●酷暑の中の酷寒
真夏の日差しに晒され、倉庫の屋根は白くぎらぎらと光っている。
「この夏の暑い中……冷たいところは有難いのだけど……ディアボロは頂けないの……」
眠そうな目の根来 夕貴乃(
ja8456)は、まるで緊迫感を感じさせない口調。
城咲千歳(
ja9494)はいかにも俊敏そうなボブの髪を揺らし、スパイクシューズの具合を確かめる。
「相手は獣、ましてやディアボロ、情も哀れみも無しでいかせてもらうんよ」
「暑い真夏に極寒の依頼とはこれいかに」
森田良助(
ja9460)の顔は真っ赤だ。酷寒の地へ赴く為、依頼主から借り受けた分厚い防寒具に身を包む。一番小さいサイズなのだが、それでも少し彼には大きいようだ。
「さすがに真夏にこの格好は暑いね……」
酸素不足の金魚のように口をパクパクさせると、紀谷詩子(
ja5696)が遠慮がちに指摘した。
「あの……倉庫に入るまでは寒さ対策は不要かと思うのですが……」
もっともな指摘に、照れ笑いを浮かべながら良助は毛糸の帽子を脱ぐ。
倉庫の扉はぴたりと閉じていた。この向こうは別世界だ。
「夏場に凍え死ぬなんて笑えない冗談。そんなこと、させやしないんだから」
荻乃 杏(
ja8936)が、手袋に包まれた手で力強く扉を開く。
白い煙のようなものと共に、冷気が押し寄せる。ほんの一瞬心地よく感じられたその冷風は、倉庫の中に踏み込むと身体を包みこみ苛む。専用の防寒具を身につけていても、剥き出しになった鼻先が凍りそうだ。
黒猫(
ja9625)は、準備運動でもするようにしなやかな肢体を思い切り伸ばして見せる。金色の瞳には、悪戯っぽい光が閃いた。
「人助けは得意じゃないけど頑張るよー」
「では……行きます」
ついさっきまで少し自信なげな風情だった詩子が、きっと顔を上げた。撃退士は多少、危険な目にあうのも使命のうちだと詩子は考える。人々の命を救い、ディアボロを倒す。その覚悟が全身に漲る。
そこで夕貴乃が、今にも駆け出そうとする一同をとどめる。
「あ……少し待って……」
杏、千歳、黒猫を呼び寄せ手をかざす。身体の耐性を高める『聖なる刻印』だ。身軽な分、体力的に若干不利な三人が無事であるようにと、祈りを籠める。
「寒いと眠くなるのだけど……ここで寝たら命に関わるから……さっさと片付けて、お部屋でお昼寝するの……」
「うん、そうだねー。さっさと片付けちゃおう」
へらりと笑って見せる良太だが、次の瞬間には詩子と共に飛び出していた。
先頭を駆けるのは千歳だ。元々身軽な彼女が滑りにくい靴を準備していた為、少し突出する形になる。少し頼りない明かりの下、両脇にそびえる大きな棚。どこかに居るはずの敵の気配を探り当てようと、心を研ぎ澄ます。
それは、突然頭上を過った。
「救ってみせるんさっ!人の命と未来をっ!」
千歳は渾身の影手裏剣を放った。
●命を繋ぐ者
『上手いこと行ってくれたみたい。そんじゃま、そっちは任せたわよ』
烈堂 一葉(
ja0088)のトランシーバーに、杏からの連絡が入る。
「雷、いくぞ」
声をかけると、泉源寺 雷(
ja7251)もちょうど手にしていた携帯電話を仕舞った所だった。
「救急車の手配は完了。防寒対策も万全だ。マフラー二重巻きだからな」
大真面目な顔で、真っ赤なヒーロー仕様マフラーと普通のマフラーを器用に首に巻いている。
「なるほど、役に立つと良いな」
一葉がこれまた生真面目に頷いた。
二人は、建物の奥の低温エリアに避難していると思われる人々の救出に専念する。
先に突入した仲間がディアボロを引きつけている間に、急ぎ被害者を連れ出す。ディアボロの討伐に時間を取られているうちに、彼らが弱ってしまっては避難も覚束ない。別動隊として速やかに救出するのがこの班の役割だ。
冷温倉庫の中は、低いモーター音と戦闘の音がこだましていた。
仲間の様子は気になるが、敵を引きつけてくれている間に行動しなければならない。
極力目立たぬように、だが周囲を気にしつつ棚の陰を縫って行く。
「先に行ってくれ。おそらく皆、不安がっているだろう」
雷は少し遅れて、足元に転がる大きな障害物を脇へ片付けながら進む。退出時に、一般人が少しでも動きやすいようにするためだ。凍りついた床に足を取られそうになりながらも、何とか踏ん張る。
一葉が低温域を区切る扉の前にたどり着く。それは固く閉じられていた。
「助けに来たぞ。ここを開けろ」
明らかにヒトと判るようリズムをつけて扉を叩くと、僅かな隙間から怯える瞳が覗いた。
「怯えるな、私達の道は既に確保してある」
中には五人の男性が身を寄せ合っていた。一葉が携帯カイロと持参したウォッカを手渡すと、震える指が受け取る。強いアルコールを口に含むと、安堵のため息が漏れ出した。
様子を確認すると、自力で動けそうなのは二人のみ。後の三人は衰弱が激しく、自力で外まで歩かせるのは難しそうだった。一葉がトランシーバーで杏を呼び出す。
「とりあえず全員をここから連れ出したい。すまないが、支援を頼めるか」
『わかった』
杏が駆けつけたところで、雷と一人ずつ、肩を貸して立ち上がらせる。
「兄ちゃん、ありがとなあ……あれ、姉ちゃんか?ごめんごめん判らんかったわ」
「セクハラ禁止!このまま置いていこうか!?」
杏のナイーブな心を鋭く抉る発言に思わずキレかけたが、そこは任務を思い出しグッと堪えた。冗談が出るぐらいなら、もう大丈夫だ。
後の一人は動ける二人が支え、低温域を出る。
「猿如きに烈堂の道は阻めぬ」
一葉はシールドを展開し付添う。万一の敵の襲撃から一般人を守りきるためには、耐久力に優れる一葉が身軽な方がいい。
響いて来る剣戟の音、銃声。
ともすれば足がすくみ動けなくなる人々を励ましながら、先を急ぐ。
上手く仲間がディアボロを引きつけてくれたお陰で、被害者を無事に連れ出すことに成功した。
屋外に降り注ぐ真夏の苛烈な日差しは、命を言祝ぐように思える。
「んじゃ私は一応戻るね」
杏は身を翻すと、再び冷温倉庫へ戻って行く。
その姿を見送りながら、雷は被害者が冷え切った防寒具を脱ぐのを手伝う。
「救出が遅れてすまなかった、だがもう大丈夫だ」
声をかけながら、全員の様子を改めて確認する。
少しずつ顔色を取り戻して行くようだったが、逃げる拍子に怪我をした人もいる。簡易キットを開き、応急処置を施す。
一葉と雷は、中で闘う仲間を気にしつつも、救急車の到着まで不安げな彼らに付き添うしかなかった。
●氷猿の襲撃
最初にディアボロと遭遇したのは、先行していた千歳だった。
暫くはお互いの力を測って、棚の上と下で睨み合いが続く。
駆け寄る仲間の足音に、敵に一瞬の隙ができる。千歳が頭を狙って影手裏剣を放つと、白い巨大な猿は鋭い歯を剥き出しにして唸った。棒手裏剣はディアボロのこめかみを掠めたが、僅かに皮膚を切り裂いたのみ。
だが、相手がこちらを敵とみなすのには充分だった。棚の上から千歳に躍りかかると、その牙が小柄な身体を捕える。
「ヴぁっ!!なんじゃこりゃ!?」
千歳の構えた小楯をかいくぐる、想像以上のスピードだ。噛みつかれた肩から血が滲むが、『聖なる刻印』のお陰か、話に聞いていた温度障害は起きていない。
「どもー。お猿さんに不吉のお届モノでーす」
滑る床を利用して、横滑りに移動した黒猫が、至近距離から両手に構えたクロスファイアの銃弾を撃ち込む。ディアボロは千歳を離し、太い腕で黒猫を薙ぎ倒すと同時に傍の棚へと駆け上がった。
黒猫は受け身の態勢で転がると、素早く起き上がる。
「もっと思い切り弾幕張りたいけど……荷物とか傷つけないようにするのは厳しいかねー」
滑る床でどうにか踏みとどまり、倉庫を見渡す。
棚に上がったディアボロは、詩子のアウルを籠めた銃撃に晒された。一発、また一発。惜しみなく撃ち込まれるストライクショットに、さしもの大猿も距離を取ろうと棚を跳び移る。
「よし、このままあちらへ押しやろう」
良助が声をかける。救助に向かう雷と一葉が進むルートから、上手い具合に遠ざかって行った。
後はなるべく注意をこちらに向け、動きを封じる。
「ほら、お前の相手はこっちだ」
棚を飛び移り、荷物の陰へと回り込んだ猿の眼を狙って、良助がペンライトの灯を直射する。勿論直接のダメージは無いが、相手を苛立たせるには充分な効果を発揮した。
だがそれが反撃を招く。ディアボロは棚を蹴り、良助に跳びかかる。重量のある敵による体当たりに、良助の小柄な身体は弾き飛ばされ、すぐ脇の棚に叩きつけられた。尚も圧し掛かる大猿は、咄嗟に翳した良助の腕に、鋭い牙で食らいつく。
「ぐ……っ!」
まるで冷たい液体が流れ込むような感覚。痛みは熱を伴うはずなのに、猿の牙が食い込んだ腕は冷気に侵食され感覚を失っていく。何とか食らいつく敵を引きはがそうとするが、思うように身体が動かない。
「めっさ腹立つんだけど!」
背後に回る千歳。その腕と一体化した刃が、ディアボロの首筋に狙いを定める。
切っ先が毛皮を貫くと思えた刹那、振り向く大猿。千歳は振り回された爪と相討つ形で、傷を負いつつも敵の腕に鮮血を散らした。
「お猿さん……ここは動物園じゃないの……よ……」
充分な距離をとった位置から、夕貴乃が光球を放つ。ダメージを期待してというよりは、相手の注意を逸らす目的だ。
夕貴乃は自分の役割を判っている。メンバーの中で唯一の癒し手である以上、自分が怪我をすれば却って作戦全体に支障が出る。だからこそ極力、ディアボロと直接対峙することは避けていた。それでも負傷者を見捨ててはおけない。
大猿は光の弾に反応し、千歳を離した。
致命的な攻撃ではないものの、自分を包囲し、しつこく攻撃して来る存在に苛立ち、荒れ狂っていた。嫌な気配を纏う、光の攻撃。興奮状態のディアボロにとって、天界の気を纏う夕貴乃の攻撃は実際のダメージ以上に気を引いた。
身を翻すと、まっすぐ夕貴乃に突進してくる。その攻撃をどうにか楯で受け流す。だが、強い力を受け止めた夕貴乃の肩が、圧倒的な力の前に軋み、悲鳴を上げる。
もう一撃。身構えた大猿に、黒猫が棚を飛び移りざまに頭上から銃弾の雨を降らす。
「お返しはきっちりさせてもらわないとねー」
上からの攻撃を避け、物陰に回ろうとするディアボロの前に詩子が立ち塞がった。今度は正面から銃弾を叩き込む。
怒りの咆哮が、建物を震わせた。
身を低くして詩子を弾き飛ばしたディアボロは、そこで突然衝撃を食らい床に叩きつけられた。
「その隙、もーらいっ! ほら、手伝いに来てやったんだから一気にトドメさすわよ?」
救助班の支援に回っていた杏が、戻ってきたのだ。
目前の敵に意識が向いていた大猿は、壁伝いに近づいた影に無警戒だった。兜割りをもろに食らい、目を回す。
「被害者は全員、外に出たわよ」
杏の声に、一同は気力を盛り返す。後はディアボロを叩くのみだ。
良助が動きの鈍くなった敵に、温存していたストライクショットを全て撃ち込む。銃弾は腹を抉り、猿は跳び回る力を失う。それでもまだ腕を振るい、鋭い爪を振りまわす。
だがそれは、既に最後の足掻きというべき行動だった。
「ココはアンタだけの独壇場じゃないんだかんね」
滑る床ではなく棚で身体を支え、杏が背後からレガースの足で蹴りを入れる。
後頭部に斬撃を受け、漸く巨大な猿は倒れ伏した。
●酷寒を逃れて
サイレンを鳴らして救急車が到着した。救急隊員に運び込まれながら、助かった人々は何度も雷と一葉に礼を言った。
救急車が走り去るのを見送り、雷と一葉はほっと一息つく。
そこにトランシーバーから仲間の声。ディアボロ討伐に成功したという連絡だった。
それを聞くと共に踵を返す。向かう先は、飲み物の自販機。
「む、烈堂。貴公も飲み物を買うのか」
「この時期、暖かいものは手に入りにくいだろう。かといって常温ではぬるくて美味しくない。難しいな」
寒い中で頑張った皆のために、身体を温める飲み物を調達しようというのだ。
一葉は自販機を鋭く見つめながら、財布を取り出す。そこに揺れる物に目を止め、雷はぼそりと呟く。
「ふむ、使ってくれているとは光栄だ」
それはラッコのキーホルダー。以前一緒に行った水族館で、雷がプレゼントした物だ。
「ついていては悪いか?」
いつも通りの、いやそれよりもぶっきらぼうな口調で、一葉は答えた。こう見えてラッコが好きなのだ。勿論このキーホルダーが大事なのは、それだけが理由ではないことは言うまでもない。
「お、出てきたな」
遮るように振り返ると、倉庫から出てくる仲間達。その姿に雷は思わず声を漏らす。
「結構ボロボロだな……」
「うぇーぃ、やっつけてきたよー」
千歳が血のこびりついたボロボロの上着を振り回しながら近づいて来る。。
どこか呑気にすら聞こえる口調で、良助が笑いながら言った。
「いやー本当に大きな猿だったよ」
「被害者の方はどうでしたか?」
詩子が心配そうに尋ねてきた。ずっと気になっていたのだろう。全員命に別条ないと伝えると、張り詰めた雰囲気がほどけるように消えて行く。
「温度差がすごいですね……風邪を引かないように気をつけるの……」
夕貴乃の眼は既に眠そうである。一刻も早く愛用のブランケットにくるまりたいようだ。
「っくしゅんっ! 暑いのも嫌だけどあんまし寒いのも勘弁ね。ったく」
杏はずずっと鼻を啜りあげながら、暑い中まだマフラーに顔をうずめていた。
ぶつぶつ言いながらも、その眼には満足げな表情が浮かんでいる。
それも当然だ。全員無事で、見事任務を達成したのだから。
お互いがお互いの健闘を称え、ハイタッチ。その手を、夏の日差しが眩く照らしていた。
<了>