●静寂
ディメンションサークルを抜け、誰もいない無機質なコンクリートと鉄でできた森に撃退士達はたどり着く。
オフィス街の路面は、寒気に冴えた月の光に照らされ濡れているように見えた。
彼らに映像情報をもたらした監視カメラの位置に立ち、クリスティーナ アップルトン(
ja9941)が形の良い眉をひそめる。
路面にはこびりついた血の跡。
「被害者が10名も……」
学園で見た映像に映っていたのは眠る人々、飛び交うモノ、そして一人の男。
人々が倒れている中で一人立っている男が普通の人間のはずがない。
「きっとヴァニタスかシュトラッサー、あるいはそれと同等以上の存在ですわね」
ロングボウを構え、油断なく周囲を見渡した。
西園寺 勇(
ja8249)は阻霊符に力を籠める。
「むーん……蝙蝠、おじさん……」
言いかけるが、特に何を思いついた訳でもない。
「蝙蝠って、超音波を出して暗い所を飛べるんだっけ? だとしたら……」
だが勇は悲観はしていない。何故なら最後に事件を解決するのは、気合と根性だから!
勇は監視カメラの正面に見えるビルに近づき、するりと姿を消した。
仁良井 叶伊(
ja0618)は勇が言葉にした正にその点を、厄介そうだと考えている。
蝙蝠の形態をとる敵は闇の中でも自在に飛んでいた。形態が似ているからと言って実在の生物と同じだと考えるのは危険だが、少なくともこちらの位置を把握するのは容易いことだろう。
小型のライトを手に、枯月 廻(
ja7379)の言葉はシンプルだった。
「何であろうと、天魔は狩る……それだけだ」
彼らは何処から現れるか判らない敵を、おびき寄せる担当だ。
互いに適度な距離を取り、進んで行く。
先に行った陽動担当の4人を少し離れた物陰から見送り、ネコノミロクン(
ja0229)は何かの気配を感じ取ろうとするかのように、目を伏せた。
「警戒すべきは落雷と催眠作用――どちらの能力かは判らないけれど、心して掛からないと」
人型の敵は警戒すべき対象だが、人々を眠りに誘うのがどちらの仕業か断定できない以上、油断はできない。
桐生 水面(
jb1590)は、男の映像に残っていること自体に不自然さを感じていた。カメラを壊すこともできたはずなのに、である。
(うちら……撃退士が出てくるのが狙い、とか……)
気になる所はあるが、それは皆も同じだろう。
「とにかくさっさと事件を解決して、みんなが安心できるようにせんとあかんな!」
辺りを気遣う小声は、己を鼓舞するように力強かった。
「……来ました」
皇 夜空(
ja7624)の静かな声が事実のみを告げる。
銀色の影が宙を滑るように現れた。
それは廻のライトに引き寄せられるように、真っ直ぐ飛んでいく。ビルの陰に身を隠す残る4人にはまだ気付いていないらしい。
夜空の左目に、青いガラスのような光のモノクルが現れた。『中立者』で相手のカオスレートを判別する。
「カオスレート、プラス1」
天界寄りの気を纏う敵……おそらくはサーバント。
陽動班で初めに気づいたのは叶伊だった。
身を捻ると、射程内に入った銀色の影に向かって躊躇いなくアウルの銃弾を放つ。
最悪、当たらなくても構わない。まずは敵を引き摺りださねばならないのだ。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! ですわ」
クリスティーナが高らかに名乗りを上げる。
「敵の能力が未知数ですが…やられる前にやれば問題ないですわね」
同時に、力強く引き絞った弓からアウルの矢を放った。
「きたきた〜!」
ビルの外部階段から、勇が舞い降りる。
ハルバードを真下に向け、眼下の馬鹿でかい銀蝙蝠を串刺しにする構えだ。
だがいずれの攻撃も、闇を自在に舞う敵を掠めることしかできなかった。
月明かりを纏う敵の姿は見えるが、蝙蝠は思わぬ角度で素早く向きを変える。
明るすぎる月光がビルの陰を濃くしていて、蝙蝠の銀色を目で追っていると、明度の差に翻弄されるのだ。
「ふっふー! 待て待て〜!!」
ビルの壁を蹴り、その反動で素早く身を捻り斧槍を撃ち振るう。
それもかわされると、何処か夏休みに虫取り網を振り振りセミを追う子供のように、勇が走りだす。
……振っているのがハルバードなので、余り微笑ましい光景とはいえなかったが。
「回避能力が高いですわね」
それでもクリスティーナは、休むことなく次々に矢を射かける。
「……天魔は、殺す」
廻の身体を禍々しい赤い光が覆った。アウルのナイフが、蝙蝠に襲い掛かる。『ヴァルキリーナイフ』に気を取られた敵の隙をつき、突進。
大蝙蝠の鼠のような頭部が見て取れるほどの近距離で薙いだ大鎌は、蝙蝠の羽根を掠めた。
と同時に、廻の肩に激痛。
バランスのとりにくくなった翼で離脱する敵の牙から、鮮血が滴る。
「では、いくよ」
ネコノミロクンが『聖なる刻印』を仲間に順次掛けて行く。人々を眠らせたのがサーバントの特殊能力なら、それに対抗できる方策を講じる必要があった。
すぐ傍らで水面がフェアリーテイルを開く。柔らかな青いの光が溢れると、戦闘中にもかかわらず心が和いで行くのが判る。
意識を研ぎ澄まし、廻を襲った蝙蝠目がけ、光の翼を広げた光球が飛んでいく。
マクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)が、待ちかねたように踊り出た。
「マジ鳥なのか哺乳類なのかわかんねーんデスがッ!」
赤から銀に変わる長い髪がふわりと広がり、瞳が朱に輝く。少し口元を緩めると、犬歯が月光に輝いた。
構えたライフルから光の軌跡。
キィ、というような声と共に、大蝙蝠は地面に叩きつけられた。
その声が呼んだか否かは判らないが――新たな影が闇から滑り出す。
そのうちの一体が、明らかに彼らを敵を見定め突っ込んでくる。
「砕け―――抉れッ!!」
夜空が星の輝きを放つ太刀、星煌を振り降ろす。唱える名は『現実起動』嘆きの河(リアルブート・コキュートス)。刃は闇のカオスレートの威力をもってサーバントに叩き込まれた。
「空の袂に……この刃は為す―――ッ!!」
蝙蝠は体液を飛び散らせながら、大きくターンし、カッと威嚇するように口を開いた。
その瞬間、夜空の左目の前の輝きが失われる。
●夢幻
「皇……おい?なんか、やべえカンジじゃね?」
マクシミオは、明らかな仲間の異変に気付いた。
「これがサーバントの特殊能力なんかもねぇ」
水面は『ハイドアンドシーク』を使い闇に身を潜める。
魔法の光が闇から延び、サーバント目がけて宙を切り裂く。
その攻撃に大蝙蝠はまたも反転。すれ違いざまにマクシミオの肩を抉っていく。
「マクシミオさん!」
ネコノミロクンがその傷を癒しに、ビルの陰から姿を見せようとする。
それをマクシミオの声が押しとどめた。
「こんなの掠り傷だぜ、俺の回復は最後でイイ」
事実、癒し手は温存する必要があった。
「来いよ、化け物」
音を立てて黒い刃の魔法の斧を振り払い、構え直すと再び襲い来る蝙蝠に向き直る。
真正面から見据え、斧を振り上げたところで……
「マクシミオさん、危ない!」
動きの止まったマクシミオに、ネコノミロクンが呼びかける声は届いていなかった。
――甘い声が、耳元に小さく囁いた。
「……お帰り。遅ェンだよ馬ぁ鹿」
声に答え、マクシミオはわざと悪態をつく。
だが風のように柔らかく飛びこんできた身体に腕を回すと、その温かさに全ての虚飾が溶けてゆく。
「2年ってなァ……気が狂うくらい長いんだ。俺、初めて知った」
待って、待ち続けた2年。お前の他の誰も目に入らなかった。それほどに、待っていた……。
「しょうがないなあ……まぁ相手がサーバントやったら、うちの力が活きてくる場面やな」
マクシミオを狙って舞い戻る大蝙蝠の動きを、水面は静かに見極める。
サーバントの攻撃を自分が食らったら、マクシミオのようには耐えられないだろう。その分、こちらの攻撃は効くはずだ。
狙い澄まして放たれた冥魔の気を纏った光弾が、大蝙蝠の肩羽根ごと半身を穿った。
ビルに激突し滑り落ち、まだバタバタと蠢く大蝙蝠に、ネコノミロクンがとどめの銃弾を撃ち込む。
「あと1匹……余計な邪魔が入らないうちに片付けよう」
叶伊が肩を押さえ膝をつく廻に、声をかけた。
「枯月さん、大丈夫ですか」
返事が返って来ないことをいぶかしみつつ、大きな身体を屈めて覗きこむ。
と、足元に落ちたランプの光に照らされた廻の面に光る筋を認め、一瞬たじろいだ。
――廻の目は、今現実にある何物をも映していなかった。
その耳に聞こえるのはただ、柔らかな懐かしい声。
自分の名を優しく呼ぶ、家族や友人達。
愛しさと懐かしさに心は満たされていたから……。
「枯月さん、どうしたんです?」
叶伊は、明らかに様子がおかしい廻の肩を揺する。
だが飛来する新手の蝙蝠に気づき、威嚇の銃弾を繰り出す。今、近付かれるのはまずい。
楯を手に、共に廻を庇ってもらおうと援軍を求め辺りを見遣ると、つい先刻まで力強く弓を構えていたクリスティーナが、だらりと手を下げている。
――紅茶の澄んだ琥珀色が、気に入りのカップの中で揺れている。
「今日のおやつは、また格別ですわね」
掃除に洗濯にと忙しく駆け回る、双子の妹の背中に声をかけた。
優雅にティーカップに口をつけると、華やかな香りが鼻孔をくすぐる。
飛来した大蝙蝠に『スマッシュ』を撃ち込み、勇は連携を期待して振り向く。
「えっ、どうしちゃったの!」
そして廻とクリスティーナの異常な様子に気がついた。
「判らない、二人とも返事をしません」
叶伊が途方に暮れたように答える。
「わかった、じゃあそっちお願いしますね!」
「西園寺君も気をつけて!」
勢いよく飛び出す背中にそう言うと、目前で大蝙蝠が勇に近づくのが見えた。
危ない――そう声をかけようとしたとき、自分自身の意識が揺らぐのを感じた。
なんだ、これは。
暗い、闇。
今まで見えていたモノとは、異質の、闇……。
「いい加減に、落ちろー!」
ハルバードを力任せに打ち下ろす。ひらり、とすんでの所で身をかわした銀色の大蝙蝠は、滑るように滑空すると音もなく舞い戻る。
その光る身体を睨みつけていた勇は、真正面から対峙してしまった。
うつろになった目。ハルバードを構えた腕に蝙蝠が牙を立てる。
――温かい匂いのする食卓。両親が笑っている。
「あのね、僕がね力持ちになってそれで武器がしゅばーっと出てくるの!!」
たちのぼる湯気に頬を上気させ、勇は身ぶり手ぶりも交えて、自分の活躍を語る。
「すごいでしょ! 僕ヒーローだったんだよ!」
ああ、夢を見たんだね。ヒーローになる夢を。
そう、夢の中で僕が撃退士だったんだ。これでもう天魔なんかに……誰も……。
天魔。
そのイメージの瞬間、両親の笑顔が歪む。
苦痛。苦悶。
ちがう、これは夢。また怖い夢を見るんだ。僕は……。
●使徒
「ッやァああああああああッッ!!」
夜空の叫び声が闇に木霊した。
片手で顔を覆い、肩で息をする。
懐かしい人達、失った人たち。最後に何かを見た、と思った瞬間、意識が戻った。
頭を振って身を起こす。鋭い視線が、ネコノミロクンの視線とぶつかる。
「その様子だと、呪縛は解けたのかな」
蝙蝠にえぐられた傷口を、癒しの光が包み込んだ。
サーバントが全て倒れたことで、次第に全員の意識が戻っていく。
クリスティーナの指も、ぴくり、と動いた。その青い瞳に輝きが戻る。
「……こんなことしている場合ではありませんでしたわ。早く帰ってお茶を頂かなければ」
割と普通に復帰。クリスティーナは普段から大抵幸せだからだ。
その視界を、銀色の蝙蝠が横切る。
「いよいよ新必殺技を披露するときがきましたわね」
取り出した剣を構え、意識を集中。
「初めて目にするのを光栄に思いなさい。『星屑幻想』(スターダスト・イリュージョン)! ですわ」
満を持して放たれた光は、流星群を撒き散らしながら銀色の蝙蝠を撃ち落とした。
そのとき、マクシミオが小さく舌打ちした。
「……やべェのが、来た」
月光に輝く路面に影を落とす、コートの男。
「参ったな、全滅か。流石にお叱りを受けるかもしれん」
味方の誰のものでもない声に、クリスティーナが振り向く。
「貴方があの蝙蝠の飼い主、ですわね?」
「飼っているというわけではないんだけどね、まあ預かっていたというところか」
考え込むように腕を組み、首を傾げる。
本能が勇に相手の雰囲気が危険だと告げた。今はまだ、戦う時ではない。
「ふふん、じゃあ中ボスってところですか? お散歩が終わったならお引取り願えます〜?」
水面も同感だった。
(あいつの正体も目的もわからんし、とにかく情報不足や……帰ってくれるならそれが一番やな)
男がふと笑ったようだった。
と、一定の距離を保っていた撃退士達の間から、ひとつの影が走り出た。
廻だった。
身を包む赤い光が、怒りに燃えて一層激しく夜目に輝く。
「良い夢見させてくれた礼だ……遠慮なく受け取れ、クズが……!」
顔を向けた男は、ほとんど無造作と言っていい動作で左手を上げた。
「まずい! やめろ、枯月!」
マクシミオが叫んだ。ほぼそれと同時に、轟音。
男の左腕が雷光を放ち、何かが焦げるような音が後に漂う。
四肢から鮮血飛び散らせ、それでもなお廻は咆哮を上げる。
「天魔を前に、俺が止まる理由など在りはしない――!」
アウルによって錬り出されたナイフが、激しい憎悪を籠めて男に襲いかかる。
ぴっと、男の頬に光が爆ぜた。
「ではその意気に免じて、お相手しよう」
今度は男の右手に、金色のウォーハンマーが出現する。
体重を乗せた廻の大鎌を戦槌で受けると、絡めるようにして捻る。驚くほど速い。
得物を構え直す隙に、短く持った戦槌が突き出され廻の腹に撃ち込まれた。
廻の身体は後方に吹き飛び、地面に叩きつけられる。
薄れて行く意識の中、再び過る夢の残滓。
ささやかでありふれた、でももう二度と戻らない、幸せな日々。
(夢だとしても、会えて嬉しかったよ……)
男は廻を静かに見下ろした。
「逆上、か……。場合によっては逆効果か」
呟くと、こちらを向く。
「さて、他の撃退士諸君はどうするね?」
叶伊は男の挙動に危険を感じた。
(余程の自信があるということか……)
いつでも動きだせるように身構えつつ、返答する。
「あなたが手を引くなら、このまま立ち去ります。そうでなければ……」
やれるのか。
「こちらにはもう用はないよ。ではお互いこのままお別れかな」
ネコノミロクンは、敵意の消えた男に思わず軽口を叩く。
「俺達に用があるなら、今度はこんな回りくどいことをせず、撃退庁に依頼を出して欲しいよ」
「それは妙案だ。次からはそうするか。川上から電話があったら受けてくれるよう、撃退庁に言っておいてくれよ」
闇に紛れる男の笑い声が、遠ざかって行った。
<了>