「……つまり、こういう事? 目撃されてから、被害が出るまでの日数は、今じゃ一週間に一度程度になったと」
フローラ・シュトリエ(
jb1440)の問いかけに、担当の鑑識官はうなずいた。
「はい。最初の事件……というのが何かははっきりとは定義できませんが……最近の、明らかにこの「影」が犯人と思しき事件に関しては、そう結論付けて間違いないと思われます」
警察署の一室にて、この事件に関する資料全てを広げ、撃退士たちは思案していた。
「獲物が人間になる直前に、獲物にされた動物は……こちらの小さな牧場で飼われていた、牛……って事で間違いはないんですね?」
御門 彰(
jb7305)が問いかける。彼女の手には、猟奇的な写真があった。
……無残な牛の死体。腹部が抉られ、内臓が抜き取られている。報告書によると、肝臓や腸などが乱暴に引きちぎられ、食い散らかされていたらしい。
同席していたフローラ、そして月隠 朔夜(
jb1520)もそれを見て、気分が悪くなった。
「……人間の犠牲者も、牛と同じく内臓を……抜かれていました」鑑識官が、更に気分の悪くなる事実を告げた。
この事件、遡ると野良の犬や猫、飼われている犬猫や家畜などから始まったらしい。と言っても、普通の動物の仕業と思われていたため、こんな事件に発展するなどまったく予想できなかったとの事だ。
しかし、普通の動物がこんな事が出来るわけがない。こんな事件を起こせるわけがない。もし起こせるとしたら……それは人間か、あるいは……天魔。
「凶器は? どんな凶器でこんな事をしでかしたのかはわかりませんか?」
御門の質問に、また別の写真が差し出された。
「凶器は、非常に鋭利な『何か』としかわかりません。この痕跡を見ていただくと分かりますが……『刃物』じゃあないです」
「なんですって?」
「切断面から、金属の反応がありませんでした。加えて、切断部の形状から、もっとも近いのは『爪』ですね。動物の『爪痕』に最も酷似している痕跡でした。しかし……そうなると、おかしい点がいくつかあります」
「というと?」
「これが爪痕だとしたら、大きさから考えると、該当する動物は『熊』くらいしか考えられません。ですが……この地域には、クマの生息地域からは離れています」
「じゃあ、動物園から逃げたとか、でしょうか?」
朔夜の言葉に、鑑識官はかぶりを振る。
「いいえ、すべての動物園やサーカスなどをあたりましたが、それに該当する事件はありませんでした。個人がこっそり飼っているものが逃げた線からも調査しましたが、そちらも空振りで。それに……もう一つ」
鑑識官が、顔色を青くしながら、言葉を紡ぎ出す。
「犠牲者たちの遺体の傷痕は、どう調べても、熊のそれとは合致しないのです。熊の爪では、こんな傷痕は出来ません。仮に熊、または未知の猛獣の仕業だとしても……」
犠牲者たちの一部には、臓器や手足を、『掴んで、もぎ取った』痕跡もあった。と、鑑識官は付け加えた。
ハウンド(
jb4974)は、発見したそれを見て……異様だと思った。
被害者宅周辺、その足跡を探し、猫を探し、今日は成果なしか……と思った矢先。
とある空き家の片隅で、新たな現場、新たな犠牲者を発見した。
それは、犬。そして……その犬を散歩させていた、飼い主。それらのなれの果て。
犠牲者の遺体は、原型を留めていなかった。蠅がたかり、腐敗臭がするところから……おそらくはあまり経過していない。死後二〜三日といったところか。
が、ハウンドは足跡を発見し……それを見て驚愕した。
血だまりの中を、何かが踏んだ跡があったのだ。それは途中まで足跡を残していたが……。
「なんだ、この足跡? 最初は、こんなに大きいのに……急にここで、小さくなってる?」
しかも、小さくなったその足跡は……ごく普通の、猫のそれだった。
「うーん……」
スピネル・クリムゾン(
jb7168)は、猫を何匹も追いかけてみたものの……その全てが空振りだという結果に陥っていた。
「こんな可愛いナマモノが、人を襲って殺す……なんて、どうも腑に落ちないなあ」
堕天使たる彼女は、人間界の常識は若干疎い。しかしそれでも、こんな小さな動物が、人を襲い、ましてや食い殺すとは思えずにいた。
さっきも一匹を捕まえて、抱きかかえてみたのだ。暴れはしたものの、それほど危険な存在だとは思えない。
マル美らからの聞き込みもしたが、彼女らの証言を得ても、疑問は解消されず。
「……他の人たちは、どうなのかなー……って、電話? ハウちゃんから? もしもし……」
そしてそこで、彼女は知った。ハウンドが新たな犠牲者を見つけたと。
「……ともかく、『笑う猫』とやらは一応、片がついた……と見て良いんじゃないかしら」
警察署にて。アサニエル(
jb5431)は集まった撃退士たちに、自分の調査した内容を述べていた。
ハウンドが新たな犠牲者を発見し、警察が急行。調査の結果、それは新たな『影』の犠牲者だと認定された。
そして、ハウンドの事を聞き、スピネルとアサニエルは警察署に戻り、自分たちが調べた事を説明していた。
「あたしは、大外れー。おっかけた猫ちゃんたちは、みんな怪しいトコはなかったよー。でも、アサちゃんから連絡が入って、『笑う猫』ってのを見つけたって聞いてさー」
「というと?」フローラが、スピネルの言葉を聞いてアサニエルにたずねた。
「簡単に話すと、こういう事よ」
アサニエルも現場となった場所を調査していたが、ある場所に訪れた時……、野良猫がたむろしているのを発見したのだ。
場所は、空き家。ボロボロに朽ちた木造平屋のそこは、納屋か住居かわからないほどに朽ちていた。が、その玄関先には数匹の猫が転がって丸まっており、互いに身を寄せ合っていた。
その中に……奇妙な猫の姿を見た。それは……マル美の証言にあった「背中に特徴のある縞模様」「片眼鏡のような顔の模様」を有していた。
そして、その猫は、確かに不自然な笑いを浮かべていた。両の口角を上げ、歯をむき出しにして、まるでトランプのジョーカーのような笑い顔を……はっきりと、アサニエルに向けていたのだ。
「それから、どうなったのですか?」
朔夜の言葉に、アサニエルはかぶりをふった。
「……結論から言うと、そいつは『ただの猫』だね。そいつに対し『異界認識』をかけてみたんだが、全く反応が無かった。そればかりか……その猫は、あたしに近づいてきたんだ」
そして、アサニエルはその猫に対し……当初抱いていた恐怖と警戒心が消えるのを感じた。
とってかわったのは、同情。憐れみ。
「その猫が浮かべていた笑い顔は……顔に受けた『傷』のせいだったんだよ。唇と、両の頬の肉が削がれ、まるでニヤッと笑っているかのようにさせられていたんだ。そして……背中の縞模様ってのは、爪による傷痕だという事も見て取れた。その猫は……邪悪な笑いを浮かべてたんじゃあない、助けを求めてたんだと思う」
「……ひどい、わね」
しばしの沈黙ののち、フローラが、口を開いた。
「その猫も、被害者だったんだね。だったら、なおさら……真犯人を突き止めないと!」
その事には、反対する者などいない。しかし……突き止めるにしても、どうするべきなのか。どこを探し、どうやって追い詰めるのか。
「それなんだけど、ちょっといいかな」御門が声をかける。
「『法則』を発見しました。これに沿って仕掛ければ……『影』を待ち伏せできるかもしれません」
朔夜が、御門に続き言った。
その日の夜。
撃退士たちは、赤尾老人の家の裏……農場の倉庫、その付近に待機していた。
フローラ、御門、それに朔夜は、警察で見せられた資料と、『影』の目撃地点。それらを突き詰めて……一定の「法則」を見出していた。
法則その1:赤尾老人宅での事件を除き、全ての事件現場をつなげると……歪であるが、円になる。
法則その2:そして、赤尾老人宅は、その縁の中心部に位置する。より正確に言うならば、赤尾老人宅の裏……すなわち、この無人の倉庫が中心になる。
法則その3:さらに、「影」だけが見えて、事件が起こらなかった目撃例を吟味すると、それらはこの倉庫から、事件現場の途中で目撃されている。つまり、ここから現場に向かい、戻る。その途中で目撃されたものと思われる。
色々と吟味し、推理し、考えた結果……ここが、「影」の潜む場所ではないかという結論に達したのだ。
ならば、ここを見張っていれば……必ず、何かがつかめるはず。
希望的観測はあったが、期待はしていなかった。が、皆は冷えた体をもみほぐしつつ……待ち続けた。
「? ……あれって」
最初に見つけたのは、ハウンドだった。
彼が見たのは、猫が街灯と星明りに照らされ、倉庫の近くをとぼとぼ歩いている様子。だが、途中で……何かに気付いたかのように、後ろや周囲を見回した。
ハウンドに続き、他の皆も猫に、そして異変に気付く。
「あの猫……あれ、『笑う猫』だよ」
アサニエルが、そうつぶやいた。確かにそれは、顔を傷つけられ、笑っているように見せかけられた猫。
だが、猫は何かにおびえ、追われている様子。すぐに追っていた「何か」が、街灯の明かりの下に現れた。
何の変哲もない、ただの黒猫。それが、笑う猫を追っていた。
二匹の猫は、倉庫へと入り込んだ様子。しかし、すぐに……。
二匹が争う、否、殺しあう音が響いた。猫の威嚇する声、それに、凶悪に何かをひっかく音。それはすぐに止み……次に響いたのは、苦しげに、悲しげに、猫が鳴きうめく声。
そして……闇の中で、何かが、「猫でない」何かが、唸り吐息をもらす音。
吐息と唸りは、大きく、強く。小さな猫が出せるものではない。
「……(こくり)」
ナイトビジョンを装着したハウンドが、仲間たちに激しくうなずいた。
そして。
世界が、光に包まれた。
「罠にかかったのは……どっちだと思う?」
嘲るように、スピネルが「そいつ」に問いかける。
倉庫内部に仕掛けられていた、ライト。
それが点灯し、「影」を映し出していた。そこにいたのは、ゴリラ並にばかでかく、体は墨のように真っ黒な肌をしていた、文字通りの怪物だったのだ。
体型も、ゴリラのようだと言ってもいいだろう。しかしゴリラと異なり、両腕は太いだけでなくしなやかで、両手の指に付いているのは、長く鋭い凶悪な鉤爪。無毛の皮膚に、猫科の獣のような顔。むき出した口からは、牙が。手足の筋肉はさながら鞭のように盛り上がっており、身体を力強く見せていた。
そいつが、吠えた。それが戦闘開始の合図となり、撃退士たちは駆け出した。
「いっけぇっ! プルガシオン!」
プルガシオンの書を、飛び出し上空に飛び上がったスピネルが放つ。放たれた光の矢が、空中から雨のように降り注ぎ、「影」の身体を貫く。
が、「影」はあまり堪えていない様子。逆に駆け出すと、手近な獲物とばかりに撃退士たちの一人に、……手刀を構えた御門へと襲い掛からんとしていた。
「……!」
が、御門も同じく、「影」へと襲い掛からんとする前に、己が襲い掛かった……手刀を構え、懐に飛び込んだのだ。
御影の右腕が、毒々しいオーラに包まれる。それをすれ違いざまに……撃ちこんだ。
「影」は、吠えた。そして、そのままその両腕を振りかざし、まるで何もないかのように、別の目標へと迫る。
カタラクトクレイモアを構えたハウンド、ネイリングを手にした朔夜へと向かったのだ。
「「!」」
「影」の一撃が、地面をえぐる。強烈な腕の一撃と、指に生えた鋭い爪。横ざまに転がったハウンドと朔夜とは、喰らわずに済んだその一撃を喰らわなかった幸運に感謝していた。
「Schneegeist!」
クロセルブレイドを手にしたフローラが、すかさず一撃を放つ。練りだされた式神が、「影」の身体に絡みついた。
「影」はそれを受けつつも、更なる進撃を放たんと思ったその時。
不意に、その動きが鈍り始めた。
「……先刻の『毒』が効いてるわ! さあ、はやくとどめを!」
「はい! はあっ!」
御門の声が響き、朔夜の剣・ネイリングの一撃が「影」に食い込む。どす黒い血潮が、気味の悪い「影」の身体から噴き出した。
が、「影」は中々くたばらない。体の動きが徐々に鈍り、力が失われつつある。
「あーら……よっと!」
続き、ハウンドの攻撃が。カタラクトクレイモアの刃が、怪物の脇腹を切り裂いた。
悲鳴のようなうめきが、怪物から響く。
「逃がさないし、そんな簡単に逝かしてあげないんだよ?」
にやりと微笑み、スピネルは、堕天使は……手にウォフ・マナフを、白色の大鎌を取り出し急降下!
「影」は、最後の悪あがきとばかりに、スピネルへとその腕を振り上げ……。両者、すれ違った。
しばしの、沈黙。そして、スピネルは力尽きたかのように、地面に倒れこんだ。
が、すぐにその後を追い、怪物もまた倒れこむ。その体には、肩口から袈裟懸けに、大鎌による一撃が撃ちこまれていたのだ。
「……首を、狙ったんだけどなあ。とっさによけるとは、悪あがきにもほどがあるよ」
しかし、怪物の悪あがきもそこまでだった。それは倒れると、やがて……その亡骸に変化が訪れた。
「?」
全員が、その様子に目を奪われる。それは、小さく縮み、やがては……撃退士たちの前に、おそらくは本来の姿となって、その姿を皆に突き付けた。
それは、猫だった。ただの、ごく普通の、小さな猫。そこにあるのは、それ以外の何物でもない、猫の死体だった。
その後、追加調査が行われ、事件は終了となった。
「この事件……つまりは普段猫に化けていた『影』が、夜にはあの姿で襲い掛かっていた、という事だったんですね」
警察署から出つつ、御門が呟く。
「ええ。普段は猫に擬態し、殺す獲物を探し、そして……夜になるとあの姿に戻り、殺戮していたのでしょう」と、朔夜。
あの怪物……「影」かなにか知らないが、少なくとも殺戮するためにだけ存在していたのは事実。そして、自分たちはその殺戮を、やめさせる事ができた。
「これで……犠牲者の人たち、動物たち、とりわけ猫たちの供養になれば、いいんだけどな」
アサニエルが、静かにつぶやいた。
その後。「影」が目撃される事は無くなり、そして猟奇的な事件もまた、起こらずにいる。
赤尾老人宅、およびその周辺地域は、今もなお無人のままである。