●嵐の前触れ
流し素麺。暑い夏に心くすぐるその響き。
だが天風 静流(
ja0373)の期待はあっさりと裏切られた。
「……風流の欠片も無いな」
それきり言葉を失う。
ある程度予想していた君田 夢野(
ja0561)ですら、建物の4階から突き出たレーンを前に、戦慄を禁じえない。
「こ、これは……素麺を楽しみたいのかタフネスを鍛えたいのか、果たしてどっちだ……?」
依頼内容的に言うならば完全に後者だ。でもついでに素麺を楽しんでもいいのよ!
「ま、まぁこういうのもノリで楽しんで行かなくちゃな!」
さすが一団を率いる男、速やかに冷静に状況を受け入れ、余裕の笑顔を見せる。その声はちょっと震えているけれど。
一方、本気で楽しんでいる者もいる。
「楽しく能力を伸ばす、夢の訓練装置……素晴らしいコンセプトなの」
白のスクール水着で準備万端、若菜 白兎(
ja2109)はワクワクしながら開始を待っていた。
一見、つぶらな瞳で辺りを見回す白い仔ウサギ風。
内面に秘めた、狙った獲物は逃がさない・肉食獣もびっくりの闘争心で、素麺を狙う。
4階を見上げ、黄昏ひりょ(
jb3452)は眩暈を覚えた。
(この滝はちょっと……怖い)
ひりょは水の勢いなどは恐れない。可能であれば、最も難しい場所で挑戦したい。
だが今回は、高所恐怖症が邪魔をする。
(流されて下流になんて……想像するだけでゾッとする)
思わず身震いするひりょの横で、義妹の白野 小梅(
jb4012)は目を輝かせる。
(おいしいそうめん……!)
兄のひりょの前ではちょっと大人しく。だが、その小さな身体は期待に満ちていた。
さて、何はなくとも、流す物は必要だ。
用意された部屋に、準備班が集まる。
「さすが久遠ヶ原学園。随分と豪快な流しそうめんですねえ」
まるで他人事の口調で、饗(
jb2588)が笑う。
時入 雪人(
jb5998)が廊下の端まで伸びるレーンの継ぎ目を、恐る恐る叩いてみる。耐久性に問題はなさそうだが。
雪人が安瀬地 治翠(
jb5992)を見上げる。
「……これ、流し素麺です?」
「流し素麺と聞けば涼しげではありますが……」
星准教授の良く通る声が、室内に響く。
「……というわけで、この『全自動素麺ボイル機』で茹でて水で締めるところまでできるから、量の調整にだけ注意して頂戴」
そこはほとんど食品工場である。
「これはまた、随分大仰な」
饗は半ば呆れた様子だが、星はそれを褒め言葉と受け取った。
「でしょう? でも解せないのは、このボイル機にしか注文がないことなのよねえ。メインはこちらじゃないのよ!」
解せないのは貴女の発想だ。
そう思ったのは、エプロンに三角巾姿の大八木 梨香(jz0061)だけではないだろう。
今日は建物の1階も解放されていた。
暑い夏の事、つゆや具は涼しいここに用意される。
「山葵、刻み海苔、胡麻、唐辛子を調合した薬味に、茗荷……それと鰹のタタキは欠かせんでぇ」
漢の証、締め込み褌の後ろ姿が、長テーブルの前をいそいそと動き回る。
「おにーちゃん特製のつけダレ、すごく美味しいんだよね。たのしみ」
妹のみくず(
jb2654)が声をかけると、紫 北斗(
jb2918)はイイ笑顔で振り向いた。
「いっぱい食べられるとええな、みくず!」
前からよく見ると、フリフリエプロン着用だった。
鏑木鉄丸(
jb4187)も持参した小瓶を取り出す。
だがテーブルに置く前に、ふと胸騒ぎを覚えた。特製つけダレだと姉から渡された小瓶。
「い、一応、確認しておこうかな……」
そっと瓶の蓋を開けてみた。
青臭い。何かドロドロしている。
「……姉貴よ、俺を殺す気か」
顔をそむけながら、固く固く瓶の蓋を締め直す。鉄丸の姉への不信感はいや増すばかりだ。
テーブルにはさらに、食材が並ぶ。
「すりおろしにんにくはチューブで妥協だな。酢、胡麻油、キムチ……と」
淡々とした表情を崩さない小田切ルビィ(
ja0841)だったが、その手つきには何処か弾んだ様子が滲み出ていた。
「これでビビン素麺だ……!」
すっきりした味わいのオーソドックスもいいが、ひと工夫も楽しかろう。
こうして着々と、素麺を楽しむ準備が整って行く。
……取れればな!
●放水開始
窓から梨香が顔を覗かせた。
「ではまず、水を流しますので気をつけてくださいねー!」
レーンを洗いつつ冷やす為に、まずは放水。
ドゥー……ン!
消防車の放水並みの水量が、落差を伴って落ちて来るさまは、まさに滝。
竜見彩華(
jb4626)が大きな眼を見開いた。
「田舎の龍神さまの滝を思い出すべ!」
思わずシティーガールの仮面も剥がれている。
「一緒に頑張ろうね! ……って、ちがーーーう!!」
滝に飛び込もうとする召喚獣を引きとめる。
「水遊びじゃなくって、お素麺を取る訓練だってば! そこはダメー!」
どうにか引き離し、水が流れ落ちる最終地点に連れて行く。
嬉しそうに頭から水を被るスレイプニルに、溜息。
「ああもう、わかってない……まあいいか、楽しそうだし」
だが判っていないのは召喚獣だけではなかった。
「ながしそー、めん(・∀・)?」
レグルス・グラウシード(
ja8064)の最初の反応である。
欧州出身の彼が流し素麺を知らないのも当然だ。
流石に事前調査は必要だと思い、彼女(※日本人)に説明を受けた。
「で、これを使ったらどうかなって!」
彼女おススメのアイテムは、網じゃくし。まあそれ位のハンデはあってもいいだろう。
ユーナミア・アシュリー(
jb0669)が真顔で夫のシルヴァーノ・アシュリー(
jb0667)に訴える。
「服を気にしてる場合じゃない。流し素麺は戦争って聞いた」
というわけで、ビキニにパレオ。目的がはっきりしている以上、服装などどうでもいい。
「婆さんが昔やってくれたが、確かに戦争だったな」
シルヴァーノは懐かしい昔を思い出し、笑みを漏らす。
が、ふと気付いて、妻のつまみ食いを窘めた。
「ユーナ、それはちょっとまずいんじゃないか?」
「えっ準備班の特権かなって思って……」
ユーナミアは照れ笑いを返しながら、手をひっこめた。
「さて、じゃあいきますよー!」
大量の素麺が、勢いよくレーンを滑りだす。
●挑戦・流水編
「流し素麺で能力を伸ばすとか正気の沙汰じゃないのだわ……」
フレイヤ(
ja0715)がかっと目を見開き、青紫色のアウルを纏う。
「だが……それがいい!」
ここに来たのは、秘められし力を解き放つ儀式に臨むため!
まあ募集内容にも大体合ってる。
「黄昏の魔女にかかれば、流し素麺なんてお茶の子さいさいなのだわ!」
箸を構え、猛然と飛びだす。
目指す地点は、滝に続く直水路。はっきり言って、彼女の得意分野から考えるとかなり無茶な選択だ。
「精神を研ぎ澄ませ、魔女ぱぅあーを高めれば不可能はないのよ! 心の目で素麺の流れをキャッチするのだわ!」
……そんな風に思っていたこともありました。
「流し素麺ってもっとこう……風流的なアレでしょ……」
頭から水を被り、震える自称魔女。
「大丈夫か、よしこ」
梅ヶ枝 寿(
ja2303)がフレイヤにハンカチを差し出す。
「有難う、寿君……でもカラー素麺、取れなかったの……!」
受け取ったハンカチで思い切り鼻をかむフレイヤ。
カラー素麺が取れたら、白馬の王子様と結婚できるって信じてたのに!
そんなフレイヤに、寿は輝く白い歯を見せた。
「まぁ見てろよ。俺がお前のためにとってきてやるからさ……カラー素麺を、よ……」
カラー素麺。それを手にした時、俺は……!!
盛大なフラグを立てつつ、ゆらりと歩み出す。
「男ならやっぱさ、不可能ってヤツに挑みたくなるだろ……っ?」
寿は、素麺が落ち込むポイントを凝視。いわゆる滝つぼだ。
「落ちてきた素麺はここでこー、ジャボボボって溜まって……」
沈んだ後、浮上する。その瞬間なら狙いやすいはず。
「やべ俺頭良くね?」
……冷静に考えてみて欲しい。
次の直水路区間ですら、勢いがついたまま流れて行く水量だ。
「うおお唸れ俺の右手えええッ! ……がぼぶgb×△g○!!!」
わあ、お花畑だ。
だが寿は戻ってきた。その手に奇跡のカラーそうめんを握りしめて……!
「はぁ……はぁ……よ、よしこ! 俺とデデ、デ……」
「ことぶこ、それもう食べるの無理なのだわ」
フレイヤは無情に告げると、寿の手を捻り、滝に叩きこんだ。
「やった、チャンスだ!」
その瞬間を、レグルスは待っていた。
寿の場合は不可抗力なのだが、一人が落ちたことにより、その上流の流れが少し緩くなる。
さしもの激流直水路も、例外ではない。
レグルスが網じゃくしを差しこむと、重い程に素麺が取れるではないか。
「おかげさまで、たくさん取れました!」
レグルスは丁寧にお辞儀をして、寿を見送った。
その下流、曲がる度に大量の水とそうめんを巻き上げるS字路。
Tシャツに短パン、ビーサンを身につけ、鈴代 征治(
ja1305)が立ち向かう。
「美味しい素麺をお腹一杯食べられるまで頑張りますっ」
シャキン! と片手に装着した箸2組は、さながらベアクロー。
ふだん静かなその表情に、気迫がみなぎる。
「うおおおおおおっ!」
手を水路に突っ込み、円を描くように動かした。
水から引き上げた箸の先には、パスタがフォークに絡まるが如く、大量の素麺が。中には、幾筋ものカラー素麺も見える。
「よし、行けるっ!」
敢えて難易度の低い場所を選び、確実に素麺を入手する。征治の読みが功を奏したようだ。
美味しそうに素麺をすする征治の背後を、寿が流れ去って行く。
「あの、大丈夫ですか?」
ひりょが遠慮がちに声をかけた。
彼が引き上げなければ、寿はそのまま排水路へ落下していたかもしれない。
「もが……」
目を回しながらも、寿はカラー素麺を離しませんでした(敬礼)。
●挑戦・浮遊編
蒸姫 ギア(
jb4049)は激流を前に、自分に言い聞かせるように呟く。
「……べっ別に、夏の自由研究の研究費で食費がなくて、お腹空いてるとかじゃ、無いんだからなっ!」
人界の夏の風物詩で、獅子もそうめんを千尋の谷に突き落として食べるって聞いたからチャンレンジしたかっただけだから! ……誰だ、そんな嘘を教えたのは。
「そう、流し素麺の実験に参加するだけなんだからな!」
言いつつ狙うのは、一番の難所。闇の翼で舞い上がると、レーンの裏側に回り込んだ。
「ここなら誰にも邪魔されずに、そうめんを取れ……」
そこではっと気がついた。自分の後ろ向きな姿勢に。
「見えなくても、ちゃんとギア感じるんだからなっ、ほんとなんだからなっ!」
気を取り直すと、おもむろに箸をレーンに突き通した。透過能力だ。
確かにこれなら濡れることなく、素麺だけを狙うことができる。
だが、この滝の難易度は見える正面からの想定。見えない場所から取るのは至難の業だ。
「人界の食べ物の分際で、逃げるなっ……!」
めくらめっぽうに箸を振り回し、なんとか一つかみ。
「ギア、別に悔しくなんか無いんだぞ……!」
頬を赤らめ、つゆに浸かった素麺をすする。
「透過がありなら、大丈夫よね」
彩華がスレイプニルに騎乗し、飛び立たせる。
「お手軽流し素麺器のコレジャナイ感で我慢してたのを発散よ!」
というかあれを持ってるのか。
「もう少し寄って! あ、行き過ぎっ」
ホバリングはスレイプニルにはなかなか難しく、移動しながらの挑戦は彩華にとって難しい。
「うーん、やっぱり滝は諦めようかな」
しぶしぶその下流に移動するが、これもそれなりにハードだ。
「スレイプニル……だと機械を壊しちゃうかな?」
仕方ないと、自分で挑戦。悪戦苦闘の末に、明るい声が響いた。
「やったわよー!」
だがその頃には、全身びしょびしょ。セーラー服も身体にぺったり貼り付いている。
「あわわ……お、お見苦しいものをごめんなさい!」
真っ赤になりながら、スレイプニルに跨り、その場から逃げだした。
東風谷映姫(
jb4067)はそれらを微笑ましく見守る。
「ふふ、皆さん楽しそうですね」
水着に着替え、支度は万全。激流直水路を覗き込んだ。
「結構流れが速いですね……」
負けじと突っ込むも、上手くいかず。
「映姫さんもだめだったか。もう適度な美味しさを堪能できればいいかな?」
ひりょが言うと、映姫も顔を見合わせて微笑む。
「でもS字は、おつゆを零してしまいそうですね……」
「つゆは後で貰えばいいだろう。まずは素麺を確保で……おっ!」
「あらっ!」
ひりょと映姫が声を上げて見合わせる。見事カラー素麺がのぞく束が、箸にかかった。
「やったね! 映姫さん!」
「ふふ、なんだか嬉しいものですね」
ハイタッチで喜び合う2人。
同じ頃、小梅は潔く服を脱ぎ水着姿に。
「これで濡れても大丈夫ぅ!」
目指すは当然、滝落とし。最高の素麺を求め、雄々しく立ち向かう!
光の翼で接近し、滝に突っ込む勢いで箸を伸ばす。
「虎穴にいらずんばぁ、ソーメンを得ずぅ!」
虎の巣穴に素麺はないな。
余りの水量に、突っ込んだ手が引っ張られた。
「ひょわうおぅ〜〜〜〜!?」
小さな身体が素麺ごと滝を流れ落ち、先でひりょに回収された。
「小梅ちゃん……?」
小梅は慌てて居住まいを正し、お嬢スマイルで小首を傾げる。
「流し素麺って、結構難しいよー!」
「ゆっくり味わえる所でいただきましょうね」
最高の素麺は取れなかったが、映姫に優しくタオルで髪を拭かれ、小梅はこれも悪くないなと思う。
だがしかし。
「普通すぎてあんまり楽しくないですね……。それにあんまり美味しくないです……」
「映姫さん……」
ひりょは苦笑いを浮かべながら、自分が取ったましな素麺を小梅に分けてやるのだった。
●挑戦・舞踏編
「私は飛べないの……でも狙うのは一番美味しいところに決まってるの」
白兎は一生懸命に、足場となる梯子をレーンの傍に立てかけた。
「手伝おうか」
「こちらを押さえて固定しよう」
夢野と静流がその危なっかしい姿を見かねて、手伝ってくれた。
「ありがとうなの! 後は頑張るの!」
パッと顔を輝かせ、白兎は2人にぺこりとお辞儀する。
「流れを追おうとしてはだめなの。むしろ流れに逆らうように……!」
水路を睨む、真剣な眼差し。突如、居合抜きの様に箸を取り出すと、そのまま鋭角で流れに差し入れた。
小さな身体に余る大剣を操る手指の力、侮るなかれ。箸の先には、見事ひと束の素麺が。
「成功なの!」
白兎が飛び跳ね、戦利品を持ってつゆを取りに行く。
暫し水の流れを見据え、夢野は静かな息を吐く。
バイオリンを片手に、身につけるのは水着に爽やかな青のアロハシャツ。
楽器の弦として張られたチタンワイヤーを箸に括り付け、リーチを稼ぐことにしたのだ。
「行くぞ、開幕だ!」
箸が伸び、怒涛の勢いで落下する水に挑む。
だがワイヤーは、所詮ワイヤーだった。水の勢いに負けてはじかれた箸に、辛うじて数本の素麺。
「くっ……だが、コツはつかめてきたぞ!」
夢野は尚も立ち向かう。
バイオリンが奏でる『ヴルダヴァ』の心震わすメロディに乗せ、箸は踊り、素麺を絡め取った。
「Bravo! 完璧だ! そしてうめぇ!」
最高難易度に打ち勝った者だけが味わう至高の味に、夢野は惜しみない賛辞を送る。
静流がヒヒイロカネの指輪にそっと触れた。
「なるほど……もうこうなれば全力で行くしかないな。私も武器なら常備している……」
内容からして既にまともではない。それなら、手加減は無用だろう。
全神経を集中させ、滝を睨む。
激流に耐えるべく、『外式「鬼心」』により高められた身体能力でもって、飛び出した。
(……これでもやりすぎという事はあるまい!)
だが滝に突き込む箸が、虚しく水を掻く。
「くっ……さすがに早い!」
静流はすでに全身濡れ鼠だ。勿論水着など用意してきていない。
黒くつややかな髪も、べったりと身体に張り付いている。
「仕方ない、確実な方を狙おう」
静流は飽くまでも冷静だった。
確実に素麺を取れる直水路に、目標を切り替える。
「……やはり普通の水路の方が落ちついて食べられるな」
静流は捕獲した素麺をちゅるりとすすった。
夕虹つくよ(
jb6678)が腕組みして呟く。
「夏の風物詩が食べられるって聞いたんだけど……これは何事?」
そう言いつつ上着を脱ぐと、安全な室内に荷物と一緒にきちんと置いた。
「茗荷があると嬉しいんだけど……」
髪をはらうと、激流直水路に対峙する。
「ここならなんとk……」
突然、滝つぼから跳ね上がった水が、つくよの頭から降り注いだ。
「……いい度胸してんじゃない」
ぴきん。脳内で何かが弾け飛ぶ。
「素麺の分際で、人間様を舐めるんじゃないわよ!」
濡れたワンピースを思い切りよく脱ぎ捨てた。
引き締まった身体に、悩ましく纏わりつく真っ赤なキャミソール。
見ている方はびっくりだが、本人は水着姿の面々よりは布面積的には寧ろ控えめだと思っている。
「こんのぉ〜!!」
気迫の一撃をあざ笑うかのように、素麺、クリティカル回避。
がっくりと膝をつき、つくよは敗北を認めた。
上流を恨めしげに見つつ、確実に捕獲できる場所で素麺を掬う。
「これもまあ美味しいけど……普通といえば普通……あ、茗荷、もう少し頂戴」
ざぶざぶと曲がりながら進む素麺を眺めていると、ある物が連想された。
「流し素麺というよりウォータースライダーよね」
大変涼しそうな格好で、つくよが笑う。
●挑戦・清流編
映姫が準備室を覗き込む。
「そろそろ交替しますね」
全員が降りたのを確認し、茹であがった素麺を装置にセット。
「さあ、たくさん召し上がってくださいね」
白い流れが迸り出る。
ルビィが不敵な笑みを浮かべ、臨戦態勢を発動する。
「ようやく出番か」
青銅の鎖鎌を壁に掛けてよじ登り、水路の脇を確保。
まさに『神速』の勢いでゼルクの細い糸を操り、素麺を絡め取る。
水の抵抗がない分有利だが、その分手にかかる負荷は相当なものだ。
「素麺ごとき、天魔に比べれば何てことも……!」
歯を食いしばり、勢い良く引き揚げた素麺は器に入りきらない程。気に入りの具材を添えて啜れば……
「――なんじゃこりゃあ!? こんな美味い素麺、食った事無ぇ……!」
ルビィの端正な顔が驚愕に彩られる。
「流石は限られた者しか口にする事を許されない最高難易度の素麺だ。水の新鮮さと冷たさ、素麺のコシ……どいつも極上だぜ……!!」
どうやら本気を出すに値する素麺だったようだ。
ルビィは再び、滝に向かう。
ユーナミアが曲水路を見つめた。
「ここが狙えるギリギリの場所かな……この区間の上流なら、遠心力でふわっと外に膨らむ瞬間を狙えると思うの」
「これ、もしかしてヒリュウに取ってきてもらうのも有りだったんじゃないかな……」
シルヴァーノはふとそう思った。
だがヒリュウが首尾よく素麺を取ったとして、お使いの途中でぼとぼと落とすところは容易に想像できる。
いっそトライデントで掬ったらどうか。次にシルヴァーノはそう思ったが、レーンを破壊しそうなので自重した。
だが流れは想像以上の早さだった。
ユーナミアが困り切った様子で、夫を見る。
「……私が食べるんだから自分で取らなきゃいけないんだね、これ。ねえシル、手ぇ突っ込んで水流止められない?」
妻の無茶ぶりに、シルヴァーノが苦笑いを返す。
「ユーナ、それはルールに反する可能性がだね……ぶっちゃけ俺の手首が折れる予感」
「それ困る。じゃあ頑張るね」
スレイプニルを召喚すると、同時に飛び出す。
「ネコの手よりはマシだな」
シルヴァーノはヒリュウの視覚で流れを上空から見つつ、最適なポイントを探す。
「よし、そこだ!」
2人で息を合わせて箸を入れると、量こそ少ないが、見事素麺が引っかかった。
「お、カラー素麺だ……ユーナ、半分ずつだよ」
几帳面に半分に分け、自分のつゆに入れてくれる夫に、ユーナミアが微笑みを向ける。
「特別ってちょっと嬉しいよね」
「そうだね。でも今度素麺を食べるときは、落ちついてゆっくりがいいけど」
「それもそうね」
ユーナミアがくすくす笑う。
「おおー! これがナガシソウメンかー! 俺初めて見たよ!」
緋野 慎(
ja8541)がはしゃいだ声を上げた。
「なんかどばーって落ちて来る! すげー! かっけー!!」
彪姫 千代(
jb0742)も目を輝かせて、滝を見上げる。
「おー!! なんかすげーんだぞー!! ドドドーってなってるんだぞー!!」
野性児2人は、実に素直に喜んでいる。
慎は大興奮のまま、滝の脇を壁走りで駆け上がる。
「よし、ここなら!」
無邪気に輝いていた慎の目が、鋭く光る。獲物を狙う野生の獣のごとく身構え……
「うおりゃー!!」
山育ちの慎はかつて、川に入り、素手で魚を捕獲していた。
この装置と同様、無理なく楽しく動体視力を鍛えていた訳だ。
「やったー! 取れたー!」
本気の心に、奇跡が起きたのだ。つゆを入れた器を片手に、慎ははしゃぎまわる。
●挑戦・赤流編
千代も負けじと張り切る。
「おー! いいな、慎! 梨香ー!! 俺もそーめん獲ってくるんだぞー!」
尻尾のアクセサリーを引っ張って、にかっと笑った。
誤字にあらず。滝を踊りながら落ちる素麺は、確かに『獲る』というイメージだ。
「気をつけて行ってきてくださいね」
梨香が苦笑いで見送る。だが、やるかもしれない。千代ならば。
「おー!! 赤熊力を貸すんだぞー!」
アウルが作りだす、大きな熊の姿。千代の集中力の高まりに合わせ、輪郭がはっきりして来る。
「おー、熊の鮭獲りなんだぞー! どんどん獲るんだぞー!!」
熊が鮭を獲るように、野生の本能のままに水を叩き、素麺を狙う。
まあ要するに、飛んでいく先は素麺に聞いてくれ的な。
「おー……そーめんどこいったんだー?? 梨香ー俺のそーめん知らないかー?」
「ええと……こ、これだけ……」
梨香がぜえぜえと息を吐きながら、ザルに受けた素麺を千代に渡す。どうやら飛んだ先に回って受けたらしい。
「おー! なんかこれだけ色違いなんだぞー!! 何か良い事ありそうなんだぞー!」
どうやら千代は幸運の星の下にあるらしく、少ない中にカラー素麺を捕獲していた。
「……おめでとう、よかった、ね……」
真っ白のキャミワンピ姿の菊開 すみれ(
ja6392)がつゆを片手にぷるぷる震えていた。
不幸にも跳ね上がった水を被り、全身ずぶぬれだ。
薄い布地が濡れて身体にまつわりつき、ボディラインも露わな姿。
だが場の和を重んじるすみれは、怒ったりはしない。
「うん、この場所に立ってたのが悪いんだもん、ね……」
だがこのままでは女のプライドが許さない、と心機一転。
髪をきゅっと一つに束ね、箸を片手に『緑火眼』発動!
(水の流れを読むんだ! そこから導き出される未来を感じ取れ!)
大きな瞳が、水面を見据える。
(自分の未来を計算しろ! 世界の未来を計算しろ!)
ほんの僅か、刻(とき)が止まった。すみれは箸を突き出しながら叫ぶ!
「見えた! 見えたぞ! 水のひとしずくっ!」
そう、我が身を痛めぬ勝利が何かをもたらすはずなどない!
太陽を背に、真上に突きだしたすみれの箸には、ひと束の素麺が。
しかし、すみれの顔から笑みが消えた。
「私まだ死にたくないです……」
何故か素麺が全て赤い!
人生における幸福量は一定だという法則を信じるすみれにとって、カラー素麺ひと束の幸運は、背後に口を開ける不幸への入口……!
つくよが建物へ駆け込む。
猛然と階段を駆け上がるその姿に、赤いキャミソールの中が見えたとか見えなかったとかはともかくとして。
全ての素麺が赤く染まっているのは流石におかしい。
「誰!? こんなことしたの……!」
準備室の扉を開き、荒く息をつく赤い下着姿の女。
「あ、はい! 僕です!」
全く悪びれる様子もなく、レグルスが笑顔を向けた。
「みんな、色つきだと嬉しいんですよね?」
手にするのは食紅。どうやら流す前の素麺にぶちまけたらしい。
「ふふっ、みんなが喜んでくれたらいいなあ!」
善意のみで構成された無邪気な笑顔は、余りにも罪つくりだった。
●挑戦・激闘編
食紅による赤素麺が片付けられ、再び純白の素麺が流れ来る。
饗は『妖幻:舞空』で空に舞い上がり、真っ直ぐに飛ぶ。
「まあ駄目でもともと、楽しませていただきましょう」
だが突き出した箸をするりと避けて、素麺は流れ落ちて行く。
「おや、やはり難しいですか。では」
饗が少し悪戯っぽい目をする。
「直接いただくことにいたします」
箸を構えず、弾丸のように飛び出した。
物質透過能力で滝に飛び込み、直接素麺を口にするという大胆不敵な作戦だ。
だがそれを予測していた者がいた。北斗が素早く阻霊符を取り出し、力を籠める。
「がぼぐぼげぼ!?」
饗、物質透過を遮られ、無残にも激流へと落下。
「おイタはあきまへんでぇ」
直接口突っ込むとは何事や! 北斗はこう見えて潔癖症なのだ。
「ほなこっちも行くか鏑木氏。一気ゲット目指すでぇ!」
鉄丸の身体に括り付けた紐を持って、舞い上がる。
「北斗さん、ちょっと左……、あ、行きすぎ、ちょっと戻って、てぇ、ぎゃああああぁぁぁ!!!」
滝の勢いは予想以上に強かった。鉄丸の体を支える紐が耐えきれない程に。
「飛べない種族が無茶しやがって……でもそんな同志の男気……嫌いやないで……」
激流に呑まれる同志の勇姿を目に焼き付けつつ、北斗は敬礼で見送る。
鉄丸が気がついたのは、暫くの後。休憩用テントの『上』だった。
「おー、もう大丈夫なんだぞー!」
下から千代が手を振っている。その後ろで、赤い熊の幻影も……。
どうやら野生の鮭獲りで、放り投げられたようだ。隣では饗も眼を回していた。
「えくすとりーむ みんな大好きえくすとりーむ よし食べよう」
みくずは頷き、宙に舞う。
だが、滝狙いは余りに難易度が高かった。兄の北斗と共にチャレンジするも、全くとれず。
「お箸は滑りにくいものだし、茹でザルをつかっても取れないなんて」
いつの間にか飛び出ていた狐耳が、しょんぼりと垂れる。
「なんかもう……どうでもよくなってくるよね。これ……」
再挑戦の鉄丸、曲水路で素麺の流れに酔い。最終直水路では、激流に叩きのめされふにゃふにゃになった素麺を掴み損ね。
挙句に持参のマイお箸までいつの間にか流されていた。散々である。
「でも大丈夫。兎に角食べられたら勝ちなんだよね」
みくずはレーン最終地点のザルから確実に素麺を確保し、もぐもぐ食べ続けていた。
「でも次は家でゆっくり食べたいな。あ、カラー素麺。ふふ」
みくずは嬉しそうにその1本を取り上げ、お守りのように紙に包んだ。
●挑戦・氷塊編
「じゃあハル、行こうか」
「雪人さん、気をつけてくださいね」
治翠の気遣いに、雪人が素直に頷く。ずっと一緒にいてくれる、頼りになる親友の言だ。
一方で治翠は、家から滅多に出ようとしない雪人が、このような賑やかな場に来る気になったことが密かに嬉しい。
多少無茶でも、やりたい事をやって欲しいと思う。
という訳で、2人は同時に『氷結晶』を作り出した。
これでレーンを塞ぎ、流れを堰き止めれば確保が容易になるだろうとの予測だ。
もし埋めるのが不可能でも、一部でも堰き止めれば、直水路のスピードは落ちるはずだ。
ところで『水五訓』という物をご存じの方は、その一節を思い出して頂きたい。
『障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり』
まあそういう感じで。
一旦勢いを減じたかに見えた水が大きく膨らむのに、そう時間はかからなかった。
「雪人さん、危ない!」
予測防御で流れを読んでいた治翠が、水路と雪人の間に立ち塞がる。
「ハル!?」
ざばーん!
「大丈夫ですね、良かった」
自分は全く大丈夫じゃない風情で、治翠が微笑んだ。
「大丈夫だけど、このまま素麺が取れないとハルが濡れ損になるね……」
その後、雪人はかなり頑張った。治翠も結構頑張った。
「中々美味しいですね」
苦労して得た素麺は、ひと際空腹に染みわたる。
「色付き食べれたら、明日一日引き籠ろう」
再び立ち上がる雪人。
(それなら取れない方が、いいかもしれません)
治翠の祈りが通じたのか、カラー素麺は雪人の箸をすりぬけ続けるのだった。
●戦いの果てに
「残りの素麺はゆっくり召し上がってください、とのことです。まだ具もありますし頂きましょう」
梨香が少し疲れた笑顔を見せる。この惨状を纏めて報告すると思えば、しょうがない。
だがとりあえず今日の所は、自分も素麺にありつきたい。
のんびりできそうな最終直水路に向かうと、激闘から一転、『残り物には福がある』の精神で、別人のように静かに素麺を待つルビィ。
「荒々しく素麺に貪り付くだけが素麺マスターに非ず、……ってな?」
征治が頷き、箸を伸ばす。
「取れた素麺はしっかり残さず食べなくちゃですよね」
昔、婆っちゃが『食べ物で遊んじゃいけない』って言ってたことを思いだす。
「成程。では私もこちらでお邪魔いたします」
梨香がぺこりと頭を下げる。
横を見ると、白兎が幸せいっぱいという風情ではむはむちゅるりと素麺をすすっていた。
見ているとこちらまで幸せになるような笑顔だ。
「何か薬味はいりませんか?」
声をかけると、ふるふると首を振る。
「薬味は無しでお願いなの……」
わさびもねぎも駄目だが、素麺は好きらしい。
「あと今度は是非、お菓子でやってほしいの」
「お菓子ですか……希望として報告しておきますね」
あの人ならやるかもしれない。梨香はかなり本気でそう思った。
「そうですねー、でもとりあえず」
征治がさっと素麺を掬いあげる。
「流し素麺はふつーに、静かに流して楽しみながらが一番、ってことにしませんか? こんな風にね」
当たり前すぎる結論だが、それが参加者の実感だった。
<了>