●
今日は早朝から、出店準備のために多くの学生が登校している。
窓の三階から響く声に、思わず足を止める者も多かった。
「なるほど、大体の事情はわかったよ」
スパイス研究部副部長の加藤から聞いた話をメモに書き留め、中山律紀(jz0021)が頷く。
「ふむ、なかなかの難事件みたいね」
「麦子さんの灰色の脳細胞でも、そう思う?」
律紀が雀原 麦子(
ja1553)を見る目には、少し面白がるような気配。過去に幾多の難事件(?)を解決してきた先輩だ。
麦子はふふんと鼻を鳴らすと、横目で律紀を見返した。
「こんな衝動的な犯行は大抵恋愛がらみね」
腕組みしたまま言い切る。
「カレーに愛情を注いでばっかりで振り向いてくれない江戸川ちゃんに、嫉妬しての凶行と見たわ!」
部長の江戸川が何とも言えない顔をする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。人をヘンタイみたいに言うのは……!」
麦子がからからと笑った。
一方でミハイル・エッカート(
jb0544)が淡々と呟く。
「何やら残念なことになってるな」
美味しいカレーが食べられると聞いてきたものの、事態は予想外の方向へ。
(大丈夫だ、こんな仕事はあのときの任務に比べれば……)
現状を様々な角度から情報を検討し、分析を続けている。
期待のまなざしを向ける江戸川の袖を、クリス・クリス(
ja2083)が引っ張った。
「ねー部長さん、もし犯人捕まえたらそのすごいカレー、ボク達にも食べさせてもらえるかなあ」
つぶらな瞳が輝いていた。
「もちろんだ、是非協力をお願いする!」
「カレーを人質(?)とか許せないよね。ご馳走してもらえるよう頑張るね!」
「人質ならぬカレー質……くくっ、洒落の効いたクレイジー・ガイだぜ」
メンナクこと命図 泣留男(
jb4611)が黒い前髪をかきあげた。
「だがまあ、トラブルに泣く女がいるのもどうもな……伊達ワルには見過ごせねえぜ」
加藤がきょとんとした顔でツインテールを揺らした。
「何か理由はあるんだろうけど、他人に迷惑かけちゃダメよねぇ」
鏑木愛梨沙(
jb3903)はカーテンを引かれた三階を見上げる。
時折誰かが動いているようだが、詳しい中の様子までは判らない。
「ひとまず情報を整理しようか〜今ここに居る人からも話を聞いてみよう〜」
星杜 焔(
ja5378)の提案に、全員が頷いた。
呼び集められたのは、スパ研の面々。部長と副部長以外の部員は五名だが、うち二名は任務で学園を離れていた。
犯人と遭遇したのは、副部長の加藤と、中等部に所属する部員の百瀬、緑川だけだ。
そこに駆けて来る者がいた。縮地を使っているのかすごい速度だ。
「すまんー! 寝過したっ!!」
「清水谷せんぱーい!」
緑川が手を振る。これで話を聞けるメンバーが揃ったようだ。
●
だが調査は思いの外難航した。
「犯人は迷う事無く冷蔵庫に向かったんだよね〜?」
焔が尋ねると、犯人の顔を見た三人が頷く。その様子におかしな所はない。
(だとすれば、そこに目的の物があるって知ってるってことになるよね〜)
みくず(
jb2654)と目配せをかわす焔。
(皆には余り知られてないはずの特製カレーだもんね)
つまり、一番怪しいのは部の関係者だ。だが全員犯人に心当たりがないと言う。
「顔を見たことがあるような気もするんですけど……気のせいかも。私、会ったことのある人は、結構忘れないんだけどな」
百瀬が考え込む。声には聞き覚えがないとはっきり否定した。
「しょうがないわねー」
麦子が手を口元に当てて叫んだ。
「あーあー、犯人に告ぐ。カレーを人質に立てこもった目的は何? 要求があれば可能な限り聞くわよー!」
「要求? そんなものはない! 関係ない奴はすっこんでろ!! いいか、近付いたら冷蔵庫ごとぶっ壊すからな!」
やれやれという様子で、麦子が向き直った。
「で、江戸川ちゃん。あの声に聞き覚えはない?」
江戸川がかぶりを振った。
「ああもヒステリックにひっくり返っていては、知り合いでも判らんだろう」
「それもそうね」
「あー、わりぃ。カレーがないと始まんないんだけどさ。そろそろ出店場所の方、一応準備しておきたいんだ。何かあったらこっちに連絡くんない?」
清水谷が自分の携帯電話とメールアドレスをメモした紙を手渡してきた。
スパ研のメンバーが建物一階の出店場所へ移動した後、俄探偵団は額を寄せ集めた。
「内部の犯行だったら……男子学生だって言うし、怪しいのはふたりかな?」
みくずがひそひそ囁く。
特に清水谷は鬼道忍軍である。変化の術も壁走りも可能だ。遅刻してきた辺り、何かしら関わっている可能性も考えられる。
では内部犯とすれば、目的は何か。
「犯人はカレーの場所を知っていながら執着していない……ならば」
メンナクが考え込むように顎に手を当てた。
1.これは狂言であり、「奪われるほどおいしいカレー」との評判をたて、売り上げを伸ばす。
2.スパ研部長に個人的に恨みを持つ犯人がとにかく嫌がらせしたい。
「スパ研の女の歓心を買いたい男か、部長の彼女にでも横恋慕する男か。……フッ、どちらにせよ愚かなことには変わりないな」
メンナクが口元に笑みを浮かべた。
「あの〜、僕、思ったんですけど」
やや控え目に川崎 ヨハン(
jb5323)が口を開く。
「あとはこの『メイドカレーハウス』っていうのが嫌な人もいるかもしれません。頼まれたり、嫌がってるのを知って、親切で助けてあげようって思った人……かも」
一同の視線に、ヨハンの声がどんどん小さくなる。
「全然ちがう……かも、しれないですよね……」
ふにゅうと縮み込むヨハンの頭を、ミハイルが励ますように優しく撫でた。ヨハンの表情が僅かに緩む。
「俺も狂言説に賛成だな」
清水谷が置いて行ったメモを摘み上げた。
「変化の術も顔負けの変装ができるやつもいる。俺みたいに訓練で声色を変えることも可能だ。見た目が男だからといって男と断定するのは早計だと思う」
そう、この場に全員が揃っている訳ではない。
ミハイルは江戸川と加藤両方に確認した、全部員の携帯番号を次々にコールする。
顔をあわせた部員はすぐに応答した。そこに不審な様子は見られない。
「後はこの場に居ない部員だな」
阿方へのコールには応答なし。続いて紀伊にかけると、激しい物音と共に切迫した声が耳を打つ。
『何だ!? ……部活? 今それどころじゃない! ……うわあっ阿方先輩ーーーッ!!!』
ミハイルは携帯電話をスーツの胸元に収めた。
「どうやら二人はこの件には無関係なようだな」
捜査は行き詰まった。
出店の時間は迫っている。もう強硬手段しかなさそうだ。
●
目的の部屋では、男子学生が大型冷蔵庫の前に置いた椅子に座っていた。
室内は静かで、冷蔵庫の唸りだけがやけに大きく聞こえる。
ヨハンはドキドキする胸を押さえ、ゆっくりと深呼吸。
(兄さんのためにも、みんなのためにも、無傷でカレーを奪還しないと……)
カレー好きな兄がこのような事件を知ったら悲しむだろう。そう思い、勇気を振り絞って教室の扉に手をかけた。
「あの〜、カレーの好きな人だったら、こんなこと悲しむと思いますよ〜」
犯人は椅子から腰を浮かせ、こちらに顔を向けた。
か細い声の少年に、少し意表を突かれたようだ。
「何だお前は!」
「す、少し冷静になってください……あ、お腹すいていませんか? 朝ご飯食べました? サンドイッチとかどうです? 紅茶も……」
一生懸命なヨハンの様子に、相手も多少緊張を解いたようだ。
だがやはりきっぱりと拒絶する。
「君には関係のないことだ。それ以上近づくと……」
手にした槍が冷蔵庫に狙いを定める。
ヨハンは最後の手段に出た。
「そんな……うっ……ゴホゴホッ……!」
床に膝をつき、激しく咳き込む。
「ど、どうしたんだ!」
犯人は明らかに狼狽の色を見せた。
「じ……持病の喘息、が………」
元々持病があったのは嘘ではない。アウルに目覚めて丈夫にはなったが、苦しかったことは覚えているので、その演技は真に迫っている。
「兄さんと……カレー、食べたかったな……」
がくり。ヨハンが前のめりに床に倒れた。
「おい、大丈夫か!」
男子学生が一歩を踏み出す。
そこに男の声が呼び掛けた。
「気をつけろ、実はそのカレーな……」
犯人がヨハンに気を取られた隙に、教室の扉の影に身を隠したミハイルだった。
部長の声真似だ。だが敢えて聞き取りにくい声で。あと一歩でも冷蔵庫から引き離す作戦だ。
「部長……?」
男子学生が呟く。
(何……?)
ミハイルが次の言葉を探すうちに、律紀が入口から顔を突っ込む。
「ちょっと話を聞いて! 今、俺の取材用メールアドレスに、変なのが!」
「そこから入るな!」
犯人が牽制する。律紀は仕方なく、戸口から声を上げた。
「君の立てこもりでスパ研のカレーが噂になったみたいなんだ、『怪盗カレースキー』って名乗る奴から、カレーを盗みに行くって予告状なんだよ!」
これは焔の案だ。これが狂言ならば、カレーの奪取は犯人の望むところではないだろう。
反応を見る作戦だ。
「はぁ? ……何だかわからないけど、お前らにあと一人や二人加わっても構うもんか! 誰も近づけなければいい話だ!」
どうやら犯人はカレーを冷蔵庫から出すつもりもないらしい。
このまま時間が経過すれば、出店に間にあわない。部員の狂言ならば、それは不都合なはずだ。
その瞬間。
冷蔵庫の唸りが消えた。
「作戦開始だよっ!」
クリスが配電盤のブレーカーを落とすのが合図。
「はいこれっ! 学食のカレー、特別製! お願いしますっ」
「みくずちゃん気をつけてね〜」
クリスが手渡したカレーをトレイに載せたみくずに、焔がタウントをかける。
「腹ぺ娘探偵、配達行ってきます!」
ビクトリア調本格メイド姿のみくずは、廊下を突進。
「美味しいカレーの配達に参りました〜!」
言うなり、壁に激突。……はせず、みくずの身体はするりと壁を通り抜ける。
教室の天井裏には、愛梨沙が上階から回り込んだ。
(阻霊符は大丈夫ね)
意思疎通でメンナクに知らせると、即座に天井を透過し舞い降りた。
「動かないで! お互いにこんな所で手荒な真似はなしにしましょ」
冷蔵庫に前に降り立つ。いざとなればシールドで冷蔵庫を庇うつもりだ。
「この……!!」
振るった槍を、愛梨沙のワイヤーが絡め取る。狭い場所では、槍はどうしても不利だ。
「貰ったわっ!」
猛然と突っ込んできた麦子が、動きの取れない犯人の肩をしたたかに峰打ちした。
「くはっ……! 何だお前たちは!?」
余りの痛みに耐えかね、犯人の手から槍が落ちた。
「俺はブラックノワールの貴公子。お前の望みを叶える為にやってきたのさ」
窓をすりぬけ、メンナクが悪魔のような天使の微笑みを向ける。
「ここまでやろうとするお前の想いを、『あいつ』に伝えてやるぜ」
これはあてずっぽうだ。だが、男子学生が反応した。
「よ、余計なことすんな! 俺が勝手にやったことだ……ってうわぁ!?」
「このブラック・モンスターがメッセンジャーになってやろうと言うんだ、感謝しな!」
メンナクが窓を開き、宙を舞った。その腕に、犯人を抱きかかえて。
ここまでやるからには、何か目的があるはずだ。せめてその目的を聞いてやりたいと思ったのだ。
その為にも、カレーから物理的に離す必要があった。
少しアヴァンギャルドな宗教画のように。
白い翼を広げた黒の堕天使が、男を抱えて空を舞う。
それを江戸川が、口をポカンと開けて見上げいた。
「え……まさか、黄(ワン)……?」
●
結局、俄探偵団の推理はかなり良い所まで行っていたのだ。
犯人はほぼ身内と言っていい『元』部員の黄という学生だった。
「あーっ、前の副部長さん!」
百瀬が目を見開いた。
「以前の部活旅行の写真の! そっか〜それで見たことがあるような気がしたんですね」
百瀬の記憶力は確かだったが、流石に一度見ただけの写真で人物全てを記憶するのは無理な話である。
黄は創部以来のスパ研副部長であり、清水谷の同級生だった。アウルに目覚めた為に日本に留学していたのだが、結局料理人になることを選び、半年前に故郷に帰ったのだという。
その為、それ以降に入部した加藤、百瀬、緑川とは面識がない。
「文化祭のシーズンだなあと思ったら、みんなに会いたくなって日本に戻ってきて。そしたら……この……」
震える黄の手には『メイドカレーハウス』の案内チラシ。
「こんなの、おかしいよ! スパ研ならプライド持ってよ、自分達のカレーに……ッ!!」
力説する黄が、傍らを睨みつける。
「こいつは絶対面白がって、止めないだろうけど!」
ビシッと指さされ、清水谷はさっと目を逸らす。
「部長さんがメイド服着るなんて……そんなの邪道だあ……!」
黄は顔を覆って崩れ落ちた。
この騒ぎをよそに、一同は加藤が用意したカレーを有難く頂戴していた。
「ふう、難事件だったわね……」
麦子がいつもの通り、何処からともなく取り出した缶ビールを煽る。仕事の後のビールは格別だ。
「ま、流石に恋愛説は冗談だったんだけど。当たらずとも遠からずってとこかな?」
「そうですね。しかしこれは記事にはできないなあ……」
律紀ががっくりと肩を落とした。
「うむ、美味い! カレーは世界に誇る日本料理だと思うぜ!」
ミハイルが思わず唸る。
「日本料理……?」
カレー好きではあるが、料理には一家言ある焔が笑顔のままふるふる震えている。
「……ん? 何かおかしなこと言ったか?」
何杯めかのお代りを要求しながら、みくずが加藤に言う。
「女装メイドもコアな需要はあるけど、あまり似合わない物を着せられるのはたしかに嫌だよね」
「うーんそうでしょうかー」
「じゃあこうしたらどうかな。部員とじゃんけんして買った人にはドリンク一杯無料とかね?」
そこでぽんと手を打つ加藤。
「メイドさんとじゃんけんですねー! じゃあ部長さんには執事さんになって貰えばいいんですねー!」
「えっと……ちょっと違う様な気もするけど……まあそれでいいのかな?」
みくずは疑問に思いつつもカレーをかき込む手を休めない。
「まあカレーも無事だったし、よかったわねぇ……カレーが残っていたらだけど」
愛梨沙が少し心配そうにみくずと加藤を見比べる。
「美味しい食事は皆でワイワイが楽しいのー!」
クリスはにこにこ顔でヨハンと頷き合う。
「兄さんにも教えてあげたいな」
「あっ私もお友達にも教えてあげるね♪ いっぱいお客さんがくるように!」
少し離れて黄を見守るメンナクの、サングラスの奥の瞳は何処までも優しい。
(本物追求するお前の拘り……嫌いじゃないぜ)
その日、『メイド&執事カレーハウス』に変じたスパ研の出店は、盛況を極めた。
部長以下『6人』の店員は、忙しい中にも笑いが絶えなかったという。
<了>