●山狩り
予報通り前日までの雨は止み、明るい白灰色の雲が空を覆っていた。その分気温が上がり、蒸し暑さが襲う。
湿った下草に足を取られないように、夕凪 美冬(
ja0357)は用心深く歩みを進める。
「手負いの野良サーバントか……」
広い山を歩き回っていて、敵と遭遇する可能性は低いだろう。だが昼間のうちにある程度の状況把握は必要だ。
またそれでも万が一、ということがある。メンバーは遭遇に備えて四名ずつの二班に分かれ、何時でも駆けつけられる距離を保てるようお互いの連絡を絶やさず山を探索している。
「藪を突付いて出てきてくれるのなら、楽なんだけどね」
そこで美冬が鼻をひくつかせた。辺りに満ちる自然の香りの中に違和感を感じたのだ。
「……何のにおい?」
「ん〜〜蛇に向かって自己アピールって感じかな」
大城・博志(
ja0179)が近くの斜面を調べながら答える。その身体からは辺りに満ちた湿気に乗って、人工的な芳香が発散されていた。これ見よがしの香水だ。一般的な蛇同様、敵が匂いに敏感ならばこの匂いを認識するだろう。
「双頭のヘビとか多頭のヘビとかそういうネタは多々あれど、三つ首の蛇っていうのはイマイチ中途半端な印象だよな〜〜三つ首の竜だったら絶望感パネエけど」
とどめに悪口が聞こえて怒って出てくるかと思ったが、そんなことはなかった。
「首の数がいくつだろうと、人間を襲う悪い蛇は人間に退治されるものよォ…三つじゃ頭数は足りないけどスサノオ神話を真似事でも致しましょうかァ」
マウンテンブーツ装着で急な斜面を物ともせず、黒百合(
ja0422)が軽い足取りで登って行く。前夜までの雨の量が多く、泥の斜面も草むらも、綺麗に洗われ怪しい痕跡は見当たらない。
「全長20メートルねえ……ずいぶんと大物みたいね。尻尾を斬ったら名刀とか出てこないかしら?」
冗談めかしてそう言ったものの、雀原 麦子(
ja1553)は纏いつく湿気にこらえきれず、天を仰ぎつつシャツの胸元を手であおぐ。それから、それほど遠くない場所にいるはずの相手を呼びだした。
「あー熾弦ちゃん、あっついわね〜。そっちはどう?」
もう一班の先頭を行く神月 熾弦(
ja0358)が、すぐに応じた。
「今のところ何の痕跡もみつかりませんね。随分と用心深いのでしょうか」
麦子の班も特に収穫は無いことを受け、皆に伝える。
(もし本当に京都の一件で散ったうちの一体であれば、あの戦いに関わった身として放っておくわけにはいきません)
少しでも、あの戦いの爪痕は癒したい。熾弦は再び、山肌に目を凝らした。
その後に続きながら、鴉乃宮 歌音(
ja0427)は手ごろな木の枝を見つけては、梱包用のカラーテープをくくりつけて行く。初めて踏み込む山で迷わない為の工夫だった。
「雨で痕跡が流れたとはいえ、倒された木や食い散らかした跡等はないだろうか」
歌音の言葉に、卜部 紫亞(
ja0256)も同意する。
「そうね、大きいから見逃すという事はあまりないような気がするのだわ」
「大きさからいえば、そう易々と隠れられるものでもあるまい」
アスハ=タツヒラ(
ja8432)が、時折樹上を見上げる。巨体とはいえ、上に隠れている可能性もあるのだ。襲われてはひとたまりもない。だが今のところ、その点は大丈夫なようだった。
そのとき、熾弦が前方の岩肌に違和感を覚えた。近づいてみると、僅かながら粘り気のある液体がこびりついている。
「まだ乾ききってはいませんね……少し前にここを通ったのでしょうか」
熾弦が連絡を入れると、すぐに全員が合流した。
手分けして、辺りの下草の具合を調べる。何か大きな物が通った痕跡でもないかと思ったが、雨で勢いを増した下草は柔らかく生い茂り、ふんわりと地面を覆っていた。
結局、敵とは遭遇することなく山を降りた。何人もの人間が山に踏み込む物音や気配に、一層山奥へと逃げて行ったのかもしれない。
だが山中に残された人間の痕跡は、数日間雨に封じ込められていたサーバントを刺激するのに充分だった。暗い物陰で息を潜める蛇は、忍耐の限界に達しつつあったのだ。
●大蛇討伐
山を降りた一行は、休憩と監視を兼ねて麓にある小さな公園にいた。小さなブランコや滑り台などが設置された、近隣の子供たちの遊び場だ。今はサーバントの存在が周知されている為もあり、遊びに来る子供どころか近づく人影もない。
灰色の空が、黒の割合を増してくる。もうすぐ日が暮れる。
缶ビールを片手に、携帯食糧を恨めしげに齧る麦子がぼやいた。
「あーあ、どうせならバーベキューぐらいしたかったわねー」
肉を焼く匂いと火による熱は、囮になるには効果的に思えた。だが襲われた瞬間の火の始末の問題がある。山にせよ住宅街にせよ、さすがに火を使うのは危険だ。
やがて麦子の持参したビール缶が山をなす頃。住宅街は薄闇に包まれ静まり返っていた。街全体が息を殺すような重苦しい湿気の中、撃退士達の鋭い感覚に何かが触れる。
「……来たな」
公園内の街灯の明かりの下、歌音が読んでいた本を閉じた。遠い物音。
アスハが阻霊符を使用していた為、範囲内に侵入したサーバントが透過能力を遮られたようだ。木々の枝が折れ、幹が裂ける音が静かな山中に響き渡った。
まだそれほど近づいていない。一斉に全員が飛び出す。
山を取り囲むように伸びる、幅の広い道路。それが住宅街との境界線だった。今は通行止めにされている為、車が通る心配はない。山を削り取った断面は高いコンクリートの防護壁と金属の柵で覆われ、昼間使った登り口だけが、道路に面している。これまでサーバントが現れたのは、この道路一帯らしい。
だが敵は、どこから現れるのか。頭の上から降ってくるのか、隠れた抜け道でもあるのか。
どこでも無かった。メキメキという音が山を降りてくる。サーバントは、山に残された人間の匂いを辿ってきていた。
山への登り口に立っていた金属性の柵が、施錠された扉ごとメリメリと薙ぎ倒される。布陣し待ち構える撃退士達の前に、ついに巨大なサーバントが姿を現した。街灯の頼りない明かりに照らされた頭ひとつですら、その大きさを推し量るに充分だった。
そして美冬の闇を見通す目には、その全貌が見て取れた。
「この手のは首を切り落とすっていうのが定番だけど。大きいわね……」
蛇の三つ首は、それぞれ別の攻撃を仕掛けてくるという。一番厄介なのは、こちらの行動を阻害する瘴気を吐くという首だろう。
「どこに傷を負っているか、見極められるか」
博志が声をかけた。手負いということは先に誰かと交戦しているということだ。一番傷を負っている首が、一番危険だと判断されたと思っていいだろうと予測する。
「どれも傷ついているけれど……真ん中も同じように傷ついているっていうのはおかしいかも」
回りから一斉に攻撃すれば、両端の首が一番傷つくはずだからだ。
「仮に瘴気の首が真ん中でなくとも、三首あるとはいえ身体は一つ。行動の決定権は中央が担う可能性はあるな」
しばらく考え込んだ後、歌音が言った。
「とにかく真ん中ね!頼むわよっ熾弦ちゃん!」
「いきます!」
麦子と熾弦が飛び出す。戦端は開かれた。
サーバントにしてみれば、久しぶりの獲物が大量に目の前に集まっている状況である。どれから頂こうかとまさに舌舐めずりしていたところだ。博志が自然界には無い香水の匂いを発散させているため、尚更意識がそちらを向いていた。
そこに、突然向かってくる敵意。正面から大太刀を構え、麦子が渾身の力で突っ込む。阿修羅の闘争心に満ちた一太刀は、天界に属するサーバントには手痛いものとなった。
山から下りた状態のまま地に伏せていた蛇が、牙を鳴らしながら鎌首をもたげる。麦子が狙ったピット付近―通常、蛇の感知器官である―は外れたが、上顎に斬りつけた傷口から体液が噴き出し、ボタボタと流れ落ちる。
サーバントは高い位置から、かっと三つの顎を開いた。
紫亞は素早く回り込みながら、魔法書から雷光を閃かせる。だが麦子が斬りつけた顎を狙った攻撃は、惜しくも逸れた。距離がありすぎたのだ。
「援護するわよォ!」
黒百合が有効射程ギリギリから『影縛り』を試みたが、サーバントの術に対する抵抗力は思いの他高く、弾かれる。
熾弦がきっと蛇を見据えた。どんな攻撃が来ても、自分が壁となって止めて見せる!
蛇の真ん中の首が、霧のようなものを噴出した。続いて麓側の左首が、顎を開く。
「くっ!!」
回避を棄て楯を構え、熾弦はその身に攻撃を受け止めた。瘴気を浴び行動の自由を制限される。だがそのお陰で、狙うべき首が判明した。
「よし、やっぱり真ん中だな。『IYA−−−吼えよ、焦く炎よ』!!」
博志の魔法書から巨大な火の玉が出現し、サーバントに飛んだ。
「ギリシャのヒュドラーを模したものだろうか……手負いとは、不死ではないようだ。よかったな」
対して冷静に観察する歌音。正確な距離を把握し、博志と同じ瘴気を吐く首を狙う。
中央の首はまともに二人の攻撃を食らい、下顎を吹き飛ばされた。だが二人の攻撃と相討ちを狙うかのように、左の首が焔を吐く。火焔は熾弦の楯で勢いを減じたものの、一度に三人を巻き込む壮絶なものだった。
「いまだ、頼む美冬!」
致命傷を避けた歌音が、声をかける。
「……弱点に当たればラッキーってところね」
炎を吐いた直後の隙を狙って、美冬のアサルトライフルが眉間に照準を定める。放たれたアウルの弾は蛇の目の上を掠めた。大きく動きまわる首は、一瞬たりとも止まらない。頭部に当てただけでも驚異的な命中率と言っていいだろう。
猛り狂う蛇が首の向きを変え、美冬を向く。その為にできた死角から、黒百合が猛然と接近。インラインスケートで道路を滑り防護壁に近づくと、コンクリートを蹴りサーバントに向かってジャンプした。
「ほらァ、まだ1個潰されただけじゃないのォ?残りの2個も差出なさいよォ♪」
凄まじい駆動音を響かせ、アームドリルを左の首に叩き込んだ。
小さな人間達から思わぬ手痛い攻撃を浴び、蛇は怒り狂った。闇に潜むことも忘れ、その身を明かりの下に晒す。着地した黒百合に向かって、右の首からブリザードを吐かんと顎を開いた。
黒百合は咄嗟に手にしたカーマインで顎を狙う。中途半端とはいえ、顎に赤い糸が絡み吐きだされる冷気の勢いを弱めた。その隙に黒百合は、射程外へと離脱する。
●大蛇の最後
「大きい分当てるだけなら苦労はしないけど…逆に言えば普通に当てるだけじゃあんまり意味がないかしらね…」
蛇が完全に道路に降りたのを確認し、紫亞は山へ入り、防護壁の上へと回っていた。近くの大木に登り枝先に身を潜めている。その位置から見下ろすと、蛇はうまく真下に見えた。血を噴き出しながらもまだ、炎を吐く左首は完全には動きを止めていない。その付け根を狙い、氷の螺旋錐(アイシクル・ドリル)を叩き込んだ。
その衝撃に、サーバントは地面に叩きつけられた。意図せぬ上方からの攻撃に、サーバントは激しく反応し氷を吐く首をもたげる。
だがその瞬間、自分に向かって飛んできた物体に意識を逸らされた。咄嗟にアスハが投げた発煙筒だった。
アスハは紫亞と同じく、山側へ回っていた。首の吐く攻撃は無論厄介だが、巨体が暴れ回ればただでは済まない。見つからない場所に身を潜め、視界を奪う発煙筒を準備していたが、仲間の視界も悪くする恐れがあった為使用のタイミングを計りかねていたのだ。だが、避け難い場所に陣取った紫亞を狙ってブリザードを吐かれては危険だ。
混乱状態に陥っているサーバントは、煙と熱を発散する物体に気を取られ、そちらへ向かってブリザードを吐き出した。
「熾弦ちゃん苛めた報いを受けなさいねっ!」
あらぬ方を向いた首を狙い、麦子が突撃。普通サイズの敵ならば、弾き飛ばされる猛威だが、さすがに巨体を誇るサーバントには一撃で致命傷とはいかない。
喉を半ば切断され、滅茶苦茶に振り回した尾が、麦子が大太刀を抜き取る僅かな暇を突いて薙ぎ払われる。
「わわっやっぱ無理っ!」
相対する力による痛撃を受ける麦子。二撃目を諦め、急いで後方へ下がる。それを追いかけ這い寄る蛇の胴に、満を持して撃ち込まれたアスハのパイルバンカーが炸裂。
「とっておき、だ……撃ち、貫け!『戦乙女』!」
アルミ製のレジャーシートで外に漏れる熱を遮断して、アスハは木陰に潜んでいた。これにはさしもの蛇も気付かなかったようだ。
最後の一本の首から、胴に空いた大穴から体液を噴き出した蛇が、断末魔の様相で暴れ回る。振り回された尻尾が叩きつけられ、コンクリートの防護壁が砕けて大きな破片がいくつも崩れ落ちる。
「足りないわよォ、首が3つだけじゃ全然足りないわよォ…もっと首を寄越せェェェェ!」
血に飢えた殺戮の女神のごとく黒百合が叫ぶ。
巨大なサーバントは叩き込まれたアームドリルに首を切り離されて尚、暫くの間のたうちまわっていた。が、それは意思あってのことではなかった。
●討伐者達
「はい、そっちの腕も出して」
美冬が歌音の傷に応急手当てを施している。
より酷い怪我をした麦子と黒百合には、熾弦が手当てを施している。
灯が無くとも辺りは充分見渡せる。夏の短い夜は明けつつあった。
「しかしでかいしタフだし……これ焼酎に浸け込んでドリンク作ったら、売れるんじゃねえの」
動かなくなった蛇の頭を爪先でつつきながら、博志が呟く。
「あれは、生きてるの浸けなきゃダメなんじゃない?」
麦子が口元の泡を拭いながら笑った。仕事の後のビールは格別だ。まさにこの一杯の為に生きてる!
アスハは明るくなった周囲を改めて見回す。中々に壮絶な状況だった。
道路といわず防護壁と言わず、粘る体液に濡れている。こと切れた蛇は、巨体を路面に横たえていた。
だが、麓までおびき寄せ戦ったのは正解だった。万が一この巨体と足場の悪い山中で遭遇していれば、折れた木々に邪魔されていたことだろう。下手をすれば倒れた木で怪我をしかねなかった。
また住宅街までサーバントを行かせずに済んだのも幸いだった。コンクリートの防護壁をボロボロにするほどの威力である。民家などひとたまりもない。
帰り支度を始める一同の中、熾弦はサーバントを見つめた後、そっと目を伏せた。
(この蛇の犠牲になった人々も、これで少しは浮かばれるでしょうか……)
だが北の空の下には、まだ捕らわれ続けている人々がいる。
いつかその人達も助け出されて、元気に明るい空を見上げられるように。
そう願わずにはいられなかった。
<了>