●託されたバトン
古都の空は灰色に雲っていた。
北の方角に京都駅が見える。真っ直ぐ走ればものの数分で到着する距離なのに、やけに遠く感じられる。
先に出発した陽動部隊がかなりの敵を引きつけ、今尚跳梁跋扈するサーバント達と突撃班が真っ向から激突している。その、すぐ近くで。今は時を待つ。
空を見上げて、八東儀ほのか(
ja0415)が嘆息した。
「タイムスケジュールの管理がタイトですね。3時間、少し長いな…」
とても長くて、そしてきっと動き出せば、とても短い時間。
「食えよ。腹が減っては戦は出来ぬ、だぜ?」
鐘田将太郎(
ja0114)が持参したおにぎりを仲間に勧める。地元産の自慢の米だったが、こんな時に何考えているんだ、という声は覚悟の上である。人の心に深い関心を持つからこそ、極度の緊張状態が良い結果を生まないことを知っているのだ。待つ間に精神力を消耗しないよう、彼なりに考えた結果である。
「あ、じゃあいただきますね。おいしそうです」
いつもの人懐こい笑顔を浮かべ、土方 勇(
ja3751)が手を伸ばした。人一倍食べることが好きで、そして人一倍グループの和を重んじる。それもさり気なく。にこにことおにぎりを頬張る勇の姿に、一同の肩からほんの僅かだが力が抜ける。
勇に勧められ、加倉 一臣(
ja5823)も齧りついた。
「……おかかおにぎり、か」
物の味など感じられないほどの緊張が、咀嚼によって程良く解れていった。京都駅の建物を見据え、呟く。
「他の奴等が拓いてくれた道、必ず繋げて見せるさ……置いてけねぇだろ」
耳を澄ませば、遠くから響く剣戟の音。獣の咆哮。
時間の流れがいやに遅い。何度も時計を確認する。ついに柊 夜鈴(
ja1014)の光信機が反応した。
「時間通りだ。行こう」
ふだんはやさしげな光を漂わせる紅葉 公(
ja2931)の瞳が、きっと北を見据えた。
「まだ京都の戦いは終わっていません。必ず成功させないと」
「皆で繋いだ道だ、キッチリ役割をこなすとしよう」
立ち上がり、麻生 遊夜(
ja1838)も頷き返す。
一斉に全員が駆け出した。
道明寺 詩愛(
ja3388)の視界の隅を、抱えられて引き上げる仲間がよぎった。癒してあげたい。自分にはそれができる。だが、今はだめだ。自分達の任務の先に何が待っているか判らない以上、今は何もできない。
(ここまで送り届けてくれた仲間のためにも、一人でも多く助け出す……)
唇を噛み締め、ひたすら先を急ぐ。
奮戦の跡を残す道を突っ切り、京都駅に到着する。市営地下鉄への階段はすぐに判った。
息を殺して地下に降りる。そこは古都が天界によって封じられたときのまま、時間が止まっていた。照明が明るく通路を照らし、空調の音か低い唸りを響かせている。だが足元に目をやると、うっすらと埃が積り、ここが長く打ち捨てられた空間であることを物語っていた。
既に頭に入れていた地図の通りに、星杜 焔(
ja5378)が北へ向かう。
本来なら多くの人が行き交っていただろう広い通路が、東西南北に延びている。近隣ビルへの出入り口とも繋がる広大な地下街だ。そのほぼ真ん中と言っていい位置に、二ヶ所の改札がある。それを囲むように、備えつけられた防火シャッターを下ろした。誰もいない空間に、ギシギシと機械音が響き渡る。
(透過を封じれば足止めくらいには……)
例え足止めには頼りなくとも、数秒でも早く敵の接近を察知できれば。
自分達が降りて来た南側は詩愛が操作する。それを見届けて、焔は阻霊符を使った。地下街を改札を囲んで切り取った閉鎖空間が完成する。
御堂・玲獅(
ja0388)は駅務室に入っていた。南側の二つの改札口が挟んでいる位置にある。鍵はかかっていなかった。室内を見渡すと、職員らしい二人の男が椅子にかけたまま机に伏せている。玲獅は思わず二人に『現世への定着』を使おうとして、思いとどまった。今下手に目を覚まして、騒いだりされてはまずいかもしれない。
(すみません、もう少しだけ頑張ってくださいね……)
心の中で語りかけながら、監視カメラの映像が確認できる奥へと進んだ。
幸い、全てのカメラはまだ生きていた。角度を調整すると、ホームに停まる二台の電車の全体が捉えられる。
駅務室から合図を送ると、遊夜が手を上げた。ゆっくりとホームへ降りて行く。ここにも大量の埃が積もっていた。良く見ると所々に、何かが踏み荒らした跡が見える。
(敵を知らんことには動けんからな、できることをするしかあるまい)
階段の下の壁際に身を寄せ、どんな敵の気配も逃すまいと全ての感覚を研ぎ澄ます。カメラの位置を確認し、身振りで合図を送る。玲獅がそれにあわせて、カメラの角度を微調整しているはずだ。
再び音もなく階段を駆け上がると、改札口のフロアへと戻る。
「サブラヒナイト二体は確認できました。グレイウルフは数が多い上に、車両を出入りしている為正確な数は判りません」
六体、ないし八体。それがカメラの映像と遊夜の偵察から予想されるグレイウルフの数だ。
今回の任務では、電車を壊されてはほぼ失敗に等しい。そしてそれは自分達だけの失敗にとどまらず、別動隊全体の頑張りを無駄にすることになる。事前の打ち合わせ通り、可能な限りホームから敵をおびき寄せ、改札のフロアまで上がらせてから叩くこととする。
「あの時救えなかった命……今度こそ救ってみせる」
夜鈴が阻霊符に力を籠める。
大八木 梨香(jz0061)が眼鏡をはずし、ケースに収める。手にした楯が仄かに白い光を帯びた。
「あれ、大八木さん眼鏡なしで大丈夫だった?」
「光纏状態の間は視力が上がるんです。それと……眼鏡が割れると後で困りますので」
焔の問いかけに、梨香は少しうつむきながら答えた。
「では、行きます」
ブーツの紐を締め直し、詩愛がすっくと立ち上がる。
●踊る灰色狼
ほのかと詩愛が、滑るように階段を下りる。壁ぎわに身を潜め、辺りを伺う。阻霊符の効果で、いきなり襲われるようなことはない。息を殺し、タイミングを計る。階段の上を見遣ると、一見誰もいない空間。ほのかはそっと、ポケットに入れた大事な懐中時計を押さえ、心を落ち着かせる。
顔を上げ、互いの視線を合わせる。頷くと同時に躍り出た。
最初に反応を示したのは、車両の中にいた一体のグレイウルフだった。
(お前たちは何をしている?)
とでも言いたげな様子で、近寄ってきた。人をむやみやたらと殺すことは、戒められているのだろう。唸り声を上げて近づいて来るが、飛びかかってくる様子はない。電車に戻れと脅しているのだ。
その目前でわざと派手な動作で身を翻し、ほのかが走り出す。但し、グレイウルフがついて来られるスピードで。釣られて追いかけるサーバントに、ホームをうろついていたもう二体が加わった。詩愛が飛びだし、逃げ惑うかのようなジグザグの走りで、そいつらを引きつける。
そのまま二人は、サーバントとの距離を保ちながら一気に階段を駆け上がり、改札のフロアに達すると左右に分かれて壁の陰へと身を捻って転がった。
サーバントには、追いかけていた人間が突然消えたように見えたかもしれない。突進する狼たちは一気に跳躍する。
「ギャウン!」
先頭のサーバントには何が起きたのか理解する間もなかっただろう。
「……制限時間もあるし、早めに退場してもらうよ」
階段の上部を覆う屋根に待機していた勇。天界に相対する冥魔の力を宿したその一矢が、がら空きだったサーバントの背に突き立った。先手必勝。痛手を被ったサーバントは、それでも逃げずに前へと進もうとする。
「ナイス、勇。貰った!」
動きが鈍ったところに、斜め背後から一臣のストライクショットが命中。
「これで止めだ」
行く手に立ち塞がった将太郎の蹴りがその巨体を吹き飛ばし、床に叩きつけられたグレイウルフは動かなくなる。
その間にも、もう二体のグレイウルフが接近していた。
「ゆっくり遊んでる時間はない、速攻で潰させてもらう」
夜鈴の右目に黒い焔が宿る。階段を覆う壁から半身になり、手にしたマグナムの照準を敵の喉にあわせた。これまで学園が集めたデータによると、グレイウルフは仲間を呼ぶことがある。ホームの敵だけならば好都合だが、もっと広いエリアから増援を呼ばれては厄介だ。階段の上という地の利を生かし、狙いを定める。
意識が高まるにつれ、右目の黒炎が全身を包んでゆく。限界まで研ぎ澄まされたアウルの弾丸が放たれ、真っ直ぐグレイウルフの喉を貫いた。だが一撃では狼は倒れない。
思いの外強くジャンプしたグレイウルフが夜鈴に向かって跳ねる。
「させるか!」
一臣と勇が背に与えた攻撃は、素早い敵の脇を掠めたのみ。サーバントは真っ直ぐ夜鈴に飛びかかり、その喉に食らいつかんと真っ赤な口を開く。展開したランタンシールドで顎を遮りつつ、繰り出した刃で柔らかな腹を抉る。だが怒りに燃えた獣は尚その太い前足の爪で夜鈴の肩をがっちりと押さえこんだ。冥魔の力を纏った反動で、サーバントの攻撃が手痛い物になる。
「柊さん、頭上げないで!」
間合いを計り、詩愛が青いワンピースの裾を翻し脚を薙ぐ。問題ない、スパッツ装着だ。
「風の刃…蹴り脚避けただけじゃ当たりますよ!」
ブーツに括りつけた忍術書から、空を切る鋭い音。目を肩を抉られ、辺りを朱に染めながらサーバントが転がった。
残る一体も階段から躍り出た鼻先を、待ち伏せしていた将太郎の蹴りに砕かれる。不利を悟り、仲間を呼ぼうと天を仰いだ喉は焔の双刀によって切り裂かれた。
まずは、三体。ここまでは予定通りと言っていいだろう。
だがこの騒ぎに気づいているのかいないのか、他のサーバントが近づく様子はない。
玲獅が駅務室に戻り、確認する。この階段付近を避けるようにサーバントが位置を変えていた。やはりサブラヒナイトは多少の知恵があるらしい。斥候が戻って来ないうちは無駄に動くべきでないと判断したようだ。
「もう一度囮になってきましょうか?」
ほのかが申し出るのを軽く制止し、焔がこときれたグレイウルフの一体に近づく。半ばちぎれかけた首を手にした刃で掻き切ると、無造作に階段へと放り投げた。
「釣り餌になるといいけどね」
普段の彼を知る者には、その姿は別人に見えただろう。
いつもどこか遠慮がちに微笑む姿からは想像もできない、冷たい光がライラック色の瞳に宿る。全身を覆う虹色の焔が、陽炎のように妖しく揺れていた。
ごとり、ごとり、と嫌な音をたてて、グレイウルフの首が階段を転げ落ちて行く。
その血の匂いに二体のグレイウルフが引き寄せられる。そして……
「サブラヒナイトが動きます」
感情を抑えて事実を告げる玲獅の声。一同に緊張が走った。
●屍の武者
サブラヒナイト。学園のデータによると、射程の長い魔法攻撃と強力な物理攻撃力を誇り、尚且つ物理ダメージを減じる鎧を纏うという。可能ならば、グレイウルフを掃討してから相手したかったが仕方あるまい。ここからが正念場だ。
階段からは見通せない場所で、撃退士達はそれぞれ息を殺す。相手の射程の方が長い。引き寄せてからでなければ、一方的に攻撃を受けることになる。
グレイウルフがエスカレーターと階段に分かれて上がって来る。後に続いて重々しい足音。
まだだ。もう少し。
だが簡単に釣れたグレイウルフとは違い、サブラヒナイトは慎重だった。身を隠す者の無い空間にいきなり踏み込むことをためらったのだろうか。足音が途中で止まる。グレイウルフもそれに従った。
階段の真上の覆いに身を伏せ、一臣は内心舌打ちした。こちらの身を隠したままでは狙えない位置に、敵の気配があるのだ。
焔が、楯を手に立ち上がった。
「……仕方がないか、後はよろしくね」
階段の正面に出る。同時に梨香も飛びだした。
「番犬ならぬ番狼ですか、雑魚のお仕事ですね」
言葉の意味を解したわけではないだろうが、グレイウルフが駆け出してきた。サーバントたちを挑発する気配を発し、上段から梨香が見下ろす。真っ直ぐ突っ込んでくる狼。その死角から、ほのかが二人の前に踊り出た。赤い十字架が背中に現れ、鮮烈な輝きを放つ。手足に絡む鎖のイメージ。
「いきますよ、『八神之太刀』!」
革紐を巻いた愛刀に力を籠め、力強い踏み込みと同時に振り下ろした。刀身から迸る衝撃波が、グレイウルフを纏めて吹き飛ばす。絶妙のタイミングで身を翻し、ほのかは壁を蹴り跳躍。そのまま壁の陰へ踊った。彼女をグレイウルフの視界から遮るように、楯を構えた焔が回り込む。グレイウルフの再襲撃に備え、壁際に膝をついて構えた。
その眼に、サブラヒナイトが弓を番えるのが映る。
蒼焔の矢が、轟音と共に放たれる。白く仄かに輝く楯に身を隠し、梨香が歯をくいしばって耐える。一撃でやられるようなことはないと判ってはいても、正面から食らった魔法の矢の威力は凄まじかった。楯を支える腕が震える。
一矢を凌ぐと、サブラヒナイトは追いかけるようにして足を踏み出し、次の矢を番える。
だがそれは、こちらの望むところだった。楯を構えたまま、梨香は素早く後ろに飛び退る。
「それじゃ行きますよ!」
サブラヒナイトが釣られて射程距離内に近づいたのを確認。満を持して、公が召炎霊符を取り出す。このメンバー唯一のダァト。物理攻撃に耐性のあるサブラヒナイトへの攻撃に専念するため、今まで戦力を温存してきたのだ。
神経を研ぎ澄まし、霊符に意識を集中する。より遠くへ。より強く。燃える火の球が軌跡を残し、サブラヒナイトに命中する。
「よし、一斉砲撃だ」
温かく柔らかな光を纏った一臣が、アサルトライフルを構え直す。冥魔の気を籠めた銃弾が既にダメージを受けていたグレイウルフに命中。倒れた一体を一顧だにせず、そのままフルオート射撃で、残りのグレイウルフに銃弾を浴びせる。
「出し惜しみは無しだ、キッチリ食らっていくと良い!」
一臣の射線を遮らない場所から、遊夜も銃弾を連射する。グレイウルフは銃弾の雨に晒され、一体、また一体と倒れて行った。
見下ろす形で位置取った攻撃により、グレイウルフに対しては完全に優位に立っている。
だが、肝心のサブラヒナイトはほとんど無傷のように見えた。
勿論目鼻があるわけではないし、サーバントに感情があるとは思えないのだが、まるで『痛くもかゆくもないわ』と暗い笑みを浮かべているようだった。大きく引き絞られた弓から蒼い焔の矢が轟音と共に放たれ、身を乗り出していた一臣の肩を掠めた。
どうにか転がりながら自力移動し、視線を遮る覆いの上で一息をつく。
だがここで引き下がることはできないし、当然引き下がるつもりもない。
夜鈴の全身を覆う黒い焔が、勢いを増す。手にした漆黒の大鎌が、その焔が乗り移ったように黒く輝きはじめた。
「ほむほむ君、援護頼む」
「了解」
床を蹴って、同時に飛びだす。黒い弾丸のように突進した夜鈴の大鎌がサブラヒナイトに触れた瞬間、黒い焔が爆発的に燃え上がる。必殺の一撃が与えた影響を見届ける間もなく、すぐさま離脱。続けて焔が放った攻撃が、白い花弁のような光を散らす。返す刀を食らっては、ダメージが大きい。焔もすぐさま充分な距離をとって、体勢を立て直す。
そのとき、攻撃のタイミングを見定めようと少し離れた位置で戦況を見ていたほのかが、不穏な気配に気づく。
「危ない、北側……!」
ホームにいたはずのもう一体のサブラヒナイトが、三体のグレイウルフを伴って上がってきたのだ。グレイウルフが散開し駆け出す。満月のように引き絞られた弓に番えられた矢が、蒼い光に燃えあがるのが見えた。その切っ先が梨香を狙う。相手の注意を引きつける効果がまだ残っていたのだ。公をガードする梨香は、正面のサブラヒナイトに対峙していてそちらに対応できない。
「そいつはやばそうだ、邪魔させてもらうぜよ」
サブラヒナイトの蒼焔の矢の射線を遮り、遊夜を覆う赤い光が、銃弾と共に奔流となって流れ出す。矢はその向きを僅かに変え、梨香の頭上をかすめていった。
「ありがとうございます、助かりました」
梨香の声に、遊夜は軽く手を上げて応える。
「麻生くん、カッコイー!惚れちゃいそう」
同様に回避射撃を狙っていた一臣が、軽口を叩いた。過度の緊張をほぐすため、敢えて声を出す。だが遊夜の返答はにべもなかった。
「……それだけは勘弁してほしいやな」
だが撃退士達は、事実上の二正面戦闘を強いられることになった。
「せめてこちらは、そろそろ決めましょう」
「了解しました」
公をガードしつつ、梨香が共に駆け出す。それを見てほのかが加わった。
「助太刀しますよ!」
サブラヒナイトの正面に躍り出た梨香が、敵の意識を自分に集める。その脇から飛びだしたほのかが大太刀を振るうと、サブラヒナイトも太刀で受ける。そこに隙が生まれた。
公が狙いを定める。赤い火球が霊符から生み出され、公の命じるままにつき進む。
激しく燃え盛る火球に頭部を半分吹き飛ばされ、さしものサブラヒナイトも動きを止めた。刀を引き、距離を取ったほのかが身構える目前で、ゆっくりとその身体が倒れて行く。
……やっと、一体。
一方、北側から駆けてくるグレイウルフの集団を睨み、遊夜は得物を大鎌に持ち替えた。赤と黒の焔が一際激しく湧きあがり、迸る。ここまで混戦になっては、飛び道具は危険だ。
「さぁ、死神様の御通りだ!」
すれ違いざまに駆け抜け、そのままサブラヒナイトに接近。
鎌で与えられる物理ダメージは減殺されるかもしれないが、敵の長射程の弓は封じることができる。それだけでも味方の損害を減らせるはずだ。
「ややこしいことは苦手だが、足止めはできる。救出の邪魔は絶対にさせるか!」
将太郎もサブラヒナイトの側面に回り込み、メタルレガースの脚から『飛燕』による衝撃波を浴びせた。今はとにかく、サブラヒナイトとグレイウルフの集団を同時に相手する状況を作ってはならない。
(俺にできることは、こいつらを食い止めることだけ。それをやり遂げる!)
サブラヒナイトが、弓を消し太刀に持ち替える。その一瞬の隙に、玲獅が強引に割って入った。ランタンシールドの円楯で防御しつつ、腕と一体になった刃を突き出す。至近距離から繰り出された両刃の切先が、サブラヒナイトの鎧の隙間に突き立った。
地底から沸き起こるかのような怨嗟に満ちた唸り声が、包帯に覆われた頭部から響き渡る。鎧武者は大太刀を渾身の力を籠め振り上げた。空を切る音と共に激しい一撃が振り下ろされるが、玲獅の楯はその太刀を受け止める。その力に逆らわず受け流すと、次の斬撃を避けるべく飛び退る。攻防一体の兵器の為さすがに全く無傷とはいかないが、受けたダメージは軽い打撲程度だ。
玲獅に避けられたサブラヒナイトは、攻撃目標を変える。遊夜の大鎌を払うと、返す刀で斬りかかる。先刻グレイウルフを掃討するために纏った冥の気が、仇になった。兜割の構えで振り下ろされた切先を得物で逸らすが、続く一閃が迫る。何とか直撃をかわし床に転がったものの、左脇腹に赤いシミが広がっていった。
「こんのお!」
尚も遊夜に迫るサブラヒナイトの進路に入った将太郎が、脚を振り上げ、蹴りを叩き込む。玲獅が抉った鎧の疵をめがけて。
確かな手ごたえがあった。そう思った瞬間、将太郎の身体は吹き飛ばされ通路の壁に叩きつけられた。衝撃に一瞬意識が遠のく。だが本能が、その場にとどまることの危険を知っている。ほとんど無意識のうちに身体を捻る。ふらつく頭の中に、ほんの少しの後悔がよぎる。
(くそっ、えらい依頼を引き受けちまったもんだ。ま、引き受けたからには最後までやり通すしかねえしな!)
その直後、将太郎が座り込んでいた場所の壁が、大きく崩れ落ちた。土煙の中、大太刀が照明を反射して鈍く光る。
一方遊夜の鎌で傷を受けたグレイウルフは、唸り声を上げながら身を起こしていた。それなりの深手を負わせたはずだが、裂けた毛皮を血に濡らし、まだ闘志を失っていない。上位存在に従うよりほかにない、捨て駒達。だが憐れむ暇も、理由もない。
詩愛が素早く近づくと隙を見て狼の首を踏みつけ、脚から風の刃を発生させ確実にとどめを刺す。鮮血が噴き出し、辺りの床や壁が朱に染まった。
(浴びた返り血の数だけ、人を救えるはずですから……)
今は全てを忘れ、敢えて修羅となろう。が、傷ついた仲間の姿に、険しい顔は一変する。
「一気に回復します!無理はしないで!」
詩愛が辺りに敵がいないことを確認し、周囲の仲間に『癒しの風』を送る。
戦況は完全に消耗戦の様相を呈していた。こちらは折を見て回復しながらの戦闘でどうにか全員が動けているが、敵のタフさは想像以上だった。サブラヒナイトを甘く見過ぎていたかもしれない。
だが、残す敵は目前の一体のみだ。相手とて無傷ではない。
「しつこいのは嫌われちゃうんだぜ!」
一臣が残しておいたダークショットを叩き込む。
「ここは貴方たちのいるべき世界ではありません」
「皆さんを返してもらいますよ!」
痛撃によろめいた敵が体勢を立て直すより早く、玲獅と公の放った火球が躍りかかった。
鎧の胸に大穴を開けられ、サブラヒナイトは鎧のぶつかる音を響かせて床に伏した。
●希望の光
「これが、京都駅……」
あちらこちらで壁が崩れ、サーバントの遺骸が転がる通路。シャッターに囲まれた空間を、梨香が硬い表情で見渡す。もう離れて数年になるが、歩き慣れた懐かしい場所だ。記憶が凄惨な光景に上書きされていくことが耐え難いというように、軽く頭を振る。
駅務室に入り、カメラの映像でホームにサーバントが見えないことを確認する。
感傷に浸っている暇はない。思った以上にサブラヒナイトに時間を取られた。約束の合流時間までに、捕らわれている人々を運び出す準備を整えねばならないのだ。
焔は駅務室の計器類をチェックし、列車の運行が可能なことを確認する。電源も線路の切り替えも問題はなさそうだ。
玲獅が駅務室に倒れていた職員に『現世への定着』を使った。目を開け、何事かと戸惑う二人を急かして、ホームへと誘導する。電車内では詩愛が、同じ力を使って自力で動ける人数を増やしている。だが有効な範囲はせいぜい一両分。六両編成電車のあちらこちらに人が倒れていて、玲獅と二人がかりでも全員に効果は及ばない。
「大変でしたね、もう大丈夫ですから」
普段どおりの柔らかな笑みを浮かべた公が、歩くことのできる乗客たちを励ましながら移動させる。夜鈴と遊夜は動けない人々を順に担いで、向かい側の車両へ運び込んでいた。将太郎は、突然意識を取り戻しパニックになった人がいないか、車両を順に見て回っている。
結局避難には東側の一台のみを使うことになった。停まっている電車を二台とも走らせることも考えたが、万一討ち漏らした敵の襲撃を受けた場合の対応を考えると、車両運行に割かれる人数は少ない方が良い。
一臣が一番北の車掌室の扉を開けた。停車したまま放置されていた電車は、幸いにも施錠されていなかった。乗りこむと床に倒れる制服の男性を起こし、邪魔にならない場所にもたれさせる。
「すいません、後でちゃんと手当てして貰いますんで。ちょーっとだけ我慢してて」
素早く機器に目を走らせ、運行に必要な装置が生きていることを確認する。進行方向を変える操作を済ませた後、起動キーを抜き取り、ホームの焔に投げた。
「焔ちゃん、これ御堂さんにヨロシク!」
焔が南端の車両まで走り、運転席に乗り込んだ玲獅にキーを手渡すと、発車準備は整った。
勇とほのかはその間も、北と南に分かれて改札周辺を警戒していた。
「今の所異常無し……とは言え、欠片も油断なんて出来ないよね」
一応引きつけられるだけの敵は倒したが、いつ敵の増援が来るかも判らない。逆にこちらの仲間が到着した時には、誰かが入り口を開放しなければならなかった。
不意に、背後から獣の遠吠えが聞こえた。勇は振り返りざまオートマチックの引鉄を引く。低い位置から飛びかかった狼の爪が腿に突き立つ。痛みに耐え撃ち込んだアウルの弾が、ようやくサーバントの最後の足掻きを止めた。圧し掛かる重みを払い、立ち上がる。瀕死の一体がまだ残っていたらしい。
「大丈夫ですか、土方さん!?」
慌てて駆け寄るほのかに、失敗失敗、と笑って見せる。
ほのかは改めて辺りのサーバントを確認するが、他に生きている物は見当たらなかった。勇は思わず額を拭った。取り出した布で足を縛り、応急手当てを施す。
勇の胸に嫌な予感がよぎる。今の遠吠えが、敵を呼んだかもしれない。
そのとき、南側を閉じたシャッターの向こうに多数の気配。
……敵の増援か?
だがその懸念は、一瞬の後に霧散した。光信機が増援の到着を知らせたのだ。
シャッターを開くと、頼もしい仲間の顔。奮戦の跡を残しながらも勇は笑って見せた。いつも通りの、他人を安心させる笑顔で。
だがそれも束の間だった。今度は北側の防火扉が軋む音。振り向くと、今にも破られそうに膨らんでいた。先刻の遠吠えに、やはり敵の増援が集まったようだ。ほのかが光信機で、ホームの仲間に連絡を取る。
防火扉のすぐ近くには、ホームへ降りる階段が二つもある。
一度弓を構えようとして、勇は思い直した。まだ要救護者を抱えた別動隊が到着していない。彼らも含めて結界の外へ届けるのが、自分達の役割だ。ここは余力のある増援に、戦闘を任せるべきだろう。一番大事なのは、仲間を信じ、自分達の役割を全うすることなのだ。
勇は弓を収め、ぴょこりと一礼した。
「すみません、後は頼みます!」
力強く駆け抜けて行く一団と別れ、後ろ髪をひかれる思いでホームへと降りていく。
別動班との予定合流時間は間近に迫っていた。
「南側に障害物はありませんでした!」
公が小柄な身体を弾ませて、ホームへ飛びあがる。時間のある限り進行方向へ走り、線路を確認して戻ってきたのだ。
「お疲れさん!ありがとな」
車両の中で乗客の様子を見ていた将太郎が、飛び乗ってきた公に声をかけた。
北側では、万一の敵増援に備え線路を警戒する詩愛がもどかしげに時折階段を見上げる。
「B班からの連絡は?まだ到着しないんでしょうか」
「まだだ……あっ、ちょっと待って!」
階段付近で待機していた夜鈴の光信機に、連絡が入った。ようやくもう一隊が到着したのだ。
南端の階段を、多くの人を支えて仲間が降りてくる。焔と勇は階段でよろめく人に手を貸しながら、発車準備の整った電車へと誘導する。
B班の殿の撃退士が電車に飛び乗ったのを見届けて、焔は車掌室の一臣に呼び掛ける。
「一臣さん、乗車完了です」
「了解、発車準備オーケー!」
一臣が最後尾の車掌室から顔をのぞかせ、開閉レバーを操作する。一斉に扉が閉まった。
「発車します!」
玲獅が頭に叩き込んだマニュアル通りに、レバーを操作する。
ゴトン。
放置され錆で赤くなった線路を軋ませ、鉄の車輪が動き出す。重い車両が、少しずつ、少しずつ進み始めた。
次第にスピードを増していく車両の中には、救い出された人々の姿。
捕らわれている市民に比しては、微々たる数かもしれない。だがその一人一人が、きっと誰かにとってかけがえのない人なのだ。
地下鉄は、結界付近で地上に出る。地上の光は、正しく希望の光と見えた。
「……眩しいですね」
目を細め、梨香が誰にともなくぽつりとつぶやく。
閉じられた都をこじ開ける、小さな光。その小さな光で、いつか封都の囲みを砕き、また帰ってこよう。
美しい都へと。
<了>