●白鳥の足掻き
ジュリアン・白川(jz0089)が床に、舞台のサイズに合わせてビニールテープを貼る。
スタジオの隅でユリア・スズノミヤ(
ja9826)は入念にストレッチ。バレエの経験はないが、幼少の頃から踊り慣れたプロだ。しなやかな身体が雄弁にそれを物語る。
黒瓜 ソラ(
ja4311)は端から歩いて舞台の距離を確かめる。
「バレエは初体験なんですよねぇ……これは頑張らねばですよ。折角ならお客さんにも楽しんでもらいたいですしねっ」
紫ノ宮莉音(
ja6473)が『白鳥の湖』のDVDを持ち込んだ。イメージを掴むために、空いた時間にはなるべく流しておく。
「短期間でも頑張って最良を作るよ。お客さんに喜ばれるよう、出来る限りの演技をね」
ぴんと背筋が伸びた立ち姿は、既に舞台の上にあるようだった。それもそのはず、彼はバレエ経験者だ。
「演技は個性を見せてくれるだろうけど、少しは基礎練習もしておかないとね」
一同が、顔を揃えた。ソラが張り切って気勢を上げる。
「練習重点!えいえいおーですっ」
莉音がバレエの基本を説明する。まずは立ち方だ。
「大事なのはイメージだよ」
莉音の頭がぐんと高くなった。
「頭からお腹まで、串刺しで曲がらないの。手足についた糸が上から引っ張られて動くんだよ」
首をのばし、一生懸命立とうとするのは螺子巻ネジ(
ja9286)である。
「ネジは、ネジは、必ずこの舞台を成功させるのです!」
ネジの夢は、アイドルだ。昨夜もお気に入りのDVDでテンションを高めてきた。小さな劇場からスターに登り詰めたアイドルグループ。彼女達が成長して行く姿を収めたドキュメント映像は、ネジの宝物だ。
「劇場はアイドルの第一歩、どんなに厳しいレッスンにも耐えてみせるのです♪」
気分はスターへの階段一段目である。
白川が笑いながら近づき、ネジの背中を軽くつついた。
「息を止めてはダメだね」
ぶはっ!真っ赤な顔のネジが脱力する。
礼野 智美(
ja3600)も莉音の真似をして立つ。
最初は愛する妹の言葉がきっかけだった。
『身体能力自信ないし試験期間被るし…ちぃ姉なら出来るよね』
そう見つめる瞳に、思わず頷いてしまったのだ。だがやると決めたからには、全力を尽くす。
智美の真剣な表情で立つ姿は凛々しく、雄々しい。幼い頃から剣術に親しんできたため、ピンと張りつめた姿勢は綺麗に真っ直ぐ。だが、どこか踊りの立ち姿とは異なる。
(基本が出来てないと、応用も出来ないからな)
生真面目に分析しつつ、姿勢を修正している。
「配役はこれで決定かな?」
脚本を手に、白川が尋ねた。
「王子は俺です」
智美が手を上げた。見た目の違和感はない。喋らなければ。
「はいっ、四羽の従者は、本当は三羽だったんです!」
ソラが元気いっぱいに答える。ネジが隣で頷いた。二人は姫の従者の白鳥と、悪魔の手下を兼任する。
三羽目の白鳥の神埼 律(
ja8118)は、悪魔の娘オディールと兼任。律は燃えていた。
(王子様属性の男装女子に愛を誓われるシーン……テンションあがってきたの……!)
正確には萌えていた、だろうか。ごごごと智美を見つめる真意は、当人以外には判らない。
悪魔ロットバルトはアスハ=タツヒラ(
ja8432)が演じる。人前で演じること自体、初めての体験だ。
「肝心の所でミスをするわけにはいかないからな、余り時間はないがしっかり鍛えて貰おう。身体能力には少しは自信があるので、な」
試験との関わりは二の次。全身全霊をかけて観客を楽しませようと意気込む。
ヒロイン、オデットを踊るのはユリアだ。
「踊りでの表現や観客への魅せ方は、私の得意分野。精一杯踊るね」
にっこりと花のようにほほ笑む。
「で、僕が王子の母です」
莉音が手を上げると、白川が少し怪訝そうな顔をした。
「母なら背格好は十分です」
嬉しそうな笑顔。演じることが好きでたまらないのだ。自分なりの表現で、この役を解釈して演じよう。
その様子に、白川が一瞬考え込む。が、すぐに笑顔を見せる。
「よし、ではメインの演出は紫ノ宮君に任せることにしよう。経験者でもあるようだしね。私は裏方を手伝うことにするよ」
莉音は暫し戸惑うような表情をしたが、すぐに頷く。
「わかりました。でも客観的な意見は大切です。先生もみてくださいね」
莉音に指導をほぼ任せた白川は、清清 清(
ja3434)との打ち合わせだ。
当日は裏方と、ピエロの「十六夜」として、呼び込みも担当する。
「さぁさぁ、より良き舞台と致しましょうねっ☆」
清が照明と音楽を担当し、白川が舞台の袖で大道具を指示する。実際の出し入れは、劇場の担当者に依頼する。
照明の種類とタイミング、流す音楽の始まりと区切り。それを組み立てるだけでも一仕事だ。
「使用方法を依頼主の方にお尋ねできませんか。より良い演出をするためのコツなどあれば、そちらも一緒に」
機材の説明書に目を通し、清は使い方を頭に叩き込む。後は当日、事前にチェックとなる。
「わたくしのお役目は裏方。皆々様方の舞台を素晴らしきものとするために、舞台の裏を奔走したく存じますっ☆」
謡うように呟いた清は既に、「十六夜」の仮面を被る。
ユリアはオデットの踊りをなぞる。
「情景を頭で描いて、役の心情を理解することから……」
オデットは人間。だけど、白鳥。その悲しみ。そして王子と出会った喜び……。
「……ねぇ、先生見て……?ココ、こうしたら良くならないかな……?」
華麗に足をあげ、ポーズを決めるユリア。
「そうだね。綺麗だが、オディールとの対比があるからもう少し初々しい感じが欲しいな」
白川、無茶ぶりもいい所である。
「わかりました。じゃあこうしたらどう……?」
無茶ぶりにも妥協しないところが、ユリアのプロとしての矜持なのだろう。
一方、四羽ならぬ三羽の白鳥の踊りは、繊細な足さばきが難しい。
「全部知らなくても、これだけは知ってる!って人が多いシーンですし、これは頑張らなきゃですねっ」
ソラとネジ、律が手を繋ぎ、音楽に合わせて華麗に踊……ろうと頑張っている。
「四羽が三羽になった分、一人が一コンマ三人分踊る気合で頑張るんだ!」
白川が三人を指差した。
「先生それは流石にちょっと……」
ソラが苦笑い。ネジはぶつぶつと呟きながら、混乱に陥る。
「ぱどぶれ、くっぺ、あんとるしゃ、ぱっせ……あれ、あれ?」
本当はお姫様に憧れていたが、身長が足りず今回は断念した。
(身長が、腕や脚が、もっとすらっと伸びた頃には絶対オデット姫を演じられるネジになるのです!)
それでも大好きなダンスを踊るチャンスが得られたことは嬉しい。
「ソラ様、律様、もう一度お願いなのです」
頑張れネジ、姫と呼ばれるその日まで。
「ここはこうじゃないかな」
智美とアスハが身を翻す。
バレエではプロの演技には敵わない。それならいっそ撃退士としての能力を生かした劇で楽しんでもらうことにしたのだ。動きが派手になる分、綿密な打ち合わせが必要になる。
「一つ間違えば大惨事だからね」
それは悪魔の手下も同じだった。フラフラになりつつ、ネジとソラは引き続き練習だ。
「うおーっ悪魔の手下だぞー」
「あれ、バレエってそもそも台詞ありましたっけ?」
ソラの疑問に、智美が答える。
「要約の分、多少は台詞入れた方が解り易いだろう」
「それもそうですねー」
練習を積むこと数日。本番は容赦なくやって来る。
●本番前
古い劇場は、優しい佇まいだった。それをじっくり見る暇もなく、一同は準備にとりかかる。
清は真っ先に照明室に入り、機材のチェック。一通りの操作を習うと、すぐに外に出る。
開幕前までは「十六夜」として、時間の許す限り呼び込みを行う。
「さあいらっしゃいませ、白昼夢をご一緒に如何でしょう☆」
見事なジャグリング。道行く人が足を止め、劇場を人垣が取り囲む。
楽屋は戦場だった。
「冷たいけど、お顔ギュッてしないでね」
莉音が舞台用のメイクを施して行く。
「男の子にお化粧して貰うのも変な感じなの…」
律がくすぐったそうに座る。
「目が一番大変。ラインにカラーに冗談みたいな付け睫毛ではい完成!」
仕上がってくると満更でもない様子。
(コスプレに使えそうなの…)
鏡を見つつ、ちょっと違う事を考えている。
「わぁ、バレエ衣装も初めてですっ。綺麗ですよね」
ソラが白いチュチュの裾を、物珍しそうに摘み上げた。
「良く似合うわよ」
ユリアが微笑んだ。既に化粧も衣装も完璧に整え、大事なシューズも万全だ。すっと腕を伸ばすと、銀のラメで飾られた指先が光を纏う。
その頃には、客席のざわめきが波音のように届いていた。カーテンの隙間から、人々の期待のまなざしが覗く。
「……しっかり、こなして見せるの……!」
流石の律も緊張の面持ちだ。ネジが、頭のネジを巻く。じぃーこじぃーこじぃーこ。
「律様も巻いてください」
思わず緊張の緩む発言。不安が良い緊張へと変わる。今はピンと張った弦を弾くように、舞台に集中。
白川が呼びかけた。
「準備は整ったかね?そろそろだ」
開演のベルが鳴り響く。
●白鳥夢想
清が照明の機材を操る。舞台は光に包まれ、流麗な調べが流れだす。
何度も耳にした音楽。どんな不測の事態にも、演者のアドリブにも対応してみせる。
道化師は、光と音の手品を繰り出す。
舞台の上には、紫と黒が上品なジョーゼットのドレスを纏った莉音。纏められた髪にはティアラが輝く。アダージオ中心に、ひたすら優雅に。基礎があってこそのアドリブである。周りのアレンジを引きたてるためにも、王妃は只管厳粛でなければ。
顔を覆った扇を翻すと、舞台の袖を指し示し王子を呼ぶ。
現れた王子は智美。黒く長い髪を束ね、ノーブルコロネットの冠。その凛とした姿に、客席からほうと溜息が漏れる。……一体何人が女性と気づいただろうか。
舞踏会で結婚相手を選びなさい。
母に命じられた王子は気の進まぬまま、湖へ。清が操る青い光が舞台を湖に変える。
そこに降り立つ白鳥達。ソラ、ネジ、律が練習の成果を披露する。
可憐な白鳥達が下がると、一際華麗な白鳥が降り立つ。
ユリアのしなやかな肢体が、舞台の上でのびやかに輝く。音楽に合わせた、ゆったりとした動き。後で登場する悪魔の娘の、妖艶で激しい踊りと対象的に。
王子ならずとも心奪われる踊りだった。
二人は愛を誓い、再会を約束する。
場面変わって、舞踏会。
悪魔ロットバルトに扮したアスハが現れる。長い髪を三つ編みに、黒い衣装で娘を伴う。
娘のオディールは律。明らかにだぶつく衣装を引きずっている。その姿に、数人の観客からくすくす笑いが漏れた。だがこれも計算のうち。
「それではお父様、用意してくるの」
律がくるりとターン。ここで『変化の術』。そこには、律より背の高いユリアが演じるオデットの姿。衣装もぴったり身体に馴染んでいる。
「では、お父様…王子を誑かしてくるの」
「行ってくるがいい、娘よ」
ほくそ笑むロットバルトを後にして、黒い衣装のオディールが舞台中央に進み出る。
足元は『無音歩行』でひたすら軽やかに。
誰もを魅了するオディールの扇情的な踊り。
(もう少し、積極的になれたらいいの……)
律はオディールの姿から、自信と勇気を得ようとする。
してやったり。
響く悪魔の笑い声。
オデットは悲しみの余り、その場から飛び出す。
「あなたの希望と私の絶望……あなたは、黒鳥を選んだのですね……」
従者の白鳥、ソラとネジが後を追う。
「姫様待って!誰か姫様を止めて!」
そこでようやく騙されたと知った王子は、オディールを拒絶。
「私が愛を誓ったのはお前ではない!」
王妃は高らかに宣言する。
「愛の誓いを破ることは許されません」
優しい母は、大切な坊やを鳥籠に閉じ込める。手元から飛んでいかないように。番いの姫も私の手で。
王子を絡め取る母の愛は、悪魔の手すら厭わない。
ロットバルトと王妃のパドドゥ、それは愛という名の束縛。王妃に扮する莉音のドレスの足元から広がる紫の光が、投網のように広がってゆく。
王子は気づく。
自分で選んだ愛を手に入れる、それは母からの自立をも意味するのだと。
王子に扮する智美の身体から、黄金の炎が燃え上がる。
剣を手に向き直ると、観客からどよめきが湧きおこった。
「さあさあ、悪魔ロットバルト様のお通りなのです!道をあけるのです!」
ネジが『星の輝き』で己を光らせ、バトルヨーヨーを操る。反射した光が弾け、まるで火花のよう。ロットバルトの威厳を表現する。
ネジの背後でロットバルトのアスハが光纏。赤い血のような光が、手にした銀の杖から滴り落ちる。ほどいた赤い髪が広がり、禍々しさを湛えた。
「逆らうモノには容赦はしないよ!」
ローブを纏い、怪しい悪魔の手下になったソラ。ネジと息を合わせて、不気味に踊る。
「お前があの人に呪いをかけたのか!」
「そうだと言ったら?」
「お前を倒して、呪いを解いてみせる!」
金の光と赤い滴りが交錯する。既にバレエではないが、観客は迫力に圧倒されて釘づけになる。
切り結ぶ王子と悪魔。
「ふふ……あの言葉は嘘なの?」
そこに、オデットの姿を模したオディールが。再び律がくるりと回り、変化を解く。するとオデットとは全く違う姿。
一瞬の隙。悪魔の杖が王子を打つ。瞬間、智美は『受身』で派手に吹っ飛ぶ。舞台の両端に分かれる、王子と悪魔。
唇を噛み締め、悔しさと憤りの余り王子は宙を仰ぐ。その視線の先、バルコニーには愛しい姫。
「信じてください、私の愛は貴女に捧げる」
オデットのユリアは、涙を浮かべる。全てを許し、受け入れる微笑み。
「あなたの言葉、心……それだけで救われます……」
オデットの言葉に力を得た王子は、渾身の力を籠めて悪魔に斬りかかる。
その瞬間、智美は王子ではなく智美であった。
『悲しげな笑みを花の顔から消したかった、だが護れなかった。私と同じ想いをする者をこの世界から二度と出しはしない!滅びよ悪魔!!』
その気迫が演技を迫真のものにする。
剣が悪魔を裂く瞬間、智美は観客から見えないところで髪を束ねた紐を切った。
広がる長い黒髪。
瞬間、舞台が暗転。
●大団円
「お、終わったのです〜」
舞台の袖でネジが泣いていた。緊張からの解放と、無事成功した喜びが混じり合う。
(ネジもいつか、大きな舞台の真ん中でスポットライトを浴びて、たくさんの人を笑顔にできるアイドルになるのです!)
劇場のロビーには人々が溢れていた。恋人たちの大団円。その余韻に浸りながら、笑いさざめく。
莉音はその様子を眺めていた。
(撃退士のパフォーマンスを見に来た人たちがバレエや舞台に興味を持って…
もっと沢山の公演を見たいと思ってくれたら、成功以上の成功だな)
舞台の魔力が、観客をこれからもずっと虜にするように。演者はそっと、魔法をかけるのだ。
<了>