●月下の檻
雲ひとつない快晴の夜だった。
冬の快晴は、気温を下げる。深い山では尚更だ。
先刻まで響き渡っていた自動車の排気音、ブレーキ音はようやく遠ざかった。
月を見上げ、エレン(
ja3576)は、ほう、と白い息を吐いた。
サーバントを撃退することが、村の問題を根本的に解決するわけではないかもしれない。だが。
「これ以上、誰かが犠牲になる必要なんてないですよね?」
自分に問うように、呟く。
嵯峨山 知紗(
ja5584)も、近くの木立に身を潜める。
「これまでの犠牲者の弔いのためにも、勝たなくちゃね」
強い気持ちがそうさせるのだろうか、初任務だというのに澄んだ青い瞳は落ちついていた。
合図が来れば、いつでも駈け出せる。
彼女たちが見つめるのは、木立が切り開かれた空き地だ。
到着時に下見したときと違い、今そこには木の檻が据え付けられている。中に、4人の人影。篝火がその半ば諦めたような顔を照らしている。老人と老婆と、それよりは若く見える男女。おそらく依頼人の一家だろう。
敵を撃退する場所に定めたのは、この檻の前。
近接攻撃の得意な物が正面に展開し、遠隔攻撃ができる者は敵の牽制と逃走を防ぐ作戦だ。
檻から10メートルも離れていない場所には見張り小屋があった。小さな窓からは中の様子は窺えない。その小屋から先は村だが、闇の中に静まり返っている。
村人は蛇神を恐れて、灯りを消し、息を顰めているのだろう。
アレナ・ロート(
ja0092)は空き地の風下側に待機していた。敵に匂いで察知されるのを防ぐためである。闇に身体を滑り込ませ、気配を消す。
戦いに慣れた赤い瞳は、敵がやって来るであろう山の方角を静かに見据えていた。
その東側、少し檻に近い場所で待機するのは雨下 鄭理(
ja4779)。
敵の姿が見えたら、すぐに檻の前に飛び出す。
自分たちの存在が依頼主にどういう影響を与えるか気になるところだが…
「……村では神と言われているようだが、敵には変わらんのだろう?……なら潰す」
その点は揺るがない。ともかく、頼まれたことをこなすのみだ。
広場の西側ギリギリの木立には、中島 晶(
ja0386)が待ち構えていた。
檻の中の人達をそっと窺う。
(彼らと村の関係を壊さないようにしたい…)
小さな村で亀裂を生じさせては、決定的に彼らの居場所をなくしてしまう。
…初任務のせいなのか?いまだ今回の任務への戸惑いが拭えないでいる。
●蛇神の襲来
月が天頂にかかる。
空き地は、篝火に頼らずに人身御供たちの顔がはっきり見てとれる程に、明るくなった。
恐ろしさのためか寒さのためか、ひと塊に身を寄せ合っている。
高槻 ゆな(
ja0198)は敵を発見次第みんなに知らせる担当だ。仲間のうちで最も西側の、国道と空き地の間の木立に位置どる。
愛用の銃は射程距離が長く、その場所からでも多彩な対応ができるからこその役割である。
「神様扱いを良い事に生贄食べちゃうとか…ダメでしょそんなの」
幼く見える顔だちが、鋭く強い意志に引き締まる。
その目が遠くの山肌に青くきらめく光の帯をとらえた。
「あれだね…!」
ゆなはそこで気付く。最も近い自分が、国道すら見通せないのだ。
敵が平地の移動に移ったら、木立が邪魔して相当接近するまで判らないではないか。
迎え撃つ場所を空き地に設定したのは、まずかったか…。
おそらく山肌の青い光には、みんな気づいただろう。
知らせるのは、あれが本当に近づいた、その瞬間。
ペンライトを握り締める。光の帯の進むスピードを眼で推し量り、耳をすませた。
敵は進路を木立に遮られることはないが、地面を這う以上、何らかの音はするはずだ。
――今だ!
ゆなはペンライトを打ち合わせ通りに揺らす。
小屋と檻、どちらにも近い場所で息を殺しているたのは、柾咲春歌(
ja1679)と雨宮 歩(
ja3810)だった。
万が一村人が出てきた場合は、邪魔されないように止めるのも役割だ。
「私は、天魔を討つもの」
春歌は己の使命を確認する。今日はその第一歩だ。迷いはない。
当人たちはもちろん知らないが、同じ任務を選んだ歩は、春歌とは対照的だ。
歩が知りたいのは、自分自身。
戦いに身を投じ、そこで感じたこと全てを心に刻み、少しずつでも自分とは何かを知りたい。
普段の彼しか知らない者は、その内心を伺い知ることはできないだろう。
その鋭い目が、合図の光をとらえた。
はじかれたように、檻の正面に駆け出す。
突然現れた複数の人影に一番驚いたのは、敵ではなく、檻の中の依頼人たちだったかもしれない。
一瞬の後に彼らの正体を悟る。待ち望んだ助けが来たのだ。
だがまさか、こんな堂々と飛び出してくるとは…!
しかしその驚愕は、傲然と姿を現した青く光る巨大な蛇の姿に圧倒され、霧散した。
まるで酸欠の金魚のように口をパクパクさせる。悲鳴すら出ないらしい。
依頼人たちを背後にする撃退士たちは、当然その表情までは見てとれない。
サーバントが姿を現した以上、見ている暇もないのだが。
「…ここは人間の領域だ。お前らの来る場所じゃない…帰れ」
飛び出しざま手にしたハンドアックスが、晶の手元で光を纏う。
「……帰らせるものか。ここに来たからには、な……」
鄭理が並んで刀を構える。知紗が回り込み、サーバントを半包囲する。
「蛇は好きだけど…ここまででかいのはちょっとなぁ…」
ロッドを握り締め、睨みつける。
宣戦布告代わりにエレンが放った苦無が、サーバントの後頭部に突き立つ。
「その先へは行かせません!」
味方が移動するための時間稼ぎのための攻撃だが、弱点を探るために狙いは付けている。
鬼道忍軍の攻撃が功を奏し、サーバントたる蛇の動きが止まる。
残念ながらダメージは致命的ではない。
ただ攻撃されたこと自体が、信じられないとでも言いたげだった。
「光っていては丸見えですよ」
続いて、アレナが極限まで弓を引き絞った矢を放つ。銀の髪が、夜目に踊る。
狙いあやまたず、矢は高く掲げた釜首の喉元に突き立つ。
サーバントは明確に敵意を認識した。
そこに歩が眼の前に飛び出した。自分に敵の眼をひきつけるつもりだ。
「ほらどうした鈍間ぁ。おいしい獲物はこっちだぞぉ」
掲げていた釜首を、サーバントが斜めに振り降ろす。スピードはともかく、質量が半端ではない。
「グッ…!」
歩は咄嗟に防御の体勢を取ったまま、弾き飛ばされた。頭部を庇った腕に鋭い痛みが走る。
エレンの攻撃と対の効果。サーバントの攻撃を鬼道忍軍がまともに食らうと、厳しい。
「あの蛇、絶対倒すっ!」
ゆなの銃弾が敵の頭部を抉る。
頭部に攻撃を受ければ胴よりダメージが大きいはずだ。味方が攻撃しやすいよう、敵の頭を低い位置にさせる。
「…雨宮殿、念のため傷は治しておきます」
晶が駆け寄り、回復スクロールを使う。
そのときだった。背後の小屋から大声が響く。
「なんや、お前らは!」
「こんな所で何しとんねや!」
監視役の村人だ。
出遅れ感がぬぐえないのは、予想外の展開の連続に、頭がついてこなかったためだろう。
春歌は予め、見張りとの接触は避けられないと判断していた。
すぐに反応し、距離を測りながら、警戒されないよう自然な様子で2人の壮年の男の前に立つ。
「私達は、この先にあるゲートの調査に派遣されてきたのですが、偶然サーバントと遭遇し交戦中なのです。危険ですので、暫く避難していただけませんか?」
「ゲート?サーバント?なんやようわからんが、ガキが夜中に集まって何やっとるんや!お前らも不良の仲間か!」
「おい、ワシちょっと他の連中呼んで来るわ」
交渉決裂。
「ごめんなさい!」
春歌が、駆け出そうとした村人に峰打ちを食らわせる。
「邪魔だから下がってろぉ。死にたいかぁ?」
もう一人の男に、密かに近づいていた歩が容赦なく手刀を振るう。
勿論、どちらも気絶させるだけだ。
村人が多数集まっては尚まずい。この場はとりあえず、二人には静かにしていて貰うしかない。
●蛇神の迷走
その間、サーバントが待ってくれるわけもない。
晶が歩の回復に下がったため、鄭理が最も近くに対峙することになった。
蛇の牙が、月光を受けて光る。
「…!!」
鄭理の目前で牙が空を裂く。
俊敏な動作で体勢を立て直したときには、髪の分け目から覗く鄭理の黒い左目は、赤く変化していた。
「……あんまり甘く見るなよ」
すぐさま踏み込んだ一撃が、敵の黄金色に燃える目と目の間に叩き込まれる。
蛇が土埃を立てて、頭部をめちゃくちゃに振り回す。
「効いている…?試してみる価値はありそうですね」
その様子を見て、アレナがやはり目を狙って矢を放つ。
距離があったが、矢は見事左目近くに突き刺さった。
蛇は頭を振ったその勢いのまま、炎を吹き出しそうな真っ赤な口を開け、アレナの方に向きを変える。
動じるそぶりすら見せず、アレナが凛とした声で皆に知らせる。
「目に攻撃してみてください。おそらく急所です」
「行きます!」
頭を下げた瞬間を狙って、春歌が右目に斬りつけた。
たまらず蛇は来た方へ方向を変える。
ゆなが阻霊陣を地面に当てた。
天魔が地面に潜れるのは短時間だと学園で教わったが、それでも見えない場所に逃げられては厄介だ。
残る片手で銃を撃つ。狙いは定めにくいが、幸い射線上に味方はいない。敵の動きを牽制できれば充分だ。
「逃がさないよ!」
知紗が蛇の死角に回り、頭を狙って魔法弾を放つ。
片目の蛇は避けることができない。
「いくぜぇ、さっきのお返しだぁ」
サーバントの左目が最後に見たのは、歩の一閃。
だが蛇は、ほとんど同時に歩に牙をむいていた。
「!!」
手痛すぎる反撃。
咄嗟に突き立てた刀に蛇は口を開いたが、歩はどうにか距離を取ったところで膝をつく。
みるみる体が冷たくなる。
(愉しい。だけど怖い。…怖いのに、愉しい。ああ、そうか)
歩はひとり思考の波に呑まれる。
(ボクは……殺し合いが好きなのかぁ……)
「そろそろ楽におなりなさい」
エレンの渾身の苦無に、サーバントはついに動きを止めた。
●任務の重み
壊れた檻から出ようともせず、依頼人の男は頭を抱え座り込んでいた。
男の妻と老夫婦も、無言で頭を垂れている。
「…せめてこれが誰にも見えんとこやったら!」
既に光を失った傷だらけの蛇の巨体が、傍で長く伸びる。
「神さんを傷つけてしもた俺らはもう…この村にはおれん。これからどないすればええんや」
「ただの人間に殺される程度のモノを神扱いとは滑稽だねぇ」
歩が軽く残る痺れに顔をしかめながら、言ってのけた。
「あのサーバントが神ですか」
アレナが静かに語りかける。
「信仰を否定はしませんが、盲目的な信仰は身も周りも滅ぼします。本当に信じる存在なら、真をちゃんと見極めてください」
ゆなが慎重に言葉を選びながら言った。
「自然や神様を大事にするのは良い事だよ、でも生贄はやりすぎでしょ。こんなこと続けてたら、そのうち村が無くなっちゃう事…本当はみんな判ってるんでしょ? 」
「他人に供物になることを強要されて…そのまま殺されて…理不尽だよ…」
知紗が透き通る青い瞳に苦しげな影を滲ませながら、声を絞り出す。
普段の左目に戻った鄭理は無言でたたずむ。
春歌も表情には出さないが、何かが違うと思う。
庇うでもない、非難だけでもない何かを伝えたいのだが、うまく言葉が見つからない。
エレンが庇うようにゆっくりと後を続けた。
「事情がおありだったのでしょう。ですが人身御供などと言って他人を殺す権利が誰にありますか。本当に大切なのは、この村が本当に平和であることなのでは?」
顔をそむけた男に、歩が辛辣な言葉を投げつける。
「ボクらが神殺しならお前らは人殺しだろうがぁ。今までお前らが犠牲にして来た奴らの憎悪を背負って生き続けなぁ」
黙ってやり取りを聞いていた晶が、手で軽く歩を制する。
「…そこまでは、自分達が口を挟む事ではないと思いますが」
「ええんや、お嬢さん。そのお人の言う通りや」
それまでうなだれていた老人が顔をあげ、静かに口を開いた。
「せがれが失礼言いまして、ほんますんません。こいつも早くなんとかせなあかんとはおもとったんやろうけど…」
老人は足を投げ出して座っていた―座ることもままならぬ程、足が悪いようだ。
突然男が顔をあげる。その顔は苦渋に満ちていた。
「あんたらは…都会の若いもんは、山で、自然に囲まれて暮らす集団ゆうのを知らんのや!これから病人が出ても、怪我人が出ても、あのとき神さん殺したからやて!そうなるんや!」
「ええかげんにせえ」
老人の、静かだが強い声。
「この人らはな、お前の頼みを聞いてわざわざ来てくれはって、もう誰も死なんでええようにしてくれはった。自分らが危ない思いしてまでや、恩知らずなこと言うな!」
老人が申し訳なさそうに続ける。
「…最後まで勝手な頼みやけど、聞いてもらえんやろか」
通りかかった若者らが蛇は神ではないと言い、退治し、去って行った。
自分たちは何も知らない。――それで押し切る。
だから、このまま村には寄らず、帰って欲しい。それが老人の頼み事だった。
山の仕事で鍛えた村人は蛇神を畏れても、見た目が普通の若者である撃退士に恐れを抱かない。
撃退士たちに実害はなくとも、村人が総出で襲いかかれば、それなりの立ち回りが必要だ。
それで村人に怪我人が出れば、その家族はたちまち生活に困る。
…それは避けてほしいと。
その言葉には、言った当人が意図せぬ問いかけがあった。
――お前達は天与の強い力に、酔ってはいないか。
撃退士は、天魔と戦う。
だが天魔を倒すことにだけ囚われては、必ずしも最良の結果を得られるとは限らない。
任務の重みとは、そのジレンマにあるのではないか?
「おかあさん!」
子供達の抑えた声が、重い沈黙を破る。どこから走ってきたのだろう、二人とも靴下のままだ。
「もう大丈夫だよ」
晶が、母親にしがみつく子供達の目線に合わせてしゃがみ、声をかけた。
「ほら、皆さん。任務を忘れたんですか?ゲートの調査に行きますよ」
それぞれに思うところ、言いたいことで一杯だろう一同を、アレナが敢えてきっぱりと促した。
それからしばらく後、撃退士達宛に荷物が届いた。
発送元の住所はあの村ではないが、送り主の苗字には見覚えがある。
中から出てきたのはいかにも手作りらしいチョコレートと、画用紙で作ったカードだ。
そこには、精一杯の頑張りが伝わってくる、色鉛筆の文字が並んでいた。
『おにいちゃん、おねえちゃん、どうもありがとう』
新米撃退士たちに贈られた勲章は、初心者チョコレート。
これからもっとがんばりましょう。まるで、そう言われているようだった。
<了>