●逃げる男
「ええーっ?! せっかくのきかいなのに!」
小林の泣きごとに、エルレーン・バルハザード(
ja0889)が心から信じられない、という声を上げた。
コスプレ、それは至高の喜び。普段の己を捨て別の存在になりきる喜び。その楽しみを知らないことは、人生における重大な損失である。
と、エルレーンは信じてやまない。
「よぉし! じゃあ、このぷりてぃーかわいいえるれーんちゃんが、こすぷれの楽しさを教えてあげる、なのっ」
恐ろしきは純度100パーセントの善意。小さな親切大きなお世話。
エルレーンの綺麗な瞳に危険な気配を感じ、身構える小林。じりじりと後じさり。
「小林さんの気持ちは良くわかりますが」
紅華院麗菜(
ja1132)がその背後に回り、重々しく頷いた。
「一度決定した事には従うべきだと思いますの」
そのひたむきな目に、何処か邪悪な影が宿るのは気のせいか。
若菜 白兎(
ja2109)は、控え目ながらも二人に一生懸命抗議する。
「嫌がってるのに、むりやり女装させようなんて……」
普段あまり強く意見を主張する方ではないが、今回は小林に同情的だ。
紺屋 雪花(
ja9315)は、白兎を楯にする形で小林に近寄った。
「お前の気持は判る。いや、俺にしか判らないかもな。家の都合で子供の頃、望まない女装で苦労した、そして今もだ……」
雪花がふっと遠い目をしてみせると、小林は縋るように食いついた。
「判ってくれるか!」
「ああ、だから協力しよう。ここに連絡先を書け」
魔法のように紙切れを閃かせた雪花の手を、小林ががっしと握る。
「有難う、本当に有難う!」
「!!」
それがスイッチだった。
素早くペンを走らせたメモを小林が返すと、受け取る雪花の仕草が先程と少し違う。
「お、お礼なんて……とにかくここは私がなんとかするから、ね」
雪花の不幸。それは、男に手を握られると女性人格が現れることだった。
だが今、小林はそれを深く考える状況にない。
「ありがとう、心の友よ!」
いきなり雪花に抱きつくと、そのままあっという間に『壁走り』でその場を離脱した。
「大丈夫、しっかり頼まれたの。安心して彼女さんとデートしてきてくださいなの」
白兎が手を振って見送った。
残った雪花。偶然にも小林の行為が元に戻る為の手段であったことは、不幸中の幸いであったろう。
(あ、危なかった……まあとりあえずは、部長の方に当たるか)
一見小林に協力的な雪花だったが、サボりデートまで見逃すつもりはない。
神埼 累(
ja8133)が普段のおっとりした印象に似合わぬ強い口調で、主張する。
「本人が好きでやっているならいいのよ? ……でも、そうじゃないなら……似合わなくてやる気の無い女装なんて許せない、わ」
なんか違う。でも本人にとってはそこが重要なポイントらしい。
「要は、文化祭の出店が成功すればいいわけですよね? なら別に小林君が必ずしも女装しなくてもいいのでは」
「……確かに、嫌がっているものを、大人数で押し付けるのは好きじゃないな」
互いの利害が一致する線を探ればいい。そう考える鷹司 律(
jb0791)に梶夜 零紀(
ja0728)も同意する。
だが、部長の部活動への熱意も理解できる。
「折角の文化祭だ、どちらも満足できる形が一番いいと思うが……」
「とにかく、部長さんとも話をしたいですね」
そう言って微笑む、沙 月子(
ja1773)の眼がすっと細められた。……目が、全然笑ってない。
ひとまず一同は、『第77民族学研究会』の出店へと向かう。
●怒る女
「小林君はまだ見つからないの?」
『逆転喫茶』の控室で、大沢部長がテンガロンハットをくいっと上げた。
そこに部長をご指名ですよ、と、部員の声がかかる。
愛想よく出てきた大沢部長の足元を、月子の『咎釘』がいきなり捕えた。
「小林さんについてお話があります。お時間よろしいですね?」
有無を言わせぬ迫力に、部長はぽかんと口を開けている。
「あのさ、ちょっとこれ見てくれよ」
雪花が『変化の術』を使い、小林そっくりになった。身に纏っていたのは不本意ながら、黒いチャイナドレス。がっしりした体格の小林が、逞しい太腿を晒して仁王立ちしている。平均的男子らしい膝下には、それなりの草叢が見て取れた。
「さすがに上級者向け過ぎると思うぜ。儲けるなら広くウケないと」
だが、部長はめげなかった。寧ろその目が輝いている。
「思った通りだわ! チャイナドレスはやっぱり、小林君しかいないじゃない!」
駄目だこいつ。
その時、机を叩く大きな音が響いた。月子だ。
「貴女のしていること、最低ですね」
氷のような冷笑が顔に張り付いている。
「楽しいから、困ってる姿が面白いから、その程度の認識で。当人にとってそれがどれほど苦痛か、考えたことないんですか?」
普段の月子を知っている者がその様子を見れば、普段のおっとりした彼女との違いに驚いたことだろう。思ったことを内に秘める傾向のある月子が、一気にまくしたてた。
「私、中学生の頃いじめられてたんですよ。でも周りはいじめだなんて思ってませんでした。貴女のしていることと同じでしょう? 違いますか?」
その迫力に気圧され、部長が唇を噛む。
ふう、と息をつき、月子が少し口調を柔らげる。
「部活の売上アップという、貴女の目的も理解はできます。ここに親切にも、小林さんの代わりに女装してもいいという方々がいます」
そこで提案したことは、小林に女装ではない格好で外回りさせ、宣伝の役割をさせることだった。
「この辺りで妥協しませんか? 売り上げには問題ないはずです。むしろ宣伝もしている分、増に繋がるかもしれませんよ?」
いきなり押し込まれ、返答しあぐねている部長に、累が言葉を選びながら語りかける。
「小林さんは、来年大学部でしょう? 今年女装を無理強いしてしまったら、嫌気がさして部活を辞めてしまうかもしれない、わよ? 貴重な男子部員を勿体無いんじゃないかしら」
部長の視線が一瞬、泳いだ。どうやら痛い所を衝いたらしい。累はそっともうひと押し。
「こちらに三人、いるの。一人の女装を諦めて三人の女装を得ると思えば、萌え? というのかしら……が広がると思うのだけど……」
顔をひきつらせながらも零紀と律が頷いた。雪花はまだ小林の姿のままだ。
「少なくとも、小林よりはましだろう」
自分の姿を携帯に収めさせながら、雪花が言いきった。
その間、エルレーンは他の部員の様子を窺っていた。
小林の女装(想定)を憐れむように見ていた男子に近づいて、そっと声をかける。
「えっと、小林くんがまちあわせでいきそうなところって、わかる? おしえてあげたいの」
さも心配そうに小首を傾げるエルレーンの姿に、おそらく小林と親しいだろう男子は『朗報を教える』と判断したのだろう。実際は……うん、コスプレの楽しさを教えてあげたいのだが。
待ち合わせ場所の予測を聞きだすと、エルレーンは麗菜と共に教室を飛び出して行った。
「ふふっ……さあぁ、たのしいぱーちーのはじまりだよぉ☆」
●追跡
その頃、白兎は白い猫の着ぐるみに身を包み、人待ち顔の小林を見守っていた。
本人は隠れているつもりだが、非常に目立つ。ただ文化祭期間中で学内には様々な扮装の学生が闊歩していたため、堂々としていれば逆に印象に残らない姿だった。
(存分にデートを楽しんでもらいたいですの……)
ただ、月子が怒っていたことも理解できる。
(沙先輩のいうとおり、お仕事さぼるのは良くない、ですの)
なのでデートを宣伝しながらして貰えばいいという意見に納得した。
それでも嫌がることをさせるのはやっぱりダメ。なのでそんなことにならないよう、白兎はガードしているつもりなのだ。
(安心してくださいね、小林先輩! 彼女さん!)
ぐぐっと肉球手袋の拳を握りしめた白兎だったが、ふと鼻をひくつかせる。
ふんわりと甘い焦がしバターと砂糖の香り。
(こ、これは……クレープ屋さん……)
ふらりと足が向くのをはっと振り向くと、ちょうど小林が嬉しそうに手を振っているところだった。
「ごめんなさーい、おそくなっちゃった」
「俺も今来たところだから、大丈夫!」
全然今じゃないし。
並んで歩き出した二人を、白猫着ぐるみが追いかける。
だがそんな白兎に、強敵が次々と襲いかかった。出店の誘惑だ。
二人の背中と出店を交互に見る白兎。
「すぐに買えて歩きながら食べられる物なら……大丈夫、ですよね」
ついに陥落。
「あ、そのカスタードシュー10個……お願いなの」
はむはむ。甘い香りに陶然としている白兎の視界に過る影。
麗菜が小林の行く手を遮るように現れたのだ。
愛用の大剣を取り出し、振り翳す白兎。
「幸せカップルさんの邪魔をしようとする悪い人! 通りすがりの正義のねこさんがふたりを護ってあげるの!」
素早く割って入ると、仲間といえど容赦はしない構え。
「今のうちに早く、逃げてくださいなの!」
小林は何が何だか分からないまま、とりあえず頷き、彼女を伴ってその場を離れようとする。
「にがさないの!」
そこに『遁甲の術』で身を隠していたエルレーンが、麗菜に気を取られた小林に『影縛の術』を仕掛ける。
だが相手も同じ鬼道忍軍、素早く見切ると彼女と共に飛び退る。というか彼女も鬼道忍軍だったのか。
「うふ……いやだいやだって言ってても、そのうちやみつきになるんだよぉ」
「どれだけ嫌な事でも決まった以上はがんばらないといけないことあると思いますの、自分の都合だけで妥協点も探らずにそれを逃げ回るのはやっぱり駄目なことだと思いますの。 ……決していやいや女装が萌だとかそんな理由ではないですの」
澄んだ瞳で言ってることがめちゃくちゃなエルレーンと、一見まともそうでなんか漏れてる気がする麗菜。
息づまるような両者の睨みあいは、小林の背後から堂々と接近した月子の一撃で中断された。
「な、なにするんだ!?」
大きな鞄で後頭部を殴られ、小林が抗議の声を上げる。
「ちょっとこっちに来てください」
有無を言わせぬ迫力で小林を睨み付け、出店の脇に連れ込むと、月子の説教タイムが始まった。
「数の暴力には反対ですが、自分の担当の時間をサボって彼女とデート? 他の部員が怒るのももっともです」
鞄を開けると、衣服を取り出す。シャツに蝶ネクタイ、ベスト。カジノのディーラーだ。
「二人でこの衣装で校内を練り歩いて部活の宣伝して、きちんと『仕事』をしてください。部長さんにも話はつけてきました。その衣装が何かと聞かれたらベガスのカジノとでも言って下さい」
い・い・で・す・ね?
月子の迫力にたじたじになる小林。そこに雪花がとどめを刺す。
「ちょっとこれ、見てくれ」
そっと見せられた携帯電話の中では、他ならぬ小林自身がチャイナドレスで仁王立ち。
「ごふッ!?」
「このデータ自体を消しても、バックアップはとってある。彼女に見られたくないなら、この妥協案を呑んでお仕事しておいたほうがいいんじゃないか?」
裏切り者! 小林の眼がそう言っていたが、雪花は涼しい顔。
連絡先を教えた為に、発信元を辿られたと気付いても後の祭り。
一方で小林の彼女に、ディーラー衣装を勧めている。
「凛凛しいスタイルは君の美貌が映えると思うよ。彼氏も惚れ直しちゃうね」
大きな瞳をぱちぱちさせる可愛い彼女に、あらぬ姿を見せるわけにいかない。
小林はサンドイッチマンを真面目に勤めることを約束した。
●逆転喫茶
『逆転喫茶』の衣装部屋。カーテンを握りしめる律の背中が、ぶるぶる震えている。
「約束ですしね……似合うかどうかはこの際二の次と申しますか」
身につけているのは、ハンガリーの民族衣装。袖の膨らんだ白いブラウスに華やかな刺繍の施された身体に沿ったベストを付け、ふんわり広がるスカートには愛らしい白エプロン。
残念ながら、小柄な律に良く似合っている。というか、似合いすぎている。
「とても、似合っているわ」
累が目を細めた。彼女が着るのは律と対になった、男性用の衣装。ソフト帽にカロチャ刺繍のベスト、黒いボトムにブーツを履いている。こちらも長身痩躯の累に良く似合っていた。
実は律の衣装は、かつて自分が身につけていた物。踊ることが大好きだった頃の大切な想い出が詰まっている。
(私の背が……こんなに伸びなければ……!)
そっと目頭を押さえる累に、零紀が声をかけた。
「累、化粧を頼んでいいか」
その姿は、でっけえハウスメイド。地毛と同じ茶色のウィッグが涙を誘う。
「民族衣装とは少し違うかもしれないが…どうだろう? 時代を感じさせていいと思うんだが」
無表情のまま、何故かスカートの裾を持ち上げひらりと回って見せた。
うん、なんかスカートって広がると嬉しいよね、その気持ちは判る。
「良く似合ってる、わ……」
累は笑いを堪えながら、簡単なメイクを施す。
別にそこまでやらなくてもいいのだが、どうせなら完璧を目指す零紀だった。
「『お帰りなさいませ、ご主人様』……ん、日本ではメイドの台詞はこれに決まっていると聞いた。違うのか?」
接客に出る一同の殿で、戻ってきた雪花が着慣れた様子でチャイナドレスを纏う。
「まあ普段から、似たようなのを着てるしな」
プロのマジシャンとして舞台に立っていた頃の衣装を思い起こす。……まあ、偶には良いだろう。
客席の隅では、チャイナドレスのエルレーンが部長に涙の訴え。
「ううっ……部長さん、ごめんなさいなの。小林くんににげられたなの」
良いわよもう、と笑う部長に、ふるふる首を振るエルレーン。
「セキニンとって、おしごとしますなのっ……」
言うが早いが『変化の術』で小林に変身。確かに本人がやってる訳じゃないが、ダメージは同じことである。
「本人と話がついてるから、もういいんですよ!」
月子が呆れたように小林(想定)エルレーンを控室に引き摺って行った。
そしてその日の営業終了時。
「みんな有難う! 我が『逆転喫茶』の本日の売上は予想の二倍だったわ。……これは小林君と森さんの宣伝のお陰もあるかな?」
大沢部長が、肩をすくめてみせた。
「もしそうだったら、文化祭終了まで毎日頑張ろうかな」
小林もおどけたように言った。無事和解が成立したようである。
「売上が二倍ですか。利益が上がる、素敵な事ですわ」
麗菜が給仕の際の執事姿のまま、満足げに言う。初等部六年生の脳内でどんな算盤が弾かれているのかは判らない。
白いエプロンスカートの裾を握りしめ、律が遠くを見る目。
「人間プライドを捨てれば、それなりに色々できるものですね」
メイド姿の零紀が慣れない笑顔でこわばった顔のまま、律の肩を叩いた。
「お疲れさま。お互いの女装に関しては……目を瞑ることにしよう」
これも賑やかな文化祭を彩る一ページ。
いつか思い出して笑えるような、そんな出来事。
<了>