●西の囮
来る度に京の都は荒んでいくようだった。
「再びこの地に舞い戻る事になるとはな」
面を通してこぼれたクライシュ・アラフマン(
ja0515)の声。かつての血みどろの激戦が思い起こされるのだろう。
打ち合わせの時点で『気にするな』と言われたが、他人の表情を無意識に読む癖のある中山律紀(jz0021) には、クライシュの面はどこか落ち着かない。それでも落ちついた声と態度は、仲間として信頼できるものではあった。
路面には多くの車が打ち捨てられていた。結界に覆われたその日から、ずっとそこに残されているのだ。
若杉 英斗(
ja4230)はそれを器用に避けながら、東へとバンを走らせる。
(これで何度目だったっけな……まぁ、京都を解放するまでは何度だって来るさ)
補強材で少し小さくなった窓から、新井司(
ja6034)は警戒を怠らない。
(鬼の居ぬ間に――か)
時折白い影が過る。ヴォーパルバニーだ。
「牽制射撃を頼む。敵を引き離してくれ」
英斗がアクセルを踏み込む。司が当たれば幸いと威嚇射撃を放つ。戦兎は引き離されると、それ以上追ってはこなかった。連中にも持ち場があるのかもしれない。
だが目的地に近づくごとに、明らかにその数は増して行く。ザインエルが不在かもしれないとはいえ、いまだ京都は危険のただ中にある。
(この作戦が勇気なのか、無謀なのか……見極めるにはまだ、色々足りないわね)
「ところで……なんかさっきからすごい匂いがしませんか」
バックミラー越しに、英斗が車内をちらりと見遣る。視線の先には鷺谷 明(
ja0776)。悠然と笑みを浮かべて座っていた。
「まあ後のお楽しみだよ」
律紀がごく細く、窓を開けた。
「あと2ヶ月もすれば観光シーズンで良い感じの所が多くなるんだがな〜〜京都は。そんな所にこんな連中が居座るのは腹が立つな」
大城・博志(
ja0179)が、窓外に見え隠れするウサギ型サーバントを忌々しげに見送る。
2台目のバンでハンドルを握るのはフェリーナ・シーグラム(
ja6845)だ。
「またここに来るとは思いませんでした……ね」
まだ血の匂いが漂うような不穏な気配に、街は満ちていた。
「武者や凶鳥が出てくると厄介、ですね」
かつて見た天界の眷属達の姿が思い浮かぶ。
「次の信号を左へ、その次を右です」
助手席の紅葉 公(
ja2931)が地図を見ながら声をかけた。事前に可能な限りの情報を集め落とし込んである。
「あ、ちょお待って」
よく通る声が響き亀山 淳紅(
ja2261)が顔をのぞかせた。
「そこは通り過ぎて、向こうの道から入って欲しいんやけど、ええかな」
今回布陣場所として選んだ小学校を通り過ぎた、先の道を示す。
小学校の敷地はほぼ正方形である。西に体育館、南に校舎が建ち、残りはグラウンドだ。北側は4mほどの通路を除き、ほとんど全てが店舗や住宅が立ち並ぶ。東側には南北に走る道路に面して正門があった。
国道からの進入路は2本。比較的幅の広い西側の道路と、地図で見る限りは少し狭いように思える東側の道路である。淳紅はそちらの状況を確認したかったのだ。本来なら退避路として3本は確保したいところだが、付近の道路は国道に出る道以外は全て、京の中央――敵の本丸に向かっている。接近は良策とはいえないだろう。
「うわ、これはあかんなあ……」
電柱が迫る幅2m程の道路に、思わず淳紅が声を上げた。少し行けば幅は広くなるが、少ない敵でも完全に行く手を塞がれてしまう。徒歩ならともかく、車は到底無理だ。
「つまり脱出路は1本ですか。少し厄介ですね」
フェリーナがハンドルを切り、開いていた正門から車を滑り込ませた。
●白の巨人
北側通路の傍、物置小屋などが並ぶ一角に英斗は車を進める。もう1台のバンが校舎の玄関に隠れるように停車するのが見えた。
「あちらとは放して置いた方が良い。最悪どちらか1台が残れば脱出できる」
明が声をかけた。かつて陽動で退路の確保を怠り、危険な目に遭った。二度と同じ轍は踏まぬ。
車を降り、一同が集まった。校舎を後背にすることで、四方から攻撃されることを防ぐ布陣。
「慣れが出てくる頃だ、気を引き締めて行こう」
英斗が楯を手に、生真面目に呟けば。
「精一杯引き付けて、さっさととんずらこきましょーってね」
淳紅は歌うように魔法書を開いた。
「では打ち合わせ通りに、中山はタイムキーパーと治療に専念を」
司の言葉に、律紀が頷いて光信機を取り出した。
「作戦開始を連絡するよ」
「さて、はじめましょうっ!」
車を降りたフェリーナが、愛用の銃を油断なく構える。
「YO−DO−!」
博志がラジカセのスイッチを入れると、大音量で音楽が流れ出した。同時に幾人かが銃口を空に向ける。
だがどういう訳かあまり敵が来ない。バンを追ってきたヴォーパルバニーを幾体か片付けると、拍子抜けするような間が訪れた。既に救出すべき者もいない小学校に撃退士。出方を窺われているのかもしれない。
そこに、グラウンドを横切って明が疾走して来る。引き離されない程度にグレイウルフが追いかける様子は、まるで鬼ごっこだ。
「適当に釣ってきた。全滅させない程度に、程々に頑張るかねえ?」
合流すると踊るように身を翻し、青黒い飛沫滴るウォーハンマーを振り被る。
ギャウン。
鼻面を打ち据えられ、碌に吠えることもできずに狼は吹き飛んだ。
「おっと、吠えられないのは困るな。気をつけよう」
まるでゲームを楽しむように、明は得物を構え直す。
クライシュの光輝く剣が、跳躍する戦兎を切り裂いた。
「有象無象の獣達よ、俺の羽撃きを止められるか!」
次第に数を増していく敵。だがまだ作戦は始まったばかりだ。
「援護します!余り近づき過ぎないで、散開しましょう!」
クライシュと明の間から、公は火焔球を放つ。吹き飛ばされた狼が、グラウンドを朱に染めて転がった。それでも尚、犬歯を剥きだし起き上がる。そこにフェリーナの銃弾が撃ち込まれた。
「中山、いま何分?」
トンファーの一撃を戦兎に叩き込み、ステップを踏み体勢を立て直した司。
「残り45分。今のところ順調だね」
明の言ではないが、程々に敵が集まっている状態だ。今の所は順調と言っていいだろう。
そのときだった。
まるで地震のように、グラウンドが揺れる。
「来ました、ホワイトジャイアントです」
後衛に位置取る公の目に、白い巨体が映る。体高5mもの巨人。鈍重な動きだが、その分多少の攻撃は跳ね返す強靭さを誇る。
「連中の鼻先を挫く、お前らには傷一つ付けさせはしないさ」
クライシュが後衛に声をかけると、一歩進み出た。大量の雑魚を引き受け、白い巨人は他に任せる。
「来たか。俺は俺に出来ることを全力でやるさ」
英斗の口元が一層引き締まる。ホワイトジャイアントの前に躍り出た。
動きの鈍い相手に先制攻撃。手甲のスネークバイトを挨拶代わりにお見舞いする。強撃を受け、ジャイアントが一瞬よろめく。だがタフな巨人は倒れない。巨大な足を振り上げると、英斗を踏みつぶそうとする。
手にした楯が一際輝くと、巨人の足は音を立てて傍の地面にめり込んだ。
「くっ……さすがに馬鹿力だな」
防御力に秀でる英斗ですら、直撃は危険だと思われた。仲間と離れすぎない距離を保ちつつ、次のタイミングを伺う。
その眼前で、先刻確かに傷付けた巨人の足が、じわじわとふさがってゆく。
「回復するのか……!」
「ならば回復する前に削るのみ」
明がウォーハンマーを飛燕翔扇に替え、素早い動きで投擲する。肩に当たった扇はブーメランのように向きを変え、明の手元に戻る。
その一瞬の隙。ヴォーパルバニーが巨人の陰から躍り出た。鋭い爪が咄嗟に避けた明の脇を掠める。
「鷺谷さん!」
踏み出そうとする律紀を、明は視線で制する。……自分のことは自分で何とかする。そう言ってあるね?
アストラルヴァンガードのスキルはこのメンバーでは温存すべきだ。そう含められていたことを思い出し、律紀は唇を噛んだ。
「抑えられるか、試してみるわ」
司の瞳が青く輝きを放つ。駆け出すと、青い光を纏ったトンファーを巨人に撃ち込んだ。『絶氷』の効果が巨体をその場に釘づけにする。
「かかったわ。今のうちに」
「いきますよ」
普段はふわりと柔らかな公の表情が、きゅっと引き締まる。手にした霊符が燃え上がるように輝くと、光球が現れホワイトジャイアントの頭部――これまでの記録によると痛打を与えられるという――を狙った。
高さはあるが、避けられぬ相手を外すことはない。
頭を半分吹き飛ばされ、巨人は凄まじい咆哮をあげた。校舎全体が震えるようだ。
嘆くように、怒るように頭を手で覆う巨人。だが今度はその傷が塞がることはなかった。
「頭を潰せば回復しないのかもしれません」
公の声が弾む。
「次が来るわ」
フェリーナがグレイウルフを撃ちながら、注意を促す。新たなジャイアントが2体、接近するのが見えた。
それでも対処方法が判ったのは大きい。同じように打ち砕くだけ。
「あと20分。半分過ぎてるよ!」
「こんなに長い1時間なんて、初めてやで……!!」
律紀の報告に、淳紅が悲鳴のような声を上げた。そう言いつつも、手にした魔法書からは休むことなく雷光が迸る。
雷光を纏う旋風に取り巻かれ、巨人の動きが一層愚鈍になった。どうやらこのホワイトジャイアントは、付随効果がかかりやすいようだ。
そう思った時。手にした魔法書が、すっと光を失った。
顔を上げ辺りを見渡すと、公が悔しそうに霊符を仕舞うのが見えた。
魔法攻撃を無力化する存在。ついにファイアレーベンが襲来したのだ。
「潮時だな」
明がグレイウルフを目がけ、持ち替えたウォーハンマーを叩き込む。これ以上敵を呼ぶ必要もない。
瞬間、司が駆け出した。
●朱の大鴉
飛来した怪鳥は2体。グラウンドを横切ると、旋回して戻って来る。こちらの位置を確認したようだ。
全力疾走で屋上に到達した司は、ロングボウを構える。司の位置からは敵を真正面に見ることができた。
怪鳥に視線を据え、意識を集中する。その姿はまるで狩りの女神のごとく。
一杯まで引き絞られた弦が解放されると、唸りを上げてアウルの矢が怪鳥目がけて突き進む。
先に来るファイアレーベンの翼の付け根を司の矢が射抜くのと、業炎が司を襲うのはほぼ同時だった。
「!!」
ファイアレーベンが空中でぐらつくのが、炎の向こうに見えた。冥魔の気を纏う阿修羅の一撃は、天界の眷属には大きな影響を及ぼす。だが、逆も同じこと。
司はどうにか踏みとどまると、次に飛来するファイアレーベンを睨む。
「あかん、司ちゃん危ない! 逃げるんや!」
淳紅が校舎に駆け込んだ。中の構造は既に把握している。一気に屋上目指して駆け上がる。
公が上空に向けサルンガを引き絞った。
フェリーナの両腕を覆う紺色の光が膨れ上がり、海中の光のように揺らめき、輝く。
「凶鳥め、借りは返させて貰いますよ!」
かつて遭遇した強敵。今度は簡単に負けはしない。
「ただ護られているだけじゃ、もうイヤなんですッ!」
ライフル自体が叫んだかのようだった。怪鳥を地に叩きつけんと放たれたアウルの銃弾。
キェエエエエエ!
ファイアレーベンが鋭く啼いた。そのままバランスを崩し、校舎に激突。
が、まるで相討ちのように放たれた火焔が地上を覆った。
「しまった!」
業火は怪鳥にとって最も危険な相手を狙った。つまり公とフェリーナをだ。
公は咄嗟に魔法障壁を展開し、炎の威力を減殺する。だがまともに狙われたフェリーナは、炎に焼かれた。
「シーグラムさん!」
なんとか倒れずにいるフェリーナを、律紀が力いっぱい引き摺り、建物の陰に退避する。
先刻、淳紅が駆け込んだ校舎の玄関を見ると、堕ちた怪鳥の身体でバンが見えなくなっていた。近くに誰かがいれば、巻き添えを食ったことだろう。律紀は僅かに身震いしながらも、叫ぶ。
「あと10分! もう少しだ!」
●Time is up
屋上にたどり着いた淳紅が目にしたのは、四肢から血を滴らせながらも弓を構え続ける司の姿だった。
「無茶したらあかん! こっちへ!」
澄んだ声で必死に司を呼ぶ。地上からの攻撃に晒され、傷つきながらも突進して来る怪鳥の姿が見えたからだ。
吐き出す業火ごと自分に向かって飛び込んでくるファイアレーベンに司が弓を射る。駆け寄る淳紅の目前で、司が炎に包まれた。
「亀山さん大丈夫? ……うわ、新井さん!」
律紀が声を上げる。
ボロボロの司を背負う淳紅も、かなり負傷していた。翳された律紀の手が淡い光を放つ。
「申し訳ないけど、俺のヒールもそろそろ尽きそうで。完全には治せないんです」
律紀が振り切るように顔を上げる。長い一時間がようやく経過したのだ。
「撤収です! 応援を呼びます」
できれば自分達だけで脱出したかった。だが定員一杯では、車体は不安定になる。全速力を出せず、攻撃を受ければ横転もあり得るのだ。
集めた敵を、今度は蹴散らして逃げ出す。
「IYA−−−吼えよ、焦く炎よ」
博志の詠唱に、巨人が炎に包まれた。撤退の為に温存しておいた術を、思う存分ぶちかます。
クライシュの光剣が、動きの鈍くなった敵の足を狙って閃いた。巨体が膝をつく。
「車へ急げ! すぐに新手が来る」
英斗が楯で巨人の拳を押し戻していた。
怪我の酷いフェリーナと司を、淳紅と律紀がそれぞれ背負った。公が傷をものともせず、守るようにつき添う。一団を庇うように、英斗とクライシュが回り込みつつ移動する。
さっきまではさほど広くないと思ったグラウンドの端が、やけに遠い。
こうなってはヴォーパルバニーすら脅威だ。血の匂いに惹きつけられたか、勢いを増した爪でとびかかってくる。
割って入る英斗。1体を受け流すその隙に、別の1体が襲いかかる。飛び散る鮮血。
「不死鳥モード起動!」
どんな状況でもけして諦めない。その強い心が、全身に力を与える。
「……で、何ですか、それ」
明が放り投げた物体を見咎め、英斗が声をかけた。
「知らないか? 『くさや』だよ」
悪臭の正体を楽しげにあちこちへ放り投げる。その腐臭は慣れると癖になるそうだが……ともかく知能の低いサーバント達の嗅覚は誤魔化せるかもしれない。
「IYA−−−猛よ、注ぐ炎よ」
進行方向の敵に、最後まで温存していた博志の範囲魔法が炸裂。炎が開いた退路を、撃退士達が駆け抜ける。
「あ、忘れてた。おまけ」
持っていた鞄に火を付け、放り投げた。夏の売れ残り花火を詰め込んだ鞄が、盛大に火花と煙を吐く。
「煙幕〜〜〜」
「どれ、ではこちらも」
追い縋ろうとするホワイトジャイアントを、明が殴りつけた。地面から湧き出た無数の腕が、巨人の足を絡め取る。それを振り返りもせず、駆け出す。
「五条通りに味方が、急いで!」
バンから身を乗り出し、律紀が呼んでいた。
<了>