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乾いた土埃が舞い上がる。
サーバント達の一群が、城門をすり抜けていった。
川上が狩り漏らした撃退士達を追う為だ。
見送る小青(jz0167)は表情を変えることなく告げる。
「ひとつ、貸しにしておきます」
偶々サーバントが遭遇したことにしておく。そういう意味だ。
川上は黙って肩をすくめ、了承の意を示す。
(先日からこちらを嗅ぎまわっていたネズミ共だな……余り多くは出せぬが、居場所が知れたならば追えるか)
青い道服の少女の金目が、ほんの僅か細められた。
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緊急召集に応じた一同に、夜来野 遥久(
ja6843)が借り受けた光信機をそれぞれ手渡す。
「志を共にする者ならば、それが天使でも悪魔でも同士に変わりはありません。必ず、無事に全員で帰還しましょう」
青灰色の瞳に、迷いのない光。
飽くまでも静かな表情のまま、断神 朔樂(
ja5116)が言った。
「……助けろという任務なら助けるまでで御座る」
そう、例えそれが憎むべき堕天使だとしても。
(奴は人を一度救った。ならば、俺も一度救おう)
冷たい表情の下に、滾る憎悪を今だけは押し込める。
ルチャーノ・ロッシ(
jb0602)が葉巻の灰をトン、と落とす。
「必要なのは堕天使の救助のみ、敵全部倒す必要はねぇ、か……? 随分とお優しい仕事だな」
然程感慨の籠らぬ口調で、遥久の横顔をちらと見遣る。
ルチャーノにとって戦う理由はシンプルだ。敵なら斬る、それだけだ。
味方にすら、興味はない。どうせ今回限りの同行者だ。
だが例外もある。
(借りっ放しは、性にあわねぇしな)
若干不本意な経緯ながら、泰然自若とした目前の青年の、秘めた熱さは知っている。
だが言葉にしたのは全く違うことだ。
「おい半裸の餓鬼、あんまりはしゃぐンじゃねぇ」
彪姫 千代(
jb0742)はルチャーノの強面を、キョトンとした表情で見返す。
だがすぐにいつも通りの満面の笑みだ。
「おー! おっさんも頑張るんだな。俺も頑張るぞー!! 堕天使助けに行くんだぞー!」
龍騎(
jb0719)が口をとがらせた。
「救出、とか、あんまキョーミないケド。シュトラッサーはキョーミあるから出てくればいいのになー。あ、でもチヨ、今度また怪我したら怒るんだからな!」
だが千代は全く動じない。
「リュウは絶対、無理はしたら駄目なんだぞ!! リュウのことは俺が守るんだぞ!」
「バーカ、守らせるかって! 余計なコトしたら許さないから!」
口は悪いが、1人で飛び出す親友にはいつも歯がゆい気持ちを抱えている。
友達なんだから、力を合わせて頑張ろう。本当はそう伝えたいのだが。
そこで龍騎はふと、思案気な大八木 梨香(jz0061)に気付く。
「梨香、ヘンな顔してどうしたの?」
「えっ……あ、すみません、なんでもありません」
梨香が珍しく、ぎこちない笑顔を向けた。
マーシー(
jb2391)が声をかけた。
「大八木さん、準備は大丈夫ですー?」
黒髪の少年は、この状況下でも穏やかな表情を崩さない。
凡人を自称する彼は、己の出来ることとできないことを冷静に見据えている。
「こちらには『盾』が必要なのです、お願いできます?」
「はい、私にできることなら。こちらこそ宜しくお願いします」
龍騎が梨香の顔を見上げた。
「また盾するの? 気を付けなよ?」
以前にもこの地で共に要塞に攻め込んだ戦友だからこそ、気遣い、任せる。
龍騎なら、無理そうな相手には『やめとけば?』とはっきり言うだろう。
「有難うございます。でも龍騎さんとトラさんの方こそ、気をつけてくださいね」
「リュウはダイジョーブに決まってるダロ!」
ぷいと龍騎が横を向いた。
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大通りを折れ、小路に入る。
堕天使が囮となって戦っている場所まで、然程時間はかからないはずだ。
人の営みが絶え廃墟のようになった町屋に、足音が響く。
思った以上に入り組んだ狭い路は、そこここに『何か』が潜んでいそうだった。
駆ける一団の最後尾で、黒井 明斗(
jb0525)は唇を噛み締める。
思うさま力を発揮できない重体の自分自身が悔しくてたまらない。
だが、無茶をして足を引っ張るのはもっと耐えがたかった。
(何もできない、わけじゃない)
自分の安全を確保しながらでも、できることはある。そう自分に言い聞かせる。
やがて小路の彼方、細い軒と軒の隙間に、群がるサーバントが見えた。
「一気に攻めるんだぞ! リュウ! フォローは任せたんだぞ!!」
「フォローだって? それイキナリ言う?」
「くれぐれも無理はなさらずに」
遥久が千代と龍騎にアウルの鎧を纏わせた。
「ま、それじゃあヤッちゃおうか」
己の気配を消し、軒先に潜み、一気に距離を縮める。
千代の挨拶代りの『朧隼』が獲物を狙う猛禽のごとく、グレイウルフの毛皮をズタズタに引き裂く。
そのとき、脇の路地から何かが飛び出した。
舞い上がるのは、白い翼を広げた人影。
「おー? 天使なのかー! 助けに来たんだぞー!」
「……!?」
軒を蹴り、方向転換。秀麗なその頬は血に濡れていた。
これが件の堕天使、ネフラウスらしい。ふわり、と一団の頭を超えて着地。
およそ人間が想像する、天使らしい天使。長いウェーブの金髪を一つにまとめている。
「邪魔だ、下がれ」
朔樂が感情を押し殺した声をかけ、後ろに庇う。
彼にとって、天界に属した存在に対する、これが精一杯の譲歩だ。
「こちらへどうぞ! 後は僕達に任せてください!」
明斗が声を張り上げた。
明らかに疲労しきっている堕天使の姿に、早く何とかしてやりたいと気が急く。
「頑張りましたね。交代します、敵にはくれぐれも注意を」
遥久が声をかけると、堕天使はさっと顔を上げ、早口で告げる。
「助かる……すまぬが、連れがいる。人間の少女だ。大怪我をしている。助けてやってはくれまいか」
「そちらは別の味方が向かっています。安心してください」
明斗の言葉に、力が抜けたようにネフラウスが地に膝をついた。
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仲間と別れて、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)、マーシー、梨香は小路を曲がった。
並んで走ることもできぬほど細い、薄暗い石畳の路地を、目指す地点へ向かってひた走る。
「その戸の奥のはずです」
梨香が指さす家の奥、湿り気を帯びた畳の匂いに、鉄臭さが混じる。……大量の流血。
横たわる少女の姿がそこにあった。
「すぐ楽にしてあげますよー」
どこか不穏な台詞のマーシーが駆け寄り、傷の具合を調べる。
(貴女が助からないと『覚悟』が無駄になるんです……戦ってる皆さんの覚悟も、ネフラウスさんの覚悟も)
手に纏わせた銀色の光をおもむろに捻じ込む。
(だから、助かってください!)
「……うっ!」
少女が眉をひそめた。まだ、息はある。
「保護完了、あとは帰るだけですよー」
マーシーの声が聞こえたのかどうか、少女は再び、くったりと力を抜いた。
「保護対象を確保しました。本部へ搬送します」
マキナが光信機で、戦闘班へ連絡を入れる。
「急ぎましょう、余り状態が良くないようです」
梨香が低く呟いた。
少女を担ぎあげたマーシーに、『シバルリー』の加護を纏わせる。
「……姉貴よか軽いですね」
誰にも聞こえない程の声で、マーシーは呟いた。
懐かしいような、苦しいような気持ちに心臓が締め付けられるが、感傷に浸る暇はない。
今来た道へと3人は駆け出す。
路地を抜け、先頭のマキナが通りに出る直前だった。
「……来ます!」
マーシーの声と同時に、空を切る音。突然の業火が一同を襲う。
「……!!」
狭い路地が幸いした。イフリートの炎は梨香の楯に遮られ、マーシーとその肩の女子学生には届かない。
マキナの右腕から湧き上がる黒い焔が、全身を包みこんだ。
「行ってください」
短い言葉が全てを語る。
自分達の任務は、女子学生の救助。ここで皆で焼かれる訳にはいかない。
「でも!」
「属性差はありますが――とは言え、この程度で抑えられるつもりもありませんので」
迷う梨香に、静かに、だが決然と言い放つ。
Deus ex Machina――終焉の幕を引く、機械仕掛けの偽り神。
護る力を持たぬ身なれど、全ての敵を屠り“終わらせる”事こそ救済への道筋。
故に、この場は自身が引き受けると。
「……判りました。くれぐれもお気をつけて」
梨香は持てる技を使い、マキナの加護を祈る。
「では行きますよー。大八木さん、お願いしますね」
他に敵がいないとは言い切れない。
マーシーと梨香は、南西の自陣目指して駆け出した。
マキナは軽く身を沈めると、力強く地を蹴り、イフリートに向かって突っ込む。
鋼糸に四肢を絡め取られ、火精は地面に叩きつけられた。
それでもなお顔を上げ、真っ向から炎を吐く。
マキナは己が身を焦がす炎をただ感じ、見据え、突進を止めない。
アウルを籠めた拳を叩きこむと、火精はその勢いに弾き飛ばされ、暫し痙攣したように路地に転がった。
「この終焉が救済とならんことを」
再び打ち込まれた拳に、火精の硬い皮膚が破れ、伝わる衝撃が骨を砕いた。
息絶えた敵も、己の傷をも意に介さず、マキナは東で戦っているであろう仲間の元へと向かう。
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追い掛けていた堕天使の姿を追って、サーバント達は押し寄せてきた。
千代と龍騎が並び立ち、その背後から朔樂が睨みを利かせる。
ルチャーノは拳銃で支援しつつ、周囲を警戒する。
(向こうの餓鬼と女どもが逃げ切るまで、精々こっちで引きつけねぇとな)
大狼は獰猛だが、まだましだ。増援さえ呼ばれなければ、然程脅威ではない。
厄介なのはイフリートである。
透過能力を使って狭い路地から路地を自由に移動し、短距離とはいえ厄介な飛行能力で軒から軒を飛び回る。
多少は知能があるらしく、こちらの動きを読んでいる風さえあった。
「グレイウルフ狩り優先、だっけ? ま、ガンガンいって全部やっちゃえば関係ナイよね!」
「リュウ!! 危ないのは駄目なんだぞ!!」
「ヨユーだし。チヨこそムチャクチャすんなよな!」
子供がじゃれているような会話だが、グレイウルフは、交互に繰り出される攻撃に、翻弄され、次第に消耗して行く。
「――我が刃、ただ殺す為に」
千代と龍騎の影に集中力を乱される敵に、力を溜め機会を伺っていた朔樂の大太刀が振り下ろされた。
頭を叩き割られた大狼が手足をひくつかせて転がる間に、朔樂は次の敵に向かう。
だが、それは両刃の剣だった。
強さを見せつけた以上、相手には脅威。少なくともイフリートは、そう判断したらしい。
「おい餓鬼ども、気をつけろ!」
ルチャーノの牽制射撃を建物に身を沈めてかわし、火精は思わぬところから姿を現す。
2体のイフリートが軒の上から、路地から、炎の帯を吐きだしたのだ。
「リュウ、危ないんだぞ!」
「バカッ、チヨ何を……」
「ぐっ……!」
朔樂は腕で頭部を庇い、周囲を見回す。
狭い路地に逃げ込む先はなく、こちらには透過能力もない。
救護対象の堕天使をかくまう遥久と重体の明斗は、最後方から動けない。
そこに猛火が地面を舐めて襲いかかった。
龍騎を守りたい一心で、咄嗟に千代はその炎に身を晒したのだ。
直前まで相手に対する脅威だった冥界の気は、天界の炎の威力を増してしまう。
「チヨッ……!!」
倒れる親友の姿に、龍騎が目を見張る。
「馬鹿正直に突っ込む奴があるか」
ルチャーノが呆れたように言いつつ、背中に千代を庇いイフリートを狙う。
その隙に龍騎が千代の身体を抱え、後方に下がった。
「こちらへ!」
ぐったりとする千代の姿に、明斗の顔色は蒼白だ。
――恐ろしいのではない。無念さの故だ。
自分が万全であれば、もっと違う手が打てたはずだ。
そこにようやく、救出班からの連絡が入る。
「救護者確保、完了したそうです。阻霊符を使います」
遥久の右手に、雷が宿る。その目は建物を破壊して飛び出すイフリートを見据えていた。
「……ここより先、通せると思うな」
霊符から氷の刃が無数に現れ、跳びかかる火精の身体に突き刺さる。
倒す必要はない。ただ、怪我人を無事に逃がす為に、時間を稼ぐだけだ。
「断神殿、黒井殿、ネフラウス殿を連れて先に引いてください」
遥久の言葉に、龍騎が血相を変える。
「撤退!? マジで言ってんの!? アイツら倒さずに帰れる訳ないダロ!」
「龍騎殿、彪姫殿を任せます。無事に連れて帰ってあげてください」
「ヤダ! ヤダヤーダー!!」
「とっとと行け。ダチ殺してぇのか」
叱責に渋々龍騎が従うのを確認し、ルチャーノは遥久に並び立つ。
「お付き合いいただき有難うございます」
薄い微笑に、ルチャーノはただ鼻を鳴らす。
そして返事の代わりに、温存していた一撃を叩きこんだ。
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撤退する戦闘班に、マーシーは女子学生が無事に自陣に到着したことと、命に別条がないことを報告する。
「ではお気をつけてー。本部に帰るまでが戦場ですよ?」
光信機を置くと、治療を受ける女子学生を振り返った。
(命さえあれば、なんとでもなるんです)
ほどなくして全員が顔をそろえることとなる。
「皆さん、大丈夫なんですか? ……って、トラさん!?」
色を無くして目をぐるぐるさせていた梨香が、堕天使の姿にはっと顔を強張らせた。
朔樂は、抱えていたネフラウスを救護班に引き渡す際に、赤い瞳に炎を閃かせる。
「……堕天使、今回は助けた。次はないと思え」
堕天使が少女を守ったからこそ、参加した。
そうでなければ、許しがたい存在を助けることなどなかっただろう。
朔樂程激しくはないにせよ、ネフラウスを見る梨香の視線もまた、優しいものではなかった。
それら全ての意味を、堕天使はおそらく理解しているのだろう。
彼らには彼らなりの生があり、選択があり、今ここにいる。
「それでも礼を言わせて貰いたい。貴殿らの尽力に心から感謝する」
軽く頭を下げ、ネフラウスは救護班に連れられて行った。
作戦の成功は、女子学生と堕天使の命を救ったことは勿論、学園に重要な情報をもたらすこととなった。
女子学生がしっかり身につけていたデジカメからに残っていたのは、南東要塞攻略の足がかりとなる貴重な映像。
そして、撃退庁の職員を名乗る男の顔。
明斗は自らも念のためと救護班に連れられ、そこでネフラウスの話を聞く機会を得た。
その詳細な内容は、学園のデータベースに保管されることとなる。
一見して普通の中年男。おそらくは、シュトラッサー。
「撃退庁の職員とて、単独で歩き回りはしないでしょう。しかし……厄介な」
遥久はいずれまた相まみえるかもしれない男の顔を記憶に刻む。
陣地から望むと、京を取り巻く山々が、春霞の彼方に柔らかな緑を湛えていた。
明斗は唇を噛み締め、東北を望む。
そこに聳えるのは、京の街に異容晒す南東要塞。
「次、万全の時をみてろ」
普段は温和なその顔に、強い決意が漲った。
ほどなくして、南東要塞攻略作戦が決行されることとなる。
<了>