●対抗者
ディメンションサークルを抜け、夜の闇を駆け抜けると、多くの赤い光が高速道路の上に固まっているのが見えた。警察車両等の回転灯だろう。
メンテナンス用の通路を上がり、その明かりめがけて走る。
走りながら器用に、ルーガ・スレイアー(
jb2600)はスマホを操る。
『ゆるぼ:ばすじゃっくの じゃっく って何ぞ( ´∀`)?』
最近すっかりコミュニケーションツールにハマってしまった悪魔は、こんなときでも思いついたことを呟かずにはいられないようだ。
だが返信を読む暇は流石になさそうだった。
「メール送信完了よ。あっちが読んだかどうかまでは判らないけどね」
月丘 結希(
jb1914)が言った。
バス内にいるはずの井川にこちらの動きの予定を伝え、可能ならば共闘を依頼する内容だ。
「全く、七面倒くさい状況ですね、人質とは」
眼鏡をはずしながら、ジェイニー・サックストン(
ja3784)が振り向いた。
「すみません、一般人の方は邪魔にしかならねーので、下がっていてください」
バスの後方を車両で塞ぎ、その陰に展開する高速機動隊員を遠ざける。事故の対応や犯罪者を追うことに秀でている彼らとはいえ、相手が天魔では手の出しようがない。だからこそ撃退士達がやって来たのだから。
問題のバスは前後から車のヘッドライトで照らし出されている。が、バスの向こうを塞ぐ車両が少しずつ移動しているのが見える。
バスのタラップを降りた所に、人影がひとつ。その周囲には、異形の者たち。
十八 九十七(
ja4233)が吐き捨てた。
「もうあっちの連中は籠絡済みっつーことですかい」
具現化したショットガンを構える腕に力が籠る。
「色気使って集団拉致ろうなんざ、5000年早ェって事ですよ、糞■ッチ」
その口調が正義の怒りだけでない何かを含んでいるのは気のせいか。
「わたくしより目立……もとい、下賎な力を使って他者を魅了する……許し難いですわ!」
桜井・L・瑞穂(
ja0027)の目が怒りの炎を宿す。
「其のような仮初の魅了など、このわたくしが打ち砕いて差し上げてよ。おーっほっほっほ!」
瑞穂の高笑いに、ヴォルガ(
jb3968)が低い声で応じた。
「おしゃべりはここまで。では、各人予定された行動を」
ヴォルガと同時に、黒百合(
ja0422)とルーガ、水葉さくら(
ja9860)が飛び出した。
ルーガは『闇の翼』を広げ、バスの上方を舞う。
バスの脇に立つ女が、こちらを見上げた。金色の髪が、白い肌が、ライトを浴びて輝く。
(やあ同志、なかなか愉快なことをしているなー? これも何かの縁、手伝おうー)
ルーガはその女に『意思疎通』で呼びかける。
(ここはひとつ私と組んで、他の連中も魅了しまくってやろうじゃないかー)
同じ冥魔に属する者として、誤認させる作戦だ。
女がふと笑みを漏らした。
「あら、嬉しいこと。では早速、あちらをお願いできまして?」
女がバス後方、つまりルーガが今来た方を指さす。
「それからゆっくりお話しいたしましょう」
ルーガは答えに窮した。ので、開き直った。
「うっそっぴょ〜ん、ごめんねごめんねぇ〜」
最近仕入れたギャグで律義に(?)謝るルーガに、サントールの槍が突きかかる。
(ごきげんようはぐれ悪魔さん、ヴァニタス相手に『同志』はなかなか面白い冗談でしたわ)
女が『意思疎通』で語りかけてきた。
「ぬぬー! 小生意気なー!」
槍を避け、ルーガは一度後退する。
それを見て、女は再び前方に向き直る。
「さあ、早く道を開けてくださいな。そうしたら皆さんも、素敵な場所に連れていって差し上げましてよ」
くすくす笑いが、空気を切り裂く音に途切れた。
女が素早く身を捩る。先刻まで立っていた場所に、光の矢が突き立った。
さくらの纏う白銀の鎧が、緑色の燐光を帯びていた。
可憐な横顔を引き締め、相手が態勢を整える前に次々と矢を射る。少なくともこれ以上、一般人に近づけるわけにはいかない。
「他の人に、目をやっては困ります……です」
●撃退者
ヴァニタスとバスを挟んで反対側にあたる右側の路上。
「あらァ、こんなに大勢で遠足かしらァ? 私も混ぜなさいよォ♪」
疾風のように躍り出た黒百合は『ニンジャヒーロー』の効果でサントール3体を振り向かせる。
1体が槍を構え、黒百合に向かって猛然と突進。再接近すると、力強く振り上げた前脚の蹄に体重を籠め、黒百合の小柄な体に叩き込む。
が、その蹄に捉えられたのは、夜風にはためく制服のみ。
『空蝉』でサントールの蹄を逃れた黒百合は、その真っ向から散弾をお見舞いする。
「ほらほらちゃんと付いて来なさいよォ、でないとその場で八つ裂きにしちゃうわよォ?」
残る2体が仲間に対する攻撃を認識して追って来るのを確認し、黒百合はつかず離れずの距離を保つように敢えて逃げるふりをする。
うまい具合に、ディアボロがバスから離れた。
一方の左側。結希の眼前に、目まぐるしくデータが流れる輝くパネルが浮かび上がる。
「本来の奇門遁甲は吉兆の方位を見定める術だけど」
己に向かって駆けてくる2体のサントールに対峙しつつ、思考を巡らせる。
「凶兆に誘導する事で戦闘に応用しようと考えたのは誰なのかしらね……研究者にとって柔軟な思考は大切って事よね」
結希は敵と戦うことそれ自体より、己の能力を高めることに意味を見出すタイプだった。故に、ときに何処か危機に対し他人事のように見えることがある。
敵の接近を見据え、ギリギリの距離で『奇門遁甲』を連続で使う。こちらへ駆けてくる2体の敵の速度が目に見えて落ちる。そして片方が槍を構え直すと、いきなりもう片方を突きにかかった。
どうやら上手く幻惑することができたようだ。
「後は、一体ずつ確実に。弱った方から叩くわよ」
結希はヨルムンガンドを構え、弱ったサントールを狙う。
●誘惑者
ヴォルガはバスの陰に屈みこむ。
「人間はよく言うだろ? 『人命が最優先』と。ならばそれに合わせるとするか」
黒百合がサントールを引き寄せたため、バスの右側に近づくのは容易だった。
手にした曲刀を、後輪のタイヤに突き立てる。僅かにバスが傾いた。ヴァニタスがバスを走らせる前に、バス自体を動けなくするつもりだ。
「よし、次だ」
ヴォルガは前輪に移動する。そちらではさくらが必死でヴァニタスを足止めしている。
ヴァニタスは鞭を振るい、さくらの矢を叩き落とし、続けてさくらを打とうと手を捻る。
唸りを上げて襲いかかる鞭を、さくらは『防壁陣』を展開し防御する。
「まだまだ……負けません!」
だがその隙に、ヴァニタスが距離を詰める。赤い唇が笑みを浮かべた――。
敵に弓を向けていたさくらの手が、だらりと下がる。
「む、どうした」
ヴォルガが声を漏らす。既にバスは完全に右に傾いている。
バスの陰から覗きこんだヴォルガを、ヴァニタスが見下ろしていた。
「あら、こんなところにも。物好きなはぐれ悪魔って結構多いんですのねえ」
曲刀を振るうより先に、ヴァニタスの赤い爪がヴォルガの額を軽く弾いた。
「さて、おふたりにお伺いするわ。私の敵は誰かしら?」
「…………」
さくらとヴォルガが、それぞれの獲物を手に、バスを離れる。向かう先は今来た方。
魅了された者は、術者の敵を自動的に敵と見做し、攻撃を仕掛けるのだ。
「それでいいのよ、暫くお仲間で遊んでらしてね」
ヴァニタスは鈴の転がるような声で笑う。
その背後で、井川和久が愛用の刀を振り上げた。
(全く、無茶言ってくれるぜ……!)
バスの中に潜んでいた和久に結希からメールで届いた指示は、「敵の注意が此方に向いた時点で、車外に出て後方からヴァニタスに対し、カオスレート+補正の一撃を宜しく」というものだった。
ヴァニタスが外に出てからは和久はひたすら息を殺していたが、バスが傾いたことでいよいよ仲間が動いていることを知った。
バスの外ですぐに光纏、『アーク』で天界の気を纏った刃をヴァニタスの背後から振り下ろす。
「!!」
和久の刀の切っ先が、白い背中を切り裂くと見えた瞬間。
いつの間に降りていたのか、乗客の1人が和久の足にしがみついた。
逸れた刃は、ヴァニタスの薄物を切り裂いたのみ。
「あなたでしたの? 随分早く邪魔が入ると思ったら、まさか乗客の中に撃退士がいたなんて。うっかりしていましたわ」
振り向いたヴァニタスは、露わになった白い胸を隠そうともせず和久を睨んだ。
「う……わああ!!」
和久の方は健康な若い男子として当然の反応を示す。この時点ですでにある意味魅了状態とも言えるが、勿論それで済むはずもなく。
「この始末は、あなた自身につけて頂きますわ」
女の声が遠くに聞こえた。
●解放者
「全く、ミイラ取りがミイラになってんじゃねーですよ」
ジェイニーが然程熱の籠っていない口調で呟いた。
「人質に何かあったら事ですんで、早めに終わらせてーのですよ」
さくらがこちらを狙って放つ矢を、『回避射撃』で散らす。
「魅了だの色気だの、女の武器を使ってくるたあ、糞ムカツク女ですの。デカイ胸まで丸出したぁ、万死に値する行為ですの。後で化け皮引き剥がして、■■して曝してやりましょうか、ええ」
九十七はギラついた目に殺意を宿し、アウルと巨乳への怨念を籠めたドラゴンブレス弾を、目の前のサントールに撃ち込む。というか良く見ると、サントールも結構巨乳だったり。
「皆、ブッ■してやるですの! さっさと道開けやがらねえなら風穴開けまくって■■して、××して、屍晒しやがれウラァアアアアア!!!」
踏み込みと同時に『カタァラ』による至近攻撃が、サントールの首を跳ね飛ばした。
敵の数は確実に減っているが、厄介な元味方が立ちふさがる。
ヴォルガは、『注目』効果により、黒百合に向かって突進した。
「だめよォ、味方と敵を間違えちゃ」
微笑を浮かべる顔に、いつもより2割増しの黒さが浮かんだのは気のせいか。
「正気に戻れパンチィィィィ」
小柄な黒百合の小さな拳が、ヴォルガの顎の下から抉り込むように突きこまれた。
「目覚めろキックぅぅぅぅ♪」
どう見ても楽しんでる。しかも気絶しないように手加減し、複数回攻撃。
ちなみに魅了状態から抜け出すには、物理的刺激は無意味である。
ルーガが両手を頭の後ろで組み、和久の前に立ちふさがる。
「こらー私のほうがボインだぞー! お色気なら私だって負けてはおらんぞー、ていっていっ」
アフリカの戦士の戦いの前の踊りのように、無駄にゆさゆさと豊かな胸を揺らし、直立ジャンピング。
当然と言うべきか、和久は止まらない。そのまま刀で路面を擦り、駆けてくる。
「馬鹿者ー! ボインなら私の方が上だあー!」
ルーガは刃を雷桜の切っ先で薙ぐと、謎の叫びと共に和久の横面を力一杯張った。
和久は吹き飛び、防音壁に激突する。
ちなみに魅了状態から抜け出すには以下略。
瑞穂が起きあがろうとする和久に『クリアランス』を施す。
「こんな茶番、早々に終わらせて差し上げますわ!」
だが余程ヴァニタスの魅了の効果が高いらしい。
「御目覚めなさいなっ!」
一喝と共にかけられた『クリアランス』に、ようやく和久が正気に戻る。
「あれ、俺は一体……」
その頃には瑞穂はヴォルガに駆けより、その頭を掴んでいた。
「いい加減になさい!」
自力で回復したさくらを含め、どうにか全員が正気を取り戻す。
「これで此処はもう、わたくしの領域ですわ!」
瑞穂がすくっと立ち上がり、傲然とヴァニタスを指さす。
「魅了するとは如何いうことか、其の眼に刻んで差し上げてよ!」
まさに遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よの名乗り上げ。白い戦乙女の鎧が、夜の闇に鮮やかに浮かびあがる。
最後の1体となったサントールがヴァニタスを護るように、バスの後ろに立ちはだかる。
黒百合が速度を生かして突進し、八岐大蛇で斬り込む。
その攻撃に、サントールが黒百合を大きな蹄で蹴りにかかる。黒百合は再度の『空蝉』で逃れた。
傷を物ともせず尚も追いすがり突きこむサントールの槍を、ジェイニーの『回避射撃』が阻む。
「こちらも仕事なので、そうそう好き勝手を許すわけにもいかなねーのですよ」
サントールが気を取られているその間に、ヴォルガ、ルーガがバスを護るように回り込む。
まだヴァニタスが残っている。
さくらの『防壁陣』に守られながら瑞穂が駆け出し、その背後から九十七が魔除けの塩弾『ロックソルト弾』を撃ち込む。
「悪霊退散、死に晒せェ!!」
正に冥魔に対抗する為に用意された銃弾、九十七の喜色満面。
「覚悟なさいな!」
瑞穂が『シールゾーン』を使う。ヴァニタスの魅了を封印すれば、勝ち目はあるはずだ。
だがそのとき、最悪の事態が起きた。バスの乗客が次々と降りてきたのだ。
乗客たちは撃退士達に向かって、突進してくる。見ると前方の交通機動隊員の中にも、拳銃をこちらに向かって構えている者がいる。
「どこまでも卑劣ですのね! 正々堂々と自分の力で戦いなさい!」
瑞穂が怒りをヴァニタスにぶつけた。
だがヴァニタスは微笑を浮かべたまま、翼を広げ舞い上がる。
「ふふ……そういう真っ直ぐな綺麗さ、好きですわ。いつか泥に沈めたくなるもの」
防音壁の上に腰かけ、眼下の混乱を面白そうに眺めた。
「私はイリーナ。可愛い撃退士の皆さん、いずれまた何処かでお会いしたときは、もっとゆっくり遊びましょうね」
笑い声と共に、背後の空間にヴァニタスは倒れていった。
「仕方ない、最悪ヴァニタスは逃がしても構わん。優先すべきは人命だろ?」
押し寄せるバスの乗客達をその姿で威圧しつつ、ヴォルガが嘆息した。
黒百合はヴァニタスの消えて行った宙を見上げる。
「今度は私を真っ先に誘いなさいねェ……喜んで御相手してあげるからさァ……♪」
やがて術者が消えたことで、次第に人々も正気を取り戻して行った。
「いや、ホントに今回はダメだと思ったよ。助かった、有難う」
和久が頭を掻きながら一同に礼を言った。
「無事で良かったな。おおそうだ、土産を貰って行くぞ。なに、色々と利用価値がありそうだからな」
「それはダメ! 下手したら処罰モノだぞ!?」
ヴォルガが倒れたサントールを引き摺ろうとするのを、今度は和久が説教する。
「これって精神干渉系のモノよね」
結希は魅了の効果を目の当たりにし、考え込む。
(有効な干渉は何かに応用できないかしらね。治安維持に使うってのはちょっと怖いか?)
目を伏せたさくらが、言葉を選びながら言った。
「今回は、たまたま井川さんのおかげで阻止できましたけれど……これまでも同じ方法で、連れ去られてしまった方がいるのかもしれません、ね」
後に判ったことだが、さくらの懸念は事実だった。
だがこの日以降、 バスの失踪事件は発生することはなかった。
<了>