1月3日の朝。いくつかの白いテントがグラウンドに並び、穏やかな小春日和の日差しを受けて暖かく輝いていた。
そのひとつには『餅つき大会会場』と看板が据え付けられている。
中から池田 弘子(
ja0295)の大きな明るい笑い声が響く。
「やっぱりあったんだねえ、菌けん…むぐ」
「初めての餅つき楽しみっ!みんなのためにも精一杯つかせてもらうわよっ!」
夏物の制服にきりりと襷掛け姿の橘 和美(
ja2868)が素早く弘子の口を手で塞ぎながら気合の入った声をあげた。
そろそろ一般参加の生徒もぽつぽつ集まりつつあるところである。事前の然るべき準備についての話題は、内容が内容だけに余り大声で語られるべきではないだろう。勿論、とある施設でとある検査を受けたことは言うまでもない。
「こういう作業はチームワークが重要ですね。みなさん頑張りましょう」
ぱりっと糊の効いたメイド服姿の羽吹 由縁(
ja3127)は若干緊張した面持ちで、こちらも静かな気合をにじませる。二人はどうやら形から入るタイプのようである。
大谷 知夏(
ja0041)が元気いっぱいに拳を突き上げる。
「餅つきは初経験っすけど、ちゃんと予習して来たっすよ!」
この日の為に、図書館で餅つきの作業についてしっかり勉強してきたのだ。主目的は食べることだが、やるべきことはきちんとやるつもりである。
「これが日本のお正月ですかー」
初体験の餅つきに興味津々のアーレイ・バーグ(
ja0276)は極めて薄着だ。他人から見れば露出している部分がかなり寒そうにも見えるが、当人はまるで平気だ。知夏と共に、最終的に食べて良い餅の量を確認するため、実行委員を追いかけて行った。
極めて熱心に臼と杵を観察しているのは博士・美月(
ja0044)だ。初めて間近で見る道具類が好奇心を呼び起こすらしい。餅つきの経験がある大城・博志(
ja0179)が杵を手にし、使い方を説明している。南雲 輝瑠(
ja1738)も知己の大城に声をかけに来て、傍でその様子を見ていた。
ほどなくして米が蒸し上がる匂いが鼻孔をくすぐりはじめる。そろそろ本番開始だ。一般の希望者も後でお遊び半分の餅つきには加わるのだが、その前に食べられる質と量の餅を大量に用意していなければならない。それが今回の依頼のメインである。
事前の打ち合わせ通り、腕力に秀でる知夏と弘子、和美と輝瑠がそれぞれ組んで、餅を搗く。疲労で効率が落ちるのを避けるため、搗き役と返し役を交替しながら作業を進める予定だ。美月、博志、アーレイ、由縁の4人が搗き上がった餅を丸めて成形する役割である。
まずは弘子、輝瑠がそれぞれ杵を握り、その向かいには知夏と和美が手を濡らす手水鉢を傍らに準備する。もうもうと湯気をたてる米が運ばれ、それぞれの臼に投げ入れられると、餅つき開始だ。
弘子が濡らした杵で丁寧に米を潰しながら均していく。慣れた手つきだ。
「弘子ちゃん先輩、上手っすねー!」
「なんだかんだで毎年やってるからね。こうやってまずは均してから搗くとうまくいくんだよ。杵で臼の縁を叩くと杵が砕けて木屑が入るから注意してね」
ふむふむと、知夏が感心したように頷いた。やがて弘子と交替し杵を握る。
「てぃ!とぉ!てりゃ!そりゃっすよ!!」
気合の入った掛け声とともに教えられた通りに杵を振るうのだが、そこは経験の差が物を言った。見ているのと自分がやるのとではやはり違う。
幾度か失敗しながらも次第に無駄な力が抜けて作業に慣れてくると、上手い具合に米が餅に仕上がっていく。
「なるほど、こうして搗く事でデンプンの中のアミロペクチンが網みたいに繋ぎ合わさって伸びるようになるわけね……ふむふむ」
などと一人頷いている美月にとっては、餅搗きも化学の実験のようなものなのだろうか。
餅搗き班におしぼりを渡しながら、由縁が声をかけた。
「美味しいお餅、お待ちしていますね。頑張ってください」
そしてアーレイと博志と共に近くのテント前の試食用テーブルを準備に向かう。
ところで薄着のアーレイの豊かな胸元は、前かがみになると男性には大いに目の毒である。当人が見るなら見なさい!という勢いなので、シャイな日本男子はかえって気後れしてしまう。
「オーダーだ!」
博志がカッと目を開き、餅搗きの担当に向き直り叫んだ。
「俺様にバーグの乳ぐらい柔らかくて、デカ…ぎゃあ!」
そこまで言いかけたところで、声は悲鳴になり身を捻る。
「…あれ?」
弘子の手元に杵がない。
美月が博志のすぐ傍に墜落したそれを拾い上げて眼鏡の奥から鋭く眺める。
「池田さん、これだめですね。握りと杵の接合部分が不安定になってグラグラしています。これではバランスがとれません」
「取り替えてもらた方がいいですよね、私もらってきます」
由縁が杵を受け取り、身を翻して駆けて行った。知夏が冷めてしまった搗きかけの餅を臼から取り除きながら素直に感心している。
「博志先輩、避けるの器用っすね!後ろに目がついてるっすか?」
「大丈夫ですかー?大城さん」
元はといえば誰のせいなのか全く意に介さず、へたり込んでひきつった笑みを浮かべている博志を、アーレイが前かがみの姿勢で覗き込んだ。
その様子を横目に輝瑠が少し呆れたような表情をしたが、すぐに目の前の臼に向き直る。
「…これも一応依頼だからな…やるからには全力を尽くす」
向かい合わせで合の手を入れる和美も真剣だ。
「むしろ返し手のほうが重要と…見たっ!」
この二人の餅搗きは、さながら体育会系の組競技である。背後に炎とゴゴゴという効果音の書き文字が見えるようだ。
輝瑠がパワーに物を言わせ素早く搗き、和美が入魂の気合で餅を返す。順調に仕上がっていく。
だが和美が搗き手、輝瑠が返し手に回るとこちらもややペースが乱れた。
「…多少疲労しても、俺が回数を搗いた方がいいかも知れんな」
「ご、ごめんなさいっ!私下手かな?」
「…いや、そういう意味じゃなくて…」
それぞれの得手不得手だ、と輝瑠は思った。それでも回数を重ねるごとに、互いにコツを掴んでいく。
それぞれの臼の中の米が粒の形を失い、白く滑らかな餅に搗き上がる。頃あいを見て濡らした手ですくい上げると、次は成形担当の出番だ。
博志が手早く一定の大きさに餅をちぎっていく。食べやすい絶妙の大きさだ。
「流れ作業の極意は自身を機構化する事に有る」
などと先ほどの様子はどこへやら、どこか修行者のような佇まいすら漂う。他の3人は、それを表面が乾く前に、綺麗に丸めなければならない。
(料理は苦手だけど流石にこれくらいは…… )
美月がややぎこちなくそれを取り上げる。ちぎれた部分を上手く隠れるように丸めると見た目が美しく仕上がるのだが、余り長時間手の中に転がしているとうまくいかない。その上に搗き上がった餅がどんどん運ばれてくるのだから、丸める方もぼんやりしている暇はない。
完璧な餅を求めて繰り返すうち、いつの間にか作業に没頭していく。
「お餅作りって結構大変なんですね」
アーレイが手を休めずに感心したように呟く。
由縁も黙々と作業を続ける。初めは思わず手をひっこめる程熱く感じた餅が、どこか懐かしい暖かさに感じられてくる。
「おー、初心者が多い割には結構上手く搗けたもんだな!」
苦心の末に並べられた餅を前に言ったのは、先日依頼掲示板の前で見かけた男性教師だ。今日も割烹着姿である。余談だが、実は成形役らしい。
「事前に頼まれてた物はこっちに用意してあるぞ」
メモを片手にテーブルの上を指差していく。
「えーっと黄粉だろ、磯辺用の海苔に醤油、納豆、餡子。それから牛乳、バターと粉チーズ、とろけるチーズとハム、ウィンナー、サラミ、ダイコンおろし用の大根に…チョコ、アイス、ジャム、生クリーム…??」
「俺はこしあんの赤と白、抹茶入り黄粉と、みたらしダレ、黒蜜を持ってきたよー。来客者用に好きなものをトッピングしてもらうってワケね」
博志が楽しそうにテーブルに広げていく。小粒の甘納豆も持参したのだが、これは成形の担当のときに既にいくらかの餅にまぜこまれている。サービス精神旺盛だ。
隣では弘子が餅つきの疲れも見せず、大根おろしの作業中だ。醤油を混ぜたもので餅を食べると、美味かつもたれにくい。
「それとこれ、ぬたです」
美月が持参した鍋をとりだした。蓋を開けると大豆の薄緑色が目にも鮮やかなずんだ餡である。
「ずんだは絶対はずせないわよね!」
勢い込んで和美がたたみかける。
実はたまたま事前準備のときにお互いのずんだ愛を知り、共に炊き上げた力作である。色も味も大満足の仕上がりだ。北の方ではメジャーな素材だが、意外と他地方では知られていないと聞き、この機会に是非皆に味わってもらいたいと頑張ったのだ。
アーレイは用意された材料を前に、カセットコンロに向かっている。
「チーズフォンデュ風なんてどうでしょう。学校なのでお酒は使わずに牛乳で代用して、味が薄くなる部分はウインナーと一緒に食べることで補完します。後は私の大好きなピザ風で。お餅にとろけるチーズとサラミを乗せて焼きますね。」
別のカセットコンロでは、由縁が網の上で餅を焼いている。
「焼いたお餅の上にバターを載せて、余熱で溶かし、その上に粉チーズとパセリをふりかけていただきます」
笑顔の手元からいい匂いが辺りに立ち込める。
一通りの準備が整うと、ちょうど昼を少し回ったぐらいになった。テントの周りは、お正月も学園に残っていた関係者で賑わい始める。皆、多少は人並みのお正月気分を味わいたいものなのだ。
初等部の生徒などが、臼と杵に群がっている。
「さぁさぁ、そんなに遠慮せずに、もっと盛大に盛って下さいっすよ!餅が行方不明っすけど、気にしないっすよ!」
知夏が満面の笑みで、餅の上にジャムやチョコや生クリームをどんどん載せていく。
「チョコやアイス、ピザか…。皆に喜んでもらえるといいが…な。」
輝瑠が臼と杵の片づけを手伝いながら苦笑した。同じく手伝いながら和美が声をあげる。
「あら、でもパセリのお餅も美味しそう!私の分も残しておいてねっ」
自分の用意した餅を美味しそうにぱくつく人々を前に、由縁があるかなきかの憂いを含んだ微笑を浮かべた。
「この食べ方が色々な人に伝わると、なんだか素敵だと思うんです」
テントの周りに集まった来客に思い思いの味付けがされた餅が行き渡り、賑やかな談笑の輪が広がって行く。体験餅つきの賑やかな声も響いてきた。
充分な量の餅が搗けたので、バイト参加組も好きに食べていいと言われた。歓声が上がる。
「ようやく食べ放題の時間っすね!食べるっすよ!超食べるっすよ!」
知夏は飛び跳ねんばかりだ。
「おつかれさん!弘子ちゃん、抹茶黄粉は好き?」
「あ、ありが…へぶしっ!」
博志に黄粉と黒蜜をたっぷりかけた餅を目の前に差し出され、弘子が盛大にくしゃみをする。餅つきで飛び散った水しぶきや米の破片で汚れた服に、黄粉が追加されるが、弘子に気にする様子はなく、受け取った餅を頬張る。逆に、博志が吹き飛んだ黄粉でくしゃみをする始末だ。
「餅も餡も完璧な仕上がりね」
美月は、ずんだと餡子を載せた餅を目の高さに掲げて満足そうにしている。自分の手で完成させた餅と思えば、その輝きも増すというものだ。
「片付け終わりっ!それじゃせっかくだから餅食べるぞーっ!」
戻ってきた和美にもいそいそとずんだ餡を手渡す。
アーレイがチーズフォンデュ風とピザ風の餅を人に勧めながら、同時に何処に入るのかと思うほどの勢いでぱくぱくと餅を平らげていく。
「お餅美味しいです〜」
競うように食べていた知夏だったが、甘いトッピングの連続はギブアップが早い。
「ふぅふぅふぅー、知夏はもうダメっす。満腹っす、食べ過ぎて動けないっすよ!」
だが目は残りの餅を推し量っている。持ち帰る気満々である。
「…俺は磯辺をもらう」
「でも、意外な組み合わせの味付けも結構いけるよ」
保守的な輝瑠が磯辺をしっかり確保する横で、博志が少しずつ色々な種類に興味深そうな様子で手を伸ばしていく。
「お箸足りていますか?お茶は如何でしょう」
「由縁ちゃんも食べよっ!ほらほら美味しいよ」
和美にずんだの載った餅の皿を手渡され、由縁はようやく辺りを片付ける手を止める。優しい味の餡に笑みがこぼれた。
冬の短い日が少し傾く頃、お腹を満たされた人々が和やかに帰って行く。多彩な味付けに対する感想や称賛を口々に語り合いながら。
明日、いや今夜にも天魔との戦いに赴くかもしれない人々だが、今は穏やかな気分に満たされているのだろう。
後片付けを手伝いながら、アメリカ出身のアーレイが満足げに言った。
「今日は野菜をたくさん食べました!ライスはヘルシーなのにお腹がいっぱいになっていいですね!」
他の一同は思わずガクッと躓く。
「炭水化物が野菜の訳ないでしょう!」
鍋を洗っていた手を止め、美月が鋭く突っ込みを入れる。
「どーしてですか?サラダにして食べるじゃないですか」
アーレイは本気で不思議そうな表情だ。
「…米をサラダにするのか?」
輝瑠が何とも微妙な表情をする。
片付けが済んだのち、良ければ来年も頼むよと声を掛けられながら報酬を受け取った。お腹もいっぱい、依頼も成功したようでなによりだ。
互いにお疲れ様、今日はお餅の夢を見そう、などと言いながら帰路についた。偶にはこんな依頼もいいかもしれない。誰かがそう、つぶやいた。
<了>