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警察署の一室で、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は机に足を投げ出し、椅子を鳴らす。
「襲撃事件に、悪魔憑きの相談ねェ。どっちも胡散臭ェな……何だか嫌な臭いがプンプンしやがるゼ」
巌瀬 紘司(
ja0207)が壁の時計を見上げると、佐藤 としお(
ja2489)もそちらを見る。
「そろそろ約束の時間ですね」
つい先日、ヤナギと紘司は短時間とはいえ依頼人の大村亜矢に遭っている。
紘司が約束を取り付ける為に連絡すると、明らかにほっとした声になった。
亜矢はディアボロによる惨劇のあったホテルには近寄りたくない様子だった。加えて余り人目に付かないところがいいと言うので、ここを借りたのだ。
約束時間の5分前にノックの音がして、上品な顔立ちの若い女が顔をのぞかせる。
入って来てすぐに深々と頭を下げる亜矢に、ヤナギは敢えて軽い調子で声をかける。
「よ、俺のこと覚えてる?」
亜矢の表情が、ほんの少し緩む。
「早速ですが、詳しいお話をお伺いしていいですか。大村さんは、どういうことに違和感を覚えられたのでしょう」
紘司が問うと、亜矢が頷いた。
「……奇妙な事を言うと思われたでしょうね」
ほんの微かな自重気味の笑みが浮かぶ。
「まずは奥居について、少しお話しておいた方が宜しいでしょうね」
奥居一彦は亜矢とは実際は遠縁にあたるが、一彦が大村の本家と養子縁組し、戸籍上は大村の当主を同じく祖父とするいとこ同士ということになる。
だが一彦はそこでの生活になじめず、見かねた亜矢の父が引き取った。その為、一彦と亜矢は十年近く同じ家で生活している。
「元々奥居は、ピアノの好きな、優しい性格の人でした」
窓にぶつかった目白の死骸を片づけられず、大騒ぎしたこともあるという。
それが先日、庭の隅を掘り返していたのに気づき何があったかと尋ねると、猫が死んでいたので埋めたのだという。
その数日後の朝には、飼い犬が泡を吹いて倒れていたのを横目でちらりと見たまま素通りし、車で出て行った。
「なるほど亜矢さんの疑念もわかりますね」
としおが亜矢の目を見て頷く。一見些細な出来事だが、どうにも薄気味悪い符牒。
メモをとる手を止め、紘司が控え目に尋ねた。
「差し支えない範囲で構いません、あの日以来の奥居さんのスケジュールを教えて頂けますか」
亜矢が小さな手帳を広げる。
ディアボロに襲われた後、二日程は休養をとる為に入院していた。それからはほぼ毎日、早朝から深夜まで家を空ける。そしてここ一週間ほどは、帰宅していない。
ほんの少しの間が開いたところで、ヤナギが身を乗り出し促す。
「他に何か気がついたことはないか? どんな些細なことでもいいゼ、服装、食べ物の好み……あとそうそう、ピアノが趣味なんだったら最近はどうだったんだ?」
「食べ物、ですか。この頃は一緒に食事をすることもありませんでしたので……」
そこでふと、何かを思いついたような表情をする。
「ピアノ……そういえば、あれ以降全く……」
三人が視線を合わせる。
「いえ、彼は昔の事故でピアノはもうまともに弾けないのです。ただ、以前は時々鳴らしては五線譜に何か書きつけていまして……」
亜矢が目を伏せる。
「題名は『エリニュス』だと申していました。エリニュスって、復讐の女神なのですね」
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警察署の別の部屋では、佐藤 七佳(
ja0030)が手を合わせ黙祷していた。
それから徐に、積み上げられたファイルを開く。襲撃事件についての捜査資料だ。
中には凄惨な写真も並んでいるが、七佳は静かにページをめくる。
七佳も先日のディアボロ事件に出動している。そのときに交戦したのはトカゲ型の敵。
(あれが外にも居ても、おかしくはないですしね)
だがどうやら遺骸の状況から見て、同じ物にやられたわけではなさそうだ。
藤咲千尋(
ja8564)は、警察署に保管されている被害者に遭った車輌を確認している。
警察官の説明によると、ほとんどの車はこれといったキズもないため、既にここにはないという。
保管されている車に残るのは、追突によると思われる前後の凹みと、ボディの横に残るキズ。
この車の中で、普通の人が死んだ。それも沢山。
千尋はその事実に、打ちのめされそうになるが、今はがんばらなければならない。
「どうもこれ、幅寄せで当てられてる感じなんですよね」
付着した塗料によって、当てたのは同じ車であろうと推測されるという。
「今、その同車種を洗ってるんですがね。台数が多くてなかなか……」
千尋は頷きながら、記録をとる。
水葉さくら(
ja9860)は地図を元に、被害者が見つかった現場を丹念に歩いて回る。
警察に確認した所では、暴走族のグループは幾つかあり、大概は夜間山から国道を徒党を組んで走ったり、競争したりしていた。民家は少ないとはいえ、遮るものとてない場所で噴かされる排気音は相当なもので、苦情はそれなりに多かったらしい。
被害車輌のものだろうか、赤やオレンジや白の透明な欠片が路面に残る。
遺体が見つかった草むらはすぐ傍だが、特に不審な点はない。
黒い服を着た猫……ではなく、ラカン・シュトラウス(
jb2603)が草むらから顔をのぞかせる。
「この辺りには野犬もおるようであるな。面倒なことである」
果たして襲撃は、動物によるものなのか、そうでないのか。
警察署に集まった一同は、それぞれの情報を突き合わせる。
「数人が一度に襲われている。犯人は単独じゃない可能性もありますね」
「殺害した後にさらに食いちぎるって、惨いな」
としおの言葉に、千尋がため息をつく。
「どうも、天魔が関わっている事件にしては妙な違和感があるよね、雑っていうか……」
「食い散らかされているのは、死因のカモフラージュの可能性もあるかと思ったのですが」
七佳が自分が調査した内容を説明する。
複数の人間がいて誰も逃げ切れていないということは、遠距離からの攻撃を使う、もしくは何らかの形で動きを封じる相手に襲われた可能性が高い。
噛み傷は遠距離攻撃の痕跡を隠すためではないか、と考えたのだ。
だがその一方で、遺骸は放置されている。本当に自分達の存在を隠したいのなら、何らかの方法で処分するのが普通だろう。
「敢えて人目に付く形で放置されている以上、何らかの目的があると見るべきなのでしょうが……」
紘司が呟いた。
「先日逃したあれが気になるな」
ディアボロ事件の際、仲間が交戦した一体。言葉を発したというそれは、おそらく……。
「……楽観はできないかも知れん。大村さんの前では伏せたが、ヴァニタスが出てくる可能性もある」
やはり実際に確認するしかないようだ。
中山律紀(jz0021)が一同を見回す。
「奥居さんは少なくとも、職場のホテルにはいなかった。次は別荘の方を確認してくるよ。そこにいてくれたらいいんだけど」
少し言葉を切って、念を押すように呟いた。
「今は、襲撃事件と、奥居さんの変貌が無関係と言いきれない。絶対に奥居さんに油断しちゃだめだよ。くれぐれもそれは忘れないでね」
返答は重い沈黙だった。
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ブォン、ブォン、ブォン……!
真っ暗な湖面を派手な排気音が震わせた。
湖岸に沿って延びる国道を、二台のごつい車が疾走する。前にも後ろにもそれ以外の車はない。
警察の方で目立たない程度の通行規制を頼んであるからだ。
近付く車があれば、ナンバーを確認して貰う手筈になっている。
勿論、走り屋さん達にはお引き取り頂く予定である。
一台のハンドルを握るのはとしお。路面の凍結に気を配りながらも、快調に飛ばしていく。
助手席の七佳は、前方を睨む。
「食いついてくれるとイイんだケドな……」
後部座席ではヤナギが油断なく窓外を窺う。
赤い髪はリーゼントに纏め、硬派な革ジャンで決めている。走り屋らしきファッションを調べた結果である。
隣の紘司もサングラスをかけ、革パンツ。いつもの彼を知る者が見れば、目を疑うだろう。
「何だか嬉しそうだな」
後ろを走っていたもう一台が、追い越して行ったかと思うと、すぐ前に回る。
その車でハンドルを握るのはラカン。
「我の華麗なるどらいびんぐてくにっくを見せる時である!」
人間大の猫がハンドルを握っている光景はシュールだが、夜間なので目撃者もいない。
「こういうのを『ばとる』というのであろうか? 漫画で見たのである」
どうでもいいがこの天使、人間界に馴染みすぎである。
同乗する千尋、さくら、姫宮 うらら(
ja4932)はただぶつからないように祈るのみ。
二台の車が戯れるように前後を変える。時折ブレーキの音が鋭く響く。
「わ、ちょっと、気をつけて下さいよ!?」
としおがすんでの所で、接触を避ける。
「ラフな運転であるほどそれっぽく見えるゆえ。我、頑張っちゃうのである」
ラカンの主目的、ちょっと所在不明。だがその耳が、別のエンジン音を捉える。
それは、徐々に距離を詰めてくる。
「気をつけてくださいね。特に、横に並ばれたとき!」
千尋が昼間の事を思い出す。
「うわ、ぴったり来ますね」
としおが思わずそう言った程、ライトもつけずに近づいた黒い車が、手の届きそうな距離まで近づいて来る。
やがて少し前に出たかと思うと、突然前のバンパーにボディを当ててきた。
予想していたとしおが、ハンドルを強く握って姿勢を保つ。
二度、三度。明確な意図を持って、黒い魔物のように、そいつはぶつかって来る。
「顔が判りますか?」
七佳が並走する車を窺う。だが乗っているのが一人であることしかわからない。
「とりあえず、普通じゃねェ事は確かだろ」
ヤナギが身を乗り出し、光纏。タイヤを狙って『影手裏剣』が闇を裂く。
爆発音と共に、黒い車がスピンする。ブレーキの音が響き渡り、国道脇の草むらに飛び込んだ。
すぐさま車を停車したとしおは、ヘッドライトを消し『索敵』で辺りを窺う。
「……いる」
夜の闇に紛れ、息を殺す生き物達。確実に、近付いて来る。
としおはそれが射程内に入るのを待つ。弱い月の光に『夜目』が捉えた敵の姿は、巨大な狼。
車内から狙い撃つと、こちらを明確に敵として認識する。
「もう一匹来た」
紘司の『生命探知』が、反対方向に潜む敵を感知した。
すぐに続けて『星の輝き』を使うと、夜の闇に光が満ちる。
そこに見えたのは、光に身を固くするディアボロ三体。
そして、黒服の人影。いつの間に近づいたのか、右後部ドアを掴んでいる。
ヤナギはほとんど反射的に影手裏剣を放った。その鋭い切っ先を身体に受けながら、突き出された腕がドアを引き千切り、放り投げる。
「てめぇは……奥居、か」
ヤナギが見たのは、確かに見覚えのある男の顔だった。
だが浮かんでいるのは、以前見た印象とは余りに違いすぎる凄惨な笑み。
「おや、僕を知っているのか。それは困るな」
言うが早いか、左腕を伸ばした。長い指がヤナギの頭部を掴むと、力が籠る。
――バリッ!
青白い光が弾け、ヤナギの身体が痙攣する。
直後、男の肩をオレンジ色に輝く銃弾が掠めた。
「ほんとは、銃は苦手なんだけどね!!」
「なんの、見事である」
千尋の『照射』による攻撃が命中したのだ。
こちらは射程内まで近付いたものの、まだ車から降りていない。
ラカンの阻霊符のお陰で、多少は攻撃を逸らすことができる。
男が手を振ると、闇から躍り出たディアボロが、跳びかかってきた。
「伏せてください」
さくらが『庇護の翼』を車体に使った。
激痛をひとり受け止める代わりに、下手すれば一撃で壊れてしまう車が守られる。
「ありがとう!」
千尋がさくらを気遣いながらも、連撃。
「大丈夫、です」
歯を食いしばりながら、さくらもオートマチックでディアボロを撃つ。
七佳は車を降り、得意の接近戦に備える。
「巌瀬さん、大丈夫ですか」
「ああ大丈夫、こいつも結構頑丈だ」
ヤナギの身体を掴んだ紘司が、左側のドアを開け、転がり落ちていた。
牙を剥く大狼が間近に迫っていたが、もしも奥居が本当にヴァニタスなら、危険すぎる。
一先ず立てるだけ回復させると、ヤナギが頭を振って立ち上がる。
「だっせェな、畜生。だが判ったゼ、あいつの攻撃は電流だ」
加減しているのかもしれないが、然程強くない。
身体が焦げる程ではないが、普通の人間なら一瞬でショック状態に陥るだろう。
「としお大丈夫か?」
背中越しに気遣う。
としおは車を降り、男と対峙する。
「奥居一彦さん、ですか」
「僕も、随分と有名になったものだね」
一彦は含み笑いを浮かべる。
「こんな事、もうやめろ! 亜矢さんが悲しむじゃないか!」
「亜矢、か……」
左手を数回、握っては開く。中指と薬指は揺れるだけで、拳にはならない。
「知ったら悲しむかな。まあ誰も教えなかったら、判らないんじゃないかな?」
一彦が足に力を籠めるのは、としおにも勿論判った。そして明らかに、相手のリーチより、自分の射程の方が長い。
だがとしおは、引き金を引くことを躊躇した。
相手が明らかに人でないと判っていても、殺したくない。
天使も悪魔も人も、絶対に、共存出来るから……!
としおの身体がゆっくりと路面に倒れる。
一彦が振り向いた。
「ああ、ディアボロって案外、弱いんだな」
三体いた大狼は、全て瀕死だった。
室内灯の明りがこぼれる中、撃退士達が自分を狙っているのが判る。
その時、道路脇から声がした。
「おいおい、いつまで遊んどる?」
「顔を見られた。片付けを手伝ってくれ」
「仕方があるまいの」
草むらから、のたり、と大きな爬虫類が姿を現す。一彦はいつの間にか右手に剣を握っていた。
ヴァニタスが二体。しかも一体は、全くの無傷。
一彦は自信に満ちた一歩を踏みだした。
その瞬間、サーチライトの照射。
『それ以上動くな! お前達に逃げ場はない!』
ライトの明るさに姿は見えないが、律紀の声だ。
『逃げても無駄だよ。すぐに俺達の仲間が駆けつける!』
「この場は引いておけ。死んでは元も子もないでな」
「……仕方ないか」
キィンと鳴るような一陣の突風に、車の部品が弾け飛ぶ。
爬虫類型ヴァニタスの攻撃だ。
撃退士達が身構えたその間に、一彦はハンザキを抱えたまま踵を返し、いずこへともなく姿を消した。
「あー、助かったあ」
道路に律紀が座り込む。
「援軍はどうした? 後を追うんじゃねェのか、逃げられちまうぞ!」
ヤナギが律紀の肩をゆする。
「逃げて貰ったんだよ。援軍はハッタリ。かかってくれて良かった……!」
「ハァ!?」
別荘にも一彦がいないことを確認しこちらへ向かう途中、一彦の車が通過したことを聞き、警察車両でなんとか送って貰ったのだという。
呆れ顔のヤナギに対し、今度は律紀が真顔になる。
「奥居さん、ヴァニタスだったんだね。……大村さんには、どう伝えよう?」
突き付けられた重い事実に、即答できる者はいなかった。
<了>