●捜査開始
画面に並ぶ『唇拓』。
一般的には『キスマーク』と呼ばれる物だが、当人達がサイト上で『唇拓』と呼んでいるので、それに倣う。
「女の子にとって唇は大切なもの。それを……酷いです」
雪成 藤花(
ja0292)が常になく語気を強める。
もし自分が被害者で、大好きな人にこんなものを見られたら……。
そっと見た先には、いつも通りの穏やかな笑顔で星杜 焔(
ja5378)が、PCに向かっていた。画面の淡い光を受けた顔に妙な迫力が漂う。
周囲に聞こえないような低い声で一言呟いた。
「唇弄ぶ輩許すまじ」
滅せよ変態、滅びよ変態。焔の指が猛スピードで、キーボードの上を踊る。
蒸姫 ギア(
jb4049)も別のPCで同じ画面を見る。
「『唇拓』、人界で流行りだしたんだ……確か魔界でもちょっと前に……」
魔界の連中が意外と可愛いような気もするが、そもそもギアがいた『ちょっと前』が3世紀以上昔のことなので、その頃はまた違ったのかもしれない。
「こういう事に執着している連中は、日頃の言動でポロッと手がかりを漏らしていることもあるんだよね……」
焔とギアは『唇拓』に併記された情報――1枚ごとのおよその取得場所と日付、時間帯、推測年齢――をまとめ上げ、そこに法則性を見出そうとしている。
水屋 優多(
ja7279)はサイトのチェックを済ませ嘆息した。
「だめですね、海外のサーバーを使っているようです。情報の開示請求にはかなり時間がかかってしまいます」
その気になればサイトを見られないようにすることはできるだろうが、他のサーバーに移されてはいたちごっこになる。
「それにしてもこのサイト、知り合いが被害にあったらと思うとよい感じしませんね」
優多が唇を引き結ぶ。
メリー(
jb3287)が大八木 梨香(jz0061)におずおずと声を掛けた。
「あの……大八木さん……良かったら、なんですけども。メリーと一緒に聞き込みして頂けたら嬉しいのです……」
小柄な身体にふわふわウェーブの赤いロングヘア、うるうると見上げる赤い瞳。
「私で良ければ。一緒に頑張りましょうね」
メリーの表情がパッと明るくなる。事件解決への意欲はあれど、初対面の相手、しかも事件の被害者に面談するとなると、やや心許ない。だが誰かと一緒なら大丈夫だ。
「はいっ嫌がる女性を襲うなんて許せないのです! メリーのお兄ちゃんみたいに、男性は紳士であるべきなのです!」
「メリーさんにはお兄さんがいらっしゃるんですか」
綺麗に地雷を踏み抜く梨香。以降肝心の捜査開始まで、メリーの兄萌え語りは続くのだ。
やがて被害者たちの証言を得て戻って来る2人。ディバインナイトの『紳士的対応』がこの場合、いい方向に作用したこともあるだろう。
犯人は毎回、現場に被害者に塗った口紅を残していた。現物は全員が気味悪がって捨てていたが、およその色やブランドなどは記憶鮮明だった。……悪い方向に。化粧品メーカーにとっても迷惑な話である。
だが口紅のメーカーも価格も色も統一性はなく、ここから犯人にたどり着くのは難しそうだった。
それでもサイトの情報はほぼ裏打ちされた。
また実際に会って、被害者の特徴が絞られた。身長はおよそ140〜160センチ、ただし身長の高い被害者は華奢な体格である。
「犯人が事前にターゲットを絞っていた可能性は低いね〜」
焔が聞きこみ情報を前に呟く。
被害者は寧ろ普段、その時間にそこを通らない者が多かったのだ。
「でもそれなら、おびき出せるかもしれませんね」
躊躇いがちに藤花が口を開いた。
「あ、そうそう、もうひとつわかったことがあるんです!」
メリーが付け加える。全員、ほぼ表通りから暗い道へと外れた後に襲われていた。
「ですので、明るい道でターゲットを確認してから、後をつけてるんじゃないでしょうか」
「なるほどね〜逆に逃亡するときは、犯人はすぐ人混みに紛れ込めるということだね〜」
頷きながら、焔はメモを取る。
こうして情報を落としこんだ地図を手に、若杉 英斗(
ja4230)は現地調査へと向かう。
「被害者は怪我はしていないそうだけれど、野放しにはしておけないしな」
昼間見る限りは、危険とも思えない場所ばかりだった。それだけに被害者達も然程警戒はしていないだろう。彼女達の通ったらしいルートを自分の足で確認し、英斗は考え込む。
●作戦展開
「ええと、これって必要でしょうか……?」
梨香が慣れないコンタクトとミニスカートに疑念を口にする。
「良く似合ってると思いますよ? ちょっと大人っぽい服も偶にはいいのでは」
藤花がにっこり微笑む。
「犯人はつやぷる唇が好きらしいからね〜もしもの時は大八木さんにも、タウントで逃亡の足ホイホイできないかなと思って〜」
焔は何だか嬉しそうだ。
「え、タウントを使うのなら、ミニスカの必然性は……」
「もっと堂々としてた方がいいよ〜」
そんな焔の傍で、藤花がふと不安そうな表情を浮かべた。
ふんわりワンピースに、柔らかなニット。ナチュラルメイクにベビーピンクのグロスリップで、飽くまでも年相応のお洒落にとどめている。
そっと見上げると、焔が大丈夫だと言うように頷く。
(そうですね、ちょっと怖いけど……大丈夫、焔さんもいますし)
ぎゅっと両手を握りしめると、焔がそっと手を添えた。
「うーん、こんな感じでしょうか?」
メリーが鏡を覗きながら、緊張の面持ちで細身の口紅の色を乗せる。
(ほんとは初めての口紅はもっと可愛い色ので、お兄ちゃんに見せたかったな……)
敢えて選んだ派手目の口紅に眉をしかめる。
「上手だと思いますよ」
女子学生の制服に着替えた優多が笑顔を向ける。
先程藤花に習って、どうにか終えたやや濃い目のメイクで実際の年齢より少し大人びて見えた。
「犯人は濃い目のメイクを狙ってくるという情報もありますしね」
それでも緊張しているのか、自分では気付かないうちに髪をまとめた母の形見の髪飾りに手をやっている。
「人界ではこう言う時、男が変装して捜査するってギア聞いたから……好きでこんな格好、するわけじゃないんだからなっ!」
こちらも女子用制服を着込んだギアが、長髪のかつらをバフっと被った。
誰かに間違った情報を教え込まれたようだが、本人は信じ込んでいるらしい。
しかも何やらいい匂いがすると思ったら、肉まんがふたつ置いてあった。……仕込むのか、それを。
「でもとても似合いますよ、ああ、お手伝いしますね」
笑いをこらえながら、髪をポニーテールにするのを梨香が手伝ってやる。
「ギア、捜査の為に仕方なくなんだからなっ……!」
頬紅より赤く頬を染め、ギアがそっぽを向く。
「そうですよね、悪いのは犯人ですから! 絶対捕まえましょうねっ」
「大八木さん、あまり気負いすぎないようにね」
英斗が大真面目に声を掛ける。
準備が整うと連絡先を交換し、各自が持ち場へと向かう。
犯人の狙いがつかみきれないので、これまでの被害者の条件を参考に、優多、小柄な藤花とメリー、ギアの3組で事件が集中している近くの繁華街を流して歩く。それから少し時間をずらして、わざと暗がりへと移動するのだ。
20時を回ろうかという頃、優多が緊張した様子で繁華街を外れた。
サガ=リーヴァレスト(
jb0805)が『サイレントウォーク』を使い、距離を置いてあとを追う。
「さて……いつ来るか……」
大通りからそう遠くない場所だが、3組が被害に遭っている地点だ。食品スーパーが20時で閉店すると、急に人通りが途絶える。住宅街へと続く道は、並木と電柱が視界を遮る。
「……来ないか」
サガとは道を挟んで優多を追っていた英斗が呟く。
暫く歩いたところで優多は交差点を折れ、お役御免となる。そこからは捕獲メンバーに加わり、サガと英斗はまた大通りの方へと向かう。
ストリートの帝王メンナクこと命図 泣留男(
jb4611)は、黒い獣のように夜の闇に溶け込んでいた。
「ふん……なかなかにクレイジーな連中だな。今宵はお前達のナイトメアで酔わせてもらうとしよう!」
今日の彼は普段の道行くガキ共がひれ伏すらしいクールなファッションは封印している。
「くくく……レアでモダンなセクシャル感を完全マスターだぜ」
実は結構これで彼は優しい。
なので、いざというときは囮の女性陣の身代わりに……と、女装をキめてきたのだ。
だが究極の媚薬・紫に輝く口紅も、リアル舞台チークも、筋肉質の身体に纏った黒のゴスロリワンピースも、もうナンメク自身が歩くナイトメア状態である。
ぼっち属性に特有の『いないいないスキル』(※撃退士スキルではない)で闇に溶け込む焔は、その姿をふるふる震えながら見守る。
そこに、何事か囁きながら藤花とメリーが歩いて来る。その背後から、数人の人影が近付くのが見えた。
「後ろに、足音が……」
「しますね……!」
守ってくれる人は、もう少し先。
思わず足早になる藤花の肩が突然、誰かに掴まれた。
藤花は悲鳴を飲みこみ、『星の輝き』を使った。暗がりに光が満ちる。
●犯人確保
光から顔をそむけ、逃げ出そうとする犯人達。
「逃がさないのです!」
メリーが『タウント』を使うと、手前の1人が抗い切れず足を止めこちらを向く。そこにカラーボールを投げつける。
「藤花ちゃん!」
目の穴をあけた白いシーツを被った焔が『小天使の翼』で宙を舞う。
「ここからは逃げられませんよ!」
並木の影から飛び出した梨香を合わせて、『タウント』祭である。
そこに優多が駆けつけ、『異界の呼び手』で立ち止まった2人の動きを完全に封じた。
「伊達ワルは女を泣かせるようなことを許しはしないのさッ!」
メンナクがドレスを翻して空から舞い降りると、素早くロープで縛りあげる。
その間にも駆け出す者達。そのスピードに、英斗が阻霊符を使いながら叫んだ。
「少なくとも一般人じゃない、遠慮はいらない」
「こちらは任せろ」
気配を消して駆け寄ったサガが、不意打ちを食らわせ地面に転がす。
「大人しくしろ……!」
『上にも一人……注意して!』
ギアがサガに向かって、音にならない声を掛けた。
闇色の翼を広げ、今にもサガを殴りつけようとしていた相手に体当たり。
その間に英斗は『小天使の翼』で宙に舞う。
「現行犯だ! 観念しろ!!」
態勢を崩した相手を、地上に降りながらロープを絡め引き倒した。
「これは焼肉食べた後の年配男性に直で塗った口紅です。証拠隠滅や嘘等あれば君達に塗って差し上げます。サイトにあげていた『唇拓』の場所を吐きなさい」
大事な彼女を怯えさせた変態、まじ滅ぶべし。
普段の笑顔も消え、眼に異様な光を湛えた焔が口紅片手に凄む。
無言で座り込み項垂れているのは、縛りあげられた4人の男。
「……ほぅ……言う気はない、か。ならば、言う気になるまで唇の皮を一枚ずつナイフで削り続けてやろうか?」
サガの目が本気だった。
流石に多勢に無勢、観念したようにすぐ近くの寮を白状した。
そこはこれまでの犯行現場のほぼ中心であった。どうやら犯行時間が22時頃までだったのは、寮の門限があったためらしい。
「これで全部ですね!?」
メリーがクリアファイルをチェックする。中には『唇拓』がやたら丁寧に保存されている。
「これは預かって置くぜ」
メンナクが学園に提出するつもりで4人の学生証を取り上げる。
ナイトウォーカー2名が『ハイドアンドシーク』でターゲットの背後から近寄り身柄を確保、インフィルトレイター2名が『夜目』で『唇拓』採り……という、悲しい程のスキルの無駄遣い。
「俺というブラッカー(※黒色愛好者の意)の名に賭けて、誓いな! もう二度としないとな。だが念のために」
「あ、ちょっと待って!」
カメラを取り出したメンナクを、メリーが止める。ポケットから取り出した、グロスつやつやの口紅を4人に塗りたくると、ティッシュオフ。
「もしまたやったら、この『唇拓』を学園内外に写真付きで張り出すのです。あとネットにも提示するのです!」
藤花が諭すように尋ねた。
「……どうしてこういうことをしようと思ったんですか?」
何となく最初から、藤花は犯人なりに何か理由があるのではないかと思っていた。
勿論それが勘違いなら、容赦はしないつもりだ。
サガが重ねて尋ねる。
「女子の唇のみ狙っていたようだが……その理由は?」
犯人の1人が、顔を上げた。ピンクのグロスリップのつやつやが眩しい。
「だって、女子の方が可愛いじゃない!」
サガが一瞬よろめく。
「そうよ! 最初から可愛いからって、油断して手を抜くのが許せないワ!」
「ガサガサも許せないし、似合わない色もあり得ないし!」
「ちゃんと未使用の口紅使ってたんだから!」
口々に喚く、オレンジ、ベージュ、ローズの唇。オネエMANの団体だった。
梨香が辛抱強く確認する。
「つまり貴方達は、女子を可愛くメイクしたかったと?」
「貴様らそんな理由で犯行に及んでいたのかぁぁ!」
一番近くで頷いたオレンジ唇を、サガがハリセンで殴りつけた。
彼らは自称・メーキャップアーティストの同志だった。
だが文化祭でアドバイスの出店を出しても、誰も寄り付かず。冬の様々な行事にも出番はなく、やさぐれた結果の犯行だった。
「……だからといって、相手が喜んでくれなければ意味ないよ」
ギアが言うと、突然顔を赤らめた。
「こ、これは、喜んでないってば! ギア、女装趣味はないんだからなっ!」
ポニーテールのかつらを外し放り投げる。
「それだけの強い思いがあるのなら、何度断られても続けるべきですね。勝手に塗りつけるのでは単なる嫌がらせですよ?」
藤花の言葉に、4人は揃って下を向く。
「パソコンは証拠として確保ですよね?」
騒ぎをよそに、英斗と焔がてきぱきとコードを外して行く。アクセス履歴を解析すれば画像の広がりも判るかもしれない。
(心の傷も消してあげられたらいいんだけど……)
焔は被害者たちを思う。
「二度とこんなことはしないと誓うんだ。そうすれば、寛大な処置がある……かもしれないぞ」
英斗を縋るような眼で見る相手に、一応言ってみた。
「ああ……ぷるぷる唇が……!」
「誰がタラコ唇だ!!」
ごすっ。威力を弱めたシャイニングフィンガーが炸裂する。全然寛大じゃないのは気のせいか。
メンナクが倒れた男に語りかけた。
「お前たちのクレイジーさ……それでいて何処かセクシーさを感じさせる美学、嫌いじゃないぜ」
ポケットから紫の口紅を取り出し、念入りに塗り直すと、天使の微笑を浮かべた。
「いいぜ、俺の唇拓……好きに取りな」
唇を突き出すと、男達に迫る。
「俺という、漆黒の闇に魅せられて堕ちた本物の天使……その唇なら価値はあるだろう?」
嫌がらせではない。メンナクは心から彼らに妥協点を提示したつもりだ。
だがそれは、彼らの心に闇の刻印を遺すナイトメアに他ならなかった。
<了>