●激突
撃退士フリーファイターズ(略称GFs)の面々と、現役久遠ヶ原学生チームの野球対決の日。
抜けるような青空の野球日和である。
「「「おねがいしまーす」」」
帽子を取って礼。そして緒戦のメンバーは、守備位置に散った。
学園生チームはホームということで、後攻だ。
具合を確かめるように、水鏡(
jb2485)はマウンドを踏みしめる。
(うーん、あの姿だけ見てたら誰も初心者とは思わないよな)
ミットを構える御園豊は、改めて感心する。数日前に変化球の投げ方からまず教えてくれと言っていたなんて、とても見えないピッチャー姿だ。
(ただ、服装だけは何とかなあ……)
学園に来るまで真面目に野球に取り組んできた豊としては、サインを確認する度にこれでもかと存在を主張してくる見事な谷間が、まずあり得ない。せめてアンダーシャツをちゃんと着て欲しいという本音である。
だがそんなことはお構いなしに、空より青い瞳が笑みを湛えて頷き返す。
「人間の男はこういうのに弱いと聞いたしな」
実は変化球の投げ方どころか、水鏡は野球そのものが未経験なのである。
はぐれ悪魔なのだから当然だが、宿題をしながら夏の大会のテレビ中継を見ていた経験もない。
(まぁ、ルールは把握しておいたから、なんとかなるとは思うが)
ちなみに実技学習に使用したのは、超次元野球漫画である。
もしかしたら彼女の言う『変化球』は、分身したり砂煙をあげて消えたりする『魔球』の事だったかもしれない。
プレイボールの掛け声と共に、1番打者がボックスに立つ。
水鏡の左腕が大きく回転し、緩い直球が豊のミットに吸い込まれた。
お互い顔見せの初球はストライク。アンダースローはスピードは出ないが珍しいフォームなため、打者からは非常に打ち難いはずである。
2球目のカーブは上手く合わせカットされファウルに。
追い込んだ直後の3球目。
三塁手の月丘 結希(
jb1914)は腰を落とし、打者を睨んだ。
「野球は見た事はあるけど、実際にやるのは初めてなのよね」
強い当たりが飛ぶことの多い守備位置だ。
(……落ちついて、ボールに意識を集中よ)
その手前に、やや甘く入ったシュートが弾き返される。
結希は即座に反応し捕球するも、一塁手の雀原 麦子(
ja1553)の構えたグラブにボールが収まる前に、俊足の打者は傍らを走り抜けていた。
「うーん、やっぱり投球に難ありかな」
右肩をぐるぐる回し、悔しそうに結希が呟く。
2番打者は事前の情報(筧氏のコール)によると、バント職人。
警戒しての前進守備だったが、見事勢いを削がれベース前に落ちた球は、豊の強肩を持ってしてもバッターアウトがせいぜいだった。
1アウト二塁。初回からピンチである。
「こっち来たボールは全部捕ってみせるから、ドーンとやっちゃってよ!」
2塁手の武田 美月(
ja4394)が元気いっぱいに声をかける。
「私達だけの冬の甲子園っ! 思いっきり楽しまなくちゃね!」
美月は今までキャッチボールやノックぐらいの経験はあり、完全に未経験という訳ではない。
テレビ中継で試合も見ており、ルールについても概ね把握している。
あとは大事なのは、心構えのみ。常に『全力プレー』で挑むのみ!
(次のバッターは安打製造機か……だが左対左、こちらが有利だ)
豊はサインを送る。頷いた水鏡は、得意の早いスライダーでプレッシャーをかける。
「なかなかいい球投げるよね……本気出さないと無理かな、これは」
打者がにやりと笑った。
短く構えたバットが逆らわずストレートを弾き返す。
「……ん。勝ったら。打ち上げとか。やるよね? 食べ放題だよね? ……って、あれ?」
長打を警戒し、センターやや後ろ寄りに守っていた最上 憐(
jb1522)の手前にポトンとボールが落ちた。中継に入ったレフトの中山律紀(jz0021)に、慌ててボールを返す。
「サードォ!」
豊の指示に、俊足のランナーをギリギリで三塁でとどめることができた。
「ドンマイ! 落ち着いてこう!」
1アウト一・三塁。ピンチは続く。だが、豊は余裕を持って声をかける。
「水鏡さん、次も左打者だ。しかもオッサンだ。行ける」
「わかった。今度こそキッチリ打ち取ってみせる」
その言葉の通り、引っかけた打球が前進していた遊撃手のアンジェリナ(
jb2716)の手前に転がる。
「打者の行動の予測、打球の飛び筋。 目を離さず集中する点においては、戦闘に通じるな」
素早く捕球し、槍を投擲する要領でバックホーム。本塁に突っ込んでくるランナーを豊が刺すや否や、一塁手の麦子にボールを投げる。
撃退士といえど、寄る年波には勝てず。
「はーい、苦労さま♪」
荒い息を吐く相手チームのキャプテンの肩を、麦子がグラブで叩いた。
●懊悩
変わって攻撃。
「あっちもあんなのかよ……」
豊が相手チームのピッチャーに、ベンチでがっくりと肩を落とす。
(俺がやりたかったのは、こういう野球じゃなかった気がする……)
「モモコよん。よろしくねぇん♪」
弾むようにマウンドにやってきたのは、始球式ですかと問いたくなるようなお姉さま。
一番打者の結希が、バットを担ぎ言い放つ。
「あの投手、色々生意気だわ」
主に体型の事らしい。確かに結希はスレンダーで小柄だが、まだ中等部なので悲観することはない。
「見てなさい、泣かせてやるわよ」
闘志を煽りつつバッターボックスに入る。
初球の速い球が真っ直ぐ決まって、ストライク。
(まずはあの球に慣れないとね……可能な限り粘って、一球でも多く投げさせる)
速球は球筋が見えれば、打ち易くなる。それに多少なりとも疲労を誘いたい。
その為に、序盤は全員で球数を稼がせる予定だ。
計画通りに結希はストライクゾーンには食らいつき、相手の失投を誘いフォアボール。
続くアンジェリナも粘りに粘り、フルカウントからの狙い球の直球。
「バットでボールを叩くのは敵の僅かな急所を突くのと同じ……!」
だが球速に負けた打球は高く上がり、外野フライ。走者動けず。
次打者の麦子もバットを短く持ち、ひたすら当てに行くも、ショートゴロ。
「ボクの見る限り、速球とスローボールでフォームに特に違いは見られないな。流石と言うか」
じっと観察を続けながら、水鏡が呟く。
「強いて言えば、投げる瞬間の手首の捻りが少し違うことか」
その言葉に頷き、豊が打席に入る。
本人はいたって真面目である。だが、投手の雰囲気たるや、こちらの気力を削ぐこと甚だしかった。
すらりと伸びた足は程良く筋肉がつき、正視に耐えない程まばゆい。
……要するに、豊は脚派で、割に年上好みだったようだ。
それでもなんとか打ち返した球は、ピッチャー強襲。
「きゃっ! いったぁ〜い!」
それで豊の走るスピードが遅くなったわけではないが、言葉に反する剛速球が一塁手のグラブに突き刺さる。
スリーアウト。
がっくりと戻って来る豊の頬を、待ち構えていた麦子が両手で思い切り引っ張った。
「い、いひゃい!?」
「豊ちゃんが一番好きなものって何? 本当に好きなものだけを集中してみて……いい?」
真剣な眼差しで、豊の目を覗き込む。
「……それが太股っていうのなら、それはそれで新しい道だけど」
守備位置に向かおうとしていた律紀が、つまづきかける。
「いやそれまずくないかな、麦子さん?」
麦子はにっこり笑って手を離す。
「ま、りっちゃんにお願いされちゃったからね〜♪ 豊ちゃんには思い切り野球して貰わないと!」
続けて結希が声をかける。
「御園、あんたは野球がやりたかったんでしょ? 学園にはたくさん人間が居るんだから、集めてやればいいじゃない。そりゃプロは無理だけど、欲しいのはそんな肩書きやら名声なの? あんたにとって野球って、何?」
「俺にとっての、野球……」
小さな声で豊は繰り返した。
●逆境
2回の攻防は、学園生側にとって苦しい展開となった。
先頭打者はGFsの5番打者。スイングはすごいが当たらなければどうということはない! というタイプだったが、これが見事に水鏡の緩いカーブをとらえ、レフトの律紀の頭上を越えるソロホームランとなったのだ。
続く6番打者にもヒットを浴び、迎える7番はDH。大ピンチである。
だが、豊は落ち着いてサインを送る。
今まで投げずに隠していた伝家の宝刀、変化の魔球。
要はアンダースローとサイドスローにしか投げられない、ストレートと同じスピードで曲がる変化球だ。
ただし球速が安定しない上にコントロールが難しいので、今の水鏡では相手を驚かす手としてしか使えない。
だが、今はそれで充分だった。
頷いた水鏡が、ゆっくりとモーションに入る。
直球を狙ったバットがボールをひっかけ、6・4・3の完璧なダブルプレーとなった。
「よし。温存作戦、成功だな」
水鏡がぐっと拳を握り、笑顔を見せる。勢いに乗り、次の打者を三振に仕留めた。
2回裏の攻撃では、先頭打者の美月が狙い通りに守備の穴・3塁強襲のヒットを放つ。
続く6番律紀もシングルヒット、7番の三振を挟み、8番DHが当たり損ねの内野ゴロを俊足で安打にしてしまった。
1アウト満塁の大チャンスである。
\ピッチャービビッテル、ヘイヘイヘイ!/
麦子がタイミングを見計らって、大声で野次った。
「ヤジを飛ばして、怒りの直球を投げさせて……と言いたいところだけどね。この程度なら、大人なモモコちゃんは怒ったふりをして、直球に見せ掛けたスロ―ボールで逆に引っ掛けてくるはず。そこを狙うわよ」
裏の裏を掻く作戦である。
「……ん。怒らせてみる。なんとか。狭いから。ストライクゾーン。狙い難い」
憐が、意味深な呟きと共に、バッターボックスに向かう。
実は試合開始前、ナイトウォーカーのスキルをフル活用して敵ベンチに接近し、相手ピッチャーの様子を窺ってきたのだ。試合中のスキル使用は禁止、ということは試合前は特に問題ないはず、ということらしい。
一球目の緩いカーブは、僅かにそれてボール。
小柄な憐はストライクゾーンが狭く、相手にとっては狙い難い。
そこに呟き攻撃、いや口撃が始まった。
「……ん。32歳にもなって、指輪もしてない。跡もない。彼氏ぐらいはいるの」
相手投手、モモコちゃんのこめかみにピクリと反応。
「なんですってぇ?」
「……ん。世間の32歳なら。私位の年の、子供。居ても、オカシク、無いよ」
何と言う禁じ手。初等部4年生、恐るべし。
モモコちゃんの口元が一瞬引き攣る。
「生意気なお子ちゃまね? フリー撃退士舐めんじゃないわよ!」
ズバーン!
時速170キロは超えているだろうストレートが、唸りを上げてミットに収まる。
「くぐって来た修羅場の数が違うんだからね、そんなことで動じると思ったら大間違いよ!」
高笑いするモモコちゃん。
スキル・逆上(?)により、精神攻撃は却ってまずい結果をひきだした。
続く結希も3球三振。
1点ビハインドのまま、最終回の攻防となった。
●反撃
3回の表GFsの攻撃は、調子の上がって来たピッチャー水鏡により0封となった。
だが、学園生側は1点を取らねば負けてしまう。初戦を落とすわけにはいかなかった。
美月が『攻撃前の円陣』を提案する。
「このままじゃ終われないしね。一泡吹かせてやろうよっ! 豊君、何かない?」
水を向けられ、一瞬詰まる豊。
彼は今、このひりひりするような感覚を楽しんでいた。
天魔と戦う時とは違う。真剣だが、互いを称えられる戦い。久しぶりの感触。
(ああ、俺ってやっぱ、野球が好きなんだな……)
負けているのに、ボールの感触が嬉しくて仕方がない。どうして忘れていたんだろう。
「絶対に、食らいつく。おっさんらをひっくり返してやろうぜ!」
ここから怒涛の反撃が始まった。
先頭打者のアンジェリナ、フォアボールを選んで出塁。
続く麦子はセーフティバントを狙うも、ショートの好守に阻まれアウト。その間にアンジェリナは二塁へ。
ここで豊がバッターボックスに入る。
「うふ、おねーさんが可愛がってあげるわねん♪」
可愛がるの意味が大分違う、猛攻。だがさすがに疲れが見えてきた。
序盤の球数を投げさせる作戦が、効果をあげている。
「ここで負けて、たまるかよー!」
思い切り振ったバットがボールを叩く。ライナー性の強い当たりが、二塁手のグラブを掠めて飛んだ。
次打者の美月がヘルメットの庇をぎゅっと握る。
(何となくだけど、サード方向には打たれたくないだろうしね。右バッターの私には外中心か……)
となれば、相手の配給は速球振り遅れ狙い。ならばその速球を狙って、思い切りひっぱたく!
狙い通りの甘く入った直球を、三塁方向に引っ張った。
1アウト満塁の大チャンス。
完全に押せ押せムードの中、次打者の律紀が打席に入る。
「よし、当たってでも出る!」
短く構えたバットに、とにかく当てる。
(ゲッツーにさえならなければ、負けることはないんだ……!)
だが後がないGFs側も本気だった。厳しい内角攻めに、バットが出せない。
続く直球……と見せかけ手元で変化したボールに、おっつけで出したバットが当たり、打球が転がる。
本塁が間に合わないと判断した投手は、一塁で律紀を刺す。
その間にアンジェリナが悠々と生還。これで同点!
「ホームだ!」
響き渡る捕手の声。
豊が、本塁を狙って飛び出していた。だが彼の唯一にして最大の弱点、それは鈍足。
クロスプレーの結果は……
「アウッ、ゲームセット!」
一同に、豊が拝みながら頭を下げた。
「ごめん!」
「まあ、負けなかったからいいんじゃない?」
麦子が、いつの間にか取り出した缶ビールを片手に笑う。
「で、楽しかった?」
ウィンクに返す笑顔は、冬の青空のように明るかった。
「このメンバーで野球ができて、本当に楽しかった。有難う」
アンジェリナは興味深そうにそれを見つめていた。
「なるほど……これが人間界の娯楽。勝ち負けは確かにある。だが……その結果すら清々しく受け止められるのだな」
堕天使にとって、不思議で、興味深い世界。今まで知ることのなかった……。
「この一種の余裕とも言えるものが人間の思考を培うのか……」
だが突然、豊の顔色が変わる。金網の向こうにやたら体格のいい一団がいるのに気づいたのだ。
「おい中山、アレもしかしてラークスの獅号か! わ、道倉も? なんでこんなとこにいるんだよ!」
「ああ、今回対戦する別のチームは、ラークスの選手の指導受けたみたいだよ」
豊が律紀の胸倉をつかんで揺する。
「ちょ、何で俺もそっちに入れてくれなかったんだよ!」
「俺だってさっき知ったんだよ。ていうか御園、お前さっきと言ってること違うぜ?」
「それはそれ! 俺だって獅号に指導して貰いたかったあ〜!」
グラウンドには豊の絶叫が響いた。
\ズルいじゃないか、ナカヤマー!/
<了>