●薔薇園の戦い
都会のビルの谷間に、ぽっかりとそこだけ異空間のように薔薇園はあった。
ゆったりと流れる広い川から吹く風が、薔薇を揺らし、芳香を広げる。
アラン・カートライト(
ja8773)は目を細め、開いた花びらが重そうに揺れる様を楽しむ。
「今回は悪くねえバイトだ」
「お前さん、ヤケに張り切ってンねェ?」
白いシャツに黒いギャルソンエプロンの仁科 皓一郎(
ja8777)が、店のカウンターに軽く寄りかかりながらアランに声をかけた。
「薔薇と言ったらイングランド、つまり俺だ。国花であり王家の紋章にも納められている薔薇を、この俺が愛でない筈ねえだろう」
鉢植えの赤い薔薇を掌で受けるようにして覗きこむ。
悪い虫でも付いてやしないかと、厳しい目。
「仁科、お前こそこんな処でバイトなんて珍しくねえか?」
皓一郎は身を起こし、軽く伸びをした。
「ま、アレだ。怪我の療養にゃ、植物がイイらしい、つて聞いたモンでよ」
少し前に依頼で大怪我をし、ようやく回復したばかりだ。
鈍った体には軽いリハビリがちょうどいい。だが皓一郎は僅かに眉を寄せ、呟いた。
「香り……ちっとキツい、か? まァ、大輪の美女だしよ、仕方ねェか」
「おうよ、最高級のレディ達の美の戦場だぜ。当然だろ」
アランがそれでも本国よりは淡い香りを、胸一杯に吸い込む。
土壌の違いで、日本で栽培された薔薇はこれでも香りが控えめなのだという。
「戦争……と聞いて来たが、思っていたのと違う、な?」
並んだ販売用の薔薇の鉢の中、ランベルセ(
jb3553)が腕組みする。
褐色の肌に白銀の髪の堕天使は、まだ人界の事情に疎いところがある。が、翼を不可視化する程度には、馴染みつつあった。
「おい、コレも一つの立派な戦争だ。薔薇なめんな」
アランが真面目な顔で、ランベルセを指さした。
「バイトとはいえ妥協はねえ。覚悟しろ」
「あー……ランベルセ、つったか、カートの言うことは適当に聞き流しとけよ。疲れンぜ。あと良いように騙されねェようにな」
苦笑いを浮かべた皓一郎に、目を伏せたランベルセは首を振る。
「いや、騙されたとは思わない。俺の思っていたものと違っただけだ」
天界と人界。過ごしてきた場所が違えば、思い違いも生じる。
これまでそれなりの量の資料には目を通してきたが、文字で説明される世界と、実際に触れる世界とには齟齬も多い。
細分化が進み、多様な文化が、価値観が、モザイクのように点在する人界は、ランベルセが戸惑う程に色々な表情を見せる。
まあ、稀に妙な情報を与える輩が存在することも、彼を戸惑わせている原因なのだが。
彼はそこに気付く程、世慣れていない。
「それに、ここは戦場と呼ぶにふさわしかろう。彼らの戦意はどうだ」
ランベルセの視線の先で、件の3会社の代表が、三竦みの態で睨みあっていた。
「必要ならば、俺も戦いから逃げはしない。妥協を許さないおまえに応えようではないか」
「よし、俺についてこい。人間の本当の戦いを、教えてやるぜ」
鉢植えを並べていた鈴木千早(
ja0203)と苑邑花月(
ja0830)が、思わず顔を見合わせる。
「まァ薔薇の方は精々頑張ってくれ。任せとくわ。お前らの漫才も悪くねェ」
皓一郎は販売所に隣接した、カフェの裏へと向かった。
●紅薔薇の貴公子?
出番を控えて、メフィス・ロットハール(
ja7041)は鏡の前で入念に自分の姿をチェックする。
お気に入りの白いジャケットに白い帽子。優雅に流れる赤い髪が、良く映える。
「ふっふっふ〜♪ やっぱり、白い服に赤は似合うわね〜♪ じゃ無かった。似合うな。うん」
メフィスはきりりと表情を引き締めた。
メイクは敢えて花に負けないように少し濃いめで、ばっちり上向きの睫毛としっかりアイラインで目力アップ。その端をちょっと上げて、きりりとした印象を演出する。
気分は、女性のみの歌劇団の男役である。
いつものスカートではなく、白のパンツスタイルで堂々と現れたメフィスに、赤河園芸の社長は目を細めた。
「やはりわが社の薔薇は格別ですな。綺麗な学生さんのお陰で、一層引き立つというものです」
帽子に添えた『まどろみ』は、白と赤を繋ぐようになじむ柔らかな薄紅。
胸に刺した真紅の『ダンスオブファイア』は、スーツの白を背景に、女王の威厳と風格をもって咲き誇っていた。
メフィスは芝居がかった調子で胸のバラを手に取り、目を閉じ、香りを堪能するようなしぐさでほんの数秒。
何が始まるかと期待する観客の視線を集め、頃合いを見てさっと手を差し伸べる。
「もうじき6月、6月といえばジューンブライド。乙女なら誰もが夢見る6月の花嫁、そのためには、プロポーズするなら今の時期がギリギリ!」
いや、さすがにちょっと間に合わないかもしれない。
だが薔薇の花束でプロポーズ、そういう気分は盛り上がる時期である。
「そう、そこの君!」
突然メフィスは、若い女性と手を繋いでパフォーマンスを見ていた若い男に向き直る。
「えっ!?」
きょろきょろと周りを見渡し、彼女と目を合わせ、またメフィスを見る。
「さあ、その胸に秘めた熱い思いをこの真っ赤な薔薇に託して!」
ゴージャスな大輪の紅薔薇を手渡すと、ほとんど無意識のように男は受け取る。
「ときには多少強引なぐらい、求められるのも嬉しいもの。ね?」
メフィスは当然よね? とでも言うように、彼女に向かってウィンクしてみせる。
何故か彼女の方がちょっと顔を赤らめた。頑張れ、彼氏。
メフィスは身を翻すと、良く通る声を響かせる。
「そこの君も!」
後方で面白そうに顛末を見ていた、別のカップルに新たな薔薇を差しだした。
「真紅の薔薇の花言葉は、燃えるような愛。ご存知?」
受け取った薔薇を、照れたように彼女に差し出す男性。沸き起こる拍手。
「この紅薔薇は、きっと思い出の中、永遠に咲き誇ることでしょう」
メフィスは最後に、深く一礼した。
●夢見る白薔薇
メフィスがパフォーマンスを繰り広げている間、伊那 璃音(
ja0686)は売店の作業所のテーブルに腰を据えている。
「……ほんと良い香り……」
思わず手が止まる程、甘やかな薔薇の香りが周囲に満ちていた。
香水などとは違う、みずみずしく新鮮な天然の香り。
うっとりと目を閉じていた璃音だったが、はっと我に返ると作業を続ける。
「は、お仕事しなくちゃ。一番好みのお花の希望を通しちゃいましたし」
せっせと手を動かしていると、声がかかった。
「ほう、綺麗なコサージュですなあ」
「あ、こんにちは。今日はよろしくお願いします」
顔を覗かせた岩白園芸の専務に、璃音ははじかれたように立ち上がるとぺこりとお辞儀。
「いやこれは、邪魔してしまいましたわ、こちらこそ宜しゅうに」
「はい、頑張ります」
嬉しそうに璃音が微笑む。
「あ、そうでした! 専務さん、すみません、ちょっと」
璃音は後を追い掛け、何やら話しこむ。
やがて準備が整い、璃音はステージに進み出た。
胸に飾るのは、透明なまでの白い『初雪』の一輪を、淡い紫の『叢雲』の小さな花が並んでふんわりと囲むコサージュ。
璃音は『初雪』の咲く鉢を抱え、軽く一礼。
空いた片腕を伸べ、すうっと広げると、『トワイライト』の輝きが生まれた。
アウルの光に照らされ、純白の薔薇は真冬の月のように冴えた輝きを放つ。
感嘆の声が沸き起こった。照り返す光に、コサージュの淡い紫の薔薇も、幻想的に浮かび上がる。
カメラを向ける人には、薔薇が美しく映るように角度を変えて光を添えた。
「如何でしょう、淡い光に映える清楚な薔薇……お店であなたとの出会いを待ち焦がれています。是非会いに来てくださいね」
光を掲げた腕を上げたまま、璃音はくるりと回り、元の位置で膝を屈めた。
「育て方のポイントも判り易くご説明します。皆様のお庭に迎えてあげてください」
顔を上げると、観客の後方でデジカメを持って手を振る、水杜 岳(
ja2713)の姿が目に入った。
璃音の笑顔がいっそう柔らかくなった。
●最前線にて
カフェのバックヤードで、皓一郎は色とりどりの薔薇の花弁を溢れさせている。
エディブルフラワーとして栽培された薔薇を、赤・白・黄と取り揃えた。
「何かお手伝いできること、ありますか?」
エプロンをつけた大八木 梨香(jz0061)が、遠慮がちに声をかける。
「大八木じゃねェか、ダンス以来だねェ」
「あ、その節はお疲れ様でした」
梨香はひょこりと頭を下げ、以前の依頼での皓一郎の姿を思い出す。
この人はいつでもどこまで本気か判らないような、気だるい雰囲気を漂わせている。
第一印象ではかなり近付き難いのだが、距離をとって見ていると、さり気ない気遣いや一言に気付かされる。ここぞという時のサービス精神は、目を見張るものがあるのだ。
「まだ人は集まってねェな。好きなン選べよ」
「花びら、ですか? ……では、赤を」
しばらく考え、梨香が指さした。
皓一郎はバニラアイスクリームをぽん、とガラスの器に盛り付けると、その上にはらはらと赤い花びらを散らす。
「再会の記念に、つうコトで」
「えっ……あ、有難うございます」
余り表情を変えない梨香だが、内心では絶叫中。こういうことがさり気なくできる人なのだ。
「3種、お気に召すままに、つう感じかな。んで後でさりげなく、選んだ色の苗に、誘導てェ感じで行こうと思ってンだ」
「3色が各社の代表の薔薇の色なんですね、素敵です。……ところでこれ、とても美味しいですね」
「そうか。アイスだのジュースだの……ンな手間要るモンじゃねェ、作ったわ」
「えっ」
いつの間に。
何も手伝うことなんてないんじゃないかと思いつつも、皿洗いぐらいはできるだろう。
そう思う梨香だった。
やがてパフォーマンスを見て、それぞれの薔薇に興味を持った人たちが売店へも立ち寄り始める。
「薔薇は人々を惑わすとして禁止された過去がある」
熱心に苗を見ていた女性の傍にさり気なく近付き、アランが低く声をかけた。
「それ程に美しく、人の心を奪う。レディ、貴女に相応しい花だと思わねえか?」
「えっ、ええっ!?」
いきなり現れた金髪の男が、妖しく微笑んでなんかすごいこと言い出したのだから、動揺もするだろう。
アランは馴れ馴れし過ぎない程度に、注意深く身を寄せた。
「折角だから苗から育てその魅力を取り込もうぜ。切り花もいいが、すぐに枯れる花なんて、綺麗なレディにはふさわしくねえ」
立て板に水とばかりに、薔薇の魅力を説き続けるアランを、ランベルセはじっと観察している。
「アランは良く舌の回る男だな、人好きのする」
「……お前が見惚れてんじゃねえよ、ランベ」
レジにレディをエスコートした後、戻って来たアランはランベルセを小突いた。
「……いい男、という表現で合っているのか判らないが。そう思っていたけだ、見蕩れてはない。俺のことは後だ、客に気を戻せ。余所見をしては失礼、だろう?」
「まあ俺が良い男である事は、動かしようがない事実だがな。よしよし、終わったら可愛がってやるからな」
ランベルセの頭をくしゃくしゃと撫でると、今度はアランは真剣な表情で苗を見比べている若いイケメン男に近付いて行った。守備範囲、結構広い。
残されたランベルセはその背中を見送る。
(女の子にはー、たまにはやっぱ花束とかあげなきゃねー☆)
……と、先輩は言っていた。どうやら人間の女性は花を喜ぶものらしい。
もう少し一般的な認識を確認する為には、ここで何が喜ばれるのか見るのも悪くないだろう。
そう思ったランベルセだが、当然、接客などは未経験だ。
無理もない、天界では思う様剣を振るい、勇猛を誇った天使だ。「いらっしゃいませー」などという言葉は明らかに似合わない。
(客として店に行ったこと位はある。だが、店の者がどうであったか覚えてはない)
ということで、空いた空間に苗の鉢を運び、奥の倉庫から肥料や土のパックを持って来ては補充する、裏方の仕事に専念することにした。
ざわめきが収まり、冷やかし客もはけた頃。
皓一郎が持ち込んだ荷物を広げた。
「このままぼんやりしててもしょうがねェな。楽器でもやりゃ……ちっとは気ィ引ける、かねェ」
出てきたのは、ヴァイオリン。
「普段弾くのは大概ギターだが、薔薇にゃこっちの方が合うだろ」
覗きこんだアランに、皓一郎がケースを突き出す。
「……柄じゃねェ、てのは承知だ、笑うなよカート。あァ、どうせなら付き合え、演れンだろ?」
「笑わねえよ、俺達には案外似合うさ」
ニヤリと笑い、アランはケースを受け取る。
2人が奏でるヴァイオリンが、薔薇園に新しい色を添える。
「皆さん、とても器用なんですね」
梨香が片付けの手を休め、聞き惚れた。
ランベルセも目を閉じ、音に耳を傾ける。
「楽器、はわからん。だが悪くない」
糸を擦り合わせて音を奏でる。何という繊細で柔らかな響き。
またひとつ、彼の知らない不思議な世界への扉が開くようだった。
●露に濡れる黒薔薇
来崎 麻夜(
jb0905)は、流れてくる音楽にふと顔を上げた。
だがすぐに、濃い紫の薔薇を自分のドレスに縫い止める作業を続ける。
黒いフリルのドレスに紫の薔薇は、細身の少女を何処か浮世離れしているように見せた。
「ふふ、できた。黒に合わない色はないんだよ!」
裾を持ってくるりと回って見せると、麻生 遊夜(
ja1838)は笑った。
「ん、今日も元気いいな……良いことだ」
本当は、そんな言葉が欲しい訳じゃない。それでも麻夜は、今この場に一緒に居てくれる先輩に笑顔を向けた。
「戦争かあ。どれも綺麗だからこそ……の戦いかな?」
「競争は向上心の源でもあるからなぁ」
「そうだね、うん、頑張ろうって思えるよね」
麻夜は意味ありげに呟いた。
やがて互いに目で頷くと、呼吸を合わせて、2人は進み出る。
音楽が流れる中、黒のタキシード姿の遊夜とドレスの麻夜が少し距離をとり、緩やかに踊り始める。
麻夜は遊夜に向き直ると、手にした紫の薔薇『コメット』を差し出し、相手の胸に添えようとした。
だが遊夜の胸には、黄色い『ラッキースター』が明るく輝いている。
麻夜は手にした紫の薔薇を、所在なげに漂わせた。遊夜が花に手を伸ばす。
(即席で考えたにしては良い線いってるやな、語呂的にも)
そう、麻夜の伝えたい事は判っている。
そしてそれは、どうしても叶えてはやれないことも。
遊夜は空いた腕で麻夜を抱き寄せると、つややかな黒髪に一度は受け取った花をそっと飾った。
――紫の花は、麻夜の元に戻って来たのだ。
そのまま物憂げな音楽に乗せて暫く踊った2人は、やがて離れる。
遊夜は手品のように新しい黄色の薔薇を取り出すと、優しく麻夜の手をとり、そっと甲に口づけた。
離れた麻夜の手には、いつの間にか黄色の大輪が握られていた。
麻夜の顔が、ほんの一瞬、泣きだしそうに歪む。
だがそのまま互いに礼をしたところで、音楽は終わった。
遠い空間を恒星に惹かれて飛来し、けれどまた離れて行く彗星の哀しみ。
観客の拍手の中、麻夜と遊夜は一礼し、パフォーマンスを終えた。
麻夜は黄色の薔薇を手に戻って来た。
「んー、ボクの現状を表してるようでちょっと切ないかも……その分、感情移入できたけどね」
本当に目指したのは『あい』の花。されど、届かなかった紫の花。
何故なら、既にそこには太陽のようにあの人を照らす、別の花が咲いていたから……。
黄色の薔薇を受け取ることは事前の打ち合わせにはなかった。
髪に紫の薔薇を挿してくれた、手の優しさはまだ余りに鮮明で。けれどそれは、明確で残酷な返答。
――受け取れない。
そして手渡された花は、おそらくこう言っているのだろう。
麻夜だけの為の、太陽を探せ、と。
「お疲れ様。ちょっと切ない感じだったけど、素敵なパフォーマンスだったよ」
黄田村園芸の常務の声に、麻夜は顔を上げた。
黒い瞳にかすかな憂いを漂わせ、尋ねる。
「ねえ、黒い薔薇ってないのかな」
「んー薔薇には黒い色素がなくてね。深い深い赤の品種を、黒薔薇って呼んでるんだよね」
黄田村は腕組みする。
「でも青や黒の薔薇って、あったら素敵だよね」
「いつかうちで作り出して見せるよ。僕は絶対に諦めないさ」
笑顔を見せる黄田村に、麻夜も頷き返す。
(ボクも、諦めないけど……ね?)
「でも今ある黒薔薇って花言葉怖いんだよ? 『貴方はあくまで私のモノ』っていうからね」
麻夜はそれにただ、ひそやかな微笑で答えるのだった。
●戦い済んで……
3社のアピールが終わり、いよいよ売店は賑わった。
ようやく客が引けて確認したところ苗は例年以上の売り上げを達成し、ローズガーデンの経営者である中島氏も、造園各社の代表も思わず恵比須顔。
「この薔薇を散らしたアイスは、なかなかええですな。今度から使わせて貰いますわ」
相変わらず調子のいい中島氏である。
苗の売り上げアップに対する貢献としては、アランと璃音の働きは目覚ましい物があった。
そもそもアランはどんな色だろうと全ての薔薇を愛し、分け隔てなく慈しむ。
薔薇のアピールにかけては、気合が違う。
「あのお兄さん、うちに就職してくれんやろか」
中島氏が感心する程の活躍だった。
璃音の方は、その後、分けてもらった切り花で、自分がパフォーマンスを担当した岩白園芸の薔薇を、他の2社の薔薇とを組み合わせて、リボンで飾る。
大好きな花に囲まれた、嬉しいアルバイト。
一番素敵だと思ったのは白薔薇の初雪だけど、オレンジやピンクの愛らしさもとても素敵だ。
「初雪の白と、まどろみの淡いピンクはとても合いますし。紫のグラデーションになる、叢雲とコメットの取り合わせも素敵だと思うんです」
小瓶に生けると、いずれの花束も互いの良さを引き立てた。
それはつまり、庭に咲かせたときの取り合わせの美しさをも思わせる。
「1種類だけでも素敵ですけれど、こんな楽しみ方も如何でしょう」
その言葉に促され、もう一本、と手が伸びる。
「有難うございまーす!」
重い荷物を客の代わりにレジに運び、岳が元気よく声を出す。
だが、姉さん格の璃音は軽く背中をつつく。
「タケくんほらもっと笑顔!」
「わかってるって!」
当たりが柔らかい割に、頼み事上手な従姉に苦笑しつつ、岳は一生懸命裏方を頑張った。
空いた時間には花の好きな従姉の為に、園内の様々な薔薇をデジカメに収めている。
きっと喜んでくれるはずだ。
「あ、そうだ。皆さん、記念写真撮りますよ!」
岳はようやく一息ついた仲間に声をかける。
「ほらほら、園長さんも社長さんも専務さんも常務さんも一緒に!」
パシャリ。
それぞれの薔薇を前に並んだ一同は、なんだかんだで同じ薔薇を愛する者同士、仲良く写真に収まった。
●薔薇の香に寄せて
「そろそろ時間、か」
アスハ・ロットハール(
ja8432)はメフィスの仕事が終わる頃合いを見計らって、薔薇園にやってきた。
いつもの服に着替え、濃いメイクも落としたメフィスが、駆けてくる。
「もしかして待ってくれてた? ごめんね」
「いや、今来たところ、だ」
メフィスは嬉しそうに微笑みかける。さり気なく差し出される飲み物も、阿吽の呼吸。
「バイト、どうだった? 疲れただろう」
「ふっふっふ、そうねー。よかったんじゃないかな? 普段しない格好や口調も面白かったわね」
大好きな薔薇の咲き乱れる中を、今度は大事な人と一緒に、心ゆくまで楽しめる。
「ああ。……男装も、良く似合っていた、な」
「えっ見てたの、どこで? 気付かなかったわ!」
目を見張るメフィスに、アスハの表情がほんの僅か緩む。
川縁に張り出した黄色の蔓薔薇が、はらはらと花弁を散らしている。
見渡すと、オレンジとピンクの薔薇のアーチが覆う、白い金属製のベンチがあった。
(……こういうのも偶には、いいか)
らしくない。自分でもそう思うが、アスハはそのベンチにメフィスを誘う。
「ロマンチックな場所ね」
メフィスは一瞬、緑の瞳に悪戯っぽい光を浮かべたが、それ以上は何も言わずふわりとベンチに収まった。
並んで腰を下ろした夫の腕につかまり、あの花が綺麗、あの形が好き、と見て回った薔薇について語る。
アスハは言葉少なに、だが妻の優しいおしゃべりに、心から頷く。
他愛もない、そんな会話が、飽きずにずっと続く相手。
付き合いだしてもうすぐ1年だが、かけがえのない存在。
彼女と逢ってから、世界には優しさと安らぎがあったことを思い出した。
「ね、アスハはどの薔薇が好き?」
こちらを向いたメフィスに、そっと差し出したのは隠し持っていた1輪の紅薔薇。
「これが、似合う……と、思ったのでな」
「ありがとう、でもどうしたの?」
嬉しそうに受け取るメフィスに、アスハの表情も和む。
「1年間アリガトウ、と……これからもヨロシク、かな」
薔薇の花より華やかな笑みが、メフィスの顔に浮かんだ。
「さて、折角だし全部周りましょ? 付き合ってもらうわよ、これからもずっと!」
ずっと、2人で歩いていこう。いつまでも、いつまでも。
「先輩、こっちこっち!」
麻夜は遊夜の腕を引っ張り、薔薇園に誘う。
(とりあえず、今日だけは先輩とデートだ……!)
先程までの憂いは忘れ、今はただ、このひとときを思いっきり楽しみたい。
濡れた黒い瞳で遊夜を見上げる様は、まるでちぎれんばかりに尻尾を振って主人との散歩を待ち焦がれる子犬のようだ。
「あんまり急ぐと転ぶのぜ。ほら、そこ」
「あれっ!?」
細い散水ホースに躓いてよろめいた麻夜を、遊夜は慌てて抱きとめる。
「ほら、言わんこっちゃねえ」
「あ、ありがと、先輩」
直ぐに離れるだろう腕の力強さは、切ないけれど、やはり嬉しくて。胸が苦しくなる。
(依頼に託けて誘ったけど……これくらいは役得だよね?)
目指すのは、黄田村常務が言っていた黒薔薇と呼ばれる、濃紅色の薔薇。
見つけたそれはやはりどう見ても、紅薔薇だった。だが陰の部分の暗さは、確かに黒を思わせる。
「すごい色の薔薇だやな」
「でも、本当に綺麗だねぇ」
目に焼き付けて、麻夜は踵を返した。
「もういいのか?」
「うん、他の薔薇も見ようよ!」
いつかまた切なくなった時には、あの薔薇が胸によみがえるだろう。
そして繰り返す言葉は――。
「そうだ、何か食べるか。今日は頑張ってたしな。欲しい物があれば買ってあげるとしよう」
残酷な優しさなのに、どうしてこんなに嬉しいのか。
いっそ冷たければいいのに。いや、そんな人じゃないから、こんなに胸が熱くなる。
「うん。じゃあ、アイス食べたい」
「よしよし、じゃあ好きなの選べや」
いっそ、今日が終わらなければいいのに。
少女の切なる願いは、氷菓のように儚く溶けて行くのだろう。
シンプルで分厚い園芸用のエプロンを外し、璃音はほっと一息つく。
「お手伝いありがとう、タケ君。後はゆっくりしていいみたい」
ジュースの容器を手渡すと、岳が嬉しそうに笑った。
「璃音もお疲れー。でも何だか楽しそうだったな」
「うん、ちょっと疲れたけど、とっても楽しかった!」
そこでまだ、胸に白薔薇のコサージュをつけていたことを思い出す。
(これはこのままでいいかな)
「あ、ちょっと待っててな」
岳が席を立ったかと思うと、すぐに戻って来る。
「ほらこれ、確保しておいたんだ」
得意そうに差し出すのは、白薔薇の花弁を散らしたアイスクリーム。
「すごい、ありがとう!」
「あっちで食おうぜ。のんびりできそうだしな」
川からの風が心地よいベンチに並び、薔薇園を眺めながらアイスを食べていると、バイトの疲れも風が何処かへ運び去るようだった。
「ね、ゆっくり1種類ずつ、薔薇を見て歩きたいの。折角の機会だから」
璃音は岳を薔薇園に誘う。
色も形も様々な薔薇を丹念に眺め、その香りを吸い込む。
岳はデジカメを構え、従姉に呼びかけた。
「ほら薔薇と一緒に撮るから笑え〜」
その言葉に、璃音は思わず笑ってしまう。
広い薔薇園も、2人で一緒に回ればあっという間に思えた。
咲き誇る薔薇の中でもひと際見事な、白薔薇のアーチに辿りつく。
きっと次に強い風が吹いたら、吹雪のように花びらが散ることだろう。
「ね、タケ君」
璃音が岳の袖を引く。
「ここで2人で撮りたいな、記念に。いいでしょ?」
「えー? 別にいいけど」
オートタイマーのデジカメをセットし、璃音は岳に寄り添った。
――under the rose.
白薔薇が2人を見下ろしていた。
●紅薔薇のGentleman
皓一郎が洗い場を片付け終え、奥から出てきた。
「やれやれ、終わったか。折角だ、見て回るか……つっても、そろそろ口寂しいンだがよ、流石にもうイイだろ」
胸のポケットから流れるような動作で取り出した煙草は、指先からあっという間に消え去った。
「薔薇が集う空気に不釣り合いだろ。帰り道にでも一緒に吸おうぜ」
アランがニヤリと笑い、指先で煙草を弄ぶ。
「お前さん、人から取り上げるその仕草、妹そっくりだねェ……酒取られたン、思い出したわ」
皓一郎が苦笑いを浮かべ、煙草を取り返すと、元の場所にしまう。
以前、酒を飲み過ぎると言って、瓶を取り上げられたことを思い出したのだ。
「まァ仕方ねえか。確かにここじゃ煙草の匂いは邪魔でしかねェしな」
2人をランベルセが、じっと見つめる。
「何? お前さんも煙草吸うンだっけ」
「煙草? 俺は触ったことがないが。仁科は、アランと……同じような匂いがするな? それが煙草の匂いなのか?」
生真面目にそう質問され、皓一郎が笑った。
「ま、煙草の代わりにゃならねェが。これでもやっとくか」
アランとランベルセの前に、ジュースのグラスとアイスクリームが置かれた。
「器用だな、仁科」
男3人、アイスを囲むの図。
「さて、休憩も済んだな。礼ってわけじゃねえが、ひとつ薔薇を買ってやるよ」
アランは張り切って薔薇の苗を選び出す。
「苗を貰うのはいいが、育てられるだろうか?」
ランベルセが困ったように言った。
「そこは頑張るんだろ。育ったら何処ぞのレディにでも贈ったらどうだ? ヤル気も出るってもんだぜ」
訳知り顔でアランが頷く。人の恋路は応援する主義。なんだかんだで面倒見のいい男だ。
「では蒼い花が咲くのはどれだ? 蒼がいい、それなら大切にする」
真剣な表情でランベルセが言った。
彼にとって、蒼い薔薇は特別な意味を持つ。愛しい、特別な花。
「残念だが、青い薔薇は『不可能』を意味するってえぐらいで、苗にはねえんだ。今一番青に近いのはコレだな」
青紫に近い、柔らかな形の花の写真が下げられた苗を、アランは取り上げる。
「そうか、完全な青にはならないのか。いや、消えない赤……で紫か。悪くない」
鉢を受け取り、ランベルセは思いを馳せる。
頑張って育てたとして、贈った相手が枯らしてしまいそうなことが、一番の問題なのではないだろうか。
「仁科、これきっとお前に似合うぜ」
「育て方なンざ知らねェが……まァ、くれる、つうなら庭にでも植えるわ」
良く見ると、アンティークな雰囲気の漂う、クリームがかった大輪の白。何処か高貴で、女性的な薔薇だ。
「だがよ、何でソレだ、お前さん、相変わらず発想が面白ェわ」
笑う皓一郎に、アランはほんの僅か真顔になって、言った。
「……怪我、余り無茶すんなよ」
「そんなトコも、兄妹で似てンな」
皓一郎はアランの肩を、軽く叩いた。
アランは、自分も一つの苗を手に取る。
形の整った、目の醒めるような真紅の花を咲かせるだろう、薔薇の苗。
大事に面倒を見て、見事咲かせたら大事な妹に贈ってやろう。
きっと、喜ぶ。
薔薇園を辞するとき、中島氏は何度も礼を言った。
「ほんま、おおきに。また来年も、良かったら遊びに来てくださいよ」
直接対決を免れて気が削がれたか、造園会社の3人も揃って見送ってくれた。
薔薇園が見えなくなっても、身体に纏いついた薔薇の香はいつまでも漂うようだった。
<了>