:午後11時15分。赤平第二高等学校・南校舎一階、理科室。
市立高校の一室。そこに二人の撃退士がいた。
今宵、周囲の住居に光は灯らない。それゆえ、ここ……理科室の「光」は目立つ。
「なあ……今更だが、別に恋人装わなくてもよかったんじゃあねぇのか?」
向坂 玲治(
ja6214)が問うが、黒瀬 うるか(
jb6600)はかぶりを振った。
「すみませんね、先輩。ですが、怪しまれてはおしまいです。それに……」
それに、敵……「マッドガッサー」なる相手が、どういう基準で住居を襲っているのか、現時点では不明。ならば、思いつく限りの対策や対案を試す必要がある。
それは、向坂もわかってはいる。だからと言って、ここまでする必要があるのかとも思う。
「さあ、恋人としてふるまってください、先輩」
:午後11時45分。同学校、西側・グラウンド照明装置付近。
第二高の南校舎一階・理科室を臨む場所。そしてグラウンドの照明装置の前にて。只野黒子(
ja0049)は油断する事無く待機していた。
待機しつつ、この学校の作りを頭の中で復習する。
ここ第二高は、敷地全体の西側半分はグラウンド。正門は東側。敷地東半分の南側下半分には体育館、北側上半分に二棟の校舎。
それぞれの校舎は、北側に近い方から北校舎・南校舎と呼称。グラウンドに近い校舎西側一階は、北と南とはそれぞれ家庭科室と理科室。その理科室に、向坂とうるかとが囮として今は居る。
黒子が今居るのは、グラウンドの北西側隅の小屋。そこでは、グラウンド周辺に建てられた照明を動かし、照らせるスイッチがあった。
「……今のところは、怪しい存在は見当たりませんね」
甘い香りも、まだ彼女の鼻に漂ってはこない。
まだ、待ち続けるしかない。それを悟った彼女は、ひたすら監視に徹した。
:午前0時。同学校、北校舎屋上。
「明かりが……無いな」
校舎の屋上、その一角に積み重ねた段ボール箱。そこに潜みつつ、雪風 時雨(
jb1445)は呟いた。屋上故、街灯に照らされた周囲の住宅街が見て取れる。
「名物を楽しみたいところだが、人がおらんとどうにもならんな。さて、若き偽りの恋人たちは、いかなる事を語らっているか……」
かけているコグニショングラスの望遠機能を用い、西校舎の理科室へと視線を向ける。
なにやら、時間を持て余している様子。正直、今の自分もそう。
スマートフォンを取り出すと、彼はそれを操作した。定時連絡も兼ね、少しばかり聞いてみよう。二人の恋人が何を語らっているのかを。
:午前0時10分。同学校、南校舎一階、理科準備室。
「『ええ、こちとら変化なしッす』……ッと」
スマートフォンの画面に映るコミュニケーションチャットにて、安形一二三(
jb5450)は会話内容を打ち込んでいた。
理科準備室は、理科室の隣。そこで彼は、周囲を警戒していた。それゆえに、隣からの会話もついぞ耳に入ってしまう。
『……それでその子がね……そういう事があったの……ねえ、ちゃんと聞いてる?……』
うるかの言葉に、向坂は適当に相槌を打っているのみ。
「やれやれ、大変そうッスねえ」
待つ者だけが、大変というわけではないようだ。
:午前1時10分。同学校、北校舎一階、家庭科室近く。
「……『こちら楯清十郎(
ja2990)、家庭科室周辺には異常なし』……っと」
端末アプリのチャットにて、何度目かの定期報告。
校舎中庭を挟んだ、南校舎の向かい側。その近くの植え込みに楯は隠れ、潜んでいた。ナイトビジョンであちこちへ視線を向けるが、やはりなにも見当たらない。
退屈しかけたその時、アプリのチャット上に目をやると。
「……『警戒! 甘い臭いが!』」
黒子からの書き込み。
それとともに、理科室へと目を向けると。
二人が立ち上がり、何かと対峙していた。
:午前1時10分。同学校、南校舎一階、理科室。
アプリのチャットに、黒子が書き込んですぐ。
強烈な甘い臭いが、うるかと向坂、二人の鼻孔に飛び込んできた。腐敗臭に、甘さを加えたような臭い。
まだだ。怪しまれないように、できるだけひきつけ、誘き出さなければ。
が、気付かないふりをする必要もなくなった。
人影が、グラウンドに近い側の窓に映っていたのだ。
「「!」」
言葉を交わす必要はない。すでにすべき行動は予想しており脳内で練習もしている。あとは……実行のみ。
二人が立ち上がると同時に、窓ガラスに銃口が突っ込まれ、気体が放たれた。
:午前1時11分。同高等学校、北校舎屋上。
『マッドガッサー出現!』
それを黒子からの電話で知った雪風は、即座に行動に移る。
「スレイプニル!」
高速詠唱を用い、呼んだ召喚獣に飛び乗る。そのまま校舎を飛び越え、グラウンドへと向かった。
だが、空中からの俯瞰にて。
「……!? これは!?」
彼は一瞬、自分が見た光景を理解できなかった。
教室から、グラウンドに飛び出した向坂とうるかの姿を見たが……何者かが「瞬間的に移動し、二人の先に回り込んだ」のだ。
彼は、予感を覚えた。この戦い、予想より骨が折れるかもしれない。
:午前1時12分。同学校、南校舎一階、理科準備室窓。
「マジかよ、ありえねえ!」
安形は、そいつ……マッドガッサーへの驚きを隠せなかった。
黒子からのチャットとともに、自分の元にも「甘い臭い」が来て……窓から覗くと、すぐ近くに「そいつ」がいるのを確認した。
すぐに二人はグラウンドに逃れたのが見え、そして「そいつ」の姿も見えた。
が、マッドガッサーが振り返り、二人の姿を認め、駆け出したと思ったとたん。
そいつは、猛烈なスピードで駆け出したのだ。
「くそッ、うだうだ悩んでもはじまんねえッ! いくぜ!」
雪風同様に、相棒たる召喚獣……スレイプニルを召喚し、窓から飛び出す。
その途端……。
世界に、光が満ちた。
:午前1時13分。同学校、グラウンド。
照明のスイッチを全て押し、黒子はそいつの姿を光の下に突き出した。そのまま、敵の元へと駆け出す。
校舎方面からは、雪風と安形が、それぞれスレイプニルを伴い接近してくる。楯も走ってくるのが見えた。
グラウンドの中心部には、うるかと向坂。向坂はタウントを用いて、「そいつ」の注意をひきつけているはず。
改めて、「そいつ」の姿を見た。「そいつ」は、確かに全身が黒ずくめ。目撃証言通りに、顔はガスマスク。頭には漆黒の帽子またはヘルメットらしきものをかぶり、頭髪も含めて完全に隠していた。
喉から下、胴体や手足も、すべてが黒に統一された衣服で包み込まれ、地肌は露出させていない。着衣はスーツのようにも、どこかの国の軍服のようにも見えるそれ。全ての生地が黒く、体の線が見えない。背にはためくたっぷりしたマントが、体型を見極めるのを更に難しくしている。
マントの下、背中部分には何かのふくらみが。そこから伸びているだろうチューブが、手のライフルに続いている。……目撃証言にあった、ガスタンクとガスノズル銃に相違あるまい。
「……なるほど、まさに……マッドガッサーの名にふさわしいです」
黒子の目前で、そいつはガスノズル銃を構え……濃い煙を周囲へと放出しはじめた!
ガスが放たれ、周囲の空気が濁り始めたその時。
「……はっ!」
うるかがマーキングを打ち込んだ。マッドガッサーの右腕に、アウルの塊が撃ち込まれる。
マッドガッサーは毒ガスを放射し続け……それを煙幕のごとく、身にまとった。
「くっ! 黒瀬、場所わかるか!?」
「はい……前方11時の方向……待ってください! 三時の方向……右です!」
右に視線を向けると、向坂はそこに……認めた。
移動したマッドガッサーが、そこにはいたのだ! それも、1mと離れていない地点に!
それを見て、向坂は悟った。こいつの能力の一端を、ガス以外の能力の一端を!
「! こいつ、超スピードで移動できるのか!」
が、気付いた彼に対し、マッドガッサーは首をかしげてみせた。まるで、マスクの下で嘲っているかのように。
構えたガスノズル銃の先端から、大量のガスが容赦なく吹き付けられた……。
:午前1時14分、同学校、グラウンド。
「待ちやがれ!」
ガスの放射とほぼ同時に。グラウンドに響き渡る声が。
スレイプニルを伴った、バハムートテイマーが二人。その片方・安形が……。
「てめェは、この俺が倒す! スレイプニル、行け! 『トリックスター』!」
攻撃を放った! 召喚獣スレイプニルが、神速のきらめきとともにマッドガッサーへと襲い掛かったのだ!
スレイプニルの蹄が地面を蹴り、光の速さで移動する。が、マッドガッサーも負けじと素早く動き、その攻撃のほとんどを回避した。
ガッ!
が、回避はされたといっても、「ほとんど」であり、「全て」ではない。スレイプニルが、強烈な蹴りを一撃のみだが……マッドガッサーの胸に直撃させていたのだ。
無様に吹き飛ばされ、後方へと転がるマッドガッサー。
そこにできた隙により、向坂とうるかはガスの直撃をまぬがれ、他メンバーは布陣を張る時間を稼げた。
黒子が西側を、楯が北東を、安形と雪風が南東、そしてうるかと向坂が南西にと散らばり……マッドガッサーを囲む。
ガスはまだ、濃く漂っている。拡散する様子はなく、塊のまま漂い続けていた。
すぐに立ち上がったマッドガッサーは……状況に、気が付いた。
自分が囲まれている、という状況に。
:午前1時16分、同学校。グラウンド。
「『ハイブラスト』! ……ちっ、あてが外れたか」
スレイプニルの力を借り、雪風は雷状のエネルギーをガスへと放ったが……それは、ガスを多少吹き飛ばすのみに終わった。ガスが本体かと思ったが、どうやら違っていたらしい。
他の皆も、マッドガッサーへと攻撃をしかける。が、毒ガスを濃く、大量に放出し続けるため、視界が効かず、接近できないでいた。
「……黒瀬さん。マーキング、まだ効いていますか?」
うるかの隣りに移動していた楯が、彼女に問いかけた。その手には、飛龍翔扇が握られている。
「ええ……来るわ! 正面から接近!」
その言葉が終わらぬうち、マッドガッサーが突進し……二人の間を通り抜け、二人の真後ろに出現した。それとともに、ガスを放つ!
が、楯はそのガスを多少浴び、吸い込んでしまったが……同時に、携えていた武器を放つ!
飛龍翔扇、龍が描かれた大振りな扇子が飛ぶが、それはマッドガッサーの目前まで飛ぶと……明後日の方向に飛んでいってしまった。
が、マッドガッサーは自分の右腕、ガス銃を持つ右腕を見下ろした。
鋼の糸、カーマインが巻き付いている。それを握っているのは、楯。
「足を狙いましたが……案外、手ごわいですね」
しかし、状況が有利になった事を楯は悟った。動きを封じたら、あの超スピードも使えない様子。ならば!
「ならば、動けない間に攻撃させてもらうぜ!『神輝掌』!」
向坂の読みが当たった。それとともに、攻撃も当たった。輝ける光の力を帯びた、強烈な一撃が……マッドガッサーの胸部に命中する。
ガスを撒き散らしつつ、マッドガッサーはもんどりうって後方に倒れた。すかさず、黒子がスナイパーライフルで、うるははマシンピストルで、その小癪な怪人へと狙撃。弾丸は容赦なく怪人へと打ち込まれ、小気味の良い音を立てる。
うるはの弾丸が、マッドガッサーの背中、タンクらしき部分を撃ち抜いた。それとともに、小爆発が。
どうやら背中のタンク、ないしは重要な部分に命中したらしい。何度も何度も小さな爆発が続く。ガス銃の先端からも、ガスは出ない、出てこない。
「おっと、逃がしませんよ!」
逃れようとするマッドガッサーだが、楯はカーマインを離さない。痺れと麻痺があるものの、手を離さない事くらいはできる。
「『ハイブラスト』!」
雪風が、再びハイブラストを、今度は動けぬマッドガッサーへと放った。その直撃を受け、怪人は膝をつく。
武器も、逃走も封じた。勝利を確信し、とどめとばかりに安形が最後の攻撃を放った。
「これでとどめだ! カスなヴィランは、ガスごと退場しやがれ!『ブレス』!」
強烈な、スレイプニルの一撃。この一撃で、マッドガッサーは倒れる。勝った!
が、その確信は、裏切られた。
マッドガッサーは、あえてその一撃を受けたのだ。召喚獣の攻撃を受け、カーマインが巻き付いた右腕が引きちぎられる。
しかし、右腕を失った事で、カーマインの束縛から解放され……さらには、強力な召喚獣の一撃を利用し、グラウンドから撤退したのだ。
学校の西側。フェンスに受け止められるが、そのフェンスも倒れ……マッドガッサーは校舎外へと飛び出す。
「なっ……!」
安形は声を失った。が、それは他の皆も同じ。
素早く立ち上がり、マッドガッサーは闇の中を駆け出した!
そして、数秒後。
遠くの方で、爆発音が響いた。
:午前1時45分。学校近く、廃車置場。
安形はすぐに、スレイプニルを戻し、ヒリュウを召喚。マッドガッサーの姿を捜索した。
そして、発見した。そこは学校近くの廃車置場。そこで、廃車を巻き込んだ……何かの爆発した痕跡を発見した。
「くそッ! 勝てたと思ッたのに! ……すんません、俺が未熟なばッかりに」
ぎりぎりという音が聞こえそうなほどに、安形は歯をかみしめている。
「いや、あんなやり方で逃走するなんて、誰も予想できませんでした。あなたのせいじゃありませんよ」
黒子がフォローを入れつつ、皆とともにあたりを調査する。
先刻に放った、タンクへの攻撃。それが功を奏し、マッドガッサーごと爆発した……。そう考えるべきだろう。
しかし、死体が見つからない。少なくとも、マッドガッサーが滅んだという証拠が欲しかった。
「来てくれるか? こっちに……」
雪風が、何かを見つけたらしい。皆で行ってみると、道路の排水溝の近くに、ガスマスクが転がっていた。
「……どうやら、奴は倒せたって事でいいのかな」
向坂が呟くが、次の瞬間。
全員、凍り付いた。
ガスマスクが、排水溝に落ちたのだ。否……排水溝から伸びた黒い腕が、ガスマスクをつかみ……暗黒の中に引き込んだように見えた。
すぐに皆で駆けつけ、排水溝を開き明かりを照らす。が……そこには何もなかった。
「……奴、なのか?」
暗かったし、はっきり見えなかった。気のせいだ。向坂はそう言いたかったが……言えなかった。
:後日。
それから、大規模な調査が行われたが、マッドガッサーらしき存在は目撃されていない。事後調査が終了し、住民が戻ってから現在。やはり……事件も無く、目撃もされていない。
あの黒い手は、幻か? マッドガッサーは倒したのか? それとも……。
が、撃退士たちは確信はなくとも、確実に誓った。
どうであっても……もしも次があったら、必ず確実に倒す、と。