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低空を滑る白い翼。
火精はそれを迎え撃たんと、塹壕から顔を出す。
すぐさま翼は風をはらみ、高度を上げた。
仲間達の猛攻が、釣り出され姿を見せた火精に浴びせられるのを見届けた刹那。
堕天使ネフラウスを、蒼焔の矢が射抜いた。
彼は、暗くなる視界の端に、翻る青い衣を見た気がした。
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撃退士達の巻き上げる土埃の彼方に、聳える壁と塔。
赤茶けた光景の中、落下して行くネフラウスの白い翼が映える。
「くっ……まずい、このままじゃあのひとがやられちゃうっ……助けなきゃ!」
エルレーン・バルハザード(
ja0889)は、多くの撃退士達が押し寄せる中、敵が既に倒れた堕天使を尚も狙うことに違和感を覚える。
駆け出そうとする仲間を、アサニエル(
jb5431)の『アウルの衣』が包みこむ。
「攻城戦かと思ったら、いきなり救出任務とはね。気をつけるんだよ」
まずは群がる骸骨兵士達を倒して進まねばならないのだ。
両翼に展開した仲間達がかなりの数を引き受けてくれているのだが、それでもまだ無視できない数が行手に立ち塞がる。
万全の状態ならば然程脅威ではない連中だが、堕天使は負傷している。非常に危険な状態だ。
混戦を避ける為、夜姫(
jb2550)は闇の翼を広げて舞い上がる。その目に、地上に落ちた堕天使と、南から急進する人影が見えた。
あちらから味方が来ることはあり得ない。そして夜姫は、その姿を知っていた。
「双刀使いの使徒……以前落とした要塞を守っていた方ですね」
南要塞を攻略した際、別動班が遭遇したという青い道服の少女。おそらくは、シュトラッサー。
断神 朔樂(
ja5116)が紅い瞳に冷えた光を宿した。
「また堕天使が出てきたか」
つい先日、成り行き上この地で関わったのも堕天使。
人を助ける為に身を呈したことに免じ、本来共に在るべからざる彼を、助けた。
「二度は助けんと、俺は言った。今度は知らん。遠慮なく、敵の首を狙わせてもらう」
群がる天界の眷属を大太刀で薙ぎ払いつつ、敵と誓った天界の眷属目がけて突き進む。
シルヴィ・K・アンハイト(
jb4894)が吹雪の銘を持つ刀を振るうと、骸骨兵士がバラバラに砕け、白い骨に戻る。
視界が開け、イフリートを伴って駆ける使徒の姿が見通せるようになった。
「奴の狙いは堕天使か……渡すわけにはいかないな」
理由は判らないが、殺すだけならば骸骨兵士も、イフリートもいる。何か敢えてとどめを刺さない理由があるのかもしれない。
愛用の戦斧を収めた橋場 アトリアーナ(
ja1403)は、赤い対の拳銃を両手に構える。
使徒は真っ直ぐ堕天使を目指しているように見えた。
「……狙いは、堕天使だけみたい。……気をつける」
とはいえこちらは使徒に到達する以前に、火精の炎を、サブラヒナイトの矢を、食らう恐れがあった。
「炎の精霊よ、貴様は私が相手をしてやろう。纏めて来るがいい」
鳳 静矢(
ja3856)の秀麗な頬に、冴えた日本刀の輝きを映したように冷たい笑みが浮かぶ。
その間にも、使徒は堕天使に迫り来る。今にも到達するというその時。
「わたさないよっ!」
エルレーンが地を奔る雷のごとく猛進し、光る刃を使徒に浴びせた。
「……!」
まるで眼前に迫るまで、他の物が見えていなかったかのように。
目を見開いた使徒は、双刀を振り上げ、攻撃を受け止める。
一瞬の激突の後に、両者が離れる。エルレーンは身を翻し、ネフラウスの元へ。
「だいじょうぶだよっ……私が、守ったげるッ!」
エルレーンはネフラウスを抱え、走り出す。
「待て!」
使徒が声を発した。甲高い、張り詰めた声。
「……行かせませんの」
追い縋ろうとするその足元を、アトリアーナの銃撃が遮った。
「天使とは真逆の存在だが。話ぐらいは聞いてやるぞ」
静かな表情、静かな声。シルヴィは油断なく刀を構える。
ふたりは並び立ち、使徒の前進を阻む。俊足を誇る鬼道忍軍には、その支援で充分だった。
エルレーンは要塞の城壁外目指して一目散に駆け抜ける。
城外で待ち構えていたアサニエルは、エルレーンが降ろした堕天使の負傷具合を素早く確認する。
「命に別条はなさそうだね。良かった」
アサニエルの笑顔に、堕天使は頷く。
「結局またもや迷惑をかけてしまったようだ。どうにもこの力なき身が歯がゆいな」
エルレーンの応急手当てが済むのを待ちかねたように、堕天使は身を起こす。
アサニエルがそれを制止する。
「無理はダメだよ。悪いけど、ここでお留守番だ」
自分が傷を治してやりたいのは山々だが、まだ仲間達が戦っている。
貴重な癒しの術を、使い切るわけにはいかないのだ。
それに狙われている可能性が残っている以上、彼を再度戦いに向かわせることはできない。
「ここにいてよ、あれは私たちに任せて」
エルレーンの目が堕天使を真っ直ぐ見詰める。
「私たちと一緒に、たたかってくれるあなたは……いい天魔。いい天魔の人を、私は守るよ!」
「良い天魔、か……」
堕天使は小さく笑った。が、すぐさま顔を引き締める。
「あの使徒は、明らかに私を狙っていた。近くにいた人間には目もくれぬ。だが私は、あれを知らぬ。君達の仲間に他にも堕天使がおるならば、くれぐれも気をつけよ」
青い瞳がふたりに強く訴えて来た。
●
静矢の剣が紫光の軌跡を描く。
イフリートは素早くその切っ先を逃れ、間合いを取り、身構えた。
だがその位置は、護るべき使徒の傍ではなかった。それこそが静矢の狙いである。
「天の僕よ、闇の刃を耐えきるか?」
剣の宿す光が、ほんの僅か揺らめいたように見えた。
踏み込みの勢いを乗せ、静矢が敵の肩口めがけて斬りかかる。
サーバントも痛みを感じるのだろうか。火精は全身を震わせると、咆哮が形を得たような炎を噴きだした。
「そう来なくてはな」
翳した刀身でその勢いを減じつつ、静矢は一歩も引き下がらない。
己が身一つで、眼前の敵をこの場に留めて見せる。背後で戦う仲間の元には、行かせはしない。
使徒の護りのもう1体のイフリートは、尚も離れず、猛火を噴きだす。
夜姫は宙を舞い、敵を翻弄する。
負けじと火精が地を蹴り、跳躍した瞬間、夜姫は接近して腕を突き出した。
交差するかのように伸びた鋭い爪を肩に感じながらも、雷撃を模した痛打を食らわせる。
火精は地面に叩きつけられ、四肢を痙攣させたままその場を動かない。
夜姫がその傍に降り立ち、息を整えようとした時。
牽制の銃弾を撃ち込みながら、アトリアーナが警告する。
「……狙われてる、ナイトの射撃、注意ですの」
その言葉が終わらぬうちに、城壁上のサブラヒナイトの放つ矢が、蒼い奔流となって地を走った。
「……!」
アトリアーナ、夜姫が、共に思わず膝をつく。強く闇の影響を受ける者にとって、サーバントの攻撃は無視できないダメージとなる。
「無理は禁物だよ」
駆けつけたアサニエルが傷を癒す。残念だが完全ではない。
その代わりに、危険に身を晒す仲間の為、アサニエルはありったけの加護の術を使った。
「ちょっとだけ抵抗力はあがったけど、過信はしないことだよ」
敢えておどけたウィンクで、仲間を送りだす。
戦いは厳しいが、緊張の連続は危険だ。一言二言の暖かみ、それが人間の強さにもなるだろう。
朔樂が愛刀『天霞』を振るい、使徒に斬りつけた。
その特殊な構造ゆえ、銀炎を纏う刀身は、通常では考えられない速度、方向へ切っ先を変える。
(見た目が小娘とはいえ相手は使徒……そう容易く崩れる事はなかろう)
判っているからこその、連撃。
敵の力量の程は判らないが、見切られる前に片腕なりと奪ってみせよう。
だが朔樂が予想していた通り、使徒は使徒なりの力を持っていた。
双刀を交差し、朔樂の剣を受けたかと思うと、身を沈め、引いた片方を薙ぎ払う。
朔樂が身を引くと同時に宙を舞い、とんぼを切ったと思うと再び突進。そのスピード、身のこなし。尋常ではない。
――それでも。
「その刃で、全て防げると思うな」
毒刃に切り裂かれた脇腹を押さえ、朔樂が使徒を睨みつける。
そう、例え彼我に厳然たる力量差があったとしても。ひとりでこの場にいる訳ではないのだ。
ジャンプしたエルレーンが、使徒の脳天めがけて光の剣を打ちおろす。
「ええいッ! 砕けちゃえよッ!」
重い一撃に、使徒が踏鞴を踏む。
アトリアーナの右手に、白い光が宿ると、それが白く揺らめく炎を纏う白刃となる。
「……今ですっ」
目にもとまらぬ一閃は、しかし使徒に届かず。使徒の刀が、アトリアーナの足を切りつける。
それでもアトリアーナは、止まらない。
傷を負うことは、承知の上。肉を切らせて骨を絶つ――!
「……引けない、だから……っ、この程度じゃ終われないのですの!」
使徒はただ黙って、アトリアーナに斬撃を浴びせる。
間合いを計っていたシルヴィが、アウルで作りだした氷の槍を使徒の肩目掛けて叩きつけた。
「この剣に守ると誓ったのでな、お前にも戦う理由があるのだろうが……ここで消えてくれ」
それをかわした所に、前線に戻った夜姫が『蜥蜴丸』を手に飛び込んでくる。
「対面するのは今回が初ですね。申し訳ありませんが一手お相手願います」
とにかく、この場は使徒に引かせなければならない。
勿論あわよくば、倒したい。だがそれが叶わぬなら、せめて一太刀。
●
静矢の刃が、真横に奔った。
イフリートの首が炎を纏ったまま吹き飛び、後に残された傷だらけの躯が、ゆらりと倒れる。
息を整えると、静矢は己の身を振り返る。
流石の彼も、イフリートを単身相手取っては無傷という訳にはいかなかった。
体を巡るアウルの流れを、意志の力で整える。傷が癒えて行くのが判った。
(使徒はどうなった……?)
振り向くと、仲間の猛攻を凌ぎ、飛び退る使徒が見えた。
猛攻を耐えきり、使徒は顔を上げる。
「人に組した悪魔か。お前達ならば裏切り者の代わりになるか」
夜姫とシルヴィを眺め、微かな笑みを浮かべた。
(先程の一撃で、槍は握る物と思っているはず……)
シルヴィの手に氷の槍が現れた。迫る使徒に向かい、力を籠めて投げつける。
が、使徒は身を捻り、その一撃をかわした。
「足掻いても無駄だ。天の矢をその身に食らうが良い」
その言葉と同時に、城壁上のサブラヒナイトが立て続けに矢を射た。スタンの切れたイフリートも起き上がり、そこに加わる。
「かはッ……!」
火矢の照り返しを受け、シルヴィの美しい銀髪が蒼銀に輝いた。
飛び散る飛沫の赤が、視界を染める。
夜姫は尚、血に濡れた顔を上げ、剣を振るい、使徒に立ち向かう。本来なら、とっくに倒れているはずの大怪我だ。
――死活を使った、大博打。
剣を合わせ、夜姫は問う。
「私は夜姫。あなたの名は」
使徒は嘲笑うように鼻を鳴らした。
「あたしの名を聞いてどうする」
「あなたが私達に何を望んでいるのか、知りたいだけです」
そこに火精の爪が迫り、夜姫は姿勢を崩した。死活の効果が、切れる。
「危ない!」
アサニエルの霊符から飛びだした光弾が、火精の動きを牽制する。
朔樂が脇から使徒に斬りかかる。
「食らうがよい、天使の下僕よ」
鮮血が跳ねた。
「邪魔を、するなッ!」
絞り出すような声と共に振り払われた刀。朔樂の身体に一文字の血痕が刻まれる。
怒りに燃える使徒の金の瞳が、倒れたシルヴィと夜姫を見下ろす。
「お前たちは何故、人に味方する。本来ならば負けるはずのないあたしやサーバントにここまでやられてまで、何故人の側に立とうとする!」
苛立ったように吐き捨てた。
「名を尋ねたな。あたしは小青。そして望みか。それはお前達に捕らわれた主を、取り戻すことだ」
小さな身体が身震いした。
「……残すのは、1人で充分だ」
小青は、夜姫に歩み寄る。
アトリアーナは斧を支えにして立ち、使徒の姿を見据える。
ほんの少し前、やはりこの地で、別の使徒に相まみえた。おそらく目前の小青を遥かに凌ぐ敵。
「……前は、なにもできなかった」
その悔しさ、憤り。
今ここで小青に負けるようでは、自分達はとてもあの強敵に立ち向かうことはできないだろう。
「……今回こそ」
顔を上げると、アトリアーナは斧を構え直す。
仲間を、やらせはしない。
「でも……小青も、人間を裏切ったの……ですの」
「人間など、くだらん」
小青の熱が、ほんの僅か冷えるのが判った。
「弱い存在の人間など、くだらん。敢えて弱い存在に堕ちることは、もっとくだらんッ!」
アトリアーナの斧が唸りを上げて、使徒の赤く染まった左肩に打ちかかる。
使徒は屈みこむや足に力を籠め、逆手に握った剣の柄でアトリアーナを突いた。
「―――!!」
柄に仕込まれた小刀が、アトリアーナの肩口を抉る。
更に打ち込もうとした剣が、不意に止まった。
アトリアーナの肩越しに、先刻引きさがったはずのネフラウスの顔が見えたからだ。
「裏切り者……、違うな。小賢しい真似を! 代わりに死ぬか!」
小青の叫びに呼応するように、サブラヒナイトが矢を番える。
「させん!」
反応したのは、静矢だった。剣から持ちかえた銃が火を噴く。
銃弾は敵の防護術に威力を減殺されるが、それでも尚、矢の狙いを逸らすには充分だった。
ネフラウスに変化したエルレーンが、余裕を持って避ける。
「そんなに堕天使のひとをころしたいの? ……うっとうしいなあ、あなたたちがイヤだからこっちに来たんだよ、それがわかんないの?」
普段おっとりした印象のエルレーンが、珍しく語気を荒げた。
「奴の事情など知らん。知る必要もない。必要なのは、知識だけだからな!」
一気に距離を詰めた小青の刃が、エルレーンの腹を切り裂いた。
と見ると、ふわり、ぼろきれと化したスクールジャケットが宙を舞う。『空蝉』だ。
小青が布を振り払い、視界を回復した頃には、エルレーンは夜姫を抱えて下がっていた。
アトリアーナは気力を奮い起こして倒れることなく立っている。
悔しい気持ちは残るが、仲間を救う隙は作った。生きていればこそ、再び対峙することもできよう。
静矢はシルヴィを抱え上げ、使徒を睨みつけた。
(まだやれなくはないが、これ以上は負傷者の命にかかわるやも知れん……)
使徒にも傷を負わせている。
あわよくば首をとれたかもしれない。
だが、こちらに犠牲者を出したのでは意味がないのだ。
「使徒よ、勝負は預ける。次こそはこの要塞、必ず貰い受けるぞ」
感情を押し殺した静かな声が告げた。
一斉に引いて行く撃退士達を、サーバントも、使徒も、強いて追ってはこなかった。
代わりに南東要塞は、その扉を再び固く閉じることとなる。
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「結構やられたな」
男の声に、少女は沈黙で答えた。
「まあまずは、傷を治せ。……連中がこのまま引き下がるとは思えんがな」
唇を噛み締め俯く少女を、男はほんの少しの憐れみを湛えた眼で見下ろした。
<了>