●疾走
ディメンションサークルを抜けると、立ち入り禁止区域はすぐだった。幸先のいいスタートだ。
瓦礫の陰で、彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)は地図を広げた。現在地とルートを確認する。
「思ったよりいい場所に出られたようですね。途中の状況次第ではありますが」
地図に示された建物がそのまま残っている保証はない。こればかりは臨機応変に対応するしかないだろう。
「幻のお茶ね〜。どんなものか一口飲んでみたいものね。ま、ビールより美味しいってことは無いでしょうけど♪」
雀原 麦子(
ja1553)がからからと笑う。彼女にとってはどんな高級茶もどんな高級ワインも、きっとビールにはかなわない。
千葉 真一(
ja0070)が、頭を掻いた。
「高級茶葉20kgか……普段縁がないからピンと来ないぜ」
とは言え、それを調達した依頼主が惜しむ気持ちは判らないでもない。
「……お茶の価値については愛ちゃんにはよく分からないけど、依頼を出してまで取り戻そうとする位だから依頼をしてきたおじ様にはきっと大切なモノだと思うの」
力説する周 愛奈(
ja9363)に、龍崎海(
ja0565)が同意する。
「大切なものは人それぞれ、聞かないほうがいいレベルの費用が掛かっているなら、なおさら諦めきれないよな」
同意を得て愛奈が大きく何度も頷いた。
「だから、きちんと手元に返してあげたいの。その為に愛ちゃん頑張るの」
小さな拳をぐぐっと握る。真一はそんな愛奈の頭をぐりぐりと撫でた。
「ま、無事に残っていれば御の字だよな」
海は先刻届いたメールの内容を、皆に説明する。
自分達の他に、この地域に許可を得て入りこんだ者の情報は確認できなかった。
「他の同業者がいて、騒動に巻き込まれて依頼失敗ってわけにはいかないしね」
念には念を。万が一遭遇した『誰か』は、少なくとも正当な手段で入りこんだものではないということになる。
麦子が大八木 梨香(jz0061)の肩をポンと叩いた。
「梨香ちゃんはお茶を最優先でお願いね♪ 重要任務なんでよろしく♪」
「はい、頑張ります。ただ、私の足でついて行けるかどうか」
梨香が苦笑いを浮かべ、眼鏡をしまう。結城 馨(
ja0037)が石板を具現化した。
長い髪をサイドテールにまとめた牧野 穂鳥(
ja2029)が、きりりと表情を引き締め、瓦礫の向こうを見つめる。
「では行きましょうか」
車輪を外したインラインスケートの具合を確かめる、フラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)。
「誰にも追いつかせないっ……ボクは最速のブレイカーに、一発の蒼い弾丸にっ、なるのだ!」
言い終えるが早いか、ひらりと瓦礫を乗り越える。それを合図に、全員が一斉に飛び出した。
目的の倉庫には、普通なら数分で着くはずだった。
だが荒れた市街地には多くの瓦礫が転がり、見通しが悪い。
海が提案したのは、目立ちにくい裏道を通るルートだ。幾度も曲がり角を折れるため、帰りに迷わないよう時折路面にチョークで印をつける。
大きな瓦礫が道を塞ぐ場所では、『生命探知』で先を確認。反応が無いことを確認した上で、彩が自慢の脚力で乗り越え、視認する。そこでようやくザイルを垂らし、他のメンバーが乗り越える。
これを繰り返す為、なかなか捗らない。真一が無意識のうちに額を拭う。
「油断大敵……慌てず焦らず、だな」
「この先の路地を曲がれば、もうすぐのはずだ」
海が言った。その路地に到達すると、手鏡で先を確認する。
そこに黒い影がよぎった。それも一つではない。
「流石に戦闘回避は無理か……」
「仲間を呼ぶ物は、仕方がありませんね」
穂鳥が魔法書を開くと、光と共に、無数の蕾をつけたオニユリの花茎が伸びる。穂鳥が翳した手を振り抜くと、雷光が迸った。
強烈な不意打ちをまともに食らい、一匹の蝙蝠が吹き飛んだ。
と同時に、行き交う数匹が明確に動きを変える。穂鳥の二撃目は、かわされた。
フラッペが猛然と飛びだし、低く飛ぶ一匹の翼を狙ってアジュールを絡める。愛奈の六花護符が放つ雪玉が、バランスを崩した蝙蝠に止めを刺した。
「……後ろからの援護は任せて欲しいの」
確実に、一匹ずつ。だが、その間にも蝙蝠は飛来し、行き過ぎた。
すり抜けざまに蝙蝠が発する可聴域ギリギリの高音が耳を襲い、集中力が途切れがちになる。
「新手です、気をつけて!」
梨香が地面に膝をつき、白銀の楯を構える。
数頭のグレイウルフが姿を見せた。それと少し距離を開けて、一際大きな牙を剥く一頭。あれがリーダーなのだろう。
拳を構えた真一の全身から、光が溢れた。気合と共に叫ぶ。
「変身っ! 天・拳・絶・闘……ゴウライガっ!」
説明しよう! ゴウライガとは、勇気と広い心を持つ己。『豪放磊落たる我』を目指す決意の表れた名である!
「悪いが速攻退場だ、長々と付き合う訳には行かないからな」
真一の背中に焔の翼の如くアウルの奔流。
「ゴウライ、ブレイズスラァァッシュ!!」
猛烈なレガースの一蹴が、先頭のオオカミの顎を砕いた。
続く2頭のうち1頭が真一目がけて飛びかかろうとして、横っ跳びに吹き飛ばされる。
「そちらには行かせないよ!」
ジェットレガースによる猛進の勢いのまま、フラッペの蹴りが叩き込まれたのだ。
だが残る一頭の牙が真一に迫る。蝙蝠の音波によって一瞬注意力が削がれたために、ほんの僅か回避が遅れる。狼の牙は、咄嗟に庇った左腕に深々と食い込んだ。
「ゴウライソードっ!」
持ち替えた刀が、食らいつく狼を貫く。
「千葉君、一度こちらに下がって」
海が真一の腕の負傷を見て、建物の陰に引っ張り込んだ。かなりの流血だ。翳した海の手から柔らかな光が溢れ、真一の傷を癒す。
その間に彩と麦子は、リーダーの大狼の前に躍り出る。これ以上狼が増えると厄介だ。
愛奈が幻想動物図鑑を開くと、光と共に小さな四足の獣が大量に躍り出る。それらが一斉に襲いかかると、大狼は煩わしそうに首を振った。
彩がその隙に素早く近付き、拳を叩き込む。大狼は怒りに震え、彩を食らわんと口を開いた。その牙が彩を掠める。
麦子は蝙蝠によって乱された感覚をねじ伏せ、闘気を集中する。
溜めた力を一気に解き放つと、構えた太刀を狼に捻じ込む。必殺の『餓突』だ。
重い一撃をまともに受け、大狼がズズッと後退。麦子が刀を引き飛び退ると、首筋から鮮血を噴出させ大狼は地面に倒れた。
「今のうちに!」
指示を出すリーダーが倒れたことで、近付いていた狼の動きが鈍る。
本来の目的は、戦闘ではないのだ。
●遭遇
漸く目的の倉庫が見えた。幸い大きく崩れている様子はない。
だがすぐ前の道路が大きく陥没している。倉庫も危なかったようだ。
一応周囲を警戒しつつ、入り口を囲む。中に入って阻霊符を使えば、とりあえずサーバントの最初の一撃はかわすことができるだろう。
そのとき突然、よく通る声が響いた。
「そこで何をしている!ここは立ち入り禁止区域だ」
声の主は、警棒を手にした警察官だ。穂鳥が声を上げた。
「私達は久遠ヶ原学園の撃退士です。ここには依頼で来ました」
その説明に、警官はすぐに納得したようだ。
「それは失礼しました。最近この辺りは空き巣が多いんですよ」
「へ〜、そうなんだ。お巡りさんも大変ね〜」
麦子がフレンドリーに微笑んで見せる。
海は何気ない表情の下で、不信感を募らせる。
先刻確認した限り、この付近に警察が出ているという情報はない。
そもそも警察官とて、サーバントが徘徊する地域でたった一人で行動するとは考えにくい。仮に警察所属の撃退士であってもだ。
では眼前の男は一体……?
ここまで人間に近いサーバントは、聞いた覚えがない。そして人間でないとすれば……。
そっと仲間を見遣ると、彩の視線とぶつかった。男にわからないように、俯き加減で囁く。
「偶然の可能性はありますが。おかしいですね」
気配はある。だが、敵が仕掛けてくる様子がない。煩く飛び回っていた蝙蝠達ですら姿を消した。
真一も頷く。
「だがとりあえず仕掛けてこないなら、こちらから打って出るのは得策とはいえん。もちろん、警戒は必要だがな」
警官はゆっくりと近づいて来る。
「目的地はこの倉庫ですか?良かったですね、余り壊れていないようだ」
気さくな口調。それが一層怪しく思えた。
この男の目的は一体なんだ?
フラッペが声をかけた。どうにも相手に敵意を感じられない。
「オジサン、ここは危ないのだ。ボクらがいるうちに避難した方がいいと思うのだ」
「有難う、でも私も仕事でね。撃退士さん達がいて正直ホッとしましたよ」
どうやら立ち去るつもりもないらしい。全員の心身に緊張が漲る。
そのとき梨香が声を上げた。
「あら?これ何かしら」
陥没した道路の傍にかがみこみ、何かを拾い上げる。
「ちょっと見せて」
麦子が受け取った。
金属製のドーナツ型腕輪のようだが、淡く虹色の燐光を放つそれは、アルミよりも軽い。
軽く爪を立ててみるが、ハリボテや金メッキでもない様子だ。
(うわぁ……あからさまに怪しい!)
彩はずっこけそうになった。
「何かありましたか?」
「あ〜何か変わったモノが落ちてたみたい。何かしらね〜?」
と言いつつ、相手に見えるように麦子は腕輪を翳した。探りを入れるように、牽制するように。
「やっぱり落し物は警察に、かしらね〜?」
「落とし物ですか?必要ならお預かりしますけど」
警官の足が止まる。撃退士が一瞬で到達する距離で。
「そうねー。でも私達、ちょっと急いでるのよね。私達のお仕事が終わるまでそこで待っててくれると嬉しいわね♪」
にこにこにこ。麦子、イイ笑顔で警官を足止め。
相手の表情に一瞬何か鋭い物が過ったように見えた。が、それはすぐに霧散する。
「そうですか、ではお待ちしましょう」
にこにこにこ。警官もなかなかイイ笑顔。
(……あれがオジサンのお仕事……なのだ……?)
フラッペがいつでも駆け出せるように、膝に力を籠める。
「む……麦子先輩、大丈夫なんですか!?」
梨香が小声で尋ねる。麦子がかなりの無茶をやったことは推察できた。
「大丈夫よん♪あの様子なら暫くはこっちの邪魔はしないでしょ。もしもの時は梨香ちゃんが楯になって守ってね♪」
うむむと眉間に深い皺を刻む梨香の背中を叩いて、麦子が笑う。
「よし、開いた」
「はいこれ、あげるの!」
愛奈が『トワイライト』で作りだした光球を手渡すと、海のクールな表情がほんの僅か和らぐ。
「ありがとう」
倉庫の中は意外と綺麗に保たれていた。足場に困るほど酷い有様ではない。
真っ直ぐ奥へ進んだ後、配置図の通りに折れると、不思議な香りの漂う一角に当たる。
そこが依頼主の趣味のコーナーだ。棚に鎮座する件の物体。
「これですね……そんなに高級なお茶の配達となると、ある意味天魔との戦闘よりよほど緊張します……」
穂鳥は表情こそ普段と変わりなかったが、心中では少なからず動揺していた。目の前の物体の価格を考えるとやや腰が引けそうになる。それでも荷物の中から持参した梱包シートを取り出す。
梱包を手伝いながら、麦子が興味深そうに言った。
「へ〜これが伝説のお茶ね〜」
20キロ超の物体は流石にかなりの迫力である。厳重に梱包されている為持ち上がったが、万が一崩れていたらその段は諦めざるを得なかっただろう。
梱包材に包んだお宝をリュックに詰めると、彩が身体の前に抱える。背負うよりも保護しやすいはずとの判断だ。
「さて、では行きますか」
もう逃げ隠れする必要はない。後は可能な限り急いでこの場から脱出するのみだ。
「探し物は見つかりましたか?」
警官の声に、一瞬気温が下がったような気がした。
明かりに照らされた顔は、先程の穏やかさとは異なる笑みを浮かべている。
「ええ、お陰さまで。私達はこれで失礼します、ねッ!」
麦子が開いたままの入り口が見える所まで駆けだす。
同時に荷物を抱えた彩が反対方向へ走りだした。
「これはあげる〜!」
麦子は倉庫の外へ向かって、力いっぱい件の腕輪を放り投げた。すぐに踵を返すと彩の後を追う。
光を弾きながら飛んでいく腕輪に、警官はちらりと視線を移したが、その場を動かない。
「お疲れ様、撃退士さん達。帰りも気をつけてくださいよ。……オオカミが出るからね」
同時に、2頭のオオカミ型サーバントが男の後ろから飛び出す。
構えていたフラッペが突進。
倉庫に入った時から阻霊符を使用しているので、この2頭を叩けば時間は稼げる。
「文字通りの送り狼は遠慮するぜ」
真一、もといゴウライガが赤いマフラーをたなびかせ、後に続く。
狼は横腹に蹴りを食らって吹き飛んだ。透過能力を遮られた魔獣は、倉庫の棚に激突し悲鳴のような声を上げる。
二人はそのまま仲間の後を追う。暫くして振り向くと、制服姿の男は動かずにただこちらを見ていた。
●茶葉
「あのオジサン、やっぱりアレだったのかな」
フラッペが呟いた。アレとはつまり、人間が天界に転じた存在……シュトラッサー。
「優しそうなオジサンに見えたんだけどなあ……」
そこに喜色満面の依頼主が現れた。
「本当に、よく完全な形で……。それに家まで届けてくださって、本当に有難うございます」
撃退士達一人一人の手を握り、何やら手渡す。どうやら寸志を包んでくれたらしい。
テーブルには海と麦子が倉庫から適当に持ち帰った品々が並んでいた。依頼主はその中から茶色い小振りの急須を取り上げる。
「折角の機会だ、少し飲んでみますか?」
驚く一度の目の前で、何やら道具を使って件の茶葉の包みを開くと、慣れた手つきで茶を入れた。
目の前に置かれた小さな茶碗を、一同は黙って見つめる。……この一杯が幾らになるんだろう。
「私も早く飲みたかったのでね。ささ、どうぞどうぞ」
うっとりとした表情で香りを嗅いだ。
麦子が遠慮なく飲み干す。愛想よくさすが美味しいですね〜等と言いつつ、小声で梨香に囁いた。
「やっぱりビールの方が美味しいわ♪」
* * *
帰還した川上は、目的の腕輪と共に小さな包みを主に献上した。
「御苦労様。ところでこれは何?」
「茶です。人間の好む、嗜好品の一種です」
行がけの駄賃に、ひとつ頂いて来た。大天使は興味深そうに摘み上げ、目の前にかざす。
「……カビ臭いわ」
鼻の頭に皺を寄せる主に、こみ上げる笑いを必死に堪える。
目の前の大天使にとって自分が『面白いペット』程度でしかないことを川上は承知している。
だが同じ飼われるなら、面白い主がいい。全て納得した上での今の境遇だ。
「そういえば貴方。その衣しばらくぶりね」
言われて川上は、我が身を見下ろす。
おそらく他のどんな服よりも、自分に馴染む制服。
そして、今に至るまでに切り捨てた全てを見てきた制服。
「何かと便利な『記号』なのですよ、これは」
言葉にしたのは、ただそれだけだった。
<了>