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道路に停めた黒塗りの車に、街路樹の影が映り込んでいた。
後部座席のジュリアン・白川(jz0089)が腕時計を確認し、インカムのマイクを通して試験開始を宣告する。
「時間だね。私は試験の流れを把握するために、諸君のやり取りを確認している。諸君の相互通信は任意だ。希望する相手だけ許可してくれたまえ。では、始めよう」
ユウ(
jb5639)が周囲を確認し、車のドアを開いた。
「護衛対象、出ます」
ユウは同じチームの仲間を信じることに決めた。行動を共にする者を無暗に疑うことは、襲撃者を利する行為になるだろう。仮に裏切り者が出た場合には、その都度対応するしかない。
アタッシュケースを下げた白川が道路に立つ。
その瞬間の襲撃がないことを確認し、ユウは空へと舞い上がった。暫く旋回し、傍の校舎屋上に降り立つ。
「こちらから見る限り、不審者なし。移動始めてください」
試験時間は原則5分間。『闇の翼』をずっと使い続けるのは無理だ。ここぞという場合のために、節約せねばならない。
「先生は我々がお守りします、作戦開始」
模擬戦用のライフルを脇にしっかり構え、セレスタ・レネンティア(
jb6477)が無駄のない動きで進路を確認する。
元々軍人気質の義務感や正義感を持ち合わせたセレスタに、今回の護衛任務は適任といえるだろう。
街路樹や周囲の建物に特に怪しい点がないことを確認すると、西方面へ先行する。
白川が遅れて歩き出す。撃退士としてはかなりゆっくりではあるが、一般人としてはかなり早い。
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が後に続いた。
護衛されている白川の方が先触れの従者のような、堂々とした足の運びだ。
「試験の一環とはいえ……この面子、楽しめるな」
命のやり取りに臆する訳ことはないが、純粋なる力試しというのもそうある機会ではない。
(さあ、何処から来る……?)
込み上げる愉悦に、我知らず笑みが浮かぶ。
少なくともスタート時点では完璧に護衛役をこなす3人に、ロヴァランド・アレクサンダー(
jb2568)が感嘆の声を漏らした。
「お嬢ちゃん達は威勢が良いねえ、俺にゃもう勝てねえわー」
そう言いながらも、視線は鋭く上空を見渡す。
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リアナ・アランサバル(
jb5555)が潜んでいた給水塔の物影で身じろぎする。
「まともになんてやらないよ……」
ユウが屋上に降り立ったのを確認し、同じ襲撃犯の仲間にだけ回線を開き連絡事項を伝える。
準備は済ませた。首尾は上々。
「ま、罠の大体の位置は今言ったとおりだから。かかんないように注意してよね」
後は事態が動き出すのを待つばかり。屋上で身を伏せる。
「了解。こっちもせいぜい頑張るとするかな」
ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)が別の屋上から答えた。
元々ロドルフォは、どちらで参加しても良かった。
だが参加メンバーを見渡し、思わず嘆息する。何、この女子率。
「先生はギリギリ綺麗所としていける……が」
そうなのか?
「いややっぱり1陣営にむさ苦しい男3人とかねーわ、マジねーわ!」
早々にロヴァランドが護衛班に回ったため、ロドルフォは陣営を変えた。
「たいちょーすんません、俺、こっちに回ります!」
「好きにすりゃーいいよ」
こうして同じ部活の2人は、袂を分かつことになる。
「というわけでごめんね、俺、敵になっちゃうけど許してフィオナちゃん」
「ふん、我を敵に回すとは、その度胸だけは褒めてやろう。受け取れ、褒美だ」
ゴスッ。
フィオナの拳がロドルフォの腹にめり込む。
「うごふぉッ……! す、すみません、フィオナ様」
危うく試験参加前に戦線離脱するところであった。
暮居 凪(
ja0503)も小声で返信。同時に阻霊符を取り出した。
「念のために、ね」
南側の建物の影に身を顰め、接近して来る一団を待ち構える。
「さて――こういうのは、初めて、ね」
短い準備時間の間に、色々策を講じた。
結果、自分の手札は護るにも攻めるにも不足しているのが実情だと判断。
(近いうちに、色々と見直さないといけないわね)
もっとも、それに気付くのも試験のうちといえるだろう。
「まあ今の時点でどれだけやれるか。それを試すのもいいわね」
近付いてくる足音。
そのスピードから距離を想定し、タイミングを計る。
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西から北へ折れる交差点の手前で、セレスタが白川を制止した。
建物に身を隠して様子を窺った後に、素早く北へ。前方、左右、そして上方。
そして街路樹に仕掛けられた古典的な網を発見する。
「一応除去する、か」
サバイバルナイフを取り出し、慣れた手つきで切り裂いた。
「まあこれは流石に本気ではないだろうがな」
呟いたセレスタは他に異状がないことを確認すると、屋上のユウを通じて移動を促す。
「あーあ、さすがに無理だったみたい」
潜伏した屋上から手鏡でそれを確認し、リアナがさほど残念そうでもない口調で呟く。
「まあ多少は時間を稼げたわね」
この時点で約1分が経過している。警戒させるだけでも警護側の行動は邪魔できるのだ。
白川にあわせ、フィオナが歩きだす。
(やはりこの交差点が一番の襲撃ポイントであろうな)
失敗した際には挽回のチャンスが必要だ。ならば一度目を2つ目の曲がり角まで待つことはないだろう。
裏切り者が出る可能性を考え、敢えてそのことは護衛班の仲間には告げていない。
だが各人がそれぞれ最良の選択を模索し行動すれば、集団として最良の結果に到達するはずだ。
事実、現時点では詳細を打ち合わせたように、上手くいっている。
――そしてここからが正念場だ。
凪が閉じていた目を開く。カウントダウン開始。
3、2、1、GO!
交差点に投じられた発煙手榴弾の爆音が襲撃開始を宣告する。
辺りを覆う白煙の中、彼我の全員が動き出した。
勝負はおそらく一瞬で決まるだろう。凪は力を溜め、全力で突っ込む。
もとより煙幕の効果をさほど期待していない。自分が仕掛けたことを襲撃班の仲間に知らせる、合図のようなものだ。
「接敵、交戦開始!」
街路樹を楯に、セレスタが弾幕の西側を狙い、連射。乾いた音が響く。
少しでも護衛班のための時間を稼ぐ。
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「やはり来たか!」
フィオナは煙幕を抜けて突進してくる影を確認し、白川の前に回る。
「そう簡単に押さえられると思わないで欲しいわね」
接近する影が不意に目前から消える。否、地を蹴って跳び上がったのだ。
「……嘗めるなよ。状況からすれば上方の警戒は基本中の基本だろうに」
フィオナの周囲に輝く赤球が浮かび、魔力の光弾を放射。煙幕の中、赤光は真っ直ぐ襲撃者へと向かう。
「しま……ッ!」
高い跳躍は、煙幕が薄まった位置に身を晒すことにもつながる。
襲撃者の姿を確認し、フィオナが会心の笑みを浮かべた。
「暮居か。貴様とは一度正面から遣り合ってみたかったのだ……存分に打ち合おうではないか!」
凪が着地した地点へ猛然と駆け出す。
少なくとも現時点で、護衛班の人数は襲撃犯より多い。一人が一人を抑えていれば、護衛対象は守れる。
最接近に備え身を低く駆けるフィオナを見て、凪は対峙することを選んだ。
「簡単には逃がしてもらえそうもないわね」
そう言いながらも、愉しむような光が黒い瞳に宿る。
全力で来るなら、全力で。凪は武器に力を籠め、身構えた。
「我が一撃、受けてみるがよい!」
「一度は全力で行かせてもらうわよ」
重く鋭い『覇王鉄槌』の一撃と、『ウェポンバッシュ』の痛打との真正面からのぶつかり合い。
「く……!」
フィオナの身体が、意に反して後方に弾き飛ばされる。
「……さすがね」
凪は肩を押さえ、声を絞り出す。
これ以上は無理だ。フィオナを押さえただけでも良しとするしかないだろう。
離脱を決めたその時だった。
「凪ちゃん、これ!」
煙幕の中を突っ切って来る、白い翼。ロドルフォだ。手に提げているのは銀色のアタッシュケース。
「え……!」
「これ持って派手に逃げて」
耳打とカバンを残し、ロドルフォは薄れつつある煙幕の、まだ濃い部分へ。
凪はすぐさまカバンを手に、反対方向へ駆け出した。
「待て!」
フィオナが追いすがるのを確認し、凪は再度ウェポンバッシュを放つ。
衝撃に煽られながらも、フィオナは止まらない。まるで微風が顔を撫でているかのようだ。
凪は黄金の獅子が駆けるようなその姿に、ふと頬を緩め、足を止めた。
「――これ以上は試験の場では出来ないわね」
「何……?」
「ここまで離れては、私達は試験終了という所かしら」
凪が肩をすくめ、アタッシュケースを開く。
中身は空っぽだった。
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「凪ちゃん、上手くフィオナちゃん引き離してくれたかなー?」
本当は本物を託したかったが、状況が許さなかった。
「だって凪ちゃんにだったら、裏切られても許せるしなあ」
ロドルフォは呟きつつ、煙幕の中を突き進む。
やがて白煙が僅かに薄れると、次第にアタッシュケースを下げたスーツ姿がはっきりしてきた。
襲撃犯であるロドルフォ以上に、白川は楽しげに見える。
「先生、ちょーっと我慢してね」
笑顔のまま白川に近づこうとすると、呼びとめる声が響いた。
「ロドルフォ君よぉ。空にいねえ俺は俺じゃねえって事ぐらい、お前が一番知ってんだろー?」
ロヴァランドが弾丸のように、接近して来る。
「もちろん。だからこうして早々に目標を回収に来ました!」
「そう簡単に……うわっ!?」
ロヴァランドは咄嗟に、飛来した物を避ける。が、思いの外広範囲に広がるそれは、ロヴァランドの翼を濡らした。
「なんだこりゃー……べとべとする……?」
指先にとり、匂いを嗅ぐ。どうやら危険物ではなさそうだ。
「ついでにこれも……」
バケツ一杯のローションを撒き散らしたリアナが、今度は大量のコショウを振りまき降下して来る。
ロヴァランドがそちらに気を取られた一瞬の隙に、ロドルフォは白川に接近。
笑顔で前に立つと、唐突に白川の脇から背に腕を回した。
「何!?」
「攫うなら物品だけより綺麗所つきのがいいに決まってんだろ!」
有無を言わせぬお姫様抱っこ。白川を抱きかかえたまま、上空へ。
「……リウッツィ君、綺麗所というのはどういう意味かね」
今、気にするのはそこじゃないという所に引っ掛かる白川。
当然、行く手は遮られる。
「空をご自分だけの領域と思わないことです」
ベネボランスを構えたユウが、ロドルフォを見据えて降下してきた。
すぐに仕掛けてこないのは、白川を確保しているからだろう。狙いやすい位置まで接近すれば、容赦なく討たれる。
「とと、リアナちゃん! タッチ!」
ロドルフォはリアナを呼び寄せ、白川を押しつけた。
「ここは俺に任せて先に行けっ! ……って我ながら不吉だなオイ!」
「了解」
ロドルフォのセルフ突っ込みを全く無視し、リアナは白川を抱えてその場を離脱する。
「……一応一般人という設定なのでね、余り乱暴に扱わないでもらえると有難いのだが」
状況はいつしか空中戦の様相を呈してきた。
実技教官の端くれである以上、撃退士としての能力には多少の自負もある白川だが、さすがに今の位置から落下した場合にはただでは済まないだろう。
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ロヴァランドが銃を手に、楽しそうに言った。
「いい台詞だねー。覚悟はできてるってか?」
太陽は真上にある。高い位置に浮いたロヴァランドは、それを背にしロドルフォを見据えていた。
「まあ隊長とこういう形で対決するのも、偶にはいいかもな」
ロドルフォが構えるのは波打つ刀身の大剣。射程の不利を埋めるべく、一気に駆け上がる。
「甘いッ」
試験の中の戦闘で、殺すまではやらない。それを見込んでの判断だろうが、こちらも相応の対処は取る。
ロヴァランドはロドルフォの腕を狙って連射。武器を取り落とすのを狙う。
「なんのッ!」
腕を掠める銃弾を物ともせず、ロドルフォは接近。
ロヴァランドは迫る剣の切っ先をかわし、相手の腕を抱え込むと、長身を折り曲げ力いっぱい膝を叩き込んだ。
「ぐふっ」
ロドルフォが態勢を崩し、距離が開く。
「狙いは悪くなかったぜー?」
長く生きてきただけ、場数が違う。
そう言うようにロヴァランドの銃口が火を噴き、ロドルフォの剣を弾き飛ばした。
「あーあ、結構いけると思ったんだけどな」
ロドルフォが笑いながら、道路に大の字に寝転がった。
「ま、時間はかなり稼げたかねー。後はリアナちゃんが頑張ってくれれば、か」
試験時間は残り僅かとなっていた。
時間までに目的地に白川が到着しなければ、警護班の勝ちはないのだ。
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セレスタが上空を睨む。
「まずいな」
警護対象を抱えたまま飛んでいるため、射程内ではあるが撃てないのだ。
万が一手を放されては、大変なことになる。
ユウからの連絡が入る。
『先生を抱えて、高度も速度も充分ではないはずです。私が上から追い込みます』
短いやり取りで方角を確認し、セレスタはライフルを手に駆け出す。
青い空をバックに、闇の翼を広げた2人がどんどん接近するのが見えた。
「まともにやりあう予定はなかったんだけどね……」
さすがにローション+コショウ攻撃も限界とみて、リアナはその場からの離脱を決意する。
逃げ切れば、負けはないのだ。
「あと30秒だね」
リアナの肩に担がれた白川が、他人事のように言った。
「申し訳ありませんが、遠慮はしません」
上空から届くユウの声。空を切る音と共に接近して来る。
「そう簡単には……と!」
建物の陰を目指し飛ぶリアナの目前で、模擬弾が炸裂した。
回り込んでいたセレスタだ。
そこでスピードが落ちたところに急速降下してきたユウが接近、リアナの足元に薙ぎ払いを打ち込む。
「わわっ……!」
上空で態勢を崩し、リアナは思わず手を離した。
「あッ……!」
白川の身体が、宙に投げ出される。
「これはさすがにまずいな……!」
手に巻きつけた鋼糸を繰り出そうとした白川だったが、その瞬間、再度身体が宙に浮くのを感じた。
「キャッチ成功ー! このまま空輸でゴールだぜ」
ロヴァランドだ。ユウとは打ち合わせての行動だった。
ほぼ時間通りに、白川は目的地点に足をつけた。
「お疲れ様。試験終了だね」
集まった学生を見渡し、怪我の程度を確認する。自力回復や応急手当が必要な者もいたが、およそは掠り傷だ。
「まずは合格というところかね。相手の行動を読み、推測する。今後その経験は役に立つのではないかと思うよ」
依頼でそういう相手と遭遇することもあるだろう。
天魔が皆、何も考えずに突っ込んでくるとは限らないのだ。
「試験自体は護衛班勝利という結果だが、私としては両者の健闘を讃えたいところだね」
そう言うと白川は手錠を自分で外し、アタッシュケースを開く。
「乱暴に扱ってはいけないと言っただろう? 開くのは後にしたまえよ」
悪戯っぽい笑みで、教師は冷えたコーラのペットボトルを手渡すのだった。
<了>