●
静かな闇の中、門前に煌々と篝火を灯す屋敷。
押し迫った危機に備え、もの皆息を凝らし……て、なかった。
「ちちさま、あたらしいおさけ、もらってきました!」
矢野 古代(
jb1679)の式神、サ神のモモ(
ja2617)がぱたぱたと駆けてくる。
白衣に桜色の袴、千早をかけた人の姿をとり、大きな酒瓶を落とさないように必死である。
「みぎゃー!」
同じく古代の式神である露姫(
jb3641)が『転ぶなよ!』とばかりに声を上げた。
掌に乗る程小ぶりだが、青い鱗が美しい立派な龍だ。
「だいじょうぶよ、つゆき。ところでちちさま、今日はおまつりですか?」
主の隣に座を占め、モモは部屋を見回す。
警備の武士達の控えの間となった広間には、腕自慢達が集い賑やかに酒を酌み交わしている。
無精髭を撫でながら、庵治 秀影(
jb7559)がくっくと笑う。
「まあ、祭りみたいなもんかもしれねぇな」
恐ろしい妖怪が来ると判っていて、屋敷に集う様な者達だ。
振る舞い酒に尚、戦意は高揚する。
そこに荒々しい足音が響く。
影野 恭弥(
ja0018)が上げた視線の先に、仁王立ちの中倉卿(jz0102)がいた。
「そなた達は、勤めをなんと心得る。そのようなことで世の理を乱そうとする輩を退けられると思うのか!」
雨宮 歩(
ja3810)が目を細めた。
「噂は聞いてるよ、正義狂いの武士殿ぉ。まぁ、今日は仲良く妖怪退治と行こうかぁ」
杯を掲げて見せると、中倉はキッと見返す。
「安心しなぁ。こう見えても請け負ったからには、仕事はやり遂げて見せるよぉ」
夢か現か、それとも来世か前世か。
中倉の瞳には、覚えがあった。
歩は心中に沸き起こる熱を表に見せず、ゆるりと酒を口に運ぶ。
「おお、怖、怖。俺ぁちょっと失礼すっかねぇ」
秀影は笑いながら、よいしょと腰を上げる。
渡り廊下の先は、件の姫の部屋である。
普段なら客人が近寄ることのない奥の間だが、今宵だけは別だ。
だが近付きすぎる秀影に、抑えた鋭い声が突き刺さる。
「ここより先はお止まりを」
彫像のように端座する従者、和紗(
jb6970)だ。
「よぉ、姫様、まだ泣いてるのかぃ?」
秀影はきつい視線を飄々と受け流す。
「おっと、口ぁ悪いが俺ぁ怪しいもんじゃねぇよ。くくくっ、まぁ、怯えてようが楽しんでようが来ちまうのは来ちまうんだ、ゆったり待つしかねぇや」
助けは居るのだと、中に居るはずの姫に聞こえるように。
「お勤め、宜しくお願い致します」
和紗が姫の代弁のように、静かに答えた。
秀影が戻るのを見届け、和紗は部屋の律姫(jz0021)に呼びかける。
「この通り、屋敷の護りは硬い故、大丈夫だとは思いますが。そんなに律様が不安でしたら、俺と衣を換えましょうか?」
「ありがとう和紗、でも怖いのとはちょっと違うんだよね」
乳兄弟の和紗に姫は直接言葉を返す。
「父上が昨夜話してくれたんだけど……」
律姫が生まれた時のこと。占者が告げるに、この男児は将来、大事な役目を担うことになる。その日までは姫として育てねばならぬと。
「それが今日なのかもしれないんだけど、でもそうじゃなかったら、姫のまま攫われるかもしれないよね!?」
「なるほど。では万が一ということもあります。やはり動き易い方が宜しいでしょう」
和紗はそっと奥の間に入った。
実は和紗は女である。故あって律姫とは逆に、男として育てられた。
「そのような衣で、律様には申し訳ありませんが」
「ううん、大丈夫だよ。……和紗はやっぱりそっちの方が似合うかな?」
着慣れない衣の裾を重そうに引き摺る和紗に、律姫が笑う。
「さて、此処までやってくるのでしょうか。茨木童子とやら」
扇で表情を隠し、和紗は庭を見つめた。
燃え盛る篝火に照らされて尚、ひとり座す蘆夜卿は、影そのもののようだった。
背後で、鎧戸が勢いよく音を立てて開く。
「ぼっちだと寂しいかと思って来てやったぜー!」
月居 愁也(
ja6837)がずかずかと歩み寄り、蘆夜の隣にどっかと胡坐をかいた。
「祈祷の為に精神を集中しているのだ。邪魔をするな」
蘆夜の冷たい声を、愁也は全く気にしない。
「それじゃ本番でコケるぜ? 偶には力抜けよ!」
肩を力いっぱい叩かれ、蘆夜が小さく溜息をつく。
それなりに力のある術者だが、この男はいつもこうだ。暫くぶりに顔を見たが、全く変わらない。
そこでふと、あることに気付いた。
「片割れはどうした」
「ああ、単身で足止めに行ってるよ」
愁也の笑顔がひきつり、拳が固くなる。
如何にも深刻な顔を作りながら、心中は実に楽しそうだった相方の顔が目に浮かんだ。
あいつ、俺を置き去りにして……!!
●鬼の岩屋
都へと浮かれ出る一同を見送り、茨木童子(jz0089)が煙管に火をつけた。
この時代には稀な道具だが、かなり使い込まれているらしい品だ。
吐きだした煙がふわふわと漂い、人型を取る。
「ばっきーは都行かないのかー、留守番ー?」
煙管の付喪神(
ja3082)が茨木の顔を覗き込んだ。
「此処を空にする訳にもいかんしな」
「そんなこと言わず、茨木童子様も都に行きましょう! 突然でも大丈夫! チェリーがちゃんと恋文出しておきましたから!」
桜色の裳裾も艶やかに、チェリーこと文車妖妃(
ja2549)が茨木の袖を引く。
「恋文……?」
白羽の矢に恋文を結び付けてどうする。茨木が言いかけたところで、小鬼が一匹、キィキィ泣きながら駆け寄ってきた。
茨木はその訴えに顔をひきつらせると、席を立った。
「んー、なんか宴会も飽きちゃった。まじ暇だわ」
煙管の付喪神がぼやいた。
「姫って美人かな。先にチラッと見てこよっかな。調査大事だもんね」
再び薄い煙に変じた付喪神は、都へ向かってゆるりと流れて行った。人これを抜け駆けという。
宴の一隅、鮮やかな衣の色が目につく。
近寄る茨木に、広げた扇で口元を隠し、梔子姫(
jb0658)が優雅に笑う。
「あな恐ろしや、怖くて動けないわぁ」
「やぁだ、魑魅魍魎こわぁい」
紅葉より赤い唇から洩れるのは、凄い棒読みの台詞。真朱姫(
jb0726)である。
梔子姫は黄金色の唐衣から白い指を覗かせ、杯を差し出した。
「こちら、お酒が足りてないわよ? そこの貴方達、ぼんやりしてないでひとさし舞って頂戴な。退屈でいけないわ。ねぇ、果物はないの?」
言いたい放題、やりたい放題である。
「それとも茨木童子、貴方が舞って下さるの?」
梔子姫のからかう様な口調に、真朱姫がくすくす笑う。
「童子、お顔の色がすぐれないように見えるわね。お酒が足りてないのかしら? こちらへいらしたらお酌してさしあげてよ」
このふたり、都で『鬼憑きの姉妹姫』と呼ばれていた曰くつきの姫君達である。
美しいとの噂は成程嘘ではなかったが、鬼憑きの方も嘘ではなかった。というか憑いた鬼の方が哀れな具合。
「そなたら、怖くはないのか」
問うた茨木に、梔子姫が嫣然と笑いかけた。
「あら、ふふふ……怖いわねぇ、怖いわねぇ、真朱?」
「ほんと、怖いわね梔子。美味しいお酒は怖いし、珍しい肴も怖いわねえ。そうそう、綺麗な着物も怖いわ。あと色男も怖いわねぇえ」
真朱姫が茨木と、傍らの夜来野 遥久(
ja6843)を見比べてにっこり微笑む。
白羽の矢が立った時、姫君達の家の者は大慌てで高名な陰陽師である遥久を雇った。
結局、術師は姫君達と一緒に岩屋へ連れて来られたのだが、実行犯達が何も語らないので同行していなかった茨木は詳細を知らないのだ。
「今更だが。体の良い厄介払いだったのではないか?」
「まさかそんな」
術師は目を細め、薄く微笑む。そこらの妖怪より余程妖怪じみた笑みだった。
「ではここで何をしている」
「貴殿の足止め役です、役目は果たしておりますよ。姫君達をお慰めするのも大事な仕事ですし」
茨木が姫君達の方を振り向いた。そして遥久に向き直る。
「よし、特別に見逃す。そなた、姫君達を連れて都に帰るがよい」
「残念ながら姫君達は今日、都の方角へ動くのは宜しくないようです」
「では一度、方違えをすればよい」
「なりません、その上今日は物忌みです」
術師は理屈をこねては、居座る構えだった。
その気になれば雑鬼共など蹴散らせるが、敢えて今動く必要もない。
都には可愛い(?)愁也を置いて来た。何か大事なことがあれば知らせて来るはずだ。
……というわけで、遥久は結構岩屋生活を楽しんでいた。
(まずは敵を知ることが重要ですからね……ふむ、茨木童子、蜜柑の筋まで取って食べる派)
物凄くどうでもいい調査記録が、日々積み重なっているようである。
●
生ぬるい風が庭を吹き渡った。
「……来たか。ぬかるなよ」
中倉が刀を手に腰を浮かせた。
「まだ慌てるときじゃないよぉ、落ちつきなぁ」
歩の声に耳も貸さず、庭に降り立つ。
屋敷の門前には検非違使の戯阿(
jb4049)が詰めている。
「茨木童子だか知らないけど、都の治安を護る事が戯阿の使命なんだからなっ!」
門の内外に落とし穴を掘る重労働の為か、少女のような戯阿の白い頬は紅潮していた。
「べっ別に戯阿、姫様が泣いててかわいそうなんて思ってないからっ! これは検非違使の務めなんだからねっ!」
ふん、と鼻息荒く円匙を地面に突き立て、襲来を今や遅しと待ちかまえる。
ざわざわざわ。
静まり返った都大路を、異形の集団が進み来る。
「ふふ、楽しみだなぁ。今回は豪胆な武士がそれなりにいるといいけど」
鋭い両手の鎌をギラリと光らせ、紅い毛並みの鎌鼬(
ja0200)が紅玉の瞳を輝かせる。
「余りにも不甲斐ない守りでは、戻ってからの酒も楽しめないしね」
屋敷の門前、燃える篝火。鎌鼬がひょうと爪を薙ぐと、忽ち炎は消え失せる。
俄かに邸内よりどよめきが沸き起こった。
「ほう……此度は随分と可笑しな夜になりそうじゃのう」
小振りな額の双角の下、紅葉色と常若色の瞳を輝かせ、鬼女紅葉(
ja0292)がやや季節外れの赤朽葉の五衣の袖の下で口元をほころばせる。
「随分と掻き集めたもの。余程姫君が大切と見えるが、やはり人と鬼とは違うもの」
袖を打ち振るえば、夜目をも欺く紅葉が乱れ飛び、邸の混乱は増すばかり。
「さあ皆の衆、百鬼の宴、楽しみましょうぞ」
「あなや、我らを恐れたる様子、いとかわいげなり」
(意訳:真のブラッカーの降臨に、無力な者は酔いしれるのみ!)
白い翼持つ黒衣の怪異(
jb4611)が、人々の様子を見て呟く。
「自由精神は暗黒の御世に輝く白光……この伊達悪が姿に魅了されよ」
昼のような白い輝きが溢れ出し、辺りを照らした。
「哀れなり。凡人は血反吐吐くまで露津苦の御名を唱えむべき!」
なんだか意味がわからないけどなんか怖い。人々は右往左往し始める。
続けて飛び出した猫娘(
ja0835)が握る、アオダモを切り出した打棒が音を立てて空を切る。
「行く手を邪魔する者は、破壊しちゃうゾ☆」
迎え撃とうとする武士達が次々と打ちのめされ、倒れ伏す。
猫娘が構え直した打棒にはよく見ると大量の五寸釘。
黒衣の怪鳥はその様に、地上に降り立つ。
恐怖の余りこけつまろびつ逃げ出す者に向かって、突如衣を肌蹴け、男は叫んだ。
「この我の輝きで、身も心もとろけんばかり心地もがも!」
癒しの光が血を流す武士を包み込むと、忽ち傷は癒えてゆく。
怪異の不思議な行動に、暫し呆然と座り込む人どもの前、黒衣の男は額に指を当てて佇んだ。
「嗚呼。我、蝮毒よりあやふし男。いみじくもしかるべし」
(意訳:伊達ワルの帝王に魅了され、お前は虜となる)
なんだかんだで、気の良い妖怪らしい。
しかし悲しいかな、彼の真意は常人には理解しがたいものである。
「出たな、妖怪! くらえ、万能円匙秋葉陣!」
万能呪具・円匙と符を携えた戯阿が疾風のように突進してきた。
符と術で妖怪を縛り、落とし穴に落とし円匙で封印する。
繊細な見た目に合わず、豪快な作戦に打って出た。
「……来たか」
蘆夜の頬に緊張が走る。燃え盛る護摩壇の前、幣を下げた榊を捧げ持つ。
「まだ大丈夫だって。結界はまだ破られてないんだろ?」
愁也が胡坐の膝に頬杖を突きながらも、門の方角の物音に耳を澄ます。
「それよりさー、お前、普段何してんの。友達とか通ってる姫とかいねえの?」
「…………」
どうやら聞いてはいけないことを聞いたようだ。
蘆夜の額に、青筋が浮き出る。
「貴公のように……その手の趣味はない」
「あっそんなこと言う? そんなんだから友達も仲間もいなくてぼっちなんじゃん」
「……祈祷の邪魔だ、去ね!」
「いてっ!」
榊がべしりと愁也を打った。
「何だよー、手伝ってやろうっつってんのに。ほら、そっちの蝋燭消えかけてんじゃん。貸してみろよ」
「触るな! 俺がやる!!」
「遠慮すんなってーの、可愛くねーな」
手を出す愁也と、押し留める蘆夜。
その煽りでふわりと飛んだ幣が、蝋燭の炎に燃え上がった。
「「あ」」
火は一瞬にして広がり、張り巡らされた注連縄を焼き切って行く。
( ゜д゜)
( ゜д゜ )
Σ(ノゝω・)
「貴様……!!!!!」
「ごっめーん!」
宝刀を抜き放つ蘆夜の目前で、愁也だったものがかき消え、一枚の人型がひらりと舞い落ちた。
「あの男、やはり怪異であったか……!」
人型を火に放り込みながら、蘆夜の目はどこか寂しげにも見えた。
だが、すぐさま気を取り直す。
「中倉卿、気をつけよ! 術が破れた」
「もとより承知」
中倉は言い放つや否や駆け出した。
●
結界の術が破れたことは、すぐに知れ渡る。武士達が我先にと立ち上がった。
「ちちさまもおしごとするの? じゃあしょうがないなあ」
主を見上げ、モモが渋々腰を上げる。
そこに雑鬼が一匹、勢いよく飛び込んできた。
「いたぁい!」
モモが悲鳴を上げた。咄嗟に主の楯にされたのだ。……樹の精だから固いということか。
「いたいぃ! ちちさまのばかぁー! つゆき、はやくー!」
本来の人型、青袴の巫女服に羽衣を身につけた露姫が姿を見せた。
「い、今、助けるからな!」
実は主に雑鬼をぶつけて遊ぼうとした露姫だったが、可愛いい妹分のモモが泣きだしたので慌てて取り繕う。
「ちっちゃい子泣かせやがって! お仕置きだっちゃみぎゅー!!」
忽ち雨雲が沸き起こり、激しい落雷が敵と、ついでに主を襲った。
「式神の責任は主の責任だからな」
自分の事を棚に上げ、露姫は素知らぬふり。
「大丈夫か、モモ」
「どうせ、かたいのしかとりえないもん」
「そ、そんなことないって!」
地面にのの字を書くモモを、露姫は必死で宥める。
杯を名残惜しそうに置くと、秀影も刀を手に立ち上がった。
「しょうがねぇな、仕事は仕事だ」
その目前を、ふわふわと妙な煙が横切っていく。
「なんだぁこりゃ? ……ひょっとしてこれも妖怪かぃ」
ひらひらする端っこを掴むと、煙は生き物のようにうねった。
「きゃー、尻尾掴んじゃいやー」
「尻尾……なのか? こいつぁおもしれぇな。気持ちよさそうに漂ってたが、そっちは行き止まりだぜぇ」
「えー、お姫様みたかったのにー」
するんと手を抜けた煙は、ふよふよと秀影の周りと漂い、すうっと杯に吸い寄せられた。
「上等な酒のにおいがするーでも中身がない……」
「おっ、酒がわかるのかぃ? よしよし、飲ませてやろう」
秀影は煙が酒を飲むというのが面白くなってきた。
「え、なに、酒くれんの? やったー!」
煙は嬉しそうにくるくる回る。
「その代わりと言っちゃあなんだが、ちょっと話にでも付き合え」
秀影はどっかと腰を据えると、酒瓶を手に取った。
その頃屋敷の門では、怪異と人間が入り乱れていた。
戯阿の封印も、魑魅魍魎の数が余りに多く防ぎきれない。
「くっ、流石に多すぎる! でも戯阿、負けないんだからな!」
封じた傍から新手が出ては、門に縋りつく。
それらの怪異を、凛々しく刀を構え、楯清十郎(
ja2990)が迎え撃つ。
「今こそご恩を返すとき。例え相手が魑魅魍魎であろうと斬ってみせます」
かつて遠国より頼る者もない都に出てきて、空腹で倒れていた自分を介抱してくれたこの屋敷の人々の恩義に報いる為。なんとしても姫を守り抜く覚悟である。
「良い動きだ、そなたに託す。奥の警備に回れ」
中倉が清十郎に声をかけ、斬り込んで行く。
「ほほ、勇ましいこと」
紅葉がその様に、目を光らせた。
己の正しさを信じ、それが対する者を害することに思い至らぬ者。
ならばその傲慢に相応しい報いを。
紅い光が舞い踊り、吹き荒れる。
「美しかろ? 妾は戸隠の紅葉。信濃より赤き幻を見せに参った次第よ」
なつかしい都を幾度も夢見た日々を思い、紅葉の緑の瞳が憂いを湛えた。
「ははっ、本当に愉しませてくれるねぇ」
舞い散る赤は、紅葉の幻影と、流血。
歩の唇が皮肉な笑みの形に開く。文字通りの狂宴。無様に踊るに相応しい。
「相手が妖怪なら、遠慮はいらない、ってねぇ……おっと!」
中倉を狙った衝撃波を遮られ、鎌鼬がニヤリと笑う。
「へえ、やるね」
一撃で倒れるようでは、態々出てきた甲斐がない。
「こうでなくては面白くないよね。さあ、闘おう」
紅い獣と睨みあいつつ、歩は傍らの中倉に言葉を投げた。
「貸しひとつ、と。さて、どんな形で返してくれるのかなぁ?」
「……此処を守り切れば、褒章は望みのままだ」
「そういうことじゃないんだけどねぇ。まあいいさぁ」
守られたことを判っていながら、それを表せない中倉の気性。
何故それを自分は知っているのか。――今はそれを深く考える暇はない。
歩は呼吸を揃え、中倉と共に踏む込んだ。
「おおー! そこだー! いけーファイトっすー!」
やけに明るい声が屋根から響く。橋姫(
ja9093)である。
紫苑の重ね色目も美しい十二単の下は丈の短い袴。長い金髪を肩にすべらせ、金の瞳を輝かせる。
「やっぱ山の宴会より、こっちの方が楽しいっす!」
橋姫は自在に己の橋を掛け、いち早く屋敷に潜り込んでいた。
然程名のある橋の主ではないが、それだけに小回りが利く。気まぐれな彼女は、もとより自分が戦いに参加する気もない。
いつの間にか台所から失敬していた肴を楽しみつつ、まさに高みの見物である。
「お! この煮物おいしーっす!」
ぐっとサムズアップ。フリーダムな橋姫である。
地上では、猫娘が一群を抜け出した。
「姫は何処かなあ〜?」
別に猫娘は姫を奪うこと自体に興味はない。
美しいと評判が立つ、物語の主人公のような『姫』と呼ばれる立場が憧れっていうか、妬ましいっていうか、かなりムカツク顔見せろって感じだ。
「はいはい、猫娘ちゃん♪ 肝心の可愛いお姫サマ殴っちゃ駄目よー?」
女物の袿をかづき、総大将の酒天童子(
ja1553)が登場する。
美女が酌する美酒を好み、享楽と騒乱を愛する美しくも荒々しい鬼。
「あー、でもさすがにキリがないか。橋姫ちゃーん、面倒だからちょっとこっちに橋掛けてちょーだい!」
屋根の上に向かって声を掛けると、さしもの気まぐれな橋姫も、それに応える。
「りょうかいっすー! でもこっちに来られると面倒なんで、すぐ消すっすよ!」
門から屋敷に向かって、一瞬で見事な橋が現れる。
「さて、行きますか」
空を舞っていた姑獲鳥(
ja0503)が、ふわりと橋に降り立つ。、
謂れによると、幼い少年を失った女性が死後転じたもので、人の子を攫い、我が物とするという妖怪である。
姑獲鳥は幻の橋を渡り屋敷にたどり着くと、狩衣の人の姿に変じる。
「怪鳥の姿では人目につき過ぎますからね」
ふふ、と微笑むと、さり気なく騒ぎの中を邸内に紛れて行った。
●
妖怪の襲来に慌てふためく人々をかきわけ、律姫の侍女である鈴音(
ja4192)は奥の間へと急ぐ。
「魑魅魍魎から律姫をお守りするのが、侍女たる私の務め!」
キリリと印象的な眉を引き結び、部屋の前で膝をつき、声をかける。
「律姫! 敵襲にございます!」
美しい唐衣の背中が、心なしかびくっと震えた。
「姫、ご安心ください! 私が……あ、あら? よくみたら……梨香ちゃんじゃない?」
「鈴音さん!」
顔を上げたのは同僚の侍女・梨香(jz0061)である。
中倉に命じられ、律姫になり変わっていたこと。
律姫はその上で従者の和紗と入れ替わり、別の部屋に移ったこと。
それらを聞き、鈴音は唸る。
「侍女の私すら欺くとは……こうなったら、本物の姫っぽくみせるために私が梨香ちゃんを死守するわ!」
特製の護符を張った薙刀を、ぶうんと振る様は全く持って勇ましい。
「有難うございます、でも気をつけてくださいね。相手は人間ではありませんから」
梨香が気遣わしげに鈴音を見た。
一方、律姫のいる別の部屋。
「おいたわしや律姫様……そのような衣をお召の上に、あやかしを欺くため尼のような御髪になられて……!!」
新米侍女の彩華(
jb4626)が袖を当ておいおい泣いていた。
地方官吏の娘で行儀見習いに都に上がったばかりの為、まだ律姫の秘密を知らないのだ。
「えーと……まあ、これには色々とあってね……」
律姫が宥めるのに、彩華はがばっと顔を上げる。
「お彩に任してくだせえ、絶対にあやかしをやっつけて律姫の御髪を元通りにしてみせるべ!」
全然聞いてない。そして頑張って覚えた都の言葉も飛んでいる。
「こう見えても、お彩は獣使いの術がつかえるすけ。飛龍、姫様をお守りするだ!!」
どろんと現れた飛龍は、きゅうと一声鳴き、姫の傍に控える。
「あ、有難うね」
律姫は諦めたように和紗と顔を見合わせる。
その和紗が、不意に顔を引き締めた。
「……来ます! 姫、隠れてください」
懐剣を握り締め、怪しい気配に身構える。
飛龍が警戒の声を上げると同時に、紅葉が室内を乱舞する。
「そなた達には悪いが、姫君は貰い受けてゆく」
鬼女が裳裾を優雅に捌きながら、白い爪先を差し出した。
「怪異など恐れません。男として育ったのは伊達じゃないんです」
和紗が一歩を踏み出した、その瞬間。
「きゃーっ!?」
ばたーん。
「和紗!?」
身構えた鬼女の前、見事に裾を踏んで転ぶ和紗。男として育ったのは伊達じゃなかった。
倒れた和紗に真っ先に駆け寄ったのは、果たして猫娘。
「お前が姫か〜!?」
上等の衣を纏った女とあれば、姫であるはずだ。
色んな意味で衝撃の眩暈から立ち直れない和紗を引き起こすと、襟首を掴んでガクガク揺する。
「ねぇ、ちょっと! 皆に守られる深窓の姫君って美味しすぎない!? 何だったら私が代わってあげるけど!? いや代われ!!」
男の成りの律姫が立ち上がると、行燈を振り被った。
「和紗を離せ!」
しかしその手元はいかにも頼りない。お彩が真っ青になって悲鳴を上げる。
「姫様、無茶はしねでけろーっ!!」
「姫様?」
猫娘が、和紗を揺する手を止めた。
「妾が思うに、少なくともその娘は姫ではなかろう」
鬼女紅葉が軽く眉を寄せる。
「如何に慌てていようと、深窓の姫君が着物の裾を踏んで転げようか。代わり身であろ」
猫娘が不意に手を離したために、和紗は解放される。
「姫様、私に構わず、すぐに逃げてください! お彩、早く!!」
咳き込みながらも和紗はなんとか姫を守ろうとする。
「はいっ! 不埒な輩は決して姫様に近づけません!」
震えながらも彩華は律姫を背後に庇った。
「姫はお前か〜!」
向き直った猫娘が前から、そして背後から姑獲鳥が化けた貴人が姫に近寄る。
「はっ、離せ!!」
姑獲鳥は姫を羽交い締めにした瞬間、雷に打たれたようになった。
背後から腕を回し、姫の胸元で数回手を往復。……女性にしては、余りに絶望的な絶壁だった。
カッと目を見開くと、姑獲鳥は律姫を離し、立ちはだかる。
「イエス! ショタコン! ノータッチ………!」
(意訳:攫うのはやめだ! 愛でる! 襲う人からは守る!)
「や、もうどうでもいいわ〜」
何とも言えない表情になった猫娘が踵を返す。
その目前に、一部始終を眺めていた酒天童子がいた。
「へえ、男の子だったのね。あたしと逆ね♪」
からからと笑う酒天童子が袿を払うと、若い女の姿となる。
「面白いじゃない、美少年の御酌も悪くないわ。姑獲鳥、悪いようにはしないって約束するから安心して♪」
「やめろーーー!!」
「姫様を元に戻してぇー!」
彩華は泣き崩れる。姫が術で男に変えられたと思っているのだ。
暴れる律姫を小脇に抱え、酒天は庭に降りていく。
「姫君が男子とな……茨木殿が雷を落とすやもしれぬな」
檜扇で口元を隠し、鬼女がふふと微笑んだ。
●
本来の姫の部屋で、梨香が鈴音と顔を合わせる。
「何か向こうの部屋から、物音がしませんでしたか?」
嫌な予感が走る。
「……こんなこともあろうかと!」
鈴音が突然、部屋の壁に手を掛けると、ぐるんと回す。
「えっ」
いつの間に作ったのか、現れる地下通路の入口。
「妖怪のほとんどが屋敷に来て手薄なはず! この隙に先回りして、茨木童子の首をいただくのよ!」
「えっ」
鈴音に腕を引っ張られ、梨香は通路を抜ける。
「ここは……」
何と屋敷の塀の外の藪の中。
「こちらです姫様! よくぞご無事で!」
明かりを手に駆け寄る若武者がいた。
「車をご用意しております。これにて安全な所まで急ぎ避難を」
顔を見ないように平伏するのは清十郎だった。
屋敷に居るとはいえ、姫の顔など見る機会はない。完全に誤解している。
「車があるのね! ちょうどいいわ。姫様をお助けする為にも、貸してちょうだい!」
「えっ!?」
「細かい説明は後でっ! さあ、鬼の岩屋に殴り込みよ!!」
ぶもー。
牛が吠えた。
まあ平安時代なので。車といえば牛車である。
「さあ牛達よ、全速力で走るのです」
脇についた清十郎が促す。……だいたい徒歩のスピードである。牛車だし。
このままでは到着は明日の朝か、昼ごろか。
突然、牛が鼻息を荒げる。
進む先に、覆面の武士(
jb2910)が礼儀正しく膝を折っていた。
「正義のNINJA! 時代劇だよ、マークワン! って今は武士ですけどねー! ワタシは味方デース!」
マスクを取って名乗りを上げる。
暗がりで梨香や鈴音には見えなかったが、その顔はゾンビ。
身につけているのは何やら怪しい白い布。千二百後には俗に『フリフリエプロン』と呼ばれるようになる代物だ。
「完璧ですねー見つかってもタダの可哀想な人としてスルーされるでしょう!」
何故か尻に仕込んだ狼煙を上げ、先導する。
「さあこっちデース!」
揺れる狼煙が、牛の神経を逆なでした。
牛車ががくんと揺れる。
「あ、暴れ牛だあああ!! 暴れ牛がでたぞおおお!」
清十郎の声を後に、牛車は猛然と走り去った。
●
各所の大騒ぎの中、秀影は杯を手に煙妖怪の話に相槌を打っている。
「ほぉ、山ぁそんな事になってんのかぃ」
「そうなのー。ばっきーって案外、押しに弱い」
煙妖怪はすっかり秀影に懐いていた。
「誰が押しに弱いって?」
腹の底に響くような声が庭先から届いた。
「きゃーばっきー、来たー! ……やーん、ごめんってばー」
茨木が煙管を出すと、付喪神はふらふらと吸い寄せられる。
「どいつもこいつも、なかなか戻って来ないと思えば」
その尻尾を掴んで軽く振り回すこと数回。
「俺は乱暴なの嫌いだってゆってんのに……じゃあね人間、またお酒頂戴ねー」
しゅぽん、と、付喪神は煙管に消えた。
「はは、お互い生きてりゃ、また酒でも飲もうじゃねぇか」
そうは言ったものの、目前には噂に名高い茨木童子。流石の秀影も身を固くする。
「茨木童子が乗り込んで来ただと! 囲んで追いつめろ!!」
中倉の声が響き渡る。
「やだ……若いイケメンが沢山……渋いオジ様もいる……彼らがみんな童子様に……グフフフ……」
文車妖妃が口元を拭った。
岩屋での居心地の悪さに、ついに腰を上げた茨木にくっついてきたのだ。
(童子様の惨げk…もとい、勇姿は確り記録しておかないと!)
ちなみにこの記録が後に『世界最古のうすい本』と呼ばれることになる。
茨木は不敵な笑みを浮かべ、周囲に集まった人間達を見回した。
「丁度良い酔い覚ましだな。纏めて相手してやろう」
妖妃がぐへへと笑う。
(童子右固定か……人間×妖怪……これは売れる!)
なんか色々曲解できるシチュエーションらしい。
ところで記録者がこの場合における右と左の意味を知ったのは、割合最近のことだとここに記しておく。
「ちょっと、ここで何してんの」
肩を叩く手を、妖妃は乱暴に払いのける。
「もう、今いいところなんだから邪魔しないでよ!」
「何してんのってば」
「うるせー! 腐車妖妃(誤字に非ず)なめんなよ! テメーら全員無いこと無いこと書いて都大路歩けなくしてやんぞ!」
振り向いた先に居たのは見慣れた姿。
「へえ? やってみてもいいけど?」
酒天童子がにこにこ笑っていた。
「妖妃ちゃんも好きそうな子、手に入れたから。とりあえずここは引き上げましょ♪」
ひょうと風に乗る酒天を追って、人も、魑魅魍魎も、動き出す。
「ごめーん、遥久。最後の最後でしくじった!」
鬼の岩屋に戻った式神の愁也の報告に、遥久が溜息をつく。
「次は姫にでも化けて入り込むか?」
「姫……!? 嫌だよ!」
式神はふいと姿を消すと、主の袖に潜り込んだ。遥久は軽く袖を叩くと、向き直る。
「さて、ここも一層賑やかになりそうですよ」
微笑みかける相手は、二人の娘。
「鈴音さん、少し先回りしすぎたかもしれません」
「大丈夫よ梨香ちゃん、諦めなければチャンスはあるわ!」
二人を挟んで、真朱姫と梔子姫がころころと笑う。
「あなた達もここで暮らせばいいのよ」
「そうよ、怖いことなんか何もないわよぉ?」
……一番怖いのは人間なのかもしれない。
その後、彼らはどうなったか。
魑魅魍魎も、そして都ではのんびり生きられなかった人間も、みんな鬼の岩屋で仲良く(?)暮らしたという。
彼らを繋ぐのが、律姫の『大事な役目』だったのかもしれない。
<了>