●開幕
糸杉の木立を抜けると、のどかな田園風景は途切れ、別世界の様な洋風庭園が広がった。
車を降り、夢宮 妙(
jb6400)は洋館を見上げる。
「思ってたより随分立派な建物。雰囲気もいいしこれは夜が楽しみなの」
いつもはローテンションな妙にしては、割とヤル気に満ちている。
そのちょっと眠そうな目は、傍から見ていると余り変わらないようにも見えるのだが。
命図 泣留男(
jb4611)ことメンナクは、愛用のサングラス越しに眩い光に溢れた庭園を見渡した。
「ふふん、どうやらこの洋館は、俺の到着を待ち焦がれていたようだな」
ほんの少し前、文字通り天使の祝福で模擬結婚式を彩ったことも、まだ記憶に新しい。
「今度はナイトメア・パーティーか。フッ、俺こそが真夏のナイトメア。俺に魅せられた女どもの、狂乱のシンフォニーが聞こえるようだぜ」
意訳:精一杯頑張って盛り上げますね!
メンナクも気合充分だ。
広瀬に案内され、一通り館の中を見て回った一同は、それぞれの準備に取り掛かる。
「こちらがメニューですの?」
神影うるう(
jb6103)はディナーのメニューと会場のチェックに余念がない。
ちょっぴり怖い、でも素敵な一夜の夢。チェックアウトの際、お客様すべてが笑顔でお帰りになるように。
一流を知るうるうだからこそ、妥協はない。
テーブルに飾る花、照明、カトラリー、料理の見た目に名前まで。
お客が女性だけなら、いっそ思い切り女性が楽しめる内容に。
「ホラーとはいえ、グロテスクなのはダメですの」
チェックが済んだ頃、広瀬が声をかける。
そろそろ来客を迎えに、駅に向かう時間だ。
うるうと沙夜(
jb4635)はサクラの役割なので、早めに到着して時間を調整しなければならない。
「私達も楽しみですけれど、当然お客様方に楽しんでいただけるよう、サクラなりに尽力致しましょう!」
二人はくすくす笑いを忍ばせつつ、黒塗りの小型バスに乗り込んだ。
御堂島流紗(
jb3866)は二階の広間で、大量の人形に囲まれている。
「ゴシックホラー、とっても面白そうなんです〜」
流紗自身がフリルとレースをふんだんに使ったアンティークドレス姿。
周りに並ぶ年代物のビスクドールやぬいぐるみに紛れると、まるで生人形のようだ。
「式場の宣伝も兼ねての事ですしね。皆さんに楽しい時を過ごして頂きたいと思うんですよ」
人形の髪を撫でていた流紗が、ふと顔を上げた。
「あらピアノの音……?」
食堂に置いてあるピアノを、夕虹つくよ(
jb6678)が試し弾きしているのだ。
「思っていたよりも良い状態ね。これなら使えるわ」
呟くと、そっと目を閉じる。
……演技をするのは、いつ以来だろう。
舞台もスポットライトもなく、主演でもない。けれど久しぶりの芝居に、心は躍る。
「脇役は時として主役よりも大切……初心に返る意味では悪くないわ」
観客が少なくとも手は抜かない。それが舞台女優としてのつくよのプライドだ。
踵を返し、衣装の準備に二階へ向かう。
二階の広間で、夜来野 遥久(
ja6843)は室内のしつらいを見回した。
「初めて訪れた際はカフェのみだったような……? やり手というか何というか、すごいですね」
遥久がディアボロ討伐の依頼を受けてやってきたときは、スイーツが評判のカフェだったはずだ。
短期間のうちに変貌を遂げた店に、多少なりとも興味はある。
が、現時点での興味は。
「ところでミスター白川、その衣装がとてもよくお似合いで」
おもむろに向き直るとシャッターを切る。
「きゃー、じゅりりんかっこいー! マントもっぺんばさーってやってー」
百々 清世(
ja3082)もスマホ片手にはやし立てた。
「君達は……その写真をどうするつもりなのだね、一体」
ジュリアン・白川(jz0089)は燕尾服に黒マント姿で、うち震える。
「えーどうって、特にないけど?」
清世が真っ直ぐな、やけに澄んだ瞳を向ける。……絶対嘘だ。
「そうですね、依頼参加の記念のつもりでしたが。御希望なら引き伸ばしてパネルにいたしましょうか」
遥久が目を細め、輝く笑顔を見せる。……正直怖い。
「いや、心の底から遠慮する。……ああ、有難う」
黒タイツに全身を包んだ月居 愁也(
ja6837)が、皆に最終の台本を配る。
「いえいえ。それにしてもゴシックホラー……? ってのはよくわかんねーけど。全力で脅かし役やりますね!」
ついでに横目で眺める遥久のきちんと着こんだスーツ姿に、やっぱり惚れ惚れするのだ。
(やっぱり歪みなくオトコマエだよなー!)
まあその点は誰も否定しないだろう。
「ところでこの台本だが……どうしても男の血を吸うというのは、納得いかないのだがね」
白川が憮然とした表情でツッコミを入れた。
というか、納得いかないのはそこなのか。
大筋を提案したのは姫路 眞央(
ja8399)だが、白川の苦情など馬耳東風だ。
「吸血シーンはフリで構いません。お客様の散策ルートはこうだから……この角度でこう動けば」
「ぐっ!?」
白川の顔を両手で挟んで、曲げる。
「ルートの修正は、補足の通り。時間がずれたときは、ポイントごとの担当者が必ず調整し、無理なときはなるべく早めに連絡すること」
本職が俳優だけあって、眞央の表情は終始真剣そのものだ。
どんな形であれ、演ずるということ。その高揚感は何物にも代えがたい。
「そろそろお客の到着する時間だ。気を引き締めて行くぞ」
演技に中途半端は許さない。仲間にも、勿論自分にも。
●晩餐会
本日のゲストをピックアップし、バスは駅を出発する。
「皆さん、今回は初めてのご参加ですか?」
沙夜が控えめに声をかけた。飽くまでも、初めての参加で興味津々という風情だ。
乗り合わせたのは白黒ゴシックドレスを纏った二人組と、妙にゴージャスな読者モデル風の二人組、そして普通のOL風の二人組だった。
どうやら皆、今回が初めての参加らしい。
到着までの時間の間に、さり気なく参加の意気込みなどを聞き出す。
「この子がどうしても行きたいっていうから……」
溜息をついて、OL風の片割れが相手を指さした。どうやらあまり乗り気でなかったのを連れてこられたらしい。
「だって、楽しそうじゃない! 昔カフェの時も来たけど、お庭もとってもきれいよ」
「ここはカフェの時からお料理がとってもよろしいのよ」
「お姉さまったら。その為にこんな辺鄙なところまで」
ゴージャス二人組。
「私はキララ」
「私はリルル」
白黒ゴシックが、無表情で名乗る。おそらく宿泊名簿に書く名前はそうじゃないだろう。
やがてバスは洋館の玄関へと滑りこむ。
「まぁ、素敵な所ですわね。なんだかドキドキしますわ」
うるうが弾んだ声を上げた。
「本日はようこそおいで下さいました。ごゆるりとお過ごしください」
開いたドアの内側。完璧な角度のお時儀で、執事役の遥久が出迎える。
慇懃な態度、柔和な微笑み。
黒のお仕着せの眞央が、控え目に声をかけ、ゲストの荷物を手にする。役どころは、この館の従業員だ。
遥久と眞央を素早く見比べるように盗み見た女性たちから、さざ波のような密やかな笑いが漏れる。
「……ではお食事の時間になりましたら、レストランの方へおいで下さい」
広瀬が一同を客室に案内しがてら、手早く注意事項や館内の設備について説明する声が響いた。
予定通りの時刻に、ディナーは始まった。
「こちら前菜の、ローズガーデン、キャビア添えです」
スモークサーモンと白身の魚をバラの花の形に整え、ベビーリーフとキャビアを散らした皿が運ばれる。
まだ暮れ切らない夏の空を背景に、室内の蝋燭の灯と飾られた花々の織りなす陰影がテーブルの上に揺れた。
冷えたワインの注がれたグラスにも、明かりが揺れる。
「お待たせしました。ブラッドオレンジのジュースですの」
足音も立てず近寄っていた妙に、客が思わず振り向く。
クラシカルな正統派メイド服に合わせた、白いヘッドドレスの脇から伸びる立派な巻き角。
「よく出来てるわねえ……」
ゲストたちが高揚した小声で囁く。まあ普通は、本物だとは思うまい。
妙は自分の首に巻き付けた包帯に触れる。さり気なく、けれど意識に残るように。
そして小声で呟いた。
「……ああ、そろそろご飯の時間ですの」
勿論、ご飯は既に始まっている。その違和感が少し残るよう、妙は音もなく厨房に引き取る。
やがてメインが済み、デザートに移る頃。ようやく夕暮れの気配が庭に影を落とす。
「こんばんはー、デザート一緒していいー?」
そんな雰囲気に不似合いな明るい声で、清世が現れた。
だが明るい色の髪からは犬耳が飛び出している。館に住みつく狼男の役柄である。
ドッグタグがのぞく開襟シャツにジャケットを羽織り、きちんと折り目の入ったパンツは、普段の清世にしてはかなりがんばった正統派スタイルだ。
勝手に空いている椅子に座り込んだ清世を、遥久が窘める。
「お客様がおいでの席です。余り勝手をなさると、ご主人様のお叱りを受けますよ」
「へーきへーき、だって今日は機嫌がいいもんねー」
ゲストの顔を覗き込むように、悪戯っぽく笑って見せる。
そこへ妙が戻ってきた。
さっきまで真っ白だった包帯に、赤い染みが浮いている。
「どーだった? 喜んでたんじゃないー?」
清世が声をかけると、妙がそっと首筋を押さえた。
「今日は麗しいお嬢様方が沢山おいでですから、とてもご気分がよろしかったですの」
ゲストたちにも、そろそろショウが始まったことが判ったようだ。
期待に満ちたまなざしが、従業員たちに注がれる。
効果的な間を見計らい、遥久が重々しく口を開いた。
「今宵、この館に足を踏み入れてしまわれたのも何かの縁なのでしょう。皆様はこの館の主人である吸血鬼の、花嫁候補なのです」
花嫁という言葉に、期待する様な、揶揄する様な、そんな物がないまぜになった空気。
「彼はこの館の何処かにおります。運命が導けば、お会いになることもあるでしょう。その姿はどうぞお嬢様方の目でお確かめを。ですが魅入られたが最後……」
遥久の笑みが、凄みを帯びる。
「逃れるのは至難の業。くれぐれもお気を付け下さい。花嫁とは言いましても、お一人とは限りませんよ」
それまで静かに流れていたピアノ曲が、ふと物悲しい曲調になる。
嗚呼、貴方に恋をしてしまった
許されるはずがないと知っていたのに
嗚呼、貴方の悲しそうな微笑みを
少しでも慰めることができるなら
私は命尽きても貴方の傍で歌い続けましょう
既に日が落ち、暗くなった庭をバックに、白いドレス姿のつくよが切々と歌いあげた。
つい先刻まで黙してピアノを奏でていた女が、突然この世の者ならぬ気配を纏う。
演奏と歌と視線の演技で、つくよは花嫁となれなかった女の亡霊と化した。
刹那、静寂が空間を支配する。
うるうがその間を静かな声で繋いだ。
「でも、そんな素敵な御主人なら、一度お会いしてみたいような気もしますわね」
沙夜と微笑みを交わすうるう。清世が少し馴れ馴れしくその手を取った。
「今日のお客は皆可愛い子ばっかりだし、ホント攫われねぇように気をつけなよー?」
流し眼を向けつつ、指先を唇に触れるか触れないかの所に導く。
「何なら吸血鬼に攫われる前に俺のモノになってくれても良いけどー?」
「まあ!」
頬を染め、慌てて手を引くうるうを、沙夜が笑ってなだめる。
「ふふ、どちらの方が素敵か、確かめてからでも遅くはないですよね」
悪戯の相談を持ちかけるように、ゲストたちに声をかける。
「良かったら皆さんもご一緒に、この後庭園までお散歩に行きませんか? とても綺麗でしたし……もしかしたら館の主人に出会えるかもしれませんよ」
●円舞曲
身支度を整えたゲストたちは、燭台と館内案内図を手に二階の踊り場に集まった。
「私、やっぱりいい……部屋で寝てる」
OLの片割れが言い出した。
「ここまで来てそれはないでしょ? せっかくだし行こうよ。ほらまずはここから!」
相棒は強引に腕をとり、おもむろに空きの客室のドアを開く。
真っ暗な室内が、蝋燭の頼りない明かりに照らされた。
「ここは何もないかな……」
その瞬間。
ガタン! という物音。
「ぎゃああああああああああ!!!!!」
物凄い悲鳴が起こった。件のOLだ。
「ちょ、何か落ちただけじゃない! びっくりさせないでよ!!」
「額縁……」
白黒のうち、リルルが床に落ちた額縁を拾い上げた。
「裏に何かある」
キララがそこに張り付けられていた物に気付く。
それを手にしたその時。
「キシャァアアアッ!!!」
女の声ではない、鋭い叫び声が、室内に響き渡った。
「「「ぎゃああああああああああ!!!!!」」」
今度は全員が一斉に、転がるように外へ逃げ出す。
「……ちょっとやりすぎたかな? 咆哮ってあんま使わないから加減がな……」
ベッドの下に潜り込んでいた愁也が呟いた。
「ああ……びっくりしました。皆さん大丈夫ですか?」
沙夜が涙眼で見渡した。本当は笑いをこらえる涙な訳だが。
「大丈夫ですわ! 次はこの広間ね」
ゴージャス妹が意気揚々と扉を開く。何やら面白くなってきたらしい。
出迎えるのは、数えきれない程の人形たち。
「……?」
息遣いを感じた気がして、見回す視線。その視線が、一体の人形のそれとぶつかる。
「きゃっ!?」
「どうなさったの?」
「い……今、動いたような気がして……」
一般人でも勘の良い者は『気配』の様なものを感じるのかもしれない。
人形に紛れた流紗は、ただ無言で宙を見つめる。白磁の肌が、蝋燭の灯を照り返し妙になまめかしい。
その傍らに現れた黒い人影に、沙夜が声を上げた。
「誰かいるの!?」
「……夜は人形達の領域。荒らすのは感心しないな」
人形を抱きかかえた眞央だ。
ついさっきまで人形のフリルいっぱいのドレスを見つめ、自分の娘に着せたら可愛いとか思っていた男だが、今は怪しい従業員になりきっている。
「荒らしたらどうなるのかしら?」
くすりと笑い、ゴージャス姉が奥へ歩み去ろうとする背中へ声をかけた。
「どうなっても責任は取れない、ということだ」
眞央は顔だけ振り向き、笑みを浮かべた。スキル『アウトロー』も駆使しての、ワイルドな男の色気炸裂。
その微笑が、凍りつく。
「や……やめろ……!」
抱えていた人形が足元に落ちた。
暗闇を舞うように白い指が翻り、眞央の喉元を捉える。
「クク……今日この日を、どれほど待ち焦がれたことか。我に代わりこの館を現世に留める、若き血」
青白い肌と金の髪が蝋燭の光を受け、闇に浮かび上がった。白川扮する吸血鬼だ。
「今こそ我が身は、鎖より解き放たれる。さあ、我が眷属となれ」
眞央を隠すように黒いマントを翻す。
「う……うわあ……!!」
暗闇の中、黒いマントに覆われ、眞央の姿は視界から消えた。
「ど、どうなったのでしょう……ひっ!」
沙夜が燭台を掲げると、ひきつけたように喉を鳴らした。
手がわなわなと震えるので、蝋燭の光がまるで異形の生物のような影を作りだす。
その恐怖に凍りついた表情が見ていたのは、実は壁際に走ったアレ……そう、黒くててらてらした憎い奴。
この世で一番苦手な存在に、悲鳴を上げることもできず沙夜は硬直する。
その迫真の演技(?)に、他の参加者も思わす引き込まれた。
「何がありましたの!?」
そこに響く悲鳴。
「きゃぁぁあっ!!」
バタン!
大きな窓が開き、夏の夜風と共に、階下の食堂から微かなピアノの音が流れ込んだ。
月明かりに浮かび上がるのは、吸血鬼の腕に抱えられたうるうの姿。
「怖がらなくていい。その美しい姿のまま、永遠に生きられるのだからね」
吸血鬼は囁くと、優しく手を取り、ピアノの音に合わせてワルツのステップを踏む。
うるうは魅入られたようにうっとりと顔を上げ、羽のように軽やかにそれに合わせる。
「しっかり掴まっていたまえ」
吸血鬼の白川が、うるうにだけ聞こえるように小声で言った。
仕掛けの糸を引くと、窓際のカーテンが舞い上がり、二人の姿を隠す。と同意に、細いワイヤーをバルコニーに絡めると、うるうの身体を抱えて飛び降りた。
カーテンがふわりと元の位置に収まる頃には、二人の姿は窓辺から消えていた。
「すごいわ! どうなってるの!?」
窓際に駆け寄ろうとするゴージャス妹。が、すぐに足を止めた。
目の前で、床に膝をついた眞央の全身が淡く光る。
撃退士には光纏とすぐ分かる現象なのだが、一般人は余り目にすることはないだろう。
眞央の髪が見る間に腰まで伸び、背には黒い炎の翼。
「吸血鬼に、なった……?」
白黒ゴシックが顔を見合わせると同時に、眞央が凄まじい叫び声を上げた。
「う……うおぉおおおおおお……!!」
人ではない存在になった悲しみ。理不尽な運命に対する怒り。
「きゃああああああ!!!」
またも『咆哮』に驚かされたゲストたちは、我先にと逃げ出す。
もうすぐ廊下という所で、突如ビスクドールの一体が立ちあがった。流紗である。
「ついに……あのお方が解放されるのですね……」
口をきいただけでも怖いのに、そのまますうっと床に消えてしまった。
物質透過とは知らないゲストは、ほとんど恐慌状態だ。
「ああっ!」
余りに慌てたので、怖がりのOLが絨毯に足を取られて躓いた。
思い切り転倒するかと見えたその身体が、逞しい腕によって支えられる。
「え……?」
「お前が跪くのは、こんな所じゃないはずだぜ」
口元にニヒルな笑みと血糊を張り付けたメンナクだった。
全身を黒のレザーで包み、月の光の銀色アクセを身に纏う夜の帝王。
夜だけど、マストアイテムの黒のサングラスは外さない。ブラッカーの誇りにかけて。
「このブラックノワールデビルの白き光に酔いしれな!」
ブラックもノワールも黒だとか、デビルの白き光ってどうなのとか、そういうことを気にしてはいけない。
ここで問題なのは、天使の白い翼を広げたメンナクがカッコ良く飛び去ったのはいいのだが、物質透過で壁に消えたので、怖がりのOLさんが昇天……もとい、失神してしまったことだ。
全く持って罪な堕天使メンナクだった。言葉通りの意味で堕天使なのだが。
●怪異
少し明るい廊下に出たゲストたちは、それぞれが床にへたりこんだ。
「な……今の、何……?」
がしょん、がしょん、がしょん。
その耳に、何か異様な物音。
顔を上げると、廊下の端に並んでいた西洋鎧の一体が、ぎくしゃくと動き始めた!
「うそ……」
鎧はぎこちなく、こちらを向く。と見るや、突然、猛然と走りだすではないか。
「きゃああああああ!?」
もうここまでくると、傍から見てるとギャグだ。だが当事者たちは、冷静な判断力を失っている。
西洋鎧は鈍重そうに見えながら、あり得ないスピードで接近して来た。
床に這いつくばるゲストたちの脇を、鎧を纏った愁也は『縮地』で駆け抜ける。
「どうかなさいましたか?」
騒ぎを聞きつけた執事の遥久が、階段を駆け上がってきた。
ゲストが遥久を振り向く隙に、愁也はスタッフルームに身を隠す。
「成程、走る鎧。かつて殺された者の怨念でしょうか……恐ろしい」
遥久は尤もらしく眉を顰め、唸った。
「ですが先程も申しあげました通り、花嫁は一人とは限りませんので。皆様お気を付け下さい」
ゲストたちは既に、ちょっとスリルを味わうとか、軽く涼むどころじゃない様子だ。
「じゃあさー、もう吸血鬼殺しちゃえばー?」
狼男の清世が緩い口調で酷いことを言う。さり気なく、ゲストの後ろに身を隠し、囁いた。
「鍵かかって入れねぇ部屋とかあったら、頼んでくれたら開けちゃうからねー。それとこれ、今見つけたけど秘密だよー?」
愁也が落として行った銀のロザリオを、握らせる。
「だってさー女の子怖がらせるなんて、酷いよねー? 俺は可愛い女の子の味方だか……ちょっ!?」
そこまで言いかけた言葉は、突然の銃声に遮られる。
「これまで良くして頂いた恩を忘れるとは、許し難いですね」
微笑を浮かべ、銀色の拳銃を握った遥久。一番恐ろしいのはこの男だ。
「ちょ……酷くね……?」
狼男、撃沈。
「えーと次は……と。ミイラ男だな」
スタッフルームで愁也は台本を確認する。何処か浮き浮きした様子だ。
「手伝おうかね?」
「あ、すみません、先生。お願いしまっす!」
黒タイツの愁也が包帯を巻き付けるのを、吸血鬼の白川が手伝う。
「お支度、できましたの」
妙がドアを開けた。絡まるドレスの裾を捌き、うるうが出て来るのを手助けする。
「おやこれは。綺麗な花嫁さんだね」
白川が目を細めた。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
白いウェディングドレスに身を包んだうるうが微笑む。
(婚約前に花嫁姿を披露すると、お嫁に行けないなどというジンクスを聞きましたが……大丈夫ですわよね)
少し気になりつつも、やはり白いドレスに心は浮き立つ。
「こちらの準備は整いましたので後はよろしくなの」
妙が『意思疎通』を使い、廊下の沙夜と食堂のつくよに伝えた。
沙夜は虫のショックから必死の思いで立ち直り、顔を上げる。
「皆さん、大丈夫ですか?」
ゲストの様子を確認し、何とか続行できることを確認する。
「でもどうしましょう、お友達が……それに私達も、次に攫われるかもしれません」
「とりあえず私が階下を見て参ります」
執事が消えると、耳にささやく声。
『ゴシックと伊達ワルが融合した時、月は白銀に輝く……』
うん、ちょっと意味が判らない。
『お前たちに必要なのは銀の十字架、黒の杭、そして赤の護符だ』
メンナクが『意思疎通』で数人にヒントを送る。
「十字架はこれよね……?」
「護符はさっき額縁の裏にあったの」
「じゃああとは、黒の杭ね!」
微かな声が呼びかけた。
『こっちよ……』
いつの間にそこにいたのか、等身大のビスクドールが階段を指さす。
皆が駆けつける頃には、ドレスの裾を翻し、踊り場に。
「行きましょう!」
一同が半ば自棄になりながら、雄々しくドールの後を追う。
『ここ……』
ドールは食堂の入口で、ふっと消えた。もう悲鳴も出ないまま、傾れ込む。
みんな私を不幸と言うけれど
恋は心でするものよ
ほんの少しの時間でも、貴方と共に生きられるのなら……
みんな私を不幸と言うけれど
愛は尽くすためにあるのだから
恐れずにこの道をいく
月明かりの中、白いドレスの女がピアノを奏で歌っていた。
音もなく立ち上がると、庭園を指さす。
「私の代わりに……彼を救って……」
夕刻は花嫁衣装のようだった白いドレスは、妖艶な赤いバラに彩られている。
だがよく見るとそれは、血の赤だった。
女は自らの身体から抜き取った黒い杭を、差し出す。まるでそれが最後に残った希望だと言うように。
もし、この命が尽きても……それは私の選んだ愛の形だから
か細い歌声を後に、夜の庭園へと足を踏み出す。
●夜の庭園
噴水の飛沫が、夜目に涼しく光る。
「あそこに!」
OLの片割れが指さすまでもなく、東屋の前に光る人影が見えた。
一人は淡い金色の光に包まれた吸血鬼、もう一人は紫銀色の光に包まれた花嫁衣装のうるう。
手を取り合う二人の前に、黒い炎を纏わせた眞央が対峙する。
「どちらが館に封じられるか。そしてどちらが花嫁と自由を得るか。……良かろう、相手してやろう」
吸血鬼が白い指先を伸べると、恐ろしい叫び声と共に、崩れかけた包帯を纏う化け物が現れた。
包帯の隙間から覗く顔は、恐ろしげに歪み、崩れかけ……
(しまった……顔だけ虫除け塗ってねえ……!)
愁也は苦悶の余り身を捩る。田舎の薮蚊の猛攻には、流石の撃退士も叶わない。
「かゆ……あつ……」
もう本音が漏れてるけど演技に見えるので、結果オーライ。
沙夜がはっと気を取り直したように顔を上げた。
「うるうさん、助けに来ましたわ!」
だが恍惚の表情を浮かべ、うるうは目前の戦いを見つめるのみ。
「邪魔をするな!」
眞央が猛スピードでミイラ男に接近。すれ違いざまに長く伸びた爪を振るう。
そのタイミングに合わせ、愁也が光纏し『闘気解放』を使うと、全身から紅蓮の炎が燃え上がる。
「うおおおおおお……!」
たまらず噴水に飛び込んだミイラ男が、派手な水しぶきを上げる。
そしてそのまま動かなくなった。
「よいしょっと。しゅーやんだいじょぶー?」
藪に潜んでいた清世が、黒い人形に包帯を巻き付けた物を噴水に投げ入れた。
その隙に縮地で噴水から飛び出した愁也が、ぜえぜえと息をつきながら隣に座りこむ。
「さすがにちょっと調子乗りすぎたかなー? ……って、やべっ!」
水に濡れ虫避けの効果が薄れた愁也に、不快な羽音が攻め寄せて来る。
「しーっ。音入っちゃうでしょ」
カメラを構えた清世が、唇に指を当てた。
その先では愛の劇場続行中。
「もうお前の手下はいない」
眞央が憎しみの炎を目に湛え、吸血鬼を睨みつけた。
「今ですわ! 皆さん、先程の道具を!」
沙夜が呼びかけると、ゲストがそれぞれ手にした道具を掲げる。
「そ、それは!」
吸血鬼が身を引き、眞央を見た。
「何故だ、何故貴様には護符が効かない?」
「館が、新しい主人を選んだということだろう」
眞央の顔に勝者の笑みを見て取ると、吸血鬼は踵を返し、館へ向かって駆け出す。
「待て!」
吸血鬼の向かう先、館の玄関の扉が大きく開いていた。
中に立つのは、白い影。
「やっと……貴方は私のもの……」
白いベールの陰から、つくよの妖艶な笑みが覗く。
駆け込む吸血鬼を両手で抱き締めたその刹那、ドアが音を立てて閉じた。
後を追って来た一同がそっとドアを開くと、既に二人の姿はなく。
ビスクドールだけが悲しげに立っていた。
「主は……永遠の花嫁を得ました。もう会うこともないでしょう」
身を翻すと階段を上がり、その姿はふっと闇に溶けた。
後を追って階段を駆け上がると、ドールが広間の扉に消える。
思い切り扉を開くと、そこには誰もおらず、ただ月明かりが静かに射しこんでいた。
見ると、窓際の棺桶の上に、白いレースのベールが一枚、夢の名残の様に落ちている。
「あっ、うるうさん!」
沙夜が声を上げた。
窓の外に広がる庭園には、手を取り合う眞央とうるう。
やがて身を寄せ合うと、かき消すようにその姿が消えた。
「待って、何処へ行くの!」
沙夜が広間を飛び出して行った。
残され、呆然と立ち尽くすゲストたちの背後に、不意に現れた黒い影。
「……ナイトメアは夜の闇にこそふさわしい。続きは夢の中で見るんだな」
メンナクの囁きが、物語の終焉を告げた。
●終幕
スタッフルームは打ち上げモードだった。
外階段から回り込んで部屋に入った沙夜が、うっとりと呟く。
「それにしても神影さんのドレス素敵でした。私もいつか愛しい方の隣であんなドレスを着てみたいですね……」
やはり白いドレスは若い女性にとって永遠の憧れか。
「わたくし、お芝居だと判っていてもドキドキしてしまいましたわ」
うるうが頬を染めた。
化粧を落としたつくよは、鏡の中の自分に微笑む。久しぶりの芝居にしては、まあまあだったろうか。
「皆、お疲れ様だったね。なかなか面白かったよ」
暑苦しいマントを外しながら笑う白川に、遥久が囁いた。
「ですが、まだ吸血鬼が彷徨っているようですね。退治道具は数あれど、これで十分でしょう」
銀の匙とデザートのプリンを手に、白川ににじり寄る。
「ふ……考えてみたのだがね。館の執事だけが仲間外れというのは、片手落ちというものではないかね?」
向き直った白川が、珍しく反攻。遥久の肩を掴み、作りものの牙を首筋に立てようとした。
「ぎゃーーーーッ、遥久ァーーーーー!!」
ボコボコに虫に刺された愁也が顔を歪め、戸口で絶叫。
半泣きで飛び込んできた姿に、思わず遥久が笑いだした。
「今日は大活躍だったな」
癒しの光で虫刺されを治療してやると、愁也の顔がぱっと輝く。
「だろ? 俺ってばすごい頑張ったよな?」
あっさり機嫌を直す従兄弟をお手軽だと思いつつ、遥久も今回は合格点を出した。
愁也の後に続いて部屋に入ってきた清世が、白川の袖を引っぱる。
「じゅりりん……痛かった、泣く。いや泣かねぇけど執事怖い」
狼男の犬耳に、ピアス用にしては大き過ぎる穴が開いている。遥久の銃弾だろう。
藪に潜んでいるときに引っかけたのか、頬には赤い筋がにじんでいる。
「ははは……折角の男前が形無しだな。君もお疲れ様だったね」
白川は常になく破顔しつつ、手を当てて清世の傷を治してやった。
「あ、でもちゃんとじゅりりんの見せ場とか、色々写メっといたからね!」
「それはこの館に永久に封印しておいてくれ」
がっくりと肩を落とす姿に、学生たちが笑い声を上げた。
翌朝、眩しい光に起きだしたゲストたちは、恐る恐る各部屋を見て回る。
がらんとした広間には既に棺桶もドールもなかった。
そして何故か、増えている空き部屋。
見送りに出た執事とメイドが丁寧に頭を下げるのに、一組はもう出立したのかと問えば。
「いいえ、お客様は最初から3組ですわ。そうでしょう?」
妙が静かに首を傾け、『悪魔の囁き』で記憶を混乱させる。
「宜しければまたおいで下さい」
朝日のもとでは執事の微笑みも、ただただ穏やかに。
「お邪魔でなければ、お持ちください」
小さなブーケがゲストに差し出された。
それぞれのイメージに合わせた色とりどりのバラが、みずみずしく輝く。
「あら、ありがと……」
受け取りながら顔を上げると、そこには金髪の男が紫の瞳に明るい笑みを浮かべていた。
真夏の一夜のナイトメア。宜しければ、ぜひまたお越しを。
但し次も無事とは限りませんよ……?
<了>