:阿具根宅、夕方。
「……ほら、そんな壊れた汚らしい眼鏡なんか外しておしまいなさい……あなたくらいの若者の事は聞かなくても大体わかります……」
「……はぁ」
阿具根がまくし立てる言葉に、ジェイニー・サックストン(
ja3784)は苛立ちを含んだ生返事を返す。
警察の大迫より、阿具根という女性がどういう人物なのかは聞いてはいたが、その予想以上に困った人間だという事を、彼女は思い知った。
『凶悪犯の予告状が、このあたりに出たので、護衛したい』と申し出たところ、阿具根自身は快くそれを了承してくれた。が……先刻より、ジェイニーに対し親切のつもりで過ぎたお節介を焼いている。どうやら、新興宗教からの自己啓発本からの引用らしいが、聞いていて腹立たしい。
「……きっとご両親からは虐待され捨てられたんでしょう。貴方の事は瞳を見ればわかりますよ。本当は愛されたがっているかわいそうな迷い子なんだって」
『……てめー、何も知らねーくせに知ったかぶるんじゃあねーです』
そう言いそうになった自分を、彼女は無理やり押さえつけた。
彼女とともにいる坂城 冬真(
ja6064)も同じ思いだった。
「大学生? 専攻は? 心理学?……そんな訳の分からない事をしては駄目。もっと人の役に立つ事をしないと……そう、わたしの信仰している教団に入るとか。ぜひそうなさい……」
根拠など無く、思い込みだけで話を進め、反論は受け付けない。家族は縁を切り、二度と会いたくないと言っていたそうだが……そうしたくなる気持ちが痛いほどわかった。
とにかく、天魔が来たら……この不愉快な老婆への怒りもぶつけてやるです。ジェイニーはそう誓った。
「やれやれ。待機するだけでも大変そうですねえ」
近くの建物に姿を隠し、饗(
jb2588)が呟いた。
寒空の下で、阻霊符に触れつつ周囲を見張る。先刻の坂城による「生命感知」では、何も得るものは無かった。つまりは……これからやってくるという事だ。スレンダーマンなる存在は。
響は周囲を見回した。阿具根宅の隣に建つ小さな納屋。彼はそこに身を潜めていた。幸いにも、周囲に視界を妨げるものは無い。それでも……響は不安めいた何かを感じつつあった。
:塚本邸、夕方。
「あ、響さん? こっちは今のところ異常なし。罠も仕掛け終えたし、今は塚本さんとこの家の屋根に上り、監視してる最中だよ」
通信機で響へと連絡していたのは、佐藤 としお(
ja2489)。
『こちらも、今のところは異常ありません。とはいえ……守るべき住民が少々困りものですが』
「ああ、こっちもだよ。こうやって屋根に上がってても、一分に一度は怒鳴り声が聞こえてきて、ちょっとね」
佐藤の言う通り……塚本の怒鳴り声が聞こえてくる。
『黙れ! お前のようなクズが、わしに歯向かっていいと思っているのか! わしはこの家の主だぞ! いいから出ていけ!』
「……スレンダーマンよりも、こっちの方がちょっとした怪物だよ」
癇癪を起こす原因は、つまらない事ばかり。今も、夕食のおかずの漬物がいつもと量が違うというだけで怒鳴り散らす始末。
ヘルパーが玄関先に止めていた原付バイクにまたがり、怒りと悲しみの表情とともに去っていくのを、佐藤は見ていた。
「……確かに、あの老人も劣らぬ怪物、だね」
近く……塚本邸の隣りに建つ、納屋の影に潜みつつ、祁答院 久慈(
jb1068)はつぶやいた。
が、それでも守らなければ。その気持ちを新たにした祁答院は、状況を頭の中で今一度整理した。
「……阿具根さんの家とここまでの距離は……直線距離で300〜400mくらい。ただし、住宅地や雑木林があるから、直接ここに通じる道は無し。塚本邸の周囲にある木々は、玄関先の街道に街路樹。それに……裏にある雑木林」
天魔の類でなくとも、隠れる場所には事欠かない。とはいえ……塚本邸の屋根に一人、ここ……玄関を臨む納屋の影に自分が一人、そして裏の方に一人が見張っている。阿具根宅でも同じだろう。
見逃すはずはないと、祁答院は己に言い聞かせた。
「スレンダーマン……一体何が目的なんだろう」
塚本邸の裏で、四条 和國(
ja5072)が同じ言葉を何度もつぶやいていた。
デジカメと、ハンズフリー機能のスマートフォンを用意し、スレンダーマンとやらに対峙する用意はできている。これらを用い、その正体と能力を見極めるつもりではあったが……。
それでも正直なところ、不安を隠しきれない。
とにかく、今は待とう。そう自分に言い聞かせ、四条は待った。
:阿具根宅、夜中。
坂城は、欠伸をしつつ見張っていた。
就寝時間の九時になると、阿具根は眠りについたのだ。あのおしゃべりから解放されただけで、坂城は心底ほっとできた。
先刻には定時連絡が入り、塚本邸でも異常は無しとの事。
今現在、ジェイニーは阿具根宅の縁側に、坂城自身は台所の勝手口に立っており、何かあったらすぐに中に入り込めるようにしていた。
まだ、何も起こっていない。だが……着実に何かが近づきつつある。そんな不安に苛まれつつ、彼は待った。
「!?」
響は、一瞬己の目を疑った。
監視の最中、視線の先にあった電柱の陰に……人影を見たのだ。
が、それは瞬きした瞬間に消えた。
周囲に目を凝らしても、何もない。動けるものは、なにも見当たらない。
「気のせい、ですか……」
が、物思いにふける暇も無く、光通信器から連絡が。
『こちら佐藤! スレンダーマンらしき影を発見!』
:塚本邸、裏の雑木林。
佐藤の連絡を受け、すぐにジェイニーと坂城が急行した。念のためにと、響が一人だけ阿具根宅に残る。
「状況は?」
ジェイニーが尋ね、祁答院が答えた。
「裏の雑木林に、スレンダーマンらしき影を目撃しました。『夜の番人』で確認しましたが、明らかに人型の何かです。こちらの様子を伺っているように……動いていません」
彼の言う通り、確かに木々の間に何かが隠れているのが見えた。今宵は月夜、月明かりがほんのわずか、雑木林に光を投げかけている。
「気が付いたら、既に立っていた。それに……『索敵』を仕掛けても、反応が無い」
屋根から降りた佐藤が、不可解だと言わんばかりの表情を浮かべている。
「! ……『生命探知』に、反応がありました!」
坂城が叫び、皆が問いただす。
「場所は!?」
「あのの影です!」
その場にいる全員が、武器と装備とを携え……雑木林の中へと踏み込む。油断なく、目標へと一歩、また一歩と近づき……そして、見た。
「……カカシ、か?」
思わず、佐藤は叫んでしまった。
人影の正体は、ただのカカシ。そして『生命探知』の反応の正体は……紐でくくられ、瀕死の状態に陥った野良犬。
『……こちら響、スレンダーマンがこちらに現れた!』
そして、なぜこんな罠を仕掛けたのか。その理由も理解した。
:阿具根宅、玄関前。
街路樹の影。そこに響は見つけていた。「そいつ」の半身を。
シルエットしか見えないが、「そいつ」は身長が3m以上の長身だった。間違いない、奴だ!
注意しなければ。奴に不用意に近づいたら、おそらくは発狂させられる。だが、こちらは撃退士。それに対する備えはしてある。
「……『妖幻:霞』!」
己の姿を、幻術により不可視にした。風景と同化し、相手には自分の姿は見えない。
用心深く、その姿をデジカメにて撮影する。
それは確かに、スレンダーな人間の姿をしている。体つきは痩せており……まるで、木の枝で作った人形のよう。腕が異様に長く……嫌な気配を漂わせている。身に着けているのは、黒のビジネススーツ。
そして、その顔。こちらから見えているのは横顔のみだが、目撃証言通りに……目鼻はおろか、頭髪や耳すらない、完全なのっぺらぼう。
「!」
が、次の瞬間。
消えていた。目前から「姿」そのものが、スレンダーマンそのものが、「消えていた」。
「これ、は……?」
響が状況を把握する前に、阿具根宅から破壊音が響いた。
数分後。響のもとへと撃退士たちが駆けつけていた。
「……遅かったですよ、皆さん」
無念そうに、響はかぶりを振る。すぐに阿具根の元へと向かった響だが、手遅れだった。
ジェイニーは寝室に入り込み、寝台の上で横になっている死体を認めた。
阿具根は、大量に鼻血を流し、口からは大量の血を吐いていたのだ。何らかの原因で鼻血を出し吐血し、それに溺れて死んだに相違あるまい。溺れ死なずとも、出血多量で死んでいただろう。
そして当然ながら、そこにスレンダーマンの姿はなかった。
「……奴は、どこに行ったんでしょう? まさか……塚本さんの方に?」
その言葉を聞き、戻ろうとして全員が道路に出た、次の瞬間。
全員の見ている前に……スレンダーマンが現れたのだ。
「……っ!」
すぐに、撃退士全員は、直視しないように視線を外した。
気配も、接近する時の足音も物音も無かった。「気が付いたら、そこに既にいた」のだ。
街路樹の影から出て、スレンダーマンは道の真ん中に立つ。
ナイトアンセムをかけて、周囲を暗闇に……。響がそう考えた、次の瞬間。
スレンダーマンは、消えていた。
「……出たり、消えたり。いったいどういう事なんでしょう?」
四条は武器を構えた。他の皆も、それぞれの得物を取り出し、背中合わせに円陣を組む。
「一つ確かなのは……テレポート能力を持つって事、でしょうね。さっき、囮のカカシがいきなり現れたのも……それが原因でしょう」
「ええ……それに、私の目前から、いきなり阿具根さんの家の庭に現れたのもね」
坂城に続き、響が言った。
「……出た!」
佐藤の視線の先に、スレンダーマンが再び姿を現した。それも、至近距離に。
「……『緑火眼』!」
だが、彼も無策ではない。相手の動きを捕えるスキルを発動させ、その動きを捕える事に専念していた。首から下の動き……スレンダーマンが背中から生やした、木の枝のような触手の動きを、かろうじてかわした彼は……アサルトライフルを発砲する。
一発だけ当たったが、後は全てかわされる。が、既に仲間たちの攻撃が放たれていた。
「くたばりやがれです!」
ジェイニーの二丁拳銃、ツインクルセイダーの銃口からの弾丸が、スレンダーマンへと当たった!
が、当たった個所は触手。楯のようにかざした触手が、弾丸を防いでいた。
「はっ!」
四条が十字手裏剣を放つが、やはり触手がそれを弾き返す。
「このっ!」
坂城の自動拳銃、マライカMK−7からの光の弾丸……アウルの力が襲い掛かるが、それは空を切る。再び、テレポートしたのだ。
「……こっちだ!」
佐藤の叫びとともに、スレンダーマンが姿を、祁答院と響の前にその姿を現した。前より距離が開いているが、攻撃の準備は出来ている。
「行け……『邪炎のリング』!」
祁答院の目前に火球が五個現れ、邪悪なる存在を焼き尽くさんと放たれた。
「『アブラメリンの書』よ、我が敵を討て!」
響の携えた呪文書からも、鮮血色の槍がごとき魔の力が出現し……スレンダーマンを串刺しにせんと撃ち出された!
強力な一撃が、小癪な敵に撃ちこまれる直前。
またも、姿が消えた。
追撃しないのは、用心しているからか、追撃できないからか、あるいは……侮っているからか。
「……先刻、マーキングを撃ちこんだのに……どうして位置がわからない?」
佐藤が、焦りを含んだ言葉をつぶやく。その理由はすぐにわかった。マーキングを撃ちこんだ触手が切り落とされ、道端に転がっていたからだ。
次は、どこに……?
背中合わせで、六人の撃退士たちが周囲へと油断なく注意を向けた、その途端。
「……っ!」
彼らの背後に、強烈な邪気と悪意とが混ざった気配が現れた。
撃退士たちは……振り向くと同時に強烈な触手により薙ぎ払われ、道路上に吹っ飛ばされる。
意識を失う直前、皆は理解した。スレンダーマンがどこに現れ、どうやって攻撃したのかを。
皆で背中合わせになり、組んだ円陣。スレンダーマンは、その円陣の中央にテレポートしたのだ、と。
「くっ……!」
吹き飛ばされ、道路上に叩き付けられたジェイニーは、何とかして立ち上がらんとした。
が……その必要は無かった。触手が自分へと伸び、巻き付いたのだ。そのまま、宙に吊り下げられる。
両腕の自由も効かない。がっちりと、触手が巻き付いている。
触手は、スレンダーマンの前にジェイニーを運んだ。嫌でもジェイニーは、スレンダーマンの顔を直視する羽目に。
こんな形で、「試す」事になるとは。だが、当初から考えていた事だ。一般人とアウル能力者とで、発狂の反応が違うかどうか。それを今、確かめてやるです。
挑むようにジェイニーは、スレンダーマンののっぺらぼうな顔に視線を向けた。
……いや、よく見ると。顔の部分には何やら眼窩や鼻孔、口元の窪みがある。いうなれば、「骸骨に薄い生地の白マスクを被らせ、ぴったりフィットさせたような」印象を覚えた。
……その顔、眼窩や鼻孔や口の窪みがある顔を見ていると……心がざわつく。その顔面の白は、普通の白ではない。闇が転じた白、まるで……細かい蛆が密集しているかの、おぞましき白。それを直視し続けて……吐き気を覚え、気持ちが悪くなり、おぞましさに気が狂いそう……いや、気が狂いかけている。
「ぐっ……ぐぐぐっ……」
だが、保つ正気が限界を超えそうになる直前。
スレンダーマンの無貌の顔に、表情が浮かんだ。
ニヤリ……と、口元に……嘲笑するような笑みが浮かんだのだ。
「……!?」
そして、スレンダーマンは顔の前に指を立て……嘲るように、左右に振った。
ジェイニーが覚えているのは、そこまでだった。
気が付くと、朝。他の皆とともに、道路上で倒れていたのを発見され、保護されていた。
そして、阿具根のみならず、塚本もまた殺されていた。……恐怖の表情を浮かべ、死体となっていたのだ。
彼の死体には一枚の紙……謎々本の一ページが。
『真っ白な犬を見て、みんな大笑い。どうしてか?』
その答えは「面白いから」。すなわち、「おもしろい=尾も白い」。
「……この殺戮……奴にとっては、『娯楽』以外の何物でもねー……って事ですか」
病院のベッドの上で、ジェイニーはその事を悟っていた。
自分たちは、その娯楽に付き合わされた、と。
「守れなかった……」
四条もまた、ベッドに半身を起こし……口惜しさをにじませる。終わったらホラー映画の鑑賞会でもしようかと思っていたが、それどころではない相手だったと思い知っていた。
「……問題のある人たちではあったけど……あの人たちを守る事が、できなかった……」
人間の命を、娯楽目的で弄ぶ悪魔。だが、これで奴が引っ込むとは思えない。
次に出てきたら……その時には必ず、仕留めてみせる。四条は、ジェイニーは、そして撃退士たちは……そう誓っていた。