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山本若菜と大八木 梨香(jz0061)の両側に、突然、空席のテーブルが寄せ集められた。
「オーケー、話は聞かせてもらいましたっ! ここは俺もアイデアを出しますよ!」
若杉 英斗(
ja4230)の眼鏡が鋭く光る。
「ああ、大八木さん久しぶりです。こちらははじめまして?」
唐突だが礼儀正しい。
「あら、若杉せ……ぐふぉ!?」
「妹よっ! こんなとこで会うなんて嬉しいっ♪」
梨香は姉とも慕う部活の先輩、雨宮 祈羅(
ja7600)に全力で抱きつかれ、隣の人にぶつかった。
「あっ、すみません! ……あら、麦子先輩?」
「はぁ〜い♪ なんか面白そうな話ね?」
いつも通りほろ酔いの雀原 麦子(
ja1553)がグラスを掲げていた。
「おおっと、麦子姉さんじゃないですか! まま、どうぞどうぞ」
若菜が嬉しそうにビール瓶をとりあげ、麦子のグラスに注ぐ。
脇に立った片眼鏡の男が、慇懃に腰を屈めた。
「やあ三つ編みのアリス、何やらこの私の助力が必要な事態のようだね? ……その前に!」
レトラック・ルトゥーチ(
jb0553)は指を鳴らし、芝居がかった仕草で厨房を指す。
「取り敢えず必要なものはあの場所に。何をポカンとしてるんだ、恋の話に美味しい紅茶は不可欠だろう……?」
カフェの厨房を乗っ取る気満々である。
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レトラック自慢の香り高い紅茶を前に、若菜が改めて事情を説明する。
「袖擦りあうも多生の縁と言います。私もできるだけ協力しましょう」
萌えシチュとやらに興味津々のお年頃。ゲルダ グリューニング(
jb7318)がおっとりと微笑んだ。
(愛の告白の色んなバリエーションが見られるんですね。素敵です♪)
アスハ・ロットハール(
ja8432)は困惑の表情を浮かべる。
「……えぇと、つまり、ゲームの内容を考えろ、と……そういうこと、か?」
呼び出した祈羅が笑顔で頷く。
「だってアスハちゃんからそういうの、聞いてみたいし♪」
女子会ノリの妄想大会となれば血が騒ぐ。いや、アスハは男だが。
「ふ、む……学園物、か」
確かに久遠ヶ原は参考になりそうなサンプルの事例は多そうだ。……健全かどうかは別にして。
「だが萌え、か……僕には今一つ、そういう感覚は分からんの、だが……そういうのはキラの方が得意そうだし、な」
ご指名に目を輝かせる祈羅。
「えっとね、一緒に家庭科の教室とか、寮のキッチンとかで、チョコを作って、好きな人にあげるとかどうかな。男子とか女子とか関係なしに!」
「え、作るの?」
メモをとる若菜が聞いた。
「そう! ここはやっぱりそれぞれ好きな人がいて、互いが互いを応援してるという感じで行きたいなぁって。たとえばうちとアスハちゃんとか! そんでね、一番重要なのは、恋バナ!!」
ぐぐっと拳をにぎる祈羅。
「そういうシチュなら、いっぱい話聞けるし!!」
意訳:のろけてのろけられて楽しみたいです。
「……まあ多分、貰ったよりも贈った数の方が多い、か……?」
アスハが指折り数えつつこともなげに言った。
「……ざっと、70ぐらい、か? 一応、それぞれ一人一人にメッセージ書き添えて送ったりとかした、が」
「70?」
梨香が思わず呟く。
「……しかし、疑問なんだが……結局そのユーザーは、チョコが欲しいのか、その相手から貰いたいのか、どちら、なんだ? 僕の場合は、女性からの贈り物なら、何であれ有難く受け取る、が」
若菜が真顔で突っ込む。
「ただチョコが欲しいなら自分で買うでしょ」
「後者か。なら、とりあえず貰えれば嬉しいと思うんだ、が。貰い方にまで注文を付けるの、か。……業だ、な」
ゲルダがうーんと唸る。
「母が言っていたのですが。お友達の鞄にチョコが入ってると気付いてから、いつ渡されるのかと、一日中彼女の行動に一喜一憂していたそうです! そういう前振りがあるチョコレートをもらうのは嬉しいんじゃないでしょうか?」
「成程。特別な時期、なのかもしれん、が。だからこそ、普段通りのやりとりの中でさりげなく、の方が僕は好み、かな?」
アスハは何やら思案する顔になる。
「リアリティねえ……」
麦子が空になったビールグラスを弄ぶ。
「女の子同士で友チョコ渡し合って満足しちゃって、男の子はもういいや……みたいな感じ?」
身も蓋もない。若菜がかくりと首を傾げた。
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ベルメイル(
jb2483)が重々しく頷いた。
「そも、ヒトは己に都合のいい事を信じる生き物だ。いくらリアリティが欲しいと叫ぼうと、本当にリアルな事例を導入した所でゲームが売れる訳ではないだろう」
次第に熱の籠る口調。彼はいわゆるヲタクゲーマーだった。
ある日出会った画面の中の美少女に心を撃ち堕とされ、本当に自分が堕天してしまったのだ。
「だが……大八木君の言う、義理チョコを教室で渡す、これは結構良いのではないかと俺は思う。大事なのは其処に至るまでの胸キュンだ」
ゲームは基本的に第三の目線から俯瞰的に物語を見ることになる。
つまり其処に至るまでの少女の心の動きは、主人公には分からなくてもゲーマーには良く分かる。
少女は物凄く料理が下手だと仮定する(そういうキャラは一人くらい居るだろう)。
彼女が主人公のことを想いチョコを作るが、料理ベタ故に炭しか作れない。
何度目かの失敗でとうとう少女は出来合いの物を買うことを選ぶ。だが周囲のライバルは皆鮮やかな手作りチョコを用意しているわけだ。
その中では買ってきただけのチョコでは太刀打ちできない……ならばもう義理でも良い。出来合いを出して本命だなんて言いたくない――!
「それでも普段から手作りしか貰わないようなフラグ乱立主人公だ、逆に、新鮮に映るのだ。出現した選択肢で声をかけることを選んで、そこから二人の物語が始まる訳だ。それg」
「まあそこが問題なのよね」
若菜がまだ続きそうな話を適当なところで打ち切った。
「ありそうで、なさそうで。そういうラインかなあ」
レトラックが我が意を得たりと宣言。
「……成程成程、良ーいだろう!! 俺が最高のバレンタインというものを、君達に教授しようではないか!」
俺と彼女は紅茶を愛する同志、勿論この世界に紅茶を愛さない人間なんて存在しないがその辺りは取り敢えず置いておく。
いつものように二人で紅茶への愛を語らいながら茶会を楽しんでいたら、テーブルに見慣れぬチョコが。
いや、勿論紅茶の共にチョコを用意するのは紳士として当然のこと、だが俺が用意していたチョコはガレ、これじゃない。
まさか魔法で湧き出てきたかと思っていたら、少しはにかんだ彼女が言うのだ。
『貴方の用意する紅茶に合えば良いんだけど』
「その日の紅茶との相性が完璧に考えられた甘さ控えめのチョコだった日にはもう!!」
感極まってテーブルを叩く帽子の男(外観42歳)。
「誰か、そんなアリスを俺にください! 絶対幸せにするから!!!」
おいおい泣きながら顔を伏せる。
「えーと……頑張ってね」
若菜のペンがボキッと音を立てた。
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「実現可能なライン、か。サンプルになるかどうかはわからないが」
アスハが悪戯好きの奥方の去年のプレゼントを思い出し、少し口元を緩める。
「渡し方ではなく、贈り主のモチーフになった形のチョコとか、か。例えば、剣の形、とか、な。食べ辛くはあるが、なかなか趣向の凝った一品だったし、ね」
一緒にいると退屈しない伴侶の行動は、少し普通からは外れているかもしれない。
そして思うのだ。やはり誰から貰うのかが、大事なのだろうと。
嬉しそうに、そしてどこか悪戯っ子のような目でアスハを見ていた祈羅が、ふと笑いを収めた。
「まぁ、ここは恋人に意見聞いた結果だけどね」
不思議な偶然。
チョコを用意しての外出先で、偶然ばったり当人を見つける。
「で、驚かそうと思って、飛びついたんだけど……それは結構、嬉しかったみたいな……うう、なんていうか、実談だけあって若干恥ずかしいなぁ……」
「へえ、そんなことがあったんですね?」
梨香がからかうように言うと、祈羅が顔を赤くした。
「えっ、ちょっと、何その顔!?」
「はいはい、内緒ですよね?」
「もうっ、梨香ちゃん! そんな事言うとこうだから!」
ずぼっ。
「えっ」
梨香の頭に猫耳カチューシャがセットされる。
祈羅はニコニコ笑顔を取り戻し梨香の三つ編みをほどく。
「うん、それでこう、一生懸命手作りしたチョコを、ちょっと照れた感じで渡してくれたら、うちは非常に萌えるよ!」
「えっ」
私、女性に渡すんですか。言いかけた梨香の視線が、ベルメイルの鋭い光を湛えた青い瞳にぶつかる。
「……やっぱり、変ですよね」
梨香は思わず作り笑い。
「すまないが」
ベルメイルは真顔で言った。
「くるっと一回転して『お兄ちゃんだけのにゃんこだにゃん』って言ってみてくれないか」
「お、お兄ちゃんだけのにゃんこだにゃ……ん?」
「……」
それで満足したかどうかは、ベルメイルにしか分からない。
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「伝説の木の下なんていう、告白スポットでの受け渡しも萌えですね♪ 呼び出す女子も返事する男子も勇気を試されて良いと思います!」
ゲルダが一生懸命に訴える。
「あとは、『当日、女の子がもじもじしながら男性をちらちら見る』の繰り返しからの、放課後にそっと彼の前にチョコを置いて走り去る。みたいなのはどうでしょう?」
若菜がうーんと唸る。
「呼び出しはともかく、チラ見はいいかも」
ひとしきり笑い、麦子はビールを煽る。
「捻りがあったらいいんじゃない? 懐かしい学園ものねえ……番長?」
バレンタインで何故番長なのか。
ただ若菜にも判るのは、麦子が次第に酔いつつあるという事だ。
「えっとねえ〜朝下駄箱に『放課後屋上にて待つ』と書かれた手紙が!」
主人公が寒風吹き抜ける屋上に行くと、番長と、意中のあの子が。
この娘のチョコが欲しければ俺を倒してみせろと吼える番長!
乱闘の末に芽生える友情!
渡されたチョコはお礼なのか本命なのか?!
「……って感じの昭和どっぷりとか意外性ない? どう?」
麦子、ひとりで大うけ。
「え、番長がチョコ渡すんですか?」
梨香、混乱。
「違いますよね、女の子ですよね! あ、あとはそのチョコを渡す時に『これ義理だからね! 勘違いしないでよね!』と言いつつ、ハート型だったりするんですよね!」
身を乗り出すゲルダに、麦子が上機嫌でチョコレート菓子を差し出す。
「ゲルダちゃんてば可愛いわ〜おねえさんとドキドキ体感しましょ♪ 」
初等部女子にポッキンゲームをねだる酔っ払い大学部女子。……だが実は正気かもしれない。
「ツンデレか〜ありがちではあるんだけどなあ」
ここで眠れる獅子、チェリーこと御手洗 紘人(
ja2549)が立ち上がる!
『テンプレ反応にお腹一杯……? ツンデレ舐めんじゃねぇー!』
「えっ!?」
桜色ワンピの女子(推定)の力強い叫びに、たじろぐ若菜。
『貴方達は本当のツンデレを理解しているか! 否! 断じて否! そもそもツンデレの黄金比とは!?』
「え、え〜と……7:3かな?」
『はい違います! 梨香ちゃんは……いいわ』
指さされ答えた若菜、即ダメ出し。梨香、答える前からダメ出し。
『ツンデレの黄金比それはツン9デレ1の9:1! これテストに出ます!』
想像以上に厳しかった。
『はい、それを参考にツンデレおさらい! 少し気になる異性にチョコを渡し顔を赤く……しません。べ……別に貴方の為にじゃないんだからね! 勘違いしないで! ……なんて言う訳無い!』
チェリー先生の講義は続く。
まずツン子(仮称)は、対象には恐ろしい程に無関心な態度。毎回反応したら気持ちがバレるからである。
ツン子を落としたいなら猛アタックあるのみ。ただし返ってくる反応は萌える心すら折れかねない氷点下。
『VD? はぁ!? 寧ろお前がイベントを強制的に作るんだよ! でも貰えるチョコは10円チョコ! チョコ貰えただけでもありがたいんだよ!』
チェリーが机を強く叩く。
『だがしかし、ツンデレのデレはこの直後に!』
ツン子は10円チョコを渡した後に『あっ……』と顔を赤らめる。これが隠しイベント。
本当は板チョコ渡すつもりが間違えたってドジっ子アピールだ!
ちょっと照れた顔して『何でもない……』とだけ呟き、ツン子はそっぽを向く。
『苦行の果てに照れ顔を見るのは真の強者! これを見れただけで今までの苦労が全部吹き飛ぶよねっていう位の照れ顔! テンプレっぽいけどそこまで行くのが地獄だからね☆ これが本当のツンデレだよ!』
力説に、ベルメイルが握手を求めた。何か感ずるところがあったらしい。
『ち・な・みに! 明日にはいつものツンに逆戻り。ここまでがワンセットだよね☆』
チェリーがウィンクして見せる。
……少なくともツンデレ道が大変だという事だけは全員に伝わっただろう。
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ここで一心にノートに向かっていた英斗が顔を上げた。
「よし、台本ができた! 大八木さん、協力をお願いします」
「あ、はい」
反射的に受け取る梨香。
「それじゃ、いまから俺が実演しますね」
英斗はおもむろに役に入る。
呼び出された家庭科実習室で、英斗は梨香と対峙する。
「なんだい梨香、大事な話って」
「先輩、実は私、バレンタイン星からの刺客だったんです!」
「な……なんだってー!?」
梨香はチョコレートの山を指した。
「今から私と早食い勝負をしてもらいます。私が勝てば、地球は我々バレンタイン星人のモノです」
<中略>
床に倒れる梨香。
「ふふ……どうやら私の負けですね」
「梨香、しっかりしろ!」
駆け寄る英斗に、力なく微笑む梨香。
「さっきの勝負で先輩が食べたチョコは、すべて私の手作りです」
「……えっ!?」
「本当は、勝負なんてどうでもよかった。先輩に私の作ったチョコを食べてもらえれば……」
「梨香!? 梨香ーーーー!!」
「どうです、萌えるでしょ?」
静まり返る店内。
「宇宙人のヒロインとのラブロマンス、刺客としての使命と、恋心との間で揺れる乙女心。あ、ちなみに、バレンタイン星人は地球のチョコを宇宙に転売して大儲けするために地球侵略にきました」
キリリと付け加えた後、咳払いする重体上がりの英斗。
「……すみません、ちょっと頭を打ったみたいです」
麦子が大笑いする。
「あー、怪我ね! お見舞いで病室に二人っきりっていうのも良くない? 『あ、あの……英斗さん、甘いもの食べると怪我の治りが早くなって聞いたから……』とかとか」
続けてひきつり顔で固まる若菜の肩を、バンバンと叩く。
「そうだ若菜ちゃん〜お兄さんに、ヒゲでマッチョなオジさまがたくさん出てくる恋愛ゲームを作ってくれるようにお願いしといて〜♪」
落ち着きを取り戻したレトラックが、赤面し顔を覆う梨香に紅茶をすすめる。
「……おかわり、飲む?」
「すみません、いただきます」
その頭には猫耳の代わりに、丸いボールが二つ生えて揺れていた。
<了>