静かだった。
かつては炭鉱として、石炭が掘り出されていた場所。しかし、今は人の気配はない。あるのは、墓場のように残された各種施設のみ。
その中へ、今回の事件の発端となったビルの中へ、六名の撃退士たちが踏み込んでいた。
「……! な、なんなのだ!?」
ヘレル(
jb6463)は、聞こえてきたかすかな「音」に、耳をそばだてた。
「……聞こえましたですか? ご主人様」ヘレルの近くに控えていた睦月 芽楼(
jb3773)も、同様に耳を澄ます。
それは「わずか」であり「かすか」ではあったが、「確実」な鈴の音。
鈴の音が、二人の耳に届いていたのだ。仲間の一人が付けている鈴とは違う。もっと小さく……まがまがしい音色。
「……! いま、みえたのー」
怪談を上り、事件が起きた大部屋を視界にとらえた時。ウサギを思わせる小さな少女が、闇の中へと目を凝らす。
「あまね(
ja1985)さん、何が……見えたんですか?」
「巫女さんのふくをきた、おんなのこなのー。……すぐに、くらやみのなかにきえちゃったのー」
陽波 透次(
ja0280)の問いに、あまねが答える。
「……また、聞こえたのだ!」
「はい! 私もです!」
ヘレルと芽楼は、再び響いたかすかな鈴の音に、周囲を見回した。
「どうしました? 緊張してるのですか?」
周囲を見回すヘレルに、黒須 洸太(
ja2475)が問いかける。
「べ、別に緊張などしておらんのだ!」
それにヘレルが言い返した。
「我はまだ、学園に来たばかりだからな! 決して緊張などと……」
「……静かに」
が、言い訳が口から出た直後。アイリス・レイバルド(
jb1510)の一言が、ヘレルを黙らせる。彼女の左腕に装着した籠手、ないしはそれにつけられた虹色の鈴が、動くたびにチリチリと鳴った。
アイリスの顔が、ヘレルを覗きこむようにして見つめてきた。普通に見られているだけなのに、なぜかヘレルは気恥ずかしさを覚えてしまう。
「……初依頼で初参加。淑女的でなくとも、緊張していないわけがない。だろう?」
「表情」が無い顔なれど、淡々としゃべる言葉の節々には「感情」が含まれているかのよう。アイリスに見つめられ、ヘレルはそう感じた。
「……! また、聞こえたのだ!」
アイリスの鈴と異なる「鈴の音」だ。
そしてその「鈴の音」は、前よりもはるかにはっきりと聞こえていた。
大部屋は、確かにちょっとした会議室、あるいはそれ以上の広さを持っていた。
現在の時刻は夜。真夜中だが、空に浮かぶ月と星明かりが、視界を十分に確保していた。
目撃証言の通り、部屋の真ん中には石油缶……まだピカピカで新しい……があった。ぽつんと置かれたそれは、まるで何かを祭った祭壇のよう。
壁の窓には全て板がぞんざいに打ち付けられ、部屋の中に空気をこもらせていた。唯一、窓の一つに開いた大穴……小野が外へと放り出された穴……からは、外気が入ってくる。
床には大小問わず、様々ながらくたが転がっていた。それらは例外なく壊れ、汚れ、黴臭さを漂わせている。歩くたびに、何かが足に当たり、あまりいい気分ではない。
散乱しているがらくたと、置かれている家具、そして崩れた壁や入り組んだ部屋の作りから……必ずどこかに、「影」が出来るようになっていた。つまり……誰か、あるいは何かが隠れていても、すぐには気付かないというわけだ。
しかし、それはこちらも同じ。ヘレルは周囲を見回し、仲間たちが近くにいるのを確認した。
陽波は、入ってきた入口の壁を「壁走り」でのぼり、入り口近くの高所に待機している。
アイリスは既に、ライトニングロッドとともに、「生命感知」で探索を開始している。今のところは……室内には、何も感じない、感じられない様子。彼女が動くたびに、左腕の鈴が鳴る。
その音とともに、アイリス、そしてスローイングダガーを手にした黒須は、薄暗い中を進んでいった。続き、丸腰のあまねが進む。
「……それにしても」
口に出さず、ヘレルは考えていた。彼女の得物は、ルーンブレイド。
それにしても、今回のこの敵。一体何者なのだ? 黒須殿は「怪談から生じた」などと言っているが、そしてそのオリジナルも読んだと言っているが……まあ、戦ってみればわかるのだ。
「……おおっと!」
「ご主人様?」
大鎌・グリムリーパーを手にした芽楼が、ヘレルに駆け寄る。
「大丈夫なのだ、ちょっとこの空き缶に脚が当たって、倒してしまっただけなのだ」
「ふー、びっくりしたよー。きをつけてねー」
「……もう少し、周囲に注意して動いてほしい」
「ああ。さ、行こうか」
あまね、アイリス、黒須が言葉をかけてくる。
失敗失敗。けどまあ、これだけの仲間がいてくれる。大丈夫、勝てるのだ!
ヘレルは、勝利を確信した。少なくとも、負ける気、失敗する気はなかった。
数刻後までは。
部屋の中を探索したものの、「生命感知」は何も感知しなかった。が、部屋の隅、影の中に……穴を見つけた。
穴は、コンクリの壁に穿たれていた。そして穴の向こう側には、また別の空間が。やはりその室内も、窓はふさがれ星明りは入ってこない。
注意深く、5人は部屋の中へと入って行く。
「見えるか?」
「はい。どんな闇の中でも、私には丸見えなのですよ♪」
アイリスの言葉に、少しばかり浮かれた口調で、芽楼が返答した。彼女は今、闇を見通す「闇の番人」を使用していた。何か怪しいものがあれば、即座に皆に知らせられる。
そのまま、更に奥へと向かう。が、やはり何も見当たらない。
「!……気を付けろ、感知した」
静かに、しかし張り詰めた口調のアイリスが……立ち止まった。
それとともに、彼女のとは異なる「鈴」の音色。激しい鈴の音は、ヘレルに不吉な感情を呼び起こさせた。
アイリスは室内に「何か」を感知した。それはまぎれもなく、自分たちが探していた存在、倒さねばならない怪物。
「後ろ……!?」
アイリスの言葉とともに、ヘレルは振り向いた。刹那……元の部屋へと続く、あの穴。そこから何かが出ていく様子を……彼女は見た。
「……見つけたのだ!」
長い、蛇の尻尾の先端らしきもの。それがほんのわずか。ちらりと見えた。
「逃がさないのだ!」
思わず飛び出すヘレル。そのすぐ後を、芽楼が追う。
「あ、まってーなのー!」
あまねも二人の後を追おうとするが、黒須とアイリスとがとどめる。
「待ってください。ボクたちが先に……!」
最初に攻撃を受けるのは、自分たち。ならば、彼女に先に向かわせるわけにはいかない。
だが。
「こ、これはっ! なんなのだ!」
「ひっ!」
ヘレルの声と、芽楼の悲鳴とが、三人の耳に響いた。
敵を発見したら、即座にサンダーブレードを叩き込む。それとともに、芽楼のグリムリーパーで切り裂き、とどめ!
ヘレルはそう算段し、即座にそれを実行せんとした。
が、前の大広間に戻った、その時。
目前に、「下半身を見せつけた」そいつが立っていたのだ。そいつは、窓から入り込む月の光の中に立っており、否が応でも「下半身」を見てしまう場所、体勢を整えてしまっていた。
「!」
ヘレルの目に、そいつの「下半身」を含めた「全身」が飛び込んできた。
「そいつ」の上半身は、少女のそれ。六本の腕を持ち、巫女装束の上半分のような服を身に着けている。
しかし、下半身は蛇のそれ。そしてその体表面には、細かい鱗が幾何学的な模様を描いていた。
鱗が動き、鱗の表面に描かれた模様も動く。それらはまるで、吸い込まれるかのような「浮遊感」をヘレルに与えていた。
何かが、「脳内に入り込んでくる」……。そんな感覚を、ヘレルは感じていた。発動させ振りかぶったサンダーブレード、それを放つ事も忘れてしまうくらいに。
空気がざわめく、視界がゆがむ、鱗がさざめき動く、模様がさざめき動く、化物の下半身の皮膚も動く、筋肉自体も動く。鈴のチリチリという音が、まるで夢心地のように耳に響く。
それらの「動き」が、ヘレルの脳へと、強制的に何かを書き込み、強制的に何かを変えていく。そうされるのを実感する。何かまずい、何かやばい。なのにそれらに対し、全く対抗する事ができない!
「目を……目をそらさねば! あれを見続けるのはまずいのだ!」
そう自分に言い聞かせ、視線をずらそうとするが、できない。目を閉じようとしても、気をそらそうとしても、できない。
いや、「できない」のではなく、「したくない」。
危険であり、破滅に確実に近づいている、精神が崩壊しかかっている、危険信号を放っている。見てはまずい、見たくない。己の精神が強くそう訴えかけているのに、「見続けるのをやめたくない」。
体を動かし、攻撃しなければ。そう思っているのに、攻撃「したくない」。体を「動かしたくない」。
いや、そればかりか……狂いたくないと考えているのに、「『狂いたい』と強制的に思わされ、それを留める事ができない」。
隣に立つ芽楼も、同様の状態に陥っている様子。
「あぁ……蒼……! 私の大切な人……!」
グリムリーパーが彼女の手から離れ、床に落ちる音が聞こえた。そればかりか、愛しげな知人と再会し、抱きしめたいとばかりに両手を広げ……芽楼は「そいつ」に、半蛇の少女に向かって歩いていく。
やめるのだ。そう警告するつもりが……「警告したくなくなった」。化物は六本腕をわさわさと動かし、その指先に伸びる鋭くも凶悪な三十本もの爪を蠢かし……芽楼を切り裂き、引き裂き、肉をちぎり取らんと迫る。
芽楼の至近距離まで、怪物が迫った。その時。
前後からの援護が、二人の命を救った。
前方。
それは、入り口上方に潜んでいた陽波の攻撃。
携えていた拳銃、PDW FS80から放たれた弾丸が、怪物に、カンカンダラの背中に命中したのだ。
予想外の場所より攻撃された怪物は、痛みと驚きにその顔をしかめた。
後方。
それは、ヘレルらとともに行動していた他の三名。
そのうちの一名が放った「目隠し」。
視覚を遮る「霧」が発生すると、カンカンダラの下半身を隠していく。
「まっててー! いまたすけるのー!」
霧を発生させたあまねの声が、ヘレルと芽楼、二人の耳に届く。
「……体が……動くのだ」
ヘレルは、自分の体が動く事に気付いた。
「喰らうのだ! 『サンダーブレード』!」
振りかぶった雷の剣を、おぞましき怪物の肉体へと振り下ろす。雷撃の攻撃が直撃し、カンカンダラの体表面を灼いた。
可憐ともいえた女怪の顔が、おぞましい表情に変わる。その口から出るは、蛇のごとき叫び。
「『クレセントサイス』!」
立ち直った芽楼が、グリムリーパーを拾い直し、更なる必殺の一撃を放つ。無数の三日月の刃が顕現し、闇夜を切り裂く月の光のように、カンカンダラの体表面を切り裂いた。
長大な下半身をのたうち回らせ、カンカンダラの体が床に倒れこむ。あまのが放った「目隠し」の霧の中に、倒れこみ痙攣する怪物の姿が見え隠れした。
「……どうやら、倒せたか……?」
つぶやいたアイリスは、様子を見るために近寄った。怪物の動きは弱々しくなり、立ち上がる事も、動き出す事も、ましてや戦闘や逃走すらもできそうにはない。
いささか拍子抜けしたように、小さくため息をつくアイリス。だが、気が緩んだその一瞬。
最後の力を振り絞り、カンカンダラは上半身を高く持ち上げた。
「……いいぞ。人を殺す狂気も、己の死から逃れようと足掻きもがくその執念も、私にとっては甘露に等しい」
無表情で無感情、しかし確かな感情とともに、アイリスはその襲撃を受ける。
カンカンダラは、その可憐な少女の顔を怒りと苦しみとで醜く歪ませ……牙をむき出し、アイリスの肌に沈めんと強襲した。
「おい、危ない!」
「危ないのだ!」
黒須とヘレルとが同時に叫んだが、アイリスは二人が反応するより早く、反撃に転じていた。
アイリスの青き瞳が、より深く濃い瑠璃色に変化している。深遠そのもののような、深く濃い色の瞳。鋭くも冷厳で、強烈な力を内包した視線。それが、カンカンダラの異形の眼差しと交差した。
「『瑠璃色の深遠(シンエンノラピスラズリ)』……」
アイリスが放った「眼光」が、カンカンダラの両眼を射抜いた。それがとどめとなり、怪物は叩き付けられるように、床に倒れこむ。
「……化物。ひとつ、淑女的に教えてやろう」
断末魔の悲鳴をあげるカンカンダラを見下ろし、彼女は静かに言い放った。
「深淵を持つのは、化物だけの専売特許ではないぞ。あの世へのみやげに、覚えておけ」
だが、言葉が終わらぬうち……カンカンダラの動きは止まっていた。
「杭はないのー?」
「うーん、オリジナルの話には、杭の描写は無かったみたいですよ。ちょっと勘違いしてるんじゃあないでしょうか?」
カンカンダラが徘徊していた場所を、あまねと黒須とが探りながら言葉を交わす。
事後。撃退士たちは、他に何か残されていないか。それを探っていた。
「ご主人様、私……ごめんなさい!………うぅ……!」
「待つのだ! 我も悪かったのだ、気にすることは無いのだ!」
芽楼は逃げ出そうとし、ヘレルはそれを留めようとしている。その様子を見た陽波が、アイリスにたずねていた。
「彼女たち、どうしたんですか?」
「いや、芽楼はカンカンダラの術中にハマってしまった事を恥じているらしい。私としては、実に興味深かったが」
無表情のまま、アイリスは語った。
「……なぜ下半身を見たら、発狂するのか。『簡単に暴かれる底の浅さであってくれるな』と思っていたが、そのカラクリをようやく暴いたよ。ヘレルが襲われた時にとっさに私も後ろに出て、怪物の術にあえてかかったのだ。その時に、理解した」
あの化物は、強力な『暗示能力』を持っていた。鈴の音、周囲の空気の動き、下半身の鱗と、そこに描かれた幾何学模様。動き。一定のリズム。鱗が鳴らすわずかな音。鱗そのものの動き、皮膚の動き、筋肉の動き。
それらひとつひとつを、決まった順序で組み合わせ、その動作を戦いの中で見せて、聞かせて、感じさせて、敵の心に暗示信号を送る。そうすることで、相手の精神を自らの意のままに動く奴隷にしてしまう。それが、カンカンダラの下半身の秘密だったわけだ。
「……単純だが、単純なだけに強力と言えよう。私も武器で己に痛みを与えなければ、そのまま術にかかってしまったかもしれない」
暗示から逃れる際についた傷痕が、腕にあった。すでに治療済みとはいえ、少しだけ痛々しい。
「でも、化物は倒せました。なぜ、カンカンダラなる怪物がここに現れたのかはわかりませんが……こんな事件がもう二度と起こらないよう、切に願いたいところです」
月明かりを浴びながら、陽波が言葉を発した。
再び、炭鉱跡は静けさを取り戻した。
鈴の音を鳴らす者は、もうどこにもいない。