息して然るべき。そして管理者の居ない廃墟なら、入り込んで巣を作ったり、自分のテリトリーにしてもおかしくない。
なのに……動物らしきものが入り込んだ痕跡が、全くない。加えて……「虫」もいない。
野生の動物は、この廃墟に何か危険な存在を感知し、近づいていないのだろうか。
だとしたら、その「危険な存在」とは何か?
「……ま、ここであれこれ言ってても始まんないからな。行きますか」
嶺 光太郎(
jb8405)の言葉に従い、撃退士たちは……目前の玄関から、中へと足を踏み入れた。
「……クリア。この先、大丈夫みたいですよっと」
ヒリュウの視界が、佐藤の視覚となり、人気のない埃だらけの屋内の様子を映し出す。
廃墟を進む撃退士たちは、さながら地下迷宮を進む剣と魔法の冒険者パーティのよう。暗い廊下の先へと、ライトスティックを持ったヒリュウは、その光源であちこちを照らし、時には光源を遠くに投げたりして、視界を確保する。
廊下を、奥へ、奥へと進みつつ……佐藤は、一時間ほど前の、最後の打合せを思い出していた。
…………………………
「確認しますけど、謎々の答えは『29』で間違いないですね?」
「ああ、間違いないでしょう。チルルさんも言っていたけど、クイズの答え……ちょっとした計算したら、全部に当てはまる数字は『29』。それで間違いないと思うよ」
佐藤の問いに、悠人が答える。
「で、作戦内容は……」
:回収・護衛・遊撃の役割を皆で決めておく。
:全員で、お金のある部屋まで、最短距離で(29番室まで)移動。
:到着したら、室内および周辺の敵を排除。安全を確保後に室内捜索。
:お金を回数した後、撤退。その間、悠劇薬は周辺を警戒し、ルート上の安全確保。
「……っと、こんな感じよねっ」
元気はつらつ……といった感じの口調でチルルが口走る。
しかしそれと対照的に、嶺は胡散臭そうにつぶやいていた。
「とはいえ、ネットやら市営図書館やらで調べてみたが。ここはかなり杜撰で、色々と問題やら医療ミスげな事件は起こしてたのは事実っぽいな。『鳥』……に関する事は、全く見当たらなかったが」
加えて、1〜50番室のある棟は、土地の真ん中に立っていた。つまりは、サナトリウムの表と裏、両方の門から入ったとしても、距離は同じ……という事だ。
さすがに内部の見取り図まではネット上には無かったが、概要図を図書館で手に入れる事は出来た。とはいっても、あくまでも大雑把な概要が記されているのみだが。
「……ま、調べたところで、やるこたぁ大して変わんねぇけどな」
……………………
回想を終了させ、佐藤は改めて現在の状況を確認する。
現在、自分たちは二号棟に居る。玄関および、玄関エントランスがあるのはここ。
ヒリュウを先行させてわかったのは、このサナトリウムは四つの、数階建ての棟が中庭を囲うように建っており、それぞれ二、三、四と表面には書かれている。
そして、一号棟は、四つの建物に囲われた中庭の、中心部分に建っていた。
中庭から一号練には、行けられない。二階までの扉や窓が、鎖や鉄板やらなにやらで塞がれ、固く閉ざされているのだ。
しかし、三階あたりの階から、すべての棟に大きな渡り廊下が設置。そこを通っての行き来ができるようになっていた。
中庭に出たヒリュウに周囲を偵察させた結果……「三階に昇り、そこの渡り廊下から一号練に侵入する」事になった。
ここまで、「敵」が出てくる様子は無い。何も脅威な存在も、邪魔する何かも出てはきていない。
なのに……佐藤は胸騒ぎがしてならなかった。
いる。まだいる。まだ何か、不安を掻きたてる「何か」がいる。「そいつ」は確実に存在し、おそらくは自分たちが接近しているだろう事も感づいているはずなのに……「そいつ」の存在をこちらは感知できなければ、同時に何者なのかの予測もできていない。
だがそれでも、進むしかない。ひょっとしたら、「敵」が出てこずに済むかもしれない。
甘い期待だが、そうなってほしいと思いつつ……佐藤は先へと進んだ。
「しっ! ……来ます!」
渡り廊下のある階に昇った、その時。
廊下の奥から……ひたひたと何かが来るのを、佐藤はヒリュウの目を通じて見た。
すぐにヒリュウを下がらせ、全員が身構えた。
ひええっと、花菱がおののく。
「……『鳥』や『少女』……じゃないですね……?」
悠人が指摘した通り……近づきつつある『それら』は、目撃証言とは異なっていた。黒い闇の中から現れたのは、白く浮かび上がった……5、6体の「骸骨」。
家具から取ったらしい木の棒や鉄パイプ、さび付いた包丁やメスなどを握り、じりじりと迫ってくる。
異様な姿をしているが……撃退士たちの敵ではない。
吠えるように、挑みかかるように、歯をむき出す骸骨の群れ。
「い、いくぜーっ!」
震える声で、花菱が先陣を切りコンポジットボウを、洋弓を構え、矢を放つ。
包丁を振り上げた骸骨の一体が、砕かれて白い埃を吹きあげた。
「……いく」
威鈴と悠人もまた、和弓「天波」を構え、撃つ。鋭い矢の雨が、更に骸骨に襲い掛かり……骨を砕き、灰と化した。
が、骸骨は恐れを知らぬかのように、ずるずると動き、接近してくる。
「先手必勝! いっくよーっ!」
チルルが突撃した。広い廊下を、構えた大剣……ツヴァイハンダーFEを振り回し、叩き付ける。
強烈な一撃で、骸骨は砕け、吹き飛んだ。やがて、一分弱ほどすると……。
骸骨兵士たちは、物言わぬ骨と化した。
「えへへっ! なんだよ、あたいの敵じゃあないね! 楽勝楽勝!」
チルルが勝ち誇る。
確かに彼女の言う通り、あまりにあっけなく、あまりに手応えが無かった。
が……それでも、この骸骨は「人形」でも、「少女」でも、「鳥」でもない。それらと対峙した時に、このように「手応えが無く終えられる」か。
不安が、再び撃退士たちに染み込んできた。そして……。
静寂が戻ったサナトリウム内を、再び彼らは歩き始めた。
「……なんだ、ここは」
佐藤が、思わず声を出す。
渡り廊下を通り、一号棟の一階に降りると。全員が感じ取っていた。
「重たく」「濃密」になっていたのだ……その場所の空気が。
まるで空気自体が、否、その場所、もしくはその空間そのものが、邪悪にして憎悪の塊のよう。全員の五感から感じ取れるのは、嫌悪と警告……「この場所に居てはならない」「すぐに遠くまで逃げろ」という「危険信号」。
チルルですら、説明できない不安に脂汗を流している。
「………こ、怖くなんて……な、な、な……ないんだから、な……」
などと言いつつ、花菱の身体は震えが止まらない。
「……くっそ、マジに面倒くせぇ」
ぎりっと歯噛みし、嶺は気圧されつつも……先に進む。彼につられて、他の皆も更なる一歩を踏み出した。
29番室は、この一階廊下の先。一本道の廊下は、光源は撃退士たちが持つランタンやライトスティックなど以外なく、暗闇に閉ざされている。……窓は全て、鉄板で覆われ、締め切られていたのだ。
ひたひたと、先に進み続け……。
やがて、一行の目前に「29番」と大きく描かれた扉が。
何かは知らないが、濃密な「気配」がする。何かがいる、存在する。そんな、本能めいた「警告」が、皆の心の中に響き渡る。
全員、言葉は無く……戦いに向けた「気迫」を己の身体にたぎらせた。
ストレイシオンを召喚した佐藤は、そっと……扉を開けた。
「!」
中は……がらんとした大きな部屋。壁沿いに、ロッカーが置かれているのみ。
おそらくは、元は更衣室か何かだったのだろう。そして、扉の真正面には、半ば口が開いたロッカーがあり……そこには、見えていた。
真新しいボストンバッグが。
全員、注意深く部屋に踏み込む。濃密な気配は、徐々に大きく、強くなってくる。しかし……何かが接近しているような感覚を受けつつも、ランタンやライトスティックの光は、何も照らしださない。接近する何かの姿を見せない。
「……どうやら、現金はこれで間違いないね。それじゃ……」
ボストンバッグの中身が、やや汚れた札束だと確認したチルルは、口を閉めてバッグを持ち、立ち上がった。
が、それと同時に。
いくつかのロッカーが、いきなりガタガタと音を立て……その戸を開いた!
「!」
いきなりで驚いたが……撃退士たちはすぐに、その精神を戦闘に赴くそれに変化させる。
一番近くのロッカー。それを覗きこむと……。
「……いる! ロッカーの中だ!」
嶺の言葉とともに、全員がチルルを囲み、身構えた!
ロッカーの内部から、「人形」が……様々な形の、薄汚れた「人形」が飛び出し、床に立つ。
それらは全て、市販されているようなごく普通の人形。こんな場所でなく、こんなに薄汚れていなければ、子供が欲しがるような外観をしたもの。
しかし、それらには例外なく……異常なまでに長い「髪の毛」と、怪しく光る「眼光」とが備わっていた。
そして……扉の外。廊下から……。
「少女」が、姿を現していた。
「少女」は、見たところごく普通の……まったく怪しい点など見られない外観。
年齢はおそらく、多く見積もっても7歳より上ではないだろう。薄汚れた白のワンピースが、蒼白な皮膚を覆っている。
が……「少女」からは普通の子供なら持つ「生命感」が、全くなかった。温かみも、子供らしさを感じさせる何もかもが、全て欠けていた。
まるで「死体が動いている」ような、そんな感覚。命持たぬ「人形」が動いているような、そんな印象。
「少女」は、「人形」たちの女王のように、部屋に入ると……皆を通さない、帰さないかのように、両手を広げた。
それとともに……「人形」たちも、撃退士たちへと襲い掛かってきた!
「……はっ!」
最初に動いたのは、威鈴。
チルルのすぐ傍まで移動した彼女が、「クレセントサイス」を放つ。三日月がごとき真空の刃が、おぞましき人形どもへと襲い掛かり……数体の髪と胴体とをズタズタに切り裂いた。
「くけけけけけけ!」
だが、その攻撃を避けた別の人形数体が、別方向から撃退士へと迫る。奇声とともに髪を振り乱すその様は……悪夢そのもの。
「行け、ストレイシオン!」
だが、悪夢の人形に挑む術を撃退士・佐藤は有していた。召喚獣・ストレイシオン……暗青の鱗を持ちし有翼の龍が立ち向かい、迎え撃つ!
牙が人形を噛み砕き、尾が人形を叩き潰す。踏み潰された人形の一体は、龍の爪で引き裂かれ、動きを止める。
花菱もまた、おっかなびっくりコンポジットボウで矢を放ち、接近してきた人形に対し悠人もゼルク……細い鋼糸にて絡めとり、切り裂く!
彼のゼルクに、人形の数体が黒髪を絡ませて対抗するが、結果は悠人の勝ち。光が闇を切り裂くかのように、不気味だった人形は、徐々に不気味な人形の残骸と化し、崩れ落ちていった。
だが。
一瞬で駆け出した「少女」が、素早くチルルへと踏み込む。
そして、チルルへと接近していく彼女は、その一瞬の間で……小さな胴体、しかし鋭い嘴と大きく広がった翼とを持つ「鳥」へと、己の姿を変化させた。
嘴の切っ先が、チルルへと迫る……!
「ぐっ!」
しかし、傷を負ったのは……悠人だった。
「『庇護の翼』……間に合ったようですね」
負傷を肩代わりした彼の身体から、血が流れる。が、こんな事は織り込み済み。後でライトヒールをかけてもらえれば、全快できるだろう。
「それ以上は行かせねえぜ! 『影縛り』!」
掛け声とともに、元「少女」だった「鳥」の動きを止めた嶺は……接近し、足甲リリスレガースを装着した足で、必殺のキックを放つ。
禍々しき「鳥」の身体に、自身の放った一撃が確実にダメージを与えた事を、嶺は実感した。
「……『ダークブロウ』」
嶺に続かんと、天波を構えた威鈴が、闇の力を纏いし一撃を解き放った! その線上に存在していた「鳥」、そして「人形」とが、その一撃の前にさらされ、暗闇が支配する室内に、更なる闇の一撃をもたらした。
叩き付けられるように、後ろに倒れた「鳥」は、「少女」の姿になった。
その隙に……チルルはカバンとともに室外へと脱出。他の撃退士たちもそれに続く。
「鳥」に変身していた「少女」……「モー・ショボー」は、去りゆく撃退士たちを見つつ……悟った。
己の意識が失われつつあるのを。そして、命も失われて消えていくのを。
「みなさんのおかげで、娘は……助かりました」
後日。
撃退士たちにより回収された現金のうち、青池の盗られた分が返還。青池はその現金を持ち、すぐに病院に向かい……適切な治療を依頼。
結果、娘は回復し、事なきを得た。今は入院し、治療に専念している。
その報告にと赴いた青池は、撃退士皆に何度も礼を述べ、頭を下げていた。
「こちらも、事後調査によると……あそこにはもう何もいません。で、近いうちに取り壊され、更地にされるとの事です」
佐藤の言葉に、安心したかのようにうなずく依頼人。これでもう、この父娘は誰にも脅かされないだろう。そう思う撃退士たちだった。
取り壊しが決まったサナトリウム。
その建物の、窓の一つ。
そこには人形が一つ、ぽつんと置かれ……窓の外を見つめていた。