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見上げれば、青い空。本来ならば遅い春が寿ぐ大地。
その乾いた水路に、桜井・L・瑞穂(
ja0027)は身を潜ませた。
(漸く再び見える機会が巡って来ましたわね)
視線の先には、ひと際目を引く緋色の天馬。
その背に跨るサキュバス(jz0187)の顔は、忘れようにも忘れられない。
以前に相まみえたときに、イリーナと名乗ったヴァニタス。
瑞穂の矜持は、人間を見下すその存在を認めない。
撃退士達は、それぞれに身を隠す。
獅童 絃也 (
ja0694)が静かに呼吸を整え、眼鏡を外した。
鋭い眼光が露わになり、剥き出しの闘志が迸る。
「稼ぐ時間は10分か、途轍もなく長くなりそうだ」
迫り来るディアボロの群れとまともにやり合っては、自分達はともかく、恐怖に慄く多くの一般人の犠牲が増える。
そうさせないのが彼らの役割だ。
頃合いを見て、天ヶ瀬 焔(
ja0449)が身を起こした。
その赤い髪の色にも似た光が、足元から捻じれながら炎が燃え上がるように身体を包み込んだ。
「先ずは洗礼だ、受け取れっ!」
サキュバスにつき従う、巨大なサソリと半身半馬の槍兵たち。
それらに向かって、光の尾を引いて無数の彗星が降り注ぐ。
瑞穂が毅然と顎を上げる。
「さぁ、此の即興劇。見事最後まで踊りきって見せますわよ……!」
焔の描いた光跡を避け、瑞穂の導く彗星が空を裂く。
それが宣戦布告。
「御機嫌よう、イリーナ。私を覚えていて下さいましたかしら?」
瑞穂が朗々と呼びかけると、赤い天馬の背で女が顔を向けた。
「……随分と乱暴なご挨拶ですわね? ああ、いつぞやのお嬢さんね。その目、覚えてましてよ」
真っ直ぐな少女。その光はヴァニタスの嗜虐心を擽るのか。
「名乗らせて頂きますわ。わたくしは桜井・L・瑞穂! 今度は、ゆっくりと遊んで下さいまし」
「ふふ、私もこれで忙しいんですのよ。今度暇なときにでしたら喜んで」
サキュバスは手綱を引く。流石にそう簡単には挑発に乗ってくれない。
「行って良いと、言った覚えはありませんわ!」
振り上げた瑞穂の手には、光の槍。
渾身の『ヴァルキリージャベリン』が、天の輝きを帯びて魔界の天馬の後脚を貫く。
暴れる天馬をサキュバスは宥め操り、地上に降ろす。
「……後悔しないことですわね」
広がる金の髪が、白い頬と凄みを帯びた赤い瞳を彩る。
古島 忠人(
ja0071)が思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「美人のねーちゃんは好きやけど、相手が悪いわな。本当の意味で吸い尽くされたら敵わんわ」
サキュバスが腕を振ると、ぞわり、と、巨大なサソリが向きを変えた。
「ちっと面倒な依頼やけど、気合入れて行くかのぉ」
初見の相手である。何が有効打となるか、まずはそこを知らねばならない。
射程の長い拳銃を具現化し、構える。これが効かねば、順次手を変えて。
「派手に暴れてくれたのぉ、この町の美少女美女に代わってワイがお仕置きじゃー!」
躍り出ると、アウルを籠めた弾丸を放つ。
アクセル・ランパード(
jb2482)が白い翼を広げた。
人の子を天魔の災禍から守る為に、天界を捨てた天使。
彼にとって、人々を救うための時間稼ぎという役割はまさに望む所である。
「人の盾、剣となるが我が使命。思う存分やらせてもらいましょう」
ふわりと空へ舞い上がる。
上空からは、全体が良く見える。
デスストーカーは両の鋏と尾を使い、容赦なく仲間を責めて立てていた。
(1人に攻撃を集中されると、かなり厳しいですね)
鋏を振り上げたサソリの前に、急降下。
「さぁ、俺はこっちですよ!」
敵は視界を過る影に、意識を向ける。
振り上げた尾をアクセルに向けた隙に、焔がハルバードを構え接近。
「緋き先導の志士、天ヶ瀬だ、此処から先には生きて往けると思うなよ。食らえ!」
戦斧の鎚を、鋏を狙って叩きつける。焔の腕が痺れるほどの衝撃。
――硬い。
焔はハルバードを構え直し、身体を支える肢を狙う。
大きな図体の敵、攻撃は当たる。
だが振り回す巨大な鋏と尾は、間近で当たればただでは済まないだろう。
「図体はでかくても攻撃が大雑把なら大したことないのぉ。これなら、どないや!」
忠人が己を鼓舞するように軽口を叩く。銃を忍術書に持ち替え、激しいアウルの水泡を叩きつけた。
サソリの巨体が、びくりと震えた。
すぐさま、忠人めがけて猛進。明らかに忠人を敵と定めた行動だ。
「魔法が苦手か? 古島さん、やりすぎないように気をつけてください!」
焔が忠人に声をかける。
「おっと、せやったな! あんま嬉しない相手やけど、暫くデートして貰わんと!」
忠人は再び拳銃を手にする。
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サキュバスは、2体のサソリを前進させ、2体のサントールに己の周囲を固めさせる。
初撃で傷ついたサントールは猛り狂い、突進してきた。その数、2体。
メンナクこと命図 泣留男(
jb4611)が光の翼を広げ宙を舞う。
「哀れだな、ストリートを飛べない奴は!」
手にした拳銃の射程距離ギリギリを維持し、銃撃。
傷つけすぎないように、しかし舐められないように。2体にまんべんなく。
人馬は、黒い衣装に身を包んだ男を追って駆け出す。
「やれやれ、今は女って言う気分じゃないってのに……まあいいさ、戦わないワルは伊達の彼岸にたどり着けないからな」
髪を振り乱すサントールに、流し目。
「シャイニー過ぎて……ごめんな?」
まあ勿論、敵はそんなことを気にしてはいないのだが。
神嶺ルカ(
jb2086)は、異形の物たちをどこか意識の遠くから眺める。
(混乱を招いて恐怖に陥れる……ああ、嫌やな、あかんわ)
一見青年のように見える長身が、ほんの僅か揺れた。
(おっと、あかんな、あかん。怒ったかて見え辛なるだけや)
気を取り直すと、メンナクを追って畦道を移動する。
ショッピングセンターに置いて来た人達に、約束した。
『大丈夫、必ず助けます』
(……絶対なんて、あらへんわ)
そう思いつつも、優しい微笑を後に残して。
(さあ、いつもの僕は、清く正しく彼らに共感し、綺麗に嘘をついて)
メンナクを追うサントール達、その殿の1体に斬りかかる。
「おいでよ、じゃじゃ馬お嬢さん」
蹄を田にめり込ませ、後ろ足で地を蹴ると、ルカの肩を砕かんと前足が迫り来る。
「はは、強烈」
柔らかな口調とは裏腹に、緊急活性化したバックラーで蹄の重い衝撃をようやく受けた格好だ。
まだ水が入っていないとはいえ、田は足場も悪い。
「これは確かにダンスには不向きだ。……だけど熱く過ごせそうじゃない?」
もう一蹴りと構えるサントールに、剣を構え突きかかる。
向坂 玲治(
ja6214)の手に光が宿る。
「10分間時間を稼げ、か……いつもの事ながら無茶を言うな」
その口ぶりは余りヤル気を感じさせないようだが、敵を前にして引く気はない。
「まぁ、いつも通りに何とかしてやるさ」
目を僅かに細め、ニヤリと笑みを浮かべる。
と同時に、跳び出した。
「まずは一当て、押し込んで主導権をもぎ取るぜ」
突き出した掌から、強烈な光の一撃。サントールがたたらを踏む。
魔に属する者に対して、致命的な一打。だがそれは、逆の効果も招く。
振り乱した髪を朱に染め、敵を踏みつぶそうと迫る。
渾身の蹴りをどうにか受け止める玲治。腕が軋み、痛みが全身を駆け抜ける。
「それだけか? あんまり舐めてっと痛い目みるぜ?」
構えた楯に体重をかけて圧しつけ、クロセルブレイドの魔法の刃を突き立てた。
シュトルムエッジを嵌めた手に、力を溜めていた絃也が、目を開く。
地面に彼の踏み締めた跡が黒々と刻み込まれる。
バネが弾けたように絃也が飛び出した。
アウルを籠めた重い一撃が首にめり込むと、ごきり、という音がして、人馬がよろめく。
絃也はいったん間合いを取る。
腰を落とし、上半身の力を抜くと、いずれの方向にも動き出せるように再び態勢を整えた。
「手間がかかるな」
唸り声を上げ槍を掲げるサントールを睨み、絃也は呟く。
手負いの獣は、槍の切っ先を絃也の首筋に向けて繰り出した。絃也はそれを肘で払い除け、致命傷を避ける。続いて蹴り付ける足に膝を叩き込むと、敵はバランスを崩した。
「余り長引かせると面倒だ。こいつはとどめを刺す」
「いいぜ、せめて最後ぐらいは華麗にダンスを踊らせてやるぜ」
メンナクの牽制攻撃に、膝を折る人馬。絃也の拳が、眉間を突いた。
一方でデスストーカーは、持ちこたえること自体が厳しかった。
「こんの、デカブツが!」
忠人が作った視界を阻害する靄の中、サソリの尾はそう簡単に当たりはしない。
それでも交互に繰り出す両の鋏と尾を避け続けるのは、なかなか骨が折れる。
「せめて、尻尾ちぎったる!」
尾と胴体の付け根の細い部分。そこなら、上手くすれば切り離せそうだ。
だが狙いをつける間に、サソリはこちらを狙って接近して来る。忠人は敢えて逃げず、銃を構えた。
「……ッ!」
鋭い針が、肩口に突き立つ。だが同時に発射された弾丸が、狙ったポイントを穿った。
「もう一発……!」
痺れる身体で無理やり銃を向けるが、巨大な鋏が忠人を叩く。
吹き飛ばされた忠人に瑞穂が素早く駆け寄る。
「しっかりなさって!」
癒しの光が忠人の肩を温かく包む。
長い戦闘時間を維持する為に、使い処を見極めねばならない。瑞穂の眉に険しい気配が宿る。
「ぬはは! ワイは立ち上がるぞ、何度でもなっ! 綺麗なおねーちゃんの癒しがあれば……」
「さあ、次は鋏ですわ!」
「あ、待ってぇな、ワイ一応怪我人……」
瑞穂に引き摺られるように、忠人は戦線復帰する。
厄介な尾は、先に潰してしまえば多少楽になる。
焔は『装焔騎』を纏い、身を楯にしてサソリの前に躍り出る。
敢えてハルバードを派手に振りかぶり、敵の接近を待つ。
アクセルがその上空を旋回し、今まさに焔を狙って振り下ろされようとする尾に、稲妻の矢を撃ち込んだ。
「その厄介な尾、此処で潰させて貰います!」
持ち替えたランスを構え、落下の勢いのままに尾の付け根の一点を打ち抜く。
体液を撒き散らし、痛撃に暴れるサソリの鋏に叩かれ、アクセルの身体が弾き飛ばされた。
「こっちへ!」
焔が背後にアクセルを庇い、鋏を受け止める。
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サキュバスは小さくため息をついた。
「……案外、使えないのね」
デスストーカーのことだ。
(この程度の人数に抑えられるようでは、使い方を考えなくては駄目ね……)
脇のサントールに合図を送ると、進み出る。
瑞穂がそれに気付き、仲間に警告する。
「イリーナに接近しすぎないでくださいませ! 距離を取れば、おそらく魅了から逃れられますわ!」
かつて遭遇した際の経験だ。
だが、ディアボロを置いて逃げるわけにもいかない。
ルカが重い剣を構え直し、ふと微笑する。
「とてもじゃないけど、魅了されないなんて自信がないよ」
天馬に跨るサキュバスは、美しかった。それが例え、禍々しい存在だとしても。
「でもきみももちろん魅力的だ、ずっとこっちを見ていて。よそ見しないで」
歌うように言葉を紡ぐと、新手のサントールの動きを封じるべく、踊るように足を踏み出す。
サキュバスが自ら動き出した以上、ディアボロは減らしておかねばならない。
「すみません、そちらは任せます!」
アクセルはデスストーカーに向き直る。
「……その代わり、此方はキッチリと押さえ込んでおきますから」
「美人のお誘いに乗れんのはほんま、残念なんやけどのぉ」
忠人もアクセルに倣う。
「いくでっ!」
サソリはまだ、尾を切り離しただけだ。全員がサキュバスに対応できる状況ではない。
瑞穂が進み出た。
「やっとこそこそ隠れるのをやめる気になりまして?」
仲間にサキュバスを近づけないため、敢えて挑発する。
「ミズホ、だったかしら? やっぱり貴方の光、好きだわ。残念ね、撃退士じゃなければ仲間にしたいぐらい」
サキュバスがくすくす笑う。
「偽物の力など、私には必要ありませんわ!」
瑞穂が蛇腹剣をしなる鞭に変え、サキュバスに叩きつけようとする。
「こういう美人とは鉄火場で会いたくはなかったが、そうもいってられないな」
後に続いた玲治が瑞穂の反対側に回り込み、氷の刃を繰り出す。
「あらあら、元気のいいこと!」
サキュバスは嫣然と微笑むと、手綱を引き、鞭を振るった。
「ッ……!!」
長い鞭が玲治の首に絡み、大地に引き倒す。そのまま踏みつけようとする馬の脚を、焔のハルバードが薙いだ。
「貴様には、ココで退場してもらうぜ……ッ!」
身を守るは、アウルの炎の鎧と、お守りのブレスレット。
(俺の彼女の方が断然魅力的だっ! 魅了など跳ね除けて見せるっ!)
固い決意と信念を胸に、ヴァニタスを睨みつける。
その隙に音もなく近寄った絃也が、グリースを天馬の脚に絡めた。
痛みに嘶く馬が躍り、サキュバスの気が逸れる。
絃也はグリースを操り寄せ、今度はサキュバスの腕に絡めた。
「縛られた気分はどうだ、このまま暫く遊戯、デートと洒落込むか?」
剣呑で獰猛な、剥き出しの敵意。
だがサキュバスは静かな微笑を崩さない。
「素敵な提案ですわ。でもちょっとこういうのは戴けませんわね」
花のような唇が、ふとゆるんだ。
「改めて伺いますわ。貴方の敵は誰?」
サキュバスの腕に絡んだグリースが、ほどけた。
焔の戦斧が振り上げられ、玲治に向かって打ちおろされる。
瑞穂の鞭が絃也の脇に食い込み、絃也の拳が瑞穂を襲う。
「ふふ、最後に立っているのはどなたかしら?」
サキュバスの笑みが残忍なものになる。
「とんだ性悪女だぜ」
空から降りてきたメンナクが、倒れた焔を抱えて再び舞い上がる。
「おっと、俺が気になるかい? やめときな、俺の微笑み一つで女はみんな倒れ伏す」
サキュバスは、突然馬の首を巡らす。
瑞穂の剣が、その首を貫いていた。魅了に捕らわれたふりをし、反撃の機会を窺っていたのだ。
「今ですわ、皆様を!」
「煙草の持ち合わせがなくてな、別れの印はこれで我慢するんだな」
舞い戻ったメンナクが、発煙手榴弾をサキュバスの顔めがけて投げつけた。
立ち上る煙に、周囲が包まれる。
その隙に焔と絃也をそれぞれ抱え、瑞穂とメンナクはサキュバスの傍を離れた。
その時だった。
遠く、彼方からわっと人の声が上がる。仲間の総攻撃が始まったのだ。
長い10分が今、終わった。
「……そういうことね」
煙の晴れた中、遠くを見すえていたサキュバスが、ふと笑った。
「でも、二度とこの手には乗りませんわよ」
傷ついたディアボロ達を呼び寄せると、サキュバスは風のように駆けて行った。
座り込んだ玲治が息を吐き、空を仰いだ。
「お仕事終了! さっさとズラかるぜ」
後に残された撃退士達も、かなりの傷を負っていた。
だが、持ち場は守りきったのだ。
見上げた春の空は、人と冥魔の戦いなど知らぬように、美しく青く広がっていた。
<了>