●鈍感無双
小瓶を片手に、大八木 梨香(jz0061)は諦めたような溜息をついた。
「おや、そこの眼鏡っ娘ちゃん。せっかくの合宿夜に一人で何してんのかや?」
南條 真水(
ja2199)だ。いつもの通りのボサボサ頭に、サンダルをつっかけている。
梨香が返答に詰まる。真水自身がどう見ても一人だからだ。その視線の意図するところを察したのか、真水は無造作に目をこすりながら言った。
「予め誤解の無いように言っとくが、なんじょーさんはぼっちじゃあない。自ら望んで独り道を歩くのさ」
成程、普段の梨香なら全面同意の発言である。
だが今日はなんだかちょっと違う気がするのだ。それでも真水の自然体は、梨香にとって好もしかった。口を開こうとして、自分を呼ぶ声に気づく。
「あらら?こんばんは、梨香。どうしたの?」
「あ…レギスさん…」
既知のレギス・アルバトレ(
ja2302)の姿に、何となくほっとする。
「いえ、実は…レモンティーを買ったのですが…」
限りなくドリンク剤寄りの飲料を暗い顔で示す。
「あー…ホットなC.○.レモンを吐き出した自販機なら見たことあるじぇ」
「それは…ガラス瓶のホットは…さすがに洒落になりませんね」
どこか脱力系の漫才のような真水と梨香のやり取りに、思わずレギスが噴き出した。
「ん?どうしたですかー?」
鳳 優希(
ja3762)とアストリア・ウェデマイヤー(
ja8324)が足を止める。
「旅館の人にお願いすれば、替えてもらえるかもしれませんよ?」
アストリアが提案した。
ロビーはそれなりの広さがあり、大浴場へと続いている。辺りにはほんのり温泉と石鹸の香りが漂い、学生たちがソファでだらりとくつろいでいた。
しかしフロントは、既に電気が消えていた。呼べば誰か来てくれるかもしれないが、梨香はそこまではしなくていいと引いてしまう。
「梨香、なんだか元気がないみたいだけど。そんなにショックだった?」
レギスが見透かすように梨香を見つめつつ、近くのソファに腰を下ろす。
「え…そうですか?」
梨香は少し迷ったように視線をさまよわせ、さも今思いついたように言った。
「あの、ちょっとお伺いしたいんですけど、今晩はもう何も行事はありませんよね?」
「行事ですかー?宴会の後は自由行動だと思いますよー」
優希が宙を見上げ、記憶を辿るように答えた。
「確かそうですよね…」
(あれ?大八木さん…落ち込んでいる様子?どうしたのかな)
星杜 焔(
ja5378)が、女子集団の中でどことなく肩が下がっている梨香を認めた。
声をかけようかと思いつつ、周りの女子にやはり気後れするのが彼の悲しい性(さが)。
そんな焔の気を知らず、梨香の背後から雨宮 歩(
ja3810)がにゅーっと首を出す。
「こんばんはぁ。探偵の雨宮、呼ばれてないけどやって来ましたよ、と」
ぎゃああ。妖怪にでも遭ったような声がロビーに響く。
せめてここは「きゃあ」という黄色い悲鳴だろう、と突っ込んではいけない。それができるぐらいなら…(以下略)
「聞こえたので失礼するよぉ、宴会後は自由行動で明日は7時に起床予定だねぇー」
温泉旅館でも何故か黒スーツにソフト帽の探偵スタイルを崩さない歩が、気だるげに付け加える。
「あ…ありがとうございます」
「悩み相談にペット探し、浮気調査とか色々やってるのさぁ。お前も探偵の力を借りたいときはここに来なぁ」
梨香は渡された名刺を思わず受け取り、歩と交互に見遣る。そこで焔が立っているのに気がついた。軽く会釈すると、いつもの柔和な笑顔で応える。
漫画的に表現すれば、梨香の額には汗マークが描かれている感じである。
まずい。なんだか人数が増えた。
内心の卑屈な感情を押し殺し、精一杯(※当人比)の明るい調子で言葉を続けた。
「いや私の同室の皆さんがですね、おしゃれして一斉に出て行かれまして。何か夜に行事があったかな?なんて。ないですよね、あはは…皆さんどこ行っちゃったんでしょうねー…」
一瞬の沈黙。
「梨香、それは…」
レギスが軽く眉をひそめた。
「気合いの入った服で飛び出した、ねぇ。それはどう考えても…」
歩が言うのとほぼ同時に、紫堂 日向(
ja8051)が断言した。
「今頃あんたの所のルームメイトは全員、誰かとイチャついてんだろうよ」
悲鳴で周りの注目を集めてしまったため、会話筒抜けは致し方なし。日向も事実を述べたのみで、悪気は全くない。だが直球すぎた。
「い…イチャ…!?」
動揺する梨香。
近くのソファに居た高城 カエデ(
ja0438)は心底同情した。
(こう、なんだ。ぼっちって辛いよな…)
生きてたら良いことあるよ。きっと、多分、おそらく…あれ、内心の呟きが、どんどん確定から逸れてるような気が…。
「は〜ん、成程成程。若いってのはいいねえ」
どこぞのおばちゃんみたいに頷いた真水だって、まだ二十歳だ。なんだこの干物感。
一方、干物とは対極の優希が気の毒そうに言う。
「ふむふむ、みんな出て行っちゃったですか。それは寂しいねぃ」
だがようやく事態を理解した梨香は、ほっとしていた。
自分以外が全員示し合わせたのなら救われないが、そうではなかったからだ。
「あ、そういうことだったんですね…なんだ…あはは」
卑屈な思考が恥ずかしくて、笑ってしまう。焔にはその内心が、何となく判るような気がした。
「俺にも身に覚えがあるなあ〜もう慣れたけどね〜ていうか今現在まさに同じ状況なんだよね…」
もの悲しいことを呟きつつもその顔から笑みは消えない。
いつの間にか集団に紛れ込んでいるカエデ。
「まあ、アレだよな。部屋の人もこう色気づく年齢なのかもしれないな」
(……まあ、俺も似たような年齢だけど、色気づいた話がないのが泣けるけども)
これもどこか悲しいセルフ突っ込みだ。
「確かにそういうのもいいけどね。集まって合宿の夜話す、ていうのはいい思い出になるんじゃないか?こんなふうにね。俺はそう思うぜ」
アストリアが梨香の腕にしがみついた。
「そうですよ!夜は長いですし、せっかくですからみんなで楽しく過ごしましょう!」
その人懐こい態度と笑顔に、梨香は一瞬びっくりする。だが釣られて思わず笑ってしまった。
「ありがとうございます、じゃあ賄賂のお菓子でも取ってきましょうか」
そのとき館内放送が流れ、ロビーの消灯時間を告げた。
どうする?という視線が交わされる中、梨香が自室が空いていると当然のように言ってのけた。
良い意味でも悪い意味でも、鈍感無双である。
●(一部は)未踏域へ
「お邪魔しまーす」
優希がお約束のように、誰もいない室内に明るく声をかける。
「友達との泊まりがけの旅行って、不思議なぐらいテンションあがりますよね。どういうわけか夜更かしをしたくなる!」
続いてアストリアが、足取り軽く室内へ。
「皆、思い思いの場所で楽しんでいるんですよ」
「そういうものなんですね…私、実は初めてなんです。家族以外との旅行って」
梨香が布団の半分を捲りあげる。
一方の男子達。
いくらフリーダムな久遠ヶ原学園とはいえ、教師の見回りぐらいはあるかもしれない。
「先生に見つかって追い出されるのは御免だからな、先に隠れ場所確保しとくぜ」
日向が室内を見回した。カエデは押入れを確認する。布団が出ているため、中はほとんど空だった。二人は頷き合い、押入れの傍に陣取る。
窓を確認しているのは歩。なんとか人が通れるほど開くようになっていた。
焔は暫しの逡巡の後、大胆にも布団に潜り込む。
(女子の布団に勝手に入るのは気が引けるが…そもそも外出した女子達が悪いしこの状況なら仕方ないよな)
仕方ないのか?そうなのか?
それはともかく物事には万全を期す焔。さりげなくもぐりこんだ風に見せて、脇に荷物を並べ布団をふんわりと掛け、『女子ではない』と判らないように布団の形を調整する。
頭骨格の形状をごまかすためにと毛先を濡らし、タオルを被る用意周到ぶりだ。
「うぉーい、開けてくれぃ」
姿を消していた真水が、何やら抱えてやってきた。
どっかと座り込むと、カードゲームだのトランプだのボードゲームだのを並べる。
「懐かしいですね…トランプなんて小学生以来かも」
梨香がトランプを手に首をかしげた。カードの隅にマークや数字が小さく書いてある。
「そのトランプはイカサマ仕様…ここだけの秘密だじぇ?」
一体どこで何のためにこのトランプを使うのだ。一同、ツッコミは心の中にとどめた。
「なんじょーさんのお勧めは人生ゲームだ」
「うぃうぃ、頑張るのですよー☆」
「懐かしいなー。株買ったり羊飼ったりするんだよな」
優希と日向が食いついた。
駒が配られ、ルーレットが回る。山盛りのお菓子を傍らにゲームが始まった。
「おー早速結婚だじぇ…祝い金回収ー!」
真水が掌をひらひらさせた。
「でもなー、実生活では独りもいいもんだじぇ。他人の都合に左右されない。現代人のストレスの根源、煩わしい人間関係とも無縁。何より楽だ」
身も蓋もないご意見である。
「と、ぼっちの良さも語りつつ、砂糖吐くような話、期待してるじぇ」
その言葉にレギスと優希はお互いに意味深な視線を交わし、相手に話をさせようと小突きあう。
「わ、私は別に…それは彼のことは大切に思っていますし、大事にしてくれますけれど…!」
レギスが長い睫毛に覆われた目を伏せつつ、しっかり惚気る。
「希には、旦那さまがいるですよー♪とても素敵な方なのです」
優希がリングが光る手を頬に当て、盛大に惚気る。
「幼馴染だったのですが、最初は気にならなかったのです。でもある時に自分の気持ちが解りました。それからすぐに告白したのなのですー」
ざーっ。誰かが砂を吐いた音がした…ような気がする。恋愛すっとばして結婚まで話が至り、梨香石化。
その時歩が、不意に唇に人差し指をたてる。
「誰か近づいてくるな、教師の可能性大かなぁ」
皆の話を普段通り気だるげに聞きながら、部屋の外の気配に注意を向けていた。
瞬時に『無音歩行』で窓へと走り、外に出て『壁走り』、『隠密』を使い身を隠す。
その頃にはカエデと日向も押入れの中。
(…こ、これでまさかセンセにバレることはないだろ。へへ)
『遁甲の術』で気配を薄め、息を殺すカエデ。日向は感知スキルで外の気配を伺う。
…何というスキルの無駄遣い。教師は天魔か?本気出し過ぎだ。
ノックの音がし、梨香が応答に出る。引率の男性教師の一人が顔をのぞかせた。
「こんばんは、先生。後少しで就寝致しますね」
いつの間にかきちんと座りなおしたレギスが、丁寧に一礼する。
「おや、センセじゃあないか。こっち来て混ざったらどうだい?」
真水が教師に声をかけた。私を誘惑するには10年早いな、などと謎の台詞を放ち、教師が軽く室内を見渡す。ふと足元に違和感を覚え布団を凝視。…焔の無駄に長い睫毛の瞳がうるると見上げていた。
色々と突っ込み所もあったかもしれない。だが久遠ヶ原では、男装の麗人も男の娘も何でもありなのだ。さすがに複数の男子が堂々と座っていれば別だが、一部屋一人ぐらいは触れてはならない存在がいても不思議ではない。
そのせいかどうかは判らないが、特に注意もなく教師は部屋を去った。
「ふーびっくりした。でもちょっと高揚感と緊張感があるね!」
カエデが笑いながら、押し入れから這い出てくる。
「間一髪って奴かな、この状況」
言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな歩も戻ってきた。
「食えば三途の川が見える料理といい解除しても解除しても増える罠といい、常にカオスな状況の喫茶店なんだよな。まぁ、それがクセになるんだけど」
日向が自分のクラブに関係ある喫茶店の話をしている。
「カオスですね…よく紫堂さんも今日までご無事で」
ゲームに興じ菓子をつまみ、皆の話を聞くのはとても楽しかった。
梨香は発端となったおいてきぼりにすら、感謝したい気持ちになっていた。
そこに優希が話題の矛先を向ける。
「梨香さんには、気になる人とかいないですか?」
「え、いえ…今のところ残念ながら…!」
そもそも会話可能な男子学生自体、限られている。しどろもどろになりながら答えた。
「そかあ、じゃあまずは運命の人を探さないとね。案外近くにいるかもしれないです、希みたいに」
布団に寝そべりながら、笑顔を見せる。
その笑顔に、出て行ったルームメイトたちの華やぎに、思う。
誰かを好きになる、それはとても素敵なことなのかもしれない。
「じゃあね、梨香さんの好みのタイプとか聞いてもいいですか?カッコいいなーって思う人とか!」
アストリアが食らいつく。
「え?え?いや、残念ながら…!まずはそれ以前の問題ですし…ね、焔さん!」
他人に話題を放り投げるのはいいとして、何故敢えて男子に投げる?
投げられた『同類認定』焔が、微笑を湛えたまま答える。
「そうだね〜ぼっち同士なら友達になりやすそうと見せかけて、実はなかなかお互い相手に話しかけられなくて友達になれないよね…彼女?イナイ暦=年齢だよ…」
「俺も甘酸っぱいのないんだよな。そういう話できるの、ちょっとうらやましいな」
焔の語りに静まり返りそうになった場に、カエデの溜息。
「って言うか、アレ。誰か娘さんを紹介してくれてもいいんだよ。というかアレ。大八木ちゃん、俺と友達から始めないですか!みたいな感じでもあるぜ」
どさくさにまぎれて何か言った!ここぞとばかりイケメンビーム発散!
「え、お友達ですか。それはぜひ、こちらこそよろしくお願い致します」
ぺこりと頭を下げる梨香。だめだこいつ、効いてない。
そのとき再び入口にノックの音が響く。全員が一斉に耳をそばだてる。
控え目かつ切実な連打は、教師ではない。梨香が慌てて走って行く。
「私、ロックかけたっけ…?」
レギスが心の中で舌を出す。
(梨香を一人にして出て行った子達には、反省して貰わなくては)
むくり、と焔が布団から身体を起こした。
(ちょっと悪戯してやるか…)
梨香が急いで扉を開くと、ルームメイトたちがなだれ込んできた。
「あーもう、びっくりした!ロックかかってるんだもん」
小声でぶつぶつ言っていた3人ほどが、そこでぽかんと宙を見据える。
視線の先は梨香の肩越しの背後。…正確には、そこに立つ男子学生…焔である。寝ぐせらしき髪の乱れがあらぬ妄想を掻き立てる。
「お…大八木さん…」
「結構、ダイタンだった…のね…」
じりじりと後退り。
「え?ちょっと待って、何が…!」
「さ、さすがに私達もこれは…」
「うん、お邪魔みたいだし…他の部屋にでも…」
背後と正面、慌ただしく交互に首を動かし、梨香は狼狽する。
部屋の中では枕に顔を押しあてて、笑いを噛み殺す面々。
少しのハプニングも合宿にはつきもの。
彼女たちを加え一層賑やかなお喋りが再開するのは、それから少し後のことだった。
夜はまだ長い。
<了>