●魔狼の咆哮
現地に到着したのは昼を少し回った頃だった。
駅前からディアボロが閉じ込められているマンションまでの間には、五月の陽光と風にすっかり乾ききった血溜まりがあちらこちらに見て取れた。
「京都が大変な時に容赦ないんじゃなぁ…それも人が犠牲になったとか…ゆるせんけぇ…」
つい先刻までは初依頼に緊張していた水城 秋桜(
ja7979)が、ぐっと唇をかみしめる。
(絶対倒す…!みんな…母さん…見ちょってね…うちがんばるけぇ)
胸元に下がる銀のペンダントに付けた指輪を握り締め、決意も新たに。
森部エイミー(
ja6516)は惨状を目の当たりにし、普段涼しげな面立ちを引き締めた。
「京都の騒ぎの隙を狙って、襲撃を仕掛けてくるなんて…これ以上、犠牲は出させません!」
指先でリボルバーを器用に回してみせたミスター・アヴェンジャー(
ja0391)が、握り直した銃の先で、ソフトハットの縁を軽く持ち上げた。
「さあ、ウルフなディアボロに御仕置きのタイムだ」
あくまでも口調はクールに。帽子の陰で、緑の瞳が一瞬光った。
全員が、一斉に持ち場へ散る。
「京都での、皆の頑張りを無駄にはしない!!」
事前の打ち合わせ通り、相馬 遥(
ja0132)は、鬼無里 鴉鳥(
ja7179)とエイミーと共に正面玄関に回った。
身体に似合わぬ大太刀を腰に携え、鴉鳥は奔る。
(元々、背後から討つ事や奇襲などは性に合わん…)
だから敵の注意を引きつけ、他の班と挟み撃ちにする作戦に加わることを選んだ。
しかし、こちらの予想通りに動いてくれるとは限らぬのが敵である。
近づくに従い、衝撃音が大きく耳を打つ。
3人が正面玄関に立ったときには、はっきりと判る程にシャッターは歪み、悲鳴を上げていた。
ディアボロは、正面玄関を比較的弱い出口と判断したようだ。
ここでシャッターを開くのは流石にまずい。
隙間をこじ開けて脱出を許してしまうだろうことは、想像に難くなかった。
そもそもここでご対面では、不意打ちするどころではない。
遥の携帯に、他班からのメッセージが入る。彼女は通話ボタンを押した。
「そう、でも注意が正面玄関に向いているなら大幅な違いはないわね。行くわ」
大沢田 柚理(
ja7879)が答えて携帯を切る。
こちらは北側の住民用裏口に控えている。本来は敵の注意が正面玄関からの攻撃に向いている隙に、後背を衝く役割であった。
(さすがに初めての実戦は思い通りにはいかないか。
でもここで躓くようじゃ先が思いやられるわ…できる限りサクサクと片付けたいところね)
「というわけで、こちらが先制攻撃することになったわ」
柚理が簡単に経緯を説明する。
「みんなが安心して寝られるためにも、がんばらないとね」
幼く見える顔立ちに鋭い意思が宿る。萩山 楓(
ja1536)がスクロールを強く胸に抱いて頷いた。
「我、神の名においてこれを鋳造する。汝ら罪無し」
呟くと、ファング・クラウド(
ja7828)の腕が青く透ける光の装甲を纏った。目を上げる。
「では、行きます」
預かっていた電子キーを差し込むと、鉄の扉が開く。
3人が音もなく滑り込んだ。
室内は高い位置にある窓からの光で、充分に明るかった。
だがそれだけに、色々な物がはっきりと見える。
例えば、原形をとどめないほど潰れた郵便受。歪んで開かなくなったエレベーターの扉。そして、辺り構わず擦りつけたような大量の血の跡。
しかも屋内は、鼻を刺激する獣臭さと、血の匂いに満ちていた。
全てを振り切るように、ファングが飛び出す。
「AssaultCombat,Ready!!」
濡れた血で滑る床を物ともせず、突っ込む。同時にピストルが火を噴いた。
並んだ楓が、アウルを籠めた魔法の一矢を鋭く放つ。
「あなたの相手はこっちですよ!」
ディアボロの足を狙った攻撃が、狙い通り連続で突き刺さった。
『グルゥルルル…』
シャッターに体当たりを繰り返していたディアボロが、振り向いた。
粉々になった自動ドアの欠片が毛並みに光る。大きく鋭い牙の間から涎と唸り声が漏れた。
明確な敵意と攻撃に、ようやく気がついたようだ。
傷は負わせたものの到底致命的なダメージとは言い難い。
それは元より承知の上だ。だが、改めて実際のディアボロのタフさを思い知らされる。
巨大な狼が、足に力を籠める。と、床を蹴り、咆哮と共に一気に距離を縮めてきた。
「素行の悪い狼は彼だけで十分だ、ご退場願おう――――この地を割る轟腕でねッ!!」
ファングが銃を小さなトンファーのように持ち替え、殴りつける。
銃本来の使い方ではないので然程ダメージは与えられないが、相手の突進を多少なりとも受け止める効果はあったようだ。
だがその為に、鋭い爪の標的となってしまった。跳び退ろうとした腿から鮮血が飛び散る。
「グ…ッ!なんの、まだまだ!」
「いきます!それっ」
腰を落とし重心を低くした楓が、持ち替えたロッドを構えて魔法攻撃。
それを受け、魔狼の爪が今度は楓に向かう。予想していた展開に、勢いに押され床を滑りながらも何とかロッドで受け止めることができた。
その隙に、柚理が正面玄関の遥に短い連絡を入れる。
「ディアボロはこちらに引きつけたわ」
相手の返事を待たずに電話を切り、大太刀を構えた。
ディアボロはさほど知能が高くないと見えて、エレベーターの扉はもうあとほんの一撃で口を開けそうな程にガタがきていたが、ぎりぎり破壊されるまでには至っていない。
身体の大きなディアボロに対し幅が狭いことが幸いしたのかもしれない。
だが偶然の一撃で扉が壊れれば、その空間へと敵は飛び込んでいくだろう。
柚理は大狼から目を離さず、じりじりとエレベーター前へと回り込む。
ファングが負傷を物ともせず、ディアボロの右前足を狙ってピストルを撃ち込んだ。
すかさず、柚理の振るった大太刀が同じ脚の付け根に叩き込まれる。
『ウォオオオオオ!』
建物全体が震えるような咆哮を上げ、ディアボロの眼が禍々しく燃え上がった。こいつらはなんなんだ?まるでそう言いたげだった。
一撃の後下がった柚理を追うように、後ろ足に力を籠め飛びかかる。
柚理は大太刀を構え、反撃の瞬間を探る。満を持しての一撃は、大狼の肩を削ぐ。
再びスクロールに持ち替えた楓が、距離を取りつつ、神秘の矢を放った。
強い攻撃はこれで限界。あとは連撃で稼ぐのみ。
ファングもピストルを両手で支え、相手の足を狙い撃つ。何発も何発も、精根尽き果てるまで。
「くっ、消し飛べ……夢郷の彼方へ……儚く散り去れッ!!」
獣の毛と血が弾かれて、宙を舞う。
●挟撃
「よーし、行くわよ!シャッター解放!」
遥が、己を鼓舞するように声を上げる。
本来電動式のシャッターなのだが、内側から閉じられているため無理にでも押し上げるよりない。
頼めばジャッキぐらいは調達してもらえるだろうが、持ってきてもらう時間を考えれば撃退士の腕力でこじ開けた方が早そうだった。
3人で1M程を押し上げ、身体を滑り込ませる。
割れたガラスと血糊で足元が危うい。シャッターが再び閉じられる。
「ハー部内で一番の知性派、相馬遥さん参上ッ!!」
若干出遅れ気味なのは承知の上、遥が気勢を上げ己を鼓舞する。
光を纏い輝く槍を音が響く程に回転させ、溜めたアウルの力を解放する。
「くらえ、必殺!えーっと、凄い技!!」
何かカッコいい技名を言おうと思ったが、事前に考えていなかったのが残念だ。だがそれとは無関係に、がら空きのディアボロの後背に槍が撃ち込まれる。
建物の壁に、獣の怒りの唸り声が反響する。
「さあ、もう逃げられませんよ!」
エイミーが輝くスクロールから光の矢を解き放つ。ディアボロの既にかなりのダメージを受けた右足を、床に縫い付けるかのように貫いた。
遥はその間に手薄になった北側に回り込み、声をかけた。
「こっちが手薄です!」
「了解です!」
エイミーが答え、遥の隣に陣取る。
相手が逃走するのを確実に防ぐためには、建物の弱くなった部分をカバーする必要がある。
怒り狂った獣が、向きを変えた。
「ふん、これはまた随分な図体をしている。如何にも斬り甲斐がありそうで結構な事だ」
その金色に燃える瞳を真っ向から受けて、威風堂々、鴉鳥が立つ。
己を阻む世界の万象、総て斬り断つ―それが銘刀『斬天』の意なればこそ。
「どれ、では閻羅の理と言う物を見せてやろう」
それまで鴉鳥が纏っていた白い輝きが、黒く転じる。
闇色の斬撃。それは魔の眷属を裁く冥府の審判のごとく。
「なぁ、畜生に問うても無駄であろうが、貴様どれだけの人を喰らった?」
一閃の後、大太刀は腰に収まる。
大狼の肩を割き飛び散る返り血を軽い足取りで避けながら、鴉鳥は問うた。
だが主の命を受け、己の飢えを満たすだけの存在に罪を理解する術もなく。ただ只管に命を貪る存在…それがディアボロだった。
そしてそれも一つの生ある存在である以上、「死」の回避を望むもの。
ディアボロは三方から追い立てられ、漠然とした危険を感じつつあった。じりじりと南の壁際へと後じさる。
まさにそのとき。
「頭の上がお留守だよっ!」
ガラスが割れる物音と共に、秋桜の声が響く。
降り注ぐガラスの破片が目に入らぬよう柚理は顔をそむけた。
秋桜が明り取りの窓を派手に叩き割り、飛び降りながら魔法を放つ。
「ベッドタウンの人達がイートしたフィアー、ユーも味わえ!!」
普通に英語で伝わるのではないかというツッコミはさておき、ミスター・アヴェンジャーも飛び込みざまにディアボロに銃弾を叩き込む。
新手の出現に、今や四方を囲まれた形となったディアボロは刺激され、猛り狂っていた。
集中的に攻撃された右足と、斬りつけられた右肩からの流血が、床に新たな赤い模様を描く。
(この感覚…覚えがある…)
床に降り立った秋桜の瞳が、ディアボロを見据えていた。
この感覚。このイメージ。失った記憶の中に…
(信じてる…母さんや父さんは…生きてるって…!)
振り切るように、護符を手にした。
「視力もうばっちょくよ!」
ディアボロの目を狙って、一撃。僅かに逸れた攻撃が、敵の眼元に新たな赤を描いた。
既に生存本能のみに突き動かされる巨大な狼は、不愉快な相手と見做し体当たりをかける。狭い空間に全員が入ったため避けきれず、秋桜の身体が吹き飛ばされる。
「くはッ…!!」
背中から壁に激突。衝撃の余り視界が霞み、息ができない。
「よくも…!」
大太刀を構え、柚理がダッシュ。
やたらめったらに爪を振り回すディアボロの隙を狙って、低い姿勢から脇を突き上げた。
確かな手ごたえ。
だが引き抜く一瞬の間に、狼の牙が肩を抉る。
「うあッ!」
「ヘイ、ユーのアタックはミーにカモン!」
ミスター・アヴェンジャーが反対側から注意を引くべく、ディアボロに連撃を浴びせる。
その一瞬で充分だった。
柚理が抉り取るように刀を引きぬき、逆手で大狼の口角めがけて突き立てる。相手が大きいからこそ、可能な攻撃。
口を切り裂かれたディアボロは、思わず顎を開く。
「大沢田さん!」
その隙に大柄なファングが、柚理を抱えて転がった。
いよいよ不利を悟ったディアボロは、光のさす方を見上げる。
そこには、秋桜とミスター・アヴェンジャーが開けた穴。
敵の意図に気づき、遥が叫ぶ。
「馬鹿めっ、お前は完全に包囲されているっ!逃げられるなんて思うなよー!!」
渾身の力を籠めた槍が、今まさに跳び上がろうとした大狼の腿を貫く。冥魔に相対する力を乗せた、痛烈な一撃。
起き上がった秋桜が、口元の血を拭う。
「まだまだ…こんなので倒れるはずないじゃろ!」
放たれた白い光が、転がった大狼のがら空きの腹を襲う。
血を噴く巨体を床に投げ出し、それでもまだ爪をたて足掻くディアボロ。
だが牙を剥き出し唸り続ける口元からは、大量に血の混じった泡を吹いていた。
「散れよ。貴様は此処で無に果てろ」
止めを刺した刀を、鴉鳥がかちり、と収めた。
「作戦とはいえ……後で、管理会社の方へ謝りに行かなきゃいけないかしら」
柚理は元来生真面目な性格だった。窓を見上げ思わず嘆息する。
楓に応急手当を施された肩を、ほぐすように軽く回す。
噛みつかれた傷口はまだかなり痛むが、麻痺は取れたようだ。
遥が管理人室の傍にあったスイッチを見つけた。
ギシギシと音をたててシャッターが開いて行き、東からも光が差し込む。
外を包囲していた警察や救急の人々が、連絡を受けて駆けつける。
「ヘイ、ユーは何の忍術を習っているんだい?」
日本の警察官は忍術の心得があるとでも思ったのだろうか、建物の外でミスター・アヴェンジャーが警官を捕まえて質問する。
「は?忍術?この近くでは甲賀の里が有名ですが…」
「ヒュー、それは一度ミートしておきたいぜ、コーガに」
「はぁ…それは是非…」
警察内部でも『撃退士には偶に風変わりなのがいる』という情報は伝わっているのかもしれない。
あまり気に掛ける様子もなく、すぐに屋内へと向かっていった。
警察や救急の邪魔にならないように外へ出ようとした遥は、管理人室の床に伏せた初老の男性に気がついた。
「もっと早く来れなくて、ごめんなさい」
静かに黙祷を捧げる。
秋桜は持参した花束を受付に置いて、そっと手を合わせた。
「仇は討ったけぇな…」
「YE GUILTY」
ファングが紙コップの紅茶を掲げ、その傍に置く。彼なりの追悼だった。
皆がそれぞれの形で、突然未来を断たれた人々に祈りを捧げる。
一同は外に出て、五月のかぐわしい空気を胸一杯に吸い込んだ。
先程までの血生臭い戦いが嘘のような、静かで明るい空。
だが太陽が少し傾きかけた方角の空の下では、より凄惨で、より危険な戦いが続いているのだ。
今日の戦いをそれぞれの糧に。持てる力を、より強く研ぎ澄ます。
いつか、本当の平和を取り戻すまで。
撃退士達の戦いは、今始まったばかりなのだ。
●高みより
「なるほどのう…人間ども、まだまだ余力があるようだの」
マンションの入り口を見下ろす陸橋に、若い女性が立っていた。
胸元に赤ん坊らしきものを抱きかかえている。
「天使共も、存外に不甲斐無いこと。ククク…まあ餌を狩り尽くされるのも困るしの」
女の口元は引き結ばれたまま。
踵を返すと、何処へかと姿を消した。これに気づいた者は、誰もいない。
<了>