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無人の倉庫街を冷たい海風が吹き付けていく。
灰色に塗り込められた世界に、珊瑚色の樹木の異様さが際立っていた。
撃退署の四方が装甲運搬車を倉庫街の裏手に停め、最新の資料を提示する。
「まだ日没までには時間がありますから」
岸壁に並ぶ樹木には人間が囚われている。
その枝の間に見え隠れする女の姿に、ポラリス(
ja8467)が口をとがらせた。
「高みの見物なんて。なーんか気に入らないわね」
これでもかとボディラインを強調する衣装も、いかにも異性を誘う容貌も、気に入らない。
ポラリスは憮然とした表情でポケットから取り出した手鏡を覗き、前髪の位置を念入りに直す。
「明らかに罠……ですね」
黒井 明斗(
jb0525)が静かに祈るように目を伏せた。
「そうね、あからさまね」
頬にかかる黒髪を払い、九鬼 紫乃(
jb6923)が同意する。
ヴァニタスがこんな少人数の管理にかかりきりの訳がない。ディアボロを配置して、必要な時に駈けつければいいのだ。
なのに敢えて身を晒す。何らかの意図があるのは明らかだった。
「尤も、それに手を出さざるを得ない私達も大概でしょうけど」
軽く肩をすくめる紫乃の言葉に、明斗が答えるというよりは自分に言い聞かせるように呟いた。
「見捨てるわけには絶対にいきませんからね。もしも罠なら、食い破って進むのみです」
鐘田将太郎(
ja0114)が、資料を見つめる中山律紀(jz0021)の肩を軽く叩いた。
「よう、中山。今からあんまりガチガチだと、上手く戦えないぞ。これでも食え」
「え? あ、鐘田さん……? あはは、用意がいいですね」
差し出された包みを開くと、顔を覗かせたのは粒がつやつや光るおにぎりだった。
「腹が減っては戦は出来ぬ、だ。皆も食うか?」
将太郎は自分もひとつ頬張りつつ、皆にも勧めた。
「おかかだ。うん、美味い!」
律紀の表情がほぐれるのを見て、将太郎は少し安堵する。
将太郎は、自分を兄貴分と慕う律紀が、本来は平穏を好む性格なのだろうと思う。
だが自分だけ安全な場所に居ることは是としないであろうことも想像できた。だから。
「ま、腹に力入れて。お互いやれることをやってこう」
いつも通りの笑顔で、律紀の銀髪をくしゃくしゃとかきまわした。
短い冬の日はあっという間に沈み、夜がやって来る。
「時間だな」
巌瀬 紘司(
ja0207)が立ち上がった。装甲車の四方に声をかける。
「では、後は宜しくお願いします」
「何かあったら直ぐに連絡をください。表に車を回しますので」
回収時にも脱出時にも、地理に詳しい四方に運転を任せるのが一番だ。戦力になって貰えないのは痛いところだが、ここは敢えて温存する。
(敵の手中にあろうとも。その命、助けられる希望があるならば)
紘司がぐっと表情を引き締めた。
彼らの覚悟を問うかのように身体を刺す寒風の中、外に出た撃退士達はそれぞれの持ち場へと散っていった。
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赤い樹木の前には半人半馬のディアボロ達が居た。
作戦開始と同時にまず飛び出したのは、四人。
「まずは正面のあれを」
紘司が進み過ぎない位置で『星の輝き』を使い、闇の一角を切り取る。
物音と、何よりもその光に反応し、槍を構えたサントールがこちらを向いた。
「食らえ!」
将太郎が地を蹴り身を躍らせる。華麗に宙を舞い身体を捻ると、落下の重みを加えた『雷打蹴』が見事に敵の肩にめり込む。
「まずは一体、確実に落しましょう!」
明斗が弓を引き絞り、弱った一体に更なる追撃を加える。出し惜しみはしない。渾身の一矢だ。
だがディアボロはその矢に身を貫かれながら、尚も倒れない。
蹄を鳴らし、頑強な足で将太郎を踏みつぶそうと突進する。恐ろしく頑丈にできているらしい。
紫乃がぎりぎりの位置を保ちながら、命じた。
「出番よ、盾身。顕現なさい!」
大楯を二枚合わせたような形の光が表れ、将太郎を狙うディアボロの蹄を受け止める。
だがディアボロの蹴りはそれでもまだ、無視できない威力を残していた。
「ぐっ……!」
胸に痛撃を受け、将太郎が数メートル後退する。
だがそれは、計算の内だった。
槍を持つディアボロが三体、将太郎に惹きつけられて追ってくる。
「ついてこいよ……?」
まずは厄介な敵を引き離すのが彼らの役割だ。
充分に距離を取った所で、将太郎が再び脚を振り上げた。
「将を射んとせば先ず馬を射よ、とゆーコトで!」
敵の足を狙い、蹴る。先頭のディアボロがバランスを崩し、倒れ込んだ。
「よし!」
だがそれは危険と表裏一体の選択だった。
将太郎が敵の意識を集めた為に、他の二体も突進してきたのだ。
「行かせないわよ」
紫乃の目が鋭い光を宿す。渦巻く風が一体のディアボロを包み、その猛進を妨げる。
それでもまだ残る一体が突っ込んで来た。
「俺達はこんな所で、とどまるわけにはいかない」
回り込んで前に出た紘司に、敵は激しい蹴りを喰らわせる。
「仕方がありませんね」
明斗の視線がディアボロから将太郎に移る。このままでは将太郎自身がもちそうもない。
「援護します、どうしても無理なときは下がってください」
「おう、ありがとな。いざというときは頼む!」
明斗の手から生じた癒しの光が将太郎を包み込んだ。将太郎は口元を拭うと、足を踏ん張る。
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紘司の放つ光に照らし出され、その一部始終は闇の中でもよく見えた。
「回復役がいると心強いわ、頼りにしてるからね」
敢えて明るい口調で。ポラリスが律紀に片目をつぶって見せる。
「ポラリスさんも気をつけて。あのヴァニタスに一番近付くんだからね」
「わかってるわよ、任せて! でも律紀くんも助けてくれるでしょ?」
場に不似合いすぎる無防備な笑顔だった。だが、それは救いでもある。
「はは、両手に花でちょっと緊張するよ」
律紀はそう言いつつ、前を睨むクロエ・キャラハン(
jb1839)を見る。
普段の快活さは敵を前に消え失せていた。
「クロエさん、何かあった?」
以前も一緒の依頼に出動した、見知った相手だ。声をかけると、クロエは目を逸らさないまま呟く。
「あのヴァニタス、何を考えてるのかな」
樹上から配下のディアボロと撃退士達の戦いを見下ろす女。
「私達が近づいたら、人質を傷つけるつもりなのかな」
まだあどけなさの残るクロエの顔を、冷たい翳が覆っている。
律紀は膝をつき、クロエに並ぶ。
「その前に何とかできるように、頑張ろう」
クロエは頷くと、細身の剣を抜いた。
「さ、いくわよ! 待ってなさい、陰険女!」
ポラリスの掛け声とともに、三人が駆け出した。
目指すは中央の珊瑚樹、正面に陣取る弓を構えたサントール。
大きく右回りで接近する。槍の敵は一番隊に引きつけられ、既に持ち場から離れていた。
「こっちよ、相手してあげるわ!」
ポラリスの銀色の銃が吠えた。相手の矢が届かない位置から、挨拶代わりの先制攻撃。
「じゃあ気をつけて!」
律紀が『聖なる刻印』をポラリスに送り、そのまま槍を携え右側のディアボロに向かう。
左側に突進したクロエがヨーヨーを繰り出す。
花火の如く光を撒き散らす火炎が敵を包み、燃え盛った。
「もっと激しく、無様に、踊り狂いなさい!」
激しい憎悪を露わに、クロエはサントールの足を狙ってヨーヨーを絡める。
「ナイス! その調子っ!」
銃を槍に持ち替えたポラリスが、クロエに声をかけつつ自分に気合を入れた。
「さあ、こっちも本気で行くわよ。覚悟しなさいっ」
槍の穂先にアウルの力を籠め、渾身の一撃を繰り出す。
「本当にあなた達と来たら乱暴なんだから」
不意に樹上から声が届く。
「せいぜい気をつけなさい? もう判ってるかもしれないけれど、この樹に傷をつけたら中の人間は無事では済まないわよ」
明かりに照らされ、美しい顔にはぞっとするような陰惨な影が刻まれていた。
枝の上に立ち上がった女が、手にした鞭を風を切り打ち振るう。
丸い実をつけた一枝が、ばさりと切り取られた。
「しまった……!」
律紀が短く呻く。
どうにか落下せず下の枝に引っかかっているが、長くはもたないだろう。
「上から見下すなんてほんっとに嫌な女、すぐに引き摺り下ろしてあげる!」
ポラリスが毒づくが、サントールとヴァニタスを一度に相手するのは不可能だ。
一人がサントール一体の動きを封じるのが精いっぱいなのだ。
直ぐに人質を回収に向かいたいが、抑えている一体を放置もできない。
「とにかく、まず一体を急いで片付けるしかないよね」
悔しげに呻くクロエの眼前には、サントールの蹄が迫っていた。
クロエは再び業火を見舞う。だが炎を物ともせず、ディアボロはクロエを一蹴した。
「……ぐ……ッ!!」
「駄目だクロエさん、無理しないで一度離れて!!」
律紀が叫んだ。
本当に弓のサントールが樹の守りを重視するなら、追撃は逃れられるだろう。
そして彼らの役割は、必ずしも敵を倒すことではないのだから。
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最後の一班は、いわば隠し玉だった。
神谷春樹(
jb7335)の双眼鏡を握る手が微かに震える。
「人質は一人たりとも死なせない……!」
「……ん……後もう少し」
春樹の肩をそっと押さえ、ロキ(
jb7437)が囁いた。
機を待つ時間の長さが、春樹の感覚を鈍らせないように。危険に飛び込む春樹が、無事であるように。
やがてその時が来る。
「じゃあ行くね」
「……気をつけてね。なるべく、援護するから」
頷くや否や、春樹が弾丸のように飛び出した。
今、ヴァニタスの意識は完全に第二班に向いている。増援を意識していない限り、春樹達はノーマークのはずだ。
仲間が作ったチャンスを逃しはしない。
春樹は全速で珊瑚樹に到達。駆け上がると、ヴァニタスの前に躍り出た。
「女の顔を狙うのはどうかと思うけど」
言うが早いかゼルクの糸を繰り出し、相手の首を狙う。
「ヴァニタス相手に、そんなことを気にする余裕はないからね」
「!!」
完全に予想外の攻撃だったらしい。
ヴァニタスは顔をゆがめ、咄嗟に腕に糸を絡ませた。残る腕に握った鞭の柄で、春樹の腹を突こうとする。
「……だめ。そうはさせない」
ロキが魔法書を開き、進み出た。
「春樹は、守るわ」
ロキの背中にアウルの光球が膨れ上がる。それは光の矢となって、真っ直ぐにヴァニタスへと向かった。
足元の悪い樹上でゼルクに腕を取られ、満足に動けないヴァニタスの肩を光の矢が掠める。
「ちぃッ……!」
「悪いね。もう少しダンスに付き合って貰うよ。あんた程度でも相手がいないよりマシだからさ」
春樹は尚も強くゼルクを引き、ヴァニタスを樹上から引きずり降ろそうと力を籠めた。
「……いいわ。お望み通り踊らせてあげるわ。死の舞踏をね!」
女の赤い唇が、残忍な笑みを浮かべた。
背に黒い翼を広げ、ゼルクが食い込み血が滲む腕を逆に引っ張る。優美な細腕からは想像もできない力だ。
「な……?」
春樹は自分の足元が軽くなるのを感じた。同時に、突然息ができなくなる。
「春樹……!」
ロキが悲鳴に近い声を上げた。春樹の首を鞭で締め上げ、ヴァニタスが枝を蹴り舞い上がったのだ。
「そこの鼠も始末しなくちゃね」
ヴァニタスの声に呼応するように、右手のサントールが弓を引いた。
隠れる所のない場所で、ロキ目がけて魔法の矢が襲いかかる。
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将太郎の満身創痍の姿に、ついに明斗が制止の声を上げる。
「鐘田さん、もう無理はしないでください。潮時です」
「く……わかった」
敵を引きつけられる時間は過ぎていた。
「今のうちに早く!」
紫乃が再び風をおこし、サントールの行く手を阻む。
(どの道助けられるのはたかだが十五人だもの)
全力は尽くす。だが、状況によっては諦めることも必要だ。紫乃は冷静にそう分析する。
「こちらは任せていいだろうか。向こうが危ない」
紘司が呟く。
槍のヴァニタスはまだ一体が倒せず残っている。だがこれは明斗と紫乃に任せても大丈夫だろう。
それよりも珊瑚樹付近の状況の方が悪化していた。
ヴァニタスは鞭を振るい、春樹の身体を地面に叩きつけると、再び樹上から睥睨する。
「いい様ね」
鼻を鳴らすと、口元に笑みが戻った。
「でもまだ足りないわ。さあ、もっと苦しみなさい。あなた達に殺された妹の分までね!」
「妹……?」
ポラリスが怪訝な顔をする。
「私の可愛い妹、イリーナ。知らないとは言わせないわ」
それは東北での戦いで、撃退士達に囲まれ自害したヴァニタスの名だった。
敢えて身を晒し、撃退士達を招じたのはそのためだったらしい。
ロキが痛む肩を押さえ、荒い息の中から呻く。
「……人質取らなきゃ、仕返し出来ないの……?」
「あら、私は餌を無暗に殺したりはしないわ。あなた達が勝手に遠慮しただけでしょう?」
女は小馬鹿にしたような笑い声を上げた。
その隙に、紘司が回り込んで接近していた。
(急がないと、あの人が……)
先刻ヴァニタスが叩き落としたままの実。中がどうなっているのかは判らないが、生命維持機能がある樹から離れた以上、無事では済まないだろう。
オートマチックを構え、巨大な丸い半透明の球を狙う。人影らしきものが中に見えた。
樹を傷つけないよう、角度をつけて。狙いすましたアウルの銃弾が当たると、ゴム風船が弾けるように球が割れる。
溢れ出す水と共に枝からずり落ちた男性を、ネットで受け止めた。
「大丈夫ですか」
「う……げふっ! げふっ!!」
咳き込む相手に肩を貸し、紘司は急いでその場を離れようとする。
それをヴァニタスが、薄笑いを浮かべ見ていた。
「ほんと、ご立派。でも……私の敵は一体誰かしら?」
囁く甘い声。
だがそれは身構えた撃退士達に向けられた言葉ではなかった。
「う……あ……あああ!!!」
「何……!?」
肩に担がれぐったりしていた男性が、不意に紘司に掴みかかったのだ。
相手は一般人だ。撃退士には傷一つつけられないだろう。
だがもつれる足で、死に物狂いで掴みかかって来る相手を無傷で抑えるのは容易ではなかった。
助けた相手に襲われ、邪魔される。その様を嘲笑い、いたぶる。
これがヴァニタスの仕掛けた本当の罠だったのだ。
「さあどうするの、ご立派な撃退士さん達? まだ続けるつもりかしら?」
サントールを抑えながら、律紀は無意識の内に明斗を探した。だが二人分のクリアランスを全て使っても、囚われた人を全員正気にすることはできないだろう。
打ち据えられ、倒れたまま動かない春樹の容体も気になる。
律紀はただ歯噛みするしかなかった。
答えを待たずヴァニタスが声を上げる。
「去りなさい撃退士。今回は私を引っ掛けたご褒美に、見逃してあげるわ。私はラリサ。次はこうはいかないわよ、覚えておくことね」
去り際のその声は苦い記憶となって、撃退士達の中に残るだろう。
だがまだ命が失われた訳ではない。
――いずれ必ず、全員を助けてみせる。
その機会はきっと訪れるのだから。
<了>