●出航
現地では撃退署の四方が待ち構えていた。
「今回もご協力有難うございます」
案内された先には2艇の特殊ホバーが待っていた。若干スピードは犠牲になっているが、厚い装甲が覆い、弱いディアボロ程度なら一撃で沈むようなことはないという。
事前に頼んであったブルーシートは既に積みこまれていた。
「気休め程度だが。無いよりはましだろう」
巌瀬 紘司(
ja0207)が早速一隻に乗りこみ、シートを広げる。
作業を手伝いながら、クロエ・キャラハン(
jb1839)が確認するように言った。
「巌瀬先輩はハンザキを知ってるのよね?」
「良く知っている」
答えは簡潔。だが複雑な心境がにじみ出ていた。
「ハンザキって結構強かったけど。今回の影って、ハンザキより強いのかな」
クロエはこれから向かう先を見遣った。
灰色の空に突き出た岸壁は、薄紅色に縁どられている。あれに絡め取られている多くの人の事を思うと、一刻も早くと焦燥感に駆られるのだ。
手を止めないままクロエが語る。
「ゲートができる前に出てきたハンザキ以外のディアボロって、そんなに強くなかった感じよね。もし影がここのゲート主の配下だったら後で作ったんだと思うけど。ハンザキより強い配下って、そんなにすぐ作れるものなのかな?」
「どうだろうな」
紘司は耳を傾けながら、ブルーシートの具合を調整する。いずれにせよ、ゲートが作成された目的は一つ。人間の魂を吸収する事だ。
雀原 麦子(
ja1553)が少し名残惜しそうに、飲み干したビールの缶を潰した。
「ま、今回の目的はその辺りを調べる事よね。オハナシできたら多少分かるんじゃないかしら?」
桜井・L・瑞穂(
ja0027)は艇の上から水平線を見つめる。
「如何なる相手か存じませんけど、必ず正体は暴いてみせましてよ」
敵は影だけではない。そこにはヴァニタス・ラリサもいるはずだ。
(あの女は今、何をしていますのかしら?)
だが今は、気持ちを切り替える。
瑞穂は私情に惑わされて目的を見誤ることはない。
(ともあれわたくし達は責務を果たしませんと)
艇に乗り込みながら、黒井 明斗(
jb0525)は思案する。
(ラリサさんだけでも厄介なのですが。謎の敵とは難儀な話ですね)
それでも怖気づいたりはしない。できる限りの事はやる。
「当然です。その為に来たのですから」
瑞穂に答えるように、そして自分に言い切るように。
それでもこみ上げる物はある。艇に座を占めた神谷春樹(
jb7335)は固く拳を握りしめた。
「ラリサ。今度こそ雪辱を果たして見せる……」
ロキ(
jb7437)はその傍らにさり気なく寄り添った。
艇が出ようとする時に、ポラリス(
ja8467)が駆け寄ってきた。
「はいはい、カメラ持ってる人よろしくね!」
明斗は防水ケースにセットしたカメラを手渡す。
「あとで返して下さいね」
「もちろんよ!」
預かったカメラの具合を確かめ、ポラリスはふと船縁から黒い海を見おろした。
未知の敵との戦いを前に、さすがに緊張気味なのを誤魔化すように明るい声を上げる。
「うー、私あんまり泳ぐの得意じゃないのよね……万が一落ちたら誰か引っ張りあげてよ! ね!」
身震いするように呟くと、中山律紀(jz0021)が重々しく答える。
「……なるべく落ちないように頑張ってね」
「え、それちょっと酷くない!?」
居並ぶ艇のエンジン音が高くなり、静かに岸壁を離れて行く。
●トビウオ爆弾
公務員撃退士達が埠頭に艇を寄せ、一斉に駆け上がっていく。
それを見届け、麦子、明斗、ポラリス、クロエ、律紀らA班が乗り込んだ艇が沖寄りに、瑞穂、紘司、春樹、ロキらB班艇がやや岸寄りに停止した。
「上手く写ると良いんだけどね」
ポラリスは動画モードに設定したデジカメをあらゆる方向が撮影できるように固定し、ビニールで厳重に包み海中に降ろす。
尤もデジカメの耐水性能では精々5mがいい所だ。ロープを調節し、長さを固定した。
紘司はビニール袋にフラッシュライトを包み海中に降ろす。
「少しでも足しになればいいのだが」
デジカメの写りが多少なりとも良くなるようにとの考えだ。
その間に瑞穂、明斗、律紀が生命探知で周囲の気配を探る。
「……ちょっと多すぎるかな」
律紀が呻いた。生命探知は対象の大きさまでは分からない。多くの生き物に溢れた海では、反応が多すぎるのだ。
「こちらに接近する対象、それも一定のスピードの物に注意しましょう」
明斗が艇から身を乗り出すようにして水面を睨んでいる。
生きるために動く存在と、明確な意図を持って接近する存在には違いがあるはずだ。
果たして、それは現れた。
「来ました! 北北西の方向10mの所を上昇してくる物体、多数っ!!」
言うが早いか、明斗は腕を突き出す。その手に輝く星のリングから流星を放ち、波間に見えたトビウオ型ディアボロに叩きつける。
ポラリスとクロエがバランスを取りながら、長射程を生かして飛び上がる銀色の影を討ち抜いた。
「上から叩きつけて、こちらに腐食液が飛ばないように……!」
クロエは不安定な足場で、極力姿勢を高くして狙い撃つ。
その間にも、群れは何者かに導かれるようにこちらに集まってきた。
「思った通りね」
クロエが密集地点に向けて氷の夜想曲を放つと、動かなくなったトビウオが幾つも浮かび上がってくる。
「なるべく東側を狙ってください。埠頭側に追い込みましょう」
「わかったわ!」
明斗の提案にポラリスが即応。東側に狙いを定めると、自然と西寄りに魚群は密集する。
「逃げ場はありませんよ。これでどうですか!」
眩く輝く彗星が、水面に照り映える。銀色の身体を瞬間輝かせ、数体のディアボロが弾けた。
A班の交戦を確認し、瑞穂は星輝装飾を発動する。
「紛い物の魚に此の美しさが理解出来ますかしら?」
満天の星空の如く光子が2艇の周囲に舞い、その中心で瑞穂は手の甲を口に当て飽くまでも上品に高笑いする。
勿論トビウオ型ディアボロへの目晦ましもあるが、今回目標とする謎の影に知能があれば、何らかの反応を示すかもしれない。
何かの指示があったのかは判らない。だが魚群は明らかに分かれ、そのひとつがB班の艇へと回り込む。
「接近されると厄介だ。距離が離れているうちに叩こう」
紘司が声をかけ、放水ノズルの傍で楯を構える。
「まったく、美しさの欠片もない魚ですわね!」
瑞穂が純白のドレスを纏った姿となり、光の翼を広げる。花の意匠も豪奢なアウルの槍を海に向かって投げ入れると、魚群が分断される。
分かれた一群が接近するのに合わせ、紘司は審判の鎖で動きを止める。
「所謂雑魚か……」
確かにトビウオ自体の攻撃力はさほどでもなく、抵抗力もかなり弱いようだ。
それでも数が多い。次々と海面を飛び出しては艇に襲いかかる。
びしゃり。
ブルーシートの表面でトビウオが見る間に潰れ、透明な液体が流れる。
すぐに紘司が放水ノズルで洗い流すが、所詮はブルーシート、すぐに崩れて行く。だがほんの一瞬でも船体自体へのダメージは軽減できるようだ。
「こうしておけば!」
春樹がラジエルの書を取り出し、上に向けた。アウルが作りだしたカードの幻影が、飛び上がったディアボロを切り裂く。が、間近で潰れたディアボロは飛沫を撒き散らし、そのまま落ちて来るのだ。船縁に、春樹に、危険な液体が流れ落ちる。
「危ない、春樹!」
ロキが春樹を艇内に引き倒し、緊急障壁を展開。己の身体でトビウオを受け止める。
「動くな!」
紘司が放水ノズルを向け、ロキごと艇を洗った。腐食液を撒き散らせば船底に穴が開きかねないのだ。
ディアボロの群れは今や、群れと呼ぶには隙間だらけの状態だった。
突然、その散り散りの影が、何かの合図があったかのようにまとまり沖へと泳ぎだす。
「来ましたわね。皆様、お気をつけになって!」
瑞穂が注意を促す。黒く盛り上がる波頭が北側から迫りつつあった。
●影の正体
影は巨大だった。
筋骨逞しい男の上半身に、蛇の下半身。見えている部分だけで2m程はあろう。人間の腰あたりに大きな鰭を翼のように広げ、見る間にこちらに近づいて来る。
麦子はその姿に不平を漏らす。
「えー……マッチョはいいけど髭がないじゃない! どういうこと!?」
非常に大きなお世話である。律紀は苦笑いを浮かべた。が、それも麦子の作戦の内なので黙って見守る。
「まあいいわ。タイ捨流、雀原 麦子、手合せ所望するわ!」
「手合わせだと……? くくく、面白い奴だな」
化け物が口をきいた。少なくとも会話が可能な知能を持っている。
クロエが口元をぐっと引き締めた。
まだ埠頭からの連絡はない。これだけの時間をかけて、まだ侵攻できているのなら。
(ゲートの主は埠頭にいないのかも……ということはこいつが?)
青く長い髪の隙間から金色の目を剥いた化け物は、値踏みするように撃退士達を見渡す。
「子供や女もいるのか」
「ねえちょっと。こちらが名乗ってるのよ、名前くらい名乗れないの? 無ければ私がつけましょうか?」
麦子がふんぞり返って啖呵を切った。
「知ってどうする? まあいい。我が名はカダ。逆に訊こう。我が配下を屠ってきたは、お前らか」
紘司の手に力が籠る。ハンザキ。そして恐らくは、滋賀県で倒れた奥居一彦。これまで相まみえた2体のヴァニタスの主がこのカダと名乗る悪魔なのだ。
クロエもまた、無言でカダを見上げる。こいつを倒さなければ、囚われた人々は救えない。
「礼はさせてもらうぞ」
カダが三叉戟を振り上げる。ほぼ同時に撃退士達も動いた。
「そうこなくっちゃね♪」
麦子が不敵な笑身を浮かべ、強弓を引き絞る。
「さて、どんな動きを見せて下さいますかしら?」
B艇で少し離れた映像を撮ろうと、瑞穂がデジカメを水中に入れる。
その間もトビウオ型ディアボロは飛び込んでくるので、手が塞がっている間は仲間が頼りだ。
「フォローは宜しくお願いしますわ」
「任せてもらおう」
紘司が楯を構え直す。
麦子が放った矢は海風を物ともせず弧を描き、カダの肩口を僅かに掠めた。
「早い……!?」
図体が大きい割に、良く動く敵だった。明斗が間髪いれずに続く。
「いきます」
明斗の指から流星が伸び、僅かに赤い筋の走るカダの肩を狙う。
同じ場所を幾度も攻撃すれば、少しずつでもダメージは積み重なるはずだ。
「ははは、それだけか?」
カダは高笑いで波間に消え、再び思わぬ場所から現れた。足場が定まらない撃退士に対し、相手は水の中を自在に泳ぎ回る。
それでも麦子と明斗は休まずカダを攻める。
「もう少し……よし、今よ!」
僅かに盛り上がった海面目がけ、ポラリスがマーキングを撃ち込んだ。
カダの起こす大波に煽られ、ポラリスが船底に手をつく。
「ひっくり返されちゃうっ! 潜り込まれないように気をつけて!」
「ラジャー!」
操舵手はポラリスの指示通りに艇を操り、カダを翻弄する。
「少しでも役に立てばいいのだけど」
クロエがナイトミストを艇にかけ、回避能力を上昇させた。
(今までは接近攻撃狙いね。他に何か必殺技とか持ってないのかしら)
激しい波を乗り越えて行く艇から転がり落ちないよう、合間を見ては攻撃を続ける。
「中山君、今こそ新聞同好会の出番よ! 激写お願い!!」
「実は原稿書く方が多いんだけどね!」
ポラリスに発破をかけられ、律紀がカメラを構える。
正にその時、僅かに沖に距離を開けていたカダが三叉戟を振るい海面を叩いた。
衝撃波が真っ直ぐに麦子目がけて襲いかかる。
「なんの、これぐらいで……っ!?」
足を踏ん張り攻撃に耐える。が、直ぐに膝をついた。氷のように冷たい波を浴び、身体が思うように動かない。
「麦子さん、大丈夫!?」
「へーきへーき! それよりしっかりお掃除頼むわよ!」
律紀が手を離せば、トビウオが艇に穴を開けてしまう。麦子は敢えて笑って見せる。
(ふん、中々良く動く)
カダは内心焦りを感じていた。
直ぐに蹴散らせる相手と思い、ゲートの守りをラリサに任せてきたのだ。
(あの女、この連中にぶつけた方が良かったか……?)
ラリサは撃退士の中でも、若い連中を目の敵にしている。必要以上に突進させぬよう、敢えてゲートに残したのだが。
だが今回はそれが正解だったようだ。少なくともカダはそう思った。
ラリサに追い立てられ、原住民が埠頭から転がり出て来るのが見えたからだ。
春樹はB艇に群がるトビウオを叩きながらも、埠頭をずっと意識していた。
「来た、ラリサ!」
かつて煮え湯を飲まされた相手。
「今度は小細工は無しだ。最初から本気でやってやる」
得物を隼の銘を持つ和弓に持ち替え、艶やかな姿が近づくのをひたすら待つ。
ロキは春樹の傍で魔法書を開いた。
(春樹は絶対に傷つけさせない……!)
だが今回の目的はあくまでも謎の影の調査、そしてコアの位置特定だ。
四方の声が届く。
『お疲れ様です、コアの位置確定しました。こちらは離脱します!』
瑞穂はきっと顔を上げ、ラリサの姿を睨みつけた。
「貴女とは、また今度踊らせて下さいな」
クリアランスを万一の場合に備え活性化し、腰を落とす。再戦の機会はきっとある。
「行きます、掴まって!」
操舵手の声と共に、紘司はブルーシートを止めていた紐をほどいて海に落とした。その目晦ましの間に瑞穂は海中のカメラを引き上げる。
B艇が離脱するのを確認し、カダと対峙していたA艇も離脱の準備に入る。
「手は確認できましたね」
明斗が言うと、麦子が頷く。
「結構楽しかったけど、デートはまた改めて!」
強い一矢がカダに向けて飛ぶ。
「馬鹿め、何度射ようと当たらぬわ!」
高笑いと共に三叉戟を構えるカダ。その手元をクロエが狙う。
「さあどうかしらね?」
攻撃しようとした瞬間を逆に狙われるのは煩わしい。苛立ちがカダの集中力を奪う。
「いきます」
明斗が最後に残していたコメットを放つのと、艇が向きを変えるのはほぼ同時だった。
切り離したブルーシートをはためかせ、エンジン音高く艇はその場を離脱する。
「しまった……!!」
カダが歯噛みするも、機械の速度には叶わず。
――陸地に追い詰めるか?
その考えをカダは振り払う。いつまでもコアを空にしておくわけにはいかない。
「まあいい。次に遭った時こそ、捻り潰してくれるわ」
巨体が波間に遠ざかって行った。
戻った岸辺で傷を癒し、改めてデジカメの中身を確認する。
「さすがに水中のは無理みたいね……」
ポラリスが溜息をついた。トビウオディアボロや他の魚が邪魔して、肝心のカダの姿は残っていなかったのだ。
「水中での視界は限られますからね。実は我々も何度も失敗しています」
四方が苦笑いを浮かべる。
それでもコアの位置を特定し、敵の姿を視認した。
あとは。
「ゲートを破壊して、結界の人達を助け出すのよ」
クロエが自分に言い聞かせるように呟いた。
<了>