●先輩、フラグ立てすぎです
キィン!
ガン!
ガシャン!
一般市民が退避した参道に、金属の撥ねる音と衝撃音が響く。
撃退士なればこそ判る気配が、濃霧のように辺りを覆う。
殺気。憤怒。恐怖。焦燥。反発。
それらを呼び起こす存在が、確かにこの先に、居る。
山崎康平(
ja0216)の闘志が湧き立つ。
「…とりあえず生き残る余裕からああいうこといってるんだろうな、おそらく」
内心を感じさせない、呆れたような口調だ。
「先輩、フラグ、立てすぎ…」
紫藤 真奈(
ja0598)は、今も戦っているはずの先輩を思う。
(…誰もが明日はあると、何の証拠もないのに信じているんですよね)
あくまでもクールに、鋭いツッコミ。
「無事カエルも洒落になってないし…」
淡々とアトリアーナ(
ja1403)が呟く。
「…フラグ先輩も色々遣り残した事もあるみたい、なの」
それを遣り遂げるチャンスをあげる…そもそもフラグはへし折るものだから。
物語で華々しく散るキャラが、戦いに赴く前に「生きて帰ったら果たすこと」を口にすることがままある。
そこから逆に「帰ったら果たすことを宣言する」=「果たせない前フリ」という意味で「死亡フラグが立つ」と呼ぶのだ。
井川という先輩撃退士は強敵と対峙し、その死亡フラグを盛大に立てまくったらしい。
故に彼の名は忘れられ、『フラグ先輩』という名称が定着していた。
(好きな娘全校にばれてて死んだ方がましとか思うかも知れんが知った事か。鬼畜上等、やる気が出るってものだ)
地領院 徒歩(
ja0689)の口元が、嗜虐的な笑みで釣り上がる。
(俺の手の届く範囲で死亡フラグを立てるとは上等だ、ブチ折ってやる)
経験積んでる撃退士がイッたら、困るしな。
そのポケットの携帯には、すぐ繋がるよう近くの病院の連絡先が表示されていた。
●先輩、いい加減にしましょう
先頭を駆ける月夜見 雛姫(
ja5241)が先遣隊に連絡を入れる。
「無事ですか皆さん!」
叫ぶと同時に、右側の建物の屋根に跳ぶ。後は屋根伝いに走る、走る。
瞳の紅が深い色を帯びる。
一人の女子学生が顔を上げた。頬に流れた血が痛々しい。細い腕で壁の阻霊陣を押さえる。
傍のシャッターから、激突音が絶え間なく響く。
「気をつけて!もうシャッター限界なの!」
他の二ヶ所も、状況は大差なかった。
先には、男女二人の撃退士の背中が見える。その肩越しに金色の光。
「ごめん、カエルを頼むわ!」
女が叫んだ。男が後を続ける。
「すまんな。全部終わったら、みんなで宴会でも…」
「先輩、続きは後で聞くので今は戦いに集中してください!」
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)が男の言葉を遮る。
(…言うな!それ以上言うな!)
フラグ先輩のフラグ立て、半端ない。こっちまで巻き込まれそうだ。
阻霊陣に集中する先輩を背にして、立つ。
その瞬間、シャッターが簾のように捲れ上がる。
顔を出したのは、まばゆく輝く巨大ガマガエル。
もう一回り大くては怪しすぎ、小さくては有難味が薄れる。
思わず小銭を置きたくなる、絶妙の大きさだった。
正面に、セーラー服姿の女子学生が何気ない風で立つ。
サーバントは組み易しと判断したか、そのまま押しつぶそうと後ろ足に力を込め飛びかかった。
瞬間、女子学生の背に翼のような白いオーラが広がる。羽根が舞い落ちるように、光の粒子がその身を包んだ。出現したブロンズシールドを構え、重い攻撃を受け流す。
「この神社の近くに評判の銭湯があるらしいっす!折角っすから後で行きたいっす!」
羽生 沙希(
ja3918)は、片手にシールド、片手にスマホを掲げ、弾けるような笑顔で言い放った。
阻霊陣の先輩が一瞬、ずりっ、と壁に寄り掛かる。
当人は別に戦いを舐めているわけではない。
「大変な依頼、だからこそ楽しみも必要っす」
真摯に依頼に向き合うため、リラックスも必要…なのだろう、たぶん。
「では、手筈通りに!」
平坂 九十九(
ja3919)は車椅子を器用に操り、サーバントを閉じ込めた中の一番奥の建物を目指す。
一見可憐な少女のような横顔が、厳しく引き締まる。
その横を、刀を手に真奈が駆ける。お気に入りの、可愛くデコラティブな日本刀だ。
「とりあえず急がないと」
シュトラッサーと戦う先輩たちは、背中ががら空きだ。
サーバントと挟撃されては絶体絶命。背後をとらせてはならない。
目的の建物の傍では男子学生が、地面に阻霊陣を当てながら片手でピストルを構えていた。
中からの一撃ごとに歪み、悲鳴を上げるシャッターの正面に、九十九は車椅子を止める。
「さてと、やるかな」
手裏剣を手に、戦闘開始宣言。
「黄泉路へと送り返してやろう」
結わえた長い髪がさらりと流れ、目に鋭い輝きが宿る。
「先輩は、阻霊陣よろしくです」
康平が声をかける。
立つ位置は、その前。そしてそこは、最終防衛ラインとなる。
ほぼ同時にメキメキという音と共に、サーバントが飛びだした。
九十九は、眉一筋動かさず手裏剣を放つ。相手の出鼻を挫く、眉間への先制攻撃。
「腹を攻撃するな、か。全く面倒なことだ」
得物を剣に持ち替え、構える。
サーバントは猛り狂い、九十九を狙って地を蹴った。
狙い通りだ。
「食らえ!」
がら空きの横から、康平の鉤爪がサーバントの脚の付け根を狙う。敵は、バランスを崩した。
カエルに呑みこまれた一般人がいるかもしれない以上、腹部への攻撃は厳禁だ。
動きを封じ狙いを定めやすくするには、機動力を奪うのが得策と判断した。
「例の物、いきます!避けてくださいね!」
雛姫がポケットから小麦粉の小袋を取り出し、敵の背中に投げつけた。
蛙は乾燥に弱い。小麦粉で体表面の水分・油分を吸収し、弱体化を図る作戦だ。視界を遮る効果も期待できる。
だが残念なことに、袋はそのまま地に落ちた。透過能力によりサーバント自身が意図する以外の物は、身体をすり抜けてしまうのだ。
それでも小麦粉の袋は地面で破裂し、白い煙幕が一瞬、敵の視界を遮った。
その一瞬で充分だった。真奈が頭部に斬りつける。
狭い道では、こちらも動きに余裕はない。確実に一匹ずつ潰し、集合を阻止する。
「タフで回復力があるといっても、それを上回る攻撃を加えればいいだけの話ですよね」
巨大カエルは連続攻撃を食らい、次第に消耗していった。流れ出す体液の生臭さが、鼻を突く。
真奈を狙って、残った脚でまさに最後の足掻きの一蹴り。
だが片足が潰れた以上、まともな攻撃にはなりえない。真奈は軽く避ける。
カエルが蹴りの勢いで半転した正面には、康平がいた。
自分を狙ってくる長い舌を華麗な舞のような足さばきで避けると、喉元に潜り込み鉤爪で抉る。
「よし、次だ!」
カエルは体液で辺りを緑色に染め、動かなくなった。これでシュトラッサーに一番近い奴は仕留めた。
後二匹。
息つく暇もなく、四人は一斉に移動する。
●先輩、もうちょっと頑張って
アトリアーナが、白銀の髪を束ねた赤いリボンをほどく。集中力を高める、戦いの前の儀式だ。
左側の屋根の上を駆け、サーバントを閉じ込めた建物を目指す。
徒歩の眼が、壁の割れ目から覗く巨大カエルの顔半分をとらえる。
舌打ちし、全力疾走。
目前で壁は崩壊し、黄金ガエルが姿を現す。
ほぼ同時に右背後でも、シャッターが壊れる音が響いた。
前方では、既に一番奥のカエルと味方の戦闘が始まっている。
だが狙うは目前の一体だけ。
アトリアーナと二人だけで、仕留めようとは思っていない。奥の一体を仕留めた仲間が合流するまでの足止めだ。
仮に足止めに失敗すれば、味方が挟撃されてしまう。
徒歩の身体を取り巻く空気が揺らぐ。
「カエル共に時間を稼がせるな!一体一体確実に仕留めるんだ!」
相手の行動する瞬間に合わせて、頭部を狙いスクロールから光弾を放つ。
当たれば幸い、当たらなくとも動きは封じる。
不意の攻撃に敵は警戒し、動きを止める。
アトリアーナはその背後に飛び降りた。着地と同時に、後ろ脚を狙ってハンドアックスを打ち下ろす。
だが視界に入った徒歩に、カエルが飛びかかる。一撃は足先を掠めるのみに終わる。
「…次は、外さない」
握り直した得物を、力の限りに叩き込む。サーバントの左腿から、緑色の液体が噴き出す。
サーバントは己を傷つけた相手を認識する。残った右脚で踏み切り、体をぶつけてきた。
「!!」
攻撃に全力を注いだ分、対応がわずかに遅れる。
アトリアーナの小柄な身体が吹き飛び、背後の建物に叩きつけられた。
「くそガエル!無事…グッ!」
注意を逸らそうと光弾を連発する徒歩に、舌の一撃。衝撃に肩が軋む。
一人では敵を止められない。アトリアーナが戦闘不能になっては困るのだ。
「…まだ、戦える」
アトリアーナは口元の血を拭い、ハンドアックスを支えに立ちあがる。
サーバントはその間に、緑色の体液が滴る腿を長い舌で舐めた。見る間に、滴りが止まり傷が塞がる。
再びアトリアーナに向いたその鼻先を、手裏剣が掠めた。
「回復能力か。全く、厄介な奴だな」
一匹目を倒し、移動してきた九十九が間に合ったのだ。
「お待たせしましたー!」
屋根を走る雛姫が、ピストルを連射。
敵の注意が逸れた隙に、アトリアーナは体勢を整えた。
『あるはずの明日』を皆が笑顔で迎えるために。フラグはへし折るために存在するのだ。
渾身の一撃が、敵の左目と肩の間に打ち込まれた。
―――
馬頭鬼は油断なくトンファーを構え、サーバントの挙動を観察していた。
その身体からは黒い煙のようなオーラが滲み出し、渦巻くように広がる。
最初の一撃をかわされたサーバントは、やや慎重になっているようだ。
大きな目をぐりぐりと回し、こちらの出方を伺っている。もっとも、目的が足止めなのだから、こちらとしては好都合だ。
敵からみれば沙希と馬頭鬼に左右から挟まれていて、どちらかを向けばもう一方に背を見せることになる。鏡の前のガマ状態だ。
静かな戦いが続く中、仲間の、そして先輩たちの戦闘の物音が響く。
水棲生物独特の、生臭い匂いが籠る。
だが睨み合いは突如終わった。
康平の声が、増援を告げる。
「よし、行くぜ!」
馬頭鬼が踏み出し、敵の意識がそちらを向く。
トンファーを、飛び退ろうとする巨大カエルの右肩に叩き込む。関節が砕ける手応えがあった。
「はい、こっちもいくっすよ!」
楯をショートソードに持ち替えた沙希が、重心がかかる左後脚の付け根に一撃。
連続攻撃を狙うが、表皮を覆う粘液と流れ出る体液で握りが滑る。慌てることなく、取り出したタオルを握りに巻く。
腹を避けて、絶え間なく攻撃。
回復の隙は与えない。傷口に舌を伸ばそうと開いた口を、馬頭鬼が強かに撃つ。
駆けてきた真奈が屋根から飛び降りざま、右後ろ脚を斬りつける。
「…可愛いくなくもないけど。ちょっと大きいかな」
…意外な嗜好。いつか彼女の刀の鞘に、カエル型チャームが追加されるかもしれない。
既に二匹を倒した。後はこの一匹だけ。
「燃えてきたっすー!」
テンションアゲアゲの沙希が、カエルの片目を潰す。
「食らいやがれ!」
馬頭鬼がジャンプし、暴れる敵の眉間に自重を乗せた一撃を与える。
同時に、真奈が右前足の脇から喉元へ向かって、刺し貫いた。
「やったっすよー!」
沙希の勝ちどきの声に、康平がダッシュする。
もし間にあえば、先輩たちに加勢できる。
だが手先を失ったシュトラッサーが、そこに残る理由はなかった。
手ぶらで帰った彼がどうするのかは判らないが、撃退士を数人倒した所で益がないことは確かだ。
全身金色の壮年の男は、人間共に槌の一撃を残し、身を翻す。
阻霊陣の効果が途切れた場所で、その姿はかき消えた。
「逃げられたか!」
悔しがる康平の傍らで、先輩撃退士二人ががくりと膝をついた。
●先輩、フラグ回収です
漸く場の空気が緩む。
シュトラッサーを倒せなかったのは残念だが、任務の主目的はそこにない。
馬頭鬼と康平、雛姫が手早くかつ慎重に、ガマガエルの腹を切り開いていった。
中からは、ぐったりしたお年寄りが次々と出てくる。その数なんと五人。
一人ひとりの手を取り、アトリアーナが声をかけた。
(今度は助けられた…良かった、の)
戦いは好きじゃない。でも、以前の苦い経験は二度と繰り返さない。
徒歩が被害者の状態を、病院に的確に伝える。
作戦通り、素早く敵を殲滅できたのが幸いした。
被害者は疲労していたが、全員大事ない。もっとも、解剖された大ガエルを見て、二人程が腰を抜かしかけたのだが。
沙希の連絡で待機していた救急車が、全員を病院に運んで行った。
真奈が突然、向き直った。
「先輩。ちゃんとフラグは回収して欲しいですね。残しておいたら次の依頼でもまたフラグになってしまうかもしれないので…」
ここぞとばかり雛姫が子犬のような目で、フラグ先輩を見上げる。
「そうですよ!私達はいつ戦いに行くかも判らない撃退士ですっ。心残りは減らしておかないと!」
内心は、告白を断られたらどうするのか、その結果を見ずに帰れるか!と結構腹黒い。
動揺しつつ周囲を見渡す井川先輩。
全員がうんうんと頷くのを見て、何故かふしぎなおどりを踊った。
が、結局、電柱の陰で携帯を取り出す。
阻霊陣の先輩が、素早く身振りを示す。
連絡用につないでいた回線で、盗み聞きできる!…嗚呼美しきかな、友情。
全員イヤホン装着。そこに若い女の声が飛び込んできた。
「…井川君?…撃退士になったって聞いたけど、大丈夫?元気なの?」
心配そうな声に、何人かが応援の拳を握ったそのとき。
電話の向こうに響く、赤ん坊の泣き声。
「あ、ゴメーン子供起きちゃった!えへへ、女の子なの。可愛いのよー!今度帰省したとき見に来てね!」
プツン。
ツーツーツー。
九十九が車椅子を帰り途へ向ける。
「さて、結末は儚きモノっと」
学園に任務完了を報告する沙希。無論、残念な方のお知らせも忘れていない。
振り向くと、レモンが弾けるような眩しい笑顔。
「先輩!この近くに評判の銭湯があるらしいっすよ!新しい恋の為に古い恋をお湯に流しに行くっすよ!」
上手いこと言った的なイイ笑顔が、ブロークンハートに突き刺さる。本人が親切心で言っているのが一層残酷だ。
「きっと先輩には別に運命の女性がいるってことですよ!」
雛姫が妙に楽しそうに先輩の腕を掴み、ぶんぶん振り回す。
「あ、それとも、撃退士は後顧の憂いは残すなってことかも!ロンリー撃退士、素敵ですぅ!」
上げて落として、格好の玩具だ。
馬頭鬼が心底気の毒そうな表情をする。
「まあ…フラグはへし折るものってことですかね…」
「なんていうか…違うモンが折れてる気もするけどな」
哀愁漂う先輩の背中に、康平がぼそりと呟いた。
<了>