●花園を探せ
乾いた風が、枯れた光景の中を駆け抜けていく。
住民の立ち入りを制限していた地元警察の案内で、撃退士たちは冬枯れの寂しい農地の北端に立つ。
寒い光景の中でも島津・陸刀(
ja0031)の赤い瞳は熱かった。
「やァっとか、待ちくたびれたぜ?」
拳を己の掌に叩きつける。
(わざわざ医療キット支給とかそれだけ厄介な依頼って事か、やれやれだな)
対照的に、よれたコートのポケットの中を無意識に探りながら、綿貫 由太郎(
ja3564)は余り冴えない表情だ。
方羽 智(
ja3868)の、顔の大部分を覆ったマスクから覗く瞳が落ちつきなく辺りを見回す。
(うぅ、息苦しいしマスクを取った所はとても人様に見せたくありません・・・早々に、潰します)
ちなみにマスクの下の鼻には、詰め物までされているのは乙女の秘密だ。
この1班3名が、目の前に伸びる幅広の農道から500メートル東側の側道を探索する。
囮役の陸刀は、今のところマスクなしだ。自身が罠にかかったと判断したら、腕に力を込めて光纏状態にし、二人に知らせて止めてもらう手筈になっている。
農道を挟んで1班と反対側、500メートル西側の側道に控えるのは2班だ。1班と2班は同時に出発して南下する。
「クマノミとイソギンチャクみたいな関係の敵ですね」
楯清十郎(
ja2990)は、まるで観光にでも来たかのような穏やかな様子である。
「はあ…面倒だな。小細工しやがって…」
口では面倒と言いながらも、真龍寺 凱(
ja1625)の大人びた表情は引き締まっている。どこからでもかかってこい、というオーラが全身から漂っていた。
「習性ではなく知恵でそれをやっているならなおのこと厄介だったが、さすがにそこまでではないはずだ」
マスクでおさまりが悪くなった眼鏡の位置を直しながら、天羽 流司(
ja0366)が受ける。内心、囮役から外れ安堵していた。決して臆病風に吹かれたわけではない。自分の防御能力を客観的にみてのことである。その分攻撃に集中するのが自分の役割だ。
その手にあるスマートホンには、あらかじめ「敵出現」のメール本文・宛先が用意してあり、2班が敵を見つけたら送信ボタン一つで送られるようになっている。
「止める時はお手柔らかに頼みます」
囮役の清十郎がまるで他人事のように柔和な微笑を浮かべ、1班にランタンで合図を送る。
両班が同時に索敵を開始した。
農道の北端で、出番を待つのはレナ(
ja5022)と鷺谷 明(
ja0776)だ。こちらは大人数で近づくと逃げるという敵に備えて、1・2班とは距離を開けて出発する。
「ディアボロ退治なのだ!撃退士のお仕事なのだ!」
レナは金髪ストレートの美しい髪に何故か忍者装束である。一生懸命な気持ちがみなぎり、身体全体がはちきれそうだ。バンダナとマスクで鼻と口を覆い、双眼鏡を手に、先発班の様子を注意深く観察している。
「蜘蛛型のディアボロ…私は嫌いじゃないがな」
明が笑みを絶やさず呟いた。囮担当は彼なのだが、罠にかかることすらどこか楽しみにしているように見える。
1・2班が一つ目の辻にたどり着いたのを確認し、彼らも南下を始める。
●アラクネーの罠
凱と流司は、他愛のない会話で常に清十郎の様子を見ながら農地を進んでいた。2つ目の辻を過ぎたところで返答が途絶える。
元々穏やかな表情なので若干判りにくかったが、清十郎の足の向く先が方向を変え、突然畑に踏み込んだのだ。その視線の先にあるのは、やや小ぶりな竹藪。
「ビンゴだな」
凱が小さく呟き、清十郎の背後から得意の関節技で動きを止める。相手が意思を失った撃退士である以上、生半可な方法では止めきれない。お手柔らかな方…だったと信じたい。少なくとも怪我をさせることはないはずだ。
その間に流司が準備していたメールを送信し、医療キットを取りだす。
ほどなくして、メールを受けて1班と3班のメンバーも集合する。
既に陸刀も濡れた布を鼻に当てている。ガスマスク姿は明だ。
(ダースベイダー…)
息が漏れる音と黒のロングコートを纏った姿は、最年長の由太郎に某有名SF映画のキャラクターを思い起こさせたが、敢えて口には出さなかった。
索敵は完璧に成功した。
味方の被害は最小限で、敵が逃げ出すより先に発見することができたのだ。
ここで事前の打ち合わせ通り、改めて班分けがされる。
敵は2体。奥にいると思われる蜘蛛型の足止めは、接近攻撃に秀でる阿修羅の陸刀と凱、そして防御の要アストラルヴァンガードの智が担当する。
そして物理攻撃が効きにくいと思われる泥状の植物型を残りのメンバーが殲滅し、最終的に蜘蛛型を倒す段取りだ。
正気に戻ってマスクとマフラーを身につけ、首や肩の具合を確かめるようにコキコキと鳴らす清十郎の横で、ロッドを握りしめた智がぶつぶつと呟いていた。
「…クモ、という事はやはり木の上から降りてくるのでしょうか…うぅ、想像しちゃいました!」
自分の肩を抱いて、身を震わせる。
どうやら蜘蛛が苦手なようだ。それでこの任務にあたったのだから災難かもしれない。
阻霊陣を手に竹藪の傍で様子をうかがっていた流司が、身振りで合図を送ってくる。
…敵がこちらに気づいた様子だ。
もはや一刻の猶予もない。
それぞれが表情の読み取りにくい姿で頷き合うと、一斉に飛び出した。
●互いの共闘
竹藪は南側に開けていた。冬の北風を防ぐためだろう。北西には壊れかけた小さな納屋がある。
入口付近には、情報の通り可憐な白い花が一面に咲いている。そして右奥の上を見やると、竹藪の半分ほどを覆う巣を張った巨大な蜘蛛が、鎌のような顎をガチガチと鳴らしていた。
「マジック苦無アタックなのだ!」
レナが敵の注意を惹くように、白い花畑に魔力を込めた苦無を叩きこむ。
射程を活かして、由太郎もやや離れた場所から銃弾を撃ち込む。飽くまでも牽制目的なので、効くかどうかは敢えて考えない。
「綺麗な花には棘がある。だったら全部切り飛ばしましょう」
清十郎が手にしたスクロールの光玉が、高速で回転し円盤状になったかと思うと飛び出していく。
白い花弁がぱっと宙に舞う。それは美しくすらあったが、気に留める暇はない。
「さあ、こっちも本番だ。マジでいくぜ?」
その隙に、蜘蛛へと近づこうと駆けだす凱の横で、陸刀がよろめいて膝をついた。
撃退士たちは感知できなかったが、おそらく花の香りは攻撃を受けて強くなったのだろう。大きな鳶が一羽、どさりと竹藪の中に落ちてくる。
陸刀の用意したのは濡れた布だった。これで鼻と口を両方覆っては息ができず、どちらかが開いている必要がある。鼻と口は繋がっているので、麻痺攻撃の影響を受けてしまったようだ。
素早く智が医療キットを使い、明が予備のマフラーとマスクで陸刀の顔を覆った。
「結構似合うぞ」
ガスマスクの下の明の表情は外から見えないが、おそらく笑っている。
「すまねェ、恩に着る。この分は蜘蛛の方に叩ッ込んでやるぜ!」
軽く頭を振ると、智と一緒に凱の後を追う。
花を散らされ泥の表面が露わになったディアボロが、ぞわりと形を変える。
明の身体を宵闇色のオーラが這い回り、手にした拳銃からも滴が落ちるように見える。放たれた銃弾が、泥を散らす。
と、地面に広がるディアボロの真ん中にパクリと穴が開き、そこから一番近くにいたレナと由太郎を狙って泥状のものがびしゃり、と飛び散る。素早く反応し、二人は上手く逃れた。
「レナちゃんの忍者装束、汚したらゆるさないのだ!」
「いかんね、ここで止めんと蜘蛛に近づきすぎる」
敵の移動により射線上にレナが入ったため、由太郎が移動する。さりげなく、他のメンバーより敵に近い位置へ。そして再び銃弾を叩きこむ。
たまらず竹藪の奥へと移動しはじめる敵の進行方向には、清十郎が立つ。
「全方位通行止めです」
ディバインナイトの光弾はディアボロに大きな威力を発揮し、ぬめって光る泥が千切れて、大きく跳ねる。蜘蛛へと近づこうとする動きが止まった。
ほとんど迷走と言っていい様子でまたも進行方向を変えた敵の正面には、予め側面に回り込んでいた流司がいた。満を持して放たれたダァトの強力な魔法攻撃が、泥を浴びせようと口を開いていた穴に浴びせられる。
一瞬、その攻撃を呑みこむように縮んだディアボロが、握った手を開くように広がったかと思うと見る間に水気を失ってゆき、後には乾ききった苔か根の残骸のようなものが残された。
「やったのだ!レナちゃん達の勝利なのだ!」
レナが背恰好の割に発達した胸を張って宣言する。
「蜘蛛の方はどうだ?」
明が片手に銃を、片手にサバイバルナイフを握り振り向く。
「敵の前に立つのはいいんです。でも…虫の前に立つのだけは嫌ぁああ!?」
蜘蛛の巣の前で絶叫したのは智。陸刀と凱が攻撃しやすいよう側面展開したため、まさに防御楯となる形である。
蜘蛛は、巣の上を思いのほか早く移動し、智の正面でガチガチと威嚇するように顎を鳴らした。
「嫌ぁああああ!!来ないで!来ないで!!来ないでぇっ!!」
たまらず手にしたロッドで殴りかかる。当人は錯乱気味に来ないでと叫んでいるが、傍から見れば相当気合が入った物理攻撃である。
「いいぞ、智ォ!」
陸刀のナックルダスターを嵌めた右の拳が炎を纏った。蜘蛛の長い脚の付け根に叩きこむ。まずは移動力を削る算段である。
「オイ、遅ぇぞ。さっさと来いよ」
全身に黄金色のオーラを纏った凱が、智への攻撃を逸らそうと陸刀の反対側から蜘蛛に強烈な蹴りを入れる。植物型のディアボロを仲間が仕留めるまで、蜘蛛をこちらで引きつけなければならない。
蜘蛛の巣から伸びた糸が腕に絡み、本来の動きが制限されているのだが、それでも十分なパワーだ。
三方から強烈な攻撃を受けた蜘蛛が、ロッドの攻撃を頭上に受けながらも智の肩に噛みついた。
「きゃあ!」
肩に走る激痛に思わず叫び声が上がる。
「お前の相手はこっちだぜ!」
陸刀が負傷した智から注意を逸らすために、比較的柔らかいだろう蜘蛛の腹を激しく攻撃する。絡んだ蜘蛛の巣を払いながら周囲を見やった凱が声をかけた。
「島津、植物のやつが近づいてる!下がり過ぎないようにしろ!」
「何ィ!」
もはや足止めなどと言っている場合ではない。本気で行くしかない。
凱の黄金色のオーラが、ひときわ大きく、明るく輝く。荒々しく蜘蛛の前足を掴み抑え込むと
「死んどけや、害虫野郎!」
渾身の頭突きを食らわせる。
たまらず巣の中を後ずさりした蜘蛛が、凱に向かって白い糸の塊を吐きだした。空を切る音を立てて飛んできたそれを、凱は辛くもかわす。
その隙に、智が巣を支える糸を数本、ナイフで切断した。足場がゆらぎ、バランスを崩した蜘蛛が体勢を立て直そうともがく。
姿勢を立て直すと並んだ複眼が怒りをあらわに赤く燃え、近くにいた陸刀の首を噛み千切ろうと襲いかかった。
「これでも食らえ!」
正面から蜘蛛の顎を見据えた陸刀は、燃え盛る拳を肩まで蜘蛛の口に捻じ込み、中身を抉りだした。
蜘蛛は苦悶のうちに体液を滴らせて暴れまわり、やがてぼろぼろに破れた巣の上で動かなくなった。
●生者の凱旋
「あ〜……邪魔くせえな。さっさとシャワーが浴びたい」
髪に残った蜘蛛の糸を払いながら、凱が悪態をつく。
勿論、敵を撃退できたからこその台詞だ。
「あ、糸が…」
明が落ちていく先を眼で追う。
先刻、こっそりと蜘蛛の脚なり切り取って持ち帰ろうとしたが、それは禁止されていると皆に止められたのだ。せめて糸が欲しかったらしい。
だが蜘蛛が倒れた後、糸はそれまでの強靭さやしなやかさを失い、触れるとボロボロに崩れて霧散する脆いものになってしまった。
由太郎が笑いながら、コートのポケットから取り出した電子煙草をくわえる。勿論本物の煙草が欲しい所であるが、そこは諸事情により我慢だ。
肩の傷を自分で応急手当てしながら、智はほっと安堵の息をついた。怪我人が自分だけでよかった。心の底からそう思う。
レナはその傍で踏ん張っている。智の壁になっているつもりだ。なんといっても周りはヤローどもばかりなのだ。
「今回は辛くも勝利、というところかな」
流司が冷静に分析する。
植物型の敵の撃破があと一歩遅ければ、蜘蛛型を牽制攻撃している味方の後背を危うくするところであった。
メンバー構成から最良の班分けをしたつもりであったが、挟撃される可能性の予測が足りなかったかもしれない。
無論、勝利し生き残ったのだから、今後の糧とすればよい。
これから彼らが対面する敵は、もっと強いはずだ。その時にはこの経験が生かされるだろう。
…生き残った者には、それが可能だ。
「あとでここの畑の人に、一言謝りに行かないとな」
踏み荒らしてしまった畑の傍に、持参した線香を陸刀がそっと手向ける。
名前も顔も知らない犠牲者たちに、自分たちができることはそれぐらいだと言うように。
広い農地に、禍々しい花の香りの代わりに、やさしい線香の香りが静かに漂っていった。
<了>