●
低い建物の並びが途切れると、突然視界が開けた。
弱々しい雑草が乾いた風に吹かれて靡いているこの場所に、かつて石造りの要塞が聳え立っていたのが嘘のようである。
2台の装甲車が土埃を立てて停車すると、素早く降りた数人がそれぞれ武器を手に散開する。
少し遅れて降りて来たのはジュリアン・白川(jz0089)だ。後をついてきた若い女が頼りなげに段差を降りるのを助け、腕を支える。古い中国絵画に出て来るような衣装を着た女は、足が不自由らしかった。
夜来野 遥久(
ja6843)は双眼鏡の向こうのその顔に見覚えがあった。
以前学園の文化祭で白川の言うところの『世間知らずのお嬢さん』が迷子になっていたのを保護したのだ。
しかもこの南東要塞跡地の解体作業に参加し、迷い猫のつけていた飾り紐を白川がいぶかしんでいたのを見ている。
そこから繋がる奇妙な縁。こういうのを乗り掛かった船というのか。
「さて、今まで何を隠しておられたのか……興味はあれど、まずは依頼の遂行ですね」
建物の陰に身を顰め、音をたてないように後をつける。
「あれが堕天使のクー・シーね!」
普段よく通る元気な声をひそめ、雪室 チルル(
ja0220)が呟いた。
「でもシュトラッサーと会わせて何を期待しているんだろう? なんだかむつかしいわね」
理由ががどうあれ、シュトラッサーがコンタクトを取って来たというのは判る。だが危険を承知でそれに乗る理由が何かあるのだろうか?
「確かに、何だかややこしい事態にはなりそうですねー。使徒の方も、わざわざ回りくどいことをして真弓さんを呼び出した目的は何でしょうかねー?」
櫟 諏訪(
ja1215)のアホ毛がみょんみょんと揺れた。とりあえず空き地を進んで行く白川達の周囲に、敵の影は見当たらない。
「でもこういうのは、当事者同士が会って決着を付けないと後悔するものだと思うのですよー?」
とはいえ、不可解な点はある。
(主を失ったのに、どうやってシュトラッサーは今まで生きてきたのでしょうかー?)
学園で教わった通りなら、シュトラッサーは主である天使と長らく離れては生きられないという。
個体差はあるのかもしれないが、クー・シーはかなり以前に堕天したという話だ。
諏訪は引っ掛かりを感じてはいたが、ひとまずは依頼内容を遂行することに意識を向ける。
「とりあえず光纏は消して、足音も立てないようにしなくちゃね! あと阻霊符もギリギリまで使わないようにっと!」
チルルが自分に言い聞かせるようにあげる注意事項に、グリムロック・ハーヴェイ(
jb5532)と鈴森 なずな(
ja0367)も頷いた。
(成程……確かに目の前の壁が通り抜けられなければ、撃退士が近くにいると判ってしまうな)
自身も堕天使であるグリムロックは、目の前の壁に手をすり抜けさせた。
「何もありませんのね」
池永真弓ことクー・シーが、長い黒髪を風に遊ばせながらぽつりと呟いた。
「ここの解体はもう済みましたからね」
「でもここであの飾り紐がみつかったんですのね?」
真弓はその時の建物の幻をよく見ようとするように数歩前に出る。
その時だった。
鋭い閃光が地を舐めるように奔り、何かを弾き飛ばした。
「ヴォーパルバニーか!」
真弓の腕を引き、白川がライフルを構え辺りを見渡す。
サーバントを撃ち抜いたシークレットサービスの撃退士が、装甲車を指さした。
「ここにはこいつだけのようですが、長居は禁物です。早く移動しましょう」
「同感ですな。さ、行きますよ」
足をひくつかせて倒れるサーバントを虚ろな目で見つめていた真弓も、白川に促されて後に続く。
「……どうしました? 白川さん」
「いえ、何でも」
足を止め、暫く何事か考えるようだった白川だが、結局そのまま装甲車へと向かった。
何やら文句を言いたげに暴れるヒリュウを抱きかかえ、竜見彩華(
jb4626)がへたりと床に座り込んだ。
「あっきゃー……あぶねとこだった!!」
敵の出現に咄嗟にヒリュウを召喚したが、思いの外すぐに撃退されたので慌ててヒリュウの鼻面を押さえ抱き締めてしまったのだ。召喚を解くより先に手が動いたものらしい。
「と、のんびりしてる場合じゃないです! 次へ行きましょう!!」
ほんの少し上気した頬で、彩華がヒリュウを抱いたまますっくと立ち上がる。
グリムロックも小さく頷いた。
彼と同じ元天使でありながら、あの小さなサーバントに怯える程に力を失った真弓。
それでも尚、自分の使徒に会いたいというのか。
(……縁、か。不思議なものだな)
グリムロックにもひょっとしたらそんな縁があったのかもしれない。
記憶と共に彼の縁は失われたかもしれないが、真弓の中ではまだ終わっていないならば。それは彼女にとって必要な縁なのではないか。
(先生には申し訳ないが……)
折角まだ繋がっている縁ならば、一目会わせてやりたい。そしてそれが、良い再会であればと願うのだ。
●
すっかり更地になっていた南東要塞と比べ、南要塞はまだ僅かにかつての名残を留めていた。
石造りの城壁はほぼ崩されていたが、残骸が山と積まれ見通しが悪い。
装甲車に1名ずつが残り、残る4人が武器を携え辺りを警戒する。彼らと歩調を合わせ、白川に支えられた真弓が敷地内に足を踏み入れた。
「こんな……こんな物が京都に……」
「小青はここで要塞司令官としてサーバントを指揮していたんです。うちの学生も手酷くやられました」
固く冷たい白川の声。
「貴女と別れておよそ30年。どうやって生き長らえ、それだけの力を維持できていたのか。理由は判りますね?」
「……とうに死んでいると思っていました」
真弓の声はか細い。
「私に会いたいというなら、恨み事ぐらいは聞いてやるのがせめてもの責任ですわ」
「それで、貴女は満足かもしれませんが……」
白川の言葉は一斉に放たれたアウルの光に遮られた。周囲を警戒する撃退士達が放ったものだ。
「12時、2時、5時……いや、ほとんど囲まれています!!」
「まだこんなにいたのか……ッ!」
湧き出るように現れたサーバントの群れ。
一体ずつは大した威力を持たない弱い固体だが、集団となると厄介だ。
凶悪な兎がひと際高く跳び上がり撃退士の首を狙った瞬間、あらぬ方へ弾け飛んだ。
白川が珍しく乱暴な口調で呟く。
「君達は……いや、星さんだな!」
どうやら薄々感付かれてはいたようだ。
諏訪は悪びれた様子も見せずに駆け寄り声をかけると、次の獲物である灰色狼に狙いを定める。
「こっそりついてきてすみませんが、今は加勢させてもらいますよー?」
背後に真弓を庇い、背中越しに遥久が言う。
「ミスター白川、お叱りは後で受けます。今は目前の敵を」
真弓を挟んだ反対側で白川がそれを受ける。
「……関わった以上は逃げられんと覚悟したまえ」
「望むところです」
不敵に微笑む遥久だったが、背後から突如響き渡る叫び声に僅かに身を固くする。
「シュトラッサーだ」
白川が極めて簡潔に説明した。
二筋の白刃が翻り、血煙が巻き起こる。
瓦礫の陰から現れた小柄な影は、現れたと見るや即座に熟練の撃退士を切り捨てた。
直後、己に向かって伸びて来るアウルの光輝を宙返りでかわすと、着地と同時にその攻撃を放った撃退士に向かって矢のように飛び出さんと、力を籠め……
「おやめなさい、小青!」
女の声に、雷に打たれたように動きを止めた。
「用があるのは私でしょう?」
「クー・シー様……!!」
仲間を傷付けられた民間撃退士が、動きを止めた小青を狙った。その目前を小さなヒリュウがさっと横切る。
「ごめんなさい! でもちょっとだけ時間をください!」
彩華が拝むように頭を下げている。
ヒリュウはそのまま飛び、今まさに遠吠えの体勢を取るグレイウルフの喉元に齧りついた。
「そっちもダメ! 二人の仲を邪魔する悪い子は竜に噛まれちゃうんですよっ!」
今は二人の間にほんの少しだけ時間を。気持ちがすれ違ったまま、話も出来ないなんて、悲しすぎる……!
二人の間に何があったのかは判らないが、言葉を交わすのに遅すぎることはないはずと彩華は信じたかった。
青い道服の娘は、泣き出しそうな顔で言葉を詰まらせる。
「……やっぱり生きておられた……」
だが、真弓は能面のように無表情だった。
「お前を捨てたことに言い訳はしません。でもあと1年、いえ、半年待ちなさい。そうしたら私はお前の手にかかります」
氷のように冷たい声だった。
「何を言って……!」
白川が割って入ろうとするが、跳びはねる兎を撃ち落とすのに忙しい。
その間も使徒は、意味が判らないという様子でただ真弓、いやクー・シーの顔を見つめていた。
「捨てた? 手にかかる……?」
少しずつ表情に苦悶が表れる。
「クー・シー様は、人間に囚われて……お助けしようと……」
小青はいやいやをするように首を振った。
「違う、クー・シー様が私を捨てるはずがない! こいつらが、私と貴女様を引き離した!!」
「違います」
鞭打つような声に、使徒が身を震わせる。
「私は自分の意思で天界を離れたのです。……お前は私を怨んでいたわけではなかったのですね」
堕天使の表情が哀しげに曇る。
だがそれはほんの一瞬。
「よくやったぞ小青! お前は原住民共を蹴散らせ!!」
響き渡る声。風を切る音。
「……アヴィオーエル、貴方でしたのね!」
白い翼を広げ弓を引き絞る若い天使の姿を、真弓が睨みつけた。
●
「どういうことか簡単に説明してもらえると有難いのですがね!」
白川が真弓を促した。
「私が堕天した際に追って来た討伐天使です。恐らく私を狩る為に小青を引き取り、利用したのでしょう」
「成程」
一応は予測していたことだった。だからこそ、真弓をさっさと連れて帰るつもりだった。
だが真弓は真弓なりに、自分の使徒が人間を傷つけるのを止めさせたかったのかもしれない。
「あの天使の実力の程は」
「私がいた頃は下位天使です。今は判りません」
使徒に斬られた民間撃退士が1名、担いで逃げるのに1名。残りは2名。
戦えない堕天使1人に、学園撃退士が6名、そして自分……。
「ここは一度引くとしよう。真弓さんを装甲車まで頼む!」
白川が言うなり、黒い霧を纏う。
「ミスター、さすがに危険です。せめて1人はサポートを」
遥久が軽く眉を顰めた。
「助力は有難いが、この場で一番優先されるのは真弓さんだ。君なら確実にガードしてくれると信じて託す」
「……狡い仰り様ですが、仕方ありませんね」
天使を睨みながら遥久が真弓を庇う。
「白川さん……!」
「小青に言いたいこと、してあげたいこともあると思いますけど、今は避難してくださいなー?」
ギリギリまで粘るつもりで、諏訪がやはりアサルトライフルを構える。
「あたいの出番ね! とっておきのをいくわよ!!」
チルルがツヴァイハンダーの長大な剣先を、力を籠めて振り抜いた。
温存していた氷砲『ブリザードキャノン』の猛吹雪が、進行方向のサーバントをなぎ倒す。
「後片付けは任せて先に行って!」
「宜しく頼む」
グリムロックが放つフォースの一撃が、突破口を塞ごうとに回り込む敵を押し込む。
天使アヴィオーエルは、脇腹を掠めた忌まわしい一撃に眉を顰めた。
「冥魔の気を乗せて来るとは、どこまでも汚らわしい原住民め」
本来なら彼はそのようなモノを相手にする天使ではない。逃げ出した同族を狩るのが彼の仕事なのだ。
「小青、何をしている! クー・シーを追え!!」
命じられた使徒が突然振り向いた。
「アヴィオーエル様、連れ帰ればクーシー様に罪は問わないというお約束は確かですか!」
ほとんど悲鳴のような叫び。
彩華は思わず足を止めて振り向いた。
もしかしたらこの小青は、説得すれば敵にしなくて済むのではないか?
だが、それだけの時間は与えられなかった。
「連れ帰ればな! 早く追え!」
「必ずですよ!」
駆け出す小青の足元にアウルの銃弾が弾け、その行く手を阻む。
睨みつけた先に、諏訪がいた。
「あなたにとって一番大切なことは何ですかー? 真弓さんと一緒にいることですかー? それとも、真弓さんが幸せになることですかー?」
真弓は自分の意思で天界を捨てた。はっきりそう言ったのだ。
「あなたにも事情はあると思いますけど、今は真弓さんの安全を優先して連れて帰りますよー?」
小青は明らかに混乱していた。
捨てられた、哀れな使徒。だが同情している暇はないのだ。
「役立たずめ……!!」
アヴィオーエルが悪態をついた。弓を引き絞ると、目の前の原住民に向けてその強い矢を撃ち込む。だがほぼ同時に黒い弾丸が肩を抉り、その激痛に思わずあとじさる。
「きゃーっ白川先生、しっかりーっ!!」
彩華がティアマットを召喚した。
「アヴィオーエル様!!」
蒼銀の竜が獅子の様な咆哮を上げて突っ込むのと入れ違いに、小青が天使の元へ駆けて行く。
「早く、今のうちに逃げるわよ!」
チルルが再び氷砲でサーバントの群れを蹴散らし、進路を確保する。
「あたいが殿を務めるわ! 早く行って!!」
「ここはお言葉に甘えよう、雪室君、申し訳ない」
彩華はティアマットを呼び戻し、それに伴われるようにして白川も撤退した。
●
いかに天使といえど、走りだした自動車のスピードには叶わない。
南要塞を充分離れた地点で一度停車し、偵察サーバントがいないことを確認した後に、幾度か迂回路を経て装甲車は東へ向かう。
「先生でも怪我するのね! あたいは平気だけどっ!」
チルルの得意げな言葉に、白川が苦笑いを浮かべた。
「はは……面目ない」
カオスレート差のある猛攻撃をまともに食らって、あの場で気絶しなかっただけ儲け物というところだ。
「一応の治療はしましたが、暫くは療養が必要ですね」
遥久の微笑に少し不穏なものを感じ、白川の血の気のない顔が益々白くなる。
「ところで」
遥久が真弓に向き直った。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。また、今回の非礼についてはどうぞお許しいただければと」
真弓が小さく首を振った。
「いえ、私の方こそ。皆様を巻き込んでしまって……」
「一つお伺いして宜しいですか。貴女が本当に求め、なさりたいことは何でしょう?」
「私は……ただもう少しだけ、この地に居たいだけです」
小さな声がともすればエンジン音にかき消されそうだ。
「慣れた場所で過ごしていただければ、それが一番いいんですけど」
彩華が困ったように見つめる。
「私達の力ではまだ久遠ヶ原しか安全に保てないのが現実なんですよね……」
もっと自分達に力があれば。
堕天使もはぐれ悪魔も、誰もが自由に好きな場所で暮らせるようになれば。
そうなればいいと思うし、そうできるように頑張ろうと彩華は思う。
「……家に着きましたわ。皆様も少しお休みください。詳しいお話はその時にでも」
装甲車が池永邸の門を過ぎて行った。
<了>