●11:00
今日も久遠ヶ原はいい天気だ。
もっとも『ウーノ・久遠ヶ原』には全体を覆う透明な天井があるので雨が降ろうと問題ない。
そもそもカップルにとっては、晴れていれば「やっぱり私達運がいいのかな、てへ」であり、雨ならば「ほら肩が濡れるだろ、もっとこっち寄れよ」なわけだが。
…はいそこ、拳握り締めない。
その東側の入り口で、所在無げな制服姿の鴉守 凛(
ja5462)。待ち合わせの相手を探している様子だ。
「凛、ごめんね!待たせちゃったかな?」
しゃららら〜ん!という音とソフトフォーカスの特殊効果を纏ったように現れたのは、Nicolas huit(
ja2921)(ニコラ・ユィット)だ。普段は女性物のような柔らかく華やかな服を好むのだが、今日はエスコート役を意識して黒を基調にしたスマートな服装だ。それでもコートから覗く鮮やかな色のマフラーが、金の髪と瞳によく映える。
「あ、いえ…今来たところです、ほ、本当に」
凛は足元に落とし、ふるふる首を振る。元々人見知りが激しく、こういう場所に誰かと出掛けること自体が稀である。緊張で相手の言葉にとりあえず反応しているという有様だ。
(ニコラさんがセンスが良くて目立つ方ですし…お任せしていいですよね…)
二人の最初の配置は東側。侵入路であり、場合によっては逃走経路になるポイントである。暫くそこにいても不自然でないように、ここに初めてくるカップルを演じているのだ。その間に、他の組はそれぞれ配置につく。
(んー…僕は女の子じゃない、けど。折角のお洒落を台無しにされたら…僕だって、泣いちゃうかも)
ニコラが何気ない様子で凛に笑いかける。
「ねえ凛、その隠している物、何かなあ?」
びくり!と反応した凛は、おずおずと小さな紙袋を目の前に差し出す。やっぱり視線は下だ。
「…つまらない物…ですけど…」
中から出てきたのは、可愛くラッピングされた小さな包み。
凛の演技は終始ガチガチなのだが、それが初デートの緊張感を醸し出し寧ろ自然に見える。
「ふふっ凛ったら意外と意地悪だね。僕が気付くまで黙ってるなんてさ」
凛の額を、人差指で軽くつついた。
…すみません、ちょっと痒み止めとってきていいですか。
●11:15
「女の子の衣服を汚すなんて、随分と性根が悪い犯人だね。絶対に捕まえないと」
北側の雑貨店の前で、高峰 彩香(
ja5000)が小声で囁く。通路は広場より一段高く、広場の半分を見渡せた。
「全くはた迷惑な奴がいたものだ。早く何とかしてやらないとな」
田村 ケイ(
ja0582)は彩香と共に警備体制をチェックしていた。その情報は、イヤホンマイクを通して、全員の携帯やスマホに届けられている。
念のために付け加えておくが、ケイは普段からクールだが、れっきとした女性である。だが意外とノリはいいようだ。心は既に立派な男子である。今回はカップルを演じる為、シャープに身体を包むモノクロのパンツスタイルに、シルバーアクセサリーが渋く光る男装だ。
「手を繋いだ方がそれっぽいかなって思うんだけど、いいかな?」
歩きながら彩香がケイの指に軽く触れる。フッと笑い、その指を捕え優しく握るケイ。…演技だよね?
「にしても、なんで女性ばかり狙うんだろう」
呟きながら、周囲を警戒するのに集中していた彩香に、すれ違う女性がぶつかりそうになる。
「大丈夫か?」
ケイがさりげなく彩香の肩を抱えるように引き寄せる。
「あ、ありがとう」
足元が落ちつくと、今の体勢にハッと気づき、少し身を離す。心なしか頬が紅に染まっている。
北西から南東までの監視をカバーできる位置にある店に移動する。店頭の服を当てる風を装い、油断なく彩香が広場に目を配る。
「これどう?持ってない色なんだけどなー」
「可愛いな。綾香に似合いそうだ」
「えっ…」
…演技です、演技。…たぶん。
同じ頃、南側の滝の前。
「女の子を泣かすたあふてえ野郎だー」
ちゃっかり依頼主に頼んで、流行の男物衣装一式にウィッグまで借り出した染 舘羽(
ja3692)が、前日見た時代劇のノリで拳を握る。内心は女性ばかりを狙うみみっちい犯行に呆れ気味である。
ミスラ・ベッタ(
ja5348)も舘羽の腕につかまり頷く。
「こういう性質の悪い”あほう”はさっさと捕まえんとあきまへんなぁ」
抜けるように白い肌、銀の髪に紅玉の瞳。それだけでも目立つが、全身をレースとフリルとリボンで彩られた姿は、さながら自立歩行式のビスクドールである。
「さて、どこから見ようか?」
「うちはどこでもつきあいますえ」
目立つ。めちゃくちゃ目立つよ、君ら。
「じゃあ、ミスラの可愛い耳に似合うイヤリングでも探そうか」
「うれしいわあ。バレンタインは期待しといておくれやす」
それにしてもこのおと…もといこの女達、ノリノリである。
●11:30
30分毎に各班持ち場を移動することを事前に決めていた。依頼の警戒時間が長いので、一所にじっとしているのは不自然だからである。
それぞれの組が、反時計回りに場所を移動する。
英 御郁(
ja0510)と御幸浜 霧(
ja0751)は当初、広場中央のチョコレート像周辺を確認し、西側に向かった。
(どうやら、女子(おなご)を泣かせる不届きな輩がいるようですね。これは、必ず捕まえてシメて差し上げなければ)
おしとやかな外見を裏切る一部の言葉に、霧の静かな怒りが込められる。
エスカレーター脇から通路、エレベーター周辺を確認する。一般人はおそらく気付かないような物影の、金属製の扉が従業員用通路の入り口だった。
外に逃げられないよう、犯人を追い込むのはこの西側と決めていた。
霧が通路の様子を全員に伝える。普段の生活から、段差や障害物などの把握は余人より鋭い。
一通りのチェックを終え、南側へ移動する。
御郁は車椅子を押し、通りやすい場所を探すふりをしつつ辺りを観察する。時間がまだ早いせいか比較的動きやすいが、それでも相当な人出だ。
(イベント時期ってな、独り者の侘しさっつーのが募るもんではあるわな)
辺りの光景は想像以上の華やかさだ。だが。
(リア充爆発しろとか思うんは自由だが、人の楽しみぶち壊して喜ぶよーな碌でも無ェ根性じゃあ、いつまでたっても幸せにゃなれねェだろうな)
「先輩、疲れてないっすか?」
やさしく気遣う御郁に、霧が微笑み返す。
「いえ、大丈夫です。御郁様も疲れたら仰って下さいね。自分で漕ぎますから」
「俺は全然平気っすよ。寧ろ楽しいかも」
普段は消えることなく全身から漂う御郁の鋭さが、今日はやや和らいでいる。
昔の記憶がない彼には、過去にこうして誰かと過ごした事があるのかさえ分からない。だがどこか不思議な感覚と、思い出せない何かがもどかしく思えた…。
その間にも、場内の情報は随時やり取りされる。
5名の警備員は、流石プロだった。広場内に関しては、完全にカバーできていると言っていいだろう。この監視をくぐり、どうやって犯行は行われたのか…。
●11:45
ニコラは、日本のバレンタインに興味津々だ。監視のついでに辺りを見回す。女性から男性に告白できる日だなんて、他の日は告白しないの?と疑問を感じたり。
「そろそろ時間だね。凛、ちょっと休憩しようよ」
「あ、はい…」
ニコラがさりげなく椅子を引き、凛を先に座らせる。
昼食時が近くレストランは待ち客も出ているが、デザートカフェにはまだ空席があった。こういう店が本格的に混むのは、昼過ぎからなのだろう。ギャルソンエプロンを身につけたウェイターも、のんびりしている。店内では「おはようございまーす」という声とともに、コートのまま足早に店の奥へ消えていく女性もいた。遅出の従業員だろう。
「ここからだと、場内の様子がよく見えますね」
飲み物を前に、凛が辺りに聞こえないよう呟いた。
その時東側にいたのは、舘羽とミスラ。チョコレート像を遠目に人ごみに紛れこんでいる。こちらに逃げてきたら足止めするのがここの担当だ。否応なしに緊張を強いられる。
場内の人は、目に見えて増えていた。普通ならば人目を惹くミスラですら、もうカップル達の眼には止まらない。
「ミスラ、大丈夫?潰されないように気をつけて!」
握っていた手が一瞬離れ、舘羽が声をあげた。その瞬間、妙な感覚にとらわれる。
―誰かが、ミスラを、見ている。
ほぼ同時にミスラが凛とした声をあげた。
「うちの服、高いんどすけど、どないしてくれるつもりどすえ?」
先刻まで舘羽が握っていた右手は、別の若い男の腕をしっかりと掴んでいた。レースに包まれたミスラの左肩には、茶色の液体が無残に滴っている。
男は思わぬ力で腕を捩じる。と同時に、黒いロングコートを翻し、道路へ向かって駆け出した。
―早い!?
だが、回り込んだ舘羽が男に足払いを食らわせる。男は派手に転倒。
周囲の人ごみから悲鳴や怒号が飛ぶ。
「御用だ〜!」
転んだ男の上に思い切り舘羽が尻餅アタックをかけた。
喧騒が瞬く間に広がる。
南側通路の東寄りにいた霧が全員に様子を伝える。同時に御郁が駆け出した。
舘羽が押さえたのは、コートの端。男の反応は予想以上だった。
そのまま横に転がると、男はすぐに立ち上がり再び走りだす。その前に御郁が回り込んだ。
「逃がさねえぜ、覚悟しな!」
男は傍にいた女性を御郁の方へ突き飛ばすと、きびすを返し、人ごみに飛び込む。
悲鳴をあげて倒れる女性を支えざるを得ず、御郁は追いきれない。
「あの男、撃退士やもしれません。ご注意くださいませ!」
霧が車椅子を西へ走らせる。
凛が常人の眼に見えない速さで、カフェを仕切るロープを飛び越える。
「え〜と、これぐらい置いておけば大丈夫かなー、多分大丈夫だと思うけど。普段カードしか使わないから…」
ニコラが常人離れしたブルジョワジーセンスで、レシート立ての下に高額の久遠札を敷き込む。
「ごめんね、お釣りは後でヨロシクね!」
驚くウェイトレスに軽くウィンクして、凛の後を追う。
犯人は、予想通り西へ向かった。逃走経路になるポイントはすべて塞ぐ。
霧からの連絡を受け、西側エスカレーターの乗り口を塞ぐ形でケイが待ち構える。人ごみを割って、伝えられた黒いコートの男が飛び出した。
「逃がさないわよ迷惑野郎」
言うが早いか、ダッシュ。
自分に猛然と向かってくる若い黒服の男(…)を認め、エスカレーターを諦めて男が方向を変える。そこに飛び出したのは彩香。
「いい加減、年貢の納め時だよ!」
横からのタックルが見事決まり、男がひっくり返る。その拍子にボタンが飛び、はだけたコートごと彩香を放り出して、足をもつれさせた男が再び立ち上がる。
「え、ちょっと、あの人…!」
コートを掴んで立ちあがった彩香は、その男の服装に思わず声をあげた。
男が駆け込んだエレベーター前には仁王立ちの凛がいた。
必死の男は、そのままつき飛ばそうという勢いだ。
先刻までとは別人のような、凛の容赦ない鉄拳が男の顎を襲う。
「ぐはっ…!」
スローモーションで吹き飛ぶ男。
ドシャア!
通路に倒れた男の右肩を、ミスラのヒールが踏みつけた。
「馬に蹴られていっぺん死んでみまっか?」
「大人しくごめんなさいしてよねー。じゃないと、あたし何回手が滑るかわかんないな?」
とってもいい笑顔の舘羽が、指を鳴らしながら男を見下ろす。
その迫力に、観念した男はだらりと床に身を投げ出した。男の腰には、ギャルソンエプロン…。
●12:30
応接室で、一同に囲まれて犯人の男がうなだれて座っている。
犯人はカフェでウェイターのバイトをしている久遠ヶ原の学生だった。つまり撃退士のひとりである。
これまではカフェから近い北側付近で犯行を重ねていた。
カフェの制服の上からコートを着込んで嫌がらせをし、そのままカフェに出勤する。男物のロングコートなら、塗料の入れ物の1本ぐらい違和感なく潜ませられる。
警備員が来るのが早い場合は、コートを脱いで手に掛けてしまえば、騒ぎを聞いて駆けつけたカフェの従業員にしか見えない。タオルの一枚でも渡し、あとは悠々と逃げおおせていた訳だ。
判ってみれば単純なことだ。元々ほぼ相手のことしか見ていないカップルが、店員など気にしているはずもない。心理的に「見えない」存在だからだ。
動機は大まかには「リア充爆発しろ」だったが、少々意味が違った。
元々あまり裕福でないために、休日に友達とも遊ばずバイトをしているのである。
そこに着飾った女の子たちが大挙して訪れ、カフェを長時間占拠する。そして自分たち店員を、ひどい場合は家来のように扱う。
そういったことに対する漠然とした不満が、カップル向けの行事が目白押しの冬になって臨界点に達したらしい。
なので今回は、ひと際目立つ豪奢なドレスのミスラを、河岸を変えてまで標的にしたのだ。
だからと言って、行為が正当化される訳もない。舘羽が断固として、被害者全員に謝罪すべしと主張した。
が、それをミスラが止めた。
「被害者にしてみたら、もう顔も見とうない相手と違いますやろか」
結局、全員に謝罪の手紙を書かせることとなった。相手が受け取るかどうかまでは判らないが。
依頼人である社長は犯人が従業員だったことにショックを受けた様子だったが、それでも事件が解決したことにはほっとしたようだ。
報酬とは別に、例のイベント―チョコ像の重量当て―の景品と同じチョコレートをプレゼントしてくれた。
応接室を後にした一同に、ようやくほっとした空気が流れる。
ケイが顔見知りの霧を気遣う。
「指示おつかれさま。大丈夫だった?」
「ええ、ありがとうございます」
「さーてこれからどうしようか」
舘羽が伸びをして言った。彩香が続ける。
「せっかく来たんだから、買い物とかもしていこうかなって思うんだけどどう?」
「予備の服に着替えるの待ってもらえたら、うちもお付き合いしますえ」
ミスラに続いて何故かニコラも挙手。
「僕も服見たい〜!」
「チョコレートも見に行かない?」
ケイが続ける。
「バレンタインはチョコレートの祭典。つまり美味しいチョコいっぱい。食べなきゃ損じゃない!」
あくまでも自分用らしい。
さりげなく、御郁が霧の車椅子を押しに回る。
「先輩、良かったら改めて俺とお茶でもつきあってもらえないかな」
霧がちょっと驚いたように眼を見開き、すぐに微笑む。
「…わたくしでよければ、喜んで」
その最後尾。後ろ手にドアを閉めたのは凛。
ニコラに用意した分とは別に、持参していた包みを置いてきたのだ。
「…こんな事しても…友達はできないと思います…」
包みを前に、犯人の男は一層肩を落とした。
「凛も一緒にお店見ようよ」
ニコラの笑顔に、少し戸惑いながらも思う。こんな友達があの人にもいれば、あるいは…。
一つ頭を振ると、後をついて行った。
<了>