●脱出行
地下への入り口を少し開き、佐倉 哲平(
ja0650)が外を伺う。
幸い付近に敵の気配はない。
「…一人でも多く、じゃないな。全員で生還しないと…」
身を躍らせ、地上に立つ。油断なく周囲に神経を張り巡らせる。
40人もの一般人を、まずは駐車場まで誘導するのだ。
「この程度の人数すら逃がしたくないか…天使というのもなかなか小さい連中のようだ」
哲平と背中合わせに入口を守り、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が嘲る。
京都市内に残っている人数に比べれば、微々たるものではないかと。
cicero・catfield(
ja6953)が人々を誘導していく。
「安心してくれ。絶対に、皆を安全に搬送してみせる!」
力強い声に、恐怖に縮こまっていた人々も外へ踏み出す。
だが、大人たちの緊張を敏感に受け取り、階段も上手く上がれないような子供もいた。
手をとり、アニエス・ブランネージュ(
ja8264)が優しく声をかける。
「大丈夫、ボク達が絶対守るからね」
自分達自身も決して楽観できる状態じゃないとは判っている。
だがこれだけの人の命運を手放す気もない。覚悟を決めた。…戻って叶えたい夢だってあるのだ、絶対に全員で無事に山を越えてみせる。
駐車場に誘導されてきた人々が、決められた車を目指して足を速めた。
壁のない空間にいる恐怖は一般人にとって相当なものだろう。一部が駆け出したのを見て、ユウ(
ja0591)が声をかける。
「‥‥押さない・走らない・静かに。従えないなら置いてく」
本気で置いて行きそうな、人形のような表情の娘にそう言われ、走りだした者も従った。
「‥‥護衛。あまり得意じゃないけれど」
その背を見送りながら独り言。
救急隊員が、自力で動けない者を救急車に運び込む。護衛しつつ、撃退士達も各々持ち場となる車両にたどり着いた。
先陣を切るのは、乗ってきたトラックだ。行きと同様田宮がハンドルを握る。
全員の乗車まで警戒していた哲平を、影野 恭弥(
ja0018)が腕を取って荷台に引っ張り上げた。
アサルトライフルが三発制限点射に切り替わっているのを確認し、後方の車列を眺める。
すぐ後方の救急車には、阻霊陣を携えた重傷の撃退士三原と長谷川。そして自力で歩くのは難しいものの、命に別条はない一般人2名が乗りこんでいる。次の救急車には、衰弱が激しい入院患者1名が乗せられた。
その後のマイクロバスで、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が全員の通信状況を確認する。
「みんな通じてますか?こちらバス1、乗車完了です」
車中には不安と混乱の気配が渦巻いていた。敵の襲撃以外にも不安要素が多いことは明白だ。
(どれほど難しい任務でも、必ず成功させる。本当の強さとは、その先にこそ、あるはずだ)
優しげに見える横顔が引き締まる。
彼はずっと理想の自分、理想の強さを求めてきた。困難を乗り越え、より強く…
(……まあ、困難と不可能を見誤ると早死にするけれど)
アニエスと手分けして、車内をチェックして回る。
乗員構成は医師・看護師を含め、2台のバスが均等になるよう配備した。定員26人なので比較的余裕がある。
全員に窓際には極力座らず、シートベルトを締め姿勢を低くするよう注意を促す。
ふと自分をじっと見つめる子供に気づいた。
小学校の低学年だろうか、母親に抱き抱えられながらも歳が近い(と彼が判断したと思われる)エイルズレトラを縋るような眼で見つめていた。
彼は柔和な表情で、少年の前に屈みこむ。得意なカードマジックをひとつ披露すると、少年の緊張がほぐれていった。
(この頭数で車列護衛ねぇ…無茶言ってくれちゃってまぁ…まぁ、やるさ、仕事だし)
最後尾のマイクロバスの前で常木 黎(
ja0718)は嘆息を漏らす。
前方の重傷者2名を乗せた救急車がエンジンをかけた。
「さぁて、スリルドライブと洒落込もうか」
苦笑いを浮かべつつも、鍛え抜かれたしなやかな肢体を躍らせ、自らもバスに乗り込む。
「‥‥それじゃ、よろしく」
フィオナが跨るオートバイの後ろにユウがよじ登る。腕に固定した魔法書の具合を確かめた。
「振り落とされぬよう、しっかりつかまれ」
小気味良い排気音を響かせ、バイクが滑り出した。
●遭遇
頭上を覆う木々の葉が暗い影を路上に投げる。ここが山中越だ。道幅は狭くはないが、急カーブが連続しスピードは控えめになる。
やがて往路で巨大サーバントと遭遇した辺りに差し掛かる。
…予想通りの登場だった。
右に大きくカーブする先の路上に、確かにそれが居座っている。
「‥‥いた。ナメクジ」
「近くに山中へ向かう道がある。そちらへ引き込む」
事前に調べたルートを辿り、フィオナが加速。先頭に出た。
ユウが全員に連絡を入れる。車列は少し速度を落とし、バイクを見送った。
カーブを曲がり直線でやや速度を落とし、射程距離一杯まで敵に接近。道路幅をフルに使ってUターンする。
全身に冷気の具象化のような白い光を纏わせて、ユウが連続で攻撃。同時にフィオナがスタントで敵の注意をひきつけた。
ナメクジがじわり、と動きだす。路上に虹色に光る粘液を残し、バイクの後をついてくる。
フィオナはそれを見て、速度を調整した。追うのを諦めてもらっては困るのだ。
ユウの射程範囲分ギリギリの間隔を維持しながら、バイクは側道を登る。
「よし行くぞ」
田宮がトラックのスピードを上げた。とにかくフィオナとユウがナメクジを引きつけてくれているうちに、全車が通過しなければならない。
後続車両と斜面に注意を払う哲平が呟いた。
「…直接相手しないで済むなら、それが一番だが」
だが、敵がそう簡単に見逃してくれるわけもなかった。斜面をいくつもの黒い影が下りてくる。
「…敵影が見える。周囲の状況に警戒してくれ…」
通信を入れる。
「来たな」
然程の感慨も籠らぬ、いつも通りの声の恭弥。荷台の銃眼からアサルトライフルの銃口を覗かせる。
先頭の黒狐が、往路に見た首を振り向ける動作に入るのを見て、先制のクイックショット。錬度を増した必中の一撃に、短い怨嗟の声と共にサーバントが宙を舞う。
だがほの暗い木陰から、倒木の陰から、黒い影が次々と跳躍する。
カーブの度に揺れる荷台から味方の車両を避けてそれを狙い討つのは、至難の技だった。
だが幸いなことに攻撃が当たれば吹き飛び、車が止まらない限りそいつが追い付くことはない。
救急車に近づこうとする敵の鼻先を、荷台の後部から哲平が確実に抑えて行く。
なんとかなるかもしれない。そう思った時だった。黎から連絡が入った。
「あぁもう、このクソ忙しい時に。でかいのがもう一匹、こっちに気がついたよ」
車列が伸びると、先頭と最後尾が見る景色は微妙に違ってくる。木々の上に揺れる巨大なナメクジの頭が、黎からはよく見えた。
通路を前方へ駆け抜けながら、落着きを失いつつある乗客たちを叱咤する。
「死にたくなかったら頭下げてな。車体はそう簡単に破れないからね」
車列が伸びたとはいえ、阻霊符の範囲はおよそ半径500メートル。2台目の救急車の二人だけでも充分全体に効果が及ぶはずだ。
「意地でも前の車のケツに食いついて!」
運転手の肩越しに敵の姿を睨みつけ、檄を飛ばした。
ciceroは後部座席に陣取り、細く開けた窓の隙間から、外を警戒する。
そして、気付いた。
斜面を下って来る巨大ナメクジの方向から、ある物音が響いてくることに。
「しまった…!」
阻霊符は『半径500メートル』に効果を及ぼす。
範囲内に侵入したサーバントは透過能力を無効化され、木々の枝を折り、幹を裂き、進路を阻むフェンスや岩石を乗り越えて迫っていた。
幾本かの倒木と岩がサーバントの下から滑り出し、轟音と共に斜面を滑り落ちる。
トラックと続く2台の救急車が走り抜けた後の路上に、倒木と土砂が傾れ込んだ。
バスの運転手が必死でブレーキを踏みこみ、衝突を避ける。後続の2台もどうにか追突は免れた。
だが、車列は分断され、停止してしまった。
●迎撃
停止したトラックの荷台から、クレイモアを手に哲平が飛び降りた。
警戒していたにもかかわらず分断を許してしまった。
後続車両の方が、一般人が多い。一刻も早く合流し助けなければならない。
運転手の田宮には万一に備え、車に残ってもらう。救急車2台はトラックの陰になるよう近くに寄せた。車を背に狐に対峙する。その数3、いや4体。
「…悪いが、通すわけにはいかん」
大剣を駆け下りてくる集団をめがけ振り払うと、黒い衝撃波が襲いかかる。
ギャンッ!
2匹が撥ね飛ばされ、退る。
木陰から飛び出す1体を恭弥が感知し、飛び降りざまに銃撃。黒い毛皮が裂け赤い飛沫が花火のように噴き出した。
その間に別の敵が吐いた青く長い焔が、恭弥を襲う。救急車への直撃を避けようとしたため、かわしきれなかった。
膝をついた路面に、腿から流れた液体がシミを作る。それでも表情一つ変えぬまま跳躍した1体を正確に撃ち抜く。
救急車に近づく1体に、哲平が回り込む。クレイモアの切っ先を逃れた黒狐が、地を蹴って跳びかかった。どうにか体当たりをかわしたその脹脛に、別の1体が牙をたてる。
齧りつく獣を渾身の力で貫くと、黒狐は頭から顎まで砕かれ息絶えた。漸く息をつく。
「…そっちは大丈夫か」
「ああ。それよりもあれが問題だ」
恭弥が僅かに眉をひそめる。視線の先には、間近まで迫る巨大ナメクジの姿があった。
−−−
「皆、姿勢を低くして。じっとしていてください」
エイルズレトラが、乗員たちが屈むバスの壁を走り抜け、前方の扉から飛び出していく。
撥ねるいくつもの黒い影と、前方に立ち塞がる倒木の壁を見比べた。
そのとき、運よくと言うべきだろうか。
倒木を堰き止めていたガードレールが重圧に耐えかね、音をたてて根元から崩れたのだ。幾本もの倒木が滑りだし、そのまま道路脇の崖へと転がり落ちて行く。
車1台分ほどの路面が露わになる。急いで通り抜ければ、どうにか先へ進めそうだ。
前方を見つめ、アニエスがきゅっと唇を噛み締める。
だがすぐに柔和な表情と何気ない普段の口調で、乗員によびかけた。
「暫くの間、待っててくださいね。必ず麓まで送り届けますから」
そして身を翻すと、エイルズレトラの後を追う。
−−−
黎は各人の状況確認に忙しかった。
前方の様子は、田宮から連絡が入っている。2名がサーバントと交戦中だ。安全が確保されるまでは、こちらも迂闊に先へ進む訳にはいかないだろう。
次にユウに連絡を入れる。
「行儀の悪いお客が割り込んできてね。手貸してもらえないかい?」
簡潔に状況を説明すると、戻って来ると返事があった。
だが暫くの間は、今いる4人で凌ぐしかない。
「後ろは頼んだよ。近付かせなければ良いから」
黎が拳銃を片手に、バスを降りた。
ciceroはバスに残って乗員の護衛と援護を担当。獣が駆け下りてくる山側の窓に身を寄せ、ロングボウを手にする。
−−−
「‥‥別のナメクジ、出た。分断されてる」
簡潔な報告を聞いたフィオナが口元を引き締める。
「あやつを足止めして、すぐ戻る」
土煙を立てて、ターン。撥ね飛ばされた砂利が、辺りの木の幹を打つ。
再び走り出すと、背後から迫るナメクジに肉薄する。
射程内に敵をとらえた刹那、ユウの魔法書から幻のように白い小鳥が飛び立った。その軌跡が目に見えぬ鎖となり、サーバントを捕える。暫くの時間稼ぎには充分だ。
硬直したように動きを止めたナメクジの脇をすり抜け、バイクが唸りを上げる。
「我らが着くまで、粘れよ」
金の髪を風に任せ、フィオナが前方を見据えた。
−−−
黒い狐が木立から躍り出た。
即座に黎のオートマチックが吠える。空中で銃撃を食らった敵はバランスを崩すが、後続の1体が焔を吐く。
「主よ、我に力を与えたまえ」
祈りを籠めたciceroの鋭い矢が、黎を襲ったサーバントを貫く。
「大丈夫ですか」
応急手当で傷をふさいだ黎が、脇腹を押さえながら立ち上がる。
「ありがと、油断大敵ってやつかね」
エイルズレトラがバスの外壁を横走りし、狐の進路を塞ぐ位置に躍り出た。同時に敵が焔を吐く。
焼かれながらも繰り出した魔法攻撃が、カマイタチのように敵の毛皮を切り裂く。
怯んだ敵を狙って、アニエスのリボルバーが止めを刺した。
だが斜面を駆け下りてくる新手の敵。
救急車を含めた3台を、たった4人で守りきるのはさすがに厳しい。
斜面の上からは巨大なナメクジが、少しずつ大きさを増してくる。接近してきたのだ。
それに気を取られたほんの刹那、アニエスを焔が襲う。苦痛に顔をゆがめるアニエスの銃弾をかわし、1体の黒狐がマイクロバスのガラスを突き破った。
(……南無三)
最悪だ。だが、ここで焦っては全てを失う。
エイルズレトラがバスに駆け込んだ。座席にのしかかり顎を朱に染める黒狐を、背後から葬る。
悲鳴と恐慌に彩られたバスは、パニック寸前だった。
そこに前方の恭弥から連絡が入る。
「こちらは片付いた。1台ずつこちらに抜けろ」
ギリギリ1台分の幅へ、バスを移動させる。
倒木が動き出せば、あるいは路肩が崩れれば、車は転げ落ちる。
運転手の技量に任せるしかない。乗員も事態を悟ると、息を詰め成り行きを見守る。
外でバスの進路を守るアニエスと黎の耳に、エンジン音が届いた。
フィオナがバイクを止めると、ユウがひらりと飛び降りる。すぐさま、近くの黒狐に足止めの攻撃。
バイクを止めたフィオナが、クレイモアを手にする。瞳の色を映したような碧の輝きが剣先から放たれると、黒い獣が吹き飛ぶ。
じりじりするような時間が流れ、最後のマイクロバスが隙間に差し掛かる。
そこへ、倒木を駆けてくる1体。
車内からciceroが射かけるが、その為に青い焔が彼を狙って放たれる。
衝撃にバスがぐらつく。右の前輪が一瞬路面を滑るが、壮年の運転手が見事な操車技術で持ちこたえた。
●苦渋
フィオナとユウが再びバイクで巨大ナメクジを引き離す間に、車列は山頂を越えた。
あとは下り坂だ。ここまで来れば、敵は振り切れるだろう。
連絡を受け、フィオナのバイクが戻ってくる。
山道を抜けバイパスに乗れば、目指す病院はもうすぐだった。
疲れきった顔の人達が、重い足取りでバスを降りる。
言葉もなく、トラックからそれを見つめる撃退士達も怪我人だらけだ。エイルズレトラが人知れず頭を垂れて黙祷する。
同行した医者の一人が、顔をのぞかせた。
「有難う。あのままでは遅かれ早かれ全滅していた。多くの人が君たちのお陰で助かったんだ、お礼を言わせてもらうよ」
柔和な顔で気遣われ、逆に胸が締め付けられる。
全員を助けるつもりだった。だが、それは叶わなかった。
この悔しさは、きっと忘れることはないだろう。
<了>