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マスター:樹 シロカ
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
参加人数:8人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2013/04/02


みんなの思い出



オープニング

●凶報
 滋賀県北西部にある自宅で、大村健造はその知らせを受け取った。
「何、修司が……?」
 修司は健造の2歳下の弟である。
 温厚で保守的な健造と、切れ者で行動力に富む修司とは、それ程仲が良いとまでは言えなかった。それでも、特に問題のある兄弟関係ではない。
 故にその一報に、健造は大いにショックを受けたのだ。
 書斎の扉をそっとノックする音に、健造は思わず声を荒げる。
「誰だ!」
 か細い声が聞こえる。
「あの、亜矢です。お茶を淹れてきたんですけれど……」
 先刻頼んだ事を思い出し、健造は娘の亜矢を呼び入れる。
「どうしたんですか、お父さん。お顔の色がすぐれないようですけれど」
 そう言って気遣う娘の顔色自体、青白いと言っていい程のやつれ具合だ。
 それも無理のない話である。
 長らく一緒に過ごしてきた婚約者の奥居一彦が、つい先日ヴァニタスとなって戻って来たのだ。
 一彦は亜矢の目の前で、叔父の修司に刃を突き立て、いたぶった。
 気の弱いところがある程に優しい性格だった一彦の変貌に、健造自身が戦慄した程だ。
 そして健造はじめ、大村家の主要な者は悟ったのだ。
 ――奥居一彦は、大村家を恨んでいる。
 大村家は数々の事業を手掛ける地元の名家で、健造は今の当主である悟一郎の長男にあたる。
 娘を下がらせ、健造は部下からもたらされた凶報を、改めて噛み締める。
 一彦に大怪我を負わされ入院していた修司が、殺された。

 修司は特に一彦に辛く当っていた。
 長男の健造には、娘しかいない。なので順当に行けば、修司はいずれ大村家の中で健造に次ぐ地位を得る。
 だが遠縁の子供であった一彦を、当主の悟一郎は末弟の史郎の養子にし、実際は手元に置いて育てていた。何故そうしたのかは聞かされていない。ただ大人しげな割に、頭の切れる子供だったとは思う。
 そんな一彦が、修司には目障りだったのだろう。実際に両者の間に何があったのか、詳しくは知らない。
 ただ本家で居心地悪そうにしている少年を不憫に思い、健造は自宅に引き取った。
 それで解決すると、思っていた。

 健造が担当しているのは建設部門で、その関連会社には警備会社もある。
 ヴァニタスとなった一彦が執拗に修司を傷つけていたことから、修司の入院先は一族の一部の者にしか知らせず、特別に警備もさせていた。
 だが今朝、修司は特別室のベッドで無残な姿となって発見された。
「……いくら悪魔とはいえ、人間の考えを読んだりはできないはずだな」
 健造は思わず、つい先日化け物の爪で抉られた己の肩を押さえる。
 彼は、確信した。一族の誰かが一彦側についている。
 そして一彦が恨んでいるのが大村家そのものだとしたら……。
 健造は電話を取り上げ、本家の警備を厳重にするよう指示を出す。


●混乱
 大村亜矢は尋常でない父親の様子に、つい電話の内容を盗み聞きしてしまった。
(おじい様を……? まさか、あの人がそこまで……)
 だが、先日の一彦の顔。叔父の修司を蹂躙し、痛めつけることに後ろめたさは微塵もなかった。いや、寧ろ快感に酔いしれていたと言っていい。
 実際に自分の眼で見るまで、どこかで彼がヴァニタスになったということも信じられないでいた。
 しかしあそこにいたのは、自分の知る一彦ではなかった。
 ――今思い出しても、ぞっとするような冷たい瞳。
 亜矢はそこで固く目をつぶり、激しく頭を振る。
 違う、違う。
 あの人はやっぱり、一彦さんだ。
 だって私がピアノの蓋を閉じて自分の指を挟もうとしたとき、動きを止めていた。
 あの時の目は、優しい一彦さんのものだった。
 話に聞いたことがある。ヴァニタスなら、ディアボロと違い感情が残っているのだと。
 それなら、もしかしたら……。
 亜矢は自室に戻ると、携帯電話を手に取る。


●蠢動
 大村史郎は、寝室に音もなく現れた影に怯えたような眼を向ける。そいつが口を開いた。
「お義父さんのお陰で、まずは一番の目的が達成できましたよ」
 そいつはヴァニタスだ。会話ができても、得体の知れない存在なのだ。
「大丈夫、お義父さんも怪我をしたんですから、疑われる心配はありません。あと2つだけ。頼みをを聞いてくれれば、悪いようにしないと約束しますよ」
 弱いルームライトに照らされる、若い男の横顔。嗤っている口元すらまともに見たくない。
「判ってる、既に手配は済んでいる。運転は私がする。後のことは、私は知らん!」
「それで結構です。では、行きましょうか」
 
 ライトを消したトラックが、国道を逸れ、湖岸へ近づく。
 まだ気温は低いが、どことなく春の香りを漂わせる琵琶湖の水面は穏やかだった。
 その水面に、ばしゃり、と大きな物が跳ねる。
 奥居一彦の足元に、ずんぐりした巨大な爬虫類のような生き物がにじり寄った。
「待たせたなハンザキ。カダ様には少々窮屈をお願いすることになるが」
「来おったか。まあ少しの時間は仕方があるまいの」
 トラックの荷台の扉を開くと、そこには巨大な水槽があった。
「お主はどうする」
「もうひとつの用件を済ませて、追いかける。ここまではやらせてくれる約束だろう」
「仕方あるまい。くれぐれもカダ様に頂いたお力を無駄にするでないぞ。肩は大丈夫なのか」
 一彦は唇をゆがめた。
「大丈夫だ。じゃあ、行ってくる」
 一台の車が、滑るように走り去った。


●覚悟
 大村悟一郎は、庭の桜の古木を見上げていた。
 まだつぼみは固いが、寒さの中じっと機会を待っているような、静かな力が漲る。
「会長、そろそろ中へお入りください。夜は危険です」
 息子の健造が寄越した警備員だ。おそらく撃退士なのだろう。
 危険か……。
 それを及ぼすのは、義理の孫の一彦。
 遠縁とはいえ一族に連なる者を野垂れ死にさせるわけにもいくまいと引きとったが、どうやら一彦にとっては余り幸せなことではなかったらしい。
 確か一彦が高校生の頃だった。交通事故に遭い、母親は亡くなり本人は大怪我をした。
 ……悟一郎の2番目の息子、修司が関わっているという噂もあったが定かではない。
 その修司が命を奪われた。ほんの少し前には、娘婿も亡くなっている。
 もしそれらが全て、一彦の思惑なら。
 これ以上被害が広がる前に、この老いぼれの首を差しだしてやってもいいだろう……。
「おじい様、体が冷えてしまいます。そろそろ中へ」
 孫娘の亜矢が呼ぶ声に、悟一郎はその思いを強くするのだった。


●依頼
 斡旋所に張り出された依頼内容と場所に、中山律紀(jz0021)は目を止めた。
 詳しく話を聞こうと職員に確認する。
 依頼主は予想通り、大村亜矢。これまでに3度依頼を持ちこんでいる。
 いずれも彼女の婚約者が関わっている事件だ。そして今、かつての婚約者・奥居一彦は、ヴァニタスとなって災厄を振りまいている。
 亜矢の希望は、彼が自分の祖父を殺すのを止めて欲しいということだった。

 だが律紀はそこに疑念を抱かざるを得なかった。
(ヴァニタスがいるということは、作った悪魔がいるはずだよね……)
 悪魔が人間の復讐に手を貸し、無駄に人間を殺させることを容認するものなのだろうか。
 どこか腑に落ちない物を感じつつ、律紀は依頼を受ける手続きを取った。


リプレイ本文

●桜の庭
 屋敷はただ静かだった。
「桜、もうすぐ咲きそうですね!!」
 庭の南西に枝を広げる樹を見上げ、藤咲千尋(ja8564)が言った。
「もう咲いてる頃だと思ってました!」
「この辺りは、近畿の中ではちょっと遅めかもですねー」
 マーシー(jb2391)が地元民らしく解説する。
「もうすぐ見頃になりますねーそういえばあのホテル、今どーなってるんでしょうね? 今回の報酬にホテル無料券追加です? なんてね」
 あながち冗談ばかりでもない口調で、笑みを向ける。
(……地元を悪魔の好きには、させたくはない)
 内心の感情は全く窺い知れなかった。

 任務2日目の夕刻。広い客間で撃退士達はお互いの情報を交換する。
 依頼内容はこの家の主、大村悟一郎の警護。彼の長男である健造が、警備員としてプロの撃退士を呼んでいる。彼らは3班に分かれ、常に屋敷の内外を見回っていた。若杉 英斗(ja4230)とRehni Nam(ja5283)もそれに加わっている。
 ヤナギ・エリューナク(ja0006)が大村亜矢から聞きこんできた、この家に関わる情報を報告する。
「ホテルで一彦に襲撃されていたのが、修司だったよな? んで、もう1人怪我してたのが……」
 亜矢によると、同じ事件で外に倒れていたのが、一彦の養父にあたる史郎だった。
「あの人は修司氏に比べたら、怪我は軽かったはずだよ」
 そのときに史郎を見つけた中山律紀(jz0021)だ。
 事実、史郎はその後数日入院しただけで、自宅で静養していたという。
 巌瀬 紘司(ja0207)が地図を広げた。
「その史郎さんだが……」
 大村家の関係者は一様に、ヴァニタスとなった奥居一彦の襲撃に怯えている。
 その為、久遠ヶ原の名前を出すと比較的スムーズに情報をくれた。
 その中で唯一、史郎だけが今朝出社して以来、連絡が取れなくなっているという。
「関連企業の生鮮品運搬用の大型トラックを1台持ち出している。GPSで現在位置を特定できるはずなんだが、どうやらそれが故障したらしく、所在も不明だ。最後に確認されたのが、この辺り」
 地図に付けられた赤い丸。それは事件の発端となったホテルと、暴走族襲撃事件のあった琵琶湖岸、そして奥居一彦が住んでいた別荘の付近だった。
「一応警察に不審車両の確認頼んどくか」
 ヤナギが苦々しげに言うと、紘司が頷いた。
「このことは学園にも報告した。修司さんが襲われている以上、内通者がいる可能性は高いだろう。ただ判らないのは、悪魔が奥居さんを取り込んでからも大村家に関わらせる理由だ」
 一彦自身がヴァニタスとなる際何かしらの取り引きをした、悪魔にとっても何か益がある可能性。
 となれば、やはり一彦から情報を得るしかない。
「亜矢に頼むしか、ねえんだな」
 ヤナギは再会した時に、憔悴しきっているにもかかわらず笑って見せた亜矢の身を案じる。
 先日の事件で一彦は、亜矢のヒステリックな行動にほんの僅かながら戸惑いとも見える反応を示した。
 もしかしたら人間であった頃の記憶、負の面だけでない感情が、多少なりとも残っているのかもしれない。そこを突けば今回の一連の事件の裏側について知ることができる可能性がある。
 それができるのは亜矢だけだろう。
 だが、ヤナギは迷う。情報の引き出しに失敗した場合、そこに待つのはヴァニタスとしての一彦との対決だ。
(亜矢は……そこまで納得できんのかな)

 佐藤 としお(ja2489)が拳を握り、悔しそうに声を絞り出す。
「僕達は、同じ世界に暮らす事は出来ないのかな……!」
 例え天魔でも、判り合えると信じていた。信じていたかった。
 だが、人の身でありながら悪魔の眷属となったヴァニタスは、もう人ではない。
 それでもまだどこかで、一彦が罪を悔い、亜矢と二人で静かに暮らせないかという望みを捨てきれないのだ。
 自分が当の一彦から痛手を負わされても尚、としおはそれを望んでしまう。
「ヴァニタスになったらもう生きてはいないって、ギアよく知っているから……」
 少女のような外見に反し齢経たはぐれ悪魔、蒸姫 ギア(jb4049)が一見冷たくも見える表情のまま、淡々と呟いた。
 大方の事情は、過去に事件に関わった者から聞いている。
「むしろこのままじゃ亜矢が可哀想な気が……」
 そこでふと、紅玉の瞳に感情の片鱗がよぎる。
「って、別にギア同情なんてしてないんだからな、今回も人界で騒動起こるのが嫌なだけだっ」
 千尋がその言葉に、笑いをかみ殺す。だがすぐ真顔になると、部屋を見渡した。
「ここで、一彦さんはピアノを弾いていたんですね」
 14歳でこの家に来た一彦は、毎日のようにこの部屋でピアノを練習していたらしい。
 昨夜悟一郎は今にも命を狙いに来るであろう義理の孫の話を、寧ろ同情するかのように語っていた。
 一彦の実父は亡くなっている。事業に失敗し、自ら命を絶ったのだという。
 その後一彦の母が遠縁の大村家の史郎と再婚し、この家に来た。
 しかし結局その母も一彦と共に乗っていた車で交通事故に遭い、命を落とす。一彦自身も左腕に大怪我を負い、切れた筋は完治しなかった。それが17歳の時。
 学業成績は優秀だった為、それまで目指していた音楽の道を諦め、一彦は大村家の一員として生きることを選んだ。
 だが大きな利害が絡む大人達の世界は、彼にとって居心地のいい場所ではなかった。
「ある人達がその営みに対し影響力を持つ限り、中立の立場はありません」
 御堂・玲獅(ja0388)が黄昏に支配されてゆく庭を見つめ、静かに言った。
「ある行動に対しノーと言わない限りそれは肯定。イエスと言わない限りそれは否定です」
 この家の人々は、一彦が追い詰められていくことにノーと言わず黙認し、助けを求める信号にイエスと言わず拒絶した。家全体への復讐に至るには十分な理由といえるだろう。……だが。
「ですが、天魔の力を借り犠牲者を増やす一彦氏は倒さねばなりません」
 白い頬には静かな決意が宿る。
「その点は亜矢殿にも納得してもらわねばならないのである」
 人間大の白猫着ぐるみのようなラカン・シュトラウス(jb2603)が、重々しく頷いた。
「愛する者が愛する者を殺すのは悲しきことである。亜矢殿をこれ以上悲しませはしないのである。その為には何としても、悟一郎殿を守らねばならぬ」
 重い沈黙が、同意を示した。

●鎮魂歌
 撃退士達は2班に分かれ、交替で悟一郎と亜矢を護衛することになっていた。
 2人にはなるべく客間で過ごして貰い、複数が常時傍にいる。阻霊符は展開し続け、互いにいつでも連絡が取れるようにしていた。
 そんな3日目の夜。
 邸内に鋭い警報音が鳴り、全員の携帯電話が反応する。発信主は、屋根に上がり『テレスコープアイ』で周囲を監視するとしおだった。
「ディアボロです! 1、2……10体以上は確実にいる!」
 その頃には、屋敷の周囲を警戒していた警備会社の撃退士達が戦闘に入る物音が聞こえていた。
 青白い靄のような光を纏うRehniが、『生命探知』で周囲の気配を探ろうとする。
「何が来ても護りきって見せます。それこそ、私の本懐です……!」
 悟一郎は表情も変えず、泰然と客間の椅子に落ちついている。
 その横でやや青ざめた固い表情の亜矢に向かって、英斗が励ますように声を掛けた。
「大丈夫です。俺達が必ず守ります」
 玲獅はその間も油断なく庭先を見据える。
「ディアボロしかいませんね。陽動の可能性があります」

 マーシーが『索敵』で塀を超え、庭木の影に潜む黒い大狼の影を示す。
「あ、そちらに1体います。そちらにも」
 その口調は普段通りだが、銀色の光を纏い左目を閉じた表情は引き締まっている。
 暖かなオレンジ色の光に包まれた千尋は、マーシーが指し示す方へ、自分の身長を超える程大きな重籐の弓を引き絞る。
 ひょうと放たれた矢は天界の気を帯びた『スターショット』となって、冥界の眷属を撃ち抜いた。
 悲鳴のような声を上げ、魔狼が跳ねる。
 だが1頭が下がると、別の2頭がその背後から飛び出す。
 普通のディアボロにこれほど統率のとれた行動を取る知能はない。
(やっぱり、一彦さんもいる……でも健造さんや亜矢さんを今まで殺さなかったのは何故? 何か目的が?)
 だが考える間もなく、次々と魔狼は襲いかかって来る。
「どこに隠れてやがんだ、一彦」
 群がるディアボロに鉤爪を叩き込んでは離脱を繰り返すヤナギ。
 数が多い為、ひとまず相手の移動力を削ぐべく四肢を狙う。だが相手も動いている以上、なかなか狙い通りの場所には当たらない。
 その時だった。
「……バイオリン?」
 血生臭い戦いの場に不似合いな、優しい旋律が響いた。
 亜矢の奏でるその曲は、夜の闇へと吸い込まれるように流れて行く。
 その音楽に乗るようにギアが軽やかに駆け出すや、『鎌鼬』で魔狼を斬りつける。
「行け、高圧蒸気の刃!」
「風穴開けます」
 マーシーは容赦なく、弱った敵に狙いを定め、『凡人の弾丸(タダノダンガン)』を撃ち込む。
 痛撃を食らい地面に転がるディアボロを、銀の右目が冷たく見下ろす。
「凡人でも、これぐらいできます」
 ただの人間であるからこそ。平穏を乱す存在は許し難いのだ。
「一彦、恨みが強い分、確実に仕留めようとして裏を掻いてくるかな? それとも堂々と?」
 ギアが一息ついたところで周囲を見回す。
 バイオリンの旋律が途絶えたのとほぼ同時に、邸内のRehniから連絡が届く。
『ヴァニタスです、こちらに来ました』
 それを聞いたマーシーが即座に反応した。
「人面蜥蜴はいませんでした?」
『え?』
「人面蜥蜴、ハンザキさんでしたか……あちらにはお会いしたいですが。 奥居さんは皆さんに任せます」
 凡人を自称するマーシーの関心の対象は、以前にホテルで襲撃を受け、大事なコートを傷つけたヴァニタスだった。
 ギアはこれまで一彦に関わって来た仲間達に道を譲ることにした。
「邪魔はさせないよ……絡みつけ蒸気の鎖、スチームストリーム!」
 押し寄せる魔狼を『呪縛陣』で足止めする。
「危ない!」
 脇から襲いかかる1頭に、律紀が槍を突き出す。

 室内には異様な緊張が満ちていた。
 下げた右手に血濡れた刀を持った一彦が、並んだ面々を見回す。
「今日は随分お客さんが多いようだ」
 予想通り庭のディアボロは陽動で、自分は玄関から入って来たらしい。
「亜矢、今のは僕の曲だよね」
 ぞっとするほど優しい声。
「……そうよ。あなたの『エリニュス』よ」
「主旋律を弾きやすくアレンジしたんだね。綺麗な曲だった」
 一彦が右手を振ると、赤い飛沫が床から壁に飛び散る。
「エリニュスって何か知ってる? 復讐の女神でね、弱者に対する強者の横柄な態度を追及するんだ」
 抑えた笑いが漏れる。
 一彦から眼を離さず、ラカンが声を掛けた。
「一彦殿は亜矢殿を悲しませるつもりか? 何故悟一郎殿を殺めようとするのである? そんなにこの家が憎いのであるか?」
「憎いというより、怖かったんだよ」
 刀を持ち上げ、切っ先を真っ直ぐ悟一郎に向かって突き出す。
「君達には力があるから、判らないかもしれないな。無力なぼくにとって、この祖父が体現する力が何より怖かった。自分に向けられる悪意が怖かった。父を自殺に追い遣り、母を奪った力が怖かった。でも……」
 何処か陶酔に似た光が、一彦の眼に宿る。
「あの日、怖い奴の1人を、ディアボロがあっさり倒すのを見た。余りに強くて、怖いより凄いと思ったんだ」
 恐怖から逃れる為力に焦がれ、一彦は近隣に出現するディアボロを追いかける。
 そしてヴァニタスと遭遇し、自らもヴァニタスへと変じた。
「じゃあその後は? 一体何を企んでいる? ……悪魔がタダで何かしてくれるはずがない」
 としおが油断なく銃を構え、呻いた。
「復讐して……それで、その後どうするのですか? 人の道を捨て、悪魔の眷属として生きていくと?」
 紘司が低く囁き進み出ると、一彦の視線が移る。
「彼らも時には人界の力が必要らしいね。折角だから一族の力を纏めてくれてやつもりだったんだが……邪魔されたね。……今度は、見逃さないよ」

 それが合図だった。
 玲獅が『アウルの鎧』を悟一郎と亜矢に纏わせる。万が一にも攻撃が掠めては、一般人はひとたまりもない。
「ヴァ二タスとはいえ防御力を失えばっ!」
 一彦の前に立ち塞がる紘司を楯にするように、としおが『アシッドショット』を見舞う。
 続けて『防壁陣』で守りを固めたラカンの背後から、千尋が『精密狙撃』を放つ。
「ごめんなさい、狙わせてもらいます!!」
 狙いは、彼の怨念が籠ったかのような危険な左手。
「おい、そっちはマズイ……!」
 ヤナギが叫ぶ。一彦の拘りを思えば、逆上を招きかねないと思ったのだ。咄嗟に『迅雷』で突っ込むと、鉤爪で脚を狙う。
 その攻撃をすんでのところでかわすと、一彦は猛烈な勢いで突っ込む。薙いだ刀の一閃で立ちはだかる紘司を吹き飛ばし、ラカンのぬいぐるみの頭に左手の爪を突き立てる。
 彼らを振り返ることなく、尚も突きこむ刀を、玲獅が一歩も引かず白蛇の盾で受け止めた。左手が伸びる瞬間、相討ちのように『審判の鎖』を使う。
 電撃を受けよろめく玲獅の身体を、英斗が支えた。
「しっかりしてください!」
 英斗は身構えたが、一彦の動きが止まったことを知った。
 悪意が噴き出すような視線が、悟一郎を睨んでいる。石像のように動かぬ老人が、突然口を開いた。
「亜矢。お前はここから出なさい」
 その言葉に亜矢が激しく首を振った。
「できません、そんなこと。一彦さん、もうやめて。あなたも死んでしまうわ!」
 死。人の死。
 既に一彦はその状態だ。
 だが目の前で動き、過去を語る存在を、死体と認識するのは難しいだろう。
 少なくとも、亜矢にはそうだった。
「待て!」
 駆け出す亜矢を、ヤナギが回り込んで抱きとめる。

 一彦がもう少し強い心を持っていれば、あるいは亜矢がもう少し物を見渡すことができれば。
 ……全ては仮定の話だ。
「じゃ、バイバイ」
 マーシーが宣告する。
 撃退士達はヴァニタスとなった男を永遠の眠りにつかせた。
 それは救いだったのだろうか。
 茫然と座り込む亜矢の前、一彦はもう何も語らない。
「俺は……人としての救いをもたらせる世界を、望む」
 紘司が祈るように目を伏せた。
「あ……こんな時期に雪?」
 目をこすり慌てて顔を上げた千尋の目に、咲きこぼれる桜吹雪のように舞うなごり雪が映った。

 * * *

「は? ……左様ですか、一彦は倒れましたか」
 人面の大山椒魚、ハンザキが主である悪魔にひれ伏す。
「強い情念が仇となりましたかの……それが強みでもありましたが。何、あ奴は問題ありませぬ」
 含み笑いは、ハンドルを握る史郎には届かなかった。

 後日、高速道路の利用記録から、大村一族の所有する一台の大型トラックが、日本海側へと向かったのが判った。
 その後、トラックは見つかっていない。

<了>


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:9人

Eternal Flame・
ヤナギ・エリューナク(ja0006)

大学部7年2組 男 鬼道忍軍
揺るがぬ光輝・
巌瀬 紘司(ja0207)

大学部5年115組 男 アストラルヴァンガード
サンドイッチ神・
御堂・玲獅(ja0388)

卒業 女 アストラルヴァンガード
ラーメン王・
佐藤 としお(ja2489)

卒業 男 インフィルトレイター
輝く未来の訪れ願う・
櫟 千尋(ja8564)

大学部4年228組 女 インフィルトレイター
非凡な凡人・
間下 慈(jb2391)

大学部3年7組 男 インフィルトレイター
はいぱーしろねこさん・
ラカン・シュトラウス(jb2603)

卒業 男 ディバインナイト
ツンデレ刑事・
蒸姫 ギア(jb4049)

大学部2年152組 男 陰陽師