●怨嗟の声
その声は、川の方から聞こえていた。
なるほど、その声は途切れることなく聞こえてきていて、これならば迷うことなどなさそうである。
「川のそばだと、やっぱりまだ少し冷えるね〜☆」
ピアレーチェ・ヴィヴァーチェ(
jb2565)は風の中に明らかな冷気を感じるとそう言って笑った。
「そうですね」
そう頷く玉置 雪子(
jb8344)の表情は硬い。
今回のディアボロも、それを作った悪魔も気に入らないのだ。
悪趣味。言葉にせずそう思う。
「流しひなか、知ってるぜ。あれだろ? ヤクとかいうのを乗っけて川に流すんだろ?」
Sadik Adnan(
jb4005)の言葉にこの季節はそういう行事が多いと莱(
jc1067)が頷いた。
雛祭り、流し雛、この季節は興味深い催し物が多いと思う、だからこそ。
「文化を解さないディアボロには早々に退場してもらいましょうか」
「不運、恨み、後悔、誰に言ってもどうしようもない事を流し雛したと思ったら逆に恨み言として言われるんだ」
たまったもんじゃないと、晴芽野 驟雨(
jc1107)がそう言って眉を顰めた。
だんだんと大きくなる声音が恨みつらみをこれでもかと伝えてくる。
「こっちが生み出した穢れとはいえさくっと討伐させてもらうよ」
その凛とした声を聞きながらキアラ・アリギエーリ(
jc1131)もディアボロですか……と小さく囁いた。
「やらせませんよ。撃退士として。元天使として。そして、保安官として」
視線の先で、川が流れて行く。
ここで間違いがないだろう、と撃退士の面々が足を止めた。
恨みつらみの声が、わんわんと響いている。
「それにしても、なんで一体ずつ出てくるんでしょう? まとめて出て来てもいいでしょうに……」
ヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)の問いに答えられる者は誰も居ない。
さて、どこから出てくるか……。
蒼月 夜刀(
jb9630)の赤い瞳が揺れる水面を捉えた。
「あそこだ」
「苦しい、苦しい……」
ざばりと川から出てきた雛人形は絞り出すように怨嗟を吐く。
胸が締め付けられるようなその声音。
「クソ拭いた便所紙を模すなんて、悪魔さんもいい趣味してますね」
侮蔑をこめたその一言と共に最初を担う2人が前に出ればディアボロは、そんな雪子にと怨嗟の言葉を吐きつける。
眉を顰めた雪子は、氷のアウルを莱へと纏わせるのだった。
●這い出る者
最初の雛人形と戦うのは莱と雪子だ。
一瞬だけひやりとしたアウルが、莱の身に力を与えてくれる。
「退場してもらいます」
前衛として、雪子の壁になるよう前にでた莱が雛人形にと力を込めた一撃を放つ。
縋りつき噛みつこうとした雛人形に当たったそれは、怪力効果もあったことから地面にと叩きつけられ嫌な音を立てた。
「痛い痛い痛いいた、い」
それは、とても苦しそうな辛そうな憐憫をさそうような。
伸ばされた指先がぎりりと莱の足を抉っていく。
「殺した死体に恨み辛みを吐かせて、一体誰のせいで苦しんでいるのでしょうか」
けれど2人の攻撃の手は止まらない。
莱を避けて雪子に行こうとするのを割り込み、噛まれながらもナイフでその身を削れば、さらに氷の短剣が手足の神経を冷気が這い上って行く。
「莱さん」
「はい、いきます」
ざくりとその身を抉ったナイフに、雛人形の動きが完全に止まったのだった。
「あれか。うぜぇ言葉ってのは何時聴いてもうぜぇんだな」
入れ替わり、Sadik達が出た所で、先程とは違う場所から雛人形が這い出てくる。
「グルゥ。行け、耳ざわりだ。好きなだけ暴れていいから、さっさとしとめろ」
最近サブカルチャーや伝統知識にも手を出し始めたSadikはさっさと倒して流し雛を堪能したい所である。
召喚されたグルゥが躍り掛かったの に合わせ、背後からヴァルヌスも攻撃を行う。
「趣味は、あまり良くないね」
氷結を当ててからのバックステップ、さらにはサンダーボルト、距離を保っての雷のエネルギーのような一撃。
そんなコンボを当てくるグルゥに噛みつき、時にひっかく雛人形に笑いかるSadik。
「グルゥはあの戦法が好きなんだよなぁ。いい趣味してんだろ」
睨み付ける雛人形に、寂しそうな瞳をしたヴァルヌスも声を掛けた。
今、身を蝕むその思い、そこに込められたのは呪いなんかじゃない、と伝えていく。
「子の健やかな成長を願う、祈りだ」
ヴァルヌスにも子が居るからこそ、それは真摯な声音だった。
理解したのかしないのか、それは分からなかったが、伸ばそうとしていた指先が力なく下に落ちたのと同時に、グルゥの爪がその身を地面に沈めたのだった。
間髪入れずに足元に這い出てきた雛人形にピアレーチェがキアラを守るために立ちはだかる。
「仮にも私は保安官、このくらいの敵、あっという間です!」
薙刀に払われ、銃弾をその身に受けながらそれでも怨嗟の言葉を吐きながら足元へにじり寄ってくる。
その動きを油断なく見つめ分析し、ピアレーチェが次の手を打っていく。
何度でも何度でも、血がうっすらと飛びかかってきた雛人形を弾き飛ばしたと同時に宙を舞った。
その後ろで援護するキアラは、痛い、辛い、助けて、そんな声音にリボルバーを持つ手に力が籠る。
勿論非公式の自称保安官ではある、あるけれど。
「制服のバッジは飾りじゃありません!」
何よりも人助けが最優先だ、との思いを込めた一撃が、ピアレーチェが薙刀で抱き着くのを食い止めるその指先に当たり破損させる。
「これで、おしまいだよ☆」
にこりと微笑んだピアレーチェに薙刀で振 り払われ、吹き飛んで行った雛人形は、その身を地面にと沈めたのだった。
「よろしく頼むよ、速攻でケリを付けにいこう」
驟雨の言葉に、夜刀が頷き結晶のようなものに覆われた柄を握り締め這い出てきた雛人形に踊りかかる。
「そうだな、終わらせるとしよう」
とっさに転がり避けた雛人形に見えぬ弾丸が迫る。
「人の辛さをお前達が好き勝手に言ってくれるなよ……!」
憎い、憎い……そう叫び声をあげ、夜刀の手首に噛みつき血を流させれば弾き飛ばそうと攻撃を仕掛ける驟雨に視線をやった。
澱んだ全てを憎むような怨むような諦めたようなそんな瞳。
そんな瞳と視線を合わせながら驟雨の攻撃の手は緩まない。
地形を破壊せぬようという思いから、あまり派手には動かず流れるように叩き伏せる。
「これで、終わりだ」
前にでて力をふるう驟雨と夜刀の一撃が、雛人形の顔を捉えた。
「…………」
何か言いたそうに開いた唇が閉じて、そのまま地面にと転がったのだった。
これで、四体目。
皆に再度の緊張が走る……。
最後になった驟雨達が倒し終わったのと同時に、一際大きな声が上がった。
「あぁ、恨めしや……恨めしや……!!!!」
今までの比じゃない程の、圧倒的な心に響くような、そんな声音。
最後の一体であるその雛人形は、なるほど、確かに今までのより大きかった。
一気に恨みを晴らすよりもこうやって何度も何度も怨嗟を叩きつけられれば、弱い人ならば参ってしまっていたかもしれない。
「なるほど、胸糞悪いですね」
心がかき乱されるその声音に、雪子が吐き捨てながら長剣を振るうのを指先で弾き飛ばす。
「ねえ、流れに戻るのと川底に沈むの、どっちがいい?☆」
ピアレーチェが冥府の風を纏い、薙刀を使い払い退けるのに合わせ同じく薙刀で攻撃を仕掛ける莱。
二つの刃がその身を払いのける!
それに踏鞴を踏みながらも耐え、なおも突撃を繰り返す。
「遠慮はいらねぇな。あいにく、あたしは口で言う前に考えて行動する人間なんでな!」
遠慮のない攻撃をグルゥが加えていくのに合わせ驟雨が見えぬアウルの弾丸を飛ばし逃げようとするのを阻止する。
「この恨みを少しでも減らせるようにならないとな」
合わせるように夜刀の光を宿した刃がその腕を狙い引っ掻こうとしたのを食いとめる。
「あぁ……痛い……助けて」
その言葉に惑わされる者はいないけれど。
それでも、その声音はどこまでも苦痛と怨嗟が籠っていた。
キアラの弾丸が食いとめた夜刀を援護するように指先に被弾すれば、指先の力が抜ける。
「ニューロ接続、マキシマイズ起動!」
ヴァルヌスの鋼の鞭による一撃がその身にヒビを入れていき、やがて完全に動きが止まった。
それに合わせ、怨嗟の声も聞こえなくなる。
それでも止まらぬ雪子の攻撃に、二度、三度とその身が跳ねたが、やがてそれも終わりの時が来た。
倒れたディアボロ達を見つめ、ヴァルヌスがそっと祈りを捧げる。
「ボクも祈るよ。キミ達がまた、この世界に望まれて生まれることを」
その日まで、おやすみ。
ぱたりと倒れた雛人形はどこか安堵しているようにも見えたのだった。
●流し雛と共に
お礼を言われた後、暖かな甘酒を振舞われる。
村人を怖がらせぬように人型の姿になったヴァルヌスはちらし寿司を作って振る舞う。
「ボクにも娘がいましてね」
こう見えても悪魔の身ですので、それなりの年なのだと言えば何とも言えない空気が立ち込めた所で、それを片手に雛人形作りが始まった。
「あったかーい☆」
地球の文化を全力で楽しむ! ピアレーチェは折紙で雛人形の折り方をじっくりと学ぶ。
何杯目かの甘酒を飲んだ所で、納得の行く出来になった。
そして、本番用に出されたのは一冊のノート。
「誰のか知らないけど穢れが詰まってそうだから代わりにね☆」
別名「黒歴史ノート」という色々なそれはもう穢れ以外の何かも詰まってそうなソレで作り上げていく。
同じようにじっくりと学ぶのはSadikだ。
甘酒を飲みながら、作り方を教わって自力で折ってみる。
綺麗に折れたそれは、初めてとは思えない程だ。
そんな近くで、莱もまた教わりながら作って行く。
穢れを浄化するという考えは興味深い。
痛みや苦しみ、悲しみや憎しみ、戦場に溢れるそれらが穢れならば自分自身も刀も穢れに染まっていることだろう。
(たとえ刃と身体が穢れに染まっても、戦う意志は変わりません……私は、兵士ですから)
それでも、この穢れが浄化出来るのか、浄化されたらどうなるのかとても興味がある。
「真に厄いのは悪魔か天使か……それともそれを憎む俺のような人間か?」
両親への後悔を込めて二対作る驟雨が零した言葉に、莱が視線を上げて首を傾げたのに、微笑を零した。
それを機に、皆とお喋りが始まる。
「皆出来た?」
驟雨の問いかけに、皆が出来上がったと立ち上がった。
それぞれに雛人形に乗せる思いが、あるだろう。
ゆっくりと向かう先では、既に何人かが流れる雛人形を見つめていた。
雛人形を流すというのは、あまりにも不憫すぎる。
しぶしぶ参加した雪子だったが、勿論それを村人に向けて言うつもりはない。
お礼を言って渡された甘酒を受け取り、一口飲めば、ほんのりと体が暖かくなった。
視線の先では、雛人形を作りなにか思い詰めた表情で川に流す人々の姿。
流れに乗った所で、ほっとしたように 笑顔になり、そして流れ行く雛人形に深く頭を下げた。
ピアレーチェの黒歴史な雛人形や驟雨達の雛人形達も無事に流れに乗って下っていく。
そんな中、娘を想う姿が一人。
もうすっかり大きくなって、今は ただ彼女が幸せいられるように祈るしかないヴァルヌスは少し寂しいですね……と呟いた。
少し切ない表情を浮かべ、桃色の雛人形が流れていくのを見守りつつ、溜息ついた。
「こうしていつか、ボクの手を離れていくんですかねぇ」
だがしかし。
(くそう、娘は誰にもやらないぞォ!!)
涙を堪えつつ、そう心に誓うヴァルヌスが居たのだった。
やがて、お炊き上げが始まるというアナウンスが流れた。
先程の流した黒歴史ノートの余りを火にくべる。
煩悩とかなんかそういうのが燃えあがって行くが、切れ端が宙を舞って新たな黒歴史を作らないだろうか。
「金平糖みたいにいろんな色ついてて、ここだけ春みたい☆」
色とりどりの雛あられを口に運びながら、そんな火に燃え上がる姿を見つめるピアレーチェ。
その隣で甘酒と雛あられを唇に運び、キアラと夜刀ものんびりと見守って居た。
「美味しいですね……」
キアラの言葉に頷く夜刀。
作られたちらし寿司も今はもうなく沢山あるからね、と寄越された甘酒を雛あられをつまみにちびり、ちびりと皆口に運んでいく。
「この祭事の願いは実感できねぇけど……こういうのもあるんだなってのは、いい経験になったよ」
見上げ呟くSadik。
皆の視線の先で、一つ、また一つと火の粉が舞っていく。
そうやって浄化されたのだろうか。
「流されて天に登って行くのが穢れなら俺達が何度でも祓ってやるさ」
驟雨の言葉が天に昇っていく火の粉と共に、ゆるりと響き渡る。
「穢れを流す」という大業を終えた雛人形達がゆっくりと、ゆっくりと天へ舞い戻って行くのを見届け、雪子が唇を開く。
「帰りましょうか」
それに頷き、1人、また1人と帰路へとつく。
こうして、一つの伝統行事が撃退士達によって守られたのだった……。